高等学校地理B/地誌 東アジア

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朝鮮半島[編集]

近代以降の朝鮮半島のあゆみ
1894年 日清戦争。
1910年 韓国併合。
1945年 第二次世界大戦で日本が敗戦。

    アメリカ・ソ連が朝鮮半島を分割占領。

1948年 大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国の建国。
1950年 朝鮮戦争。
1965年 日韓基本条約。日韓国交正常化。
1988年 ソウルオリンピック開催。(北朝鮮は不参加)
1990年 韓ソ国交樹立。
1991年 韓国・北朝鮮の国連加盟。
2000年 南北首脳会談。

2016年現在、朝鮮半島には、大韓民国(通称・韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(通称・北朝鮮またはDPRK)という2つの国がある。

20世紀初頭は朝鮮国(日清戦争後は大韓帝国)という国だったが、日清戦争・日露戦争後に、朝鮮は日本に併合され(韓国併合)、植民地になった。このとき、日本本土と同様に近代化政策が朝鮮半島でも進められた。

1945年の日本の敗戦により、名目上は朝鮮民族の独立国として、1948年に韓国と北朝鮮が独立した。しかし、終戦直後からしばらく、韓国はアメリカ合衆国の属国、北朝鮮はソビエト連邦の属国だった。

韓国と北朝鮮の戦争である朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)が1950年に起きたが、現在は停戦中である。北緯(ほくい)38度線をさかいに2つの国に分かれており、38度線の北側が北朝鮮であり、38度線の南側が韓国である。

1990年に韓国と北朝鮮は同時に国連に加盟した。

2016年の現在、北朝鮮と日本とは国交が無い。近年、北朝鮮は核実験を成功させ、たびたびミサイル実験を行っている。方角の関係から日本に向けてミサイルを発射するため、日本国内ではかつてないほどに北朝鮮を恐れ憎む感情が大きくなっており、強硬策をとなえる人も多い。

韓国(かんこく)[編集]

概説[編集]

大韓民国(だいかん みんこく)の国旗
韓国の首都ソウルでの風景。
キムチは韓国由来の料理。

韓国の経済では最近は、工業の発展が目覚ましい。とくに電子機器や半導体など電子機械の分野では、世界的にも競争力が高い。自動車産業や造船業もさかんである。

韓国の民族衣装では、女性用の民族衣装であるチマ・チョゴリが有名である(センター試験などにも「チマチョゴリ」は出やすいようだ。センター対策の参考書にも紹介されている。ほかにも男性用の民族衣装などもあるのだが、あまり有名でなく、入試に出ないだろう)。

現在、日本と韓国は国交がある。1965年の日韓基本条約(にっかん きほんじょうやく)で、国交を回復したのである[1]

韓国の経済では、財閥(ざいばつ)と呼ばれる、ごく少数の大企業が、経済に大きな影響力をもっている。

1997年のアジア通貨危機では、韓国も大きな打撃を受け、韓国の通貨ウォンは暴落し、韓国は一時的にIMF(国際通貨基金)に経済をゆだねることになった。

その後、韓国経済は回復し、今日の繁栄に至る。


教育については、韓国はかなりの学歴社会であり、近年では大学など高等教育機関への進学率がほぼ80%を超えて世界最高の水準である。なお、大学の学費は、韓国では有料である。

韓国は国土面積が小さいわりに、人口が4800万人と多いので、人口密度が高い。しかも、首都ソウルに人口が集中してるので、ソウルが過密である。このため、韓国は日本と同様に食料自給率も低く、韓国の食料自給率は約50%である(なお日本の食料自給率は約40%である)。

  1. ^ 当時はベトナム戦争の最中であり、後方であり、同盟国の日本と韓国の間に国交がないことが不都合であるとアメリカが認識したことが、日韓の国交回復をうながした背景にある。また、互いに都合のいい解釈の余地を残したことから、1990年代以降、戦後補償問題についての原因ともなった。

