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中学校社会 公民/労働者の権利と保護

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』


労働者の権利と保護

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男女平等

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女性 (じょせい) () (べつ) 撤廃 (てっぱい) (じょう) (やく) を受けて、日本では1986年(昭和61年)には 男女 (だんじょ) () (よう) () 会均等法 (かいきんとうほう) が施行された。性別を限定した雇用の募集は原則的には禁止されている。男女の賃金(ちんぎん)は、同じ仕事内容なら、賃金も男女で同じである。

1999年には (いく) () () (かい) () 休業 (きゅうぎょう) (ほう) が施行された。

労働者の権利

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労働基準法(ws)のおもな内容
労働条件の交渉は使用者と労働者が対等に交渉する。  
労働時間は原則的に週あたり40時間以内、1日あたり8時間以内。  
休日を毎週すくなくとも1日は用意する。
監禁などの強制労働は禁止。
労働者の国籍、信条、社会的身分を理由に労働条件に差をつける (差別する) ことを禁止。
Wikisource
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ウィキソース労働基準法があります。

雇われている労働者も人間なので、もちろん人権がある。雇う側に比べ弱い立場にある労働者を守るため、労働者を保護し、集団で労働条件の改善を要求することなどを 労働基準法(ろうどうきじゅんほう) 並びに 労働組合法(ろうどうくみあいほう)労働関係調整法(ろうどうちょうせいほう) などの法律で、保障している。代表的であるこの3つの法 (労働基準法・労働組合法・労働関係調整法) をまとめて 労働三法(ろうどうさんぽう) と言う。

労働基準法は賃金や労働時間などの最低基準を決めている。労働時間は「1日8時間を基本とし、1週間で40時間まで」と決められている。もし時間外労働をさせる場合には、会社は割増(わりまし)で賃金を払う必要があり、制限もある。この時間外労働の割増賃金の割増率は25%〜50%である。休日に労働させると35%〜の割増がされる。

なお、当然のように思われる読者の方も多いだろうが、アルバイトもパートタイマーも法定の労働時間の制限は同じである。

そして、労働基準法の定める基準を守らせるため、労働 (ろうどう) () (じゅん) 監督 (かんとく) (しょ) という役所が、日本の各地に置かれている。

労働三権(ろうどうさんけん)

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前述のように、労働者は雇う側 (以降、使用者) に比べ弱い立場にあり、本来なら労働者と使用者の間で契約として自由に取り決めることができる労働条件だが、各々が個々に交渉すれば、労働者にとって不利な条件になりやすい。それ故労働組合(ろうどうくみあい)の結成をする権利が憲法や法律で認められており(団結権(だんけつけん))、組合などがその会社の労働者の賃金を上げる賃上げ(ちんあげ)交渉など労働条件の交渉をする 団体交渉権(だんたいこうしょうけん) を認めている。そして、労働条件についての約束である労働協約(ろうどうきょうやく)を経営者と労働組合の間で結ぶことができる。

憲法28条 「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。」

これら3つの権利 (団結権・団体交渉権・団体行動権) をまとめて 労働三権(ろうどうさんけん) と言う。

他に、ストライキなどの労働争議(ろうどうそうぎ)を起こす 団体行動権(だんたいこうどうけん) が認められている。ストライキ(wikt)とは、労働者が団結して仕事を停止すること (それにより、使用者は労働条件を改善しなければならなくなる) である。労働争議の解決は、使用者と労働者が自主的に解決するのが原則であるが、どうしても当事者同士で解決しない場合には、労働委員会が間に入る。労働委員会の解決方法は、労働関係調整法に定められており、労使の話し合いをあっせん(斡旋)したり、調停(ちょうてい)案を出したり、強行的に仲裁(ちゅうさい)をする。

また、使用者が労働組合に加入している従業員に不当な扱いをすることは労働組合法 (第7条) で禁止されている。このような使用者が労働者に労働三権の行使を妨害することを「不当労働行為(ふとうろうどこうい)」)と言う。不当労働行為も労働組合法で禁止されている。

なお、賃上げの交渉の権利が認められているが、必ずしも労働者の要求が通るとは限らない。最終的に賃金を上げるかを決定する権限は、使用者にある。なお、労働者の労働組合への加入は義務では無い。

女性の労働の権利と責任

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女性には男性と同様の給料をもらう権利もあるが、男性と同等の責任もある。かつて、男女雇用機会均等法などのできる前は、女性への福祉の観点から、女性の深夜労働が禁止されていた。しかし女性の深夜労働の禁止は削除された。

