学習方法/高校卒業後の社会科公民の勉強ガイド

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※ 大学受験の勉強法のガイドでは、ありません。

はじめに[編集]

本ページでは「高校卒業後の社会科公民の勉強ガイド」というタイトルがついていますが、これは、高校までとそれ以降との接続をスムーズにするために便宜上つけているにすぎません。高校までの社会科、特に公民分野で習ったことの多くは社会科学とよばれる分野に含まれます。

ただし、社会科学とよばれる範囲は高校までの公民分野よりもはるかに広くなります。具体的にいうと、以下の学問分野が社会科学に含まれます。

  • 法学
  • 政治学
  • 経済学
  • 経営学
  • 商学
  • 社会学

高校までの公民で学習したのは、これらのほんの一部にすぎません。また、高校までの学習は、日本人の一般常識として知っておくべきことの伝授がメインです。そのため、公民で言えば政治経済のしくみや日本国憲法をはじめとした重要な法の大雑把な内容を知識として習得しますが、学問そのものを学ぶわけではありません(このあたりは公民に限ったことではありません。いわゆる高校五教科すべてがそうです)。

そのため、高校までの延長で大学に来ると困惑させられることが多いです。本ページはそのギャップを多少なりとも埋めることを目的としています。

そもそも大学生は何を勉強しているか[編集]

法学[編集]

高校までの公民では、様々な人権とそれがどんな法で保障されているのかや日本国憲法について学んできました。

では、大学の法学では何を学ぶのでしょうか。一言で言うと、法律という「社会のルール」はどのような社会を目指し、私たちは法をどのように運用すべきかを学び、考察していくものが法学です。

例を見てみましょう。犯罪について定めた法に刑法があります。刑法第235条はこのようになっています。

他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。

「財物」とはなんでしょうか。例えば現金や宝石のような貴重な品は財物とよべそうです。しかし、形のないもの――例えば電気や個人情報は「財物」なのでしょうか。また、恋人の写真のように「自分にとってはお金に代えがたい価値があるが関係のない人にとっては価値のないもの」はどうでしょう。

また、法を考える上では公正についても重要です。例えば、先ほどの窃盗の例でも、このような問いを立てられます。

会社が倒産して次の仕事が見つからなくて生きるために100万円盗んだ人と、生活に困っていないがお店の「おねえちゃん」にプレゼントするお金が欲しくて100万円盗んだ人を同じ罰にしてよいか。

こうした問題を、ただ法の条文だけを読むのではなく、法がめざす公正や理念を基にし、さらに過去の判決(判例)なども参考にして考えていくトレーニングを積むことを通じて、法的な思考(リーガルマインド)を習得するのが法学です。

法学を専門的に学ぶのが法学部です。法学部は多くの国公立大学におかれています。また、私立大学にも法学部は多く置かれています。

政治学[編集]

高校までの公民では、現在の政治のしくみ(三権分立など)や権利を主に学びました。

では、政治学とは何でしょうか。簡単に言うと、社会をスムーズに動かすためのしくみやその理念や目的などの背景についての知識の体系を学ぶことといえるでしょう。

例えば、先ほどの窃盗の例を考えてみましょう。いくら刑法で窃盗の罪と罰を定めても、泥棒を捕まえる人がいなければ何の役にも立ちません。泥棒を捕まえる人たちの組織を作らなければなりません。でも、その仕組みをつくるのは誰にしたらよいのでしょう。また、物を盗むことが罪ではない国と交流することになったら、どうすればよいのでしょう。

そのために、効率的・公正に決定する仕組みを考える必要がありますが、そのために広く「国家」「国民」「権利」「政治体制」を考えます。また、目指すべき社会の姿を政治理念として構想することも必要です。それらを総合したものが政治学です。

政治学を専門に学ぶのが政治学部です。しかし、日本には独立した政治学部は少なく、「法学部・法政策学科」のように法学部や経済学部の中に「政治学科」「政治経済学科」「法政策学科」のようなかたちで含まれている場合が多いです。

経済学[編集]

高校までの公民で習った経済よりもはるかに踏み込んだ内容となります。そして、「文系の中の理系」とよばれるくらい、数学を使います。高校の私立文系コースだと、数学はほとんど学ばなくても済む場合がありますが、その場合は入ってからかなり苦労します。


経済学で研究する経済は、現代の資本主義経済が中心であり、派生的に経済史や資本主義以外の経済現象を研究します。

「社会主義経済学」は、経済学としては、めぼしい成果もありません。かつての社会主義国の経済についての分析に使われた数学的な道具も、近代資本主義の研究を通じて開発されたものばかりです。[1]このため、少なくとも現代の経済学を学ぶ目的の場合には、初学者は社会主義経済学は学ぶ必要が当面は無いでしょう。