地形と気候[編集]

朝鮮半島の国土は、安定陸塊であり、地震がほとんど無い。

韓国の南部の沿岸は、リアス式海岸になっている。

韓国の気候は、夏は韓国も太平洋の気団の影響を受けて暑くなるが、冬にはシベリア気団の影響で寒くなる。そのため、同緯度の日本や中国の各都市と比べて、韓国は1年の温度差が大きい。

オンドル」という、伝統的な床暖房のためのカマドがあるのも、そもそも韓国の冬が寒いからである。

ハングル[編集]

韓国の文字をハングルという。漢字ではなくハングルが、韓国では国語の文字として用いられている。 ハングルは15世紀に朝鮮王朝が制定した表意文字である。15世紀の当時は、支配層は漢字を用いていたが、平民は識字率が低く、そのため平民にハングルを普及させて識字率を高めようとしたのである。

近現代になってハングルが普及(ふきゅう)する前は、韓国の政府などでは漢字を多く用いていたので、漢字に由来する言葉が韓国にも多い。

現在の韓国では、民族固有の文字を重視する政策のため、漢字は日常語としては用いられていない。

宗教など[編集]

儒教の影響が強い。そのため、父親の権力が強い・女性は結婚しても女性の父方の姓を名乗るなど、儒教による制度の名残が今も残っている。

また、韓国ではアジアの中ではキリスト教徒が多い国の一つで、全人口の30%ちかくはキリスト教徒とされる。

韓国の戦後経済[編集]

韓国の工業化[編集]

1960年代までは、韓国は農業国、または繊維産業などの軽工業の国だった。

1960年代後半からは工業化が進んでいき、1970年代に鉄鋼造船石油化学など重工業も発達し、「漢江の奇跡(ハンガンのきせき)」と言われた。「漢江」とは、ソウル市内を流れる川の名前。

工業団地が、首都ソウルを中心につくられた。ソウルでは、機械工業が盛んである。また外港のインチョン(仁川)で、造船が盛んである。なお、インチョンには国際空港もある。

また、日本海側の沿岸部のウルサンやポハンで、工業団地が作られ、その工業団地で工業が発達した。ポハンは鉄鋼、ウルハンは鉄鋼および石油化学である。資源を輸入するのに、臨海部のほうが有利だからである。このように、ポハンとウルサンが、臨海型の工業地域を形成している。

また、このような発展により、アジアNIES(ニーズ)と呼ばれる新興国として1970年代ごろから国際的に認知されていった[1]

1990年代ごろから、韓国では電子機械工業や自動車工業が発達した。

1996年に、韓国は、おもに先進国からなるOECD経済協力開発機構)に加盟した。

一方、韓国に進出していた外国企業が、韓国の賃金の上昇により、韓国から撤退していき、外国企業は中国や東南アジアなどに工場を移していった。

また、都市を中心に工業化が進んだことから、韓国では都市と農村との経済格差が出て来た。農村から、多くの労働者が、仕事を求めるなどの理由で、都市に流入していった。2016年の現在、総人口の約5分の1にあたる1000万人以上がソウルに居住している。

韓国ではインターネットやブロードバンドの普及率が高い。

2011年2月に韓国は、アメリカ合衆国とのFTA(自由貿易協定)に調印。

近年では、プサン釜山)が韓国最大の貿易港であり、世界的にも規模の大きい貿易港である。

韓国の農業[編集]

1970年代から、韓国では、農村の所得の低さを解消する目的のために、農地の整備などを掲げたセマウル運動が行われ、灌漑の導入、農業機械の導入などが行われ、韓国農業は生産性が向上した。

韓国は輸出を基盤とした経済のため、農産物の貿易については、米以外の農産物の輸入を自由化しており、そのため中国産の低価格の野菜との競走では、韓国の野菜農家は不利である。

  1. ^ 1970年代当時の「NIES」(振興工業経済地域)とは、一般に韓国シンガポール香港台湾の4地域のことをいう。

日本との文化交流[編集]

