中学校社会 歴史/日本統治下の植民地

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韓国[編集]

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台湾[編集]

満州[編集]

日露戦争の勝利によって、日本がポーツマス条約で得た利権をもとに、日本は南満州鉄道株式会社(みなみまんしゅうてつどう かぶしきかいしゃ)を設立した。南満州鉄道株式会社は「満鉄」(まんてつ)と略される。

満州には、満州経営のため、政府により半官半民の企業の南満州鉄道株式会社(みなみまんしゅうてつどう かぶしきがいしゃ) ( 略称: 満鉄(まんてつ) )が設立された。 また、満鉄の鉄道の警備などのため、満州に日本軍が置かれた。

なお、この満州鉄道を警備している日本軍は、のちの1919年に「関東軍」(かんとうぐん)と言い改められる。中国の山海関(さんかいかん)より東の位置を「関東」といい、その地域を守備していたので、関東軍(かんとうぐん)と言い改められる。

この戦争の交渉の結果、日本は満州に権益を得ることになった。のちの第二次世界対戦のときに日本軍が満州に滞在している理由は、おおまかな理由は、元をただせば、この日露戦争で得た権益を防衛するために派兵されたからである。

さて、1907年には 日露協約(にちろ きょうやく) で、日本とロシアとの、満州での勢力範囲が決められた。

この満州への日本による権益獲得では、アメリカが日露戦争では資金面などで日本に協力したにも関わらず、ほぼ日本が満州の権益を独占することになり、アメリカは満州に権益を獲得できなかった。アメリカなどは、満州の事業の門戸開放を日本に要求したが、日本は要求を拒んだ。こうしてアメリカの日本への不満が高まり、のちにアメリカと日本とが対立していく原因の一つともなったと考えられる。