中学校社会 歴史/冷戦後の社会
日本が経済大国になる
[編集]1980年代の前半ごろ、日本の製造業は、世界でもトップクラスの品質を持つほどまでの実力になった。(石油危機があったのは1973年であり、80年代ではない。)
日本経済は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と海外から評されるほどになった。
そして80年代の日本の貿易では、日本から家電(テレビなど)・半導体・自動車などの日本の工業製品が、海外に多く輸出された。
このため、アメリカの工業などが苦境に立たされ、アメリカのメディアなどが日本を批判し(いわゆる「ジャパン・バッシング」)、アメリカ政府から日本政府に政治的な圧力も加えられた。 このように、日本とアメリカのあいだで貿易摩擦(ぼうえき まさつ、trade friction [1])が起きた。
バブル経済とその結果
[編集]バブルの経緯
[編集]1980年代には、日本は世界の中でも経済大国になっていた。
1980年代の終わり頃には、土地の地価や株の株価の値上がりを期待して、取引が活発になっていった。やがて、地価や株価が値上がりしすぎて、1991年(平成3年)ごろから地価や株価が下がり始めた。(ちなみにピーク時の都内中心地の地価は、一般人が買えるような値段でなくなってしまい、ある試算では山手線の内側の土地価格で米国全土が買えるというデータがはじき出されたとか。まさに、土地神話だった。)
株価などが下がり始めると、多くの証券会社が経営難におちいっていった。経営破綻した証券会社もある。また、銀行も株価や地価の値上がりを前提に融資の貸し出しをしていたため、株価が下がりはじめると、銀行の経営も苦しくなっていった。銀行どうしの多くは、合併などによりこの危機をのりきっていった。また、大手を含めていくつかの銀行は倒産した。 (例えば、バブル時代に代表的だった山一證券は借金が膨らみ、結局倒産してしまった。)
直接は株取引をしていない企業も、株価や地価が高い好景気を前提にした事業計画を立てていたりしていたため、いったん株価が大きく下がり始めると、経営が苦しくなっていき、多くの会社が経営難におちいり、多くの会社が倒産していった。また倒産していない企業でも、従業員の解雇もふえたり、事業の見直しによる事業の縮小や事業撤退や事業転換などが行われたりした。
こうして「平成不況」(へいせい ふきょう)と言われるになっていった。
「平成不況」といっても、けっして1991年以降は株価が下がりっぱなしだったわけではなくて、実際には、のちにコンピューター業界の好景気によるITバブル(アイティーバブル)と言われる部分的な好景気も1990年代後半から2000年代前半あった。
90年代の前後
[編集]1990年は冷戦後である。冷戦が終わったら、地域紛争が各地で、増え始めてきた。
1990年にはイラクが隣国のクウェートに侵攻し、湾岸戦争(わんがんせんそう、Gulf War [2])が起きた。この湾岸戦争で、イラク軍と戦うためにアメリカなどからなる多国籍軍が結成された。
この他、旧ユーゴスラビアで内戦があった。
1991年にはワルシャワ条約機構は解散し、ソ連は崩壊した。
また、1992年には国連のPKO(平和維持活動)に自衛隊が参加した。
1995年には、阪神・淡路大震災(はんしん あわじ だいしんさい)が起きた。
ヨーロッパでは1993年に、それまでのECに代わりヨーロッパ連合(EU)が発足した。その後、東ヨーロッパ諸国がEUに加わっいった。なお現在、EU域内の共通の通貨としてユーロが用いられている。
なおAPEC(エイペック、アジア大平洋協力会議)が発足した年は1989年である。
- 55年体制の終わり
1990年ごろから自民党の金権体質への不満が高まり、1993年に国政では自民党・共産党をのぞく党派が細川護煕(ほそかわ もりひろ)を首相として連立政権をつくった。こうして自民党の「55年体制」と言われる長期政権は終わった。
約40年間、55年体制が続いたことになる。
そののち、自民党はふたたび政権与党にもどった。
アメリカ同時多発テロ
