高等学校国語総合/土佐日記

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作品解説[編集]

『土佐日記』(とさにっき)とは、紀貫之(きの つらゆき)によって平安時代に書かれた日記。

この時代、平仮名(ひらがな)や万葉仮名などの仮名(かな)は女が使うものとされていたが、作者の紀貫之は男だが、女のふりをして『土佐日記』を書いた。

日記の内容は私的な感想などであり、べつに公的な報告・記録などでは無い。 『土佐日記』は日本初の仮名文日記である。

紀貫之は公務で、土佐(とさ、現在の高知県)に 地方官として、国司(こくし)として 赴任(ふにん)しており、土佐守(とさのかみ)としての仕事をしていた。その任が終わり、その帰り道での旅の、五十五日間の日記である。

この時代の公文書などは漢文で書かれており、男も漢文を使うものとされていた。そして日記は、男が、公務などについての、その日の記録を、漢文で書いたのが日記だとされていた。

しかし、土佐日記では、その慣例をやぶり、ひらがなで、著者が女を装い、私的な感情を書いた。このように日記で私的な感情を表現するのは、当時としては異例である。

この『土佐日記』によって、私的な日記によって文学的な表現活動をするという文化が起こり、のちの時代の日記文学および女流文学に、大きな影響を与えた。そして今で言う「日記文学」というようなジャンルが、土佐日記によって起こり始めた。

(『土佐日記』はタイトルには「日記」とつくが、しかし現代の観点で見れば、『土佐日記』は後日に日記風の文体で書いた紀行文であろう。しかし、ふつう古典文学の『土佐日記』や『蜻蛉日記』(かげろうにっき)、『和泉式部日記』(いずみしきぶにっき)、『紫式部日記』(むらさきしきぶにっき)、『更級日記』(さらしなにっき)など、古典での「○○日記」などは、日記文学として扱うのが普通である。)

※ 高校や大学入試での時点では、『土佐日記』の文学ジャンルは「日記」「日記文学」としておいても、問題ないだろう。
  • 各章の重要度

とくに冒頭の「門出」(かどで)が重要である。

忘れ貝」と「帰京」は、その次ぐらいに重要である。とりあえず読者は、順番どおりに読めば、問題ないだろう。

門出(かどで)[編集]

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著者の紀貫之は男だが、女のふりをして冒頭文を書いた。船旅になるが、まだ初日の12月21日は船に乗ってない。

  • 大意

女である私も日記を書いてみよう。

ある人(紀貫之)が国司の任期を終え、後任の者への引継ぎも終わり、ある人(紀貫之)は帰りの旅立ちのために土佐の官舎を発った日が12月21日の夜だった。そして。ある人は船着場へ移り、見送りの人たちによる送別のため、皆で大騒ぎをしているうちに夜が更けた。 (まだ船には乗ってない。)

  • 本文/現代語訳

男もすなる日記(にき)といふ(イウ)ものを、女もしてみむ(ミン)とて、するなり

それの年の十二月(しはす、シワス)の二十日余り一日(ひとひ)の日の戌(いぬ)の刻(とき)に、門出す。そのよし、いささかに物に書きつく。

ある人、県(あがた)の四年(よとせ)五年(いつとせ)果てて、例の事(こと)どもみなし終へて(オエテ)、解由(げゆ)など取りて、住む館(たち)より出でて、船に乗るべき所へ渡る。かれこれ、知る知らぬ、送りす。年ごろ、よくくらべつる人々なむ(ナン)、別れ難く思ひて(オモイテ)、日しきりにとかくしつつ、ののしるうちに、夜更けぬ。

男もするという日記というものを、女も書いてみようとして書くのである。 ある年の十二月の二十一日の午後八時頃に、(土佐から)出発する。その時の様子を、少しばかり、もの(=紙)に書き付ける。

ある人が(=紀貫之)、国司の(任期の)4年・5年間を終えて、(国司交代などの)通例の事務なども終えて、解由状(げゆじょう)などを(新任者から紀貫之が)受け取って、住んでいた官舎(かんしゃ)から(紀貫之は)出て、(紀貫之は)船に乗る予定の所へ移る。

(見送りの人は)あの人この人、知っている人知らない人、(などが、私を)見送ってくれる。

長年、親しく交際してきた人が、ことさら別れがつらく思って、一日中、あれこれと世話をして、大騒ぎしているうちに、夜が更けてしまった。


  • 語句
男もすなる日記- この時代、日記は』男が書くものであった。「すなる」の「なる」は、伝聞の助動詞「なり」の連体形。
女もしてみむ - 作者は本当は男だが、女のふりをしている。
・するなり - ここでの「なり」は断定の助動詞。

