ARM64アセンブリ言語
ARM64アセンブリ言語の教科書へようこそ。本書では、モバイルデバイスや組み込みシステムで利用されるARM64アーキテクチャの理解を深め、アセンブリ言語プログラミングの基礎から発展的なトピックまでを探求します。概要から最適化手法まで、ARM64におけるプログラミングスキルを磨くための知識を提供します。
アーキテクチャの概要
[編集]ARM64アーキテクチャの歴史と特徴
[編集]- 歴史
ARM64アーキテクチャは、ARM Holdingsによって設計・開発されたAdvanced RISC Machines(ARM)アーキテクチャの64ビット版であり、ARMv8-Aとしても知られています。ARMv8-Aが初めて導入されたのは2011年であり、これによりARMアーキテクチャは64ビットプロセッサをサポートするようになりました。ARM64は当初、サーバや組み込みデバイス向けに設計され、その後モバイルデバイスにも広く普及しています。
- 特徴
ARM64アーキテクチャの主な特徴には次のようなものがあります:
- 64ビットアドレッシング
- ARM64は64ビットのアドレッシングをサポートし、これにより非常に広大なメモリ空間にアクセスできます。大容量メモリや高性能なアプリケーションの実行が可能です。
- エイリアシング
- ARM64は32ビットおよび16ビットのアプリケーションとの後方互換性を維持するためにエイリアシング機能を提供しています。これにより、既存の32ビットアプリケーションがARM64アーキテクチャ上で実行可能です。
- 拡張されたレジスタセット
- ARM64は、32ビットアーキテクチャに比べて大幅に増加した汎用レジスタを備えています。これにより、複雑な計算やデータ処理がより効率的に行えます。
- NEON SIMD拡張
- ARM64は引き続きNEON拡張をサポートしており、ベクトル演算を効果的に行うことができます。これはグラフィックスや信号処理などのアプリケーションに対して重要です。
レジスタ構造と役割
[編集]ARM64アーキテクチャでは、異なる種類のレジスタが異なる役割を果たしています:
- 汎用レジスタ(x0-x30)
- 通常の計算やデータ操作に使用され、関数の引数や戻り値、一時的なデータの保存に利用されます。
- スタックポインタ(SP)
- レジスタx31はスタックポインタとして知られており、関数の呼び出しやデータのスタックへのプッシュおよびポップに使用されます。
- プログラムカウンタ(PC)
- レジスタx30はプログラムカウンタとして機能し、実行中の命令のアドレスを保持します。
- フラグレジスタ(NZCV)
- 状態や条件付き分岐を制御するためのフラグが格納されています。
命令セットの概要
[編集]ARM64アーキテクチャの命令セットは非常に豊富で多様です:
- データ転送命令
- レジスタ間やメモリとのデータの転送を行う命令が含まれます。
- 演算命令
- 加算、減算、乗算、除算などの算術演算を行う命令が提供されています。
- 制御命令
- 分岐、条件分岐、ループ、例外処理などのプログラムの制御を行う命令が含まれます。
- SIMDおよびベクトル命令
- NEON拡張を活用して、ベクトル演算や並列処理を高速に行うための命令が用意されています。
- 浮動小数点演算命令
- 浮動小数点数の演算をサポートする命令が含まれています。
- システムレジスタへのアクセス命令
- キャッシュ制御や例外ハンドリングなどのシステムレジスタへのアクセスを行う命令も提供されています。
ARM64アーキテクチャの命令セットの特徴
[編集]ARM64アーキテクチャの命令セットは、以下の特徴を持っています:
- エイリアシング
- 32ビットアーキテクチャとの後方互換性を維持するため、エイリアシング機能が組み込まれています。これにより、32ビットアプリケーションもARM64上で実行可能です。
- アトミック操作
- 原子的なメモリ操作をサポートするためのアトミック命令が提供されています。これは、マルチスレッド環境でのデータ整合性を確保するのに役立ちます。
- 仮想化拡張
- ARM64アーキテクチャは仮想化技術をサポートしており、ハードウェア仮想マシンでの実行や仮想マシンのモニタリングなどが可能です。
