コンテンツにスキップ

中学校国語/現代文/議論のための意見や提案のしかた

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
※ 単元名では「意見文」と名付けられているが、しかし、この単元の内容は、議論(ディスカッション)のために意見を出す方法である。
そのため、まず、ディスカッションとは何かを知る必要がある。


そもそも「議論」とは

まず、「会議」と「議論」は違う。(※ 検定教科書では、混同されている。しかし、旺文社の参考書では区別している。)

※ いちおう中3の検定教科書の巻末に「会議」の方法が書いてある(光村図書、東京書籍などの中3巻末)。


会議と議論のちがい

  • 会議

会議とは、なにかの団体が、今後の行動などを決めるための相談である。そのため、会議では事前に、どのようにして、決めるのかを、あらかじめ打ち合わせしておくのが、望ましい。

たとえば、その団体の長(会長や社長など、学校ならば担任(たんにん)の教員)が決めるのか、それとも会議の出席者の多数決で決めるのか、などの決定の方法を、会議ではあらかじめ決めておくのが望ましい。

(※ なので、たとえば、「学級会」などで委員会のメンバーを選挙したりするのは、「議論」ではなく「会議」。)

  • 議論

議論(ぎろん、英語ではディスカッション)の目的として、なにかのトラブルなどの解決策をさぐるためのアイデアを出させたり、あるいは、なにか未解明のものを解明するのに情報を出し合うのが目的である。


なので議論をする場合、解決策になりそうな、いろんなアイデアを出させよう。


アイデアを出すのが目的だから、わざわざ2グループに分けて、勝ち負けを決める必要は無い。(なお、議論のさいに2グループに分けて、勝ち負けを決める方法で競争させて意見を出させる方法のことを「競技ディベート」という。 小学校で練習した、2グループに分けて勝負させるのは、正確には「競技ディベート」である。)


※ 学校の検定教科書では、競技ディベートのことを単に「ディベート」と言ってるが(※ 学校図書など)、しかしこれは間違った用法、あるいは不正確な用法である。


ただし、あくまで解決策を出させるのが目的だから、解決策を見つけ出るのに遠回りになりそうな話題がでてきた場合、その話題は中断してもらおう。

たとえば、「転勤して他校にうつる英語教員のALT(アシスタント・ラーニング・ティーチャー)の先生に、クラスから贈り物をすべきか?」という議論のさいに、「そもそも、日本のALTの制度の始まりは、〜〜〜〜(以下略)」とかの歴史などの話題が出てきたら、たとえその歴史の内容が正しくても、議論の進行をさまたげるので中断してもらうのが普通です。

もし、ほかの人が歴史とかの話題を持ち出してきて、それに反論するために「そもそも」とかの意見をいうのなら構いません。しかし、いきなり、「そもそも」とか言い出すのは、まず、議論のさまたげになります。けっして「そもそも、〜〜」とか自分から言い出さないように、つつしみましょう。

※ 大前提

細かなノウハウの前に、まず、「~すべきだ」という意見と(たとえば「なるべく割りばしを使うのは、やめよう」)、事実やデータ(たとえば、「日本の年間の割りばし消費量は~~である」「世界の森林面積は~~である」)との区別をつけてください。

これは、小中高の国語や社会科などでの、議論などの教育の前提になっています[1][2]

事実の提示のフリして、自分の意見をまぎれこませる人とかは、人間的に困った人です。小学生以下の大人です。

議論のノウハウ

この単元では、特に採決(さいけつ)をしない、「議論」について扱う。

さて、議論をするにも会議をするにも、時間にかぎりがある。なので、なるべく実現可能性の高い話題について、話し合うべきである。


また、建設的な話し合いをするために、客観的に検証できような話題を議題に選ぶのが良い。


たとえどんなに高尚(こうしょう)な話題でも、客観的に検証できない話題は、議論では、あまり好ましくない。なぜなら、第三者の役に立たないからである。

たとえば、「夏目漱石と、森鴎外(もり おうがい)の、どちらが、すぐれた文豪(ぶんごう)か?」というのは、話題は文学的に高尚でありそうだが、しかし、検証方法が無い。


どうしても、このような話題を話し合いたい場合、検証可能な話題に置き換える必要がある。

たとえば、出版社での今後の出版方針のために夏目と森を比較する議論なら、「夏目漱石の著作と、森鴎外の著作、どちらが今までの販売数が多いか?」などの、客観的な指標に置き換える必要がある。

学習塾での塾講師どうしの議論なら、「夏目漱石の著作と、森鴎外の著作、どちらを読むように進めるのが、塾生の全国模試での成績を上げるか?」など、客観的な指標に置き換える必要がある。


意見や提案の出し方

議論のさいに意見を求められることもある。また、「これから◯◯の賛否についての議論をしよう」という提案も、意見である。


さて、どちらの場合にせよ、まず実現可能性の高そうなアイデアをみちびけそうな意見を出すべきであう。(※ 旺文社の参考書では、そう主張している。)

