哲学概論

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哲学・思想>哲学概論 『哲学概論』は哲学に関する一般的事項について概説した教科書である。

はじめに[編集]

本書は哲学に関する基礎的な理解を助けることを目的として作成される教科書であり、次のような目標を達成することを狙うものである。第一に哲学研究における初歩的な概念、方法、そして理論の概要について示すことを目指しており、重要な哲学者については人物データとして示している。第二に哲学における諸領域を概観することを助けるために単元は主題によって区分している。本書は単に初心者に哲学を学ぶ上で最低限必要な知識を付与する入門書でも、専門的な研究活動の上での発展的内容を扱う研究書でもなく、両者を媒介することができる内容となるように試みている。

本書の主題は哲学と定められている。キリスト教、東洋思想におけるイスラム教や仏教、さらに儒教や道教などの思想をほぼ扱っていない。ここで哲学として扱われているのは古代ギリシア哲学に由来し、スコラ哲学の成果を継承し、主に近現代において西欧世界において発展した哲学の研究、さらに現代においてなされた哲学の研究を内容に含んでいる。絶対的な基準ではないが、宗教学や他の学問で扱われる内容を哲学の研究領域として位置づけることを避けた。

本書の内容は第1章哲学の基礎、第2章認識論、第3章形而上学、第4章倫理学、第5章論理学、第6章心の哲学、第7章科学哲学、第8章言語哲学、第9章美学、第10章人間学、第11章政治哲学、第12章法哲学、第13章経済哲学、第14章教育哲学、第15章自然哲学、第16章応用倫理学、第17章宗教哲学、第18章数理哲学、第19章歴史哲学、以上から構成されている。

哲学の基礎[編集]

哲学(philosophy)とは何かという疑問そのものも哲学的な問題でありうる。哲学という言葉はギリシア語の「愛する」を意味する接頭辞と「知恵」を意味する名詞が組み合わさった「知恵好き」または「知恵への愛」という合成語として成り立っている。アリストテレスが指摘しているように人間には動かしがたい知的な好奇心があり、哲学では新規の情報を持たずにこのような欲求に応答することが目標とされている。しかし、それだけではない。メタ哲学(metaphilosophy)では哲学そのものの本性や概念、目標または方法について研究する。メタ哲学では哲学そのものが何であるかを考察し、どのような問題を研究しなければならず、研究のためにどのような方法があるかを明らかにする。これは自明な問題ではなく、古代から現代にかけて哲学の位置づけや方法論は変遷しており、しかも現代においてもメタ哲学には議論の余地が残されている。ここでは哲学の概念、哲学の問題、哲学の方法について概説することで哲学を研究する起点となりうる一般的な理解を促す。

哲学の意義[編集]

哲学の意義について検討するためには「哲学とは何か」という問題について考える必要がある。少なくとも哲学することは博物的な知識や時事的な情報を収集したり整理することではない。これは哲学という学問が他の学問とは全く異なった意義、問題関心を持っていることを示唆している。ここでは基礎付け主義と懐疑主義の二つの立場から哲学の意義について異なる見解を調べる。基礎付け主義の哲学で示される哲学の意義とは一般的な理論の構築や整備、特に確実性を強化するための思索に力点を置いている。懐疑主義は哲学の意義とはその反省にあり、既存の学説や理論、常識に対する批判的態度が重要視されている。これらは哲学の位置づけをめぐる論争というよりも、哲学の意義に異なる説明が可能であることを示唆している。

基礎付け主義[編集]

ルネ・デカルト(1596年-1650年)はフランス出身の哲学者。若年期より哲学や数学に関心を寄せており、ポワティエ大学で法学を修め、軍隊に入隊して各地を遍歴した後にオランダで哲学の研究を行った。方法的懐疑に基づいて機械論的な世界観、近代的な自我、物心二元論に関する成果を収めて近代哲学の確立に寄与した。哲学における重要な著作に『方法序説』、『哲学の原理』、『情念論』などがある。