解雇(かいこ)の通知義務

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労働者が不正などを行った場合などを除き、使用者が労働者を解雇する場合には、解雇する日の30日よりも前に通知する義務があり、また30日分の給料を解雇予告手当(かいこよこくてあて)として支払う義務がある。ところが、この法律を無視する会社も存在する。もちろん、通知義務違反や解雇予告手当の未払いは会社側の違法行為であるため、労働基準監督署など[1]に相談するべきだ。

失業者の保護

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公共職業安定所 (ハローワーク) では、失業者などに仕事を紹介しているほか、職業訓練を受けたい人のための公共の職業訓練施設なども紹介している。

障碍者の雇用

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障碍者の雇用を促進するため、企業には規模に応じて一定の割合の障碍者数の雇用をする法的義務が、障害者雇用促進法(ws)(しょうがいしゃこようそくしんほう)で定められている。しかし、競争の厳しい昨今の経済では、達成が難しい企業もあるほか、職種によっては、障碍者を雇い入れるのが難しい場合もある一方、障碍者を雇い入れている数の水増しが発覚した企業も存在する。

コラム:障「碍」

労働問題

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中学校社会 公民/労働問題 を参照。

「失業」

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「失業」とは

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一般に、収入を得るための働き先を失うことを失業(しつぎょう)といいます。「失業者(しつぎょうしゃ)」とは、収入のための仕事先 (会社など) を探しているが、雇用先の無い状態の人のを指します。そのため、主婦や学生は失業者には含めません。厳密には、失業者のうち「完全失業者」とは、働く意思をもって求職活動をしていながら、就職先の見つからない人のことを言います。

失業者が増える時

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一般に、景気が悪くなった時に、失業者は増えると考えられています。また、産業構造が大幅に変化した時にも、失業者が増える場合があります。

多様化する労働環境

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雇用の流動化

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終身雇用の終わり

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かつて、日本では使用者が労働者を定年まで同じ企業で勤め上げさせるように雇う、終身(しゅうしん)雇用が大企業では一般的であったという。この頃の日本は「世界の工場」と呼ばれ、製造業が好景気だった。そのため、安定して労働者を雇い続けることができた。日本は、アメリカやイギリスなどとの製造業の競争に勝ち、これらの国の製造業を衰退に導いた。

しかし、次第に中国や韓国などの国々が工業力をつけてきた。それから日本の企業は、それらの国との厳しい競争にさらされることになった。外国との市場の奪い合いになるため、日本の企業の売り上げが減っていった。この減った分の売り上げは給料などの費用を減らすことにつながり、労働者の解雇や給料の見直しが行われた。今度は日本が外国から仕事をうばわれる側に回っていった。いつしか中国が「世界の工場」[2]と言われるようになっていった。こうして、多くの日本企業で、終身雇用は無くなっていった。

年功序列(ねんこうじょれつ)の終わり

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昔の会社では、その会社への勤務年数が長くなるほど賃金や役職(やくしょく)が上がるという、年功序列(ねんこうじょれつ)が取られていた。しかし、今では少なくなった。

企業によっては、大企業などを中心に年功序列を続けている場合もあるが、景気の悪化などによって、実質的には長年勤めていても人員解雇の対象になる場合も多い。また、景気の悪化で高い賃金を払えなくなった企業が、自社の給与体系を見直すこともある。給与体系をすぐに変えられない会社の場合には、一旦社員には形式上退職させ同じ会社に再雇用するという形で、新人社員と同じくらいの程度の給料にするという方法を取る場合もある。

生涯賃金の低下の可能性

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前述のように、終身雇用や年功序列の終わりにより、労働者が定年までに受けとる給料の合計額 (生涯賃金(しょうがいちんぎん)) は、これからも低下する。高度経済成長期やバブル期などの頃は生涯賃金が3億円と言われてた時代もあったが、これからは低下する企業が多い。

非正規雇用の増加

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上記のように、終身雇用が減少した今 (2020年) では、労働者のおよそ3人に1人が、アルバイトやパート、派遣労働などの 非正規雇用(ひせいきこよう) の状態で働いている労働者 (非正規労働者) である。これらの非正規の労働は、不況になると人件費の削減対象として解雇されやすいという特徴があります。また、一般に非正規は賃金が低い。昭和の時代は少なかった非正規労働者が増えつつあることは、企業が雇用の調整をしやすくしたことも意味する。派遣労働者 (非正規労働者に含まれる) の所属は、人材派遣会社に所属している労働者であり、派遣先の正社員 (正規労働者) ではない。このように労働者の中でも特に弱い立場にある非正規労働者が正規労働者になれるよう、失業しても生活に困らないよう、生活保護や職業訓練などを社会全体で支えていく必要がある。


