高等学校古典B/玉勝間
『玉勝間』(たまかつま)
- 予備知識
著者は本居宣長(もとおり のりなが)。宣長は江戸時代の国学者(こくがくしゃ)である。 本文中の「師」とは、賀茂真淵(かもの まぶち)のこと。賀茂真淵も国学者である。賀茂真淵は、本居宣長の国学の師匠であった。
師の説になづまざること
[編集]- 大意
もし学問で師の説が間違っていたら、間違いを指摘することが正しい態度だろう。わが師匠・賀茂 真淵(かもの まぶち)の教えでも、もし師の教えに間違いがあれば指摘するようにと、私・本居宣長(もとおり のりなが)は習った。 そもそも学問とは、けっして一人の仕事だけで完成するものではなく、先人たちの研究をもとにして、もし学説に間違いがあれば修正していくことで、少しずつ学問は改良されて正しくなっていくものである。
師の教えをそのまま鵜呑みにする態度は、一見すると師匠に忠義を尽くしている態度のように思えるが、じつは学問をないがしろにしている態度であり、よくない態度だろう。
世間の人の中には、師匠の学説を批判することもありうる考え方を、師匠への不忠義の態度だとして、批判するかもしれない。だから私も非難されるかもしれない。それならば、どうぞ私を非難するが良かろう。たとえ他者から非難されようが、私は学問をねじまげる態度なんて取りたくない。
一
[編集]- 本文/現代語訳
おのれ古典(いにしへぶみ)を説くに、師の説とたがへること多く、師の説のわろきことあるをば、わきまへ言ふことも多かるを、いとあるまじきことと思ふ人多かんめれど、これすなはちわが師の心にて、常に教へられしは、 「後によき考えの出で来(いでき)たらむには、必ずしも師の説にたがふとて、なはばかりそ。」 となむ、教へられし。こはいと尊き教へにて、我が師の、世に優れたまへる一つなり。 |
私(=本居宣長)が古典を解釈するときに、師匠(賀茂真淵)の学説と違っていることが多く、師匠の学説のよくないところがあるのを、(私が)判断して言うことが多いのを、実にあってはならないことだと思う人が多いようだが、これ(=間違いの指摘)がつまり私の師匠の意向であって、いつも教えなさったことは、「(もし)後で、良い解釈が出てきた場合には、必ずしも師匠の学説と違うからといって、決して遠慮するな。」とお教えになった。これ(=マチガイがあれば指摘しろという教え)はとても尊い教えで、私の師匠がじつに優れていらっしゃる点の一つである。 |
- 語句(重要)
- ・なはばかりそ - 遠慮するな。「な・・・そ」で禁止の構文。「な」は呼応の副詞で、「そ」は終助詞。構文「な・・・そ」で覚えたほうが良いだろう。
- ・世に -実に。まことに。たいそう。とても。 ※ 「世の中に」ではないので、間違えないように。
- ・ - 。
- 語注
- ・師 - 賀茂真淵(かもの まぶち)。(生没:一六九七 ~ 一七六九。) 江戸中期の国学者の一人。著作に『万葉考』『歌意考』などがある。
- ・ - 。
- 単語
「わろし」 : おおもとの意味は「よくない」(桐原単語集でも三省堂単語集でも共通)。派生的に、単語集によっては三省堂は「適当でない」、「貧しい」とあり、桐原は「下品だ」「体裁が悪い」とある。 ※ 単語集によって意味が異なる部分は、暗記しなくていいだろう。
古語の「あし」が、本質的に状態の悪い事を言うのに対し、一方、「わろし」は状態のよくないという消極的な意味合いである。
二
[編集]- 大意
- 本文/現代語訳
おほかた(大方)、いにしへ(古)を考ふること、さらに一人二人の力もて、ことごとく明らめ(あきらめ)尽くすべくもあらず。また、よき人の説ならんからに、多くの中には、誤りもなどかなからむ。必ずわろきことも混じらではえあらず。そのおのが心には、 「今はいにしへの心ことごとく明らかなり。これをおきては、あるべくもあらず。」 と、思ひ定めたることも、思ひのほかに、また人のことなるよき考への出で来るわざなり。あまたの手を経る(ふる)まにまに、先々の考えの上を、なほよく考へきはむるからに、次々に詳しくなりもてゆくわざなれば、師の説なりとて、必ずなづみ守るべきにもあらず。よきあしきを言はず、ひたぶるに古きを守るは、学問の道には言ふかひなきわざなり。 また、おのが師などのわろきことを言ひ表すは、いともかしこくはあれど、それも言はざれば、世の学者その説に惑ひて、長くよきを知る期(ご)なし。師の説なりとて、わろきを知りながら、言はず包み(つつみ)隠して、よさまに繕ひ(つくろひ)をらむは、ただ師のみを尊みて、道をば思はざるなり。 |