哲学とは一般に高度に抽象的な概念を用いながら考察を進める学問である。哲学では世界の根源、人間のあり方、社会の成り立ちについて普遍的な原理や基礎的な概念によって解釈や説明を繰り返し試みてきた。観測される個々の具体的な事象の背景には包括的な原理や単一的な規則性が存在し、それを明らかにすることは哲学者の中心的な関心であった。個々の研究対象を持つ学問を哲学の知見によって総合し、包括的な統一理論を構築する伝統は哲学の関心を顕著に示す考え方の一つであり、基礎付け主義(foundationalism)と呼ばれる。デカルトは明証性、真理性を疑うことができず、またあらゆる事物の認識がそれに依存するような原理を追及する研究を哲学と見なした。その成果のひとつが「私は考える、ゆえに私はある」として知られるデカルトの命題であり、あらゆる真理の認識の起点としての推論する自我を基礎付ける試みであった。デカルトは少しでも疑いの余地があるものを思考の論拠から排除し、感覚的な経験も数学的な前提も哲学の基礎付けから退けた。そして最後には残った確実な思考の起点とは、そのように真理を求めてあらゆるものを疑う自分自身の自我であると考えたのである。デカルトの哲学的な態度はコントなどによって定式化された実証主義(positivism)の哲学にも認めることができる。実証主義は確実に正しい知識とは経験的に観察することができるものに限定されると主張している。またラッセルやウィトゲンシュタインによって示された論理実証主義(logical positivism)はより厳格な基礎を前提としており、哲学における問題のほとんどが論理的に無意味であり、概念や言語表現の明確化や経験科学の支援だけが哲学の役割と論じた。論理実証主義の一人であるエイヤーは検証原理の概念を提唱し、定義によって真であるかどうか、また検証可能であるかどうかによって、それが哲学的な問題であるかどうかを検証することが可能となる原理を示している。これは基礎付け主義においても特に論理性を重要視する立場であり、別の基礎付け主義としては特定の基準を倫理的な問題を評価する根拠として位置づける立場もある。ベンサムは社会において最大多数の最大幸福を実現することを道徳や立法の規範と定めた功利主義の原理を提唱しているが、これは功利性を重視した倫理学における一つの基礎付け主義の立場として捉えることができる。

懐疑主義[編集]

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リチャード・ローティ(1931年-2007年)はアメリカの哲学者。イェール大学で哲学の博士号を取得し、スタンフォード大学で教鞭をとっていただけでなく、政治学や文化論にも参加した。プラグマティズムの方法を発展させるプラグマティズムの立場から近代哲学の認識論に対する批判と新プラグマティズムの立場を展開したことで業績が認められている。主な著作に『哲学と自然の鏡』、『哲学の脱構築』、『偶然性・アイロニー・連帯』などがある。

哲学は基本的に具体的もしくは個別的な対象について研究することはなく、既存の思想に対して問題視し、また時には常識から離れて物事を解釈を試みる場合もある。社会的、文化的、政治的に正当であると評価されている考え方であっても、また常識的に疑うことが極めて困難と思える基礎的な信念すらも、哲学を研究するためには批判的な態度を採ることがある。このような立場は懐疑主義(scepticism)と呼ばれる。哲学的な懐疑主義に対して反哲学的な批判を展開した議論として、プラトンは著作の中でソクラテスに対するカリクレスの主張を紹介している。彼は哲学というものが「必要以上にそれにかかずらっていると人間を破滅させてしまうことになる」と主張している。カリクレスによれば、哲学に没頭している間に人間は国家社会の法律にうとくなり、交渉のための弁論の経験も不足するために非常識を曝し、良い素質を持っていても人間を悪い方向に誘う結果となることを主張する。ソクラテスはそもそも人間の善悪の基準を問い直すことでカリクレスに応答しており、必ずしも正しさとは自明だとは限らないと反論する。ソクラテスの見解では国家の法律や弁論に習熟したとしても本当の正義を理解しているとは限らず、哲学によってのみ真の正義を理解することが可能となると述べている。当時の古代ギリシアの社会的通念を反映した議論を展開するカリクレスに対して、哲学者としてのソクラテスの反論は哲学の懐疑的な性格を示唆している。ソクラテスは社会の中での常識としての正義を哲学的な思索を通じて改めて根本的に問い直すことを試みている。懐疑主義の態度は特定の哲学者の学説にも向けられうる。論理実証主義による哲学の基礎付けに対して反実証主義の哲学が提起されている。生の哲学者ショーペンハウアーやディルタイなどは実証的な研究にそぐわない人間の生を見出しており、フッサールは直観によって得られる経験を記述、吟味することによってある事象を明らかにする現象学(phanomenologie)を哲学の研究に位置づけた。基礎付け主義に対する重要な批判を展開したローティはデカルト以後の近代哲学が知識の妥当性を基礎付けるため哲学であったことを批判する。ローティはプラグマティズムの立場から哲学を社会的実践の一環として捉えることにより、基礎付け主義から哲学を解放することを主張している。