1980年代まで、韓国は、日本文化の流入を規制してきた。しかし、1990年ごろから、日本の文化の流入を開放した。

2002年には、日韓共催サッカーワールドカップが開かれ、両国の関心をあつめた。 また、2000〜2005年頃、韓国製ドラマが、「韓流(かんりゅう)ドラマ」として、日本の放送局などでも取り上げられ、日本のテレビ視聴者層で話題になった。

これにはアジア通貨危機の際に、国家的経済危機に陥った韓国が経済回復のために、IT・コンテンツ産業を振興させたという背景がある。そのため韓国のインターネット普及率は日本のそれ以上である。

また2010年ごろに日本で第一次K-POPブームが巻き起こったのには韓国国内で違法ダウンロードなどが増え国内の市場が縮小したことが要因の1つになっている。

北朝鮮(きたちょうせん)[編集]

北朝鮮(きたちょうせん)の国旗

首都はピョンヤン。 政治は社会主義であり、金日成(キム・イルソン)とその子孫による独裁政治がつづいている。 国名は、朝鮮民主主義人民共和国(ちょうせん みんしゅしゅぎ じんみんきょうわこく)

北朝鮮は、ソ連や中国を手本とした計画経済の国であった。しかし、指導者が、農業など産業の知識が乏しいのに口出しをするという(たとえば、農地を広めるために山の森林を大量伐採して、洪水を引き起こすなど)ずさんな経済政策や、軍事費の過大な負担などのため、飢饉(ききん)や洪水などが、たびたび発生した。

資源が比較的多く、戦前・戦中に日本企業の導入した工場設備なども比較的に多かったこともあり、北朝鮮では重工業化が戦後の早くから進んだ。しかし、経済政策の失敗から、1970年代以降の経済力・工業力は韓国に追い抜かれている。

外交問題として、日本とは国交がない。そして、北朝鮮の工作員に日本人がさらわれたという、拉致(らち)問題がある。2002年に、日朝ピョンヤン宣言で、北朝鮮は拉致問題をみとめた。しかし、その後はほとんど進展がない。

なお、北朝鮮は核開発をしているので、アメリカを中心とした多くの国から経済制裁を受けている。核兵器を持っていることが公式に認められている国は、アメリカ・ロシア・中華人民共和国・フランス・イギリス・インド・パキスタンである。北朝鮮は、この核兵器開発をみとめない諸国の姿勢を、アメリカ中心の姿勢だとして批判している。

中国[編集]

地形[編集]

中国西部は、山脈や高原などの高地である。

いっぽう、中国東部は平原などの低地である。

人口は、東部に集中している。

黄河(こうが)の中流の周囲に、黄土(おうど、こうど)と呼ばれる黄色〜茶褐色の砂の平原がある。黄土は英語で「レス」という。

黄河と長江のあいだあたりに、ホワイ川がある。このホワイ川は、1月の平均気温0℃と年間降水量1000mあたりの線に近く、地理学では大切であるので、チンリン=ホワイ線という。チンリンとは、チンリン山脈のこと。

つまり、農業では、チンリン=ホワイ線よりも北が小麦などの畑作地帯である。チンリン=ホワイ線よりも南側が稲作地帯である。

解説[編集]

近現代中国のできごと
1911年 辛亥革命(しんがい かくめい)。
1912年 中華民国が成立。
1937年 日中戦争がこの頃に勃発。
1945年 第二次世界大戦が終結。
1949年 中華人民共和国が成立。
1958年 大躍進運動(1960年頃まで)。
1966年 文化大革命(1976年まで)。
1989年 天安門事件。
1997年 ホンコン返還。
1999年 マカオ返還。
2001年 WTO加盟。
2008年 ペキンオリンピック。
2010年 シャンハイ万博。

