コンテンツにスキップ

Lojban For Beginners 日本語訳/場所の変更

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

全ての場所を埋める必要がないことや、最後の場所は言わなければ省略されるということは学習しました。しかし更に、他の場所を省略するやり方があります。 単純なやり方としては、不必要な場所を「zo'e」で埋めることができます。要するにそこは重要でないということです。なので「la suzyn. klama la paris. la berlin. zo'e le karce」は「スーザンはパリに、ベルリンから車で来た」という意味になります。そして実は何かgismuだけを発した時、いつもzo'eが暗示されていることになります。だからもし「klama」とだけ言ったなら、正確にはそれは

zo'e klama zo'e zo'e zo'e zo'e

という内容を表します。でも全部言うなんて馬鹿げていますね。

注: selbri を1つだけ含み、かつ sumti を含まない bridi は、ロジバンでは特別な規則が適用されます。そのような bridi の使い方は観察法と呼ばれ、「詳細には言及せず、今起きていることを観察して表現する」という役割を持ちます。だから例えば「fagri」と言ったときそれが意味するのは「燃えている!」であって「私の家が火事だ」とか「コンロで鮭を弱火で炙った」とかでは決してありません。同じく、「karce」と言ったときに意味するのは「車!」であって絶対に「これはホンダが開発した天然ガスで動く新型のセダン車で、車体に環境保護を訴えるステッカーを貼っている」というような内容ではありません。
観察法は赤ちゃん言葉のように単純です。というかそれをモデルにこの規則は設定されました。あと、観察法も正式な selbri であり、動詞か名詞かという情報を確定しないということを覚えておいてください。だから「klama」と言った時には、「行け!」(命令の仕方は別にあって、後で学びます)ではなく「行っている!」または「行く人!」を意味するのです。もっと近いニュアンスとしては「判断するに、誰かが行っている!」またはただ「行!」のような意味合いが考えられます。そして「klama」の「判断するに、誰かが行っている!」と「karce」の「判断するに、車だ!」の間には真の違いなどないのです。

zo'eは幾つ使ってもよいのですが、普通は多用しません。場所をいじくるもっと一般的なやり方は、「fa」「fe」「fi」「fo」「fu」の付箋を使うことです。これらは sumti に対して、selbri の特定の場所に入ると印づけする役割があります。fa は「それがx1に入るぞ」という標識、fe は「それがx2に入るぞ」という標識、以下同順、なので例えば「klama(x1はx2(終点)にx3(起点)からx4(経路)をx5(方法)で行く/来る)」を使うと、

la suzyn. klama fu le karce
スーザンは車で行った

という言い方ができるようになります。fu が klama の5番目の場所だと印づけしたために、こういう意味になったのです。もし fu がなければ、「スーザンは車へ行った」という意味になります。
そして付箋で標識した後は、またそこから順番通りに並んでいきます。つまり、

la susyn. klama fo la .uacintyn. le karce
スーザンはワシントンを経由して車で行った

という文が作れるのです。「la .uacintyn.」が「fo」により klama の4番目になったので、「le karce」はそこからの順番通りに5番目だという解釈です。
付箋により自由に場所を換えれます。

fe le cukta cu dunda fi la klaudias.
その本はクラウディアへと与えられた。

「le cukta(本)」は dunda の2番目、つまり贈与物であり、「la klaudias.」は dunda の3番目、つまり受け取る人である、というような場所の変更が起きました。
繰り返しになりますが、あまり多用しないようにしましょう。でないと何番目か数えるのに一々手間取ることになります。(ロジバンで詩を書くときは重宝するんですが。)
そして最後のやり方が「転換」です。実際には selbri の場所同士を交換することを言います。これは別の章でやります。
結局、順番を変えたいときにどれを使わねばならないという規則はありません。聞き手が理解できる範囲でなら、どのやり方をしても、また組み合わせてもよいのです。