ガリア戦記 第2巻

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 C IVLII CAESARIS COMMENTARIORVM BELLI GALLICI 

 LIBER SECVNDVS 

ガリア戦記 第2巻 目次

ベルガエ人同盟との戦役:

ネルウィイー族らとの戦役:

アトゥアトゥキー族との戦役:
ガッリア平定とカエサルの凱旋:

01節 | 02節 | 03節 | 04節 | 05節 | 06節 | 07節 | 08節 | 09節 | 10節
11節 | 12節 | 13節 | 14節 | 15節
15節 | 16節 | 17節 | 18節 | 19節 | 20節
21節 | 22節 | 23節 | 24節 | 25節 | 26節 | 27節 | 28節
29節 | 30節 | 31節 | 32節 | 33節
34節 | 35節 |



ベルガエ人同盟との戦役[編集]

1節[編集]

ベルガエ人との戦役(BC57年)におけるカエサルの遠征経路

ベルガエ諸部族のローマに対抗する共謀とその理由

  • ① Cum esset Caesar in citeriore Gallia [in hibernis], ita uti supra demonstravimus,
    • こうして前述したように、カエサルがガッリア・キテリオル[の冬営]にいたときに、
      (訳注:[in hibernis] の箇所について、前節でセークァーニー族領にある軍団兵駐屯のための冬営を副官ラビエーヌスに任せたと述べられており、カエサル自身はガッリア・キテリオル(イタリア半島北部の属州ガッリア)に戻っていて矛盾するため、削除提案されている。
  • crebri ad eum rumores adferebantur
    • たびたびの噂が彼(カエサル)のところへもたらされて、
  • litterisque item Labieni certior fiebat
    • かつラビエーヌスの書状によっても(以下のことが)同様に知らされた。
  • omnes Belgas, quam tertiam esse Galliae partem dixeramus,
    • ガッリアの三分の一であると既述したベルガエ人のすべてが、
      (訳注:ここでいうガッリアは、第1巻の冒頭で説明された「ガッリア」のことで、属州ガッリアを含まない。)
  • contra populum Romanum coniurare obsidesque inter se dare.
    • ローマ人民に対して陰謀を企み、かつ人質たちを互いに供出し合った。
  • ② Coniurandi has esse causas:
    • 陰謀を企んだことの理由は以下のことである。
  • primum, quod vererentur, ne, omni pacata Gallia, ad eos exercitus noster adduceretur;
    • まず、全ガッリアが平定されると、我ら(ローマ人)の軍隊が彼らのところへ率いて来られるのではないかと恐れたためである。
      (訳注:ここでいう「ガッリア」は、第1巻の冒頭で説明された「ガッリア」の三分の一、すなわち「ケルタエ」地域のことであろう。)
  • ③ deinde, quod ab non nullis Gallis sollicitarentur,
    • それから、若干のガッリア人たちにより強く刺激されたためである。
  • partim qui, ut Germanos diutius in Gallia versari noluerant,
    • 一部の者は、ゲルマーニア人がより長くガッリアに滞在することを望まなかったように、
  • ita populi Romani exercitum hiemare atque inveterascere in Gallia moleste ferebant,
    • このようにしてローマ人民の軍隊がガッリアで冬営することや定住することを不快に思っていた。
  • partim qui mobilitate et levitate animi novis imperiis studebant;
    • 一部の者は、心の気まぐれや軽薄さによって、(ローマ人とは別の)新たな統治を熱望していた。
  • ④ ab non nullis etiam,
    • さらには(以下の)若干の者たちによっても(強く刺激されたためである。)
  • quod in Gallia a potentioribus atque iis qui ad conducendos homines facultates habebant vulgo regna occupabantur;
    • ガッリアでは、勢力のある者や人を雇う財力を持っていた者たちによって、一般に王権が占有されていたので、
      (訳注:ローマの属州やその近辺のガッリア人社会では官吏による統治が普及していたが、ローマ領から遠いガッリア人やベルガエ人社会では君主制が支配的であったらしい。)
  • qui minus facile eam rem imperio nostro consequi poterant.
    • 我ら(ローマ人)の支配によってその事(王権)があまり容易に達成できない者たちである。

2節[編集]

カエサルが新たに2個軍団を徴募させ、初夏にベルガエへ向かう

  • His nuntiis litterisque commotus
    • これらの報告や書状に揺り動かされて、
  • Caesar duas legiones in citeriore Gallia novas conscripsit
    • カエサルは新たな2個軍団をガッリア・キテリオルガッリア・キサルピナにて徴募した。
      (訳注:XIIIXIV の2個軍団で、これらは「双子」軍団と呼び慣わされる。
          前年(第1巻の年)に6個軍団 VIIVIIIIXXXIXII を保持していたが、
          第2巻では、併せて8個軍団を動員することになる。)
  • et inita aestate in ulteriorem Galliam
  • qui deduceret Quintum Pedium legatum misit.
    • (2個軍団を)統率させるためにレガトゥス(総督副官)クイーントゥス・ペディウスを派遣した。
      (訳注:クイーントゥス・ペディウスは、カエサルの甥または大甥に当たる人物で、
          スエトニウス著『カエサル伝』[83]では、カエサルの姉ユリアの孫と記されているが、
          年齢を考えると、カエサルの甥に当たるとも考えられる。#11節でも言及される)
  • Ipse, cum primum pabuli copia esse inciperet, ad exercitum venit.
    • (カエサル)自身は、糧秣が豊富になり始めるや否や、軍隊のもとへやって来た。
      (訳注:第1巻の巻末で既述のように、ローマ軍はセークァニー族の領土で冬営していた。)
  • Dat negotium Senonibus reliquisque Gallis, qui finitimi Belgis erant,
    • (カエサルは)セノネース族や、ベルガエ人の隣人であった残りのガッリア人に、任務を与える。
      (訳注:セノネース族 Senonēs(仏語名 Sénons)は、現在のサーンスSens)近辺にいた部族で、
          都市名サーンス Sens も、この部族名に由来する。同市のラテン語名は Agedincum だが、
          これは彼らの首邑のラテン語名であり、第7巻で言及される。
          部族名は「古参の者たち」ガリア語の名前#Senones を参照。)
  • uti ea, quae apud eos gerantur, cognoscant seque de his rebus certiorem faciant.
    • 彼ら(ベルガエ人)のもとでなされることを調べて、自分(カエサル)にこれらの状況について報知させるためである。
  • Hi constanter omnes nuntiaverunt
    • 彼らは皆、一致して(以下のことを)報告した。
  • manus cogi, exercitum in unum locum conduci.
    • 部隊が駆り集められ、軍隊が一か所に集結させられた(ということを)。
  • Tum vero dubitandum non existimavit, quin ad eos [duodecimo die] proficisceretur.
    • そこで確かに、[12日目に] 彼ら(ベルガエ人)のもとへ出発することは、ためらわれるべきではないと(カエサルは)判断した。
      (訳注:[duodecimo die] [12日目に] は、β系写本にしかない記述で、
          削除するか否か、校訂者の間でも見解が分かれる箇所である。)
  • Re frumentaria provisa
    • 糧食徴発が準備されると、
  • castra movet diebusque circiter quindecim ad fines Belgarum pervenit.
    • 陣営を引き払い、約15日でベルガエ人の領土へ到着した。

3節[編集]

フランスのラーンス市Reims)に残る、帝制ローマ期(3世紀)の軍神マルスの凱旋門(Porte de Mars)。
レーミー族 Rēmī(仏 Rèmes)は、ラーンスReims)近辺にいた部族で、都市名 Reims も部族名に由来する。同市のラテン語名は Durocortorum だが、これは彼らの首邑のラテン語名 Durocortorum である。
後1世紀頃のレーミー族市民のポートレート。ラーンス市のサン=レミ博物館(Musée Saint-Remi de Reims)所蔵。

レーミー族使節が、カエサルに帰順を表明し、支援を約束する

  • Eo cum de improviso celeriusque omni<um> opinione venisset,
    • (カエサルが)そこに思いがけなく、皆の予想よりもすばやくやって来たので、
      (訳注:dē imprōvīsō「不意に、思いがけずに」
          第5巻22節でも後出。)
  • Remi, qui proximi Galliae ex Belgis sunt,
    • ベルガエ人の内で(ほかの)ガッリア人たちの一番近くにいたレーミー族が、
      (訳注:レーミー族 Rēmī の名は、
          ガリア語で「第一人者/指導者」の意味。
          「ガリア語の名前#Remi」を参照。)
  • ad eum legatos Iccium et Andecombogium, primos civitatis, miserunt,
    • 彼(カエサル)のもとへ使節として、部族の領袖であったイッキウスとアンデコムボギウスを派遣した。
      (訳注:アンデコムボギウス Andecombogius の名は、
          写本や校訂者により異なる。
          「ガリア語の名前#Andecombogius」 を参照。)
  • qui dicerent
    • 彼らに(以下のことを)述べさせるために。
  • se suaque omnia in fidem atque in potestatem populi Romani permittere,
    • (レーミー族は)自分たちの身と一切合財を、ローマ人民の保護と権力のもとにゆだねて、
  • neque se cum reliquis Belgis consensisse
    • 自分たちはほかのベルガエ人と共謀したこともなく、
  • neque contra populum Romanum omnino coniurasse,
    • ローマ人民に対してまったく陰謀を企んだこともない。
  • paratosque esse
    • (レーミー族は以下のことの)用意ができている。
  • et obsides dare et imperata facere
    • (ローマ人に)人質を供出することや、命令されたことを行なうこと、
  • et oppidis recipere et frumento ceterisque rebus iuvare;
    • (ローマ人を)城塞都市にて迎え入れることや、糧食やほかの物で支援することである。
  • reliquos omnes Belgas in armis esse,
    • ほかのすべてのベルガエ人は武装しており、
  • Germanosque qui cis Rhenum incolant sese cum his coniunxisse,
    • レーヌス〔=ライン川〕のこちら側に住んでいるゲルマーニア人は、彼らと結び付いた。
  • tantumque esse eorum omnium furorem
    • 彼ら(ベルガエ人)皆の熱狂がこれほどのものであるので、
  • ut ne Suessiones quidem, fratres consanguineosque suos,
    • 自分たち(レーミー族)の同胞であり、血族であるスエッスィオーネース族ですら、
  • qui eodem iure et isdem legibus utantur, unum imperium unumque magistratum cum ipsis habeant,
    • (彼らは自分たちと)同じ権利と同じ慣わしを享受し、一つの統治と一人の行政官を自分たちと共有しているのだが、
  • deterrere potuelint quin cum iis consentirent.
    • 彼ら(ゲルマーニア人)と共謀することを(レーミー族は)妨げることができなかったのである。

4節[編集]

レーミー族使節が、ベルガエ人の出自や兵力について教える

  • Cum ab his quaereret, quae civitates quantaeque in armis essent et quid in bello possent,
    • (カエサルが)「どの部族がどれほど多く武装していて、戦争においてどれほどの力を持つか」と彼らに尋ねたとき、
キンブリ・テウトニ戦争の遠征路。
ベルガエ人は、両部族の侵攻を撃退した。
  • sic reperiebat:
    • 以下のことを見出した。
  • plerosque Belgos esse ortos a Germanis
    • たいていのベルガエ人は、ゲルマーニア人から生じたものであり、
      (訳注:ローマ人がゲルマーニアと呼ぶライン川・ドナウ川の彼方には、かつて多くのケルト系部族が居住していた遺跡が発掘されている。
       カエサルが言及するゲルマーニア人は、必ずしも「ゲルマン系」とは限らないと思われる。)
  • Rhenumque antiquitus traductos
    • かつ昔にレーヌス〔=ライン川〕を渡河して来て、
  • propter loci fertilitatem ibi consedisse
    • 土地の実り豊かさゆえにそこに定着して、
  • Gallosque, qui ea loca incolerent, expulisse,
    • その土地に居住していたガッリア人を追い払ったのである。
      (訳注:「ガッリア人」は、第1巻の冒頭で語られた「ケルタエ人」に近い。)
  • solosque esse qui patrum nostrorum memoria
    • 我らの父祖の伝承では、(ベルガエ人)だけが、
  • omni Gallia vexata, Teutonos Cimbrosque intra suos fines ingredi prohibuerint;
    • 全ガッリアが荒廃させられたときに、テウトニー族とキンブリー族が自分の領土の内側に踏み入ることを防いだ。
      (訳注:キンブリ・テウトニ戦争において、ベルガエは両部族に踏み荒らされなかった。右図参照。
       キンブリー族とテウトニー族も、かつては「ゲルマン」系と考えられていたが、ケルト系という説もある。)
  • qua ex re fieri, uti earum rerum memoria
    • この事ゆえに、それらの事の伝承によって、以下のようになった。
  • magnam sibi auctoritatem magnosque spiritus in re militari sumerent.
    • (ベルガエ人は)自分たちに大きな威信と兵事における大きな闘魂があると考えていた。
  • De numero eorum omnia se habere explorata Remi dicebant,
    • 彼らの兵数について、自分たちはすべてを調べ上げて持っていると、レーミー族(の使節)は述べた。
  • propterea quod propinquitatibus adfinitatibusque coniuncti,
    • というのも、(レーミー族は他部族と)血縁関係や姻戚関係によって結びついているために、
  • quantam quisque multitudinem in communi Belgarum concilio ad id bellum pollicitus sit, cognoverint.
    • ベルガエ人共同会合においておのおの(の部族)がどれほど多数(の兵員)を戦争へ(供出するか)約束したか、探知しているからだ。

ベッロウァキー族

  • Plurimum inter eos Bellovacos et virtute et auctoritate et hominum numero valere:
    • ベッロウァキー族は、彼ら(ベルガエ人)の間で、武勇と威信と人口において最も有力である。
  • hos posse conficere armata milia centum,
    • 彼らは武装した10万人を召集することができ、
  • pollicitos ex eo numero electa milia sexaginta,
    • その兵数のうちから選りすぐりの6万人(の供出)を約束して、
  • totiusque belli imperium sibi postulare.
    • 自分たちに戦争全体の指揮権を(任せることを)要求している。

スエッスィオーネース族

  • Suessiones suos esse finitimos;
    • スエッスィオーネース族は自分たち(レーミー族)の隣人であり、
  • fines latissimos feracissimosque agros possidere.
    • 非常に広大な領土と実り豊かな耕地を占有している。
  • Apud eos fuisse regem nostra etiam memoria Diviciacum,
ローマ人に支配される前のブリタンニア島南部の部族分布図。Belgae, Atrebates などの名がある。
  • totius Galliae potentissimum,
    • 全ガッリアで最も勢力があり、
  • qui cum magnae partis harum regionum, tum etiam Britanniae imperium obtinuerit;
    • これらの地域の大部分のみならず、ブリタンニアにさえも支配権を保持していた。
  • nunc esse regem Galbam;
    • 今はガルバが王であり、
  • ad hunc propter iustitiam prudentiamque summam totius belli omnium voluntate deferri;
    • 公正さと分別のゆえに、戦争全体の統帥権が、全部族の意思によって彼に委任されている。
  • oppida habere numero duodecim (XII), polliceri milia armata quinquaginta (L);
    • (スエッスィオーネース族は)12の城塞都市を持ち、武装した5万人(の供出)を約束している。

