高等学校地理B/地誌 東南アジア

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東南アジアに関するおもなできごと
1965年 シンガポールがマレーシアから分離独立。
1967年 ASEANが結成。
1976年 南北ベトナムが統一。
1984年 ブルネイがイギリスから独立。
1997年 アジア通貨危機。
2002年 東ティモールがインドネシアから独立。

自然環境[編集]

諸国[編集]

マレーシア[編集]

基礎データ[編集]

英語
公用語 マレー語
首都 クアラルンプール
人口 31,786,000人
面積 330,803平方キロメートル
通貨 リンギット

民族と文化[編集]

マレーシアの民族は、大きく分けると、マレー系インド系中国系の3つに分けられ、このほか山岳などに少数民族がいる。マレー系住民が国民の6割、中国系住民が国民の3割、インド系住民が国民の1割である。

東南アジアの中国系移民は、移民1世ではなく何代も前から現地に住んでいる。そのため、最近では「仮住まいの中国系移民」という意味を含む華僑(かきょう)ではなく華人(かじん)という。

マレーシア語の公用語はマレー語だが、中国系住民は中国語を日常的に話し、インド系住民はタミル語を日常的に話す。

宗教は、マレー系住民はイスラム教を信仰。中国系住民は仏教を信仰。インド系住民はヒンドゥー教を信仰。

マレーシアは植民地時代は、イギリスによって支配されていた。植民地時代の影響もあり、マレーシアでは先住民のマレー系住民よりも、華人の経済的な影響力が大きい。そこで、格差を是正するための政策として、マレーシアでは雇用や公立大学入学などでマレー系住民を優遇するブミプトラ政策[1]が取られている。

中国系住民は都市に多く住んでおり、いっぽうマレー系住民は農村に住んでいる。マレーシアの中国系やインド系住民は、イギリスによる植民地時代に連れてこられた人などの子孫である。

産業[編集]

農業[編集]

イギリス植民地時代のマレーシアは、天然ゴムの主要な産地だった。天然ゴムは植物のゴムノキの樹液から作る。この天然ゴムのプランテーションが、マレーシアの一帯に多くあった。

第二次大戦後、合成ゴムが世界的に普及していくと、天然ゴムが売れなくなってきた。そのため、油やし の栽培へと転換した。油やしからはパーム油という油がとれ、食用油や洗剤などの原料になっている。その結果、マレーシアでの天然ゴムの生産量は減っていき、今ではタイとインドネシアが天然ゴムの主要な生産国である。

また、マレーシアの森林からは、合板などになるラワン材が得られる。

工業[編集]

工業では1980年代、マハティール首相がルックイースト政策を打ち出し、西洋ではなく、日本や韓国・台湾などアジアの工業国を見習って工業化を目指す政策を掲げ、また日本など先進工業国からの工場を誘致した。そのため、マレーシアで工場が増えていき、現在では、マレーシアは、タイとならぶ東南アジアの工業国である。

日系家電メーカーの工場が1980年代からマレーシアに進出したため、マレーシアの工業では現在、電気機械工業などが発達している。

シンガポール[編集]

基礎データと概要[編集]

公用語 英語、中国語、マレー語、タミル語
首都 シンガポール
人口 5,610,000人
面積 719.2平方キロメートル
通貨 シンガポールドル

シンガポールの国土はシンガポール島とその周辺の小島からなる。もとはマレーシアの一部であり、第二次大戦後にマレーシアの一部としてイギリスから独立したが、中国系住民がマレーシアでのマレー系住民の優遇策に反発して、1965年にマレーシアから分離独立した国である。

シンガポールでは人口の80%ちかくが中国系である。

(※ 歴史総合の範囲:)シンガポールの第一公用語は英語です。民族数では中国系が最多ですが、しかし中国語はマレー語などと同様に第二外国語どまりです。 英語が第一外国語になったのは、建国時の政策による面もあります。シンガポールはマレー系や中国系やタミール系など多民族の国家ですが、しかし民族間の紛争を防ぐため、どの民族の言語でもない外国語である英語を公用語にした経緯があります。また英語はビジネスや科学技術の世界での国際公用語です。このような理念は、シンガポール建国の政治家リー・クアンユーが述べています(「リー・クアンユー回顧録」などで確認できる)。※ 清水書院の「歴史総合」教科書に記載あり。

経済[編集]