経済学は、まず第一に現実世界の経済を統計などと照合して研究して法則性を解明するのが目的です。このため、偉い学者の書いた教科書でも、実態に合わない点があれば、批判されます。実際、『マンキュー経済学』などで有名なマンキューですら、理論中心であり実際の現象にあわない部分もあると批判されています[2]

だから、「マルクスの本に何が書いてあった」とか、そういうのを覚えたりするのは、少なくとも経済学の基礎理論の勉強ではありません。経済関連の文献学や経済学史の研究をするなら、どの本に何が書いてあったかの出典をつけることは必要ですが、文献に何が書いてあるとか、誰が提唱したかとか、そういうのは経済学では基礎理論ではありません。「社会主義経済学」を、けっして経済学の基礎理論の一つだと勘違いしてはなりません。「社会主義経済学」は、よくて経済学史のようなものです。名前に騙されてはいけません。

マルクスの著作などから有用なものを取り出す作業は、すでに20世紀に資本主義経済の経済学者の森嶋道夫やサムエルソンなどによって、とっくに行われており[3]、現代では資本主義経済の研究に反映されていますので、わざわざ体系化されていないマルクス経済学を学ぶ意義はうすいでしょう。

また、マルクス以降の時代に作られたケインズ経済学を用いて、マルクスの著作が説明していることを分析することは、すでに置塩信雄という経済学者が20世紀に終えています[4]

本来なら森嶋やサムエルソンや置塩などの研究こそが「社会主義経済学」として語られるのが理想的かもしれませんが、しかし実際はそうではなく、経済学とは名ばかりの、「マルクスが何を言ったか?」といったような歴史学や文献学のような内容であるのが実態です。


現代の経済学教育で、とくに大学1年生に基礎・基本だと思われているのは「マクロ経済学」および「ミクロ経済学」という二つの科目です。

あるいは、「入門経済学」などの題名かもしれませんが、大学教科書などとして使われているものの場合、これはマクロ経済学とミクロ経済学の基礎的な話題を適度な割合で混合した教科書です。

そもそも大学の経済学の低学年での基礎教育において通常、アダム・スミスなどの古典は読みません。経済学は、古典を訓読する学問ではないからです。

歴史学では、原典を史料として読むことにも価値はあるかもしれませんし、そのような態度が「実証的」といわれるかもしれませんが、しかし経済学は歴史学ではありません。

歴史学の史料批判で「実証的」といわれる方法は、あいにく経済学では「実証的」ではないのです。 経済学では、マンキュー批判の例のように、現実の経済統計によく適合することこそ「実証的」です。


また、経済学が研究するのは経済のメカニズムであり、そのため、通常、現代の21世紀の経済学が話題にするのは、19世紀~20世紀以降の経済です。

中世や古代の経済は、少なくとも入門分野では深くは学びません。中世の経済などは、どちらかというと歴史学の分野かもしれません。


ケインズの利子の理論は、現代でもマクロ経済学の教科書に書かれていますが、しかしだからといって、ケイズンの論文を読む解くようなことは、少なくとも経済学部の低学年では行わないと思います。

たとえば数学や物理学の勉強では、大学レベルの勉強では、通常はいちいちガウスやニュートンの論文を読むとく必要がないように数学教科書が作られているのと同じです。

ガウスの論文そのものを読むとくのは、数学史も研究している一部の数学者の仕事です。


経済理論家の論文や著作のなかには、たとえばマルクスのように経済学者以外の政治評論家や歴史学者などにも興味を多くもたれているものがありますので、歴史学の史料批判的に読み解くことも歴史学的な意味はあるかもしれませんが、しかし数学の場合と同様にそれは経済学の基礎理論ではないことに注意しましょう。

ケインズ自身はあまり教育者ではなく、ケインズの理論などを大学の学部生むけの経済学教科書としてまとめた人物はサムエルソンという経済学者です(米国でのサムエルソン『経済学』の初出は1948年)。

サムエルソンが、現代にもつながるミクロ経済学とマクロ経済学とを、とりあえず体系化したといえるでしょう。

マクロ経済学の要素の学説そのものはケインズの学説が土台ですが、しかしケインズは教育者ではないので、それを大学生への入門教科書にはしていないのです。


また、今日で「ケインズ理論」として語られる理論のいくつかは、実は、ケインズの学説のうち、サムエルソンが使えそうなものを取捨選択した理論だったりします。ケインズの非公式な理論のいくつかは、淘汰されています。『マクロ経済思想史』2021年1月27日 (水) 09:52 版