- セキュリティ機能
- TrustZoneと呼ばれるセキュリティ機能がARM64アーキテクチャに組み込まれています。これは、セキュアで信頼性の高い実行環境を提供するための技術です。
ARM64アーキテクチャの命令セットは、高度な性能と柔軟性を提供し、幅広いアプリケーションに適しています。これにより、モバイルデバイスからサーバまで、さまざまなプラットフォームで利用されています。
ARM64とA64FXは、どちらもARMアーキテクチャの64ビット版です。しかし、以下の2つの点で異なる点があります。
- アーキテクチャのバージョン
- ARM64は、ARMv8-Aアーキテクチャに準拠しています。
- A64FXは、ARMv8.2-Aアーキテクチャに準拠しています。
- ARMv8.2-Aアーキテクチャは、ARMv8-Aアーキテクチャを拡張したものであり、以下の機能が追加されています。
- 拡張されたSIMD命令(SVE拡張命令)
- 拡張されたメモリ管理
- 拡張されたセキュリティ機能
- プロセス技術
- ARM64は、さまざまなプロセス技術で実装されています。
- A64FXは、7nmプロセスで実装されています。
- 7nmプロセスは、より小さいトランジスタを製造できるため、消費電力を抑えながら、高い性能を実現することができます。
具体的には、A64FXは、以下の特徴を備えています。
- 高性能
- A64FXは、1コアあたり最大4.8GHzの動作周波数を実現しており、ピーク性能は480TOPS(テラオペレーション毎秒)に達します。また、浮動小数点演算性能は、256ビット浮動小数点演算で180TFLOPS(テラフロップス)に達します。
- 高効率
- A64FXは、電力効率にも優れています。ピーク性能を維持したまま、1ワットあたりの性能は100TOPSに達します。
アセンブリ言語の基本
[編集]命令の基本構造
[編集]アセンブリ言語の命令は、機械語命令に対応して人間が理解しやすい形で表現されます。基本的な構造は次の通りです:
命令ニーモニック オペランド1, オペランド2, ... ; コメント
- 命令ニーモニック: アセンブリ言語の命令名。特定の動作や操作を示します。例えば、
MOV
はレジスタ間のデータ移動を示します。 - オペランド: 命令が対象とするデータやアドレスなど。ソースオペランド、デスティネーションオペランドなどの役割に分かれることがあります。
- コメント:
;
以降はコメントとして扱われ、人間が理解しやすい説明や情報を追加できます。コードの可読性向上に寄与します。
レジスタ
[編集]アセンブリ言語では、プロセッサ内に存在する記憶領域としてレジスタが使用されます。レジスタは高速で直接アクセス可能な領域であり、一時的なデータの保存や演算に利用されます。例えば、ARM64アーキテクチャでは x0
, x1
, x2
, ... が一般的な汎用レジスタです。
MOV x0, #10 ; レジスタ x0 に即値 10 を移動
メモリアクセス
[編集]メモリアクセスのための命令は、データの読み書きやアドレスの計算に使用されます。例えば、LDR
命令はメモリからデータを読み込む命令です。
LDR x1, [x0] ; x0が指すアドレスからデータを読み込み、x1に格納
分岐と条件分岐
[編集]プログラムの制御フローを変更するために、分岐と条件分岐が使用されます。例えば、B
命令は無条件分岐を行います。
B label ; labelへ無条件分岐
また、条件分岐は B
命令に条件を組み合わせて実現されます。
BEQ label ; 条件が等しい場合に label へ分岐
コメント
[編集]コメントはアセンブリコード内で説明やメモを残すために使用されます。コメントはコードの理解を助け、他のプログラマがコードを追いやすくします。
ADD x2, x0, x1 ; x0とx1の値を加算して結果をx2に格納
コメントは可読性向上に寄与し、コードの目的や動作を理解しやすくします。
データ処理命令
[編集]データ処理命令の基本構文と使い方
[編集]データ処理命令は、レジスタ内のデータに対する操作を行うアセンブリ命令です。基本的な構文と使い方は次の通りです:
命令ニーモニック デスティネーションレジスタ, ソースオペランド1, ソースオペランド2, ...