男もすなる日記(にき)といふものを、女もしてみむとて、するなり。 - とても有名な冒頭文なので、読者は、そのまま覚えてしまっても良い。

戌(いぬ)の刻(とき) - 午後8時ごろ。当時の旅立ちや旅からの帰宅は、人目を避けるべきとされており、そのため夜に行うのが通常だった。
ある人 - 紀貫之。
日しきりに - 一日中。
ののしる - 大騒ぎする。現代語とは違っており、悪い意味とは限らない。

単語

わたる」(「住む館(たち)より出でて、船に乗るべき所へ渡る」の文):「わたる」(渡る)はここでは「行く」の意味。古語の「わたる」には、「行く」のほかにも「時間をすごす」や「生計を立てる」、(草花や霧などが)「一面に広がる」など、さまざまな意味がある。


よし」(「よし」の漢字は「由」): 多義語であり、1.方法、 2.由緒、 3.様子・旨、 といった意味がある。この場面では旨の意味。もとの文の意味は「その旨を、少しばかりものに書きつける。」の意味。

なお関連語として、形容詞「よしなし」は、「理由がない」「方法がない」、「つまらない」という意味である。

「果てて」(はてて): ここでは、「果てて」とは「終わって」の意味。なお、単語集で調べるときは「果つ」(はつ)で調べる。

※ なお、枕草子の「春はあけぼの」の「日入り果てて、風の音、草の音など、はた言うべきにもあらず」の果てての意味は、「すっかり」の意味。上記の「終わる」とは、やや意味が違う。つまり、「日入り果てて」は「日がすっかり沈んでしまって」という意味。

※ 「果つ」を掲載している単語集が少ない。三省堂『古文単語300PLUS』なら掲載されている。


  • 古典常識
・この時代、平仮名は女が使う文字だった。
・この時代、日記は、男が公的な記録などを記録するものだった。
・この時代、時刻の表記には、十二支(じゅうにし)を使う。十二支とは「えと」の「ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い」のこと。
  • 語釈
・解由(げゆ) - 官吏の交代のときの書類。前任の官吏に過失が無いことを証明する書類。後任の管理が発行する。前任の官吏が受け取る。前任者が帰京後、解由状を役所に提出する。
・住む館(たち) - この日記では、国司の官舎のこと。高知県にあった。
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  • 大意

22日、船旅の安全を祈る儀式をする。この日、「藤原のときざね」(人名?)が送別の宴(うたげ)を開いてくれた。

23日、「八木のやすのり」が餞別をくれた。 この人たちのおかげで人情の厚さを思い知らさた。いっぽう、関係が深かったのに送別も餞別もしない人たちの人情の薄さを思い知らされた。

24日、国分寺の僧侶も送別をしてくれた。宴で、身分に関わらず酔い、子供までも酔いしれた。


  • 本文/現代語訳

二十二日(はつかあまりふつか)に、和泉(いづみ、イズミ)の国までと、平らかに願(ぐわん、ガン)立つ。藤原(ふぢはら、フジワラ)のときざね、船路(ふなぢ、フナジ)なれど、馬(むま)のはなむけす。上中下(かみなかしも)、酔(ゑ)ひ飽きて(エイアキテ)、いとあやしく、潮海(しほうみ、シオウミ)のほとりにて、あざれ合へり(アザレアエリ)。

二十三日(はつかあまりみか)。八木(やぎ)のやすのりといふ人あり。この人、国に必ずしも言ひ(いい)使ふ(つかう)者にもあらざなり。これぞ、たがはしきやうにて、馬(むま)のはなむけしたる。守柄(かみがら)にやあらむ、国人(くにひと)の心の常として「今は。」とて見えざなるを、心ある者(もの)は、恥ぢずきになむ来(き)ける。これは、物によりて褒むる(ひむる)にしもあらず。

二十四日(はつかあまりよか)。講師(かうじ)、馬(むま)のはなむけしに出でませり。ありとある上下(かみしも)、童(わらは、ワラワ)まで酔ひ痴しれて(しれて)、一文字(いちもんじ)をだに知らぬ者(もの)、しが足十文字(ともじ、じゅうもんじ)に踏みてぞ遊ぶ