哲学の問題[編集]

哲学の議論において取り上げられる問題は特定の主題や対象によって制限されない特徴がある。哲学は概念的な思索が対象とすることが可能なあらゆる事柄を問題としてきた。またどれが哲学の問題であるかどうかを判断する基準は哲学者の立場によって異なってくる。ここでは便宜的に規範的問題と客観的問題に哲学の諸問題を区別する。規範的問題、または道徳的、倫理的な問題とは「どうすべきか」、「何でなければならないか」、「何が望ましいのか」というような疑問を問題としている。また客観的問題とは「どうあるのか」、「何であるのか」、「何が事実であるのか」というような疑問を想定した問題である。この二つの問題は信仰と理性に対応する基本的に混合することができない問題であり、オッカムによって明確に区別されるようになった。ここでは二つの問題の基本的な性質について個別に概説する。

規範的問題[編集]

ソクラテス(紀元前469年-399年)は古代アテナイの哲学者。自然哲学を研究し、アテナイのペロポネソス戦争に従軍した後に哲学者として思弁を深めた。根本的な質問を繰り返すことで相手に無知を自覚させる問答法(dialektike)を用いたことや、自らの知らない事柄の自覚である無知の知で知られる。自らの思想を著作として残していないがクセノフォンやプラトンの著作に記されている。

客観的問題[編集]

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ルートヴィヒ・ヨゼフ・ヨハン・ウィトゲンシュタイン(1889年-1951年)はオーストリア出身の哲学者。ケンブリッジ大学でラッセルとフレーゲの下で学び、第一次世界大戦後に著作を発表して一時的に研究から離れるが、後に研究に復帰してケンブリッジ大学の教授となる。哲学の多くの問題が言語の誤用に起因し、また言語哲学の領域に寄与した。著作には『論理哲学論考』、『青色本・茶色本』、『哲学探求』などがある。

哲学の方法[編集]

哲学において一般的に承認された方法論が確立されているとは言いがたい。その背景には哲学のあり方や問題設定の形式に起因する方法論的な議論があるためである。つまり哲学を研究する上では特定の方法論に頼らずに、問題に対する着目や問題の解釈の仕方、議論で使用する概念の分析と応用、演繹や帰納を用いた論理的な推論の方法、そして結論の検証と問題の解決まで及ぶ創意工夫が求められる。「そもそもその問題は解決が可能であるのか」、「その議論の前提は明確化されているのか」、「その議論において見落とされた要因はないのか」などを総合的に考慮することが哲学を研究する上で必要となる。ここでは特に問題の設定、概念の分析、そして推論の検証に関する基本的な哲学的思考の手続きについて概説していく。

問題の設定[編集]

プラトン(427年-347年)は古代アテナイの哲学者。一時は政治指導者を志しながらもソクラテスの指導で哲学の道に進み、学園アカデメイアを設立した。人間には直接的には知覚できず、理性の働きによってのみ捉えることができるイデアこそが事物の本質であるというイデア論を提唱した。主な著作には『饗宴』、『国家』、『法律』などがある。

概念の分析[編集]

推論の検証[編集]

