中学校社会 歴史/戦後の日本の再建

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アメリカ占領下の日本[編集]

アメリカ大使館でのダグラス・マッカーサー(左側の人物)と昭和天皇(右側)(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚)
物価高騰による闇市

1945年8月に日本が降伏し、日本は、アメリカ軍を中心とした連合国軍に占領されます。 アメリカの占領目的は、日本がアメリカの脅威にならないように、日本の体制を作りかえることだったが、表向きの目的として、日本の「民主化」(みんしゅか)をかかげた。

日本政府は、終戦しても、のこったが、その上にアメリカ軍の 連合国軍総司令部(れんごうこくぐん そうしれいぶ)であるGHQジー・エイチ・キュー、General Headquarters ゼネラル・ヘッドクォーターズ の略)が日本政府に命令するという、政治のしくみになった。

ただし、沖縄や奄美(あまみ)や小笠原諸島(おがさわら しょとう)では、アメリカが直接、統治するしくみになった。

GHQの最高司令官はマッカーサーというアメリカ軍人であった。

占領政策は、まずポツダム宣言にもとづき、日本軍を解散させた。

(※ 範囲外 :)「アイ シャル リターン」
※ ここら辺の話題を、教師が口頭で説明したり、しなかったりする。

マッカーサーは、日本に来る数年前の時代、フィリピンでアメリカ軍を指揮していた。

しかし、フィリピン方面での日米の戦争が激化すると、アメリカ本土はフィリピンをあまり戦略的に重要でないと判断し、マッカーサーをオーストラリア方面の司令官に変えさせた。

フィリピン方面から外されたマッカーサーは不満を感じ「私は戻ってくるぞ」という意味の "I shall return" アイ シャル リターン という発言をした。

その後、太平洋方面のアメリカ艦隊が勝利をつづけ、ついに日本を占領し、その日本占領の司令官にマッカーサーはなり、フィリピンではなくは日本と深く関わることになる。

ちなみにアメリカによる日本占領開始の前後のころのマッカーサーの階級は「元帥」(げんすい)。そのため、よく日本では「マッカーサー元帥」などと呼ぶ場合もある。

一般に、どこの国でも軍隊には、軍隊内部での序列をきめる階級があって、よく戦争映画で「軍曹」(ぐんそう)とか「二等兵」(にとうへい)とか「大佐」(たいさ)とか、いろいろ階級があるが、これら3つの称号(軍曹、二等兵、大佐)はすべて実在する階級である。 「元帥」(げんすい)というのも階級で、軍隊内部では「元帥」という階級は、かなりエラい階級である。


非軍事化の施策[編集]

東京裁判[編集]

戦争を指導した人間は、戦争犯罪人(せんそうはんざいにん)として、「裁判」にかけられて、東条英機など7名が死刑になった。

この戦争指導者をさばいた裁判を極東国際軍事裁判きょくとうこくさいぐんじさいばん (通称・東京裁判)という。

(※ 範囲外の注記:) 厳密には「戦争犯罪」というのは戦争指導者だけではないが(捕虜の虐待や民間人虐殺も国際法違反で戦争犯罪なので)、しかし東京書籍の検定教科書では東条英機などの戦争指導者を「戦争犯罪人」として表記している。

戦争犯罪として裁かれたのは敗戦国がおこなった行為だけであり、アメリカやソビエトなどの戦勝国のおこなった民間人殺害などの戦争犯罪については裁かれなかった。また、裁かれ、刑罰を受けた人物にもかたよりがあった。

なお、サンフランシスコ講和条約の規定により、日本政府は主権回復と引き換えに東京裁判を受け入れる事に同意し国際条約として締結された。そのため、後の占領終了後に日本政府は東京裁判の判決を引きつづき受け入れ、現在(2019年)にいたる。

(※ 範囲外 :)「A級戦犯」

いわゆる「A級戦犯」とは、この東京裁判で死刑になった東条英機など7名と、そのほか、戦争への指導的な役割の協力者として逮捕された関係者のことです。

なお、国際法(こくさいほう)では「戦争犯罪」(せんそう はんざい)という言葉じたいの内容は、戦争の指導にかぎらず、捕虜(ほりょ)の虐待や民間人の殺傷なども本来の戦争犯罪に含みます。