しかし、そのような偉大なサムエルソンについてですら、経済学の低学年ではサムエルソンの論文や著作を読みとくことは、普通はしません。なぜなら論文だの著作だの、そういった文献は、経済統計ではないからです。

経済学では、通常の分野では、経済統計こそが根拠です。


アダム・スミスもマルクスも、共通点として、「商品の価値は、それを生産する労働の量で決まる」というような「労働価値説」を前提としています。

しかし、この労働価値説は、供給側の都合しか考えておらず、需要側を無視しているため、現代の主流経済学では不要だとされています。

ミクロ経済学で習う「限界効用」などの提唱が「限界革命」だと言われたことには、背景として、「限界効用の理論は、労働価値説を否定するものである」という事情があります。

ただし、この限界効用の理論も、21世紀の現代では、「で、どうやってその効用の値を計算するのか?」という問題があります。

しかし、読者は中学校や高校などで「需要と供給」という用語や、「需要曲線」、「需要関数」などを習ったと思いますが、そういった現代経済学の基礎にもう、労働価値説とその淘汰といった歴史の結果が含まれています。いちいち古典をさかのぼる必要は、少なくとも入門レベルでは、(必要)ないのです。

この「需要供給曲線」の例のように、実は入門的な分野にこそ、過去の偉大な研究の成果が膨大につまっており、しかも手短かに理論が整理されています。

なお、需要供給曲線を発明・発見した経済学者は、マーシャルあるいはジェンキンという経済学者だと考えられております[5]

アダム・スミスもマルクスも、マーシャルなどによる需要供給曲線の理論すら知らずに著作を書いて経済理論を提唱しているわけですから、現代の水準から見れば、アダム・スミスなどの理論はあまり高度ではなく、問題点も色々とあります。なので、大学1年生がアダム・スミス研究書などに当たる必要は、まず無いでしょう。なお、「需要」と「供給」の概念そのものは、マルクスの時代には知られており、たとえばマルクス『資本論』でも用語が使われている[6]


また、「現代経済学のできる前の経済史を学びたい」となっても、「労働価値説」などポイントとなる用語が現代経済学の側で用意されていますので、わざわざ アダム・スミスやマルクスなどの著作を長々と読み解く必要は、今はもう、ありません。

マルクスはセイ法則という「供給はみずから需要を作り出す」という法則を否定していますが、ケインズも同様にセイ法則を否定または批判しており、現代のマクロ経済・ミクロ経済の教科書はケインズ経済理論をベースにしたサムエルソン経済学がベースになっていますので、わざわざマルクスやらセイの原著を読む必要もありません。

そもそも経済学教育では、そういう膨大な原著を読まなくても良いように、「経済法則」だのいったものが提唱されていたり検証されていたりするのです。

経営学[編集]

商学[編集]

社会学[編集]

社会学は高校までの社会科(公民科)およびその他の専門科目にもない学問分野であり、高校を卒業したばかりの場合、いったい何をする学問なのか見当がつかないかもしれません。また、「社会学は社会学者の数だけ存在する」というジョークがあるくらい、社会学の学説は多様であることも手伝って「社会学は何をしているかわからない」から始まって「社会学は学問ではない」とまで言う人もいます。

では、本当に社会学は何でもありの得体のしれない学問なのでしょうか。もちろんそうではありません。社会学には社会学の共通した特徴があります。

社会学は、一言でいえば、社会そのものを分析対象とする学問です。そして、社会は当然ながら人間によって構成されています。ですから、必然的に社会学は社会と人間を研究対象とします。これが社会学の厄介な点でもあり、面白い点でもあるのです。なぜなら、社会の中の人間は様々な形で結びついており、その結びつき方も多種多様で、複雑にからみあっています。例えば、家族・学校・会社・ご近所・趣味のサークルなどの集団も人々の結びつきです。こうした人々の間の結びつきはどうして出来ていったのか、何を媒介とした結びつきなのか、これらの集団を比較することはできないか……。こうしたことを、実際に観察したり、聞き取り調査をしたり、統計的な方法を用いたりして探っていくのが家族社会学・農村社会学・都市社会学など、人間集団を対象とした社会学の分野です。

本章のまとめ[編集]

経済学・経営学・商学ガイド[編集]

経済学・経営学・商学のちがい[編集]

高校生からの質問で、よくあるのが「経済学と経営学と商学は何が違うのですか」というものです。まず、そこから説明しましょう。

経済学はある国や地域、さらに世界規模のヒト・モノ・サービス・カネの動きについての法則を見出す理論です。そのために現在の様々な商品やお金の動きなどをデータとして捉え、オリジナルの分析手法や理論を作ろうとします。

