アメリカ合衆国史
年表
[編集]- 1492年:クリストファー=コロンブスがアメリカ大陸に到達
- 1497~1498年:ジョン=カボットの北米探検
- 1499~1501年:アメリゴ=ヴェスプッチの南米沿岸探検
- 1507年:ヴァルトゼーミュラーが新大陸を「アメリカ」と命名
- 1521年:コルテスの征服によりアステカ帝国滅亡
- 1533年:ピサロの征服によりインカ帝国滅亡
- 1583年:ハンフリー=ギルバートがニューファンドランドを英領宣言
- 1585~1602年:ウォルター=ローリー卿がロアノーク島への殖民を計画
- 1607年:ジェームズタウン(ヴァージニア植民地)建設
- 1612年:タバコの栽培に成功
- 1619年:ヴァージニアにて最初の植民地議会開催,最初の黒人輸入
- 1620年:ピルグリムファーザーズがメイフラワー号にてプリマスに到着
植民地時代
[編集]1492年,クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸に到達した。彼はこの土地を「インディアス」と信じ込み,先住の民を「インディオ(インディアン)」と呼んだ。しかし,アメリカ大陸にヨーロッパ人が到達するはるか以前から,この土地にはモンゴロイドが居住していた。彼らはもともと,大昔に陸続きだったベーリング海峡を越えてユーラシア大陸から渡来したとされている。その後,氷河期の終焉によりアメリカ大陸は孤立し,独自の文化が発達していった。
アメリカ大陸への到達を契機に,ヨーロッパとアメリカ大陸の間で壮大な交流が始まった。これにより,アメリカ大陸原産の産物は現代に至るまで全世界に広がり,同時にヨーロッパの文明がアメリカ大陸にもたらされた。その一方で,ヨーロッパの伝染病がアメリカ大陸にもたらされた結果,先住民は激減し,アメリカ大陸の風土病がヨーロッパ中に蔓延することとなった。このように,文明や産物といった大きなものから,細菌のような小さなものに至るまで,さまざまなレベルでの交流を「コロンブスの交換」と呼ぶ。
アメリカ大陸進出の先発隊となったコンキスタドレスたちは,アステカ帝国やインカ帝国を滅ぼし,広大なアメリカ大陸を征服した。これに続いたのが,イギリスやフランスといった後発の国々である。とりわけイギリスは熱心に植民を重ね,やがて十三植民地を築き上げた。
初期の植民地は本国政府とは無関係に建設されたが,のちに本国政府から特許状を与えられたり,他の植民地に併合されたりしてその数は減少し,独立革命前夜には国王直轄下の王領植民地が増加した。この王領植民地では,現地住民の意思が国王や本国政府の判断によって抑圧されることも頻繁にあり,またそれぞれの植民地には国王の代理人として総督が本国政府によって任命されていた。とはいえ,総督のもとに招集・解散される植民地議会の下院議員は白人男性による選挙で選出され,時には総督の意向を左右するほどの大きな勢力を持っていたのである。
建国
[編集]1754〜1763年にかけて戦われたフレンチ=インディアン戦争の結果,イギリスは北米大陸からフランス勢力を駆逐し,広大なカナダの領有権を獲得した。この広大な獲得領土には,イギリスからの植民者に加え,残留フランス人や先住民に至るまで,多種多様な臣民が居住していた。このような状況下で,イギリス本国政府は帝国の再編を迫られた。まず,国王宣言によって植民者の西方への土地取得を禁止し,そこを先住民の保留区と定めることで彼らを管理しようとした。加えて,この地域に居住する残留フランス人の保護も目的とした。そのために1万人ほどの軍隊を駐留させようとしたが,それでも植民者の西方進出を止めることはできなかった。さらに,帝国を維持するための財政的負担を植民地にも分担させるべく,本国政府は税制の強化に乗り出した。本国政府が着目したのは関税であったが,当時は高額な関税が課せられていたため,役人をも巻き込む大規模な密貿易が横行していた。そのため,本国政府は税率を半減させる代わりに徴収を厳格化することで,まず財源の安定化を図ろうとした。これが1764年の砂糖法である。
1775年アメリカ独立戦争を行い,1776年にアメリカ独立宣言を出し,アメリカ合衆国の建国となった。
初期のアメリカ合衆国
[編集]南北戦争
[編集]1861年,南部連合を結成。そして,南北戦争が始まる。
