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Lojban For Beginners 日本語訳/体言( sumti )の転換

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

体言( sumti )の転換


selbri に冠詞を付けると、 sumti になるということは学びました。 selbri が結ぶ x1 の位置の意味になります。lo mlatu は「猫であるもの( x1 )」、すなわち「猫」です。le mlatu も同じです。ただ、この場合の「猫」は、話し手の頭の中にある特定の猫になります。しかし、 x1 でない意味の体言( sumti )を作りたい時にはどうするのでしょう?例えば、以下の文を見てみます。

lo prenu cu dunda le cukta mi
「ある人は( x1 )与える、あげる物はその本( x2 )で、与えられるのは私( x3 )。」

この lo prenu 「人」は le dunda 「その与える人」と言い表せます。では、この場合の「本」や「私」は?それを x1 にしてみましょう。

mi te dunda le cukta
「私は( x1 )与えられる、与えられるものはその本( x2 )。」

こうして、 le te dunda 「そのもらう人」という sumti を作ることができるのです。同じように本のことなら、

le cukta cu se dunda lo prenu mi
「その本は( x1 )与えられた、与えたのはある人( x2 )で、受け取ったのは私( x3 )」

となり、 le se dunda 「その与えられた物」と言えます。ですから当たり前のことをこう言えます。

le dunda cu dunda le se dunda le te dunda
「その与える人はその与えるものをその受取人に与える。

このような転換は gismu に限らず、用言のような役割をする全ての語に当てはまります。例えば、 go'i 「(今言ったこと)」です。これはその前の bridi を表します。これを以下のように使った文も作れます。

le go'i cu go'i le se go'i le te go'i le ve go'i le xe go'i

「前述の x1 は( x1 )前述の通りだ、前述の x2 は前述の通り( x2 )で、前述の x3 は前述の通り( x3 )で、前述の x4 は前述の通り( x4 )だ。」

うまく訳せませんが、こうなるでしょうか。「それはそれで( x1 )、そうなるのがそうなり( x2 )、そうするのがそうなり( x3 )、そうするのがそれ( x4 )。」つまりは、前の文を繰り返しているだけですが、各 sumti が明確に表されています。前の文の何番目に来る sumti かが言い表せるのです。なので、

.i la suzyn. zgana lo nanmu goi ko'a .i ko'a melbi
「スーザンは( x1 )観察する、されるのは男性( x2 )で、これをこれから ko'a と呼ぶ。ko'a (男性)は美しい( x1 )。」

という文をこう言い換えることができます。

.i la suzyn. zgana lo nanmu .i le se go'i cu melbi
「スーザンは( x1 )観察する、されるのは男性( x2 )だ。前述の文の x2 にあたるものは( x1 )美しい。」
「スーザンは男性を観察した。そのされた方は美しかった。」

(前の文の前置詞( sumti tcita )に続く sumti を言い表すこともできるのですが、今はそこまで立ち入りません。)「~ということ」という cmavo のいくつかにも se を付けることができます。例えば、 du'u 「~ということ(考え)」です。これは selbri のようにも使われ、「~ということは( x1 )~ということだ、それを言い表すために使われる言葉は~( x2 )」というように、 x1 と x2 をつなげます。即ち、次のように言うことが出来ます。

le la jan. se pensi cu {du'u ri nelci la suzyn. kei} lu do dirba mi li'u
「ジャンの考えたこと(se pensi)は以下のこと、すなわち、彼がスーザンを好きだということ( x1 )	だ、それは以下に引用する言葉となって表現される( x2 )「あなたは愛おしい( x1 )、私にとって( x2 )」
「スーザンを好きだ、というジャンの考えは、『あなたは愛おしい』という言葉になった。」

le se du'u は、考えというよりはその思考に「使われた言葉」になります。