その他の部族

  • totidem Nervios, qui maxime feri inter ipsos habeantur longissimeque absint;
    • ネルウィイー族は同数で、(ベルガエ人)自身の間でとりわけ野卑と思われており、最も遠方に離れている。
  • quindecim (XV) milia Atrebates, Ambianos decem (X) milia,
    • アトレバテース族は1万5千人、アンビアーニー族は1万人、
  • Morinos vigintiquinque (XXV) milia, Menapios novem (VIIII) milia, Caletos decem (X) milia,
    • モリニー族は2万5千人、メナピイー族は9千人、カレーテース族は1万人、
  • Veliocasses et Viromanduos totidem, Atuatucos decem et novem (XVIIII) milia;
    • ウェリオカッセース族とウィロマンドゥイー族が同じく(1万人)、アトゥアトゥキー族が1万9千人、
  • Condrusos, Eburones, Caero(e)sos, Paemanos, qui uno nomine Germani appellantur, arbitrari ad quadraginta (XL) milia.
    • コンドルースィー族、エブーローネース族、カエロ(エ)スィー族、パエマーニー族、彼らは一つの名前でゲルマーニア人と呼ばれるが、4万人と思われる。
      (訳注:Germani cisrhenani「ライン川のこちら側のゲルマーニア人」とも呼ばれる。
          Germānus, -ī という単語そのものは、ケルト系ガリア語に由来すると考えられており、
          彼らもケルト系ガリア語を話していたと考えられている。)
ベルガエまたはガッリア・ベルギカ(Gallia Belgica)の部族と首邑の配置図。

5節[編集]

カエサルがハエドゥイー族のディーウィキアークスにベッロウァキー族領の劫掠を命じ、さらにアクソナ川のたもとに背水の陣を敷く

  • Caesar Remos cohortatus liberaliterque oratione prosecutus
    • カエサルはレーミー族(の使節)を励まして、惜しみなく雄弁で敬意を表して、
  • omnem senatum ad se convenire principumque liberos obsides ad se adduci iussit.
    • 評議会の全員に彼の所へ集まることを、および領袖の子供たちを人質として自分(カエサル)のもとへ引き連れてくることを命じた。
      (訳注:部族国家の合議制統治機関もローマの元老院に倣って senātus と呼ばれるが、ここでは「評議会」と訳す。)
  • Quae omnia ab his diligenter ad diem facta sunt.
    • これらすべてのことは、彼らにより入念にその期日までに行なわれた。
  • Ipse Diviciacum Haeduum magnopere cohortatus docet
  • quanto opere rei publicae communisque salutis intersit
    • どれだけ公儀〔=ローマ国家〕と(双方の)共通の安全にとって(以下のことが)重要であるか、
  • manus hostium distineri,
    • 敵の部隊を分散させておくことが、
  • ne cum tanta multitudine uno tempore confligendum sit.
    • これほど多勢(の兵)と一時に激突しないようにしなければならないことが。
  • Id fieri posse, si suas copias Haedui in fines Bellovacorum introduxerint et eorum agros populari coeperint.
    • もし、ハエドゥイー族が配下の軍勢をベッロウァキー族の領土に導き入れ、彼らの畑を荒らし始めたなら、そのことが可能になるだろう。
  • His <datis> mandatis eum a se dimittit.
    • (カエサルは)これを任務として与えて、彼(ディーウィキアークス)を自分のもとから送り出した。
  • Postquam omnes Belgarum copias in unum locum coactas ad se venire vidit neque iam longe abesse ab iis quos miserat exploratoribus et ab Remis cognovit,
    • ベルガエ人の全軍勢が一か所に駆り集められて自分(カエサル)の方へ来ることを予見して、偵察隊として派遣していた者たちやレーミー族によって(ベルガエ勢が)すでに遠く離れていないと知った後で、
  • flumen Axonam, quod est in extremis Remorum finibus, exercitum traducere maturavit atque ibi castra posuit.
    • レーミー族の領土の外縁にあるアクソナ川〔=現エーヌ川〕を軍隊に渡らせることを急いで、かつそこに陣営を設置した。
アクソナ川、すなわち現在のエーヌ川l'Aisne)。
戦場と考えられている、現在の仏エーヌ県ベリ=オ=バク(Berry-au-Bac)にて。
アクソナ川、すなわち現在のエーヌ川l'Aisne)は、アルゴンヌ森を源流とし、オワーズ川に合流し、さらにパリの北方でセーヌ川に合流する。
  • Quae res
    • その状況は、
  • et latus unum castrorum ripis fluminis muniebat
    • 陣営の一つの側面を川岸で防備していて、
  • et post eum quae erant tuta ab hostibus reddebat
    • 彼(カエサル)の背後を敵方から安全な状態にしており、
  • et commeatus ab Remis reliquisque civitatibus ut sine periculo ad eum portari possent efficiebat.
    • レーミー族と残りの部族によって、糧食が危険なしに彼(カエサル)のもとへ輸送することを可能ならしめていた。
  • In eo flumine pons erat.
    • その川には、橋があった。
  • Ibi praesidium ponit
    • (カエサルは)そこに守備隊を配置して、
  • et in altera parte fluminis Q.Titurium Sabinum legatum cum sex cohortibus relinquit;
  • castra in altitudinem pedum duodecim(XII) vallo fossaque duodeviginti(XVIII) pedum muniri iubet.
    • (カエサルは)陣営を高さ12ペースの堡塁と18ペースの堀で囲むことを命じた。
      (訳注:1ペースは約29.6cmだから、約3.55mの堡塁と約5.3mの堀となる。)
アクソナ河畔におけるローマ・ベルガエ両軍の布陣図
British Library HMNTS 9041.h.7.
※『ガリア戦記』の古戦場を発掘したウジェーヌ・ストッフェル大佐(Eugène Stoffel:1821-1907)の説によるもので[1][2]、これが有力な説となっている。
図中の Berry-au-Bac, Condé-sur-Suippe, Guignicourt, Pontavert(以上エーヌ県)並びに Gernicourt(マルヌ県)は、近現代の自治体名。
アクソナ河畔においてローマ・ベルガエ両軍が布陣したと考えられている現在のエーヌ県ベリ=オ=バク(Berry-au-Bac)の地図。左図の中央部に対応する(Google Map)。
当地は、レーミー族の首邑があったランス市の市街地から北西へ約19km、徒歩4時間ほど、自動車で20分強[3]

6節[編集]

レーミー族の城塞都市ビブラクスを、進軍して来たベルガエ勢が攻囲し始める

  • Ab his castris oppidum Remorum nomine Bibrax aberat milia passuum octo(VIII).
    • この(カエサルの)陣営から、レーミー族のビブラクスという名の城塞都市は8マイル離れていた。
      (訳注:8マイルは、約12km。)
ビブラクス(Bibrax)の遺構と考えられている「ラン旧市街(Vieux-Laon)」の復元図。
ビブラクス(Bibrax)と考えられている古代ローマ時代の遺構「ラン旧市街(Vieux-Laon)」が残る仏エーヌ県の村落サン=トマ(Saint-Thomas)の郊外(Google Map)。
エーヌ県ラン市Laon)から東南東へ約19km、徒歩約4時間、車で30分ほど。レーミー族の首邑があったマルヌ県ランス市から北西へ約32km、徒歩約7時間、車で約40分。戦場と考えられる自治体ベリ=オ=バク(Berry-au-Bac)から北西へ13km前後、徒歩3時間弱、車で約14分。カエサルの記述とおおむね合致する。
  • Id ex itinere magno impetu Belgae oppugnare coeperunt.
    • その町を、行軍からたいへんな勢いでベルガエ人が攻囲を始めた。
  • Aegre eo die sustentatum est.
    • 辛うじてその日は持ちこたえられた。
  • Gallorum eadem atque Belgarum oppugnatio est haec:
    • (狭義の)ガッリア人と同じく、ベルガエ人の攻囲というものは以下のものである。
  • ubi circumiecta multitudine hominum totis moenibus undique in murum lapides iaci coepti sunt murusque defensoribus nudatus est,
    • 全防壁が多勢の人間で取り囲まれ、至る所から城壁に石が投げ始められ、城壁が守備兵たちから無防備にされるや否や、
  • testudine facta portas succendunt murumque subruunt.
    • テストゥド(亀甲)が作られて、城門を焼き、城壁を倒壊させる。
      (訳注:portas succendunt「城門を焼く」ではなく、portas succēdunt「城門に迫る」などの修正読みもある。)
      (訳注:テストゥド testudo と呼ばれる攻城手段は下の二つがあるが、いずれもローマ人の攻城戦術であり、ガッリア人やベルガエ人がどのように用いていたかは不詳である。)
ローマ軍のテストゥド(亀甲形密集隊形)による攻城戦の想像画(17世紀)。この隊形は、ローマ軍の頑丈な方形の長盾が可能にしたものであるが、ガッリア人の小さな丸い盾でも可能であるのかは不祥。
テストゥド(亀甲車)と呼ばれるローマ軍の攻城兵器の一つの復元画。城壁・城門を突き破るための破城槌aries)を防護するものと考えられている。
  • Quod tum facile fiebat.
    • 以上のことがそのときに容易になされていた。
  • Nam cum tanta multitudo lapides ac tela conicerent, in muro consistendi potestas erat nulli.
    • なぜならこれほど多勢が石や投槍を投げたので、城壁に陣取る機会は誰にもなかったのである。
  • Cum finem oppugnandi nox fecisset,
    • 夜が攻囲することを終わりにしたので、
  • Iccius Remus,
    • レーミー族のイッキウスは、
  • summa nobilitate et gratia inter suos, qui tum oppido praefuerat,
    • 自分たち(レーミー族)の間で最も名門で人望厚く、そのときに城塞都市を統率しており、
  • unus ex iis qui legati de pace ad Caesarem venerant,
    • 講和使節としてカエサルのもとへ来ていた者たちの一人であるが、
  • nuntium ad eum mittit,
    • 報告を彼(カエサル)のもとへ送って、
      (訳注:nuntium(単数・対格)を次節のnuntiiに合わせて複数形のnuntiosとする修正読みもあるが、ここでは写本通り「報告」と解釈して単数のままとする。)
  • nisi subsidium sibi submittatur, sese diutius sustinere non posse.
    • もし援軍が自分たちに救援のために派遣されなければ、自分たちはこれ以上長く持ちこたえられない(と伝えた)。

7節[編集]

カエサルがビブラクスの救援に分遣隊を派兵するが、ベルガエ勢はカエサルの前に野営する

  • Eo de media nocte
    • それゆえに、真夜中の頃に
  • Caesar isdem ducibus usus, qui nuntii ab Iccio venerant,
    • カエサルはイッキウスによって伝令として来ていたところの同じ者たちを道案内に利用して、
  • Numidas et Cretas sagittarios et funditores Baleares subsidio oppidanis mittit;
  • quorum adventu et Remis cum spe defensionis studium propugnandi accessit
    • この者たちの到着により、レーミー族にとっては防衛の希望とともに応戦する熱意が増しもしたし、
  • et hostibus eadem de causa spes potiundi oppidi discessit.
    • 敵方にとっては同じ理由から、城塞都市をわがものにする希望が消えもした。
  • Itaque paulisper apud oppidum morati agrosque Remorum depopulati,
    • それゆえに(ベルガエ勢は)しばらく城塞都市のもとに留まって、レーミー族の耕地を荒らしまくって、
  • omnibus vicis aedificiisque, quo adire potuerant, incensis,
    • 彼らが赴くことができたすべての村々や建物が焼き討ちされると、
  • ad castra Caesaris omnibus copiis contenderunt
    • (ベルガエ勢は)カエサルの陣営のそばへ全軍勢をもって急行して、
  • et a milibus passuum minus duobus castra posuerunt;
    • 2マイル足らずのところへ陣営を設置した。
      (訳注:2マイルは、約3km。)
  • quae castra, ut fumo atque ignibus significabatur, amplius milibus passuum octo(VIII) in latitudinem patebant.
    • その陣営は、煙と火で示されたように、8マイルより広い幅に広がっていた。
      (訳注:8マイルは、約12km。)

8節[編集]

カエサルが騎兵戦の小競り合いでベルガエ勢の強さを探り、陣営の防備を固めて主力を布陣させる

  • Caesar primo et propter multitudinem hostium
    • カエサルは当初、敵方の多勢のためからも、
  • et propter eximiam opinionem virtutis
    • (ベルガエ人の)武勇についての並外れた評判のためからも、
  • proelio supersedere statuit;
    • (決着を付けるための)戦闘を差し控えることを決めた。
  • cotidie tamen equestribus proeliis,
    • それでも毎日、騎兵戦により、
  • quid hostis virtute posset et quid nostri auderent periclitabatur.
    • 敵がどれだけの武勇を持っているか、我が方〔ローマ軍〕がどれだけ大胆にやれるかを、試していた。
  • Ubi nostros non esse inferiores intellexit,
    • (カエサルが)我が方は(敵)より劣っていないと判断して、
  • loco pro castris ad aciem instruendam natura oportuno atque idoneo,
    • 陣営の前の場所は、戦列を整えるためには好都合かつ適切な地形であるゆえに、
      (訳注:以下、下に掲げた両軍の布陣図を参照せよ。)
  • ─ quod is collis, ubi castra posita erant, paululum ex planitie editus
    • ─ というのも、そこに陣営が置かれていた丘は、平地からごくわずかに高くなっており、
  • tantum adversus in latitudinem patebat, quantum loci acies instructa occupare poterat,
    • 整えられた戦列が占めることができる土地の分だけ(敵に対して)前面に幅をもって広がっていた。
  • atque ex utraque parte lateris deiectus habebat
    • かつ(その丘は)両側から側面の急な坂を持っており、
  • et in fronte leniter fastigatus paulatim ad planitiem redibat ─,
    • 前面に緩やかに傾斜して、少しずつ平地に戻っていたからだが ─、
  • ab utroque latere eius collis transversam fossam obduxit circiter passuum quadringentorum(CCCC)
    • (カエサルは)その丘の両方の側面から横向きにおよそ400パッススの堀を掘り進めて、
      (訳注:1パッススは約1.48mだから、400パッススは 600m弱。)
  • et ad extremas fossas castella constituit ibique tormenta conlocavit,
    • 堀の両端に砦を設置して、かつそこに射出機トルメントゥムを据えた。
      (訳注:tormentum がどのようなものか、『ガリア戦記』では詳しく述べられていないが、
          『内乱記』第2巻2節の記述から、下のバリスタのようなものであると考えられている。)
トラヤヌスの記念柱(113年)に描写されたローマ軍の兵器バリスタ(またはスコルピオ)。
ローマ軍の巻揚げ式射出機バリスタ(またはスコルピオ)の復元例。
  • ne, cum aciem instruxisset, hostes, quod tantum multitudine poterant, ab lateribus pugnantes suos circumvenire possent.
    • (上の措置は、カエサルが)戦列を整えたときに、敵がこれほど数において有力であったので、戦っている味方を側面から包囲することができないように(と講じたものである)。
  • Hoc facto, duabus legionibus, quas proxime conscripserat in castris relictis,
    • これが果たされ、最近に徴募しておいた2個軍団を陣営に残すと、
      (訳注:#2節で述べられた、XIIIXIV の2個軍団)
  • ut, si quo opus esset subsidio, duci possent,
    • (その2個軍団を残すのは)もし何らかの救援が必要であれば、率いて行くことができるようにであるが、
  • reliquas sex(VI) legiones pro castris in acie constituit.
    • 残りの6個軍団を、陣営の前で戦列に配置した。
      (訳注:#2節で述べられた、VIIVIIIIXXXIXII の6個軍団)
  • Hostes item suas copias ex castris eductas instruxerant.
    • 敵方も同様に、自分たちの軍勢を陣営から進発させて、整列させていた。
アクソナ河畔におけるローマ・ベルガエ両軍の布陣図
(前掲 British Library HMNTS 9041.h.7. の拡大図)
※『ガリア戦記』の古戦場を発掘したウジェーヌ・ストッフェル大佐(Eugène Stoffel:1821-1907)の説によるもの[1][2]
 現在モシャン(Mauchamp)と呼ばれている集落(図中の右上)のある小高い丘陵にカエサル麾下ローマ軍の陣営(Roman camp)が築かれて、その両隅から突き出した堀の両端にそれぞれ小さい砦(Fort)が置かれ、アクソナ川の支流(Miette R.)の北岸に野営するベルガエ人の軍勢(Belgic Host)に対してローマ軍(Roman Army)6個軍団が布陣している。その南方にある橋をカエサルの副官サビーヌス率いる6個歩兵大隊が守備する(Camp of Sabinus)(#5節)。

