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Lojban For Beginners 日本語訳/正当的な理由・論理的にもたらすもの

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

正当な理由・論理的にもたらすもの


正当な理由と動機づけるものの区別はつきにくい時もありますが、正当な理由とは、何か基準や規則があって、それに適っているものです。動機づけるものは、基準や規則にのっとっているとは限りません。サリーと先生の話に戻ると、

la salis. te dunda lo tartcita le ctuca mu'i lenu sy. tcetoi gunka
「サリーは星の印を先生からもらう、それを動機づけるのは、サリーがとても試して働くこと。」
つまり、
「サリーが星の印を先生からもらうのは、サリーがとても頑張るから(、それが動機だよ)。」


サリーが頑張ったことが、先生が星(几帳面に「星の印」としましたが)を与える動機となったことは分かります。しかし、先生が「よくできました」と星を与えるのが習慣で、それが決まりだから、ということは分かりません。そこで、 krinu ( x1 (~ということ)は x2 (~ということ)を許容する正当な理由だ)の出番です。sumti tcita は ki'u 「その正当な理由は~」となります。 ですから、精確にはこう言えます。

lenu la salis. tcetoi gunka cu krinu lenu le ctuca cu dunda lo tartcita sy.
「サリーがとても試して働くことは、先生が星の印を彼女に与えることの正当な理由になる。」
つまり、
「サリーが頑張ることは、先生が星の印をあげる正当な理由になる。」


あるいは最初のようにこうも言えます。

la salis. te dunda lo tartcita le ctuca ki'u lenu sy. tcetoi gunka 
「サリーは星の印を先生からもらう、その正当な理由は、サリーがとても試して働いたこと。」
つまり、
「サリーが星の印を先生からもらったのは、サリーがとても頑張ったから(、それが正当な理由だよ)。」
( ki'u 「その正当な理由は~」 は、ku'i 「しかし」と形が似ているので、要注意です。)


さて、正当な理由になる基準は、あくまでも人間の習慣や決まり事による基準です。論理的な必然ではありません。生徒が星をもらうことは、その生徒が頑張ったということが論理的に必然的にもたらすものだ、と考える人がいるとしたらよっぽどうぶな生徒でしょう。


しかしウサコの悲しい件に関しては、ウサコがうさぎであることから論理的な必然としてウサコは長くは生きられない、と言えます。うさぎは長くは生きないことを考えるとそうです。ここでは nibli ( x1は x2 (~ということ)を x3 (法則や論理や体系において)必然的に意味する、もたらす)を使い、以下のようにします。

lenu la .usakos. ractu cu nibli lenu .ubu. mrobi'o
「ウサコがうさぎであることは、ウサコが死ぬことを論理的に意味する。」

うさぎは短命だ、の部分を抜かして、あえて簡略化しました。教科書的に論理的な例文が欲しければこうです。

la .usakos. ractu .ije ro ractu na'e ze'u jmive .i la .usakos. ni'i na ze'u jmive
「ウサコはうさぎだ、そして、全てのうさぎは長くは生きない。ウサコは、論理的に、だから、長くは生きない。」

この文では、二つのことが言われています。


一。ウサコはうさぎ、そして、全てのうさぎは長くは生きない。


二。ウサコは、論理的に、だから長くは生きない。