化政文化

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江戸時代の後半になると、文化は、江戸の町人が中心になった。この江戸時代後半の江戸を中心とした文化を化政文化(かせいぶんか) 」という。

文芸[編集]

  • 小説

作家の十辺舎一九(じゅぺんしゃ いっく)が東海道の旅行のようすを、おもしろおかしく書いて東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅう ひざくりげ)を書いた。

(※ 発展 : )歴史学としては、この化政文化の時代には、旅行が日本で流行していたのだろうと考えられている。その根拠として、よく十辺舎一九『東海道中膝栗毛』や、葛飾北斎『富嶽三十六景』などの流行作品が証拠だとされている。(※ 教科書会社のワークシートおよびその解答などにある分析。)

滝沢馬琴(たきざわばきん)が『南総里見八犬伝』(なんそうさとみ はっけんでん)を書いた。

  • 狂歌や川柳

庶民のあいだに、五七調で世相をひにくる文をよむ、狂歌(きょうか)や川柳(せんりゅう)が流行しました。

(狂歌の例)

目に青葉 耳に鉄砲 ほととぎす かつおはいまだ 口へはいらず    大田南畝(おおた なんぽ)
※ 日本文教出版の教科書でこの歌が紹介されている。
  • 俳句

俳句は、与謝蕪村(よさ ぶそん)や小林一茶(こばやし いっさ)が発展させた。

「雀の子(すずえのこ) そこのこ そこのけ お馬(おうま)が通る(とおる)」(小林一茶の句)

絵画[編集]

鈴木春信(すずき はるのぶ)が版画の多色刷りの方法である 錦絵(にしきえ) を開発し、そのため、化政文化では浮世絵が大流行して、多くの絵描き(えかき)が出た。

喜多川歌麿(きたがわ うたまろ):美人画(びじんが)で有名。
歌川広重(うたがわ ひろしげ):風景画で有名。
葛飾北斎(かつしか ほくさい):風景画で有名。作品に『富嶽三十六景』(ふがく さんじゅうろっけい)など。
『富嶽三十六景』より一部を紹介
役者絵。東洲斎写楽の筆。

東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく) :役者絵(やくしゃえ)で有名で歌舞伎(かぶきやくしゃ)役者などを描いた。

その他[編集]

旅行が、庶民のあいだに流行しており、観光などを兼ねて(かねて)、遠くの寺社に参詣(さんけい)のために旅行するのが流行していました。

江戸時代の後半には、旅行と宗教のブームもあり、旅行のついでに寺社や仏閣、霊場などを訪れる旅行が流行した。伊勢参り(いせ まいり)なども、そのような宗教的な旅行の例である。庶民が四国の霊場を訪れるのが普及したのも、この頃である。(※ 清水書院、自由社などの教科書で記述。)

江戸時代には、彼岸(ひがん)や盆(ぼん)などの行事も庶民に普及した。各地の特産品や工芸品などが、江戸時代全般(ぜんぱん)を通して発展していきました。

落語(らくご)が流行し、寄席(よせ)が多く作られた。(※ 東京書籍、清水書院など。)落語は歌舞伎よりも手軽に楽しめたことも、流行の理由のひとつのようです。(※ ← 清水書院の見解。)

のちの明治時代の新聞のもとになったとされる瓦版(かわらばん)が普及した時代が、化政文化のころの時代である。(※ 帝国書院、自由社などの教科書で記述。)