9節[編集]

ベルガエ勢の別動隊が、ローマ軍の背後の糧道を断とうとしてアクソナ渡河をめざす

  • Palus erat non magna inter nostrum atque hostium exercitum.
    • 我が方〔ローマ人〕と敵方〔ベルガエ人〕の両軍の間に、大きくはない沼地があった。
      (訳注:両軍の間には、アクソナ川(Axona)〔現在のエーヌ川Aisne)〕の支流ミエット川(la Miette)があり、辺りは沼地/湿地帯であったと思われる。)
ミエット川(la Miette
戦場となったベリ=オ=バク(Berry-au-Bac)は現在も沼地(水色の部分)が多い。
  • Hanc si nostri transirent, hostes exspectabant;
    • これ〔沼地〕を我が方〔ローマ人〕が渡るのかどうかと、敵方〔ベルガエ人〕は待ち構えていた。
  • nostri autem, si ab illis initium transeundi fieret, ut impeditos adgrederentur, parati in armis erant.
    • 他方で、我が方〔ローマ軍〕も、彼ら〔ベルガエ人〕の方から渡河が開始されたならば、立ち往生した者たちを襲撃するべく、武装して準備していた。
  • Interim proelio equestri inter duas acies contendebatur.
    • その間に、(両軍の)二つの歩兵戦列アキエースの中間で、騎兵戦によって戦われていた。
  • Ubi neutri transeundi initium faciunt,
    • どちらの側も渡河することを開始しないときに、
  • secundiore equitum proelio nostris
    • 騎兵たちの戦闘においては我が方〔ローマ軍〕にとってより有利であったので、
  • Caesar suos in castra reduxit.
    • カエサルは麾下の者たちを陣営に撤収させた。
ベルガエ勢が、アクソナ渡河を企てる
  • Hostes protinus ex eo loco ad flumen Axonam contenderunt,
    • 敵方は直ちにその戦地からアクソナ川の方へと急いでいた。
  • quod esse post nostra castra demonstratum est.
    • (その川が)我が方の陣営の後ろにあることは、既述した。
現在のエーヌ県ポンタヴェール(Pontavert)の辺りを流れるアクソナ川〔現エーヌ川〕。
ベルガエ勢が渡河をめざしたのは、現在のポンタヴェール(Pontavert)の辺りと思われる。
  • Ibi vadis repertis
    • そこに浅瀬が見出されると、
  • partem suarum copiarum traducere conati sunt
    • (ベルガエ勢は)味方の軍勢の一部を渡河させることを試みた。
  • eo consilio, ut,
    • それは以下のような作戦企図をもってのことである。
  • si possent, castellum, cui praeerat Quintus(Q.) Titurius legatus, expugnarent pontemque interscinderent,
  • si minus potuissent, agros Remorum popularentur, qui magno nobis usui ad bellum gerendum erant,
    • もしできなかったならば、我が方〔ローマ軍〕にとって戦争遂行のために大いに役立っていたレーミー族の耕地を荒らし、
  • commeatuque nostros prohiberent.
    • かつ我が方への糧食補給を妨害せんとのことである。

10節[編集]

アクソナ川の戦い:ローマ軍の同盟部隊に別動隊を破られ、ベルガエ勢が本土決戦を期す

アクソナ川の戦いにおける両軍の布陣図。
  • <Caesar> certior factus ab Titurio
  • omnem equitatum et levis armaturae Numidas,
    • 全騎兵隊と軽武装のヌミディア人と、
  • funditores sagittariosque pontem traducit
    • 投石兵と弓兵に、橋を渡らせて、
  • atque ad eos contendit.
    • 彼ら〔ベルガエ勢〕の方へと急いだ。
  • Acriter in eo loco pugnatum est.
    • その場所で、激しく戦われた。
  • Hostes impeditos nostri in flumine adgressi
    • 川の中で立ち往生している敵方を、我が方〔ローマ軍〕が襲撃して、
  • magnum eorum numerum occiderunt;
    • 彼らの大多数をたおした。
  • per eorum corpora reliquos audacissime transire conantes
    • 彼らの遺体の上を通って、残りの者たちが非常に大胆にも渡河を試みているところを、
  • multitudine telorum reppulerunt,
    • 多数の飛び道具で追い返した。
  • primosque, qui transierant,
    • (すでに)渡河していた(ベルガエ勢の)一番手の者たちを、
  • equitatu circumventos interfecerunt.
    • (ローマ軍は)騎兵隊によって包囲して、殺戮さつりくした。
  • Hostes, ubi
    • 敵方〔ベルガエ勢〕は、
  • et de expugnando oppido et de flumine transeundo spem se fefellisse intellexerunt
    • 城塞都市オッピドゥム〔ビブラクス〕の攻囲についても、(アクソナ川の)渡河についても、望みを失ったと判断し、
  • neque nostros in locum iniquiorem progredi pugnandi causa viderunt
    • 我が方〔ローマ軍〕がより不利な地点で戦うために前進して来ないのを見て、
  • atque ipsos res frumentaria deficere coepit,
    • かつ自身らに糧食が不足し始めると、
  • concilio convocato constituerunt
    • 軍議が召集されて、(以下のように)取り決めた。
  • optimum esse domum suam quemque reverti,
    • 〔ベルガエ諸部族は〕おのおのの郷里に帰還することが最善である。
  • et quorum in fines primum Romani exercitum introduxissent, ad eos defendendos undique convenire[nt],
    • ローマ人の軍隊を最初に領内に引き入れた者たちを防衛するために四方八方から結集すべし。
  • ut potius in suis quam in alienis finibus decertarent et domesticis copiis rei frumentariae uterentur.
    • よその領内よりも自領内で決戦し、内地の豊富な糧秣を用いんがために。
  • Ad eam sententiam cum reliquis causis haec quoque ratio eos deduxit,
    • 以下の考慮もまた、ほかの理由とともに、彼らをそのような議決へと導いた。
  • quod Diviciacum atque Haeduos finibus Bellovacorum adpropinquare cognoverant.
    • ディーウィキアークスとハエドゥイー族が、ベッロウァキー族の領土に接近していることを察知したからである。
      (訳注:#5節を参照。)
  • His persuaderi, ut diutius morarentur neque suis auxilium ferrent, non poterat.
    • 彼ら〔ベッロウァキー族〕を、これ以上長く(戦地に)留まり、味方の救援に向かうな、とは説得できなかったのである。

11節[編集]

ベルガエ勢の撤退戦:夜通し退却するが、朝から追撃を始めたローマ軍に大勢が打ち取られる

  • Ea re constituta
    • その事が取り決められると、
  • secunda vigilia magno cum strepitu ac tumultu castris egressi
    • (ベルガエ勢は)第二夜警時に、大きな喧噪や騒ぎとともに陣営から進発して、
      (訳注:第二夜警時は、初夏では午後9~10時以降の時間帯。#夜警時 を参照。)
  • nullo certo ordine neque imperio,
    • 隊列も指揮系統も不確かなままに、
  • cum sibi quisque primum itineris locum peteret et domum pervenire properaret,
    • 誰もが自分のために、行軍の先頭の位置を求め、郷里へ到着することを急いでいたので、
  • fecerunt, ut consimilis fugae profectio videretur.
    • 出発が敗走によく似て見えるようにふるまうことになってしまったのである。
  • Hac re statim Caesar per speculatores cognita
    • この事は直ちに斥候たちを通じてカエサルの知るところとなったが、
  • insidias veritus,
    • (カエサルは)伏兵を恐れて、
  • quod, qua de causa discederent, nondum perspexerat,
    • ──というのは、いかなる理由により撤退していたのか、まだ情報収集していなかったからであるが──、
  • exercitum equitatumque castris continuit.
    • 歩兵部隊と騎兵隊を陣営に留めた。
      (訳注:exercitus は軍隊全体を表わすことも多いが、艦隊に対しては陸軍部隊を、
          とりわけ騎兵隊に対しては歩兵部隊(軍団)を表わす。)
  • Prima luce
    • 明け方に、
  • confirmata re ab exploratoribus
    • 偵察隊により状況が確認されると、
  • omnem equitatum, qui novissimum agmen moraretur, praemisit.
    • (カエサルは)全騎兵隊を(ベルガエ勢の)行軍隊列アグメンの最後尾を遅らせるために、先遣した。
  • His Quintum(Q.) Pedium et Lucium(L.) Aurunculeium Cottam legatos praefecit;
  • Titum(T.) Labienum legatum cum legionibus tribus subsequi iussit.
  • Hi novissimos adorti et multa milia passuum prosecuti
    • 彼らが(ベルガエ勢の)最後尾を襲撃して、何マイルも追撃して、
  • magnam multitudinem eorum fugientium conciderunt,
    • 逃走している最中の彼らの大多数をたおした。
  • cum ab extremo agmine, ad quos ventum erat, consisterent
    • ──というのも、(退却中の)行軍隊列アグメンの後衛のところでは、進撃して来ていた者たちの方へ(ベルガエ兵が)踏み止まって、
  • fortiterque impetum nostrorum militum sustinerent,
    • 我が方〔ローマ軍〕の兵士たちの突撃に勇敢に持ちこたえていたが、
  • priores, quod abesse a periculo viderentur neque ulla necessitate neque imperio continerentur,
    • (隊列の)先頭の者たちは、危険から離れていると思っており、何らの必要性にも命令にも引き止められてなかったので、
  • exaudito clamore perturbatis ordinibus
    • 叫び声を聞くと、隊列がき乱されて、
  • omnes in fuga sibi praesidium ponerent.
    • 全員が自らの護りを逃亡にけたからである──。
  • Ita sine ullo periculo
    • こうして、(ローマ軍は)何ら危険もなしに
  • tantam eorum multitudinem nostri interfecerunt, quantum fuit diei spatium;
    • 日が出ていた時間の分だけ、彼ら〔ベルガエ勢〕の多数を我が方〔ローマ軍〕が殺戮さつりくしたのである。
第一次大戦の第二次エーヌの戦い[4]またはシュマン=デ=ダムの戦い[5]で戦場となったエーヌ県スピール村[6]の荒廃。
本節のベルガエ人の撤退戦・カエサルによる追撃戦の場所は不詳だが、仏独の激戦地にもなった界隈である。
同じくスピール村に設立された第一次大戦の戦死者のための国立戦没者墓苑。
  • sub occasumque solis sequi destiterunt
    • 日が没する頃には、追撃することを止めて、
  • seque in castra, ut erat imperatum, receperunt.
    • 命令されていたように、(ローマ軍は)陣営に撤収した。

12節[編集]

カエサルがスエッスィオーネース族の城塞都市ノウィオドゥーヌムを攻め、和議を請われる

  • Postridie eius diei Caesar,
    • その日の翌日に、カエサルは、
  • priusquam se hostes ex terrore ac fuga reciperent,
    • 敵方が恐れと逃亡から己を取り戻すより前に、
  • in fines Suessionum, qui proximi Remis erant,
    • レーミー族の近隣にいたスエッスィオーネース族の領土に
  • exercitum duxit
    • (ローマ人の)軍隊を率いて行き、
  • et magno itinere confecto ad oppidum Noviodunum contendit.
    • 強行軍を成し遂げて、城塞都市オッピドゥムノウィオドゥーヌムへ急いだ。
      (訳注:Noviodunum はガリア語で「新しい城砦」を意味する。Nouio-dūnon を参照。)
スエッスィオーネース族 Suessiones の名が訛ったソワソン市Soissons)に遺るローマ期の城壁。当地には、ローマ風の都市アウグスタ・スエッスィオーヌムAugusta Suessionum)が建設され、やがてソワソン王国の都として栄えて今日に至る。
ソワソン市街から北西へ4kmの高台にあるポミエ(Pommiers)。ノウィオドゥーヌムがあったされる有力な候補地の一つである。
  • Id ex itinere oppugnare conatus,
    • 行軍の途上から同市を攻略することを試みたが、
  • quod vacuum ab defensoribus esse audiebat,
    • それは守備隊が空だと聞いていたためであるが、
  • propter latitudinem fossae murique altitudinem
    • 堀の幅広さと城壁の高さのゆえに、
  • paucis defendentihus expugnare non potuit.
    • わずかな守備隊を攻略することができなかった。
  • Castris munitis
    • 陣営の守りが固められると、
  • vineas agere
    • 工作小屋ウィネアを駆って、
vinea の復元画。敵の矢玉などから身を守りながら城壁に近づくために用いられたと考えられている。
  • quaeque ad oppugnandum usui erant comparare coepit.
    • 攻略するために役立つものを準備し始めた。
  • Interim omnis ex fuga Suessionum multitudo
    • その間に、敗走して来たスエッスィオーネース族の大勢の全員が、
  • in oppidum proxima nocte convenit.
    • その夜に城塞都市オッピドゥムに集結した。
  • Celeriter vineis ad oppidum actis,
    • 迅速に工作小屋ウィネア城塞都市オッピドゥムのそばへ駆られて、
  • aggere iacto turribusque constitutis,
    • 土塁アッゲルが(部材を)投げて作られ、攻城櫓トゥッリスが建てられて、
城壁(図中の左端)を攻略するために築かれた土塁アッゲル の復元画。左上には、両軍の攻城櫓トゥッリスが描かれている。
ローマ軍による攻囲戦のジオラマ。
城壁に向かって上り坂の土塁アッゲルが築かれ、城壁の手前には攻城櫓トゥッリス工兵小屋ウィネアなどが見える。
  • magnitudine operum, quae neque viderant ante Galli neque audierant,
    • 以前にガッリア人が見たことも聞いたこともなかった大がかりな仕事と
  • et celeritate Romanorum permoti
    • ローマ人の迅速さに攪乱されて、
  • legatos ad Caesarem de deditione mittunt
    • (スエッスィオーネース族は)降伏についての使節たちをカエサルのもとへ遣わして、
  • et petentibus Remis ut conservarentur impetrant.
    • 嘆願しているレーミー族によって、存続を許されるように達成した。