バートランド・ラッセル(1872年-1970年)はイギリスの哲学者。イェール大学で哲学の博士号を取得し、スタンフォード大学で教鞭をとっていただけでなく、政治学や文化論にも参加した。プラグマティズムの方法を発展させる新プラグマティズムの立場から分析哲学の領域で業績をあげた。主な著作には『数学の原理』、『表示について』、『論理的原子論』などがある。

認識論[編集]

知識[編集]

ジョン・ロック(1632年-1704年)はイギリスの哲学者。オックスフォード大学で教鞭をとり、イギリス革命のために一時国外で過ごすが後に帰国して研究を発表している。人間の本性について経験主義の立場から議論を行い、政治哲学において自由主義の古典的な理論を示す。著作には『人間悟性論』、『統治二論』、『寛容書簡』などがある。
ジョージ・バークリー(1685年-1753年)はアイルランドの哲学者。

知覚[編集]

デイヴィッド・ヒューム(1711年-1776年)はスコットランドの哲学者であり歴史家。エディンバラ大学で哲学を学んだ後に職業を転々としながら著述活動は続け、イギリスの歴史に関する著作も発表する。経験主義の立場に立脚した人間本性の議論と因果律の必然性に対する懐疑論を示す研究業績を残している。著作には『人間本性論』、『道徳政治論集』などがある。
モーリス・メルロ・ポンティ


形而上学[編集]

存在[編集]

アリストテレス(384年-322年BC)は古代アテネの哲学者。
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マルティン・ハイデガー

自己[編集]

セーレン・オービエ・キルケゴール(1813年-1855年)はデンマークの哲学者。
フリードリヒ・ニーチェ(1859年-1952年)はドイツの哲学者。

倫理学[編集]

メタ倫理[編集]

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ジョン・マッキー(1917年-1981年)はオーストラリアの哲学者。オックスフォード大学で学び、オタゴ大学やシドニー大学などで研究を行う。メタ倫理学において道徳的な主観主義の議論を行い、また宗教哲学の領域でも業績を残した。著作には『真理、蓋然性、パラドックス』、『倫理学』などがある。

規範倫理[編集]

イマヌエル・カント(1724年-1804年)はプロイセンの哲学者。ケーニヒスベルク大学の哲学教授として研究を行い、批判哲学の確立を通じて近代哲学の大成に貢献する。従来の経験主義と合理主義を総合する立場に立った研究を行い、特に倫理学の議論をカント主義から基礎付けた。著作には『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』などがある。
ジェレミー・ベンサム

論理学[編集]

推論[編集]

アルフレト・タルスキー(1902年-1983年)はポーランドの哲学者。ワルシャワ大学で学び、後にアメリカに移住した。意味論的な真理の理論的な発展をもたらす研究業績を残す。著作には『論理・意味論・メタ数学』などがある。
ソール・クリプキ(1940年生)はアメリカの哲学者。ハーヴァード大学で学んだ後にニューヨーク市立大学大学院センターで教育にあたる。言語哲学や形而上学の領域だけでなく、真理理論についてモデル論理を提唱することで業績を残す。著作には『名指しと必然性』、『ウィトゲンシュタインのパラドックス』などがある。

矛盾[編集]

心の哲学[編集]

一元論[編集]

二元論[編集]

宗教哲学[編集]

神の存在[編集]

信仰と理性[編集]

政治哲学[編集]

イデオロギー[編集]

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ジョン・ロールズ(1921年-2002年)はアメリカの哲学者。

政治権力[編集]

ニッコロ・マキアヴェッリは行政官。


科学哲学[編集]

ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン(1908年-2000年)はアメリカの哲学者。ハーバード大学でホワイトヘッドの下で学び、同大学の教授として哲学の研究と教育にあたった。分析哲学の領域で成果を残した研究者であり、論理実証主義の問題を指摘して翻訳の不確定性を定式化した。主著には『論理的観点から』、『ことばと対象』などがある。

美学[編集]

言語哲学[編集]

法哲学[編集]

神学[編集]

観念論と唯物論[編集]

唯物論[編集]