シンガポールは積極的に外国資本を導入したため経済発展しており、かつてNIES(ニーズ、新興工業経済地域)のひとつになっていた。なおNIESは韓国、シンガポール、香港、台湾の4地域。現在では他の地域も発展してきたため、「NIES」という呼び方の重要性は下がっている。

シンガポールでは電子工業が現在では発達している。独立後に早くから輸出志向型の経済政策を行い、加工貿易によって経済力を高めた。ジュロン工業地区が輸出加工区に指定されている。

マラッカ海峡の近くに位置するため、古くは中継貿易もシンガポールは行っていた。

シンガポールでは金融も発達している。東南アジアでは早くから経済発展していることや、英語が公用語なことなどが、金融の発達した理由と考えられている。現在では東南アジアに進出する企業によってシンガポールの金融が利用されており、シンガポールが世界の金融センターのひとつにもなっている。

国民一人あたりの所得は世界の中でも高い。 

インドネシア[編集]

基礎データと概要[編集]

インドネシアはスマトラ島、ジャワ島、カリマンタン島などからなる多島国である。

人口が約2.6億人であり、人口が世界4位の規模である。

人口のほとんどがジャワ島に集中している。インドネシアの首都であるジャカルタはジャワ島にある。

宗教はイスラム教が信仰されている。

第二次大戦前は、オランダの植民地にさせられていた。

インドネシアは、カリマンタン島などに原油や天然ガスの産地がある。

インドネシアには熱帯雨林がある。第二次大戦後のインドネシアはかつて日本に木材を輸出していたが、自国(インドネシア)の産業保護のため、1980年代に丸太の輸出を禁止した。合板など木材に加工すれば輸出が可能である。インドネシアの森林からは、家具材などになるチーク材が得られる。

マレーシアやタイが日本などの外国資本を積極的に導入したのに対して、インドネシアは当初は外国資本には厳しかった。また、インドネシア国内の政治情勢の混乱などの問題などもあり、インドネシアは工業化が遅れ、経済発展が遅れた。

だが、現在ではインドネシアも工業国になっている。

公用語は、マレー語を母体としたインドネシア語である。

民族や地域によって格差が大きい。

フィリピン[編集]

16世紀にスペインの植民地になった。そのため宗教ではカトリック教徒がフィリピンでは多い。

ただし南部のミンダナオ島には、イスラム教徒であるモロ族が多く、そのためミンダナオ島で武力衝突や反政府運動がある。

スペインの支配が300年間つづき、その後はアメリカ合衆国の領土になり、第二次大戦中の一時期は日本に占領され、戦後は独立した。

フィリピンの公用語は、英語と、タガログ語を母体としたマレー系のフィリピノ語

農業ではバナナの栽培が盛ん。日本のバナナ輸入元の外国は、フィリピンが1位。フィリピンから見ても、バナナの輸出先国の大部分は日本である。

このフィリピンのバナナ産業には日本企業やアメリカ企業などの多国籍企業が携わってる。アメリカ企業は、けっしてアメリカ向けのバナナ輸出ではなく、アメリカのバナナ企業は日本向けにバナナ輸出をしてるわけである。

フィリピンの首都はマニラ。マニラはルソン島にある。

貧富の格差がとても大きく、そのためスラムがマニラなどの都市で見られる。 「スラム」とは、貧しい人などが、かってに路上などに住んだり、河川敷などの公共用地に勝手に住んだりして形成された、不法占拠の住宅街のこと。

フィリピンは統計上では、製造業が盛んであり、日本への輸出の貿易総額に占める割合では、統計上では製造業がフィリピンの最大産業となっている( あくまで、統計上では。)。

2010年以降の近年、フィリピンの日本への輸出のうち、輸出総額のうち多くの割合をしめるのは製造業であり、40%ほどが製造業である(※ 2017年センター試験に出題)。


※ フィリピンでは、タイやインドネシアほど製造業が盛んでないイメージがあるが、なぜかフィリピンで製造業の占める金額が高いのは、下記の理由(ネット調べ)。

第二次大戦前はフィリピンはアメリカ合衆国の植民地だったこともあり、そのため冷戦中には、アメリカの大企業の工場がフィリピンに進出していた時代もあった。

また、1980〜90年代に日本企業の大手電気メーカの工場がフィリピンに進出しはじめた。このため、フィリピンでは、相対的に機械部品の金額の割合が高くなっている。これが、フィリピンで事実上は製造業が最大産業になっている原因のようだ。