[編集]2001年、アメリカのニューヨークで、何者かによる航空旅客機のハイジャックによるテロ事件が起こり、多くの乗客が死んだ。その後すぐに、このハイジャック犯の正体は、アルカイダ(英語: Al-Qaeda)というイスラム系をなのる過激派組織の一味だということが分かった。 このアメリカでの2001年のテロ事件を アメリカ同時多発テロ などと言う。
アメリカは、このアルカイダをかくまっていたアフガニスタンのタリバン政権を攻撃し、戦争になり、アメリカはアフガニスタンを占領した。
日本の小泉純一郎(こいずみ じゅんいちろう)内閣は、アメリカを支持した。
- イラク戦争
アフガニスタン攻撃の後のころ、イラクには大量破壊兵器を開発しているという疑惑があった。国連はこの疑惑を調べようとしたが、イラクは国連の調査に協力的でなかった。
アメリカはイラクが大量破壊兵器を開発していると判断し、2003年にアメリカはイラクを攻撃した。 これを イラク戦争(イラクせんそう、英:Iraq War) と言う。
イラク戦争ではアメリカが勝利した。
ドイツやフランスなどは、イラク攻撃の理由が不十分だとして、アメリカの戦争には参加しなかった。
イラク戦争によってサダム・フセイン政権は崩壊した。しかし、イラクではフセインの独裁がなくなったことにより、それまでフセイン政権の軍事力をおそれていたテロ組織がイラクで活動するようになった。そして、イラク戦争後にイラクを占領していたアメリカ軍やアメリカ軍の協力者には、テロによる多くの死者が出た。
しかし、イラクは実は大量破壊兵器を開発しておらず、国連の調査に協力しなかったのは、イラクが大量破壊兵器を開発しているように見せかけることで、イラクの国際社会への影響力を強めようとしたフセインのウソであることが判明した。
イラク戦争が、フランスやドイツなどの大国を無視して行われたので、国際社会でのアメリカの影響力が落ちていった。
日本は、イラクの復興支援に協力するため、自衛隊をイラクに派遣した。
中国
[編集]中国大陸の中華人民共和国では、第二次大戦後に共産党が国民党から政権をうばってから、ずっと共産党による独裁がつづいている。
(※ この節では、たんに「中国」といったら、中華人民共和国のこととする。台湾の中華民国政権のことを言う場合には、この節では「台湾」や「中華民国」などと区別することにする。
1989年には、天安門で民主化をもとめる学生の抗議運動がおきたが、この運動は弾圧された。
この天安門での抗議運動に関する事件を 天安門事件(てんあんもん じけん) と言う。
なお中国は、経済を活性化するために、1070年代から市場経済の導入をおこなった。そして中国はしだいに経済大国に成長していった。
こうして、中国は、経済の規模がアメリカや日本につぐ、経済大国になった。
しかし、中国では、あいかわらず民主化がなされずに共産党による独裁がつづいている。
また、中国は周辺国と領土問題で、もめている。
日本とは日本の尖閣諸島(せんかく しょとう)の領有に、中国は反対をしている。
2010年には、中国の漁船が、日本の海上保安庁の巡視船に衝突する事件が起きた。
また、中国と東南アジア諸国とのあいだでは、スプラトリー諸島(Spratly Islands、 中国名:南沙(ナンシャー)諸島 )をめぐって、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイと領土問題がある。
- 少数民族の人権問題
中国は、第二次大戦後、1950年にチベットを侵攻し、また1949年に中国はウイグルに侵攻し、そのまま中国がチベットやウイグルを領有する状態が、つづいている。
このため、中国ではチベット人やウイグル人などに対する少数民族への人権問題が生じている。
チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世(14th Dalai Lama)は、1959年にインドに亡命した。
文化
[編集]長野オリンピック
[編集]1998年(平成10年)に、長野県長野市でオリンピック冬季競技大会が開催された。
2013年(平成25年)には、IOC総会で2020年に夏季オリンピックを東京都で開催することが決定した。
バブル崩壊後の日本経済
[編集]工場の海外進出などの経済のグローバル化と、物価(ぶっか)下落(げらく)のデフレ化が進んでいった。 2000年ごろからのインターネットや電子メールなどの普及もあり、これらの動きが、さらに強まった。