13節[編集]

スエッスィオーネース族の降伏を受け入れる。続いてベッロウァキー族も和議を請い始める

  • Caesar, obsidibus acceptis primis civitatis atque ipsius Galbae regis duobus filiis
    • カエサルは、人質として部族国家キーウィタースの領袖たちおよびガルバ王自身の2人の息子たちを受け取ると、
  • armisque omnibus ex oppido traditis,
    • すべての武器が城塞都市オッピドゥムから引き渡され、
  • in deditionem Suessiones accepit
    • スエッスィオーネース族を降伏において受け入れて、
  • exercitumque in Bellovacos ducit.
    • (ローマ人の)軍隊をベッロウァキー族のところに率いて行った。
ベッロウァキー族(Bellovaci)の名を伝えるボーヴェ市Beauvais)に遺るローマ期の城壁。当地には、ローマ風の都市カエサロマグスCaesaromagus)が建設され、「ベッロウァキー族の都市」を意味する別名キーウィタース・ベッロウァコールム(civitas Bellovacorum)またはベッロウァクムBellovacum)とも呼ばれ、その名が訛って今日のボーヴェに至る。
ベッロウァキー族は、ローマ人の軍門に降った後、彼らの本拠ブラトゥスパンティウムからカエサロマグスに移住させられたため、ブラトゥスパンティウムがどこにあったのか、(ボーヴェの近くと思われるが)正確な位置は不明である。
  • Qui cum se suaque omnia in oppidum Bratuspantium contulissent
    • 彼らがその身と一切合財を城塞都市オッピドゥムブラトゥスパンティウムに運び集めていたとき、
      (訳注:Bratuspantium はガリア語では「判決が宣べられる所」と解される。Bratu-spantion を参照。)
  • atque ab eo oppido Caesar cum exercitu circiter milia passuum quinque(V) abesset,
    • かつその城塞都市オッピドゥムから、カエサルが軍隊とともに約5マイル離れていたときに、
      (訳注:5マイルは、約7.4kmに当たる。)
  • omnes maiores natu ex oppido egressi
    • すべての年長者たちが城塞都市オッピドゥムから進み出てきて、
  • manus ad Caesarem tendere et voce significare coeperunt
    • 手をカエサルの方へ差し伸べて、声を出して(以下のことを)示唆し始めた。
  • sese in eius fidem ac potestatem venire
    • 彼ら〔ベッロウァキー族〕自身が彼〔カエサル〕の庇護と権力のもとに帰順すること、
  • neque contra populum Romanum armis contendere.
    • ローマ人民に抗して武力アルマでもって争うことなどない、ということを。
  • Item, cum ad oppidum accessisset castraque ibi poneret,
    • 同様にまた、(ローマ軍が)城塞都市オッピドゥムへ近づいて、そこに陣営を設置するときに、
  • pueri mulieresque ex muro passis manibus
    • 少年たちと女たちが城壁から両手を伸ばして、
  • suo more pacem ab Romanis peti(v)erunt.
    • 彼らの風習で和平をローマ人たちに求めた。

14節[編集]

ハエドゥイー族のディーウィキアークスがベッロウァキー族を弁護

  • Pro his Diviciacus
  • ──nam post discessum Belgarum dimissis Haeduorum copiis ad eum reverterat──
    • ──なぜなら、ベルガエ人の退却の後で、ハエドゥイー族の軍勢を解散させて、カエサルのもとへ戻っていたのだが──
  • facit verba:
    • (以下の)言葉を述べた。
  • Bellovacos omni tempore in fide atque amicitia civitatis Haeduae fuisse;
    • ベッロウァキー族は常時、ハエドゥイーの部族国家キーウィタースの庇護と盟約のもとにあったのでありますが、
  • impulsos ab suis principibus, qui dicerent
    • 己らの領袖たちにそそのかされ、その領袖たちは(次のように)言ったのです。
  • Haeduos a Caesare in servitutem redactos omnes indignitates contumeliasque perferre,
    • ハエドゥイー族はカエサルにより隷属を強いられてあらゆる恥辱と屈辱に辛抱している、と。
  • et ab Haeduis defecisse et populo Romano bellum intulisse.
    • そして(ベッロウァキー族は)ハエドゥイー族から離反して、ローマ人民に戦争をしかけました。
  • Qui eius consilii principes fuissent,
    • その策謀の首謀者であった者たちは、
  • quod intellegerent quantam calamitatem civitati intulissent,
    • ──これほど大きな災いを(ベッロウァキーの)部族国家キーウィタースに及ぼしたと理解していたので、──
  • in Britanniam profugisse.
  • Petere non solum Bellovacos, sed etiam pro his Haeduos,
    • ベッロウァキー族のみならず、彼らのためにハエドゥイー族もまた(カエサルに対して)懇願しています。
  • ut sua clementia ac mansuetudine in eos utatur.
    • ご自分〔カエサル〕の慈悲深さと親切さを彼ら〔ベッロウァキー族〕に示されますように、と。
  • Quod si fecerit, Haeduorum auctoritatem apud omnes Belgas amplificaturum,
    • このことが(カエサルにより)なされたら、ハエドゥイー族の勢威は全ベルガエ人のもとで高まるでありましょう。
  • quorum auxiliis atque opibus, si qua bella inciderint, sustentare consuerint.
    • 何らかの戦争が勃発したら、彼ら〔ベルガエ人〕の支援と資力により支えるのが常でありました。

ネルウィイー族らとの戦役(サビス川の戦い)[編集]

15節[編集]

ベッロウァキー族、アンビアーニー族の降伏。ネルウィイー族情報

  • Caesar honoris Diviciaci atque Haeduorum causa
    • カエサルは、ディーウィキアークスとハエドゥイー族の名誉のために、
  • sese eos in fidem recepturum et conservaturum dixit,
    • 彼ら〔ベッロウァキー族〕を庇護のもとに受け入れて、存続を許されるであろう、と言った。
  • et quod erat civitas magna inter Belgas auctoritate atque hominum multitudine praestabat,
    • この部族はベルガエ人の間において、勢威が大きく、人の多さで優っていたので、
  • sescentos(DC) obsides poposcit.
    • (カエサルは)600人の人質を要求した。
  • His traditis
    • 彼ら〔人質〕が引き渡され、
  • omnibusque armis ex oppido conlatis,
    • すべての武器が城塞都市オッピドゥッムから出されて運び集められ、
  • ab eo loco in fines Ambianorum pervenit;
    • (カエサルは)その場所から(出発して)アンビアーニー族の領土に到着した。
  • qui se suaque omnia sine mora dediderunt.
    • 彼らはその身と一切合財をあげて、遅滞なく降伏した。
ネルウィイー族の事情
  • Eorum fines Nervii attingebant.
    • 彼ら〔アンビアーニー族〕の領土に、ネルウィイー族が境を接していた。
      (訳注:種々の地図資料において、アンビアーニー族とネルウィイー族が隣接していたという裏付けは見当たらない。)
ベルガエ人との戦役(BC57年)におけるカエサルの遠征経路図。アンビアーニー族とネルウィイー族の領土は離れているように見える。
  • Quorum de natura moribusque Caesar cum quaereret, sic reperiebat:
    • 彼らの気質や風習について、カエサルが尋ねたときに、以下(の答え)を得た。
  • nullum esse aditum ad eos mercatoribus;
    • 彼ら〔ネルウィイー族〕のもとへは、商人たちは近寄れない。
  • nihil pati vini reliquarumque rerum ad luxuriam pertinentium inferri,
    • ワインやほかのぜいたくに属する物が持ち込まれることを(ネルウィイー族は)容認していない。
  • quod his rebus relanguescere animos eorum et remitti virtutem existimarent;
    • というのも、これらの物により彼らの精神が弱々しくなり、武勇が弱まると判断したからである。
  • esse homines feros magnaeque virtutis;
    • (ネルウィイー族は)荒々しい人々であり、大きな武勇を持っている。
  • increpitare atque incusare reliquos Belgas,
    • (彼らは)残りのベルガエ人たちを(以下のように)嘆いたり、非難したりした。
  • qui se populo Romano dedidissent patriamque virtutem proiecissent;
    • 奴らはローマ人民に降伏して、祖国や武勇を放棄した、と。
  • confirmare sese neque legatos missuros neque ullam condicionem pacis accepturos.
    • 俺たちは(ローマ人に)使節を送ったりしないし、和平のいかなる条件も受け入れたりしないと断言する、と。

16節[編集]

ネルウィイー族らがサビス川岸でカエサルの軍隊を待ち伏せる

  • Cum per eorum fines triduo iter fecisset,
    • (カエサルが)彼ら〔ネルウィイー族〕の領土を通って3日間行軍したときに、
  • inveniebat ex captivis
    • (以下のことを)捕虜に尋ねて知った。
  • Sabim flumen a castris suis non amplius milibus passuum X(decem) abesse;
    • サビス川は、麾下〔ローマ軍〕の陣営から10マイルより多くは離れていない、と。
  • trans id flumen omnes Nervios consedisse
    • その川の向こう側に、ネルウィイー族の総勢が陣取って、
  • adventumque ibi Romanorum exspectare una cum Atrebatibus et Viromanduis, finitimis suis
    • 自分ら〔ネルウィイー族〕の隣人であるアトレバテース族とウィロマンドゥイー族と一緒にローマ人がそこに到着するのを待ち構えている、と。
      (訳注:ウィロマンドゥイー族 Viromandui は Veromandui とも綴られる。)
  • ── nam his utrisque persuaserant, uti eandem belli fortunam experirentur ──;
    • なぜなら(ネルウィイー族が)彼ら双方を、戦争の同じ命運を試すように、と説得していたからである。
  • exspectari etiam ab iis Atuatucorum copias atque esse in itinere;
    • アトゥアトゥキー族の軍勢さえも彼ら〔ネルウィイー族〕によって待望されており、行軍途上にある、と。
      (訳注:部族名は、α系写本では Aduatucī アドゥアトゥキー、
               β系写本では Atuatucī アトゥアトゥキー、などとなっている。)
  • mulieres quique per aetatem ad pugnam inutiles viderentur,
    • 婦人と、老齢により戦闘に役立たないと思われる者たちを
  • in eum locum coniecisse, quo propter paludes exercitui aditus non esset.
    • 沼地のゆえに(ローマ人の)軍隊が近づくことのなかった場所に投入した、と。
ウィロマンドゥイー族(Viromandui)の帝制ローマ期の推定される版図。現在の仏エーヌ県のヴェルマン(Vermand)、サン=カンタンSt-Quentin)、さらにオワーズ県ノワイヨンNoyon)などに及んでいたと考えられている。
本節の記述のようにネルウィイー族(Nervii)やアトレバテース族(Atrebates)の領域に隣接していた。が、15節で述べられた、アンビアーニー族(Ambiani)がネルウィイー族に隣接していたという記述には疑問が残る。

17節[編集]

ネルウィイー族が、諜者を通じてローマ軍の内情を調べ、作戦を練る

  • His rebus cognitis,
    • これらの事情を知ると、
  • exploratores centurionesque praemittit, qui locum castris idoneum deligant.
    • (カエサルは)陣営に適切な場所を選定させるために、偵察者たちや百人隊長たちを先遣する。
  • Cum ex dediticiis Belgis reliquisque Gallis complures Caesarem secuti una iter facerent,
    • ベルガエ人や残りのガッリア人の降伏者たちの内からかなりの者たちが、カエサルに従って一緒に行軍しているときに、
  • quidam ex his, ut postea ex captivis cognitum est,
    • 彼らの内のある者らが、──後になって捕虜たちから知らされたように──、
  • eorum dierum consuetudine itineris nostri exercitus perspecta
    • それらの日々の我が方の軍隊〔ローマ軍〕の行軍の慣習を調べ上げて、
  • nocte ad Nervios pervenerunt atque his demonstrarunt
    • 夜にネルウィイー族のもとへやって来て、彼らに(以下のように)説明した。
  • inter singulas legiones impedimentorum magnum numerum intercedere,
    • (ローマ軍においては)個々の軍団の間に多数の輜重が介在しており、
  • neque esse quicquam negotii,
    • 何ら面倒なことはない。
  • cum prima legio in castra venisset reliquaeque legiones magnum spatium abessent,
    • 先頭の軍団が陣営に到着したとしても、残りの諸軍団は大きな距離で離れているので、
  • hanc sub sarcinis adoriri;
    • 背嚢を背負っているこれ〔先頭の軍団〕を襲撃するのだ。
  • qua pulsa impedimentisque direptis,
    • それ〔先頭の軍団〕が駆逐されて(ネルウィイー族側によって)輜重が略奪されれば、
  • futurum, ut reliquae contra consistere non auderent.
    • (ローマ軍の)残りの者たちは、あえて対抗して踏み止まることはしないであろう、と。
  • Adiuvabat etiam eorum consilium, qui rem deferebant,
    • 彼らの計略を、さらに(以下の)事情を呈するものが助長していた。
  • quod Nervii antiquitus, cum equitatu nihil possent
    • というのは、ネルウィイー族は昔から、騎兵隊においては何ら力がなかったので、
  • ── neque enim ad hoc tempus ei rei student,
    • ── 確かにこの時期までその事に努力せず、
  • sed quicquid possunt, pedestribus valent copiis ──,
    • けれども、持てるものは何であれ、歩兵隊の軍勢において力があるのだ──
  • quo facilius finitimorum equitatum, si praedandi causa ad eos venissent, impedirent,
    • 近隣(部族)の騎兵隊が、もし略奪するために彼ら〔ネルウィイー族〕のもとへやって来たならば、より容易に妨げるように、
  • teneris arboribus incisis atque inflexis
    • 若い(柔らかい)木々を切り開いてねじ曲げ、
  • crebrisque in latitudinem ramis enatis
    • 幅広く密集して枝が生え出るようにして
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ウィキペディアla:Rubusの記事があります。
  • et rubis sentibusque interiectis
    • 木苺や、茨の藪が挿入されるようにして、
  • effecerant, ut instar muri hae saepes munimentum praeberent,
    • これらの生け垣が、城壁と同等のものとして、防御手段を提供するようになさしめていたのだ。
  • quo non modo non intrari,
    • それ〔生け垣〕によって、突入されることができないだけでなく、
  • sed ne perspici quidem posset.
    • 見通されることさえもできないように、と。
  • His rebus cum iter agminis nostri impediretur,
    • これらの事情によって、我が方〔ローマ軍〕の隊列の行軍が阻止されるので、
  • non omittendum sibi consilium Nervii existimaverunt.
    • 自分たちの計略をし損なってはならぬ、とネルウィイー族は判断したのである。