二十二日に、和泉(いづみ)の国まで無事であるようにと、祈願する。藤原のときざねが、船旅だけれど、馬のはなむけ(=送別の宴)をする。身分の高い者も低い者も、(皆、)酔っ払って、不思議なことに、潮海のそばで、ふざけあっている

二十三日。「八木(やぎ)のやすのり」という人がいる。この人は国司の役所で、必ずしも召し使っている者ではないようだ。(なんと、)この人が(=八木)、立派なようすで、餞別(せんべつ)をしてくれた。(この出来事の理由は、)国司(=紀貫之)の人柄(の良さ)であろうか。(そのとおり、紀貫之の人柄のおかげである。) 任国の人の人情の常としては、「今は(関係ない)。」と思って見送りに来ないようだが、(しかし、八木のように)人情や道理をわきまえている者は人目を気にせず、やってくることだよ。これは、(けっして)贈り物を貰ったから褒めるのではない。

二十四日。国分寺の僧侶が、餞別をしに、おいでになった。そこに居合わせた人々は、身分の高い者・低い者だけでなく、子供までも酔っぱらって、(漢字の)「一」の文字さえ知らない(無学の)者が、(ふらついて、)その足を「十」の字に踏んで遊んでいる。


  • 語句
馬(むま)の はなむけ - 送別の宴(うたげ)。旅立つ人への餞別(せんべつ)。旅立ちのときに、馬の鼻を旅先に向けて安全をいのる儀式が、語の元になっている。
船旅なので馬には乗らないが、送別の宴をしてもらったので、「馬のはなむけ」だという言葉遊び。
・酔(ゑ)ひ飽きて - 意味は「すっかり酔っ払って」。
あやしく - 不思議なことに。この文では、次の文節の「あざれ」の言葉遊びに掛かっているので、作者が「不思議だ」と冗談を言っている。
あざれ合へり - ふざけあっている。「戯る」(あざる)の意味は「ふざける」。
「あざる」には他の意味で「(魚などが)腐る」という意味の「鯘る」(あざる、「魚」偏に「委」の字。)もあり、海なので塩で魚は腐らないはずだが、ふざけあっているので「あざる」という言葉遊びをして、掛けている。
・しが足 - その足は。「しが」には諸説ある。そのうち、「し」=代名詞、「が」=格助詞(主格)、という説が学校教科書で有力。
一文字(いちもんじ)をだに - 漢字の「一」の文字さえ。「・・・だに」の意味は「・・・さえ」。「だに」は副助詞。おそらく「一文字」とは漢文の教養の初歩の例えか。
  • 語句
・和泉(いづみ)の国 - 大阪府の南部。
・藤原(ふづはら)のときざね - 伝未詳。土佐の国の役人か。
・八木(やぎ)のやすのり - 伝未詳。
・守柄(かみがら) - 国司の人柄や実績。
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品詞分解[編集]

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男 (係助詞) サ変・終止) なる(助動詞・伝聞・連体) 日記 と(格助詞) いふ(四段・連体) もの を(格助詞)、女 も(係助) し て(接続助詞) み(上一段・未然) む(助動詞・意志・終止) とて(格助)、 する(サ変・連体) なり(助動・断定・終止)。

それ の(格助) 年 の(格助) 十二月 の(格助) 二十日余り一日 の(格助) 日 の(格助) 戌の刻 に(格助) 、 門出す(サ変・終止。 (代名詞) の(格助) よし、いささかに(ナリ・連用) 物 に(格助) 書きつく(下二段・終止)。

ある(連体詞) 人、 県 の(格助) 四年五年 果て(下二段・連用) て(接助)、例 の(格助) 事ども みな(副詞) し終へ(下二段・連用) て(接続助詞)、解由 など(副助詞) 取り(四段・連用) て(接続助詞)、 住む(四段・連体) 館 より(格助) 出で(下二段・連用) て(接続助詞)、 船 に(格助) 乗る(四段・終止) べき(助動詞・当然・連体) 所 へ(格助) 渡る(四段・終止)。 かれこれ(連語)、 知る(四・連体) 知ら(四・未然) (助動詞「ず」・打消し・連体)、 送りす(サ変・終止)。 年ごろ、 よく(ク活用・連用) くらべ(下二段・連用) つる(助動詞・完了・連体) 人々 なむ(係助詞)、 別れ難く(ク活用・連用) 思ひ(四段・連用) て(接続助詞)、日 しきりに(副詞) とかく(副詞) し(サ変・連用) つつ(接続助詞)、 ののしる(四段・連体) うち に(格助)、 夜 更け(下二段) ぬ(助動詞・完了・終止)。