外国人労働者の増加

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日本では、少子高齢化や人口減少、ニート(wp)の増加などが進みつつあり、外国人労働者を受け入れなければならなくなっている。外国人は日本人と同じ労働をしても給与を安く抑えられる、深夜労働をしてくれるなどの理由で、外国人を使いたがる企業がある。

かつての日本は外国人労働者の就役を一部の分野に限定してきた。1990年代から南アメリカ大陸の国々の日系人(wp)の受け入れを始め、外国人労働者の数は増加傾向にある。しかし、前述のように近年まで外国人労働者の数が少なかったため、日本社会や日本の人々に多い外国人に対する差別的思想が蔓延っている。

コラム:外国人労働者の実態

※ キャリアデザイン的な話題

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分業の大切さ

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※ 労働者の権利保護とは別のことなのですが、最近の2020年代の中学公民の教科書には、中学生に向けて、「働く」とか「就職」とかはどういうことなのか、説明しています。

とりあえず、東京書籍と帝国書院の教科書では、経済は「分業」で成り立っている、と説明しています。


教科書ではあまり理由をきちんと説明していなおですが、wiki側で分業の理由をきちんと説明すると、一人の労働者の人生の時間には限りがあるので、分業しないと、仕事を身に着けるためのトレーニングの時間だけで人生が終わってしまい、ろくに仕事ができなくなってしまいます。(たとえば、4年ていどの勉強で身につく仕事でも、もし30個の仕事を分業せずにぜんぶ仕事しようとすると、30×4年=120年 で、人間の平均寿命オーバーになってしまい、仕事しないまま人生が終わります。)

なので、分業が必要なのです。

また、分業のさいには、それぞれの人が、得意なことを活用できる職場に勤める必要があります[3]。たとえばパン屋だったら、当然ですが、パン屋さんはパンを作るのが得意でないと、お客さんは困ります[4]

パン屋さんは、パンの原料の 小麦や さとうきび の生産なんて、していません[5]。 。小麦をつくるのは小麦農家です。これが分業です。

キャリアデザイン

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まず、将来の希望の仕事を決めるさいの、暗黙(あんもく)の前提として、会社名ではなく職業で決める、という進路相談や就職活動などでの常識があります。東京書籍の教科書も、日本文教出版の教科書も、「会社」ではなく「職業」の志望を考えさせています。

中学の検定教科書では、「仕事をとおして夢をかなえたり」みたいに言います。高校の教科書だと「自己実現」みたいに言います。

基本的には、自分の好きな分野を事を目指すとよいでしょう。(東京書籍なども明言してないですが、そんな感じです。)

なぜなら、本当に好きなら、練習を長々とたくさん出来るので、得意になるからです(帝国書院の中学教科書の言うように、得意な仕事でないと、せっかくの分業の意味がありません)。

ただし、その仕事につくための練習や仕事が「好き」でないと困ります。「パンを食べるのは好きだけど、パン作りは好きでない」みたいな人がパン屋に就職活動されても、就職は難しいでしょう。


社会の貢献と関係なく、やみくもに「好き」と言っても限度もあります。「年収1000億円が欲しい。お金が好き」とか言っても、そんな夢はほとんどの人は、かないません。もっと現実的な夢をみましょう。


東京書籍の教科書に「キャリアデザイン」という言葉があります。進路や経歴(職歴・学歴など)をデザインする、みたいな意味です。(日本文教出版の教科書では「キャリア教育」という用語を使っています[6]。)

たとえば、スポーツが好きなら、「僕はオリンピックで金メダルをとる!」は、決してキャリアデザインとは言いません。たとえば現実的なキャリアデザインは、スポーツ志望の場合なら最低限、「できれば、社会人スポーツのある実業団のある企業かに入る。もし高校卒業・大学卒業でプロ団体には入れれば、なお良い」とかでしょうか。

帝国書院のパン屋の例のように、まず、ふつうの人が、頑張れば出来そうなことを、着実に身につけましょう。

ふつうのパン屋と同じ練習をしても成功できるかどうかは不明です。しかし、ふつうのパン屋の人なら皆が練習しているパン作りの基礎テクニックすら無理な人は、絶対にパン屋としては成功できないでしょう。だからまず、ふつうの人ができることを、着実に出来るように練習すべきです。

