宗教学/神話学
神話学とは、文字どおり神話を研究する学問であるが(例えばw:神話学を参照せよ)、神話が世界各地ごとに伝えられているため、その内容は多岐に渡り、統一的な見解を見出すのは難しい。
個々の神話については各論のページに委ねるとして、このページでは多くの地域の神話に見られる比較的に広範に渡って共通している傾向があればそれを記述するに留める事とする。
神話の基本的な知識
[編集]小中高で習うような常識的な説明については省略する。
ここでは、小中高では習わない事項について、専用ページをつくるまでの事ではない雑多な事について、軽く説明する。
また、読者は主に日本人と想定して説明する。外国人に合わせた説明については、英語版のwikibooksなど、各国語版のwikibooksを参照されたし。
また、個別具体的な宗教の教義や、具体的な各国・各地域の神話については、本ページでは言及しない。本ページでは概要や、関連する宗教を含めた全体像的な視野を提供する事を目的としたい。
個別具体的な各宗教については、それぞれの文献を参照されたし。
また、主に1000年以上前から存在するような(つまり中世以前の)古い神話や宗教について、話題を限定する。現代生まれつつある神話などに話を広げると際限が無いので、現代の話は省略する。
20世紀以降の天使学などの本を読んだりすると、書籍によっては、たとえばアメリカン・コミックのバットマンなどすら、現代生まれつつある神話の一例として紹介するような書籍もあったりするが、しかし、そういう話題には際限が無いし、現時点ではまだ時代の篩(フルイ)を経ては淘汰・検証されていないので、本wikiの本ページでは、そういった現代的な物語の話題については言及を避ける。
たとえば参考文献 吉田敦彦『面白いほどよくわかる 世界の神々』を読んでも、扱われている神は古代〜中世の時代に知られていた神々ばかりである。本ページもそういう執筆に準じて、主に古代〜中世までに知られていた神話の内容を扱う事とする。
個々の神々の具体的な情報については、ウィキブックスよりもウィキペディアの記事を読むのが良いだろう。
一神教と多神教
[編集]日本では、神は1人ではなく(正確には、神は人ではないので、多神教の神を数える単位は「柱」である)、国生みの神だけでもイザナギノミコト(略称: イザナギ)とイザナミノミコト(イザナミ)の2人である。
そして、古事記などにもあるように、国生みの神が、子として多くの別の神々を生み出した。
このように、神が1人(1柱)よりも多い宗教のことを「多神教」という。
一方、キリスト教やユダヤ教やイスラム教は異なり、宗派にも寄るが、神は基本的に一体だけである。キリスト教やユダヤ教の神の名は、「ヤハウェ」や「エホバ」と言われる。古いヘブライ語には子音が無いので、現代人は古文書などから発音を類推するしかなく、そのため神の名の表記が文献によって異なる。
キリスト教などで、聖母マリアに天使ガブリエルが子としてキリスト教を身ごもったことを伝える受胎告知をしたりするが、天使ガブリエルは神ではなく、神の単なる手下である。なので、天使と神の立場は対等ではない。
ただし、キリスト教の学説のひとつである三位一体説(さんみ いったいせつ)では、神とキリストは同一人物であるという立場である。決して神の他にキリストという同格の神がいるわけではなく、キリストと神は同一人物の別側面であるとするのが三位一体説の考え方であるので、一神教の教義には反しないとされる。
異教の神は悪魔になることも
[編集]日本のような島国では分かりづらいが、異教の神を、悪魔呼ばわりする宗教は多い[1]。
たとえば、キリスト教やユダヤ教はある時期、ウガリット神話[2]の神である「バアル」を、巨大な蝿の形をした悪魔「ベルゼブブ」と呼んでいた[3]。ユダヤ教徒などは、異教の神バアル・ゼブルを、もじって「バアル・ゼブル」(蝿の神)と呼び、腐敗や死をもたらす大悪魔として蔑んでいた時機がある[4]。
しかし皮肉のなことに、バアル信仰は神を「王」、「主」と言う点や、生贄の儀式を行うなど、当時のユダヤ教の信仰形態とも共通点が多い。これはその地域の土着の文化が共通しているからであろうと考えられている。このように古代の神話や宗教は土着の信仰をもとにしている[5]。