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二十二日(はつかあまりふつか) に(格助)、 和泉の国 まで(副助詞) と(格助詞)、 平らかに(ナリ・連用) 願 立つ(下二段・終止)。 藤原(ふぢはら、フジワラ)のときざね、 船路 なれ(助動詞・断定・已然) (接続助詞)、 馬(むま)のはなむけ す(サ変・終止)。 上中下(かみなかしも)、酔ひ飽き(四段・連用) て(接助)、いと(副) あやしく(シク・連用)、 潮海 の(格助) ほとり にて(格助)、 あざれ合へ(四段・已然) り(助動詞・完了・已然) 。

二十三日。 八木(やぎ)のやすのり と(格助) いふ(四段・連体) 人 あり(ラ変・終止) 。 こ(代名詞) の(格助) 人、 国 に(格助) 必ずしも(副詞) 言ひ使ふ(四段・連体) 者 に(助動詞・断定・連用) も(係り助詞) あら(ラ変・未然) ざ(助動・打消・体、音便) なり(助動・推量・終止)。 これ(代名詞) (係り助詞、係り) 、たがはしき(シク・連体) やう に(助動・断定・用) て(接助)、 馬(むま)のはなむけ し(サ変・連用) たる(助動・完了・連体、結び)。 守柄(かみがら) に(助動・断定・連用) (係助詞、係り) あら(補助動詞・ラ変・未然) む(助動・推量・連体、結び)、 国人(くにひと) の(格助) 心 の(格助) 常 と(格助) して(接助) 「今 は(係助詞)。」 とて(格助) 見え(下二段・未然) ざ(助動詞・打消し・連体、音便) なる(助動詞・推定・連体) を(格助) 、 心 ある(ラ変・連体) 者 は(係り助詞) 、恥ぢ(紙二段・未然) ず(助動詞・打消し・連用) に(格助) なむ(係り助詞・係り) 来(カ変・連用) ける(助動詞・詠嘆・連体、結び)。 これ(代名詞) は(係り助詞)、 物 に(格助) より(四段・連用) て(接助) 褒むる(下二段・未然) に(助動詞・断定・連用) しも(副助詞) あら(補助動詞・ラ変・未然) ず(助動詞・打消し・終止)。

二十四日(はつかあまりよか)。 講師(かうじ)、 馬(むま)のはなむけ し(サ変・連用) に(格助) 出で(下二・連用) ませ(補助尊敬・四段・已然) り(助動詞・完了・終止)。 あり(ラ変・連用) と(格助詞) ある(ラ変・連用) 上下(かみしも)、童(わらは、ワラワ) まで(副助詞) 酔ひ痴しれ(下二段・連用) て(接助) 、一文字(いちもんじ) を(格助) だに(副助詞) 知ら(四段・未然) ぬ(助動詞「ず」・打消し・連体)  者、しが足 は(係り助詞) 十文字 に(格助) 踏み て(接助) (係り助詞、係り) 遊ぶ(四段・連体結び) 。

忘れ貝[編集]

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  • 大意
  • 本文/現代語訳

四日(よか)。楫取り(かぢとり)、「今日、風雲(かぜくも)の気色(けしき)はなはだ悪し(あし)。」と言ひて、船出ださず(ふねいださず)なりぬ。しかれどもひねもすに波風立たず。この楫取りは、日もえ測らぬ(はからぬ)かたゐなりけり。

四日。船頭が、「今日、風と雲の様子が、ひどく悪い。」と言って、船を出さずになった。であるけれど、一日中、波風が立たなかった。この船頭は天気も予測できない愚か者であったよ。


  • 語句
しかれども - そうではあるけれど。逆接の接続詞。
ひねもすに - 一日中。
え測らぬ - 予測できない。「え・・・(打消し)」の意味は「・・・できない」。この末尾「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形。「え・・・ず」で不可能を表す。「え」は副詞。
・ -
  • 語句
・楫取り(かぢとり) - 船頭。
・気色(けしき) - 様子。
・日(ひ)- ここでは天気・天候の意味。
・かたゐ - おろかもの。ばかもの。役立たず。
・ -

