正気の歌
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本文
[編集]一段目
[編集]原文 | 書き下し文 | 訳 |
天地有正氣 | 天地に正氣有り | 天地には正気(せいき)があり、 |
雜然賦流形 | 雜然として流形を賦す | 混然として形を持たず(この世界に)ある。 |
下則為河嶽 | 下っては則ち河嶽と為り | 下に行けば河や山岳に為り、 |
上則為日星 | 上っては則ち日星と為る | 上に行けば日星に為る。 |
於人曰浩然 | 人に於いては浩然と曰う | 人に於いて(正気が発揮される場合は)浩然の気と言う。 |
沛乎塞蒼冥 | 沛乎として蒼冥に塞(み)つ | 大いに天地に満ちている |
皇路當清夷 | 皇路清夷に當たれば | 大いなる道が清らかで太平な時は |
含和吐明庭 | 和を含んで明庭に吐く | 和やかに明るい朝廷(つまり不正などが行われていない健全な朝廷)に吐き出される。 |
時窮節乃見 | 時窮すれば節、乃ち見れ | 動乱の時代になれば、(正気を元とした)節義が顕れ、 |
一一垂丹青 | 一一丹青に垂れる | 一つ一つ、歴史に残る。 |
二段目
[編集]この段は前段の一一垂丹青を受けて、正気が顕れた歴史的事実を並べてある。その事柄に関しては後述の注釈を参照。
原文 | 書き下し文 | 訳 |
在齊太史簡 | 齊に在っては太史の簡 | 斉では太史の竹簡。 |
在晉董狐筆 | 晉に在っては董狐の筆 | 晋では董狐の歴史を書く筆。 |
在秦張良椎 | 秦に在っては張良の椎 | 秦では張良が投げさせた鉄鎚。 |
在漢蘇武節 | 漢に在っては蘇武の節 | 漢では蘇武の符節。 |
為嚴將軍頭 | 嚴將軍の頭と為り | 厳顔将軍の頭と為り |
為嵆侍中血 | 嵆侍中の血と為る | 嵆侍中の血と為る |
為張睢陽齒 | 張雎陽の齒と為り | 雎陽を守備していた張巡の歯と為り |
為顏常山舌 | 顏常山の舌と為る | 常山を守備していた顔杲卿の舌と為る |
或為遼東帽 | 或いは遼東の帽と為り | 或いは遼東の管寧の帽子と為り |
清操厲氷雪 | 清操、氷雪よりも厲(はげ)し | その清らかな節操は氷雪よりも厳しい。 |
或為出師表 | 或いは出師表と為り | 或いは出師表と為り |
鬼神泣壯烈 | 鬼神も壯烈に泣く | 鬼神も壮烈に泣く |
或為渡江楫 | 或いは江を渡る楫と為り | 或いは長江を渡る際の楫(かじ)と為り |
慷慨呑胡羯 | 慷慨、胡羯を呑む | その意気は異民族の羯を呑んでかかる。 |
或為撃賊笏 | 或いは賊を撃つ笏と為り | 或いは賊を撃つ段秀実の笏と為り、 |
逆豎頭破裂 | 逆豎の頭は破裂す | 反逆者の頭は破裂する |
三段目
[編集]原文 | 書き下し文 | 訳 |
是氣所磅礴 | 是れ、氣の磅礴する所 | これらの歴史の事象は正気が噴出する所であり、 |
凛烈萬古存 | 凛烈として萬古に存す | 永遠に残る。 |
當其貫日月 | 其の日月を貫くに當たりては | 正気は日月さえ貫き、 |
生死安足論 | 生死、安くんぞ論ずるに足らん | 生死などは論ずるに足りない |
地維賴以立 | 地維、賴りて以って立ち | 大地は正気によって存在し、 |
天柱賴以尊 | 天柱、賴りて以って尊し | 天は正気によって尊いとされる |
三綱實系命 | 三綱は實に命に系り | 三綱(君臣・親子・夫婦の人倫の三つの大綱のこと)も正気によってその命を与えられたのであり、 |
道義為之根 | 道義、之を根と為す | 道義は正気を根幹とする。 |
四段目
[編集]原文 | 書き下し文 | 訳 |
嗟予遭陽九 | 嗟あ、予は陽九に遭い | ああ、私は亡国に遭い、 |
隷也實不力 | 隷は實に不力也り | 私は(国を救うために)実に努力が足りない。 |
楚囚纓其冠 | 楚囚、其冠を纓び | 私は捕虜となっても、南宋の家臣であり |
傳車送窮北 | 傳車、窮北に送らる | 護送車によって極北(この場合は大都)へ送られる |
鼎鑊甘如飴 | 鼎鑊、甘きこと飴の如き | 釜茹でにされることも飴のように甘いのに、 |
求之不可得 | 之、求むるに得べからず | 之を求めても得られない |
陰房闃鬼火 | 陰房に鬼火は闃かに | 暗い牢屋は静かで鬼火が出て、 |
春院閟天黑 | 春の院は天に閟ざして黑し | 春の院(牢屋)は天に閉じていて(天井があって)真っ黒である。 |
牛麒同一皂 | 牛と麒は一皂を同にし | 牛(他の囚人)と麒麟(文天祥)が餌箱を同じにし、 |
鷄棲鳳凰食 | 鷄棲で鳳凰は食らう | 鶏(他の囚人)小屋で鳳凰(文天祥)が飼われている。 |
一朝蒙霧露 | 一朝、霧露を蒙らば | もし、(この牢屋の)悪い空気や冷たい露に晒されてしまえば、 |