(しかし、フィリピンは、このような日米からの投資にめぐまれた環境にあったにもかかわらず、「フィリピンは貧富の差が大きい」と言われ、「国民の多くは貧しい」と言われ、「治安も悪い」と言われる。どうやら、海外企業の工場を誘致するだけでは、一部の投資家や大企業だけが豊かになっても、国民の多くは豊かにならないようだ。)


※ また、一般に電気機械工業は、組立てなどの工程で、(あまり熟練を必要としないが)多数の人間の手作業が必要になる場合もある。なので、電気機械工業そのものは高度な技術を必要とするにもかかわらず、人件費などの費用を安く抑えるために、発展途上国のような貧しい国に、欧米日の電気機械工業の大手メーカーの工場が進出する場合も多い。

ベトナム[編集]

第二次大戦前はフランスの植民地だった。第二次大戦後に独立したが北ベトナムと南ベトナムに別れて、1960年代には南北のベトナムが戦争をした(ベトナム戦争)。

北ベトナムは社会主義であり、ソビエト連邦の支援を受けた。いっぽう南ベトナムはアメリカ合衆国の支援を受けた。

ベトナム戦争では最終的に北ベトナムが勝ち、こうしてベトナムは社会主義国となった。

しかし経済的には、社会主義の計画経済が、しだいにソビエト連邦・中国など世界各国の社会主義国で失敗して財政が苦しくなっていき、ソビエト連邦や中国などの工業化も遅れていき、だんだんと社会主義の欠陥が明らかになった。

ベトナムでも計画経済が失敗したため、ベトナムは1986年からは経済政策を改め、政治の統制という意味では社会主義を残しつつ、経済では市場原理を取り入れる「ドイモイ」という政策(いわゆる「ドイモイ政策」)をベトナムは実施した。「ドイモイ」とは「刷新」(さっしん)という意味である。

やがて冷戦が終わり、1995年にはアメリカとの国交が回復し、ASEANにも1995年に加盟した。」

現在では、ベトナム経済は、発展が遅れたこともありベトナムの労働者は低賃金であるが、しかし、ベトナム企業はそれを逆手にとり、人件費の安さによって、輸出用の衣類や繊維などを生産する産業が盛んである。

また農業では、ドイモイ政策後、輸出用として米(こめ)やコーヒーの生産が盛んになり、現在ではベトナム農業では、米とコーヒー豆が、世界でも有数の輸出国となっている。

ベトナムは、コーヒー豆の生産量が世界2位。

(2017年度センター地理B追試験の統計によると、2012年次統計として、コーヒー豆の世界での生産量順位と割合は)

1位: ブラジル, 34.4%
2位: ベトナム, 17.7%
3位: インドネシア, 7.8%
4位: コロンビア, 5.2%
5位: ホンジュラス, 3.9%

(「FAOSTATにより作成」とのこと)

コーヒー生産量の2位と3位が、なんと東南アジアである。東南アジアがいつのまにか、コーヒー豆の一大産地になっている。

さて、近年、油田がベトナムの近海で開発されている。

(※ 範囲外:)成人男子には2年の徴兵制がある。
国の治安は比較的良いと言われる。
経済格差が大きい国であったが、近年改善されつつある。

タイ[編集]

タイの工業は、現在では、工業がそこそこ発達している。日本の自動車メーカーの工場も進出しており、自動車部品なども生産している。

タイで信仰されている仏教は上座部仏教である。

首都はバンコク。

第二次大戦前は、緩衝国(かんしょうこく)だった。イギリス領とフランス領が接触しないようにするための緩衝国である。

このため、タイでは王制が残っており、現在でも国王がいる。

治安は比較的良い国である。

都市地域と地方地域によって国民の所得格差はかなり大きい。

(※ タイは民主政治を原則としているが、ときどきクーデタが起きる。)2014年、軍隊によるクーデタが起きたが、2019年に民政に復帰した。(※ 第一学習社『政治経済』の教科書に書いてある。)

文化[編集]

宗教[編集]

タイでは仏教が盛んである。タイの仏教は上座部仏教(じょうざぶ ぶっきょう)という宗派である。また、ミャンマー、ラオス、カンボジアも上座部仏教である。

ベトナムでは、大乗仏教(だいじょうぶっきょう)が信仰されている。

インドネシアではイスラム教が信仰されている。ただしインドネシアのバリ島ではヒンドゥー教が信仰されている

フィリピンではキリスト教のカトリックが信仰されている。

経済[編集]

工業[編集]

