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Lojban For Beginners 日本語訳/終端子

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

先へ進みましょうと言いたいところですが、前回の授業でやり残したことがまだあります。わざわざ授業を設けて解説する訳は、これがまた新しい一連の問題を生むからです。

ロジバンで日付を言うときには、その日付が意図される場所を特定しなければなりませんでした。例えばニール=アームストロングが月へ降り立った瞬間は、地球のどこでも7月21日という訳ではありませんでした。東京ではそれはほぼ22日の話でした。なのでもしその日付がヒューストンの時刻であるということを明示したいのでしたら、detri の x3 を埋めねばなりません。ということはそれは単純に表現できそうですね。

li repa pi'e ze pi'e pasoxaso cu detri lenu lo remna cu klama le lunra la .xustyn.

じゃあこれでいいのでしょうか。

実は間違いです。もう1度文章をよく見てください。アームストロングがヒューストンから月に行ったと我々は言ったことになっていないでしょうか?じゃあこれならどうでしょう。

li repa pi'e ze pi'e pasoxaso cu detri lenu lo remna cu klama le lunra la .xustyn.

また問題が生じました。この文では la .xustyn. はどの selbri に入るのでしょうか。klama? それとも detri?

この類の曖昧性は自然言語にとっては新しい問題ではありません。話では間を置き、文では句読点を置くことで解決を図っていますね。

ロジバンでそういうことの代わりに使う技があるのですが、それはいわばロジバンの「セールスポイント」となっています。ロジバンでは「終端子」を使うのです。これは言葉の集まり、すなわち句が終わる場所を示します。数学で使うカッコのようなものと思って構いません。同じ目的を果たしてくれるのです。なのでロジバンでは、長さが事前に分からない構造が始まるときはいつでも終端子が構造の終わりにあるのです。これがロジバンを統語論的に非曖昧にしてくれる要因なのです。

  • le や loi のような冠詞が sumti を開始するときにはいつでも、ku が終了させる。つまり sumti の終了を示す。
  • 数字の連なりが開始したならいつでも boi が終了させる。
  • 一連の sumti が selbri に続くとき、vau が終了させる。つまり bridi の終了を示す。
  • nu が(bridi の中に別の bridi が入れ子になっている)抽象を開始したときはいつでも kei が終了させる。

ということはすなわち、月面着陸に関するあの文の正しい形は、月面着陸のようにきちんと計画されたものだということです(明瞭化のために中括弧を使い、li に対応する終端子 lo'o を巧みに挿入しました)。

[{li [repa pi'e ze pi'e pasoxaso boi] lo'o} cu detri [le{nu [{lo
remna ku} cu klama {le lunra ku} vau] kei} ku] la xustyn. vau]

kei は la xustyn. の前に来ます。これは、la xustyn. が klama の sumti とはならないということです。別の言い方をすれば、kei が klama の場を文の残り(と detri の場)から遮断したということです。なので la xustyn. はメインの selbri である detri の sumti になります。

今までの文に終端子が出てこなかったことに不思議を覚える読者がいるかもしれません。それは、ロジバンはやはり人に話されるよう意図されたものだからです。一文内のどんな構造も1つ1つ追っていくことは全ての人間に期待される理性的行動かもしれませんが、実際には労務でしかありません。なので言葉の連なりが非曖昧な構造になっていた場合には、終端子は省けるのです。

例えば文内に cu が出てきたときを考えましょう。次に来るのが selbri だと判明し、その前の sumti は終了する訳ですから、そこに入れるはずだった ku が省けることになるのです(そういえば、自然言語では名詞の終わりより動詞の始まりの方が極めて重要な切れ目なので cu が最初に紹介されたのです)。そして、文が新しく始まる際にあるいは最も明瞭にロジバンらしい言葉「.i(有声句点)」により始められた場合は、古い文の sumti はもう現れれないので vau が省けるのです。実は、普段のロジバン文に終端子が現れるのは、上で見たように曖昧性が潜んでいるときだけなのです。なので先の文の言いかえとしては、以下の2つのようなものが考えられるでしょう。

li repa pi'e ze pi'e pasoxaso cu detri {lenu lo remna cu klama le lunra la .xustyn.}
(ヒューストンから月へ行った日付)

li repa pi'e ze pi'e pasoxaso cu detri {lenu lo remna cu klama le lunra kei} la .xusryyn.
(ヒューストン時刻で月に行った日付)
注:所有に関するやっかいだった授業(第3章 所有格)を思い出してください。その時はまだ「le tamne pe le ninmu klama」の語順を入れ替えることが出来なかったのですが、もう出来ますね。曖昧性を打開するために必要なのは ku です。「le le ninmu klama ku tamne」は「その女性旅行者のいとこ」、「le le ninmu ku klama tamne」は「その女性の、来るいとこ」と訳し分けれるようになりましたね。

しかし殆どのロジバン話者は、 ku を挿むことにはそんなに苦心するほどの重要性もないと考えているので、含み主 sumti が1語から成るとき以外に ku を見かけることは少ないでしょう。