また、キリスト教は、シュメール系の女神で「イシュタル」や「アスタルテ」などとも言われる女神イナンナを、大悪魔「アスタロト」などと呼んだりして蔑んでいた時機もある。(なお悪魔ではなくギリシア神話の女神だが、ギリシア神話のアフロディテの原型はイナンナであろうという説も有名である[6]。)
キリスト教以外にも、似たような事例はある。たとえば、ヒンドゥー教における象の顔をした「ガネーシャ」という神がいるが、スリランカには象の顔をしたギリメカラという悪魔がいる。これもまた、おそらく異教の神であるインドの神の1人であるガネーシャを、スリランカの宗教が嫌って悪魔と呼んだと思われる。
仏教など海外の宗教を比較的に気軽に取り入れた日本では分かりづらいが、海外では上記のように異教の神を悪魔とする事も多い。このため、海外の古典的な宗教や神話を学ぶ際には注意が必要であり、決して一つの神話だけを学問上の根拠にしてはならない。
このような現象の起きる背景としては、神話はその民族のアイデンティティであるからである[7]。よって神話といえども、その内容は、民族の実際の歴史に影響をされる事は多い。
逆のパターンとしては、エジプト神話の女神の一柱であるイシスについて、異国であるギリシア神話がイシスを好意的に扱っている[8]。
神は模範ではない
[編集]古事記における日本の神は、比較的に日本人にやさしい。
しかし、世界各地では、聖書などの経典にいる神であっても、たとえばキリスト教の神がノアの洪水で人類を大幅に殺すように、必ずしも人間には、やさしいとは限らない。(なお、日本の神では、古事記ではなく民間伝承に伝わっている神の中には、古来はイケニエを要求したとされる神もいるが、置いておく。)
仏教では、仏(ほとけ)は、悟りを目指すために人間が目指すべき理想とされている。しかし、基本的に神は、仏ではない。(ただし、日本の仏教と神道の特殊事情は除くとする。)
当然ながら、(たとえばキリスト教やユダヤ教の)神にとっては人間の考えた道徳に従う理由は無い。どの地域であっても、神は人間の手下ではないからだ。
このため、神が、人間の手本になる必要すらない。なぜ、家庭教師でもないのに、いちいち神が人間ごときの手本にならねばならぬというのだ?
実際、北欧神話では、多くの人間が神と、対立・敵対していく。北欧神話では神々が、対立する「巨人」たちと勢力を争うのだが、伝統的な勢力の神々は次第に人間の信仰を集められなくなり、人間たちの中には心が巨人になびいていく者も増えていき、神は人と対立していく傾向にある[9]。
このように北欧神話の世界観は、善と悪の対立ではなく、保守と革新の対立である。
北欧神話のこのような性質のため、登場する神の中には、性格が人間に近い者もいる。神のうち、不思議なな力をもっているものん、性格が狡猾だったり弱かったりして、騒ぎを起こす者のことを「トリックスター」という[10]。トリックスターとは、いたずら者とかペテン師とかという意味である。北欧神話の神ロキがトリックスターの代表例としてよく語られるが[11]、他の地域の別神話にもトリックスターはよく見られる。
必ずしも、すべての神話が、善と悪の対立ではない。なお、世界には善の神と、悪の邪神または大悪魔のような対立存在があるとする世界観のことを「善悪二元論」という。キリスト教の異端のグノーシス主義[12]やマニ教やゾロアスター教[13][14]などが善悪二言論である[15][16]。
哲学者のニーチェは、キリスト教以外の宗教もよく研究しており、善悪二元論という分析概念を提唱したのもニーチェであるとされる。
なお、ニーチェはゾロアスター教も研究しており、ニーチェの著作「ツァラトゥストラはこう語った」にあるツァラトゥストラとは、ゾロアスターのドイツ語読みの発音である。
このようなゾロアスター教と、今や世界的な大宗教ともなったキリスト教との類似性から、宗教学研究ではゾロアスター教やその前後の中東周辺の神話も関心がもたれた事もあったが、しかし現代では文献の多くが消失してしまったりして不明点も多く、なかなか研究が進まないという実情もある。
ギリシア神話の神はキリスト教ではない
[編集]話題がヨーロッパに限定されるが、ギリシア神話のゼウスやアポロンなどの神や、あるいはヘラクレスなどの英雄は、キリスト教やユダヤ教とは異なる。 中世のルネサンス期のヨーロッパではギリシア神話が再興したが、これはキリスト教以外の宗教(であるギリシア神話)が再興した事になる。
