冷戦後の世界

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ここでは、1991年末にソビエト連邦が崩壊してから、現在に至るまでの世界の動きを取り上げる。

唯一の超大国としてのアメリカ[編集]

ソビエト連邦が崩壊すると、アメリカは唯一の超大国となった。1992年、共和党のブッシュ(父)大統領は、カナダ・メキシコとの北米自由貿易協定に調印した。同年の大統領選挙で経済最優先を掲げて当選した民主党のクリントンは、ハイテク産業に力を入れ、史上最長の好景気を実現させた。また、富裕層の所得税率引き上げなど、貧富の格差を減らす政策も行った。このような経済政策はレーガノミクスをもじってクリントノミクスと呼ばれた。外交面では、ベトナムとの国交を回復し、西欧諸国の協調を目指した。続いて2000年の大統領選挙では、共和党のブッシュ(子)が当選し、富裕層の所得税削減などの政策を行った。このような政策は思いやりのある保守主義と呼ばれる。

ヨーロッパの統合[編集]

冷戦が終結し、全ての国が資本主義体制となったヨーロッパでは、地域統合の機運が高まり、1992年、ヨーロッパ共同体をヨーロッパ連合に発展的解消させるマーストリヒト条約が調印され、1993年に発効した。このヨーロッパ連合は、ヨーロッパ共同体に比べて、ヨーロッパの統一国家に近いものとなっている。これに対し、ヨーロッパ共同体に対抗してきたヨーロッパ自由貿易連合も、ヨーロッパ連合との統一市場形成を目指して、1994年にヨーロッパ経済領域を設立した。翌1995年には、ヨーロッパでの人の移動を自由にするためのシェンゲン協定が発効した。同年、オーストリア、フィンランド、スウェーデンがヨーロッパ連合に加盟した。一方、1994年にはヨーロッパ連合内での通貨の統合を目指し、ヨーロッパ通貨機構が設立された。ヨーロッパ通貨機構は1998年にはヨーロッパ中央銀行に発展的解消、翌1999年には共通通貨ユーロが導入され、2002年には一般流通を開始した。通貨発行権というのは国家の重要な主権の一つであるが、複数の国家がそれを平和的に放棄し、統一通貨をつくるというのは、世界史上でも初めてのことであった。ただし、ヨーロッパ連合に加盟していても、イギリスのようにユーロを使用しない国もあった。

躍進するアジア[編集]

中華人民共和国では、1989年の天安門事件を機に、改革開放の機運が高まった。1992年冬に鄧小平南巡講話を行い、改革の必要性を主張した。同年10月の党大会で、江沢民は、市場経済を通じて社会主義の実現を目指す社会主義市場経済の導入を決定した。これにより中国は経済成長率年10%という急速な経済成長を実現させた。また、1997年には香港がイギリスから、1999年にはマカオがポルトガルから返還された。これらの地域は、返還後50年は一定の自治権が導入されることになった(一国二制度)。一方で、一つの中国という基本方針を認めない台湾の中華民国との関係は悪化し、1996年には中華民国により台湾海峡にミサイルが発射され、アメリカ軍が出動する事態となった。2000年には、江沢民は3つの代表、すなわち、中国共産党は、中国の「先進的社会生産力の発達の要求」、「先進的文化の前進の方向」「最も広範にわたる人民の根本的な利益」の3つを代表すべきというスローガンを発表した。

朝鮮半島では、1991年、韓国と北朝鮮が同時に国際連合に加盟するなど、一時は融和の動きを強めた。しかし、1994年6月に北朝鮮は国際原子力機関から脱退し、翌月、金日成が死亡し、金正日が総書記に就任すると、一気に緊張が高まった。北朝鮮は核開発を続け、一時はアメリカとの核戦争が始まる直前にまで至ったが、時の韓国大統領金泳三はすんでのところでこれを回避した。1998年に韓国大統領に就任した金大中は、北朝鮮との融和政策(太陽政策)を進め、2000年には初の南北首脳会談を実現させた。2002年には、韓国は、サッカーワールドカップを日本と共同で開催した。また、同年には初の日朝首脳会談(日本側の首相は小泉純一郎)が実現、北朝鮮は拉致被害者の一部を返還した。

東南アジアのタイでは、1990年代に入ると、自国とタイの金利の差に着目した欧米の投資家が大量にバーツ(タイの通貨)に投資し、急速にバーツ安が進んだ。すると対外債務が膨らみ、1996年度には791億ドルに達した。そして1997年7月、バーツは未曽有の大暴落を見せた。これをアジア通貨危機という。タイは緊急対策として、管理変動相場制への転換や公定歩合の引き上げを行い、さらにIMFからも支援を受けたが、もはや金融危機は止められず、タイだけではなく、東南アジアの各国が深刻な危機に直面した。さらに東アジアやオセアニアにまで被害は及んだ。この危機により1997年の東南アジア諸国の経済成長率はマイナスとなり、第二次世界大戦後最悪となった。それでも各国からの支援や経済立て直しの努力により、2000年ごろには力強い成長を取り戻すことができた。1995年から1999年までに、ASEANにはベトナム、ラオス、タイ、ミャンマーの4か国が加盟していたが、このアジア通貨危機を機に、ASEAN加盟国に加え、日本、中国、韓国を加えたASEAN+3と呼ばれる首脳会議が1997年に始まった。一方、インドネシア領になっていた旧ポルトガル領ティモールでは、1999年の住民投票で自治拒否が多数を占め、2002年に東ティモール民主共和国として独立した。

