Lojban For Beginners 日本語訳/前に言った「それ、彼女、彼」を指す

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

前に言った「それ、彼女、彼」を指す

これまでは何でも名前で呼んでいましたが、これでは繰り返しが過ぎてうっとおしくなりますね。 まず、以下の文を見てください。

la suzyn. klama le barja .i la suzyn ze'a pinxe loi vanju .i la suzyn. zgana lo nanmu .i le nanmu cu melbi .i le nanmu cu zgana la suzyn.
「スーザンは( x1 )行く、行き先は酒場( x2 )。スーザンは( x1 )しばらく飲む、飲まれるのはワイン( x2 )。スーザンは( x1 )観察する、観察の対象は男( x2 )。その男は( x1 )美しい。その男は( x1 )観察する、観察の対象はスーザン( x2 )。」
「スーザンは酒場へ行く。スーザンはワインをしばらく飲む。スーザンはある男に注意を向ける。男は美しい。男はスーザンに注意を向ける。」
注: melbi について。「男が美しい」とは「美男である」ということです。 melbi は男女について使えます。男だ、と強調したければ、 melnau 「美男である」( melbi と nanmu の合成語)という言い方はできます。

上の例文のようにいちいち名称を繰り返したくない時は、どうすれば良いでしょう?英語では he,she のような代名詞を使いますね。この文の場合は一人の男性や女性しか居ないのでそれでうまく行くのですが、登場人物が増えるとややこしくなります(彼、彼女、それ、という代名詞しか持たないトルコ語や中国語口語では更にややこしくなるでしょう)ロジバンではそのために代sumtiというものがありまして、代名詞のような役割があります。

実は既に幾つかの代sumtiを見てきました。mi,do,ti,ta,tu などですね。しかしこれでは彼・彼女・それを表せません。この辺は少し込み入っておるのです。一つの方法としては過去の発言内容を参照する cmavo 群を使うことが考えられます。違う文脈でですが接したことがあるのは go'i です。

まず、 go'i 「前の文( bridi )と同じ」を考えてみます。これが表すのは「文( bridi )」です。これに冠詞を付けた le go'i は、「前の文( bridi )の一番目の体言( sumti ) x1)」を表します。用言( selbri )に le を付けると、そのx1( sumti )になりますが、そのようなものです。そこで、以下のように言えます。

la suzyn. klama le barja .i le go'i ze'a pinxe loi vanju .i le go'i cu zgana lo nanmu
「スーザンは( x1 )行く、行き先は酒場( x2 )。前の selbri の x1 は( x1 )しばらく飲む、飲むのはワイン( x2 )。前の selbri の x1 は( x1 )は観察する、その対象は男( x2 )。」
「スーザンは酒場へ行く。彼女はワインをしばらく飲む。彼女は男に注意を向ける。」

続けて、「彼は美しい。」と言いたい時の「彼」は、どうすれば良いでしょう?「男」は前の文では用言( selbri )の二番目 x2 に位置しています。これは le se go'i と言えます。

しかし前の文( bridi )の何番目の体言( sumti )だったか、数えなくても良い方法もあります。ri 「それ(直前の sumti )」を使うのです。

.i le go'i cu zgana lo nanmu .i ri melbi
「その x1 は( x1 )観察する、その対象は男( x2 )。それは美しい( x2 )。」

ri はri/ra/ru シリーズの仲間です。ra は、直前ではなくやや離れたところに位置する sumti を指す「それ」です。ru は離れた sumti を指す「それ」です。経験上 ra や ru はあまり使われないようです。それは、離れた所といっても何を指すのかあいまいで、このあいまいさは(意図的に自然言語に似せたものですが)ロジバンらしくないから、というのが一因のようです。しかし ri はよく使われます。文を言い終わってその最後の体言について新たに文を言いたい、ということはよくあることだからです。

ri は、同じ文の中でも、それに最も近い sumti (冠詞で始まるもの)を指します。

lenu lo nanmu cu dotco kei cu se djuno ri
「男がドイツのものであることは( x1 )知られていない、その男にとっては( x2 )。」
「男がドイツ人であることを、男自身は知らない。」

上の文の ri は lo nanmu を指しています。le nu lo nanmu cu dotco kei という第一番目の sumti のまとまりよりも、その一部分ですが lo nanmu という sumti のまとまりの方が近くにあるからです。

また、 ri は sumti の中に埋め込まれている時はその sumti を指しません。 例えば、

la suzyn. pinxe le ri vanju
「スーザンは( x1 )飲む、飲むのはそれのワイン( x2 )。」

この ri が指すのはle vanju ではなく、la suzyn.です。

さて、他の代名詞の仲間も見てみましょう。da 「あるもの」は、特定しない言い方です。似たものとして、 zo'e 「何がしか」がありましたね。しかしzo'e にはあまり意味は無く、あってもなくても同じで単に文法的に場所を埋めるだけに使われるのに対し、da はそれについて話している、という時の「何か、あるもの」です。

論理学者向け:da は、論理学でいうところの「存在 x 」です。

ですから、話をこう始めることもできます。

da klama le barja 
「あるものが酒場に来た。」

da は(今まで見てきた代名詞と違い)前に出てきた sumti を指すわけではありません。しかし論理的な接続詞でつなぐ文の中で使われた da は、同じものを指しますし、日常的には同じ段落の中で同じものを指せます(論理的な接続詞や段落についてはまた後ほど)。なので次のように言った時には、

da nanmu .i da klama le barja
「あるものは( x1 )男だ。あるものは( x1 )行く、行き先は酒場( x2 )。」
「ある男がいる。そのある男は酒場に行く。」

ある男とは同じ人物を指しています。 違うものを指す時は de を使い、そのまた違うことを指す時は di とします。 da や de や di は(述語論理的なので)ロジバンではよく使われます(例えばメーリングリストで言語について論じる時など)(ところで、 d に他の母音を加えた do や du はこの類ではありません。do は「あなた」だし、 du は「~と同じ」という意味だからです)。