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  • 大意
  • 本文/現代語訳

この泊(とまり)の浜には、くさぐさうるはしき貝・石など多かり。かかれば、ただ昔の人をのみ恋ひつつ、船なる人の詠(よ)める、

寄する波うちも寄せなむ我(わ)が恋ふる人忘れ貝降りて拾はむ

と言へれば、ある人の耐へずして、船の心やりに詠める、

忘れ貝拾ひしもせじ白玉(しらたま)を恋ふるをだにも形見と思はむ

となむ言へる。女子(おんなご)のためには、親幼くなりぬべし。「玉ならずもありけむを。」と、人言はむや。されども、「死じ子、顔よかりき。」と言ふやうもあり。

この泊(とまり)の浜には、いろいろ美しい貝・石などが多くある。こうなので、ただ亡くなった人(紀貫之の娘)ばかりを恋しがって、船の中にいる人(紀貫之の妻)が歌を詠んだ、

(船の中の人の歌:)  寄する波 うちも寄せなむ 我(わ)が恋ふる 人 忘れ貝 降りて拾はむ
意味: 浜辺に打ち寄せる波よ、どうか忘れ貝を打ち寄せておくれ、私の恋しい人(死んだ娘を思うつらさ)を忘れてさせてくれる忘れ貝を。(忘れ貝を、浜に)降りて拾おう。

と言ったところ、ある人(紀貫之)がこらえられなくなって、船旅の気晴らしに詠んだ、

(ある人の歌:)  忘れ貝 拾ひし(ヒロイシ)もせじ 白玉(しらたま)を  恋ふるをだにも 形見と思はむ
意味: 忘れ貝なんか、拾いもすまい。(あの子のことは忘れたくない。)せめて、白玉(のようにかわいかった亡き子)を恋しく思う気持ちだけでも形見と思おう。

と言ったのだった。(亡くなった)女の子のためには、親は幼子のように(おろかに)なってしまうのにちがいない。「玉というほどでは、ないだろう。」と人は言うだろうか。けれども、「死んだ子は顔立ちが良かった。」と言うこともある。

なほ同じ所に日を経ることを嘆きて、ある女の詠める歌、

手をひてて 寒さも知らぬ 泉にぞ 汲む(くむ)とはなしに 日ごろ経にける

やはり、同じ場所で日を過ごすことを嘆いて、ある女の詠んだ歌、

(ある女の歌:)
意味: 手を漬けても、寒さを感じない泉、( = 和泉)、その和泉で水を汲むわけでもなく、(なすことも無く、何日も)日を過ごしてしまったよ。

  • 語句
くさぐさ - いろいろの。さまざまな。
うるはしき - 美しい。きれい。形容詞「うるはし」の連用形。整った美しさのこと。
かかれば - 「かくあれば」の、つづまった形。
昔の人 - 故人。亡くなった人。ここでは、紀貫之の娘のこと。娘は死んでいる。
・ -
忘れ貝 - これを拾うと恋しい思いを忘れることができるという。詳細は不明。 説は次の二つ。 1:二枚貝のうちの片方の貝。  2:アワビのような一枚貝。
白玉(しらたま) - 白い玉。真珠(しんじゅ)。この文では、亡くなった娘のたとえ
  • 船なる人(船の中にいる人)が紀貫之の妻だと、なぜ分かるか?

この「忘れ貝」の章で「船なる人」と「ある人」との和歌のやり取りがあるが、他の章などの記述では「ある人」の正体が紀貫之だという場合が多く、そのため、この「忘れ貝」の章に登場する「ある人」も紀貫之だろうと考えられている。もっとも、あくまで現代の学者たちの仮説なので、もしかしたら妻と夫は逆かもしれないし、あるいは両方の和歌とも紀貫之の和歌かもしれない。

とりあえず読者の高校生は、作中での「船なる人」と「ある人」とは夫婦であって、そして、この夫婦は任地の土佐で娘を亡くしていることを理解すればよい。


品詞分解[編集]

帰京[編集]

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  • 大意
  • 本文/現代語訳

夜ふけて来れば、所々(ところどころ)も見えず。京に入り(いり)立ちてうれし。家に至りて、門(かど)に入るに、月明かければ(あかければ)、いとよくありさま見ゆ。聞きしよりもまして、言ふ効(かひ)なくぞ毀れ(こぼれ)破れたる。家に預けたりつる人の心も、荒れたるなりけり。中垣こそあれ、一つ家のやうなれば、望みて預かれるなり。さるは便りごとに物も絶えず得させたり。今宵(こよひ、コヨイ)、「かかること。」と、声高(こわだか)にものも言はせず。いとは辛く(つらく)見ゆれど、心ざしはせむとす。