キリスト教の教義では、本来なら、異教であるギリシア神話の神を崇拝することは望ましくないかもしれないが、おそらくは布教などの都合のためか、ギリシア神話を黙認したというわけであろう。
なお、決してヨーロッパ全ての古代の信仰がギリシア神話なわけではなく、イギリスやアイルランドなどはケルト神話であるし、ロシアおよびロシアよりの東欧地域では北欧神話である。
イギリスの古典文学のアーサー王伝説は、ケルト神話を基にしているとも言われている。一説にはアーサーに仕える配下の騎士として書かれる登場人物も、神話の影響を受けた人物だと言う説もある。
古代ヨーロッパを支配したローマ帝国が神話としてギリシア神話を採用したので、ギリシア神話はヨーロッパ各地に広まったが、しかし決してギリシア神話だけが古来の神話ではない事に注意する必要がある。
異教の神をまねる場合もある
[編集]たとえば、シュメール神話には女神で「イナンナ」(地域によってはイシュタル、アスタルテなどとも言う)という神がいて、愛や美や豊穣のほか、戦闘をつかさどる女神である[17]。
一方、ギリシア神話にいる女神アテナも、女神なので当然に女性的・母性的であるが、戦闘をつかさどる[18]。なお、ギリシア神話のアフロディーテは、美をつかさどる。
女性の形をした女神が、愛や美をつかさどるといのは、あまり珍しくなく、他の地域でも似たような傾向が見られるが、しかし戦いをつかさどる女神というのは、比較的に珍しく、他の地域では男性神が戦いをつかさどっている場合も多い。
このように、シュメール神話とギリシア神話は、別々の神話でありながら、ところどころ部分的に似たような性質をもつ神がいて、おそらくは少なくともどちらか片方の地域が真似したのだろうと思われる[19]。実際、イナンナとアフロディーテを同一視する見解もよく知られている[20]。(なおユダヤ教からは、イナンナは「バビロンの大淫婦」と罵られている[21]。)
さて、ローマ神話の神がギリシア神話と性質が似ているのは、単にローマ帝国がギリシア神話をほぼそのまま採用した結果である。ギリシアの都市アテネに名の近い女神アテナが、そのままだと異国であるイタリア系のローマには不都合からか、ローマ神話では対応する女神の名がミネルヴァに、名称を変更されているといった若干の差異はあるものの、ローマ神話はほぼギリシア神話を踏襲して採用した。
ゾロアスター教の神々および同時代の古代ペルシアの神々は、インド神話と同根であると考えられている。ゾロアスターの最高神アフラマズダはインドの司法神ヴァルナに相当し、ペルシアの水の女神アナーヒターはインドの河の女神サラスヴァティに相当するとされる[22]。
また、インドの雷神インドラの戦神としての性質を、ゾロアスター教のウルス・ラグナが受け継いでいるとされる[23]。
このほか、日本や中国に伝わった仏教は、ヒンドゥー教などのインドの神を取り入れている。仏教については既に中学校・高校で教養として習っているだろうから、本ページでは説明を省略する。
その他、時代はやや下る事例だが、中国古典文学の『西遊記』の孫悟空は、ヒンドゥー教の猿の獣神ハヌマーンを模倣したのだろうという説も有名である[24]。
世界の多くの地域の神話で、神話の始まりのほうに、神が大地をつくる話が出てくる事が多い。大地をつくるその神は普通は女性である事が多く(日本神話は例外だが)、このように大地をつくる女神のことを大地母神という[25]。
そしてその大地母神は、農業における豊穣を司る神である場合も多く、エジプト神話のイシス、ギリシア神話のデメテル、メソポタミア神話のイナンナ、ケルト神話のゲヌなど、例は多い[26]。
妖精や妖怪、魔獣など
[編集]ヨーロッパの各地に妖精(ドワーフなど)や、ユニコーンなどの魔獣などの言い伝えがあるが、
これはキリスト教が伝わる以前の宗教の神話に登場する神や、その使いの魔物、あるいはそれらの神に対立する悪魔など、キリスト教以前の神話の登場人物であるという説もある。
具体的には、ケルト神話の妖精は、ケルトの地の神であったという説もある。
参考文献
[編集]- 吉田敦彦 監修、森美与子 著『学校で教えない教科書 面白いほどよくわかる世界の神々』、日本文芸社、平成19年9月30日 第1刷発行、
- 池並正太 著『オリエントの神々』、2006年 12月26日 初版発行、