経営学は組織の動かし方や管理の手法についての理論です。そのためにヒト・モノ・カネ・情報をどうすれば効率よく活用できるかという応用についても考えていきます。

商学は商品の流通と管理、消費者の心理と行動の分析を通じて、商品の効率的・効果的な売買の方法についての理論です。また、商業にはさまざまな法律やルールも関わるため、そうしたものも学びます。

例えば、恐慌が起きたとしましょう。

経済学はなぜ恐慌が起きたのかについて分析を行います。経営学は会社などの組織が恐慌を乗り切るために必要な方法を探ります。商学は商品の販売方法を模索したり、法的支援にどのようなものがあるのかを探ったりします。

なお、経済学部でも商学部でも、両方の学部とも、簿記会計(いわゆる「複式簿記」)を勉強するのが通常です。

簿記は、「複式簿記」という種類の簿記を、大学の経済学部や商学部などでは学びます。

普通の家計簿は、複式簿記では、ありません。 なので、けっして、間違えて、(商学の目的では)家計簿を学ばないでください。

復習すべき高校数学[編集]

理想を言えば、数学I・II・III、数学A・B(2020年現在)――要はすべて復習すべきですが、流石にそれは時間的にも精神的にも負担が大きいので、絞っておくといいでしょう。具体的には以下のことを中心に復習しておきたいところです。

  • 二次方程式(数学I)
  • 関数(数学I:二次関数、数学II:三角関数・指数関数・対数関数)
  • 微分・積分(数学II)

逆に以下は大学で学ぶので、独学復習の必要はありません。

  • 確率分布と統計的な推測(数学B)
  • 行列(旧課程・数学C)

また、数学IIIの微分積分も、文系数学が数学IIまでなのを考慮してか大学で教授することが多いようです。

法学のガイド[編集]

法学部や政治学部の授業も、高校の政治経済の教科書とは、かなり違います。法学部では、まずは民法や刑法などの、特に基本的な法律と考えられる2つか3つの法律を中心に学び、その民法と刑法を取っ掛かりにして、次に会社法や商法、労働基準法などの、ほかの様々な法律について、学んでいきます。

つまり、民法と刑法を中間経由して、その他の法律を考えてゆくわけです。大学では法律を、

1: 民法 & 刑法
2: 会社法、労働基準法 などの日常的な法律
3: 独占禁止法、国際法 などの、より発展的な法律

のように、段階的に学んでいきます。

で、日本の「民法」の条文数ってのは、条文が1000条くらいあります。しかし、高校では、民法や刑法の各条文の考えかたを、いちいち学んでる余裕がありません。

なので、高校では、中学で学んだ憲法の知識をヒントにして、いっきに独占禁止法とか労働基準法とか国際法とかを学んでいきます。

なお、大学の法学部では、条文の言い回しや番号(「第◯◯条」とか)を覚える必要はありません。

そもそも、条文そのものを読んでも、その法律の運用に必要な考え方が、あまり書かれてません。条文以外にも、裁判の判例の内容なども、覚えて置く必要があります。なので、もし仕事などで、法律の条文の考え方を確認したい場合は、法学書を買う必要があります。小六法(しょうろっぽう)とかを買っても、それそれの法の考え方までは、普通は書いてません。

条文を確認するのが必要な場合とは、法学書の内容が本当なのかを確認するために必要なだけです。

(なお、高校生は、そこまで確認する必要はありません。そもそも、条文集である小六法の他にも、判例集なども、法学書の真偽の確認には必要になってしまいます。しかし、高校生は、判例集などを買う必要もなく、その時間もありません。)

高校「政治経済」の検定教科書の巻末に、条文の抜粋があったと思います。しかし、それだけでは、法律をろくに理解できません。なので、もし仕事で広範囲の法律知識が必要になったら、本屋に行って、実用書コーナーで、「日常の法律マニュアル」とか「仕事の法律マニュアル」みたいな感じのタイトルの書籍でも買って読むほうが有意義でしょう。


またなお、法学部以外では、こういう民法と刑法を中心とした段階的な法学教育を、ほとんど、しません。特に理系大学での文系選択科目としての法学科目だと、ほとんど中学で習うような、日本国憲法を中心とした法学教育と、授業内容が変わらない場合もあります。

特に、教職免許に必要な教職課程の科目として日本国憲法の履修(たしか2単位以上)が定められてるので、選択の法学科目4単位の半分の2単位が、日本国憲法で埋められてる場合もあります。


どんな教科書を買うべきか[編集]

まず、けっして古本ではなく、新しい本を買ってください。法律や会計基準などがコロコロと変わりますので、古すぎる内容のままの本は、役立ちません。

簿記[編集]