中国(中華人民共和国)は、人口が約13億人であり、世界でもっとも人口が多く、世界の人口の約5分の1をしめている。

・首都 :ペキン(北京)
・面積 :約963万 km2
・人口 :約13億8000万人(2014年)
・主な言語 :中国語 
  • 第二次大戦後の歴史

第二次大戦が終わると、国民党と共産党との内戦が起きた。そして、毛沢東ひきいる共産党が勝利した。国民党は、台湾に逃げのびた。

こうして、中国は、毛沢東ひきいる共産党の主導のもと、1948年に中華人民共和国として建国され、社会主義の国となった。そして、中華人民共和国の建国の初期に、多くの企業が国有化された。

そして、1958年から大躍進政策とよばれる農業・工業の大増産を行うが、中国の実情を無視した計画により、逆に飢饉(ききん)が発生するなどして大失敗に終わる。さらに、1966年から毛沢東が死去する1976年まで文化大革命が行われ、中国の政治・経済はさらに混乱した。その後、アメリカ・日本などと国交を回復するとともに、経済面においては改革開放路線を敷き、自由主義経済を取り入れたことにより、急速な経済発展を遂げつつある。

人口問題[編集]

中国は、1組の夫婦の子供の数は1人だけとする 一人っ子政策 を1979年から行っている。ただし少数民族は、一人っ子政策の適用外である。おもに、漢民族が、一人っ子政策の対象である。

このため、現在、人口の増加は抑えられている。かわりに、高齢者の割合がふえる高齢化(こうれいか)が予測されており、心配されている。(いっぽう、インドも人口が10億をこえるが、インドでは人口の増加が予測されている。将来的にインドの人口が中国の人口を抜く可能性が予測されている。)

しかし、法律に逆らって、2人目の子どもを産んで、出生届を出さない事態も起きている。出世届けが出されないため、その子には戸籍がない。このように戸籍を持たない子どもは、「闇っ子」のような意味でヘイハイズ(黒孩子)と呼ばれる。都市よりも農村で、無戸籍の闇っ子が多く見られる。

また、中国人は、あと継ぎや労働力として男子が欲しいようで、女の子が産まれても処分するようであり、そのため人口比が男に片寄り始めている。

そういった弊害もあって、一人っ子政策の見直しがされている。両親とも一人っ子の場合には第二子が認められたり、また、第一子が女子の場合には第二子が認められる場合もある。

民族[編集]

中国の人口のうち、9割の民族は漢民族(かんみんぞく)である。漢民族は、おもに中国東部に住んでいる。

ある国で、多数派でない民族は、少数民族という。中国は50以上の少数民族を持つ多民族国家である。おもな民族は、漢民族、ウイグル族、モンゴル族、チベット族、ミャオ(苗)族、朝鮮族、ホイ(回)族、チョワン(壮)族、などである。

ダライ・ラマ14世(14th Dalai Lama)と会談するアメリカのジョージ・ブッシュ(George W. Bush)大統領(2001年)

中国は第2次世界大戦のあとにチベットとウイグル地方を侵略し併合したので、チベット人とウイグル人は、中国の少数民族になっており、チベット民族やウイグル民族として扱われている。

中国政府は、少数民族の自治区をもうけており、チベット自治区などをもうけており、伝統文化などを保護しているが、少数民族の中国からの独立などは認めていない。そのため、中国の支配に対する抵抗運動などがチベットやウイグルなどで、たびたび起きている。こうした独立運動に対して中国政府が厳しい弾圧を加えていること、漢民族との政治的・経済的格差が生まれていることから、人権問題として批判されることが多い。

チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世(14th Dalai Lama)は、1959年にインドに亡命した。


参考: 独裁政治[編集]

(高校教科書では、あまり触れていない。)

政治制度に関しては、社会主義であり、民主主義では無い。共産党が政治の決定権をにぎっており、事実上は、中国共産党による独裁政治の国である。たとえば政治指導者は、中国共産党内部で決定され、国民からの直接の選挙では選ばれていない。1989年には、天安門で民主化をもとめる学生の抗議運動がおきたが、この運動は弾圧された。この天安門での抗議運動に関する事件を天安門事件(てんあんもん じけん)と言う。

