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人類の誕生

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世界史をどこから始めるか

世界史は、人類の歴史を世界的な規模で対象とする歴史学の一分野です。

歴史は、もともとは、過去の文献に基づいて過去の時代にあった事柄を研究する学問でした。そのことからすると、文字がない時代には歴史がないことになります。

しかし、文献以外にも過去にあった事柄を知る方法はあります。そのなかでも重要なのが、化石や遺物、そして遺跡等の物的証拠です。またいくつもの科学的な年代測定の方法を用いることで、いつごろの物なのかを推定できます。これらを調べると、いつごろ、どんなことがあったのかをある程度推定することができます。このような研究は考古学という学問分野とも接しています。

人類の歴史のうち、文献のない時代を先史時代といいます。 ここでは、世界史を、先史時代から始めることにしましょう。

世界史は、人類の歴史です。 では、人類は、いつから存在したのでしょう。 生物学では、人類(現生人類)は、ヒトという生物種として他の種と区別されています。 人類と他の動物を区別するものは何でしょうか?

猿人以前

人間とよく似ている他の動物としては、サルがいます。 では、ヒトはいつサルに似たなにかから分かれて現れたのでしょうか。

生物学では、生物は進化すると考えられています。進化とは、増殖を繰り返していくうちに、より単純で一般的な生物からより複雑で特殊化した生物に多様化し、変化していくことです。

生物学の分類では、人間は、霊長類(霊長目)に属しています。ヒトは、霊長類のなかから分化して現れてきた生物種だと考えられます。

およそ1億年から7千万年前、地球上に最初の霊長類が現れました。霊長類のなかで最も原始的なサルは原猿類と呼ばれます。ツパイなどがその例です。原猿類の見た目は、ヒトよりも、むしろネズミに似ているといっていいかもしれません。霊長目は、目のしくみと手先の繊細さと脳の大きさにおいて他の目の生物よりも秀でているといえます。

およそ4千万年前に、霊長目の亜目として類人亜目が分かれ出ます。このグループは、後足立ちができ、爪が鉤爪から丸い平爪になり、顔もより人間に近くなります。

およそ3千万年前には、さらに尾のないサルが現れました。ヒト上科として区分されるサルです。現存するヒト上科に属する種としては、たとえばテナガザルなどがそうです。

およそ1700万年前になると、より大型のサルが現れます。ヒト科です。現存するヒト以外のヒト科の生物には、ゴリラチンパンジーオランウータンがいます。

およそ600万年前から500万年前になると、より人間に近い、ヒト亜科として区分される動物が現れます。これは、より大きな脳を持ち、楽々と二足歩行できるようになった霊長類です。これらが人類の直接の祖先と目されています。

猿人

ヒト亜科のうち、ピテクス(サル)という語尾の名前が付けられているものは、猿人と呼ばれます。なかでも有名なのはアウストラロピテクス(「南の・サル」の意味)です。中東アフリカで見つかった、ルーシーという名前で有名なアウストラロピテクスの女性の一個体は、400万年から300万年くらい前に生きていたと考えられています。初期の人類の祖先の化石が見つかる地域はアフリカに集中しています。

猿人が他の猿と大きく違うのは、直立二足歩行です。つまり二本足で立って歩いていたということです。ゴリラやチンパンジーはどちらかというと二本足で歩くこともできるという感じですが、猿人は楽々と歩いていたようなのです。これはとても重大な事です。なぜなら二本足(後ろ足)で立つと、空いた前足(手)に何かを持つことができるからです。すなわち道具の使用が可能になったのです。

もうひとつ、二本足で立つことのメリットは脳が大きくなることができたということです。四本足で歩く場合は、首は水平方向から頭を支えることになります。すると、あまり頭が重いと前にのめってしまい、歩きにくくなります。ところが二本足の場合は頭の重さは垂直方向に首にかかります。より重い頭を支えられるようになるのです。とはいえ、アウストラロピテクスの脳は400~500ccくらいでした。チンパンジーよりちょっとだけ大きいくらいです。現在の私達の1400~1500ccからすると比べ物になりません。

200万年前になると、ホモ・ハビリスが現れました。これは、初めてヒト属(ホモ属)に属する生物種だといわれています。

ホモ・ハビリスは石器を使いました。石器は人工の歯や牙や角として機能します。他の動物を以前よりもはるかに容易に殺傷する力を得たのです。

原人

猿人の次の段階に来るのが原人です。

原人はホモ・エレクトスとも言い、アウストラロピテクスが身長140~150cmくらいだったのに対して、160~180cmくらいあったそうです。大体180万年前くらいからアウストラロピテクスから進化したようです。脳の大きさは900~1100ccくらいで、猿人の2倍以上になっています。

はじめてのホモ・エレクトスの化石は、ジャワ島で発見されました。これがジャワ原人(ホモ・エレクトス・エレクトス)です。アフリカを越えてアジアにまで広がったのは、原人が最初です。

60万年くらい前から、地球は氷河期に入りました。氷河は北から南に広がり、多くの生物の適応を刺激しました。 原人は、毛皮を身につけ、天幕を張ったシェルターに住んだり、洞穴に暮らしたりしたようです。

