中学校社会 歴史/日本の文明開化と殖産興業

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文明開化(ぶんめい かいか)[編集]

文明開化(ぶんめい かいか)[編集]

明治のはじめごろ、政府はちょんまげをやめてもよいという許可を人々に出し、散髪脱刀令(さんぱつだっとう)を1871年に出した。:「ざんぎり頭を たたいてみれば 文明開化の音がする」などと、ちまたで言われていた。

また、1876年には、刀を持ち歩くのをやめさせるように廃刀令(はいとうれい)が出された。


東京や横浜、大阪などの大きな町には、ガス灯がつきはじめた。牛肉や豚肉などをたべる習慣がでてきて、牛なべ などが食べられる牛肉屋や洋食屋が出てきた。江戸時代は、仏教の関係で牛や豚などの4本足の動物の肉を食べるのが禁止されていた。

いっぽう、地方の村のようすは、江戸時代と、さほど変わらない様子だった。

あたらしい思想[編集]

中江兆民(なかえ ちょうみん)。 ルソーの『社会契約論』などの著作を翻訳し、日本に紹介した。「東洋のルソー」とも、よばれた。部落差別の解放運動なども行った。

中江兆民(なかえ ちょうみん)や植木枝盛(うえき えもり)などが、フランスなど欧米の人権思想を紹介し、運動に影響を与えた。 また、福沢諭吉の「学問のすゝめ」(がくもんのすすめ)による、自立をすすめる主張が、青年の考えに影響を与えた。

※ 「ゝ」とは繰り返しの記号であり、前の文字・語句を繰り返す。

活版印刷(かっぱん いんさつ)の普及もあり、新聞や雑誌などの出版物が広まり、これらの新しい思想もそれらの出版物をとおして普及していった。

宗教では神道(しんとう)を重んじる政策が取られました。そのため、1868年に神仏分離令(しんぶつ ぶんりれい)が出されました。これがきっかけになって、日本全国にわたって仏教寺院や仏像などが破壊される運動がおきる混乱になりました。このように明治初期に仏教が破壊された混乱のことを「廃仏毀釈」(はいぶつ きしゃく)といいます。(「廃仏毀釈」の漢字は、教科書レベルでは覚えなくて良い。しかし常識的な歴史知識なので、出来事じたいは覚えておくように。)

また、キリスト教の信仰が、日本でも明治時代に合法化された。


  • 『学問のすすめ』
福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)。明治20年(1887年)頃の肖像

西洋の学問(洋学)を学習する熱が高まっていき、それに応ずる思想も現れた。

福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)は『学問のすすめ』で、国を発展させるには、国民の一人ひとりが自分の頭で物事の善悪などを考えられるようになる必要があることを説き、

「一身(いっしん)独立(どくりつ)して、一国(いっこく)独立(どくりつ)する」

と、主張した。

また、物事をきちんと考えられるようになるためには、きちんとした内容の本などを読み、学問をするのが良いことを述べた。

福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)は『学問のすすめ』を出版し、勉強をしないと、単純な仕事しかできないので地位のひくい仕事にしかつけずに貧しい生活しか出来なくなる、というふうなことを福沢は説いた。

※ 『学問のすすめ』は、民衆の平等の理想をもとめた本では、ありません。
『学問のすすめ』は、勉強をしないと安い賃金(ちんぎん)の仕事にしかつけないので、貧しく(まずしく)なり不平等な目にあう、と説いた本です。もし「民主主義」という言葉をつかって本の内容を説明するならば、民主主義では学問をしないと貧しくなる、と説いた本です。


まず、福沢は『学問のすすめ』の出だし(でだし)の冒頭(ぼうとう)の文では、

「天(てん)は 人(ひと)の上(うえ)に 人を造らず(つくらず) 人の下(した)に 人を造らず と いへり」

という文があり、 人は生まれながらにして平等である、という内容である、アメリカ合衆国の建国(けんこく)した当時の独立宣言(どくりつせんげん)の内容を紹介した。


そのうえで、現実の社会は、理想とはちがって不平等であることを福沢は説明した。

冒頭文のしばらくあとには、きびしい現実を紹介した説明が続いている。現代語に訳して紹介すると、

「けれども世の中を見渡すと、かしこい人と愚かな人、貧しい人と金持ちの人、身分の高い人と低い人とがある。
その原因は何だろう?
原因は明らかだ。
学問を勉強したかどうかの差だ。

かしこい人と愚かな人との差は、学ぶと学ばざるとによって出来る。」


福沢は民主主義(みんしゅしゅぎ)を紹介し、そのゆえ、政府の能力の高さは国民の能力の高さによって決まると説き、そのため国民は学問を学んで自らの知識を高めなければならない、と説いた。 もし、国民が馬鹿だったら、民主主義の国では政府も馬鹿になってしまう、と福沢は説き、これからの時代は、政治が悪くなっても政治家だけの無能(むのう)ではなく、国民にも学問をしなかったという無能の責任がある、と注意をした。


そして福沢は、『学問のすすめ』や、他の本などで、実学や、算数や理科や地理学などの大切さをとなえた。 いっぽうで古文や漢文などの文学だけを学問とみなそうとする態度の学者を、福沢は批判した。 学問は、なるべく世の中の役に立てるべきである、というふうなことを、福沢は説いた。