中学校社会 歴史/古代のギリシャ文明とローマ文明

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ギリシャとローマの古代文明[編集]

四大文明(メソポタミア文明やエジプト文明など)から、しばらく遅れて、紀元前8世紀頃から地中海ちかくにある ギリシャ や ローマ で文明が発達してくる。

ギリシャ[編集]

ミロのビーナス。ギリシャの文化。 ヘレニズム文化の影響を受けている。
ギリシャのパルテノン神殿。世界遺産。

ギリシャでは紀元前8世紀頃から、ギリシャ各地に、いくつもの独立した都市国家(ポリス)が出来た。なかでも、アテネという都市国家 と、 スパルタ という都市国家の、この2つの都市国家(ポリス)が、とても有力であった。

ギリシャでは商工業が発達して、平民や兵士の力が強くなった。

  • アテネ
古代ギリシアでの重装歩兵(じゅうそうほへい)による戦闘の想像図

都市国家(ポリス)のうちの一つであるアテネでは、18歳以上の男子の市民による直接民主政治(デモクラチア)が行われた。 いっぽう、ギリシャには、奴隷が多くいた。奴隷は、民主政治には参加できなかった。奴隷は人口の3分の1もいた。民主政治に参加できたのは、市民や兵士などの特権階級だけであった。

スパルタなどの、他のポリスでも、似たような市民や兵士という特権階級による民主政治が行われた。

  • 発展項目: スパルタ

スパルタは、周辺のポリスを侵略したりするので、スパルタでは兵士を育てるための軍事訓練がきびしい。スパルタではスパルタ人の男子は、少年期から兵士として育てられ、少年の受ける軍事訓練(ぐんじ くんれん)では、きびしい規律(きりつ)によって集団訓練をさせられた。

なお、スパルタ人以外の征服された地域の人は、軍事や政治からは切り離されて、農業や商工業などをさせられた。スパルタ人は、征服された人々の反乱をおそれて、征服された人々が武器を手にしないよう、征服された人々を軍事や政治の仕事には関わらせなかったのである。

また、スパルタは、鎖国的な政策をとり、スパルタは、ほかのポリスとの貿易(ぼうえき)を禁止したので、スパルタでは商工業はあまり発達しなかった。


  • 文化

ギリシャでは、ギリシャ文字が使われていた。ギリシャ文字は、フェニキア文字(オリエント地方で使われてた文字の一つ)が元になっている。

ギリシャでは、演劇や建築、物語などが発達した。ギリシャ神話もつくられた。議論もさかんになり、哲学や数学などの学問もさかんになった。哲学者の アリストテレス や ソクラテス 、 歴史学者の ヘロドトス など、多くの学者がギリシャ文明から出てきた。

ヘレニズム文化[編集]

愛馬ブケパロスに騎乗したアレクサンドロス (拡大図)。 生 紀元前356年 ~ 没 323年。
アリストテレスの講義を受けるアレクサンドロス

紀元前4世紀ごろにギリシャ各地のポリスが統一される。北方のマケドニアの アレクサンドロス大王 によって、ギリシャは統一され支配された。

アレクサンドロスは、さらに領土を拡大しようとし、エジプト、ペルシャなどオリエント各地にも遠征した。

マケドニア国の重装歩兵(じゅうそう ほへい)による陣形(じんけい)の想像図。


同じころ、オリエントの文化が、ギリシャにも伝わってきた。これによって、ギリシャでは、オリエントの文化とギリシャの文化がまじわった新しい文化のヘレニズム文化が生まれてきた。ヘレニズムの語源になった「ヘレネス」とは、「ギリシャ人」という意味。

ギリシャの学問では、科学がさかんになり、数学者の エウクレイデス(ユークリッドのこと) や、 物理学者・機械工学者の アルキメデスが出た。

アレクサンドロス自身は、ペルシャ征服後のインドへの遠征からの、バビロンへの帰還中に病没し、満32歳で死亡した。アレクサンドロスの死後、彼の帝国は分裂した。


(※ たぶん範囲外: ) ゴルディオンの結び目
※ むかし、中学世界史の資料集で、このハナシを紹介してたらしい。

伝説では、アレクサンドロスが東方への遠征中、ゴルディオンという地方に立ち寄ったとき、ゴルディオンのゼウス神殿には、絶対にほどくことのできない結び目があると言われていました。その神殿にある、伝説の車にとりつけられた結び目です。

そして、その結び目をほどいたものは、世界の王になれるという言い伝えがありました。


アレクサンドロスが立ち寄るずっと前にも、多くのものが、この結び目をほどいてやろうと挑戦しましたが、誰一人として、ほどけませんでした。

アレクサンドロスは、自分こそ結び目をほどいて王になってやろうと挑戦しましたが、それでも結び目はほどけませんでした。

そこでアレクサンドロスは剣を持ち出して、結び目を一刀両断に切って、無理矢理、ほどいてしましました。

結び目の言い伝えが影響したのかどうか知りませんが、アレクサンドロスは東方の遠征に成功し、大きな領土を獲得しましたとさ。 おしまい。



ローマ[編集]

ローマのコロッセオ(闘技場)の内部。コロッセウムともいう。地下にあった施設が現在ではむき出しになっている。世界遺産。
ローマ時代の水道。この水道は現在のフランスにある。当時のローマ帝国は、今で言うフランス(当時は「ガリア」という国名)あたりの地にまで支配を広げていた。この水道建造物はポン・デュ・ガールとフランスでは呼ばれている。世界遺産。

紀元前6世紀ごろには、イタリア半島でいくつかの都市国家ができていた。紀元前1世紀ごろに、都市国家の一つのローマは周辺の都市国家を征服し、ローマ帝国ができた。さらに、紀元前30年ごろにはローマ帝国が地中海を囲む、ヨーロッパ南部および中央部、西アジアの地中海沿岸部、アフリカの地中海沿岸分の一帯まで、支配を広げた。

ローマによるヨーロッパの支配は、今で言うフランス(当時はガリア)の地をほぼ全て支配し、今で言うスペイン(当時はイスパニア)の地まで、ほぼ全土を支配した。

ギリシャ文字のアルファベットをもとにした、ローマ独自の文字のラテン文字(ローマ字)を持っていた。 ローマには、奴隷がいた。

広い領土をおさめる必要性から、実用的な文化が発達した。 暦(こよみ)では、エジプトの太陽暦をもとに、ユリウス暦(ユリウスれき)を作った。道路を整備した。法律も整備された。水道も整備された。