インドでも、1991年以降、ラーオ政権の下で経済開放が進み、急速な経済成長を成し遂げた。特に、情報技術産業が急成長した。一方日本では、1991年にバブル経済が崩壊した後、低成長が続いている。

相次ぐ内戦[編集]

冷戦が終結し、資本主義対共産主義の二極構造が崩れると、各地で内戦が頻発するようになった。代表的なのは1991年に始まったユーゴスラビア紛争である。1990年に民主政に移行したユーゴスラビアでは、セルビアがコソボを編入しようとし、これに反発したコソボが独立を宣言したことを機に内戦が始まった。スロベニアでは、1991年6月25日に独立宣言をしたが、ユーゴスラビア政府はこれを認めず十日間戦争が勃発した。しかしスロベニアはこれに勝利し、翌1992年に独立を承認された。スロベニアと同じ日にクロアチアも独立を宣言したが、セルビア人はこれに反対、1995年までの4年間にわたって行われたユーゴスラビアとのクロアチア紛争に勝利して、事態は収拾した。続いてマケドニアが1991年9月に独立した。ボスニアヘルツェゴビナは1992年3月に独立を宣言したが、やはりセルビア人が反対したためボスニアヘルツェゴビナ紛争が翌4月に勃発した。これは1995年にボスニアヘルツェゴビナの勝利で終結した。その後、1998年にはセルビアのコソボ自治州が独立マケドニア紛争 を求めコソボ紛争を起こし、NATOまで介入する事態となったが、翌1999年に終結した。しかし、これによりコソボから大量の難民が押し寄せた挙句、2001年2月にはマケドニア紛争が勃発した。この紛争は8月にはマケドニアの勝利で停戦し、ユーゴスラビア紛争は終結した。

黒海とカスピ海に挟まれたカフカス地方では、1991年に南オセチアが独立を求め南オセチア紛争を起こしたが、いまだに決着はついていない。一方、1992年にアブハジアが独立を求めて起こしたアブハジア紛争は1994年に停戦、アブハジアは同年独立を果たした。また、1992年には北オセチアとイングーシの領土をめぐってオセチア・イングーシ紛争が発生し、1週間ほどで停戦した。チェチェンでは、独立を求める勢力とそれを認めないロシアが対立、1994年に第一次チェチェン紛争が勃発し、1996年に停戦した。しかし、1999年に再び武力衝突が生じ、第二次チェチェン紛争が勃発した。結局、2009年にロシア側の勝利で終結した。

この他にも、1990年代にはイエメン、ソマリア、コンゴ、ジブチ、グラナダなど、中東やアフリカを中心に内戦が相次いだが、ここでは逐一詳細の解説は行わない。

対テロ戦争の始まりと世界の無極化[編集]

各地で内戦が相次ぐ中、イスラーム過激派が勢力を伸ばし始めた。その代表例が1998年に結成されたテロ組織アルカーイダである。アルカーイダは2001年9月11日、アメリカ合衆国で4機もの旅客機をハイジャックしてニューヨークのワールドトレードセンター、ワシントンD.Cのアメリカ国防総省本部庁舎などに激突させ、合わせて3000人近い犠牲者を出した。この自爆テロをアメリカ同時多発テロという。時のアメリカ大統領ブッシュ(子)は直ちに非常事態を宣言した。ブッシュはこれを「テロとの戦い(対テロ戦争)」と表現した。アメリカやイギリスなどは対抗処置として、アルカーイダや、別のイスラーム過激派組織ターリバーンを殲滅させるため、10月2日にアフガニスタンを攻撃、ここにアフガニスタン紛争が始まった。紛争はその後泥沼化し、現在もなお終結には至っていない。2002年、ブッシュはイラク、イラン、北朝鮮を悪の枢軸であるとして非難、イラクに武装解除を求めた。国連でも武装解除を求める決議が採択され、2003年3月18日にアメリカが行った最後通牒にも応じなかったことから、20日、イギリスなどともにイラクに侵攻を開始した。しかし、イラクが大量破壊兵器を所持している証拠は見つからず、アメリカは2011年に戦争終結を宣言した。

このような安全保障環境の悪化から、1999年に加盟していたポーランド、チェコ、ハンガリーに続き、2004年には、スロバキア、ルーマニア、ブルガリア、バルト三国、スロベニアもNATOに加盟した。NATOにはその後も2009年にアルバニアとクロアチア、2017年にモンテネグロ、2020年に北マケドニアが加盟している。2004年にはEUにも多くの旧共産主義諸国が加盟している。そのEUは、2007年に署名されたリスボン条約によって様々な改革が行われた。ヨーロッパ議会の権限を強化した他、ヨーロッパ理事会に常任の理事長を設けた。

反グローバリズムの動き[編集]

冷戦後の文化[編集]

持続可能な社会のために[編集]

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