農業[編集]

中国は農業の大国である。中国のおもな農産物は、米、トウモロコシ、小麦である。

農業は、華南(「かなん」、意味:中国の南部のこと)や華中(かちゅう、意味:北部と南部のあいだ)では、雨が多いため、の生産が多い。また、これら南部では、の生産も盛んである。

つまり、中国の南部では、の生産が盛んである。

東南アジアに近いハイナン(海南)島のあたりでは、年に2回、米を作る二期作も行われる。

華北(「かほく」、意味:中国の東北部)では、雨が少ないため、小麦・大豆などの畑作が多く、また、コウリャンという雑穀の一種を生産している。なお、近年では、日本などから寒さに強い品種改良された稲を導入するなどして、中国北部でも米の生産もするようになった。

西部は、乾燥しており、あまり農業にはむかず、遊牧などの牧畜が中心である。

中国は、小麦の生産量が世界1位である。(2位インド、3位アメリカ。)

中国北部やインド内陸部などの乾燥地帯の農業では、小麦など乾燥に強い作物の畑作がさかん。

2000年頃から、中国人の食生活の変化により、肉類の需要が増えたため、飼料用作物としてトウモロコシや大豆の消費が増えた。 このため、アメリカなどからのトウモロコシや大豆の輸入が増え、中国は近年(2016年に記述)では大豆の輸入国に転じている。

農産物の品質管理能力が低い企業も多いようで、2000年ごろから中国産の農産物に有害な物質が混ざるなどして、消費者に健康被害が出る問題が発生・発覚している。

食文化と地域差[編集]

中華料理の地域料理は農作物の分布に対応している。南部では稲作が有利なため、ビーフンなどの米を使った地域料理が多い。いっぽう北部の地域料理には、小麦を使ったものが多い。こうした農作物の分布の違いに加えて、文化や風土の差異から様々な料理が生まれた。日本では北京・上海・広東・四川料理が知られる。

北京料理は、北京が明・清時代に首都であったことから北京ダックなどのように宮廷料理をルーツとしているものがある。また、畑作や牧畜が中心のため、米よりも小麦を使ったものが多く、魚よりも肉がよく使われる。日本でなじみ深い麺類(ラーメン)や餃子(ギョウザ)饅頭(マントウ)などが、北部の地域料理である。

上海料理は、現在の上海の地域が中国の穀倉地帯であったこと、長江流域に属することから米と豊かな魚介類を使った料理がメインである。日本では小籠包(しょうろんぽう)や上海ガニがよく知られている。

広東料理は、広東省一帯が古くから貿易で盛んだったことから様々な食材が使われてきた。くわえて、海に面しているため、魚介類を中心とした素材のうま味を生かした薄味の料理が多い。日本では飲茶やふかひれスープなどがよく知られる。

四川料理は、四川省一帯の料理である。長江流域の内陸のため、湿度は一年中高いが、気温は夏冬の差が激しい。そのため、体調をととのえるとされる香辛料をふんだんに使った料理が多い。食材には肉や川魚がよく使われる。日本でよく知られているのは麻婆豆腐や担々麺である。また、茶の原産地であり、茶を飲む習慣もここから始まった。

なお、少数民族の自治区では、その民族独時の文化や風土にねざした料理もある。

(※ 中国の地域料理の出題が、入試に出やすい。地域料理の分布の傾向には例外もあるだろうが、そのような瑣末な例外的知識は一般の高校生には不要なので、そういう瑣末な知識を問う大学は、相手にしないほうが良いだろう。)

工業[編集]

工業は、人件費の安さを利用している。そのため、世界の多くの国に中国の製品が輸出されており、中国は「世界の工場」とも言われている。

南部の沿岸部の地域などに経済特区が多く、そのため工業地帯も南部の沿岸部に多い。南部の香港(ホンコン)の近くにあるシェンチェン(しんせん、深圳)市が経済特区であり、シェンチェンなどを中心に工業が発展している。