18節[編集]

サビス川を挟んで対峙する両軍の陣営の地形

(ローマ陣営の丘)
  • Loci natura erat haec, quem locum nostri castris delegerant.
    • 我が方〔ローマ軍〕が陣営のために選定しておいた場所の地勢は以下のごとくであった。
  • Collis ab summo aequaliter declivis
    • 丘が頂きから均等に傾斜しており、
  • ad flumen Sabim, quod supra nominavimus, vergebat.
    • 前述したサビス川のたもとまで(下向きに)延びていた。
(対岸の丘)
  • Ab eo flumine pari acclivitate collis nascebatur,
    • その川から、同様な上り坂で、丘が立ち昇って、
  • adversus huic et contrarius,
    • 前者〔ローマ側の丘〕に面して、向かい合わせになっており、
  • passus circiter ducentos(CC) infimus apertus,
    • 一番下〔麓〕は、約200パッススにわたって(地面が)むき出しであるが、
      (訳注:約200パッススは、約300m。)
  • ab superiore parte silvestris,
    • より上の部分からは、樹木が茂っているため、
  • ut non facile introrsus perspici posset.
    • その(森林地帯の)内部では見通すことが容易でないほどであった。
(森の中に潜むネルウィイー族らの軍勢)
  • Intra eas silvas hostes in occulto sese continebant;
    • その森林の中に、敵方は秘密裏に身を閉じ込めていた。
  • in aperto loco secundum flumen
    • 川に沿った開けた場所では、
  • paucae stationes equitum videbantur.
    • 少人数の騎馬の哨兵たちが見られていた。
  • Fluminis erat altitudo pedum circiter trium.
    • 川の深さは約3フィートであった。
      (訳注:約200ペースは、約1.8m。)
サビス川の戦いをめぐる戦場の概略図。
19世紀以来のサンブル川岸説ではなく、20世紀半ばに出て来たスヘルデ川の支流セル川(Selle)岸のソルゾワール(Saulzoir)説[7] に基づく[8]
カエサルとローマ軍は、サビス川(図の水色部分)を渡河してグレー部分の道を右上方向に向かっていたが、川の手前の丘(下の黄色部分)に陣営を置くことにした。本節では、ローマ側の丘と、川を隔てて相対する丘の森の中にネルウィイー族らが陣取っていることに言及している。

19節[編集]

ネルウィイー族らベルガエ勢が、森から出て、全軍を挙げてローマ軍へ殺到(サビス川の戦い

  • Caesar, equitatu praemisso
    • カエサルは、騎兵隊を先遣して、
  • subsequebatur omnibus copiis;
    • 全軍勢とともに追随した。
  • sed ratio ordoque agminis
    • しかし行軍隊列アグメンの編成や順序は、
  • aliter se habebat ac Belgae ad Nervios detulerant.
    • (内通していた)ベルガエ人たちがネルウィイー族に報告しておいたのとは異なるものにしていた。
  • Nam quod hostibus adpropinquabat,
    • なぜなら、敵方に接近していたので、
  • consuetudine sua Caesar sex(VI) legiones expeditas ducebat;
    • カエサルは自らの慣習で6個軍団を軽武装のまま率いていたのだ。
  • post eas totius exercitus impedimenta conlocarat;
    • それら〔6個軍団〕の後方に、全軍の輜重を配置しておいた。
  • inde duae legiones, quae proxime conscriptae erant,
    • それから、最近に徴募されていた2個軍団が、
  • totum agmen claudebant
    • 行軍隊列アグメン全体を閉じていて、
      (訳注:すなわち、殿(しんがり)となっていて)
  • praesidioque impedimentis erant.
    • 輜重にとっての守備隊となっていた。
(ローマ・ネルウィイー族ら両軍の騎兵らによる小競り合い。ネルウィイー勢らは、森の中に出たり入ったりを繰り返す)
  • Equites nostri cum funditoribus sagittariisque flumen transgressi
    • 我が方〔ローマ勢〕の騎兵たちは、投石兵たちや弓兵たちとともに川を渡って、
  • cum hostium equitatu proelium commiserunt.
    • 敵方の騎兵隊と交戦した。
  • Cum se illi identidem in silvas ad suos reciperent
    • 彼ら〔ネルウィイー族ら〕はたびたび森の中の味方のもとへ撤収し、
  • ac rursus ex silva in nostros impetum facerent,
    • 再び森から出て我が方〔ローマ軍〕を襲撃してきたが、
  • neque nostri longius, quam quem ad finem porrecta [ac] loca aperta pertinebant, cedentes insequi auderent,
    • 我が方〔ローマ勢〕は、広がり開けた土地が縁に及んでいた所よりも遠くまでは、退却者たちをあえて追跡しようとはしなかったので
(古参の6個軍団のローマ兵らが、陣営の設営工事に取り掛かる)
  • interim legiones sex(VI) quae primae venerant,
    • その間に、初めに来ていた6個軍団が、
  • opere dimenso, castra munire coeperunt.
    • 工事の測量をして、陣営を防壁で固め始めた。
(ローマ兵を目の当たりにしたネルウィイー勢らが、森の中から躍り出てローマ側の騎兵隊を奇襲する)
  • Ubi prima impedimenta nostri exercitus ab iis, qui in silvis abditi latebant, visa sunt,
    • 我が方の軍隊〔ローマ軍〕の一番前の輜重が、森の中に隠れて潜伏していた者たち〔ネルウィイー勢ら〕により見つけられるや、
  • quod tempus inter eos committendi proelii convenerat,
    • その時を開戦時と、彼ら〔敵方〕の間で合意していたが、
  • ita ut intra silvas aciem ordinesque constituerant atque ipsi sese confirmaverant,
    • こうして森の中で戦列と隊形を整えて、自分たちを互いに励ましあっていたように、
  • subito omnibus copiis provolaverunt
    • 突如として、全軍勢をあげて躍り出て、
  • impetumque in nostros equites fecerunt.
    • 我が方〔ローマ方〕の騎兵たちに襲撃をしかけた。
  • His facile pulsis ac proturbatis,
    • 彼ら〔ローマ方の騎兵〕が容易に撃退されて、壊走させられ、
  • incredibili celeritate ad flumen decucurrerunt,
    • (ネルウィイー勢らが)信じがたいほどの素早さで川のたもとへ走り降りたため、
  • ut paene uno tempore et ad silvas et in flumine et iam in manibus nostris hostes viderentur.
    • ほとんど一時いちどきに、森の近辺や川の中に、そしてすでに我が方〔ローマ方〕の手近な所に、敵方が見られていたほどである。
(ネルウィイー勢らが、丘陵を駆け上って、ローマ軍団兵を急襲する)
  • Eadem autem celeritate adverso colle ad nostra castra
    • 他方で、同様の素早さで、我が方〔ローマ軍〕の陣営のそばまで丘へ向かって進み、
  • atque eos, qui in opere occupati erant, contenderunt.
    • 工事に従事していた者たち〔ローマ兵〕を急襲した。
サビス川の戦いにおける布陣図(左)と戦況図(右)。
※『ガリア戦記』の古戦場を発掘したウジェーヌ・ストッフェル大佐(Eugène Stoffel:1821-1907)による19世紀の旧説によるもの、現在のサンブル川岸で戦われたとする説で[1]、近年では必ずしも定説とはいえなくなっている。

20節[編集]

急襲されたローマ軍は危機的な状況に陥るが、鍛錬された将兵が規律を示す

  • Caesari omnia uno tempore erant agenda:
    • カエサルにとって、すべてのことは一時いちどきになされねばならなかった。
  • vexillum proponendum, quod erat insigne, cum ad arma concurri oporteret;
    • 武器のもとへ急ぎ集合しなければならないときには、合図であった分遣隊旗ウェクシッルムが提示されなければならない。
      (訳注:「/古代ローマの軍旗類」を参照。)
古代ローマ時代のラッパ(Roman tuba
  • signum tuba dandum;
    • 号令シグヌムがラッパによって下されなければならない。
      (訳注:ラッパは突撃の号令に用いられていた。『内乱記』第3巻46節を参照。)
  • ab opere revocandi milites;
    • 兵士たちは工事から呼び戻されなければならない。
  • qui paulo longius aggeris petendi causa processerant arcessendi;
    • (土塁を築くための)土砂を求めるためにやや遠くへ進み出ていた者たちを呼び寄せなければならない。
  • acies instruenda;
    • 戦列アキエースが整えられなければならない。
  • milites cohortandi;
    • 兵士たちは激励されなければならない。
  • signum dandum.
    • 号令シグヌムが下されなければならない。
  • Quarum rerum magnam partem temporis brevitas et successus hostium impediebat.
    • そういった事柄の大部分を、時間の短さと敵方の接近が妨げた。
      (訳注:下線部は、写本により、successus(接近)、incursus(突撃)の異読に分かれる。)
二つの救いとは
  • His difficultatibus duae res erant subsidio,
    • これらの困難さには、二つの事情が救いとなっていた。
  • scientia atque usus militum,
    • (一つ目は)兵士たちの知識と経験であり、
  • quod superioribus proeliis exercitati,
    • すなわち、これより以前の戦闘で鍛錬され、
  • quid fieri oporteret, non minus commode ipsi sibi praescribere quam ab aliis doceri poterant,
    • 何がなされるべきかを、他人から教えられるのと同じように、都合よく自分自身に教示することができていた。
  • et quod ab opere singulisque legionibus singulos legatos Caesar discedere nisi munitis castris vetuerat.
    • (二つ目は)カエサルが各副官レガトゥスに、陣営の防備を固めないかぎり工事と各軍団から離れることを禁じていたことである。
  • Hi propter propinquitatem et celeritatem hostium
    • 彼ら〔副官たち〕は、敵の接近と素早さのゆえに、
  • nihil iam Caesaris imperium exspectabant,
    • もはや、何らカエサルの指令を待っていなかったのみならず、
  • sed per se quae videbantur administrabant.
    • 自分たちで、良いと思われる事をも遂行していたのである。

21節[編集]

カエサルから激励を受ける軍団兵。

カエサルが第10軍団を鼓舞。切迫した状況で兵士たちが軍旗のもとに集まる

  • Caesar, necessariis rebus imperatis,
    • カエサルは、必要な事柄を命令すると、
  • ad cohortandos milites,
    • 兵士たちを激励するために、
  • quam in partem fors obtulit, decucurrit
    • 偶然がもたらしたある方面に走り降りて、
  • et ad legionem decimam devenit.
  • Milites non longiore oratione cohortatus
    • (カエサルは)兵士たちをあまり長くない弁舌で激励したが、
  • quam uti suae pristinae virtutis memoriam retinerent
    • (それは)自分たちのかつての武勇の記憶を保ち続けるように
  • neu perturbarentur animo
    • かつ、心をかき乱されないように
  • hostiumque impetum fortiter sustinerent,
    • かつ、敵方の襲撃を勇敢に持ちこたえるように(という程度より長くはなかった)。
  • quod non longius hostes aberant quam quo telum adigi posset,
    • 敵方が、飛び道具が投げ付けられることができる程度にしか離れていなかったので、
  • proelii committendi signum dedit.
    • 交戦することの号令シグヌムを下した。
敵勢の接近にあわてた軍団兵たちが、取るものも取り敢えず身近な軍旗のもとに馳せ参じる
  • Atque in alteram partem item cohortandi causa profectus
    • さらに(カエサルは)他の方面にも同様に激励するために出て行って、
  • pugnantibus occurrit.
    • (すでに来襲した敵勢と)戦っている者たちに出くわした。
  • Temporis tanta fuit exiguitas hostiumque tam paratus ad dimicandum animus,
    • 時間がこれほどにも短かったし、敵方がこれほどにも闘志満々だったので
  • ut non modo ad insignia accommodanda,
    • 徽章を身に着けるため(の時間がなかった)のみならず、
      (訳注:insignia は、Edwards の英訳では badges。徽章あるいは兜の飾りと解釈されることが多い。)
  • sed etiam ad galeas induendas scutisque tegimenta detrahenda tempus defuerit.
    • 鉄兜ガレアを着用し、長盾スクートゥムの覆いを取り外す時間さえも欠いていたほどであった
      (訳注:鉄兜 (ガレア)については、下の画像を参照。)
  • Quam quisque ab opere in partem casu devenit
    • めいめいが工事から(離れて)ある方面にたまさかやって来て、
  • quaeque prima signa conspexit, ad haec constitit,
  • ne in quaerendis suis pugnandi tempus dimitteret.
    • 自分たちの隊を探すことで戦う時間を無駄にすることはしなかったのである。


 ローマ軍の鉄兜Galeaガレア) 共和制末期~帝制期のものは、ガリアの影響でほお当てが付くようになっていた。

22節[編集]

ローマ勢が、不利な戦況において臨機応変に対処することを強いられる

  • Instructo exercitu
    • (ローマの)軍隊が整列され
  • magis ut loci natura deiectusque collis et necessitas temporis, quam ut rei militaris ratio atque ordo postulabat,
    • (それは)軍事的な規則や秩序よりも、地勢や丘の急な坂や、時の必要性が要求したように(なされた)。
  • cum diversis legionibus aliae alia in parte hostibus resisterent
    • 軍団が分散し、それぞれが別の方面で敵に抵抗していたときに、
  • saepibusque densissimis, ut ante demonstravimus, interiectis prospectus impediretur,
    • 最も密生した垣根が前述したように間に置かれて、眺望が妨げられており、
  • neque certa subsidia conlocari
    • 確実な予備軍が配置されることもなく、
      (訳注:後方から来る新参の2個軍団のこと)
  • neque, quid in quaque parte opus esset, provideri
    • それぞれの方面で必要である物が調達されることもなく、
  • neque ab uno omnia imperia administrari poterant.
    • 一人によってすべての命令が統括されることも、できなかった。
  • Itaque in tanta rerum iniquitate
    • こうして、このような状況の不利さにおいて
  • fortunae quoque eventus varii sequebantur.
    • 運命のさまざまな出来事もまた、続いて起こったのである。

23節[編集]

ローマ軍のピールム(投槍)