夜がふけてきたので、あちらこちらも見えない。京に入っていくので、うれしい。(私の)家に着いて、門に入ると、月があかるいので、とてもよく様子が見える。(うわさに)聞いていたよりもさらに、話にならないほど、(家が)壊れ痛んでいる。家(の管理)を預けていた(隣の家の)人の心も、すさんでいるのであったよ。(私の家と隣の家との間に)中垣こそあるけれど、一軒家のようなので(と言って)、(相手の隣家のほうから)望んで預かったのだ。(なのに、ひどい管理であったよ。)そうではあるが、ついでがあるたびに(= 誰かが京に行くついでに隣家へ贈り物を届けさせた)、(土佐からの)贈り物を(送って、相手に)受け取らせた。(しかし、けっして)今夜は「こんな(=荒れて、ひどい)こと。」とは(家来などには)大声で言わせない。たいそう、(預かった人が)ひどいとは思うけど、お礼はしようと思う。


  • 語句
・ -
・中垣こそあれ - 中垣はあるけれども。「こそ・あれ」が係り結びになってる。
便りごと - 機会のあるたびに。ついでに。
・心ざし - お礼。「志」(こころざし)とも書く。

読解

かかること - ここでの「かかること」とは、家が荒れて、ひどいありさまなこと。
  • 単語

たより」(頼り、便り):古語の「たより」は、多義語であり、「1.信頼できるもの 2.ついで・機会 3.音信・手紙」現代語と同じような意味の「信頼できるもの」というような用法もあるが、しかしこの場面では別の意味。この場面では、「機会」「ついで」の意味。

※ 単語集では手紙の意味を解説しているものは少ないが、しかし源氏物語で「語らひつきにける女房のたよりに、御有様なども聞き伝ふるを」という文章がある。数研出版『解法古文単語350』に音信の意味が紹介されている。


言う効(かい)なし」: ここでの「言う効なし」は「言う甲斐なし」のような意味で、「言いようがない」のような意味。

だが、江戸時代の本居宣長の随筆『玉勝間』では、「つまらない」「価値がない」のような意味で「言うかいなし」と使っている用法もある。『玉勝間』では「よきあしきをいはず、ひたぶらにふるきをまもるは、学問の道には、いふかひなきわざなり」とある。「良し悪しを言わず、ひたすら古い説を守るのは、学問の道としては、つまらないものである」のような意味。



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  • 大意

荒れはてた庭に新しい小松が育ち始めている。出迎えの子供の様子を見て、土佐で無くなった娘を思い出し、自分の心を分かってくれる人とひそかに歌を交わした。 忘れがたいことが多く、とても日記には書き尽くすことは出来ない。ともかく、こんな紙は早く破り捨ててしまおう。


  • 本文/現代語訳

さて、池めいて窪まり(くぼまり)、水つける所あり。ほとりに松もありき。五年(いつとせ)六年(むとせ)のうちに、千年(ちとせ)や過ぎにけむ片方(かたへ)はなくなりにけり。いま生ひたるぞ(おいたるぞ)交じれる。大方(おおかた)のみな荒れにたれば、「あはれ。」とぞ人々言ふ。思ひ出でぬ(いでぬ)ことなく、思ひ恋しきがうちに、この家にて生まれし女子(おむなご)の、もろともに帰らねば、いかがは悲しき。船人(ふなびと)も、皆(みな)、子たかりてののしる。かかるうちに、なほ悲しきに堪へずして、ひそかに心知れる人と言へりける歌、

生まれしも(むまれしも)帰らぬものをわが宿に小松のあるを見るが悲しさ

  とぞ言へる。なほ飽かずやあらむ、また、かくなむ。  

見し人の松の千年(ちとせ)に見ましかば遠く悲しき別れせまし

忘れがたく、口惜しき(くちをしき)こと多かれど、え尽くさずとまれかうまれ疾く(とく)破りてむ(やりてむ)。

さて、池のようにくぼんで、水がたまっている所がある。そばに松もあった。(土佐に赴任してた)五年・六年の間に、(まるで)千年も過ぎてしまったのだろうか、(松の)半分は無くなっていた。(← 皮肉。松の寿命は千年と言われてた。) 新しく生えたのが混じっている。 だいたいが、すっかり荒れてしまっているので、「ああ(ひどい)。」と人々が言う。思い出さないことは無く(= つまり、思い出すことがある)、恋しく思うことの中でも、(とくに)この家で生まれた女の子(= 土佐で亡くした娘)が、土佐から一緒には帰らないので、どんなに悲しいことか。(=とても悲しい。) (一緒に帰京した)乗船者は、みんな、子供が集まって大騒ぎしている。こうしているうちに、(やはり?、なおさら?、※ 訳に諸説あり)悲しいのに耐えられず、ひっそりと気心の知れた仲間(= 紀貫之の妻か?)と言った歌、