簿記については、一般の書店で、いろんな本があるので、それを買うのが良いでしょう。近所の書店で買えるだろうし。

この際、けっして高望みして、いきなり「◯◯簿記検定1級 教科書」とかを買わずに、まず◯◯簿記4級とかの入門的な教科書を買いましょう。

「英語検定」やら「漢字検定」とかの中学生とかも受ける検定とは違って、大学レベル以上の検定試験ってのは、けっこう難しくなります。大学レベルの検定は、4級ですら、けっこうキツいです。


なお、大人向けの簿記は、日商簿記です。全商簿記は、商業高校生向けの簿記です。全国商業高等学校協会の簿記が、全商簿記です。

大人は、なるべく日商簿記をとりましょう。


なお、放送大学の科目で簿記の科目がありますが、しかし放送大学のその簿記教科書の内容には、簿記の歴史とか(今では使われなくなった数百年前の簿記の歴史とか)、そういう話が混ざってるので、本当の初心者が誤解する恐れがあるので、本当の初心者には、放送大学の教科書は向かないです。おそらく、放送大学は大学という立場上、商業高校みたいな入門的な事を教えるわけにもいかないのでしょう。放送大学の簿記科目は、簿記の本当の初心者向けの説明にはなってません。

放送大学の教科書はこれはこれで、商学の研究の志望者には必要な教材ですが、しかし、一般人にとっての簿記の入門には、あってません。

なので、まずは市販の一般の簿記の教材を買うか、あるいは、商業高校生むけの『簿記』科目の教科書でも買いましょう。

ミクロ経済学・マクロ経済学[編集]

大学生向けの教科書を、専門書を扱ってる大型書店などで買うか、あるいは注文する事になるでしょう。

なお、予備知識として、数学が必要になります。少なくとも高校の数学2Bレベル以上の数学力が必要になります。もしアナタが数学が苦手なら、市販の高校参考書などで復習しといてください。

「ミクロ経済学」と「マクロ経済学」は、けっこうムズカシイ科目なので、購入前に、その本のレベルを確認しておいて、自分のレベルにあった物を購入してください。


法学[編集]

法律を勉強した「つもり」にならないように[編集]

世間には、法律を勉強したつもりになってる輩も多いのです。いちパターンとして、市販の法律入門書1〜2冊と小六法のうち興味をもった箇所だけを読んで、学者や弁護士によって広く支持されている定説を無視して自分勝手に解釈することが挙げられます。(当然、裁判では通用しません)

どうやって法学を勉強すべきか[編集]

もしアナタが高校の「政治経済」を受験参考書できちんと勉強してあるなら、法学の勉強の入門書には、大学生向けの民法の本を買うのが良いでしょう。

とはいえ、たぶん18歳の時点では多くの人は、そこまで受験参考書を読み込んでないでしょうから、そういう人は、まずは高校「政治経済」の参考書を買いましょう。

大学レベルの勉強でも、ときどき、高校参考書を読み返す事が必要です。

  • 民法と刑法

前の節で述べたように、民法と刑法が、いろんな法律の基本です。

そして、経済学部や商学部では、会社法や商法を使うので、それらの基礎知識となる民法を早めに勉強しておくと、後々、おトクです。(結果的に刑法が後回しになるが、しかたない。あなたが犯罪容疑を掛けられた等のよほど緊急事態でないかぎり、刑法は民法よりも後回しで良いだろう。)


つまり、 民法・民事法 → 刑法・刑事法 の順で勉強すると、独学では効果的かもしれません。

「民事法」(みんじほう)とは何かというと、民法のほかに、商法や会社法など、そういうのをまとめて、民事法(みんじほう)といいます。

なお、「刑事法」(けいじほう)とは、刑法のほかに軽犯罪法や破壊活動防止法などをまとめた法律のことです。刑事法については、あとの節で説明しますので、ここでは説明を省略します。

  • 憲法

憲法の勉強は、やや後回しでよい。 初学者にとって憲法学は、中学高校の公民分野の知識だけでも、当面は平気です。法学の独学で再優先すべきは、憲法ではなく民法・民事法でしょう。

つまり、 民法・民事法 → 憲法 の順です。

もちろん、余裕があったら、憲法も早めに勉強したほうが良いでしょう。特に世間の憲法評論では定説からかけ離れた解釈がネット上にはありふれています。なので学習者は、なるべく早めに、信頼できる法学書出版社の学術書によって、学問的に正統な憲法学も勉強しましょう。

  • 法学入門

さて、「法学入門」というタイトルの本は、じつは入門書でない場合が多いのです。どういう事かというと、大学法学部の科目に「法学入門」という科目があって、その科目の事です。


けっして完全マスターを最初は目指さない[編集]