- 命令ニーモニック: データ処理の具体的な操作を示すニーモニック。例えば、
ADD
は加算を、SUB
は減算を表します。 - デスティネーションレジスタ: 操作結果を格納するレジスタ。演算の結果がここに保存されます。
- ソースオペランド: 演算の対象となるデータ。即値、レジスタ、またはメモリアドレスが使用されます。
- 加算 (ADD)
ADD x0, x1, x2 ; x1とx2の値を加算し、結果をx0に格納
- 減算 (SUB)
SUB x3, x4, #10 ; x4の値から即値10を減算し、結果をx3に格納
演算と論理操作のアセンブリ表現
[編集]データ処理命令には、加算・減算などの基本的な演算の他に、論理操作やシフト操作が含まれます。以下は一部の代表的な演算とそのアセンブリ表現です。
- 加算 (ADD)
ADD x0, x1, x2 ; x1とx2の値を加算し、結果をx0に格納
- 減算 (SUB)
SUB x3, x4, #10 ; x4の値から即値10を減算し、結果をx3に格納
- 論理積 (AND)
AND x5, x6, x7 ; x6とx7のビットごとの論理積を計算し、結果をx5に格納
- 論理和 (ORR)
ORR x8, x9, x10 ; x9とx10のビットごとの論理和を計算し、結果をx8に格納
- 論理否定 (EOR)
EOR x11, x12, x13 ; x12とx13のビットごとの排他的論理和を計算し、結果をx11に格納
- シフト演算 (LSL)
LSL x14, x15, #2 ; x15の値を左に2ビットシフトし、結果をx14に格納
これらの演算や論理操作は、アセンブリ言語を使用してプロセッサに対する細かな制御を行うために重要です。データ処理命令を理解し、適切に利用することで、効率的で高度なプログラミングが可能となります。
データ転送命令とレジスタ間の操作
[編集]データ転送命令は、メモリとレジスタ間でデータを転送するための命令です。また、レジスタ間のデータ操作もデータ処理命令を使用して行います。
; メモリアドレスが x7 のデータをレジスタ x8 にロード LDR x8, [x7] ; レジスタ x9 の内容をメモリアドレスが x10 の場所にストア STR x9, [x10] ; レジスタ x11 の内容をレジスタ x12 にコピー MOV x12, x11
これらのコードはARM64アーキテクチャで実行可能なデータ転送命令とレジスタ間の操作を示しています。LDR
命令はメモリからデータをロードし、STR
命令はレジスタの値をメモリにストアします。MOV
命令はレジスタ間でのデータの単純なコピーを行います。
分岐と制御構造
[編集]条件分岐の実装と使用
[編集]条件分岐は、特定の条件が真である場合と偽である場合でプログラムの制御を切り替えるために使用されます。ARM64アセンブリ言語では、条件コードを用いて条件分岐を実装します。
CMP x0, x1 ; x0とx1を比較 BNE label ; x0とx1が等しくない場合、labelに分岐
上記の例では、CMP
命令でx0
とx1
を比較し、その結果に基づいてBNE
命令が条件分岐します。条件コード NE
は「Not Equal(等しくない)」を表します。
条件実行の実装と使用
[編集]ARM32アーキテクチャでは、条件実行命令を使用してほとんどの命令を条件によって実行またはスキップすることが可能でしたが、ARM64アーキテクチャでが一部の限定された命令に限られます。以下に、条件実行の実装と使用に関するいくつかの重要な命令を紹介します。
CSEL (Conditional SELect)
[編集]CSEL
命令は、条件が真の場合はレジスタ Rd
にレジスタ Rn
の値を、条件が偽の場合はレジスタ Rd
にレジスタ Rm
の値を代入します。
CSEL Xd, Xn, Xm, 条件
この命令は条件が満たされたかどうかに基づいてレジスタの内容を選択的に代入します。
