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高等学校商業 経済活動と法/法律学の入門

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

法律と道徳、法則とのちがい[編集]

法律と道徳のちがい[編集]

道徳に違反していても、現代の日本では、それが国家から強制される事が無いのが普通である。

しかし、法に違反すれば、国家から法律にしたがう事を強制される。 つまり、法は、国家権力が強制する規範(きはん)である。

これが、法と道徳とのちがいである。

世界各国の古い時代では、法律と道徳・宗教などを混同していた時代もあり、法律によって道徳や宗教などが強制される時代もあったが、しかし現代の日本では、法と道徳・宗教とは、区別するのが普通である。

現代の日本では、宗教は、法によって強制されない。


道徳と法は、かならずしも、すべて異なってるとは、かぎらない。

たとえば、「借りたものは返す」という道徳に対応する法として、民法597条「借主は、契約に定めた時期に、借用物の返還をしなければならない。」、あるいは民法591条(「当事者が返還の時期を定めなかったときは、貸主は、相当の期間を定めて返還の催告をすることができる。」「借主は、いつでも返還をすることができる。」)などの条文がある。


法にせよ道徳にせよ、一般の人にとって、手本となる規則であろう。手本となる規則のことを「規範」(きはん)という。


法律と法則の違い[編集]

「水は0℃で、こおる」などの物理法則は、法律としての「法」ではない。

物理法則は世界中のどこでも同じだし、いつの時代も、自然界の物理法則は、変わらない(人間がその法則を発見してるかどうかは、ともかく)。 いっぽう、法律は、国や時代や地域によって、異なる場合もある。また、法律は、時代によって変化していく。


「法」と「法律」の違い[編集]

法の構成  (この図は中学の復習です)
憲法を頂点として、上にあるほど、強い効力をもちます。強い下位にある法が、上位にある法に反することはできません。
なお、図中の「命令」とは、内閣がさだめる政令や、省庁がさだめる省令のことです。
(※ 普通科高校「政治経済」科目でも習う範囲です。山川出版社「詳説 政治・経済」(検定教科書)、2013年検定版、・・・などの検定教科書で確認)
(商業高校科目「経済活動と法」でも習います。実教出版の検定教科書で確認しています。)

法学では、「法律」と「法」(ほう)は、意味が違います。

さて、先ほどの節では「法則」との区別のため、あえて「法律」という表現を用いましたが、実は「法律」とは、法のうちの、ごく一部のことを言う場合が多いのです。

例えば条例は「法」に含まれます。しかし条例を「法律」とは呼ばない場合もあります。


一般に、「法律」とは、国会の制定した法のことを言います。(山川出版社の政治経済の検定教科書では、こう定義している。実教出版の「経済活動と法」教科書でも、こう定義しています。) 

「法律」の意味は、場合によっては、中学の社会科で習った例のように、国会で制定した法のうち、さらに憲法を除いた法だけを「法律」という場合もあります。

このように、「法律」と言葉に、憲法を含めるか含めないかは、場合によって、わかれます。

なので、国会で制定した法のうち、憲法を除いた法のことを、「通常の法律」などのように、言う場合もあります。(※ たとえば山川出版社の「現代社会」科目の教科書では、「通常の法律」という言い方をしている。)

※ いっぽう、「一般の法律」とは言わないほうが安全でしょう。なぜかというと、すでに「一般法」という用語が、別の意味で、法学には存在します。


そして一般に「法」とは、法律や条例のように、その国家において、強制力を持った規則のことです。

しかし、条例は国会で制定した法律ではないので、条例は「法律」ではない、と見なす場合もあります。


そして、憲法も「法」に含まれます。省令や政令、条例なども「法」に含まれます。広い意味の「法」では、政府が制定した命令も「法」に含める場合もあります。


中学校では、「憲法」の下に「法律」があると習い、法律は憲法に逆らえない、と習いました。なお、行政府の定める規則は、法律に違反できません。

範囲外[編集]

(※ 特に参考文献はないので、読者は自己責任で。)

たとえば、普段のスーパーマーケットでの日用品の買い物も契約である。(中学校で習う。)  そして、スーパーでの買い物では、いちいち契約書を作成しないだろう。契約書をやりとりしなくても、約束をすれば、原則的に、それは契約(けいやく)である。(中学校で習う。) 