けっして「民法と刑法を完全マスターしてから、次の法律を勉強しよう!!」とか思わないことです。

そういう発想だと、民法の完全マスターだけでも人生の数十年が掛かるので、借地借家法などの実務的な法律を、なにも勉強できなくなります。(ひょっとしたら、一生、民法・刑法の完全マスターは無理かもしれない・・・)

あくまで、ほかの実務的な法律を勉強するための基礎知識として、民法や刑法が習得できれば、当面は良いのです。

結局、どう法学書を買えばいいのか?[編集]

民法[編集]

民法の教科書をいくら読み込んでも、株式会社など「会社」の法律上における仕組みすら、民法だけでは、ぜんぜん分かるようにはなりません。

かといって、タイトルに「民事法」と書かれた大学教科書などを読んでも、その解説内容のほとんどは民法の解説であるのが一般的です。つまり、日本の大学教科書では、まだ、1冊の本だけでは、民法,商法,会社法,借地借家法(しゃくちしゃくやほう)、不動産登記法(ふどうさん とうきほう)、・・・などを全般に勉強できるようには、なっていません。

しかし、大学の教科書以外なら、1冊の本で、ある程度、民法,会社法,商法、借地借家法(しゃくちしゃくやほう)、不動産登記法(ふどうさん とうきほう)、・・・など民事関連のさまざまな法律について説明した書籍はあります。

たとえば、商業高校の科目『経済活動と法』の検定教科書です。『経済活動と法』検定教科書なら、文部科学省が検定をしているので、内容の正確性が高いでしょうから、初学者の入門書としてオススメです。

書店の実用書コーナーなどにある、社会人向けの法務の入門者は、『経済活動と法』検定教科書のあとに読むのが効率的でしょう。


なので、民法の教科書ばかりに深入りしないで、ある程度、民法が身についたら、さっさと教科書を(法学教科の)他科目に変えましょう。商業高校の科目『経済活動と法』の教科書(購入したい場合は、教科書取次店などで注文する事になる)での勉強や、さっさと他の科目の教科書での勉強に移りましょう。


もし商業高校の『経済活動と法』教科書の法律説明よりも詳しい説明がほしい場合、大学の法学の各科目の教科書などを用いて、自分で調べる事になります。

なぜなら、『経済活動と法』の参考書が、ありません。普通科高校で科目「政治経済」の参考書が充実している状況とは、商業高校科目は違います。2017年の現時点では、商業高校の科目内容を解説した参考書は、存在しません。


なお、もし「会社法」などのタイトルの教科書をせっかく購入して読んでも、ほとんど会社法についての説明だけしか書いてません。たとえば、民事裁判の仕組みなどについては、会社法の教科書では、ほぼ何も説明していないのが普通です。

「民事法」と書かれた大学教科書などを読んでも、その解説内容のほとんどは民法の解説であるのが一般的ですので、会社法については、「民事法」教科書では書かれていないのが普通です。

かといって市販のビジネス実務書などで「会社の法務」「会社を設立するには」などのタイトルの書籍だと、深入りしたい場合に、あまり細かい事が書いておらず、不十分です。


さて、書店の実用書コーナーに行くと、たとえば「内容証明郵便のしくみ」「年金のしくみ」「企業の総務のしくみ」「連帯保証のしくみ」「会社の設立入門」「確定申告のしくみ」みたいなタイトルの、より具体的な内容の本がありますが、そういうのは、よほど緊急でないかぎり、18歳になったばかりの若者は、まだ(「内容証明郵便のしくみ」などは)勉強する必要がありません。

なぜなら、「内容証明郵便のしくみ」「年金のしくみ」「確定申告のしくみ」・・・などは、細かすぎて、いきなり読んでも、まったく理解できません。また、緊急でもないのに、それらの細かい話題を読んでも、読みつづける気力がおきません。

あと、たとい「会社の設立入門」を参考に会社は設立だけしても、それだけで放置するなら、すぐに倒産してしまいます。「確定申告のしくみ」を理解する前に、そもそも売り上げが、無いでしょう。

さて、もし、特に緊急でもないのに、どうしても実用書コーナーの本を買いたいならば、「日常の法律マニュアル」とか「仕事の法律マニュアル」みたいな感じのタイトルの、広範な分野の書籍のほうが有意義でしょう。 高校を卒業したばかりの人にとっては、その「日常の法律マニュアル」みたいな本ですら、けっこうムズカシイ内容です。


さて、一般書店では、ろくに大学の法学教科書が売ってないので、大学教科書の入手方法は、大型書店などで買うか、あるいは注文する事になります。

さて、初学者の買う法学書としては、「民法入門」や「民事法(みんじほう)入門」のように、タイトルに「入門」と銘打ってて、さらに1冊でその分野をひととおり説明しているのを入手しましょう。