CSET (Conditional SET)
[編集]CSET
命令は、条件が真の場合はレジスタ Rd
に1を、条件が偽の場合は0を代入します。
CSET Xd, 条件
この命令は、条件が成り立つかどうかに基づいてレジスタに1または0をセットします。
CSINC (Conditional SINCrement)
[編集]CSINC
命令は、条件が真の場合はレジスタ Rd
にレジスタ Rn
の値を代入し、条件が偽の場合はレジスタ Rd
にレジスタ Rm
の値に1を加えた値を代入します。
CSINC Xd, Xn, Xm, 条件
この命令は条件に応じてレジスタの内容を選択的に増分させます。
CSINV (Conditional SINVert)
[編集]CSINV
命令は、条件が真の場合はレジスタ Rd
にレジスタ Rn
の値を代入し、条件が偽の場合はレジスタ Rd
にレジスタ Rm
のビット毎の反転(1の補数)を代入します。
CSINV Xd, Xn, Xm, 条件
この命令は条件に応じてレジスタの内容をビット毎に反転させます。
CSNEG (Conditional SNEGate)
[編集]CSNEG
命令は、条件が真の場合はレジスタ Rd
にレジスタ Rn
の値を代入し、条件が偽の場合はレジスタ Rd
にレジスタ Rm
の符号付き整数としての2の補数(正負反転)を代入します。
CSNEG Xd, Xn, Xm, 条件
この命令は条件に応じてレジスタの内容を符号付き整数として反転させます。
これらの条件実行命令を使用することで、複雑な条件分岐や算術操作を行うプログラムをより効果的に実装することができます。条件に応じてプログラムのフローを制御する際に重要な役割を果たします。
ループ構造の作成
[編集]ループは特定の条件が満たされる限り、同じ一連の命令を繰り返し実行する制御構造です。
loop_start: CMP x5, #10 ; x5が10より小さいかどうかを比較 BGE loop_end ; x5が10以上ならループを終了 ADD x5, x5, #1 ; x5に1を加算 B loop_start ; ループの先頭に分岐 loop_end:
上記の例では、CMP
命令でx5
が10より小さいかどうかを比較し、条件が成り立つ場合はADD
命令とB
命令でループを繰り返します。BGE
命令は「Branch if Greater Than or Equal(大なりイコールの場合に分岐)」を意味し、loop_end
に分岐します。
サブルーチンの呼び出しとスタック操作
[編集]サブルーチン(サブプログラムや関数)はプログラム内で他の一連の命令を実行するために呼び出されるものです。サブルーチンの呼び出し時には、リンクレジスタ(Link Register)やスタックが使われることが一般的です。
BL subroutine ; サブルーチンを呼び出し(Link Registerに戻りアドレスを保存)
上記の例では、BL
(Branch with Link)命令を使用してサブルーチンを呼び出します。これにより、呼び出し元のアドレスがリンクレジスタに保存され、サブルーチンの終了時に呼び出し元に戻ることができます。また、サブルーチン内で使用する一時的なデータやレジスタの保存にはスタックが利用されることがあります。
SUB SP, SP, #16 ; スタックポインタを16バイト分減算(スタック領域確保) STR x6, [SP] ; x6の値をスタックに保存 ; ... ; 他の命令やサブルーチン内の処理 LDR x6, [SP] ; スタックからx6に値を復元 ADD SP, SP, #16 ; スタックポインタを16バイト分加算(スタック領域解放)
上記の例では、SUB
命令とADD
命令を使用してスタックポインタを調整し、STR
命令とLDR
命令を使って一時的なデータの保存と復元を行っています。