1980年代以降、タイやマレーシアは、シンガポールの輸出志向型の工業化の成功にも見習い、輸出で儲けるため、タイやマレーシアも各地に輸出加工区を設置した。


カンボジア、ラオス、ミャンマーは、過去の政治の混乱などのために、工業化が遅れている。

東南アジアの農林業[編集]

多雨な地域で、天然ゴム・油ヤシが生産されている。

天然ゴムの生産量では、現在では、インドネシアタイが天然ゴムの主な生産国である。

油ヤシの生産量では、マレーシアインドネシアが油ヤシの主な生産国である。

米の生産量ではインドネシアが東南アジアでは第1位だが、そのほとんどは国内消費用であり、輸出用ではない。米の輸出量ではタイが世界1位である。

なお、中国は米の生産量が世界1位、インドが米の生産量の世界2位である。

日本向けの えび の養殖が東南アジアでは盛ん。 インドネシア、タイ、ベトナムなどが、日本などへの輸出に向けての えび の養殖をしている。

えびの養殖場を沿岸部につくるさい、マングローブ林が伐採されるので、自然保護の観点からは問題視もされてる。

雨が多いため、稲作も各地で行われている。

インドネシアのジャワ島や、フィリピンのルソン島などでは、平地が少なく丘陵地が多いため棚田(たなだ)によって米(こめ)が作られている。

モノカルチャーからの脱却[編集]

その国の産業が、たとえば農業だけに依存してて、プランテーションで特定の農産物ばかり作らされるなど、ほぼひとつの産業に依存してる状態をモノカルチャーという。

たとえばマレーシアは、イギリスの植民地時代のかつて、天然ゴムのモノカルチャーだった。

アフリカや東南アジアや南アメリカなど、かつてヨーロッパに植民地にされたり支配されたりしていた場所では、宗主国の貿易の都合のため、植民地にされた国では、輸出用に特定の産物だけを生産するようにさせられていた。そのため、アフリカや東南アジアなど、それらの国の産業は、植民地時代からモノカルチャーだった。

第二次大戦後の独立後も、いきなりは工業化できないし、農園もいきなりは他の作物には転換できないので、独立したばかりの多くの国でモノカルチャーだった。

モノカルチャーでは輸出用の農産物や原料ばかりを作らされた。いっぽう、穀物や、その国の一般人が生活で必要とする日常品は、あまり作らせなかったので、その国の一般大衆の生活は豊かにならなかった。

たとえば、天然ゴムは、食べられないことに注目しよう。

インドの植民地時代では、綿花や茶を大量に栽培させられていたが、綿花も食べられない。茶は食べられるが、あまり空腹を満たせない事に注目しよう。

東南アジア以外でも、アフリカでもエチオピアでコーヒー豆を大量に栽培させられるのも、やはり、空腹を満たせない。

このように植民地の農業では、いわゆる「商品作物」「換金作物」ばかりをプランテーション(大農園)で栽培させられたのである。

だが東南アジア各国では現在、モノカルチャーからの脱却に成功している。また、モノカルチャー時代の農産物も、現在では主要な農産物として活用している国も多い。

1997年のアジア通貨危機[編集]

1997年に東南アジアなどの通貨が暴落するアジア通貨危機が起き、深刻な経済危機におちいった。このアジア通貨危機は、タイの通貨バーツが下落したのがキッカケである。

しかし、これを先進各国の貿易企業は逆手にとり(欧米だけでなく日本もふくむ)、通貨の安さにもとづく賃金の安さを見こんで、先進国の企業がどんどん東南アジアに進出した。

ASEAN[編集]

ベトナム戦争が起きると、インドネシア・マレーシア・シンガポール・フィリピン・タイの5ヶ国により、経済などの協力をめざすASEAN(アセアン)東南アジア諸国連合)が結成された。その後にブルネイ、ベトナム、ミャンマー、ラオス、カンボジアが加入して現在に至る。元々は社会主義勢力に対抗するための組織だったが、ベトナムも加盟していることからわかるように、現在は政治経済分野での共同体となっている。

また、日本・中国・韓国は、ASEAN諸国に積極的に投資しているので、ASEAN加盟国に日本・中国・韓国の3国をくわえた枠組み もあり、それを「ASEAN + 3(プラス スリー)」という。

ASEAN域内では現在、関税の引下げをしており、そのためのASEAN自由貿易地域AFTA、アフタ、ASEAN Free trade Area)が締結されている。これらの政策によって、自動車産業などではASEAN域内での部品ごとの分業が発達している。

[編集]

  1. ^ 「ブミプトラ」とは「土地の子」の意味。