けっして「民法 1巻 総則(そうそく)」「民法 2巻 物権(ぶっけん)」「民法 3巻 債権(さいけん)」・・・などのように、分冊で説明していて、しかも各巻が分厚い本は、入手しないほうが良いでしょう。

そういうのは(分冊で説明していて、しかも各巻が分厚い本は)、司法試験などを目指す人のための、むずかしめの本です。初心者には、使えません。


さて、行政書士などの国家資格の対策本は、まったく、法学の初学者・独学者には向いてません。内容が網羅的であり、それらの職業を目指す人には必要なのですが、しかし、法学の初学者・独学者には、向いてません(網羅的すぎて、何が基本事項かが、分かりづらい)。

どうしても書店の資格コーナーの法学書を入門書として買うならば、「法学検定」4級の本を買うのが安全でしょう。他の検定試験で「ビジネス法務検定3級」というのもあるので、会社法などの知識が早めに必要な人は、それを買うのも良いでしょう。

刑法[編集]

現状では、刑法の勉強をしたい場合、大学生向けの刑法の専門書を読むしかありません。

民法なら、商業高校の教科書でも、いろいろと民事法の全般を横断的に説明してある高校教科書があります。しかし刑法・刑事法では、そういう高校教科書が無いのです。


大学生向けの「刑事法」の教科書を読んでも、内容のほとんどは刑法です。

道路交通法とか軽犯罪法とかも横断的に解説するような刑法書は、実用書を除くと、あまりありません。その実用書じたい、刑法の実用書の場合は、なかなか書店では売ってなかったりします。


民法が1000条ちかくあるのに比べ、刑法は200条ほどですが、しかし刑事行政の実務では(専門外なので聞いた話ですが・・・)、刑法以外の道路交通法だの軽犯罪法だの、独占禁止法やら知的財産法やら各種の法律にある刑事罰規定だの、刑法以外のさまざまな法律が関わってきて、かなり学習が膨大になります。

このような問題もあり、独学者には、あまり刑法・刑事法だけには、深入りしないほうが安全です。


今後の学習[編集]

進路や職業などに応じ、適切な分野を、今後も学習を継続していく必要がある。

大学入試の過去問を活用する[編集]

大学入試の『地理』の統計問題では、検定教科書では諸般の事情で紹介できないけど、大学の学者が紹介したい意義ある統計を、出題している場合があります。

大学入試の『政治経済』でも同様に、大学の政治学者や経済学者が、その分野の志望者に紹介したい知識を、出題している場合があります。


このため、センター試験や有名国立大の、『地理』や『政治経済』の科目の過去問を調査することで、公民分野の発展的な知識を獲得できます。

教育評論では、しばしば、入試制度への批判として「大学入試では、高校レベルを超えた悪問・難問が、大学入試に出題されている!(けしからんゾ!!)」などの批判がありますが、裏をかえすと、高校卒業後の勉強になら入試問題が(そこそこ)利用できるわけです。

特に、地理科目の入試で紹介される統計のなかには、一般的な大学レベルの政治学や経済学の教科書では、なかなか お目に掛かれない統計もありますので、ときどき受験地理の統計グラフに目を通しておくと、良い勉強になります。


もしかしたら、いちいち赤本(「あかほん」、教学社の入試過去問集)を買わなくても、やや難問の高い問題集を購入することで(もちろん、解説付きの問題集を買う必要がある)、勉強できるでしょう。(赤本は分厚いので、センター全科目や主要大学のアカ本を買い揃えると、「読みきれないよ・・・」と憂鬱な気分になってします。)

また、受験勉強になるので、将来、もし大学受験したときの自分の偏差値もあがるので、一石二鳥です。

歴史学など[編集]

公民科目ではありませんが、大学の歴史学では、高校の日本史・世界史のような通史(古代史から現代史まで)が1冊にまとまった教材のようなものは、ありません。 大学の歴史の勉強は、各国の各時代の各テーマが1冊の本になっており、そういうのを何冊も史料批判しながら読んでゆくのが主流の方式です。あるいは教養的な知識として、さらに日本以外の外国について、その国の中学高校レベルの通史を学びます。(たとえば、アメリカ史なら、アメリカの中学高校くらいで習うレベルのアメリカ通史を、日本人に向けて説明したような教材が、市場には何冊かある。)