たとえば、「世界から病気を無くすべきだ」という主張や、「死を無くそう」とかの主張は、もはや、なにも建設的な提案をしてないのと同じである。


たとえ、一見すると高尚な字面をならべていても、実現可能性の極端に低い主張や、実現可能性を無視した主張は、議論などでは好ましくないか、そもそも「議論に値しない」として無視されかねない。

とにかく、前提として、実現可能性の高いことを、話題にすべきである。

たとえば、「(私達は)割り箸をつかわないようにしよう」という提案があったとしましょう。(※ 教育出版の検定教科書にある例)


さて、意見を提案する場合、冒頭に、あなたが「◯◯させたい」と思っている提案の内容を先に書くべきです。そのあとに、根拠を書くべきです。

つまり、たとえば

割り箸をつかわないようにするべきです。なぜなら、割り箸は森林資源を消費しているからです。

のようになります。


そもそも、意見以外の感想は、「意見」ではない事です。

「割り箸を使わない人が好きです。」とか、そういうのは、個人の感覚にもとづくので意見ではないのです。

また、もし「割り箸を使わない人が好きです。」という主観を意見であるとすると、これはつまり、「私の主観を、あなたは尊重すべきだ」という命令であり、とても傲慢(ごうまん)です。

もし競技ディベートをするなら

競技ディベートを開催したいなら、議題としては、意見が「賛成」または「反対」の2種類だけに分かれる議題を選びましょう。

たとえば、

「わが中学の図書室にマンガをもっと置くべきだ。」

という議題は、学校内での競技ディベートの議題としても、かまいません。(※ 学校図書や光村図書などで、図書室マンガ案のディベートがある。)


しかし、

「わが中学の図書室に、図書室の職員から、置いてほしい本のリクエストが届いている。では、何を置くべきとリクエストすべきだろうか?」

という模索は、競技ディベートとしては不適切です。

なぜなら、賛成または反対の2つの意見に分かれないからです。

べつに、こういった模索を考えること自体が悪いのでなく、競技ディベートのルールとはズレている、という事です。


なお、学校などで意見の出し方の練習として競技ディベートをする場合、賛成派と反対派のグループ分けは、くじ引き や コイン投げ などで機械的に決めます。(※ 学校図書の中2国語の検定教科書の見解。) このため、競技ディベート中の立場が自身の本音とは違う場合もあるかもしれませんが、そういうのを体験することも勉強のひとつです。


※ 範囲外かもしれないこと

この節で話すのは、競技ディベートではなく、ディスカッションの仕方の説明です。

ディスカッションでの議論の議題として、「○○すべきである。」といった意見を出すときは、そう思った具体的な理由を出しましょう。


たとえば、ディスカッションにふさわしくない提案のしかたとして「わが中学の図書室にマンガをもっと置くべきだ。」という提案だけで、なぜそう思ったのか理由のない提案のしかたがあります。

この提案だけで理由が無い提案は、競技ディベートの場合の最初の議題の出し方です。ディスカッションの提案の仕方ではないのです。

なので、競技を目的としない議論としては、あまり良くない提案のしかたです。(※ いくつかの検定教科書が、競技ディベートの方法だけを「意見」として説明している。)


議論では、最初の理由の説明によって、しばらくはそれに合った話を皆でするので、よって最初の理由説明で議論の内容が大きく変わるのです。なので、議論の開催のさいには、あらかじめ、提案の根拠を述べるべきです。


たとえば、提案のときに、

「わが中学の図書室にマンガをもっと置くべきです。なぜならマンガを置いて、図書室を利用する生徒を増やしたいからです。」

という理由なのか、あるいは、

「わが中学の図書室にマンガをもっと置くべきです。なぜなら、マンガは今や日本が世界に誇る文化なので、過去の名作マンガも、若者が勉強するべき時代になったからです。」

という理由では、

その後の議論の内容が、大きく変わってきます。


もし図書室を利用する生徒を増やしたいという理由なら、「そもそも、なぜ利用する生徒を増やす必要があるのか? 利用者が少なくても良いのでは? 少ないと困ると考えている理由を話すべきだ」という反論などのように次の議論につながります。

いっぽう、「マンガは今や日本が世界に誇る文化なので、」なら、「だったら、ゲームもマンガ同様に、日本が誇る子供文化だが、それも置くべきと考えているのか?」などの反論・議論につながります。


このように、提案者や、議論の開始時点の理由で、その後の議論の方向は、大きく変わります。


なので、マジメな議論をする場合、提案に理由をつけくわえましょう。

理由のない提案の場合、そもそも議論に、マジメな人が集まらないのが普通です。


ディスカッションは、べつに勝ち負けを争う(あらそう)ものではないので、

「わが中学の図書室に、図書室の職員から、置いてほしい本のリクエストが着ている。では、何を置くべきとリクエストすべきだろうか?」

のような、模索をする議題でも可能です。


プレゼンテーション

パソコンでプレゼンテーション用のソフトがあるので、それによって映像を編集できる。

また、プロジェクターがやや高価だが、電気量販店などで市販されている。すでに学校で購入ずみだろうから、それを使えばいい。

プレゼンテーションは、時間が数分と限られている場合が多いので、短時間で説明できるように、映像にする図やグラフなどをあらかじめ、まとめておく必要があります。

また、その図やグラフを作成するための資料集めなどにも、時間が掛かります。なので、仕事でプレゼンテーションにする場合、スケジュールを遅らさないように気を付けましょう。