(歌:)  生まれしも 帰らぬものを わが宿に 小松のあるを 見るが悲しさ
意味: (この家で)生まれた子も(土佐で死んだので)帰ってこないのに、我が家(の庭)に(新たに生えた)小さな松があるのを見ると、悲しいことよ。

と言った。 それでも/やはり(※ 訳に諸説あり)、満足できないのであろうか、またこのように(歌を詠んだ)。

(歌:) 見し人の 松の千年に 見ましかば 遠く悲しき 別れせましや
意味: 死んだあの子が、(もし)松の千年のように(生きながらえて、)(わが子を)見ることが出来たなら、遠く悲しい別れ( = 土佐での娘との死別)をしただろうか。いや、しなかっただろう。

忘れがたく、残念なことが多いけど、書きつくすことが出来ない。ともかく、(こんな日記は)すぐに破ってしまおう。


  • 語句
千年(ちとせ)や過ぎにけむ -
あはれ - ああ(ひどい)。まあ(ひどい)。感動詞。
いかがは悲しき - 結びが連体形(「悲しき」)で、係り結びになっている。係り助詞に諸説あり。 1:「は」が係り助詞。 2:「いかが」が「いかにか」の略で「か」が係り助詞と言う説もある。 どちらにせよ、例外的な用法なので、このまま「いかがは悲しき」で覚えよう。
見ましかば 遠く悲しき 別れせましや - 「ましかば・・・まし」で反実仮想(はんじつ かそう)。「もし・・・だったら、そうであろうか。(いや、そうではない。)」
・ -
え尽くさず - 「え・・・(打消し)」の意味は、・・・出来ない。ここでの意味は「書きつくすことが出来ない」
とまれかうまれ - 「ともあれかくもあれ」の音便。ともかく。とにかく。
疾く(とく)破りてむ(やりてむ) - 早く破り捨ててしまおう。「とく」は形容詞「とし」の副詞的用法で連用形「とく」。 ※ 「とく」が、はたして形容詞か副詞かどちらなのかは、読者は気にしなくて良い。
  • 語句
・ -
・ -
・ -
  • 関連事項

「もがな」: 土佐日記には、上記とは他の文章だが「いかで疾く(とく)京へもがな。」という文章がある。「どのようにかして、早く京都に帰りたいなあ。」という意味である。「もがな」は「したいなあ」「が欲しいなあ」の意味の終助詞である。

徒然草にも、「心あらむ友もがなと、都恋しうおぼゆれ。 」とあり、「情趣を解する友人がいたらなあ、と都が恋しく思われる。 」のように訳す。

また、「いかで」~「もがな」や「いかにも」~「もがな」のように、「もがな」は「いかで」などに呼応する。

『更級(さらしな)日記』に、「幼き人々を、いかにもいかにも、わがあらむ世に見置くこともがな。」とある。「幼い子供たちを、何とかして何とかして、自分が生きているうちに見届けておきたいものだなあ。」のような意味。


さて、百人一首に「名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな」という和歌がある(後撰和歌集)。この歌の後半部の「人に知られで くるよしもがな」も、「人に知られないで来る方法があればいいのになあ。」という意味である。


品詞分解[編集]