※ 中学3年・高校3年の進路指導でも、こういう感じで、現実的なキャリアデザインを指導されると思います。教育・受験界隈でよく言われるのですが、「その志望分野を勉強できてない子ほど、キャリアデザインが漠然としている」という常識があります。たとえば大学受験の偏差値が低い子ほど、「めざせ東大合格!めざせ東大法学部(あるいは医学部)!」「めざせ早慶!」みたいな志望の傾向があると教育・受験界隈では平成初期のころから有名です。これがスポーツ志望だと、いきなりのオリンピック金メダル志望とか、あるいは日本トップへの志望でしょうか。

「競争に敗れるなどして希望の仕事につけなかったら、どう修正するの?」というのがキャリアデザインでしょう。「弁護士になるなら、べつに東京大学じゃなくてもいいよね?」とか、「法律の知識で仕事したいなら、司法書士とか行政書士でも良いはずだよね?」とか、そういうツッコミです。


さて、色々なことを勉強するのは大切ですが、しかし人生の時間にも限りがあります。教科書会社がインタビューしている作家とか有名人とか、若者の好きそうな人も、インタビューでは色々と勉強しろと若者に言いますが、実際には彼ら自身は、なんでもは勉強できていません。

たとえばインタビューされているのが小説家なら、彼はマンガも書けなければ、曲も作れないし、スポーツも苦手だったりするかもしれません。

代わりに必要なのは、自分が勉強できてない分野への経緯や想像力を持つことが重要でしょうか。そういった想像力をもつためにも、中学・高校・大学などを卒業したあとの勉強は、日々の仕事の勉強も大切ですが、しかし時々は国語・数学・理科・社会・英語など仕事以外のことも勉強する必要があるでしょう。


東京書籍の教科書には、分業によって「社会で必要な財やサービスを提供していく」と目的があります。

目的を忘れてはいけません。あくまで、社会に必要な財やサービスといったものを生産するのが、分業の目的です。決して、この目的を忘れて、形式的に、単に難しいだけで社会に役立たない技術のトレーニングばかりをしないようにしましょう。たとえば、中学卒業以上の社会科(地歴公民 科)では、時代遅れになった五十年や百年年も前の古い教科書の内容を、理解せずに言葉を断片的に丸暗記しても、社会では何の役に立ちませんし、それでは就職も難しいでしょう。

※ 東京書籍は明言はしていないですが、社会に必要のない能力をアピールしても、社会からは受け入れられません。中学生あたりは企業を知らないので能力アピールも仕方ないですし、自己アピールも必要ですが、しかし、もし社会の要求を完全に無視してトレーニングしてしまい、大人になっても高校卒業・大学卒業して五年・十年も経っても社会をまったく無視して完全に自分の子供時代からの興味だけで能力トレーニングすると、企業などから相手をされず、なので子どもの思い描くような「夢」などは かなえられません。

だいたい、どのお店の客を見ても、どの消費者も、その消費者じしんにとって役に立たない商品を買いたくありません。

視点を、企業の経営者の目線に、変えてみましょう。どの会社の社長も、その会社に役立たない志望者を、雇用したくありません。役立とうとする気のない人を雇うほど、一般の企業も役所も、お人よしではありません。

何よりも、経営者から見れば、社会を無視するワガママな就職志望者は、自分はお店では好き勝手に商品を消費してるのに、なのに企業に向かっては「経営者は好き嫌いを無視して、私を雇え」というような自分勝手な考え方をする人を、絶対に経営者は雇いたくありません。(知能が低いのはまだしも、性格までもワガママなのに「自分はマジメ!」だと思いあがっているいて性格が悪いのは、もう雇いたくないのです。)

キャリアデザインとは、このように自分をみつめなおすことで、志望の進路やそのための勉強・努力や練習を、より適切なものに見直しておくことも含まれるでしょう。


なお、中学の段階で、あまり「やりたい職業」が決まってなくても、大丈夫です。日本文教出版の公民の検定教科書では、2015年の日本の中学生のアンケートで、50%近くの中学生が、まだ将来の希望の職業が決まっていません[7]


社会の役に立つかどうかを考えずに、人気(にんき)や評判だけで進路を決めるのは、下記の理由から危険です。

これは高校の教科書の内容なのですが、「自分が社会に受け入れらている」という感覚が、青年期以降の健全な精神の発達には必要です。(※ 清水書院(高校の教科書会社)の『公共』教科書の見解です[8]。)「自分は社会に受け入れられている」という感覚が無くなると、自己嫌悪や無力感などの状態になります。

清水書院は具体的にはどうすべきかまでは指定していないですが、しかし上述の議論から常識的に考えて、なるべくなら、社会の役に立とうとする職業や仕事っぷりを目指すのが健全でしょう。

社会の役に立つことを目指している仕事のほうが「自分は社会に受け入れらている」という感覚を得やすいからです。

普通の人は、「自分が社会から受け入れてもらえてない」という孤独には耐えられず、そのため、その状態になると自己嫌悪で行動がおかしくなり、やることなすこと失敗だらけになります。

