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Lojban For Beginners 日本語訳/同一であること

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

同一であること


「これはペンだ。」と言いたい時には、

ti penbi 

と言えます。これは、 penbi が、「~はペンである」という述語(selbri)だからです。


lo penbi 「ペン」という名詞(sumti)では、そのままでは文を作れません。文には述語(selbri)が要ります。


(「これ、ペン。」は日本語では意味が通じそうですが、ロジバンでは selbri がないと文にならないのです。)


lo penbi は、 lo という冠詞を取れば、「~はペンである」というselbri になれますが、そうは行かないものもあります。


例えば、le mi ci mensi 「私の三人の姉妹」の冠詞 le を取ると、どうなるでしょう。「私」と「三人の姉妹」がばらばらになりますが、そのままでは selbri (述語) にはなりません。


sumti (冠詞のある名詞)を selbri (述語)に変えてしまうのが me です。 sumti の前に置きます。


la nik. 「ニックさん」は sumti (名詞)ですが、

me la nik.  と言えば、何かは「ニックさんだ」という selbri です。


le mi ci mensi 「私の三人の姉妹」に me を付けると、

la renas. me le mi ci mensi 

「レナは、私の三姉妹であるものだ。」

という selbri (述語)になります。


これは、つまり「レナは三姉妹の一人だ。」という意味です。


me を付けると、「~の一つだ」という意味になる、と考えて良いでしょう。


(ロジバンの過去において、 me は、「~である」という意味ではなく、「~に関係する」という意味の時がありました。それによる混乱が古いロジバン話者に見られることがあります。温かい目で見てやって下さい。)


du は、selbri (述語)で、「~と~が同じものだ」と言う時に使います。

mi du la nik. 

「私はニックだ。」


mi du la robin. 

「私はロビンだ。」


同じものなので、 sumti の位置を入れ替えても意味は変わりません。

la robin. du mi

「ロビンと私は同一人物だ。」



「~の一人」という意味はないので、

la renas. du le mi ci mensi

とは普通なら言えません。 「レナと私の三人の姉妹は同一人物だ。」という意味不明の文になってしまいます。


さてここで、

mi du lo prenu

と言えるでしょうか? lo prenu とは、人全体を表します。


答えは、言えます。しかしこの場合は、 lo prenu は「人全体」ではなくて、「私という人」を指しています。 lo の定義は、「少なくとも一つのもの」であり、この場合は、「私という一人の人が私と同一人物だ」、と述べているわけです。

du というのはだいたい数学のイコールや、「~と~は同じものだ」と説明するものとして使われます。「私は人だ」と言いたいなら、

mi prenu 

と言えば良いのです。


po'u は、pe や po のように、sumti に sumti をつないで、説明を加えます。しかしそれは、 sumti 同士が関係していることを表す( pe )のでもなく、所有されていることを表す( po )のでもなく、同一のものである、ということを表します。

la ranjit. po'u le pendo be la djiotis. vi zvati

「ジョテイスの友人であるランジットならここにいる。」


po'u には、 pe や po や po'e と同じように、限定しない版の、 no'u があります。何人ものランジットがいる中で、「ジョティスの友人であるランジット」と限定したいわけではなく、単に説明を加えたいだけなら、 no'u が使えます。

la ranjit. no'u le pendo be la djiotis. vi zvati

「ランジットは、ジョティスの友人で、ここにいる。」あるいは「ジョテイスの友人のランジットがここにいる。」


no'u は、 noi du と言い換えられます。

po'u は、 poi du と言い換えられます。


no'u や po'u は、「またの名を」示す時に良く使われます。

la suzyn. penmi la xumske fanza ku no'u la jan.

「スーザンは、「化学厄介」つまりジャンに会う。」