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夜ふけて来れば、所々も見えず。京 に(格助) 入り立ち(四・用) て(接助) うれし(シク・終)。 家 に(格助) 至り(四・用) て(接助)、 門 に(格助) 入る(四・体) (接助)、 月 明かけれ(ク・已然) ば(接助)、 いと(副詞) よく(ク・用) ありさま 見ゆ(下二段・終)。 聞き(四段・用) し(助動詞・過・体) より も(係助) まし(四・用) て(接助)、 言ふ効なく(ク・用) (係助、係り) 毀れ(下二・用) 破れ(下二・用) たる(助動・完・連体、結び)。 家 に(格助) 預け(下二・用) たり(助動・完了・用) つる(助動・完・体) 人 の(格助) 心 も(係助) 、 荒れ(下二・用) たる(助動・完・体) なり(助動・断定・用) けり(助動・詠嘆・終)。 中垣 こそ(係助、係り) あれ(ラ変・已然結び)、一つ家 の(格助) やうなれ(助動・比況・已然) ば(接助)、望み(四・用) て(接助) 預かれ(四・已然) る(助動・完了・体) なり助動・断定・終)。 さるは(接続詞)、便りごと に(格助) 物 も(係助) 絶えず(副詞) 得(下二段・未然) させ(助動・使役・用) たり(助動・完了・終止)。 今宵、「かかる(ラ変・体) こと。」 と(格助)、声高に(ナリ・用) もの も(係助) 言は(四・未) せ(助動・使役・未) ず(助動・打消し・終)。 いと(副詞) は(係助) つらく(ク・用) 見ゆれ(下二・已然) ど(接助)、心ざし は(係助) せ(サ変・未然) (助動・意志・終) と(格助) す(サ変・終止)。

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さて(接続詞) 、池めい(四段・用、音便) て(接助) 窪まり(四段・用)、水つけ(四・已然) る(助動・存続・体) 所 あり(ラ変・終止)。 ほとり に(格助) 松 も(係助) あり(ラ変・用) き(助動・過・終)。 五年六年 の(格助) うち に(格助)、千年 (係助、係り) 過ぎ(上二段・用) に(助動・完了・連用) けむ(助動・過去推量・連体)、かたへ は(係助) なく(ク・用) なり(四・用) に(助動・完・用) けり(助動・過・終)。 いま(副詞) 生ひ(上二段・用意) たる(助動・完・体) ぞ(係助、係り) 交じれ(四段・已然) る(助動・存続・体、結び)。 大方 の(格助) みな(副詞) 荒れ(下二段・用) に(助動・完了・用) たれ(助動・完了・已然) ば(接助)、「あはれ(感嘆詞)。」 と(格助) (係助、係り) 人々 言ふ(四段・連体、結び)。 思ひ出で(下二・未然) ぬ(助動・打消し・体) こと なく(ク・用)、 思ひ恋しき(シク・体) が(格助) うち に(格助)、 こ(代) の(格助) 家 にて(格助) 生まれ(下二段・用) し(助動詞・過去・連体) 女子 の(格助) 、もろともに(副詞) 帰らね() ば(接助) 、 いかが(副詞) は(係助) 悲しき(シク・体)。 船人 も(係助) 、皆、 子 たかり() て(接助) ののしる()。 かかる(ラ変・連体) うち に(格助)、 なほ(副詞) 悲しき(シク・連体) に(格助) 堪へ(下二段・未然) ず(助動・未) して(接助)、 ひそかに(ナリ・用) 心 知れ(四・已) (助動・存続・連体) 人 と(格助) 言へ(四・已) り(助動・完了・用) ける(助動・過去・連体) 歌、

生まれ(下二段・用意) し(助動詞・過去・体) も(係助) 帰ら(四段・未然) ぬ(助動・打消・体) ものを(接助) わ(代名詞) が(格助) 宿 に(格助) 小松 の(格助) ある() を(格助) 見る(上一段・連体) が(格助) 悲しさ

  と(格助) ぞ(係助、係り) 言へ(四段・已然) る(助動・完了・体、結び)。 なほ(副) 飽か(四段・未然) ず(助動詞・打消し・用) や(係助、係り) あら(ラ変・未然) む(助動・推量・連体、結び)、 また(副詞)、 かく(副詞) なむ(係助)。  

(上一段・用) し(助動・過去・体) 人 の(格助) 松 の(格助) 千年 に(格助) 見(上一段・未) ましか(助動・反実仮想・未然) ば(接助) 遠く(ク・用) 悲しき(シク・体) 別れ せ(サ変・未然) まし(助動・反実仮想・終) や(係助)

忘れがたく(ク・用)、 口惜しき(シク・体) こと 多かれ(ク・已然) ど(接助) 、(副詞) 尽くさ() ず(助動・打消し・終止)。 とまれかうまれ(連語、音便) 、とく(ク・用) 破り(四・用) (助動詞完了・未然) む(助動詞・意志・終止)。

第二グループ[編集]

楫取りの心は神の御心 [編集]

海賊の恐れ[編集]

 

大津より浦戸へ[編集]