東京裁判において、連合国が戦争犯罪の内容をもとに罪を3種類に A級, B級, C級 に分類して、そのうち戦争指導を犯罪行為としてA級に分類したので、東京裁判で戦争指導者として裁かれた東条英機など7名ほかのことを「A級戦犯」といいます。

なお、天皇は戦争犯罪人としては指定されていない。

公職追放[編集]

戦争犯罪人として裁かれた政治家・軍人のほかにも、連合国によって軍国主義的だろうとみなされた幾人かの政治家や公務員などの公職についていた者が、それらの公職から追放された。


戦後の改革と日本国憲法[編集]

当時の文部省の社会科教科書『あたらしい憲法のはなし』での日本国憲法の三原則を表した挿し絵。
当時の文部省の社会科教科書『あたらしい憲法のはなし』での戦争放棄の原則を表した挿し絵。


日本国憲法[編集]

憲法の比較
大日本帝国憲法 日本国憲法
 君主の定める欽定(きんてい)憲法 制定の形式  国民が定める民定(みんてい)憲法
 天皇主権 主権  国民主権
 神聖不可侵で統治権をもつ 天皇  日本国・国民統合の象徴 
 天皇の統帥権。国民の兵役。 軍隊  「戦争放棄」(名目) 
 天皇の同意機関 国会  唯一の立法機関 


1946年には、あたらしい憲法の日本国憲法(にほんこく けんぽう)が交付された。 この日本国憲法はGHQがつくった憲法案を、ほとんどそのまま議会が採択したものである。

この新憲法の日本国憲法では、 国民主権(こくみんしゅけん) ・ 基本的人権の尊重 (きほんてきじんけん の そんちょう)・ 平和主義(へいわしゅぎ) の3つの原則が掲げられた。


天皇は政治の主権者でなくなった。日本国民の統合の象徴になった。戦後の主権者は日本国民である。(戦後の天皇は、国の元首でもある。)

民法[編集]

民法の比較 (家族法の部分)
旧民法(1898年施行) 新民法(1948年施行)
 長男への相続 相続  均分相続
 戸主の同意が必要 婚姻(こんいん)  良性の合意のみ

また、民法も改正され、父親の権限が強かった家制度の廃止がされた。家庭においては、男女の法的な権利は対等に変わった。夫と妻の法的な権利も対等。また、長男を優遇するような決まりも、なくなった。相続では兄弟姉妹が均分に相続することになった。

占領政策[編集]

政治犯の解放[編集]

戦時中に政治犯として捕まっていた人などは釈放されるなどして、表向きは、アメリカの占領による言論の自由が、かかげられた。

戦前や戦中は規制を受けていたり禁止された政治運動や政治団体も、合法化した。

北海道アイヌ協会も再建。部落解放同盟も再建。日本共産党が合法化された。

天皇の人間宣言[編集]

昭和天皇に、自分(天皇)は神ではなく人間であるという宣言を出させることになり、1946年に昭和天皇は自分は人間だと宣言した。


占領軍による言論規制[編集]

だが一方で、アメリカに不都合な主張は検閲(けんえつ)され、また戦時中の戦争指導者を養護(ようご)するような主張も検閲(けんえつ)された。

つまり、言論の自由や出版の自由などは表向きには保証されたが、実際はアメリカなど連合国に不都合な言論については弾圧された。

国家主義者の団体を見なされた団体など、連合国にとって不都合な団体は解散させられた。

戦前や戦争中の日本の外国への軍事行動を「侵略」と批判する主張は許可されても、いっぽうでイギリスやフランスなどの東南アジアやアフリカなどでの植民地支配を批判するような主張はほとんど許可されなかった。

このような占領の方針により、「戦前の日本は、まったく民主的では、なかった」というようなまちがった主張が、第二次大戦後の日本では、強まることになる[要出典]。 (実際には、明治憲法は、当時としては民主的な憲法であった。また、戦前にも普通選挙はあった。) また、戦前の日本の立場について、少しでも擁護したり、戦勝国の言い分に反論を述べると、まわりの日本人から「軍国主義者」などと批判されるような時代が、戦争が終わっても40年くらい、つづいた[要出典]