- 製造業
1990年代の半ばごろからか、日本の機械工業などの製造業は、この「平成不況」を技術開発によって乗り切ろうとしたので、すでにバブル崩壊の時点でも技術力の高かった日本の工業は、ますます技術力が上がっていき、現在(2014年に記述。)の日本は世界の中でも高度な技術を持った工業大国になっていった。 (バブルの前から、中国や韓国などの低価格な輸出品に対抗するため、日本の製造業は技術開発を重視していた。)
しかし、日本は技術力の高さが製造業などの一部の業界だけにとどまり、コンピュータ業界などの技術力はアメリカにおくれをとっているなどの問題もある。また電子工業では日本企業の技術力は高いものの、しかしその能力を商品販売にうまく結びつけられず、よって韓国や台湾などの新興国との競争に苦しめられ、日本の電子工業業界などの企業は経営が苦しくなっていってるという問題点もある。
- 企業再編
2000年ころからか、日本の大企業は、かかえる事業のうち、不採算な部門から事業撤退しはじめた。同様に2000年ころからか、大企業どうしの合併や再編が起き始めた。
- 地方経済の低迷
少子化などとも絡んで、2000年ごろから地方経済が衰退し始めたり、貧富の格差が拡大してきたと考えられる。
- 政治の規制緩和
不況の原因として、政治の遅れなどが考えられこともあり、また政府の収入・支出の健全化のための財政改革とも関係して、規制緩和などが行われた。しかし結果は、いまいち好況には、ならなかった。
また、2000年代には、郵政民営化(ゆうせい みんえいか)など、国営事業の民営化も行われた。
また、規制緩和とも関係してか、地方分権をうったえる政治主張が、さかんになった。
- 競争相手の周辺国
2000年ごろからか、中国(中華人民共和国)が「世界の工場」と言われ始め、世界各国に低価格の商品を輸出し、日本経済は苦戦した。
なお、中国は1970年代後半から、資本主義を取り入れる改革路線を取っていた。
- 工場の海外移転
日本は、1990年頃から、工場を海外に移し始めた。その結果産業の空洞化(さんぎょうのくうどうか)が進んでいる。
21世紀
[編集]2001年にはアメリカ同時多発テロが起きた。
2002年、北朝鮮と日本との外交交渉で、北朝鮮による日本人拉致(らち)を北朝鮮政府が公式に認め、拉致被害者のうち5名が帰国した。 しかし拉致被害者はその他にも多くいるので、まだ拉致問題は解決していない。
2008年には世界金融危機(せかい きんゆうきき)が起きた。
2009年には、日本では政権交代が起き、自民党から民主党に政権が移り、2012年まで民主党の政権が続いた。
2011年には、日本の東北地方を中心に大地震が起きた( 東日本大震災(ひがしにほん だいしんさい) )。この地震による津波により、東北の太平洋岸が大きな被害を受け、主に津波により多くの死傷者が出て、また福島の原子力発電所が事故を起こして放射能もれが起きた。
2012年の衆院選で自民党が勝利し、2017年の現在では、ひきつづき自民党の政権が続いている。
現在、少子高齢化が日本では進行している。
世界では現在、グローバル化などのため移民が各地で増加している。先住民との摩擦も起きている。
- (※ 範囲外: )グローバル化がすすむ一方で、それに反発するかのように世界各地で人々のあいだでナショナリズムも高まっている。「ナショナリズム」とは、先住民族または多数派の民族などを中心とした民族主義または国家主義のこと。
2020年には、新型コロナウイルスが猛威を振るった。そのため、同年開催予定の東京オリンピック・パラリンピックが1年延期した。
2022年、安倍晋三(あべしんぞう)元首相が、銃弾により暗殺された。(※ 検定中教科書で、掲載の見込み[3])。
脚注
[編集]- ^ 橋場弦 ほか監修『WORLD HISTORY for HighScool 英文詳説世界史』、2019年10月15日 第1版 第3刷発行、P.397
- ^ 橋場弦 ほか監修『WORLD HISTORY for HighScool 英文詳説世界史』、2019年10月15日 第1版 第3刷発行、P.399
- ^ 『中学校で使用される教科書の検定終了 100点が合格 情報漏洩で2点が初の見送り(2024年3月22日)』2024/03/22