南部とは別にも、中国東北部には第2次大戦の前から日本の旧・満州国への投資などで発達していた工業地帯があり、戦後も東北部の工業地帯が重工業の地帯になっている。(※ 検定教科書にも、旧・満州国の設備が、第二次大戦後の中国での重工業に役だったということが普通に書いてある。)

東北部では、アンシャンに鉄山があり鉄鉱石の産地であることもあり、第二次大戦後には東北部で重化学工業が発達した。

なお、華中のウーハン(武漢、ぶかん)にも鉄鋼コンビナートがある。

第二次大戦後、アンシャンパオトウウーハンで、工業化が進められた。

なお、東北部のターチン油田で、石油が産出する。

そのほか、鉱産資源としてレアメタルがレアアースの産地が中国になる。

シェンチェン(深圳、しんせん)市。経済特区に指定されている。
中華人民共和国の経済特区
香港(ホンコン)

経済政策の歴史[編集]

第2次大戦後、中国の経済は、市場経済を禁止して、政府が経済を管理する、計画経済の経済政策を取った。 また、農村の集団化のため、人民公社(じんみんこうしゃ)を設立した。

しかし、計画経済がうまくいかず、中国は経済発展が遅れた。1980年ごろから、経済のおくれを取り戻すため、鄧小平(とう しょうへい)の指導により、市場経済を部分的に取り入れていく改革・開放政策に転じ、また、経済特区シェンチェン(しんせん、深圳)市やアモイ(廈門)市など一部の地域に導入した。また、この頃、人民公社を廃止・解体した。

(なお現在、経済特区に指定されている都市は、アモイ、スワトウ、シンチェン(しんせん、深圳)、チューハイ、ハイナン島であり、いずれも華南の沿岸部。)

農村でも、自治体が企業として生産活動をする郷鎮企業(ごうちん きぎょう)が設立された。

また、生産請負性が導入された。生産請負性とは、国に一定量の請け負い分の農作物を納めたら、それ以上の農作物は自由に販売してもいいという制度である。


2001年には、中国はWTO(世界貿易機関)に加盟した。近年の中国は貿易黒字であり、その結果、外貨準備高は世界最大である。

欧米や日本などの工場も、人件費の安さや、人口の多さによる消費者の多さを当てにして、おそくとも2000年ころからは、多くの外国企業の工場などが中国各地に進出した。ただし、すでに1970年代から、中国の経済特区には外国企業が進出していた。

2000年代の頃の中国の工場では、液晶テレビ・エアコン・冷蔵庫なども生産できるようになった。そのため、中国は、テレビ・エアコン・冷蔵庫など家電の一大生産国になった。

こうして2000年〜2010年代、中国は、経済の規模がアメリカや日本につぐ経済大国になり、中国のGDP(国内総生産)も世界2位になった。(なお、GDP世界1位はアメリカ合衆国。GDP世界3位は日本。)

2010年の時点では、中国のGDPは世界2位であり、2015年までは中国がGDP世界2位のままである。(なお、日本のGDPは、2010年〜2015年では世界3位である。)

GDPは、所得の水準ではない。所得の水準では、中国は、日本やアメリカと比べ、所得が低い。

仮に、日本やアメリカが平均的に高所得の国だとしたら、中国は中所得の国だろうし、インドやベトナムは低所得だろう。

つまり、中国経済は、中所得の国ではあるが、人口が多いため、GDPが世界2位である。

中国は、BRICs(ブリックス)のうちの一国として、各国の投資家などが経済発展を期待している。BRICsとはブラジル(Brazil)、ロシア( (Russia)、インド(India )、中国(China) のこと[1]。 BRICsは国土と人口と資源の多いから、経済発展するだろうと期待された4国のことである。