さて、民法では原則的に、当事者どうしが自由に契約内容を決められることが規定されており(ただし例外あり)、これを「契約自由の原則」という。(※ くわしくは『高等学校商業 経済活動と法/契約と意思表示』で解説する。)

このため、もし自分に知識がなければ、自分に不利な内容の契約をしてしまう場合もある。

日本は民主主義であり資本主義であるという、自由主義的な国であるので、契約の内容の妥当性は、自分で判断しなければならない。

なぜなら、1億人以上もいる日本国民の、1人1人の日常的に行う契約内容を(買い物も、バスや鉄道の理容も、水道の利用も、すべて契約でもある)、いちいち国が事前に監督するのは、不可能である。(※ もっとも、多少の規制はある。くわしくは『高等学校商業 経済活動と法/契約と意思表示』などで解説する。)

このように、自由には、リスクがともなう。


民法では、憲法や刑法ほどの、細かい歯止めはない。

法律は、あなただけを守ってくれない。特に民法(みんぽう)や商法(しょうほう)では、そのような特徴(とくちょう)が強い。

たとえば、契約に関する法律では(民法に、契約に関する規定がある)、あなたが相手に要求できる義務を規定しているだけでなく、相手があなたに要求できる義務もまた、規定されている。

特に民法は、民間人どうしの契約をあつかう法律であるため、あなただけでなく、あなたの契約相手もまた保護しているのである。

一般人である「あなた」を基準に日本のさまざまな法を見た場合、たとえば「憲法」は、おもに、「あなた」と国家・政府との関係が規定されている。たとえば「刑法」は、「あなた」と警察・検察との関係が規定されている。

国家も警察も、民間人ではない。そのため、民間人の正当な活動などに配慮して、国家や警察・検察などには、さまざまな制限が、されていた。国家でも制限できない「基本的人権」や、警察・検察は「罪刑法定主義」を守らなければならない、・・・などの様々な制限が、国家や行政機関が暴走しないように歯止めしていた。

しかし、民法では、民間人である「あなた」と、ほかの民間人の関係が規定されている。そのため、国家や行政などへの制限は、民間人には適用されない。

たとえば、刑法の考え方に「疑わしきは罰せず」とある。しかし買い物のさい、その商品の品質が疑わしいと思って、買わなくても、それは消費者の自由である。

そして、それは、他人からアナタが「うたがわしい」と思われる場合もある、ということを意味する。

消費者などからの他人から、アナタの仕事や労働が「うたがわしい」と思われる場合もある。市場(しじょう、いちば)は、べつに裁判所ではないので、あなたを弁護してくれないし、そもそも、あなたを弁護する義務もない。

もちろん、民法や商法にだって、けっして、なんでも契約してよいわけではなく、契約できる内容への歯止めもある。そもそも、そういう民間人どうしの活動への歯止めの内容が、これら民法・商法の法律のおおまかな内容である。 でも、その民法・商法などへの歯止めは、刑法などの細かい歯止めと比べたら、だいぶ、歯止めがゆるい。

※ なお、民間人どうしの活動だからって、けっして何でも民法が適用されているわけではない。たとえば、ある民間人 A氏 が、かりに別の民間人 B氏を殺害したりしたら、当然、その殺人行為は刑法によって殺人罪などにより処罰される。


慣習の尊重

さて、民法では上述のように「契約自由の原則」があるが、かといって額の契約のさいに毎回、契約書をすみずみまで調べるのも手間が掛かり、経済効率を低下させる。

そこで法律では、慣習も重視する。

そうすることで、契約の際には、慣習と違うことだけを明示すれば済むようになっており、契約内容を調べる負担を減らせる。

そうすることで、日本国は(および、多くの資本主義の欧米諸国では)、経済効率などを上げている。

もちろん、もし条文と慣習が食い違っている場合には、裁判などでは条文の内容が優先されるのが一般的である。(そもそも、法律より慣習が重視されてしまうと、法律の意味がない。) しかし、特に食い違ってない場合は、慣習も重視されるのが一般的である。

分野にもよるが、商業などの分野の法律では、規制緩和の政策もあり、最低限のルールしか規定していない。このため、その法の分野によっては、細かいことを条文で規定していない場合もある。

たとえば、法では、いちいち、あなたの日常生活で、あなたが朝の何時に起きるべきとか、食事に何を食べるべきとか・・・、そういったことは、いちいち法律では規定していない。