そもそも古代を研究すること(=国学)は、まったく一人や二人の力でもっては、すべては明らかにはし尽くすことが出来るなんて、ありえない。また、(たとえ)優れた人の学説であっても、多くの(学説の)中には、誤りもどうして無いだろうか。(いや、あるだろう。)けっして間違ってることが混じらないということは、ありえない。 その本人(=学説を提示した当人)の心からしてみれば、 「今は古代の精神が、すべて明らかである。これ(=私の学説)を除いては、あるはずもない。」 と、確信していることでも、思いがけずに、また他人の(自説とは)異なる良い考えが出てくるものである。多くの人の手を経るにつれて、以前の学説の上を、もっとよく考え究めていくから、次々に詳しくなってゆくしだいなので、師匠の説だからといって、必ずしも、こだわって守らなければならないものでは無い。良し悪しを言わず、ひたすらに古いものを守るのは、学問の道では話にならない(=言う価値が無いほどに、不要である)ことだ。 また、自分の師の(説の)良くないことを言い表す(=指摘、表明)ことは、とても恐れ多いことではあるけれど、それ(=おのが師などのわろきこと)も言わなければ、世の学者はその(良くない)説に惑わされて、ずっと良い説を知る機会が無い。師の説だからといって、(説の)良くない事を知りながら、言わずにつつみ隠して、よいように取り繕っているのは、ただ師のみを尊敬して、(学問の)道を(大切に)思ってないのである。 |
- 語句(重要)
- ・おほかた(大方) - そもそも。だいたい。
- ・さらに - まったく。けっして。
- ・などか - どうして。 ここでは反語の意味。「などか」は疑問の副詞。 ※ 高校生用の参考書では品詞分解で諸説ある。「などか」で一つの副詞として考える場合と、「など」+係助詞「か」とで考える場合がある。
- ・などかなからむ - どうして、ないだろうか(いや、あるはずだ)。 末尾「ん」は推量の助動詞「む」の連体形。 連体形になる理由の説は、いくつかある。 説1:副詞「などか」のように疑問や反語の副詞のばあい、文末は連体形で結ぶ、という説。 説2:「などか」は「など」+係助詞「か」という説。
どちらの説にせよ、構文「などかなからむ」ごと覚えて、結びは連体形だ、と覚えたほうが早い。 - ・混じらではえあらず - 混じらないということは、ありえない。打消「で」と打消「ず」とで、二重否定になっている。「混じらで」の「で」は打消の接続助詞。「ず」は打消の助動詞「ず」。「え・・・ず」のように、副詞「え」と打消「ず」などで不可能を表す。
- ・なづみ守る - 「なづむ」とは、「こだわる」「執着する」の意味。
- ・ひたぶるに - ひたすら。一途に。
- ・いふかいなき - 「言ふ甲斐なき」。言っても仕方が無いほど、わるい。言う価値が無い。などの意味
- ・かしこく - 恐れ多く。ここでの「かしこく」の原形「かしこし」を漢字にすれば「畏し」(かしこし)・「恐し」(かしこし)。 間違って「賢し」としないように。「賢し」だと文脈に合わない。
- ・ - 。
- 読解
- ・それも言はざれば - 「それ」の内容を文中から抜き出すと、「おのが師などのわろきこと」。
- 語注
- ・わきまへいふ - (訳)判断して言う。 「わきまへ」は判断・識別・判別などの意味
- ・あるべくもあらず - (訳)あるはずがない。
- ・よさま - 「よきさま」のこと。
- ・期(ご) - 機会。期間。折。
三
[編集]- 大意
- 本文/現代語訳
宣長(のりなが)は、道を尊み、古ヘを思ひて、ひたぶるに道の明らかならん事を思ひ、古の意(こころ)のあきらかならんことをむね(旨)と思ふが故(ゆゑ)に、わたくしに師を尊むことわり(理)の欠けむ(かけむ)ことをば、えしも顧み(かへりみ)ざることあるを、なほわろしと、そしらむ人はそしりてよ。 そはせむかたなし。われは人にそしられじ、よき人にならむとて、道を曲げ、古(いにしへ)ヘの意をまげて、さてあるわざはえせずなむ。これすなはちわが師の心なれば、かへりては師を尊むにもあるべくや。 |
(私・)宣長は、(学問の)道を尊重し、古代を思って、ひたすらに(学問の)道が明らかになる事を思って、古代の精神が明らかになる事を重要と思うがために、個人的に師を尊ぶ道理が欠けることを、どうしても顧みることが出来ないのを、やはりよくない、と非難する人は非難してくれ。それは(=私・宣長が非難されることは)どうしようもない。(いっぽう、)私は他人に非難されないようにしよう、よい人になろうと思って、(学問の)道を曲げ、古代の精神を曲げて、そのままでいることはできない。 これは、とりもなおさず、我が師(=賀茂真淵)の考えであるから、かえって師を尊重することになるはずだ。
|
- 語句(重要)
- ・えしも顧み(かへりみ)ざる - 「えしも・・・ず」(「ず」は打消し)の意味は、「どうして・・・できない」の意味。「えしも」の訳は「どうしても」などと訳す。不可能の構文「え・・・ず」と同様。「しも」は強意の副助詞。
- ・そしりてよ - 非難してくれ。「そしる」とは非難。「てよ」は強意の助動詞「つ」の命令形。
- ・さてあるわざ - そのままでいること。
- ・えせず - 「・・・できない」。「え・・・ず」の構文。
- ・ - 。
- 語注
- ・ - 。
- ・ - 。
- ・ - 。
- ・ - 。
品詞分解
[編集]著者について
[編集]- 本居宣長(もとおり のりなが)
(生没:一七三〇~一八〇一) 江戸時代の国学者の一人。出生地は伊勢(いせ)の国、松坂(今の三重県松坂市)に生まれる。京都で学び、契沖(けいちゅう)や荻生徂徠(おぎゅう そらい)の学説に影響を受ける。賀茂真淵の弟子になった。本居宣長の著書に『古事記伝』『源氏物語玉の小櫛(おぐし)』などのほか、多くの著作がある。
- 玉勝間(たまかつま)
本居宣長の随筆集。全十四巻。(数え方によっては全十五巻。)