しかし、近年では、中国でも人件費が上昇しつつあり、外国企業は、より人件費の安いベトナムなどの東南アジア諸国に工場を移している。

なお、中国に進出する外国企業については、地元中国と共同で設立された合弁企業(ごうべんきぎょう)とする中国政府の決めた法律などがあるので、中国進出した外国企業の工場・会社などは合弁企業である。

  1. ^ 近年はsを大文字のSとして、南アフリカ共和国(South Africa)を含めることが多い。

格差問題[編集]

中国では、貧富の格差もとても大きい。

民工は一旦失業すると、通常故郷の農村に戻るのは困難であり、そのまま都市部に滞留する。

とくに、内陸部の農村部は貧しい。そのため、農村部から出稼ぎなどで、沿岸部などの都市部に働きに出る。農村部から出稼ぎに来る人たちを 「農民工」(のうみんこう)あるいは「民工」(みんこう)と言う[1]

また、中国では、農村から都市へ人口が流入している。このような、中国での農村から都市部への人工流入の現象を民工潮(みんこうちょう)という。

中国の経済は、その貧富の格差によって、人件費を低くおさえているという面もある。

中国では、戸籍の変更が困難であり、原則的に農村で生まれたら、農村の戸籍のままである。 したがって出稼ぎ労働者は、戸籍は農村戸籍のまま、都市に出稼ぎにきている人が多い。農村出身者は、たとえ都市に住居を構えても、戸籍は農村戸籍のままである。

中国の法律・制度などによる出稼ぎのありかたでは、都市に住居が確保されてる場合などにかぎり、都市に出稼ぎしてよいのであるが、じっさいには都市に住居を確保しないまま違法に出稼ぎしている場合も多い。

  1. ^ 「工」の字があるが、日本語での「工業」の「工」とは意味合いが違い、中国語の「工場」などの「工」の意味は製造業に限定せずに労働一般の意味である。たとえば中国語の「工場」なら、日本語でいう「仕事場」「作業場」のような意味である。

その他[編集]

2008年には北京オリンピックが開催された。2010年には、上海国際博覧会(シャンハイ こくさい はくらんかい)(上海万博)が開かれた。

インターネットや携帯電話やテレビなどは、都市部を中心に普及している。しかし検閲(けんえつ)などの言論統制(げんろん とうせい)が厳しく、インターネットやテレビや雑誌などでの自由な議論などは出来ない。

  • 華僑

中国人は、中国の本国とは別の場所にも多く移住している。世界中のいろんな国に中国人は移住しており、それら外国にいる中国人を華人(かじん)(華僑(かきょう))という。特に東南アジアやアメリカに多い。

  • 開発
サンシヤ(三峡、さんきょう)ダム

2000年頃から、「西部大開発」として、開発の遅れていた内陸部や西部の開発が進んでいる。理由は、主に経済格差を解消するためや、あるいは、すでに沿岸部の開発が進んで沿岸部は開発の余地が減ったこと等だろう。

西部大開発により、道路や鉄道の基盤が整備され、ガスや電気が整備されている。 重慶(じゅうけい、チョンチン)やチベットなどが、開発されている。

2009年に、内陸部の湖北(こほく、フーペイ)省で、長江(ちょうこう、揚子江(ようすこう)とも言う。)ぞいに、サンシヤ(三峡、さんきょう)ダムが完成した。ダムの建設により、長江の水の流れがせき止められるので、生態系への影響が各国の環境保護団体により心配されている。

長江と三峡ダム (Three Gorges Dam) の位置
チベット方面の鉄道

鉄道の建設も、各地で進んでいる。西部のチベット自治区では、青蔵(せいぞう)鉄道が2006年に開通した。

環境問題[編集]