50万年くらい前には、原人による火の使用の痕跡が中国の北京で見つかっています。これが北京原人(ホモ・エレクトス・ペキネンシス)です。聞いた事のある人もいるでしょう。 火を使えるようになると、暖を取れるばかりでなく、夜には明かりとなり、猛獣を遠ざけたり、食べ物を加熱調理したりすることもできます。

なお、日本でも明石原人と呼ばれる原人の骨(寛骨)が発見されたことがありますが、この明石原人は本当に原人なのか疑問が出ています。

旧人類

約50万年前から30万年前にかけて、「ネアンデルタール人」などの旧人類が登場しました。ネアンデルタール人は、脳の大きさが1300~1600cc程で、むしろ現在の人類よりも大きな脳を持っていました。

脳が大きくなったことで精神的にも進化し、社会的な行動も見られるようになりました。イラクのシャニダール洞窟では、史上初の葬式の痕跡が発見されています。この洞窟からはネアンデルタール人の骨が見つかり、その周囲から花の花粉が発見されました。これは、死者の周りに花を添えたことを示唆しています。

化石人類に関する最新の知見は、ネアンデルタール人をはじめとする旧人類とされていたグループについて多くの新しい発見と理解をもたらしています。以下にいくつかの重要なポイントを挙げます。

ネアンデルタール人の文化と芸術

壁画と装飾

  • 壁画: 最近の研究では、ネアンデルタール人が洞窟の壁画を描いた証拠が見つかっています。スペインの洞窟で発見された壁画は、約6万4千年前のもので、現生人類がヨーロッパに到達する以前のものです。これにより、ネアンデルタール人も抽象的な思考や象徴的な表現を行っていたことが示唆されます。
  • 装飾品: ネアンデルタール人は貝殻や動物の骨を使った装飾品を作っていたことも分かっています。これも彼らが複雑な文化を持っていた証拠です。

ネアンデルタール人の遺伝子

現生人類への遺伝的影響

  • 遺伝子の混合: 現生人類の遺伝子プールには、ネアンデルタール人由来の遺伝子が含まれています。特に、非アフリカ系の人々のDNAの約1-2%はネアンデルタール人由来です 。
  • 健康と適応: ネアンデルタール人の遺伝子は、免疫系の強化や特定の疾病への抵抗性に関与していると考えられています。しかし、一部の遺伝子は、うつ病や自閉症スペクトラム障害のリスクを高める可能性があるとも言われています 。

ネアンデルタール人と他の古代人類

交配と遺伝的交流

  • デニソワ人との関係: ネアンデルタール人は、シベリアのデニソワ洞窟で発見されたデニソワ人とも交配していたことが遺伝子解析により確認されています。デニソワ人の遺伝子は、特にメラネシア人やオーストラリアの先住民に多く見られます 。

ネアンデルタール人の生活と技術

狩猟と道具

  • 狩猟技術: ネアンデルタール人は高度な狩猟技術を持ち、集団で協力して大型動物を狩ることができました。また、加工した石器や骨製の道具を使用していたことも明らかになっています 。
  • 火の使用: 火の利用も確認されており、料理や暖房、保護のために火を使っていました。

これらの発見は、ネアンデルタール人が単に「旧式の人類」ではなく、現生人類と多くの共通点を持ち、豊かな文化や技術を持っていたことを示しています。また、現生人類との遺伝的な交配も彼らの遺伝子が現代にまで影響を与えていることを示しており、人類進化の理解を深める重要な手がかりとなっています。

新人類

そしていよいよ我々現代人と同じグループの新人類に入ります。現生人類とも言います。新人類が登場したのが、20万年前くらいと考えられています。旧人類もこの時代にまだ生き残っていたのですが、次第に新人類に取って代わられたようです。

代表としてクロマニョン人上洞人を挙げておきます。スペインアルタミラフランスラスコーにこのクロマニョン人によって描かれた洞窟絵画があります。

石器時代

道具についてですが、猿人のころから石で石を叩いて、割れて尖った石を道具として使っていたようです。

このような石で出来た道具を石器と言って、石器を使っていた時代のことを石器時代と言います。猿人が石器を使い始めたのが大体200万年前と考えられています。

石器時代は石器の発達に応じて旧石器時代新石器時代に分けられています。旧石器時代の200万年前から紀元前8千~紀元前6千年くらいまで、新石器時代がそれ以降です。

旧石器時代は先ほども言いました、石を叩いて作る打製石器を使っていました。これだと思う通りの形には中々できないので不便な事もあったようです。ですので、割れた石を磨くことで思い通りの形に仕上げて使う事が始まりました。この製法で作られた石器を磨製石器と言い、これが使われていることが新石器時代の特徴です。

まとめ

  • 人類の発達→直立二足歩行・道具の使用
    • 猿人(アウストラロピテクス)
    • 原人(北京原人・ジャワ原人)
    • 旧人(ネアンデルタール人)
    • 新人(クロマニョン人・上洞人)→洞穴絵画(ラスコー・アルタミラ)
  • 石器時代
    • 旧石器時代→打製石器
    • 新石器時代→磨製石器
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