あくまで、社会に受け入れられるために、まずは他人になるべく負担をかけないようにする必要としての経済的自立であり、そのための仕事に必要だからという理由での進路志望やキャリアデザインです。あくまで最終目的が「社会に受け入れてもらう」であることを間違えないようにしましょう。


自分がよほどの才能にめぐまれた大天才でないかぎり、進路を考えるときは、少しは社会の役に立とうとする事も考慮したほうが、将来的には精神的に安全だろうと思われます。

たとえば子供時代にスポーツ志望で「将来はオリンピック選手になって金メダルをとる」を目標にしたが、金メダルどころか日本トップ3以内にすらなれない場合、それどころかプロになれない場合、またはプロの底辺にしかなれない場合など、どうやって自分の自信を保つか、です。


外部サイトですが、日本教育学会理事、日本教育政策学会理事がキャリアデザイン教育について似たような改革案をネットで言っていました[9]

最初の夢がかないそうにない場合、それに近い第二・第三の夢を考える必要があります。たとえば、「プロの漫画家とかゲーム作家とかになりたい」の夢がかなわなかった場合、その夢の根拠が「ものづくり」なら、べつに自動車業界とか食品業界とかの他の仕事に変えても構わないわけです[10]

あるいは、「日本のマンガやアニメは『クールジャパン』と言われて海外の人々に受けているので、これを仕事にしたい」とかだったら、別にマンガなどに限らず海外と取引するビジネスマンでも良いわけですし、それに就職できなくても最悪、翻訳家などでも構わないわけです。

このように、第一の夢に向かって努力するだけでなく、加えて「『やりたい』の根っこを掘ること」もまた重要です。


憲法などの「職業選択の自由」があるので、中学・高校は一切、教えてくれません。ビジネス書などを読むと、こういった事が少しは書いてある場合もあります。「もし、事業の投資の選択肢に迷った場合は、社会の役に立つほうに投資しろ」みたいなノウハウとか、ビジネス書に書かれている場合もあります。


国語の教科書でも著作の紹介されている医学者・養老孟司さんは(たとえば養老孟司(ようろう たけし) 著、『かけがえのない未来』[11]、『考えるヒト』などが国語教科書に掲載)、就職・仕事に関するの評論では

「仕事とは、地面の穴を 埋めるようなもの」[12]

みたいなことを2010年以降はよく言っています[13]

養老氏が言うには、

仕事というのは、社会に空いた穴です。道に穴が空いていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。それが仕事というものであって、自分に合った穴が空いているはずだなんて、ふざけたことを考えるんじゃない、と言いたくなります。

とのことです。

分業と貨幣
※ 帝国書院の検定教科書がコラムで貨幣の交換機能の話題を扱っており、分業とからめて語っている[14]

派生的な話ですが、上述のように経済は分業で成り立ってますので、けっして自給自足で何でも調達するというわけにはいきません。

そこで、業種の異なる人たちの間で、生活などに必要な物を交換する必要が生じます。

こうして、社会にさまざまな商業が誕生したと、仮定できます。(あくまで説明を分かりやすくする都合での仮定。実際の人類の経済史がそうだとは言ってない。)

貨幣(かへい)には、業界を超えて、価値の基準となる機能があり、そのため、貨幣を仲立ちとして物やサービスなどの交換が、商業では行なわれてます。このような貨幣の機能のことを、経済学の用語で「貨幣の交換機能」と言います。なお、「貨幣」(かへい)とは、お金のことです。

※ 帝国書院の検定教科書では「交換」だけが太字だが、ネットで調べるときは「貨幣の交換機能」で調べる。経済学用語としては「貨幣の交換機能」なので。

さて、(コラムではなく)本文の上述のパン屋さんの例で言えば、客がパンを買うということは、お金とパンを交換しているわけです。また、パン屋さんは小麦業者から小麦を買っていますが、これは小麦とお金を交換しているわけです。図にすると、小麦がお客に流れる方向とは逆に、それぞれお金が小麦業者およびパン屋に流れています

     小麦         パン
小  ----→  パ  ----→ 
麦           ン          客
業   ←----  屋   ←----
者
       金           金

「需要と供給」を中学の公民で習いますが、労働者にも、需要と供給があります。このため、「労働市場」(ろうどう しじょう)という語もあります(東京書籍の見解)。

東京書籍は明言していませんが、労働にも、需要と供給がありますので、需要のない事を仕事にしようとしても、それで収入を得るのは難しい。

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