中学校社会 歴史/産業革命と欧米諸国
産業革命
[編集]17世紀でのヨーロッパの工業は主に手工業だった。
しかし18世紀の後半ごろから、イギリスでは蒸気機関(じょうき きかん)を動力とする機械が、さかんに工業に使われ始めた。蒸気機関とは、石炭で湯をわかし、発生した蒸気の圧力で、物を動かしたりする装置である。
ワットなどの発明家・技術者が蒸気機関を改良していった。
イギリスでの蒸気機関の実用化により、イギリスの工業生産力が飛躍的に高まった。イギリスでは、製鉄業、機械工業、造船業などが、さかんになった。このような蒸気機関の実用化などによる、工業の機械化と工業力の飛躍的な進展のことを、産業革命(さんぎょう かくめい)と言う。
さらに汽車がスチーブンソンにより発明され、鉄道により、イギリスの交通が発達した。
イギリスの各地にはマンチェスターのような工業都市が各地にできていった。
イギリスは、安価な工業製品を輸出した。19世紀のイギリスは「世界の工場」と呼ばれた。
イギリスは、インドから綿織物(めんおりもの)を輸入していたが、イギリスで産業革命が進み、イギリス国内では紡績機械で綿織物を安く大量生産できるようになって、イギリスから世界に綿織物が輸出された。
19世紀にはイギリスの周辺のフランス・ドイツなどのヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国でも、イギリスに対抗するため、産業革命が進められた。
工業用地や農地などの土地や設備などの資本(しほん)によって、生産量が大きく変わるので、それらの資本を有する地主や企業経営者などの資本家による、利益を求めての投資活動が、さらに経済を発展させるという資本主義(しほんしゅぎ)の考え方が出てきた。
- ※ 教科書ではあまり強調しないが、蒸気機関は鉄製である。木材だと燃えてしまうし、レンガや陶器では強度が不足するだろう。なので、産業革命による「工業化」とは、鉄鋼業のことである。派生的に、鉄製の自動の設備を用いて木工品を生産したりして木工業なども進歩するかもしれないが、しかし発展の主要因はあくまで鉄鋼業である。
- 労働環境の悪化
産業革命による機械化により、多くの職業では熟練工がいらなくなったので、賃金の安い子供や女性も労働力として用いられるようになった。機械設備を購入するには多額の費用が必要なので、工場や土地を持つ資本家と、それらを持たない一般の労働者の経済格差が広がった。
労働者の地位は低く、たとえば工場や炭鉱などで働かされた子供は、低賃金で1日15時間以上もの長時間労働をさせられることもあった。長時間労働させられる子供は、学校などには通わせてもらえない。
失業した労働者が、仕事を求めて都市などの工場などで働いたため、都市は過密になっていった。また、石炭の煙などにより、大気汚染などの環境汚染も進んでいった。
産業革命後のイギリスでは、貧富の格差は広がっていった。イギリスをまねて産業革命をすすめた他の国でも同様に、貧富の格差は広がっていった。
ヨーロッパの貧しい者たちの中には、アメリカ大陸に希望をもとめて移住する者たちも出てきた。
資本主義が貧富の格差の原因と考えられたので、資本主義の考えの見直しの運動が起こっていった。
労働者どうしで組合(くみあい)をつくり、労働組合(ろうどう くみあい)を結成して、資本化との賃金の交渉や労働時間の交渉などで資本家に対抗していこうという考えが起こった。あるいは土地や機械設備などの生産手段を公有化していこうとする改革を起こそうという考えが起きていった。
工業文明での貧富の格差の拡大などが、資本主義の矛盾(むじゅん)だと考えられた。
労働組合の拡充や、生産設備の共有化を求める改革運動などを通して、平等な社会を築こうとする考えは、社会主義(しゃかい しゅぎ)といわれた。 このような社会主義的な運動によって、平等な社会が実現できるだろうと、当時のヨーロッパでは考えられていた。
ドイツでは、マルクスが社会主義の思想をとなえた。 マルクスの分析は、支持者から科学的な分析だと考えられた。
資本家の側からも、労働者のきびしい状況を知り、労働環境の改善につとめる人物も出てきて、オーウェンなどの人物がいる。