また、プレゼンテーションにかぎらず演説などでも、外部の人の前で発表する場合は、事前に内部の人どうしでリハーサルをしましょう。


意見文

中学校で習う「意見文」というのも、読者が、上述のような議論などのさいの参考になるように、書き手が自分の意見を書いた文章のことです。

とはいえ、一人で書くわけですので、限界はあります。

まず、書き手は、よくありそうな反対意見を想定して、自身の意見を書くべきです。


このように、反論を想定して書くことで、自分の意見が明確になります。(※ 光村図書の中2国語の見解)

また、ある程度の反論に対して、理由のある再反論をすることで、自分の意見の説得力を高めることもできます。(※ 東京書籍の中2国語の見解)


そして、自分の主張の根拠などを述べます。


推測などを述べる場合
トゥールミン図式

議論において、なにか主張をする場合は、理由を述べましょう。根拠のない反論は、議論ではなく、自分の感想の陳列(ちんれつ)です。

下記は、そのための手段の一つです。

事実と推測と提案の区別

東京書籍の中1国語の教科書『新しい国語1』で、文章を書くときに、事実と推測と提案の区別をして書くように との指摘がある。

学校教科書にかぎらず、ビジネス文書の書き方入門書などでも同様に、事実と意見は区別せよ、と指導するのが普通である[3]

事実(ファクト[4] fact)と意見(オピニオン[5] opinion)は分離すべきです。(なお「オピニオン雑誌」というのは、政治などの議論にて、評論家の意見などの書かれた雑誌のこと。)

※ 中学の公民で、東京書籍が「トゥールミン図式」としてコラムで下記のような内容を紹介しています。

なお、20世紀の分析哲学という学問でも、「事実」と「推論」と「主張」とをいったん分離したあとに右図のように組み立てろと言われており、トゥールミン・モデルと言われています[6]。(オリジナルのトゥールミンモデルでは、「データ」と「理由づけ」と「主張」の3要素の構成。本コラムでは、前後の文脈に合わせて、データ→「事実」、「理由づけ」→「推論」という置き換えを行った。)

※ 大学受験の範囲外ですが、高校の公民科目も、このトゥールミン・モデルの習得が理念になっているようです[7]
議論のフリして議論しない人のパターン

世の中には、ご都合主義の自分勝手な人で、自分の意見を主張するときは「世間はもっと議論すべきだ」「世間はもっとディネートすべきだ」と言い、なのに、自分の嫌いな意見を他人に言われた時は「あなたの意見を聞いたせいで、気分が悪くなった」とか「めまいが酷くなる」とか言い出す、頭おかしい人または詐欺師(さぎし)・ペテン師がいます。人によっては、「医師もそう言っている」とか言い出します。はたして、その医者が実在するかどうか知りませんが。医師がどうこう言いますが診断書を見せなかったりします。

対する世間の人は仕事で忙しく、慰謝料とか請求されたら面倒なので、そこで世間の人は意見を言い続けるのをやめます。しかし、頭おかしい人は、それで論破、論証などの議論をしたつもりになります。

自分の嫌いな主張や意見に対して「気分が悪くなる」とか「めまいが酷くなる」とか生理的反応を言い出して、病気を言い訳に意見の中止をさせて、それで議論で論破したつもりになる頭のヘンな人がいます。もしかしたらそういう反対意見を聞くと気分が悪くなる病気があるのかもしれませんが、しかしそういう人があたかも論理的なフリをされては世間に迷惑です(肉体労働の現場に、五体不満足の人が来られても迷惑なのと同様)。

なお、この手の人物の行動パターンとして、自分の意見を肩書で権威づけるために大卒のフリをしたりもしますが、実は短大卒だったり、難関の私大の系列のそれほど難関でない専門学校卒だったりするようなこともあります。



  1. ^ 『実践事例3 証の強さを評価しよう -目指せ!名探偵!-』
  2. ^ 堀江 大志『社会的事象を公正に判断する力を高める小学校社会科学習指導の工夫』
  3. ^ 株式会社ザ・アール『これだけは知っておきたい「レポート・報告書」の基本と常識』、2018年9月2日初版発行、100ページ
  4. ^ 新田誠吾『はじめてでも、ふたたびでも、これならできる!レポート・論文のまとめ方』、すばる舎、2019年10月25日 第1刷発行 、94ページ
  5. ^ 新田誠吾『はじめてでも、ふたたびでも、これならできる!レポート・論文のまとめ方』、すばる舎、2019年10月25日 第1刷発行、94ページ
  6. ^ 『思考力をはぐくむ社会科授業』
  7. ^ (動画)法学部で学ぼうプロジェクト『 【答えのない世界を生き抜くための切り札!】「法教育」と「公共」を考える/法学部で学ぼうプロジェクト #高校生 #公共 #大学受験 #法学部 』2024/05/03