『資本論』入門

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ここでは、ドイツの哲学者・経済学者だったカール・マルクス(Karl Marx)の主著『資本論』を読むための解説を行っていきます。

資本論の表紙(1867年発行)

はじめに[編集]

1990年代初め。東欧の社会主義政権が次々と崩壊して民主化していき、1991年にはついにソビエト連邦が崩壊しました。こうして、資本主義の勝利が高らかに謳われ、「社会主義の経典」たるマルクスの書籍も過去の遺物とされ、一部の研究者や好事家だけが読む古典のように扱われるようになりました。

しかし、「資本主義の勝利」は長くは続きませんでした。政治的には冷戦で抑え込まれていた民族紛争が噴出してきました。経済的にも、1997年のアジア通貨危機や2008年のリーマン・ショックなどのような世界的な経済危機に何度も見舞われてきました。そして、日本をはじめとする先進国では貧困層と富裕層の経済格差が拡大してゆき、各国で格差是正の社会運動も激しくなっていきました。

こうした中で、再びマルクスの経済思想に注目が集まるようになりました。そして、欧米を中心に再評価の動きが高まり、日本でも改めてマルクスの著書に注目する動きが出てきました。

ここでは、マルクスの主著『資本論』、特にマルクス自身が書いた第一巻を中心に解説していきます[1]。「なんでこんなキツイ仕事をしないといけないのか」「どうしてブラック企業はなくならないのか」「同じ仕事をしているのに、どうして正規雇用と非正規ではこんなに扱いが違うのか」などなど、これを読んでくださる方の多くが感じる疑問の根本が、すでに150年近く前に指摘されていることに驚くかもしれません。

商品[編集]

現行の『資本論』の書き出しはこのようになっています。

資本制的生産様式が支配的に行われている諸社会の富は、一つの「厖大(ぼうだい)な商品集成」として現象し、個々の商品は、こうした富の原基形態として現象する。だから、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。[2]

こういうテキストに慣れていないと、これだけで「???」となりそうですが、言っていることは、「資本主義社会の富はたくさんの商品の集まりとして私たちの目の前にあらわれる。だから、資本主義社会を知るためには、まず商品から分析しなければならない」ということです。たとえるならば、「目の前の生物の研究のためにまず細胞を分析しよう」というのと同じです。

さて。商品というのは、私たちの暮らしの中で実にありふれたものです。コンビニ・スーパー・ディスカウントショップ・デパートに行けばいくらでも商品がありますね。パンにおにぎりに飲み物、生活雑貨……といろいろな商品がある。しかし、たとえばスーパーに並んでいるトマトと自家栽培のトマトは全く同じ「トマト」でしょうか。実はここに商品の「厄介さ」が潜んでいます。

両者の「トマト」の共通点を見てみましょう。「食べて楽しむ」「栄養になる」「F○○kingな政治家に投げつける」という点では、スーパーのトマトも自家栽培のトマトも同じです。そして、どちらも「植える」「肥料や水をやって世話する」「収穫する」という労働を通じて手に入れることも共通していますね。一方で、自家栽培のトマトには値段がありません。しかし、スーパーのトマトには「1個150円」などの値段がついています。この値段の有無が自家栽培とスーパーのものとの決定的な違いと言えます。

このことについてマルクスはこのように述べています。

商品は、さしあたり、その属性によって人間の何らかの種類の欲望を充たすところの、一つの外的対象すなわち物(ein Ding)である。[3]

商品はまず「欲望を充たす」モノであることが求められます。こうしたモノには有用性があると言っていいでしょう。そして、物はその有用性によって使用価値になるとマルクスは言います。そして、「使用価値は、使用または消費によってのみ、みずからを実現する[4]」とも続けています。たとえば、トマトの使用価値は「食べておいしいと感じる」「ビタミンCやリコピンなどの栄養を摂取する」「政治家に投げつけて抗議の意を示す」ときにはじめて表現されると言えます。考えてみれば、私たちは「何かの役に立つ」と思うからこそ、品物を手に入れるわけです。

ところが、これだけでは商品とは言えません。使用価値は商品を商品にするものとしては、必要条件ではあるけれども十分条件ではない。なぜなら、先ほどの例でも述べたように、自家栽培のトマトのように商品ではないものにも当然、使用価値があるからです。

スーパーのトマトに有って、自家栽培のトマトにないもの――それが「値段」であるとすでに述べました。ここでもう一つの価値を考える必要が出てきます。それが交換価値です。値段の話はまた後ほどしますので、ひとまず交換価値について説明します。

例えば、お米もトマトもどちらにも使用価値がありますし、農産物・食品という点では共通しているので交換可能と言えるでしょう。しかし、この2つをどうすれば両者の納得行く交換ができるでしょうか。「トマトも米も農産物だから1:1で交換しよう。だから、自分の持っている米1粒と君のトマト1個と交換してくれ」と言ったら、普通「ふざけるな!」と怒られて交換を断られますね。なぜかと言えば、私たちはすでに「公平な交換には、それ相応の価値のものと交換しなければならない」という価値観を持っているので、その量だと「不公平だ」と普通感じるからです。

では、どうすれば公平な交換ができるか。もっとも簡単な方法は米とトマトの価値を共通の数量で比較することです。この価値の量こそ交換価値です。商品には使用価値と交換価値の両者があってはじめて商品と言えるのです。

価値形態[編集]

資本[編集]

資本とは何か[編集]

剰余価値[編集]

剰余価値とは何か[編集]

労働日[編集]

資本の本源的蓄積[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『資本論』は全3巻ですが、2巻以降はマルクスの死後にエンゲルスが遺稿を編集したものです。
  2. ^ 長谷部文雄訳p.35
  3. ^ 同上。丸かっこは引用者。
  4. ^ 長谷部文雄訳p.36

文献[編集]

資本論テクスト[編集]

  • Marx, K.Marx – Engels Werke 23 Das Kapital I Dietz Verlag
  • 長谷部文雄訳『資本論』(1973年, 河出書房新社)
  • 岡崎次郎訳『資本論』(1983年, 大月書店)
  • 向坂逸郎訳『資本論』(1969年, 岩波書店)

参考文献[編集]

  • 熊野純彦『マルクス資本論の哲学』(岩波書店, 2018年)
  • 崎山政毅『資本』(岩波書店, 2004年)
  • 佐々木隆治『シリーズ世界の思想 マルクス 資本論』(角川書店, 2018年)
  • 白井聡『武器としての「資本論」』(東洋経済, 2020年)
  • デヴィッド・ハーヴェイ『〈資本論〉入門』(森田成也・中村好孝訳, 作品社, 2011年)
  • デヴィッド・ハーヴェイ『資本の〈謎〉――世界金融恐慌と21世紀資本主義 』(森田成也・大屋定晴・中村好孝・新井田智幸訳, 作品社, 2012年)