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中学校社会 公民/被差別部落とアイヌ問題

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

被差別部落[編集]

江戸時代に「えた」「ひにん」という身分にされた人々が多くすんでいた地区がありました。その地区に住む人が、明治維新以降も差別されました。明治時代に身分の解放令がだされましたが、日本の世間では、地区住民への差別が残りつづけたためです。

こうした地区住民への差別問題のことを「部落(ぶらく)問題」や「同和(どうわ)問題」といいます。また、差別された人々の多かった地区のことを、「差別されている部落」という意味で、「被差別部落」 といいます。

現在でも地方による差はありますが、就職や結婚などで被差別部落出身者への差別が残っています。

このような差別が残りつづけることは、日本国憲法で主張されてる国民の平等の理念に反するので、部落差別を解消するための法律などの政策が取られています。

1965年の同和対策審議会の答申(どうわたいさくしんぎかい の とうしん)では、同和問題を解決するために努力することが国の責務とされ、この答申の方針にもとづき、同和対策事業特別措置法などが制定されました。その後、1982年に地域改善特別措置法が制定され、1996年には人権擁護試作推進法が制定されました。

現在でも、人権教育などの施策が続いています。

  • 全国水平社 (ぜんこく すいへいしゃ)

全国水平社 とは、1922年 (大正11年) に設立された、部落問題を解決するために民間で設立された団体です。

アイヌ問題[編集]

アイヌ問題については、部落問題とは、事情が異なります。

まず、そもそもアイヌとは、北海道や樺太 (からふと、) (= サハリン) 、千島列島の先住民族のことです。

アイヌは、日本とは異なる、独自の言語や独自の文化を持っていました。

明治時代に、北海道は日本に併合されました。その結果、アイヌ民族も正式に日本に支配されることになったので、日本政府はアイヌ民族に対して、日本文化への同化政策を押し進めたので、アイヌ民族の固有の文化が否定されました。また、北海道の開拓にともない、アイヌの土地がうばわれたので、貧困におちいるアイヌ人も増えました。また、併合前のアイヌの生計は狩猟や漁労などで生計を立てていましたが、開拓にともない、農耕などに強制的に生業を変えさせ、また併合後に狩猟などが規制されたので、アイヌが生活の場を失い、貧困におちいりました。

第二次大戦後、このような同化政策がしだいに批判されます。そして1997年にはアイヌ文化振興法されました。また、2008年には国会で「アイヌ民族を先住民とすることを求める決議」によって、アイヌ民族を日本の先住民族の一つだと認めることが日本の国会で正式に認められました。

なお、この2008年の決議の背景として、2007年に国連総会で「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択されたことも受けています。

※ なお、国際的な背景として、1980年代に世界各国の先住民族が復権を求める運動があった。アイヌや日本政府もその流れに乗ったという解釈がある(※ 帝国書院の中学歴史教科書(令和3年版デジタルパンフレット)の見解)。

そして2019年には、日本ではアイヌを尊重する地域社会づくりのための『アイヌ施策推進法』が制定され(※ 帝国書院の検定教科書デジタルパンフレットで確認)、これにともない今までのアイヌ文化振興法(1997年公布)は廃止されました[1]

(※ 高校の範囲)アイヌ施策推進法で、法律としては初めてアイヌの人々が「先住民」だと明記されました[2]
※ 2008年の『アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議』は[3]、あくまで「求める」ための国会決議。

脚注[編集]

  1. ^ 帝国書院『公民-932 社会科 中学生の公民(令和2年1月20日発行) 記述の変更・更新のお知らせ』
  2. ^ 帝国書院『05新公共総合特色書.indd - 06公共_内容解説資料.pdf』
  3. ^ 教育出版