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Lojban For Beginners 日本語訳/修飾( tanru )の語をつなげる

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

修飾( tanru )の語をつなげる


修飾( tanru )については、今まで説明が足りませんでした。ですから、まずここでその使われ方についても見てみます。


selbri や sumti の場所には語をいくつも重ねることができます。例えば

le guntrusi'o selpeicku
「共産党宣言」

(正確に言えば、これは書名なので、la'e lu guntrusi'o selpeicku li'u と引用符をつけるのが正式ですが、ややこしい。)


まず、簡単なものから始めましょう。

xunre cukta
「赤い 本だ」


tanru (修飾)においては、最初の語が、次の語がどんなものであるのかを説明あるいは限定します。


二つ以上の語がある時には、まず最初の語が、二番目の語がどんなものであるのかを説明し、その二つの語が、三番目に来る語を説明する、というように左から順繰りにまとまって行きます。ですから、 The Complete Lojban Language について、不用意にも私が 、le barda xunre cukta 「その大きい…赤い… 本」とでも言おうものなら、「大きいような赤、そのような本」と意味不明に解釈されてしまいます。


これを避ける為の一つの方法は、14章でも学ぶのですが、論理的な接続詞を使うことです。そうすれば次のように言うことが出来ます。

le barda je xunre cukta
「大きくて、赤い本」

j に接続詞の母音をつければ、tanru (修飾)用の接続詞になるのです。

la suzyn. cinynei ro xajmi ja melbi nanmu
「全ての楽しい、あるいは美しい男性をスーザンさんは性的に好む。(楽しくて美しい、その両方でも良い。)」
注:細かいことを言えば上の文は、スーザンさんが楽しくも美しくもない男性も好むときにも成立してしまいます。ロジバンはこのあたりは厳密なので、これを避けるためには、 po'o 「~だけ」を使うか、関係文を使いたいところです。
ro nanmu poi se cinynei la suzyn. cu xajmi ja melbi
「スーザンさんが性的に好む全ての男性は、楽しい、あるいは美しい。」
しかしここではその点についてあまり厳密にせずにいきます。


スーザンさんが、面白い男と美男は相容れないと考えるなら、こうなります。

la suzyn. cinynei ro xajmi jonai melbi nanmu
「全ての楽しいか美しいか、どっちかの男性をスーザンさんは性的に好む。」


さて、ジョーティさんの好みは楽しい男性で、外見にはこだわらないとしたら、こうなります。

la djiotis. cinynei ro xajmi ju melbi nanmu
「全ての、美しいかどうかに関わりなく、楽しい男性をジョーティさんは性的に好む。」

ところで前回も見たように、このような接続詞は文の形にしても言い直せます。その場合には、 .i を接続詞に付けます。

.i la suzyn. cinynei ro xajmi nanmu .ijonai la suzyn. cinynei ro melbi nanmu
「スーザンが性的に好むのは全ての楽しい男性、あるいは
スーザンが性的に好むのは美しいか男性、そのどちらかだ。」


注:tanru の接続詞と sumti の接続詞をごっちゃにしないように気をつける必要はあります。というのも、
mi ba vitke le mi mamta .e le mi speni 
「私の母親と私の配偶者をこれから訪ねる。」
これは、以下の文とは全く違うのです。
mi ba vitke le mi mamta je speni.
「私の母親かつ配偶者である人をこれから訪ねる。」
オディプス・コンプレックスになってしまいます。しかし、 joi などの非論理的な接続詞は tanru と sumti の両方で同じ形です。 sumti を結ぶ時、その最初の sumti が冠詞と selbri の時には、その sumti に ku の終端子を付けて区切ります。これによって、 tanru ではなく sumti をつなげていることが分かります。つまり、
loi jisra joi jdacu 
「ジュースと水であるもの(混合物)」
(ひとつの sumti の中で、二つの gismu を結んでいる。)

loi jisra ku joi loi djacu
「ジュースと水」
(二つの sumti をつなげている。)
ここで loi jisra joi loi djacu と言ってしまうと、loi jisra joi まで来たところで、前の例文のように一つの sumti の中の gismu 同士をつないでいると解釈してしまい、それなのに次にloi が来るので、コンピューターは誤文と判定してしまうのです。コンピューターだけに限りません。人間でも以下のように言われたら混乱するのではないでしょうか。
lo nu xamgu xunre joi lo crino
「良い赤色であることと…緑色のもの(の組み合わせ)」