ローマ勢が左翼・中央で優勢になるが、ボドゥオーグナートゥス麾下ネルウィイー族がローマ陣営を目指して猛攻をかける

  戦列の左翼方面では、第9軍団と第10軍団がアトレバテース族を撃退
  • Legionis nonae(VIIII.) et decimae(X.) milites, ut in sinistra parte aciei constiterant,
    • 第9軍団第10軍団の(ローマ人)兵士たちは、戦列アキエースの左の部分に陣取っていたので、
  • pilis emissis
    • (ローマ人兵士らによって)投げ槍ピールムが投げ込まれて、
  • cursu ac lassitudine exanimatos vulneribusque confectos Atrebates
    • 疾駆して来たことの疲労で息も絶え絶えで、かつ傷で消耗していたアトレバテース族の者たちを、
  • ── nam his ea pars obvenerat ──
    • ──その部分〔アトレバテース勢を迎え撃つ左翼方面〕が彼ら〔2個軍団〕に割り当てられていたので──
  • celeriter ex loco superiore in flumen compulerunt
    • 速やかに(丘の斜面の)より高い地点から川の中に追い立てて、
  • et transire conantes insecuti
    • (対岸に)渡ることを試みている者たちを追撃して、
  • gladiis magnam partem eorum impeditam interfecerunt.
    • 長剣グラディウスで、彼ら〔アトレバテース族〕の大部分が立ち往生しているところを殺戮さつりくした。
グラディウス (長剣)を構えるローマ兵。
  • Ipsi transire flumen non dubitaverunt
    • 彼ら自身〔ローマ軍団兵たち〕は、川を渡ることをためらわず、
  • et in locum iniquum progressi
    • 不利な地点に前進したままで、
      (訳注:対岸の丘の上り坂では、低い位置から高い位置の敵を攻めるので不利になる)
  • rursus resistentes hostes redintegrato proelio in fugam coniecerunt.
    • 再び抵抗している敵方を、再開された闘いによって、敗走に追いやった。
      (訳注:coniecerunt「(敗走に) 陥らせた」は α系写本の読みで、β系写本では dederunt とするが、意味は同様。)


  戦列の中央では、第11軍団と第8軍団が、ウィロマンドゥイー族を圧倒する
  • Item alia in parte
    • 同様に、他の方面でも、
  • diversae duae legiones, undecima(XI.) et octava(VIII.),
  • profligatis Viromanduis quibuscum erant congressi,
    • ウィロマンドゥイー族の者たちと激突して打ち負かし、
  • ex loco superiore in ipsis fluminis ripis proeliabantur.
    • (丘の斜面の)より高い場所から、同じ川の岸にかけて闘っていた。


  ローマの陣営の守備が手薄になり、第12軍団と第7軍団のいる右翼方面から、ボドゥオーグナートゥス麾下ネルウィイー勢が強襲する
  • At totis fere castris a fronte et a sinistra parte nudatis,
    • だが、ほぼ陣営全体が前面と左側面において無防備にされて、
      (訳注:訳注:左翼と中央の各軍団が敵を追撃して不在になったため)
  • cum in dextro cornu legio duodecima(XII.) et non magno ab ea intervallo septima(VII.) constitisset,
    • 右のよくでは、第12軍団とそれからあまり大きな間隔をあけずに第7軍団が陣取っていたけれども、
ベルギー史の本(1845年)の挿絵に郷土の英雄として描かれたボドゥオーグナートゥス(Buduognat)。
  • omnes Nervii confertissimo agmine
  • duce Boduognato, qui summam imperii tenebat,
    • 指揮インペリウムの全権を掌握していたボドゥオーグナートゥスを司令官ドゥクスとして、
      (訳注:19世紀の西欧では、カエサルの侵略に抵抗した武将は郷土の英雄として称揚された。右図参照)
  • ad eum locum contenderunt;
    • その〔ローマ軍右翼の〕地点へと急襲した。
  • quorum pars <ab> aperto latere legiones circumvenire,
    • 彼ら〔ネルウィイー族部隊〕の一部は、開いた側面から両軍団を攻め囲んで、
      (訳注:「開いた側面」とは、左手で持つ盾によって防護されていないローマ兵の右手の側面)
  • pars summum castrorum locum petere coepit.
    • 他の一部は、(ローマ勢の)陣営のある(丘の)頂上の地点を襲撃し始めた。
サビス川の戦いの布陣図。19世紀以来のサンブル川岸説によるもの。
本節の記述に従って、ローマ軍左翼の第9軍団第10軍団はアトレバテース族に、中央の第11軍団第8軍団が、ウィロマンドゥイー族に、ローマ軍右翼の第12軍団第7軍団ネルウィイー族に向き合っている。

24節[編集]

ネルウィイー勢の突入によってローマ方の陣営が大混乱に陥り、騎兵・軽装兵・軍属奴隷たちが四散する

  陣営に逃げ帰っていた騎兵や軽装歩兵たちが、敵襲に持ちこたえられず、再び逃げ出す
  • Eodem tempore
    • 同じ頃、
  • equites nostri levisque armaturae pedites, qui cum iis una fuerant,
    • 我が〔ローマ方の〕騎兵たち、および彼らと一緒にいた軽装歩兵たちは、
  • quos primo hostium impetu pulsos dixeram,
    • 敵方の最初の襲撃により撃退されたと述べた者たちであるが、
      (訳注:#19節 を参照)
  • cum se in castra reciperent, adversis hostibus occurrebant
    • 陣営に退却してきたときに、前方の敵方〔ネルウィイー族〕に立ち向かっていたが、
  • ac rursus aliam in partem fugam petebant;
    • 再び他の方面に逃走を求めていた。


ローマ式陣営castra Romana)の概略図。が第10大隊の門(porta decumana)で、陣営の裏門に当たる。
古代ローマ時代の、首根っこを互いにつながれて苦役に従事させられる奴隷たち。
  軍属奴隷たちも敵襲にあわてて逃げ出す
  • et calones, qui ab decumana porta ac summo iugo collis
    • 軍属奴隷カーローは、第十の門や丘の尾根の頂きから、
      (訳注1:軍属奴隷カーロー calo は、輜重の運搬や陣営の世話のために使役され、
          1個軍団で2000名ほどと推定されているので、
          8個軍団では1万6000名という勘定になるが、
          このとき大半は後方から来る輜重の運搬に従事していたとしても、
          丘の陣営にも千人規模でいたとも想定される。
      (訳注2:「第十の門」は、第10大隊が守備することになっていた門で、
          陣営の裏門に当たる。右図を参照。)
  • nostros victores flumen transisse conspexerant,
    • 我が方〔ローマ軍団兵〕が勝者として渡河したのを注視していたが、
  • praedandi causa egressi,
    • (奴隷たち自身が)略奪のために出て行って、
  • cum respexissent et hostes in nostris castris versari vidissent,
    • 振り返って見たときに、敵勢が我が陣営に出入りしているのを見て、
  • praecipites fugae sese mandabant.
    • 脇目も振らずに、逃亡に身をゆだねた。
  • Simul eorum, qui cum impedimentis veniebant, clamor fremitusque oriebatur,
    • 輜重とともに来ていた者たちの、叫び声やどよめきが生じるや否や、
  • aliique aliam in partem perterriti ferebantur.
    • それぞれが別の方面に、脅えながら駆り立てられていた。


  武勇で名高い支援軍のトレーウェリー族の騎兵たちも、ローマ陣営を見捨てて故国へ退散する
  • Quibus omnibus rebus permoti equites Treveri,
    • これらすべての事に動揺させられたトレーウェリー族の騎兵たちは、
  • quorum inter Gallos virtutis opinio est singularis,
    • 彼らの武勇の評判は、ガッリア人の間では比類なきものであり、
  • qui auxilii causa a civitate missi ad Caesarem venerant,
    • 支援軍アウクシリアとして部族国家から派遣されて、カエサルのもとへ来ていたが、
  • cum multitudine hostium castra [nostra] compleri,
    • 多勢の敵により我が〔ローマ方の〕陣営が埋め尽くされ、
  • legiones premi et paene circumventas teneri,
    • 諸軍団は圧倒されてほとんど包囲され続け、
  • calones, equites, funditores, Numidas diversos dissipatosque in omnes partes fugere vidissent,
    • 軍属奴隷カーロー・騎兵・投石兵・ヌミディア人らがばらばらに追い散らされて、あらゆる方面に逃げるのを目撃していたので、
  • desperatis nostris rebus domum contenderunt;
    • 我が方の戦況に絶望して、故国へと急いで行った。
  • Romanos pulsos superatosque, castris impedimentisque eorum hostes potitos civitati renuntiaverunt.
    • ローマ人たちは駆逐され撃破されて、彼らの陣営や輜重を敵方が獲得したと、部族国家に報告した。

25節[編集]

苦戦する右翼の第12軍団の将兵が、カエサルの激励に応えて敵勢の猛攻に耐える

  • Caesar ab decimae(X.) legionis cohortatione ad dextrum cornu profectus,
    • カエサルは、第10軍団を激励してから、右翼の方へ赴いて、
  • ubi suos urgeri
    • そこで麾下の者たちが攻め立てられて、
  • signisque in unum locum conlatis duodecimae(XII.) legionis
    • 第12軍団の軍旗シグヌムが一つの場所に集められて
  • confertos milites sibi ipsos ad pugnam esse impedimento vidit,
    • 密集した兵士たち自身が互いに戦闘の妨げになっているのを見た。
  • quartae cohortis omnibus centurionibus occisis
    • 第4歩兵大隊コホルスのすべての百人隊長ケントゥリオーたおされ、
      (訳注:一つの歩兵大隊は、通常は六つの歩兵小隊ケントゥリアから成っていたので、
          定員通りなら、百人隊長も6名いたことになる。)
  • signiferoque interfecto, signo amisso,
    • 軍旗手シグニフェルも殺され、軍旗シグヌムを失って、
  • reliquarum cohortium omnibus fere centurionibus aut vulneratis aut occisis,
    • 残りの歩兵大隊コホルスのほぼすべての百人隊長ケントゥリオーが、傷つけられるかたおされて、
  • in his primipilo Publio(P.) Sextio Baculo fortissimo viro
    • 彼らの中の 首位百人隊長プリームス・ピールス のプーブリウス・セクスティウス・バクルスという最も勇敢な男は
      (訳注:一つの軍団は、当時は最大60個の 歩兵小隊ケントゥリア から成っており、
          60名の 百人隊長ケントゥリオー には詳細かつ厳然たる序列があったが、
          第1歩兵大隊コホルスの第3戦列担当の二人のうちの一人が
          首位百人隊長プリームス・ピールス として60名の序列の最上位と決められていた。)
      (訳注:Publius Sextius Baculus などの記事を参照。
          バクルスについては、第3巻5節第6巻38節 でも言及される。)
  • multis gravibusque vulneribus confecto, ut iam se sustinere non posset,
    • 多くの重い傷で消耗してので、もはや立っていることができなかったほどであった。
  • reliquos esse tardiores
    • 残りの者たちはぐずぐずとして、
  • et nonnullos ab novissimis deserto <loco> proelio excedere ac tela vitare,
    • 最後尾のところの若干の者たちは持ち場を放棄し、戦いから離脱して、飛び道具を避けた。
      (訳注:下線部は、写本では desertos または deserto だが、loco の挿入提案や、
           desertores への修正提案など校訂者の主張は分かれている。)
  • hostes neque a fronte ex inferiore loco subeuntes intermittere
    • 敵勢は前面から、より低い地点から間断なく攻め登って来て、
  • et ab utroque latere instare
    • 両側面から攻め立てて、
  • et rem esse in angusto vidit,
    • 戦況が苦境に陥っているのを(カエサルは)見たが、
  • neque ullum esse subsidium quod submitti posset:
    • 増援に派遣することができる援兵は誰もいなかった。
  • scuto ab novissimis [uni] militi detracto,
    • (カエサルは)最後尾のところの一人の兵士の長盾スクートゥムを引ったくり、
  • quod ipse eo sine scuto venerat,
    • というのも彼自身がそこに長盾スクートゥムなしで来ていたからであるが、
  • in primam aciem processit centurionibusque nominatim appellatis
    • 第一戦列に進み出て、百人隊長ケントゥリオーたちを名前で呼びかけて、
  • reliquos cohortatus milites
    • 残りの兵士たちを激励し、
  • signa inferre et manipulos laxare iussit,
    • 軍旗を持ち運んで 歩兵中隊マニプルス を広く展開することを命じて、
      (訳注:「軍旗を持ち運んで」⇒「進軍して」
  • quo facilius gladiis uti possent.
    • そのことによって、より容易に剣を使えるようにさせようとした。
  • Cuius adventu spe inlata militibus ac redintegrato animo,
    • 彼〔カエサル〕が来たので希望が兵士たちにもたらされ、心を新たにして、
  • cum pro se quisque in conspectu imperatoris etiam in extremis suis rebus operam navare cuperet,
    • 各々が自分らのために、将 軍インペラートル〔カエサル〕の注視の中で、極限の状態においてさえ、熱心に尽力することを願ったので、
  • paulum hostium impetus tardatus est.
    • 敵の襲撃が少し鈍くなった。

26節[編集]

トリブヌス・ミリトゥム tribunus militum の再演。

ローマ勢右翼の第7軍団が頑強に敵に抵抗し、3個軍団が増援に向かう


  カエサルの指示で、陣形を転換させた右翼の第7軍団が粘り強く敵に抵抗する
  • Caesar,
    • カエサルは、
  • cum septimam(VII.) legionem, quae iuxta constiterat, item urgeri ab hoste vidisset,
    • すぐ近くに陣取っていた第7軍団もまた敵によって攻め立てられているのを見たので、
      (訳注:第7軍団は、前節で言及された第12軍団とともにローマ軍右翼を形成していた。)
  • tribunos militum monuit,
    • 兵士長官トリブヌス・ミリトゥムたちに忠告して
      (訳注:tribunus militum には定訳がなく、日本語に訳し難いがここでは「兵士長官」とした。
          元老院議員クラスが任官する高級将校・幕僚で、元来は軍団の指揮官であったが、
          マリウスの軍制改革によってレガトゥス百人隊長たちとの間の中間管理職となり、
          1個軍団に6名が配属され、毎月2名ずつ3交代で軍団を管理したとされている。)
  • ut paulatim sese legiones coniungerent et conversa signa in hostes inferrent.
    • 少しずつ(二つの)軍団が結び付いて、敵方に向きを変えて進撃するようにさせた。
      (訳注:signa inferre「軍旗を運ぶ」=「進軍する」)
  • Quo facto
    • それがなされると、
  • cum alius alii subsidium ferret neque timerent, ne aversi ab hoste circumvenirentur,
    • それぞれ(の軍団)が互いの増援をもたらして、敵から追い返されて包囲されるのではないかと恐れることがないようにしていたので、
  • audacius resistere ac fortius pugnare coeperunt.
    • (両軍団は)より大胆に抵抗して、より果敢に戦い始めた。


  輜重を護衛していた後続の2個軍団が、戦場へと急ぐ
  • Interim milites legionum duarum, quae in novissimo agmine praesidio impedimentis fuerant,
    • その間に、行軍隊列アグメンの最後尾にて輜重の守備隊となっていた2個軍団の兵士たちが、
  • proelio nuntiato, cursu incitato,
    • 戦闘が報告されたので、(戦場へと)駆けることを急がされて〔急いで〕、
  • in summo colle ab hostibus conspiciebantur,
    • 丘の頂きにいた敵方から視認されていた。
      (訳注:頂上でローマ軍の陣営を攻めていたネルウィイー勢の視界に入った。)