分作溝中瘠 | 溝中の瘠と作らんを分(ぶん)とす | 死体になる事を覚悟しなくてはならない |
如此再寒暑 | 再び寒暑、如くの此し | (このような悪条件の中で)夏冬が二回過ぎたが、 |
百沴自辟易 | 百沴、自ら辟易す | 病魔・悪鬼は近寄ってこない |
嗟哉沮洳場 | 嗟哉、沮洳の場も | ああ、ぬかるんだこの場も |
為我安樂國 | 我が安樂の國と為らん | 私には楽園になる。 |
豈有他繆巧 | 豈に繆巧有らんや | (このようになるのは)どうして私が何か策を施したのであろうか。(いや、私が何か策を持っていた訳ではない) |
陰陽不能賊 | 陰陽も賊するあたわず | 陰陽も(私の体を)損なうことが出来ないのは、 |
顧此耿耿在 | 顧てこの耿耿在り | 顧みて、この耿耿としたもの、すなわち正気が在るからである。 |
仰視浮雲白 | 仰ぎ視て浮雲白ければなり | 仰ぎ見て浮いている雲のように(私の精神が)白いからである。 |
悠悠我心悲 | 悠悠として我が心は悲しむ | 悠々として私の心は悲しみにくれる。 |
蒼天曷有窮 | 蒼天、曷ぞ窮み有らん | 蒼い空は窮みが在るのだろうか。 |
哲人日已遠 | 哲人、日に己に遠く | 哲人がいた頃は既に遠い昔だが、 |
典刑在夙昔 | 典刑は夙昔に在り | 人間の模範は昔にある。 |
風檐展書讀 | 風檐に書を展げて讀めば | 風が吹く軒で(哲人たちの)書物を広げて読めば、 |
古道照顏色 | 古の道、顏色を照らす | 古の道(哲人たちの正気が表現された様)が私の顔を照らしてくれる。 |
注釈
[編集]- 正気 - 世界(天地人)の精気、正しく美しい姿の源。
- 流形 - 定まった形が無い事。
- 沛乎 - 盛大に。
- 蒼冥 - 天地。
- 丹青 - 歴史書のこと。
- 斉に在っては太史の簡 - 春秋時代の斉で宰相の崔杼がその君主を殺した際に太史(記録係)が「崔杼、その君を弑す。」と書いて、怒った崔杼に殺された。しかし太史の弟が同じ事を書き、また殺され、更にその弟が同じ事を書いたに至って崔杼も記述を止めさせる事をあきらめた。
- 晋に在っては董狐の筆 - 春秋時代の晋の宰相・趙盾は甥が君主を殺した際に、その甥を誅しなかったので趙盾が君主を殺したと書かれた。
- 秦に在っては張良の椎 - 秦の始皇帝を張良が鉄鎚を投げて暗殺しようとした。
- 漢に在っては蘇武の節 - 前漢の蘇武は匈奴に使者として赴いた時に囚われ、十数年囚われたままだったが、決して使者の証である符節を離そうとはしなかった。
- 厳将軍の頭と為り - 後漢末期、劉備が劉璋の勢力圏へ侵攻したときに、劉備の部下張飛の軍に囚われた劉璋の部下厳顔は、張飛が「何故すぐに降伏しなかったのだ!」と言ったのに対して「我らには頭を絶たれる将軍はいても頭を垂れる将軍はいないのだ。」と答えた。
- 嵆侍中の血と為る - 西晋の嵆紹(けいしょう、役職が侍中。嵆は禾編に犬を書いてその下に山)は八王の乱の際に恵帝を庇って矢に射られて死に、その血が恵帝の服にかかった。恵帝が無事な所まで逃げた後で、家臣が恵帝の服を洗おうとしたところ「此れは嵆侍中の血だ。洗わないように。」と言った。
- 張雎陽の歯と為り - 唐の安史の乱の際に雎陽を守っていた張巡は激しく歯噛みしながら防衛戦を戦ったために歯がほとんど砕けたと言う。
- 顔常山の舌と為る - 安史の乱の際に常山を守っていた顔杲卿(がんこうけい)は安禄山に捕まった後、臣従を求められたが、逆に安禄山を罵ったので舌を抜かれて殺された。
- 或いは遼東の帽と為り - 三国時代の管寧(かんねい)は戦乱を避けて遼東へ移り住み、魏の顕職に就く事を要請されても受けずに清貧に甘んじた。粗末な黒い帽子をいつも被っていた。
- 或いは出師表と為り - 三国時代の蜀の諸葛亮は魏へ北伐を行う際に出師表を奉り、周囲を感動させた。
- 或いは江を渡る楫と為り、慷慨、胡羯を呑む。 - 五胡十六国時代の東晋の将軍・祖逖(そてき、逖はしんにょうに火)は後趙への遠征で長江を渡る際に「後趙を倒さない内は再び長江を渡らない」と宣言した。胡は異民族のこと、羯は後趙を立てた民族。
- 或いは賊を撃つ笏と為り、逆豎の頭は破裂す。唐の朱泚(しゅせい、泚はさんずいに比)が反乱を起こした際に、段秀実は説得に行き、朱泚の気持ちが変わらないと見ると持っていた笏で、朱泚の頭を叩き割った。
- 陽九 - 易で亡国を意味する。
- 楚囚、其冠を纓び - 春秋時代・戦国時代の楚では他の国とは冠の紐の結び方が違い、捕虜になった場合もそのままにしてあった。文天祥が元に捕まっていてもあくまで宋の家臣であると言うことを表している。
- 百沴 - 全ての病気の元、病魔。
- 沮洳 - ぬかるみ。
この文章について
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