民主化政策[編集]

女性代議士が誕生した

もっとも、実際に、民主的な政策も、占領下の改革では行われた。 たとえば、以下のような改革が行われた。

  • 治安維持法の廃止。特高警察(とっこうけいさつ、「特別高等警察」の略称)の廃止。
  • 選挙権を拡大し、女性もふくむ、20才以上の男女に選挙権を与えた(男子普通選挙は戦前からあった)。被選挙権も女性に拡大され、1946年の選挙では女性代議士も当選した。
  • 地方自治の長は、選挙によって決まることに変わった。
  • 国会では貴族院が廃止され、参議院(さんぎいん)となった。国会議員はすべて国民からの選挙で選ばれるようになった。

他にも、占領軍がこの政策は民主化である、と考えた政策が実行された。

  • 農地改革 
    地主から農地の多くを安値で買い上げ、その土地を小作人(こさくにん)安値で売り渡した。このため、小作人の数よりも自作農(じさくのう)が多くなった。占領軍は、農業の地主と小作人の関係を封建的な関係と思ったようで、その封建的な関係が、軍国主義を助長した、と考えたようである。この農地解放は、政治的には、日本国民からの人気の多い政策だった。
  • 「経済の民主化」
    • 財閥解体(ざいばつ かいたい)
      占領軍は、日本の財閥(三井・三菱・住友など)について、戦前に財閥が経済を支配しており、戦争の総動員体制に財閥も協力したと考えた。その結果、財閥が複数の会社に分割させられた。(※ 財閥名の「三井」「三菱」などについては、特定の企業名なので、中学の範囲外。なので、暗記しなくていい。ただし、高校の教科書では、こういう企業名も紹介される。)
    • 労働組合が認められるようになった。労働組合法労働基準法が制定された。
  • 「教育の民主化」
    • 軍国主義的と思われる教育が禁止された。具体的には一般の学校での軍事教練の禁止、教科書の軍国主義的内容の削除がなされた。
    • 教育勅語(きょういく ちょくご)が廃止され、教育基本法や学校教育法が定められた。
    • 教科書は国定教科書が廃止され、複数の民間の教科書会社が著作して、国が検定する制度に変わった。
    • 学校の教育期間の制度は六・三・三・四制(小学が6年、中学が3年、高校が3年、大学が4年)に変わった。義務教育は小学校6年・中学校3年の9年間となった。

範囲外: 背景事情[編集]

農地改革の真相[編集]

農地改革の結果は、皮肉なことに、その後の時代の農業では機械化が進んでいったこともあり、大きな農地のほうが生産が有利になっていく。いっぽう、農地解放で小さな土地しかもたない農民がふえたことで、農業の生産性が低下した。(参考文献: ウィキペディア記事『w:農地改革テンプレート:要高次出典

また、じつは、農地改革は戦前から日本政府の改革派の政治家や改革派の官僚(「革新官僚」)が考えていた政策であった。真相は、日本政府が占領軍の権威をもちいて農地改革を実行しただけだった。また、おそらく占領軍の本音は、(ロシア革命のような)社会主義革命が占領地の日本で起きることを防ぎたかったのだろう(せっかく占領した日本で、反アメリカの革命が起きてしまっては、元も子も無い)。

※ 「官僚」(かんりょう)とは、政策決定に影響を与えるほどの上級の公務員のこと。

また、日本政府としても、革命がもし起きてソ連が介入を口実に侵攻してきたら、東西ドイツや朝鮮半島のように日本が二分割されかねず、よって革命の発生は絶対に避けたいだろう。

また、農地改革の背景事情を、このように社会主義勢力の封じ込めと考えると、財閥解体もまた社会主義勢力の封じ込めだと合点が行くテンプレート:独自研究

労働組合法や労働基準法の制定もまた、本音は社会主義勢力の封じ込めだと考えると、納得が行くテンプレート:独自研究