  敵の陣営を占領した副官ラビエーヌスが、第10軍団を味方の援兵として送り出す
  • et Titus Labienus castris hostium potitus
    • ティトゥス・ラビエーヌスは(対岸にある)敵の陣営を占領し、
      (訳注:ラビエーヌスは、ローマ軍左翼の第9軍団と第10軍団を率いてアトレバテース勢を追撃していた。)
  • et ex loco superiore, quae res in nostris castris gererentur, conspicatus
    • より高い場所から、我が方の〔ローマ人の〕陣営においてどんな事が行なわれているのか、気づいて、、
  • decimam(X.) legionem subsidio nostris misit.
    • 第10軍団を、我が方の増援として派遣した。
  • Qui cum ex equitum et calonum fuga,
    • この者たち〔第10軍団〕は、騎兵たちや軍属奴隷カーローたちの逃亡から
      (訳注:対岸のより高い丘から、ローマ陣営から逃げ出す騎兵や奴隷が見えたのであろう。)
  • quo in loco res esset quantoque in periculo et castra et legiones et imperator versaretur, cognovissent,
    • どの場所で戦いがあるか、陣営や軍団や将軍〔カエサル〕がどれほどの危険に巻き込まれているのかを知っていたので
  • nihil ad celeritatem sibi reliqui fecerunt.
    • 自分たちの迅速さの他には何もしなかった。
      (訳注:自分たちの迅速さだけに専念した)

27節[編集]

戦場の潮目が変わって、ローマ勢の士気が高揚するが、ネルウィイー勢も奮戦する

  • Horum adventu
    • これらの者たちの到着によって、
      (訳注:後続の輜重を守っていた第13軍団・第14軍団の2個軍団、
          および前節でラビエーヌスが派遣した第10軍団の計3個軍団。)
  • tanta rerum commutatio est facta, ut nostri,
    • 我が方〔ローマ軍〕の以下のような戦況の変化が生じた。
  • etiam qui vulneribus confecti procubuissent, scutis innixi proelium redintegrarent;
    • 傷で消耗して倒れ伏していた者たちでさえも、長盾スクートゥムに寄りかかって戦いを新たにやり直していた。
      (訳注:長盾スクートゥム を用いるのは軍団兵)
  • calones, perterritos hostes conspicati, etiam inermes armatis occurrerent;
    • 軍属奴隷カーローたちは、敵方がおじけていると気づくと、非武装のままでさえ(敵勢の)武装した者たちに立ち向かっていた。
  • equites vero, ut turpitudinem fugae virtute delerent,
    • さらに、騎兵たちは、逃走の恥辱を武勇で払拭せんと、
      (訳注:#24節 では、敵勢の攻勢に耐えられず、再度の逃走を強いられていた。)
  • omnibus in locis pugnant quo se legionariis militibus praeferrent.
    • いたるところで、軍団の兵士たちより抜きん出るように、闘う。
      (訳注:下線部は、写本や校訂版によって読みが大きく分かれる。注解参照。)
      (訳注:軍団兵が甲冑で身を固めた重装歩兵であるのに対し、
         騎兵はガッリアなどの同盟部族から供出される軽装の者が中心であった。)
  ネルウィイー勢も死力を尽くして闘う
  • At hostes, etiam in extrema spe salutis, tantam virtutem praestiterunt ut,
    • それに対して、敵方〔ネルウィイー族〕も身の安全の最後の希望の中で、以下のような武勇を示した。
  • cum primi eorum cecidissent,
    • 彼らの先頭の者たちがたおれるや、
  • proximi iacentibus insisterent atque ex eorum corporibus pugnarent;
    • 隣の者たちは伏している者たち〔戦死者〕の上に乗っかって、彼らの体〔遺体〕の上から戦った。
  • his deiectis et coacervatis cadaveribus,
    • 彼らも倒されると、死体が積み重ねられて、
  • qui superessent, ut ex tumulo, tela in nostros conicerent et pila intercepta remitterent:
    • 生き残った者たちは、(死体の)塚からするように、飛び道具を我が方に投げ、投槍ピールムを奪い取って投げ返した。
  • ut non nequiquam tantae virtutis homines iudicari deberet ausos esse
    • これほどの武勇の人々が(以下の行為を)無意味に敢えてしたと判断されるべきではない。
  • transire latissimum flumen,
    • とても幅広い川を渡ること、
  • ascendere altissimas ripas,
    • とても高い岸を登ること、
  • subire iniquissimum locum;
    • とても不利な場所に近づくこと、を。
  • quae facilia ex difficillimis animi magnitudo redegerat.
    • 闘魂の気高さが、非常な困難さをそのような容易さにしたのである。

28節[編集]

ネルウィイー族の降伏

  • Hoc proelio facto
    • この戦闘がなされると、
  • et prope ad internecionem gente ac nomine Nerviorum redacto,
    • ネルウィイー族の種族と名前がほとんど根絶やしインテルネキオーといえる状態に至らしめられて、
      (訳注:カエサルは種族の皆殺しジェノサイドをしたと誇示しているが、後述のように明らかな大本営発表(誇大宣伝)である。)
  • maiores natu, quos una cum pueris mulieribusque in aestuaria ac paludes collectos dixeramus,
    • 年長者たちが子供たちや婦人たちと一緒に沢地や沼地に集められていたことを前述したが、
      (訳注:16節の最後で、戦闘に役立たないと思われた婦人や高齢者を沼地に移したと述べられた。)
  • hac pugna nuntiata,
    • この戦いが報告されると、
  • cum victoribus nihil impeditum, victis nihil tutum arbitrarentur,
    • 勝者たちにとって何も妨げはなく、敗者たちにとって何も安全なものはない、と判断していたので、
  • omnium qui supererant consensu legatos ad Caesarem miserunt seque ei dediderunt,
    • 生き残っていた者たちの満場一致で、使節たちをカエサルのもとへ遣わして、彼〔カエサル〕に降伏した。
  • et in commemoranda civitatis calamitate
    • 部族の敗戦に言及したことの中で、
  • ex sescentis(DC) ad tres senatores,
    • 評議会議員セナートルたちは600名から3名に、
      (訳注:部族国家の合議制統治機関の構成員もローマの元老院議員に倣って senātor と呼ばれるが、ここでは「評議会議員」と訳す。)
  • ex hominum milibus LX(sexaginta) vix ad quingentos(D), qui arma ferre possent, sese redactos esse dixerunt.
    • 武器を扱える者たちは6万名から辛うじて500名に減ったと述べた。
      (訳注:#4節 では5万人の出兵を約束したと述べられていた。)
      (訳注:軍事史家のゴールズワーシー[9]は、これらの数字が明らかに水増しされていると指摘し、
          後続の巻におけるカエサル自身の言葉によって反証される、としている。
          確かに、第5巻38節以下 では、ほぼ根絶やしにされたはずのネルウィイー族らがローマ軍を攻め、
          第7巻でも援軍を送り出すほど健在である。)
  • Quos Caesar, ut in miseros ac supplices usus misericordia videretur,
    • カエサルは、この者たち〔ネルウィイー族の生き残り〕に対して、哀れな歎願者たちに同情を示したと思われるように、
  • diligentissime conservavit
    • とても注意深く庇護して、
  • suisque finibus atque oppidis uti iussit
    • 自分たちの領土と城砦都市オッピドゥムを用いるように命じた。
  • et finitimis imperavit ut ab iniuria et maleficio se suosque prohiberent.
    • そして近隣の者たちに対しては、己と身内の者たちに(ネルウィイー族への)乱暴や狼藉を禁じるように、と命令した。

アトゥアトゥキー族との戦役[編集]

29節[編集]

アトゥアトゥキー族の籠城;その出自とキンブリー・テウトニー戦争の顛末

  • Atuatuci, de quibus supra diximus,
    • アトゥアトゥキー族、かの者たちについてはかつて述べたが、
      (訳注:4節および16節を参照)
  • cum omnibus copiis auxilio Nerviis venirent,
    • 全軍勢をあげてネルウィイー族支援のためにやって来ていたときに、
  • hac pugna nuntiata
  • ex itinere domum reverterunt;
    • 道中から郷里へ引き返した。
  • cunctis oppidis castellisque desertis,
    • すべての城塞都市オッピドゥムや砦を放棄して、
      (訳注:castellum は、小ぶりな砦を指す。)
  • sua omnia in unum oppidum egregie natura munitum contulerunt.
    • 一切合財を抜群の状態で防御された一つの城市に運び込んだ。


アトゥアトゥキー族攻囲戦Siege of the Atuatuci
カエサルのアトゥアトゥキー族攻囲戦 の概略図。
ナミュールが戦場だったとする説による。⇒詳しく 
ナミュール城塞シタデルCitadel of Namur)。
その起源はローマ時代にさかのぼるとされ、改築を繰り返して現在に至る。
 訳 注 :本節以降で言及されるアトゥアトゥキー族攻囲戦(Siege of the Atuatuci )が戦われた場所は、
現在のベルギーのどこかであることは確かである。しかしながら、カエサルが詳しい情報を記していないため、同定する多くの試みがなされてモサ川〔マース川〕の流域にいくつかの候補地があるものの、確実な場所はないといってよい[10]。 上の図は、モサ川〔マース川〕と支流〔サンブル川〕が合流する現在のナミュールが戦場だったとする説によるものである。


  • Quod cum ex omnibus in circuitu partibus altissimas rupes deiectusque haberet,
    • その城塞都市オッピドゥムは、周囲のすべての方角で非常に高い崖と勾配を持っていたが、
  • una ex parte leniter acclivis aditus in latitudinem non amplius pedum duocentorum(CC) relinquebatur;
    • 一つの方角においては、緩やかな上り坂の出入口が、幅で200ペースを超えない程度で残されていた。
      (訳注:200ペースは、約60メートル)
ローマ軍に滅ぼされたキンブリ族。
フランスの画家アレクサンドル=ガブリエル・ドゥカンによる『キンブリ族の敗北』(«La défaite des Cimbres» par Alexandre-Gabriel Decamps
  • quem locum duplici altissimo muro munierant;
    • その場所を(前もって)二重の非常に高い防壁で囲っていた。
  • tum magni ponderis saxa et praeacutas trabes in muro conlocabant.
    • そのときに、非常に重い岩や先の尖った木材を防壁に配置していた。


アトゥアトゥキー族の出自
  • Ipsi erant ex Cimbris Teutonisque prognati,
  • qui cum iter in provinciam nostram atque Italiam facerent,
  • iis impedimentis, quae secum agere ac portare non poterant
    • 彼らの輜重を、自ら伴なって駆ることや運ぶことができなかったので、
      (訳注:ここで輜重とは、牛などの家畜や、携帯できる荷物などを指すと考えられている。[11]
  • citra flumen Rhenum depositis
  • custodiae ex suis ac praesidio sex(VI) milia hominum una reliquerunt.
    • 身内の者らの中から番兵と護衛兵として6000人の兵員を一緒に残しておいた。
  • Hi post eorum obitum
    • この者たち〔6千人〕は、彼ら〔キンブリー族とテウトニー族〕が滅んだ後で、
  • multos annos a finitimis exagitati,
    • 多くの年月にわたり近隣部族たちから追い立てられて、
  • cum alias bellum inferrent, alias inlatum defenderent,
    • 他部族に戦争をしかけたり、他部族から(戦争を)しかけられて防戦したりしたけれども、
  • consensu eorum omnium pace facta
    • 彼ら〔他部族〕すべてとの合意により講和がなされて、
  • hunc sibi domicilio locum delegerunt.
    • この場所を居住地に選び取ったのである。

30節[編集]

ローマ軍に城塞都市を包囲されたアトゥアトゥキー族が、大声で野次を飛ばす

  • Ac primo adventu exercitus nostri
    • 我が方の軍隊〔ローマ軍〕の到着から当初は、
  • crebras ex oppido excursiones faciebant
    • (アトゥアトゥキー族は)城塞都市オッピドゥムからたびたびの出撃をして、
  • parvulisque proeliis cum nostris contendebant;
    • 我が方と小競り合いを闘っていた。


ローマ軍が、アトゥアトゥキー族が籠城する城塞都市を堡塁で囲み、攻囲戦を開始する
  • postea vallo pedum XII(duodecim) in circuitu quindecim milium crebrisque castellis circummuniti
    • 周囲1万5000ペースにわたって(高さ)12ペース堡塁ウァッルムと多数の砦で包囲された後は、
      (訳注:pedum XII ⇒ 1ペースは約29.6cmだから、約3.55mの堡塁となる。
           これは#5節と同様で、「および18ペースの堀」が省略されていると思われる。
          quindecim milium ⇒ 15マイルと解釈すると全周22キロメートル超となり、
           かなりの日数を要する大掛かりな普請となってしまうため、疑問視される。
           pedum ~ quindecim milium「15000ペース」と解すれば、約4.44キロ程度となる。)
  • oppido sese continebant.
    • (アトゥアトゥキー族は)城塞都市オッピドゥムに立てこもっていた。
  • Ubi vineis actis, aggere exstructo, turrim procul constitui viderunt,
    • 工作小屋ウィネアが駆動され、土塁アッゲルが積み上げられ、攻城櫓トゥッリスが遠く隔たって配置されたのを見るや否や、
      (訳注:工作小屋ウィネア土塁アッゲル攻城櫓トゥッリスについては、12節を参照。)
  • primum inridere ex muro atque increpitare vocibus,
    • はじめのうちは防壁の内から嘲笑して(以下のように)大声でき下ろしていた。
  • quod tanta machinatio a tanto spatio institueretur:
    • というのも、あれほど大仕掛けのものがあれほどの隔たりのところに築き上げられていたためである。


アトゥアトゥキー族がローマ人の攻城櫓を見ながら野次を飛ばす
  • quibusnam manibus aut quibus viribus praesertim homines tantulae staturae
    • 一体いかなる人手マヌスといかなる力ずくウィースで、特にあれほどちっぽけな身の丈の人間ども〔ローマ人〕が
  • ── nam plerumque omnibus Gallis prae magnitudine corporum suorum brevitas nostra contemptui est ──
    • ──なぜなら、たいていすべてのガッリア人は己の身体の大きさのため、我ら〔ローマ人〕の短身を卑しんでいたからであるが──
  • tanti oneris turrim in muro sese conlocare confiderent?
    • あれほどの重さの塔を防壁に置くことに自信があるのだろうか?