  • 大気汚染

工業地帯や都市を中心に、大気汚染が深刻である。理由は主に、燃料の石炭などが大量に燃やされているため。

  • 酸性雨

大気の汚染にともない、酸性雨の被害も発生している。

  • 森林破壊

耕地を広げたり、工業地域や商業地域の開発などのための無理な森林開拓により、森林破壊も起きている。

  • 水質汚染

工場などから出る排水などによる、水質汚染も各地で深刻である。川の魚が大量に死んだりする事例も多く発生している。

中国の国民1人あたりのエネルギー消費量は世界の平均と比べて低く、経済発展によるエネルギー消費量の上昇にともない、これから、まだまだ環境破壊が進むおそれもある。

領土問題[編集]

(高校地理の検定教科書では、あまり触れていない。)

中国は周辺国との領土をめぐる争いが多い。東南アジア諸国と中国とのあいだでは、スプラトリー諸島(Spratly Islands、 中国名:南沙(ナンシャー)諸島 )をめぐって、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイと争っている。ブータンとは国境問題がある。さらにインド、パキスタンとはカシミールをめぐる領土問題がある。

日本とは、尖閣諸島(せんかくしょとう)をめぐる争いが起きている。日本の固有の領土であるが、中国も領有権を主張している。2010年には、中国の漁船が日本の海上保安庁の漁船に衝突する事件が起きるなど、小規模なトラブルが多く発生している。

韓国・北朝鮮とも白頭山(ペクトサン)(中国名:長白山)や黄海上の島々の領有をめぐる領土問題がある。

ホンコンとマカオ[編集]

ホンコン(香港)は、1997年にイギリスから中国に返還された。一国二制度によって、例外的にホンコンでは資本主義制度をはじめとしたイギリス領時代の制度が認められている。

第二次大戦後は軽工業や機械工業が盛んだったが、近年ではホンコンは金融の中心地にもなっている。

マカオはポルトガルから1999年に返還された。マカオもホンコンと同じように一国二制度の対象となっている地域である。こちらは伝統的にカジノで有名な島である。

台湾[編集]

中国には、中国大陸を中心とした政府を持つ中華人民共和国と、もうひとつ、台湾に中華民国(ちゅうかみんこく)という政府がある。

(※ この記事では、たんに「中国」といったら、中華人民共和国のこととする。台湾の中華民国政権のことを言う場合には、この節では「台湾」や「中華民国」などと区別することにする。)

日本とは、1978年にむすばれた日中平和友好条約(にっちゅうへいわゆうこうじょうやく)によって、中華人民共和国と国交があるが、その時から日本政府は台湾と断交している。民間レベルでの日本と台湾の経済交流はつづいている。 台湾の政治は民主主義であり、普通選挙が行われている。

台湾(タイワン)を中心とした政権である。首都は台北(タイペイ)。工業国である。

  • 農業

台湾は南方にあることもあって、農業では稲作が多い。

  • 工業

台湾の工業では、コンピュータ部品などの産業が、さかんである。大陸側の人件費の安い労働力などを利用するため、台湾の企業が大陸側に工場をもうけたりしている。 1970年代ごろは、アジアNIESのひとつとして、韓国とともに台湾は数えられていた。

  • 2つの中国が出来たいきさつ

第二次大戦の前や戦中では、中国は中華民国という国であり、国民党という政党が支配をしていて、蒋介石(しょうかいせき)という人物が国の支配者だった。しかし第二次大戦後、ソビエト連邦の支援を受けた中国共産党が、国民党と戦闘し、中国は内戦になった。そして共産党が勝利して、中国は、1949年に 中華人民共和国という国になった。 共産党の支配者は毛沢東という人物で、毛沢東が中国大陸の支配者になった。

いっぽう、負けた蒋介石ひきいる国民党は台湾にのがれた。 このため、台湾は中華民国になった。このころから、中国は「中華人民共和国」と「中華民国」との2つの中国が存在する状況になった。

しかし、日本をふくめ世界の多くの国は、台湾は中国の一部という立場にたっている。また、現在の国際連合では、中華人民共和国を中国の代表として認めており、台湾は国連に加盟できない。