元禄文化

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江戸時代の文化は、まず、17世紀末ごろから18世紀はじめごろにかけて、大阪京都を中心に、新しい文化元禄文化(げんろくぶんか)が生まれ、発展した。江戸の半ば頃から文化の中心が江戸に移っていった。 江戸時代はじめ頃の大阪や京都を中心とした文化を元禄文化(げんろくぶんか)と言う。元禄とは、この時代の元号が元禄(げんろく)だからだ。元禄文化の特ちょうは、町人を中心とした文化であり、生き生きとした活気のある文化である事が、元禄文化の特ちょうである。

文芸[編集]

町人の生活をえがいた小説が好まれるようになった。江戸時代、町人など庶民の様子をえがいた小説のことを 浮世草子(うきよぞうし) という。大阪の小説家の井原西鶴(いはらさいかく)が『日本永代蔵』(にほんえいたいぐら)や『世間胸算用』(せけん むねさんよう)などを表した。井原の小説などが「浮世草子」と呼ばれている。 (※ 範囲外: )井原西鶴は、『好色一代男』(こうしょく いちだいおとこ)という作品も書いた。色恋(いろこい)に あけくれる主人公の男性をテーマにした作品である。

元禄文化のさかえた大阪は、商業のさかんな都市であり、町人の気風がつよく影響している。

  • 俳諧(はいかい)

5・7・5の口調で季節の様子を句にする俳諧(はいかい)は、松尾芭蕉(まつお ばしょう)によって生み出された。俳句は連歌が、もとになっている。

芭蕉は、

「古池(ふるいけ)や 蛙(かわず)飛びこむ 水(みず)の音(おと)」

など多くの句を作りました。

また芭蕉は諸国を旅して、その観察した諸国の様子を奥の細道(おくの ほそみち)にまとめた。

絵画[編集]

『見返り(みかえり)美人図』 菱川師宣(ひしかわ もろのぶ)の筆。
燕子花図(かきつばたず)屏風』 尾形光琳(おがた こうりん)の筆。
『紅白梅図(こうはくばいず)屏風』 尾形光琳(おがた こうりん)の筆。

絵画では、描かれる対象が町人や女性などのようすになり、それらの絵を版画(はんが)を利用して印刷する浮世絵(うきよえ)が、絵描きの菱川師宣(ひしかわ もろのぶ)によって広まりました。

しだいに、浮世絵は木版画(もくはんが)によって、たくさん刷られる(すられる)ようになり、庶民に広まっていった。

(※ 参考 :)貿易などを通じてヨーロッパにも浮世絵が伝わっていき、ヨーロッパでも浮世絵は評判になり、のちにゴッホなどに影響を与え。ヨーロッパでは浮世絵に影響を受けた絵画手法は「ジャポニズム」と言われました。

(※ 歴史の令和3年版予定の検定教科書でもコラムで「ゴッホ」と「ジャポニズム」の関係を扱っている。「ジャポニズム」の用語記載もあり。小学校でも既に「ゴッホ」をコラムなどで扱っている会社もある。)

絵画では浮世絵の他にも、装飾画の分野で尾形光琳(おがた こうりん)が活躍しました。

演劇など[編集]

  • 人形浄瑠璃

物語を、三味線などを伴奏にしてリズミカルに節をつけて、あやつり人形をうごかしながら語るという人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)が元禄期の大阪や京都で、はやりました。

人形浄瑠璃の脚本家(きゃくほんか)では、近松門左衛門(ちかまつ もんざえもん)が有名である。近松の作品には『曽根崎心中』(そねざきしんじゅう)や『国性爺合戦』(こくせんや かっせん)などがあります。

  • 歌舞伎(かぶき)

歌舞伎(かぶき)は、江戸時代、踊り(おどり)ではなく演劇(えんげき)を中心とするものへと、変わった。