31節[編集]

雷神タラニス(Taranis)の像。
ケルト神話の天空神で、右手に稲妻を、左手に車輪を持っている。
戦争や死をも司る。

アトゥアトゥキー族の講和条件

  • Ubi vero moveri et adpropinquare moenibus viderunt,
    • だが(攻城櫓が)動かされて城壁に近づいて来るのを見るや否や、
  • nova atque inusitata specie commoti
    • (アトゥアトゥキー族は)未知の尋常でない光景に動揺させられて、
  • legatos ad Caesarem de pace miserunt,
    • カエサルのもとへ講和についての使節たちを遣わした。
  • qui ad hunc modum locuti:
    • この者たちは、以下のように話した。
城壁(図中の左端)を攻略するために築かれた土塁アッゲル の上り坂を登り切って城壁に近づいた攻城櫓トゥッリス(再掲)。
  • non se existimare Romanos sine ope divina bellum gerere,
    • 自分たち〔アトゥアトゥキー族〕は、ローマ人がのご加護なしに戦争を遂行しているとは考えていない。
  • qui tantae altitudinis machinationes tanta celeritate promovere et ex propinquitate pugnare possent,
    • あれほどの高さの大仕掛けをあれほどのすばやさで前進させて接近して戦うことができるとは。
      (訳注:下線部は、β系写本の記述で、α系写本にはない。)
  • se suaque omnia eorum potestati permittere dixerunt.
    • 自分たちとその一切合財を彼ら〔ローマ人〕の支配に委ねる、と言ったのだ。
  • Unum petere ac deprecari:
    • 一つだけ求めかつ哀願することがある:
  • si forte pro sua clementia ac mansuetudine, quam ipsi ab aliis audirent,
    • おそらく、自分たちが他(の部族)から聞いている(カエサルの)寛容さと温情によって、もし
  • statuisset Atuatucos esse conservandos,
    • (カエサルが)アトゥアトゥキー族は存続されるべきであると決定するならば、
  • ne se armis despoliaret.
    • 自分たちから武器を奪わないでくれ。
  • Sibi omnes fere finitimos esse inimicos ac suae virtuti invidere;
    • 自分たちにとってほぼすべての近隣部族は敵対者であって、自分らの武勇を妬んでおり、
  • a quibus se defelldere traditis armis non possent.
    • 武器が引き渡されたら、その者たち〔近隣部族〕から自分たちを防衛することはできないのだ。
  • Sibi praestare, si in eum casum deducerentur, quamvis fortunam a populo Romano pati,
    • もしそのような結末に落とされるならば、たとえローマ人民により不運を被るとしても、自分たちにとって、
  • quam ab his per cruciatum interfici, inter quos dominari consuessent.
    • (アトゥアトゥキー族が)支配するのが常であった者たちの間で、彼らにより責め苦で殺されるよりはよりましである

32節[編集]

アトゥアトゥキー族がカエサルへの恭順を装って、多くの武器を投げ捨て、城門を開く

  • Ad haec Caesar respondit:
    • これに対して、カエサルが(以下のように)応じた:
  • se magis consuetudine sua quam merito eorum civitatem conservaturum,
    • 自分は、彼ら〔部族〕の功労に応じてというよりも、自らの慣習によって、部族国家を存続させるであろう。
  • si priusquam murum aries attigisset se dedidissent;
    • もし破城槌アリエースが城壁に突撃する前に(部族国家が)降伏してしまっていればの話であるが。
      (訳注:破城槌については、#aries を参照。)
  • sed deditionis nullam esse condicionem nisi armis traditis.
    • けれども武器が引き渡されない限りは、いかなる降伏の条件もないのだ。
  • Se id quod in Nerviis fecisset facturum
    • 自分〔カエサル〕はネルウィイー族になした(と同様の)ことを行うであろう。
  • finitimisque imperaturum, ne quam dediticiis populi Romani iniuriam inferrent.
    • かつ近隣(部族)に、ローマ人民に降伏した者たちに狼藉を働かないように命令するであろう。


アトゥアトゥキー族がカエサルの講和条件を呑んで、堀いっぱいの武器を放り捨てる
  • Re nuntiata ad suos
    • その事が(アトゥアトゥキー族の)身内の者たちに報知されると、
  • illi se quae imperarentur facere dixerunt.
    • 彼らは、自分たちは命令されたことを行なうと述べた。
      (訳注:下線部は β系写本の記述で、α系写本にはない。)
  • Armorum magna multitudine de muro in fossam, quae erat ante oppidum, iacta,
    • 大量の武器が、城壁から、城塞都市オッピドゥムの前にあった堀の中に投げ込まれ、
  • sic ut prope summam muri aggerisque altitudinem acervi armorum adaequarent,
    • 武器の堆積が、ほぼ城壁の天辺てっぺんや(ローマ勢の)土塁アッゲルの高さに、達するかのようであった。
  • et tamen circiter parte tertia, ut postea perspectum est, celata atque in oppido retenta,
    • にもかかわらず、およそ3分の1が、後で確かめられたように、隠されて城塞都市オッピドゥムの中に保持された。
  • portis patefactis
    • 城門が開け放たれると
  • eo die pace sunt usi.
    • その日は(アトゥアトゥキー族は)和平を享受した。

33節[編集]

アトゥアトゥキー族の夜襲と結末

  • Sub vesperum Caesar portas claudi militesque ex oppido exire iussit,
    • 夕方の頃に、カエサルは城門が閉じられることと、兵士たちが城塞都市オッピドゥムから出て行くことを、命じた。
      (訳注:カエサルが miles「兵士」 と記すのは、ローマ方、特に軍団兵(重装歩兵)のこと。)
  • ne quam noctu oppidani a militibus iniuriam acciperent.
    • 夜に城塞都市の人々オッピダーニーが兵士たちによって何らかの狼藉ろうぜきこうむらないように(という配慮である)。
  • Illi ante inito, ut intellectum est, consilio,
    • 彼ら〔アトゥアトゥキー族〕は、(後で)わかったように、前もって始めから(以下のような)謀計コンシリウムをもっており、
  • quod deditione facta nostros praesidia deducturos aut denique indiligentius servaturos crediderant,
    • ──降伏がなされると、我が方〔ローマ人〕が守備隊を退く、あるいは結局より不用心に番をするであろう、と思い込んでいたので──
盾や槍などで武装したガッリア人の再現例。
  • partim cum iis quae retinuerant et celaverant armis,
    • 一部の者は、保持して隠していた武器を持って、
  • partim scutis ex cortice factis aut viminibus intextis,
    • 一部の者は、樹皮から作り、あるいは細枝で編み合わせた長盾スクートゥム
  • quae subito, ut temporis exiguitas postulabat, pellibus induxerant,
    • 時の短さが要請していたように、一時しのぎに毛皮を覆いかぶせておいて、
  • tertia vigilia,
    • 第三夜警時に、
      (訳注:第三夜警時は、夏季では午前0時過ぎの時間帯。#夜警時 を参照。)
  • qua minime arduus ad nostras munitiones ascensus videbatur,
    • 我が方〔ローマ勢〕の堡塁まで最も険しくない登り坂だと思われていたところを通って、
  • omnibus copiis repente ex oppido eruptionem fecerunt.
    • 全軍勢をもって突如として城塞都市オッピドゥムから出撃をした。


  • Celeriter, ut ante Caesar imperaverat,
    • 速やかに、前もってカエサルが命令していたように、
  • ignibus significatione facta,
    • 火で合図がなされ、
      (訳注:狼煙ではなく、深夜でも見える松明焚き火の類いを用いたのであろう。)
  • ex proximis castellis eo concursum est,
    • 一番近い砦から(ローマ方の兵士たちが)そこに急ぎ集まった。
  • pugnatumque ab hostibus ita acriter est
    • 敵方〔アトゥアトゥキー族〕により(以下のほどに)激しく戦われた。
  • ut a viris fortibus in extrema spe salutis iniquo loco
    • 屈強な男たちによって、身の安全の最後の望みにおいて、不利な場所で、
  • contra eos qui ex vallo turribusque tela iacerent, pugnari debuit,
    • 堡塁や攻城櫓トゥッリスから飛び道具を投げつけている者たち〔ローマ勢〕に抗して、戦われたにちがいない。
  • cum in una virtute omnis spes consisteret.
    • すべての望みがただひとつ武勇に拠って立っていたのである。


  • Occisis ad hominum milibus quattuor(IIII)
    • (アトゥアトゥキー族のうち)兵員の約4000人がたおされ、
  • reliqui in oppidum reiecti sunt.
    • 残りの者たちは城塞都市オッピドゥムの中に押し戻された。
  • Postridie eius diei refractis portis,
    • その日の翌日に、城門がこじ開けられて、
  • cum iam defenderet nemo,
    • すでに誰も防戦する者はいなかったので、
  • atque intromissis militibus nostris,
    • 我が方〔ローマ勢〕の兵士たちが送り込まれた。
  • sectionem eius oppidi universam Caesar vendidit.
    • カエサルは、その城塞都市オッピドゥムのすべてを(競売の)戦利品として売り払った。
  • Ab iis qui emerant capitum numerus ad eum relatus est milium quinquaginta trium(LIII).
    • 買い取っていた者たちにより、(捕虜の)頭数は5万3000名と彼〔カエサル〕に報告された。
      (訳注:以上のカエサルの記述によれば、
          アトゥアトゥキー族は生存者が奴隷として売られて壊滅したかのようであるが、
          #28節のネルウィイー族の記述と同様に、かなり誇張されているであろう。
          第5巻38節以下 では、根こそぎ売られたはずの同部族が健在であり、
          ローマ軍への攻撃に加わったことが、何の補足説明もなく述べられる。)
競売で売られたアドゥアトゥキー族』(Les Aduatiques Vendus à l'Encan
 ベルギー出身の画家レミー・コッヘRémy Cogghe (1854–1935))による1880年の作品(複製・部分)。

ガッリア平定とカエサルの凱旋[編集]

34節[編集]

プーブリウス・クラッススが大西洋岸諸部族(アルモリカエ)を帰服させる

  • Eodem tempore
    • 同じ時期に、
      (訳注:カエサルは詳しく述べていないが、サビス川の戦いの後と考えられる。)
  • a Publio(P.) Crasso,
  • quem cum legione una miserat
    • ── その者は1個軍団とともに派遣されていて、
      (訳注:これも詳しく述べられていないが、第7軍団と考えられている。)
  • ad Venetos, Venellos, Osismos, Coriosolităs, Esuvios, Aulercos, Redones,
    • ウェネティー族・ウェネッリー族・オスィスミー族・コリオソリテス族・エスウィイー族・アウレルキー族・レドネース族のところへ、
  • quae sunt maritimae civitates Oceanumque attingunt,
    • すなわち大洋大西洋オーケアヌスに接する海岸の諸部族のところへ(派遣されていたが)──、
      (訳注:第5巻53節で「アルモリカ(エ)」(Armorica(e)) と呼ばれている」とされる沿岸諸部族のこと。)
  • certior factus est omnes eas civitates in dicionem potestatemque populi Romani esse redactas.
    • これらの諸部族すべてがローマ人民の支配と権力のもとに置かれることが、報告された。

35節[編集]

カエサルの属州帰還と軍団の冬営;前例のない感謝祭

  • His rebus gestis,
    • 以上の戦役が遂行されて、
  • omni Gallia pacata,
  • tanta huius belli ad barbaros opinio perlata est,
    • この戦争のただならぬ風評が蛮族たちに伝えられたので、
  • uti ab iis nationibus, quae trans Rhenum incolerent, legationes ad Caesarem mitterentur,
    • レーヌス〔ライン川〕の向こう側に居住する種族ナーティオーによってカエサルのもとへ使節団が遣わされたほどであった
      (訳注:ライン川の右岸、すなわちカエサルらローマ人が「ゲルマーニア」と呼んでいた土地の諸部族。)
  • qui se obsides daturas, imperata facturas pollicerentur.
    • 自分たちが人質を供出するであろうこと、要求されたことを実行するであろうこと、を約束するために。
  • Quas legationes Caesar,
    • それらの使節団に対し、カエサルは、
  • quod in Italiam Illyricumque properabat,
    • ──イタリアやイッリュリクムに急いでいたので、──
      (訳注:属州総督が武装した護衛を連れてルビコン川を越境することは国法で禁じられていたので、
          ここでいう「イタリア」は本土イタリアのことではない。
          カエサルは、属州総督としての任地であるガッリア・キサルピーナイッリュリクムにおいて
          巡回裁判などの職務をこなさなければならなかったが、そのほかにも目的があったのだ[12]。)
  • inita proxima aestate ad se reverti iussit.
    • 次の夏の初めに自分〔カエサル〕のもとを再訪することを(使節団に)指示した。
  • Ipse
    • (カエサル)自身は、
  • in Carnutes, Andes, Turones,
    • カルヌーテース族・アンデース族・トゥロネース族(の領土)に
      (訳注:下線部は、第7巻の表記に合わせると トゥロニー族Turoni)。)
  • quaeque civitates propinquae iis locis erant, ubi bellum gesserat,
    • ──これらの各部族は、戦争を遂行していたところの土地の近くにいた──
      (訳注:右図からも判るように、これらの部族の領土はロワール川沿いにあり、むしろ翌年(第3巻)の戦争に備えた配置であろう。)
アルモリカArmorica)と呼ばれる大西洋沿岸諸部族の分布図。前節でローマに帰服したと報告された地域であるが、本節で言及されたロワール川沿いの諸部族 Carnutes, Andes, Turones の名が見える。本節の軍団の配置は、翌年の沿岸部での戦争を見越して、戦地に近い土地で冬営させたものと考えられる。
  • legionibus in hibernacula deductis,
    • 諸軍団を冬営地に撤収させると、
  • in Italiam profectus est.
    • (カエサル自身は)イタリアに出発した。
      (訳注:伝記作家プルータルコスは、カエサルがパドゥス川Padus ポー川〕流域で越冬しながら、ローマ政界へ画策していた、と伝えている[12]。)


   首都ローマでカエサル戦勝への15日間の感謝祭が決まる
  • Ob easque res ex litteris Caesaris
    • カエサルの書状によって(報告された)これらの事のむくいとして、
  • dierum quindecim(XV) supplicatio decreta est,
    • (カエサルの戦勝を祝う)15日間の感謝祭スップリカーティオーが決議された。
  • quod ante id tempus accidit nulli.
    • このことは、その時以前には誰にも起こらなかった(栄誉であった)。
      (訳注:感謝祭スップリカーティオーSupplicatio)は、ローマの人々が花輪や月桂樹を携え、犠牲を捧げて神々に祈る宗教行事。
          将軍から戦勝報告書を受け取ったときにも、元老院により開催が決議された。通常は3~5日間程度だったが、
          ポンペイウス第三次ミトリダテス戦争に勝利を収めたときは異例の10日間となった。
          カエサルのベルガエ平定に対する15日間は前例のないもので、ローマの民衆の好感が伺える[12]。)

脚注[編集]

  1. ^ 1.0 1.1 1.2 近山金次訳『ガリア戦記』等を参照。
  2. ^ 2.0 2.1 Caesar's Camp on the Aisne — Classical Journal 36:337‑345 (1941)等を参照。
  3. ^ Google Mapsによる。
  4. ^ w:en:Second Battle of the Aisne
  5. ^ w:fr:Bataille du Chemin des Dames
  6. ^ w:fr:Soupir (Aisne)
  7. ^ w:en:Saulzoir, w:fr:Saulzoir#Histoire 等を参照。
  8. ^ Sabis battlefield, Satellite photo - Livius の戦場の布陣図等を参照。
  9. ^ ガリア戦記/注解編#Goldsworthy (2006)
  10. ^ w:en:Atuatuci#Settlement 等を参照。
  11. ^ #381 を参照。
  12. ^ 12.0 12.1 12.2 プルータルコス『対比列伝』の「カエサル」20,21