無神論[編集]

唯物論とかかわりが深い思想が無神論である(ただし、無神論ならば唯物論とは言えない)。無神論の主張を要約すれば、以下のように言えるだろう。「ただ1つ言えるのは、宇宙を創造されたのは神ではない。宇宙に創造主は存在しない。無から何かを作ることは不可能だからだ。この宇宙は今も昔も、変わらない無限なのである。」

自然哲学[編集]

応用倫理学[編集]

ピーター・シンガー(1946年生)はオーストラリアの哲学者。メルボルン大学で学び、プリンストン大学で教鞭をとっている。差別の道徳的特性についての研究から動物の権利の原因を明らかにしたことで知られる。著作には『動物の権利』、『実践の倫理』などがある。

経済哲学[編集]

カール・マルクス(1818年-1883年)はドイツの哲学者であり革命家。

歴史哲学[編集]

教育哲学[編集]

エトムント・フッサール
トマス・ヒル・グリーン(1836年-1882年)はイギリスの哲学者。オックスフォード大学で学位を取得し、同大学で哲学教授となった。ヘーゲルの影響を受けており、倫理学や政治哲学で正義を自由の概念で根拠付けた。著作に『倫理学序説』、『政治的義務の原理』など。
ジャン・ポール・サルトル(1905年-1980年)はフランスの哲学者であり作家。
ゲオルグ・フリードリヒ・ヘーゲル(1770年-1831年)はドイツの哲学者。
ジョン・スチュアート・ミル(1806年-1873年)はイギリスの哲学者。
ジャン・ジャック・ルソー(1712年-1778年)はスイス出身の哲学者。


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カール・マンハイム(1893年-1947年)はハンガリーの哲学者。


ジョヴァンニ・ジェンティーレ(1875年-1944年)はイタリアの哲学者であり政治家。ピサ大学で学んだ後に各地の大学で講師を務めた後にファシズム政権に加わった。主体と客体や理論と実践の区分を否定し、純粋活動としての精神の理論を提唱した。著作には『芸術の哲学』、『社会の発生と構造』など。
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アイザイア・バーリン


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バーナード・ウィリアムズ(1929年-2003年)はイギリスの哲学者。オックスフォード大学で学び、同大学で教鞭をとった。倫理学の領域でカント主義と功利主義の非人格性に対する批判的な研究を行った。著作には『道徳性』、『倫理学と哲学の限界』などがある。
メアリー・ウルストンクラフト
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リチャード・ヘア(1919年–2002年)はイギリスの哲学者。オックスフォード大学で学び、同大学とフロリダ大学で教える。一切の道徳的判断は究極的には選好の表現としての一般的な処世訓であることを論じた。主な著作には『道徳の言語』、『自由と理性』などがある。
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アルフレッド・エイヤー
ヴィルヘルム・ディルタイ
アルトゥル・ショーペンハウアー
ウィリアム・ジェームズ
ジョン・サール(1932年生)はアメリカの哲学者。ウィスコンシン大学で学び、カルフォルニア大学で教授となる。言語哲学において言語行為の理論を提唱し、心を情報処理の機能から研究することについて批判している。著作には『言語行為』、『心・脳・科学』などがある。
ヘルベルト・マルクーゼ


ゴットフリート・ライプニッツ
ベネディクトゥス・デ・スピノザ


パウル・ティリッヒ(1886年-1965年)はドイツの神学者。ベルリン大学で学んだが後にアメリカに亡命してハーヴァード大学などで教える。究極的なかかわりとしての宗教とその象徴としての神を論じ、現代の神学の理論を示した。著作には『体系的神学』、『誤謬の動態』などがある。
トマス・アクィナス
アンセルムス
カール・ポッパー
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ルドルフ・カルナップ(1891年-1870年)はドイツの哲学者。フライブルク大学で学び、ウィーン大学を経てアメリカの大学で教えた。ウィーン学団の有力な一員として論理実証主義の立場から言語哲学に関する言語の問題を論じた。『世界の論理的構成』、『論理的構文論』などがある。
チャールズ・パース