もし、歴史教科書問題などの調査などで、日本史や世界史の通史の教科書が必要なら、高校の教科書や参考書を読みましょう。

もし、一部の馬鹿ネトウヨみたいに「日本の中高の学校教科書は左翼だから信用できない!」とか言うのなら、中学の『つくる会』とかの教科書でも読んでください。 そもそも、高校教科書でも明成社の教科書では右派の視点で書かれていて、執筆者に桜井よしこ とか 中西輝政 とか 渡辺昇一 とかの右派の論客がいるのですが。「学校教科書は左翼だから信用できない」とほざく馬鹿ウヨクには、そこまでの調査能力が無いらしいようですね。


正義の人にならないように[編集]

世の中には、自身の信じる「正義」と、真実・真相の区別がつかない人がいます。

学問は、普遍性かつ可能性の高い真実・真相を追究する業界です。

もし勉強をしている最中、学術書や教科書などで「正義」を強調する学者がいたら、ほとんどの場合、その学者は低能なので、原則的に放置または軽視しましょう。そして困ったことに、日本や欧米にも、その程度の低いレベルの学者が、多くいます。


そもそも学問は、正義の追及の場ではなく、可能性・確率などの検証の場だからです。

数学の確率の計算のようなものです。たとえば歴史学なら、過去にどんな事象が起きたかを調べるわけです。経済学なら、経済でどんな事象が起きそうかを予想したりするわけです。

たとえば、ある経済政策が好きか嫌いかなんて、近代学問ではないのです。公共事業が好きかどうかは、学問ではないのです。ある状況下で公共事業をしたら、どうなるかを予想したりするのが、経済学です。

歴史学でも、歴史上の人物の好き嫌い、たとえば悪人とされるスターリンやヒトラーが嫌いかどうかは、学問ではないのです。スターリンやヒトラーが政治で何をして、どうなったかを調べるのが歴史学です。


本物の学問に、一個人の正義感の入る余地はありません。


数学でいう公理に相当するような、最低限の法秩序は社会科学には必要ですが、しかし、それ以上は真理の探求には本来、不要です。


ウヨクとかサヨクとかの行き過ぎた人が駄目なのは、そもそも真実を追究する気のない人だからです。


また、道徳や倫理を考える場合でも、あきらかに現状の(日本国などの)法の前提になる思想とのズレが大きい主張をしてる人は、そもそも倫理学すら理解できてない可能性が高いです。

マトモな先進国ならば、法の制定前に、政治家や官僚などが、その時代の、法案に関連する学会の代表者の学者などの有識者の意見をいろいろと聞いてから、法をつくっているわけです(学者の意見が受け入れられるとは限りませんが)。なので、その時代の倫理などがまったく無視されるわけはないのです。

たいていの場合、法を無視して正義を主張してる人は、たんに独りよがりの正義感を振りかざしているだけの幼稚な人です。


これとは別に、世の中には、単に自己アピールとして、「正義」や「道徳」を名乗る理念をふりかざし、具体的な問題解決を何も考えないし実行もしないし負担もしないで、他人に負担を押し付ける人が多くいます。

たとえば、「金持ちは貧乏人に寄付をしろ! 助け合いは素晴らしい!! (でも本音は、自分は金持ちではなく中流なので、1円も払いませ~ん! 本音は言いませんけど。)」みたいな人です。

大衆のなかには馬鹿な人が多く、そういう、口先だけで何もしないで、他人に負担を押し付ける人を、道徳的な人だと崇拝して尊敬する、頭のヘンな人もいます。


そういう偽善者とは縁を切って、現実の問題解決のための実務を考えるのが法・経済です。


よく法学で「法は道徳ではない」といいますが、そもそも道徳そのものの範囲内ですら、道徳的とされている行為が本当に道徳的かどうかは曖昧です。

たとえば、「金持ちが貧乏人に寄付をするのは正義」だと、よく古今東西の人々は言いますが、しかし、たとえば、仮にある人に寄付をしたとして、そのせいで余分な金が無くなって、ほかの人に寄付をできなくなるかもしれません。 

軽い病気の人に寄付をしたせいで、次にあらわれた重い病気の人に寄付をできなくなるかもしれません。

けっして、「道徳と経済が対立する」だけではなく、そもそも道徳的だとされている行為どうしすらも対立しあうのです。

このように、道徳や正義などの、世間での素朴な直感は、よくよく考えると、道徳的にすら真実とはかぎらない場合があります。

ボランティアや寄付などをしようにも、現実社会では、個々人のもつ時間や労力や資産には、かぎりがあります。


だからこそ、具体的な社会問題の解決のための実務として法や経済政策があるのです。

専門外の大学教授のいうことは疑おう[編集]

法律や経済は、法学者や経済学者でなくても、誰でも法律や経済には関わっているので、口出しをします。

それ自体は言論の自由です。

しかし、大学教授にも、文学系の学者や理工系の学者などで、法律や経済は専門外なのでよく分かってない人がいます。


世間では「大学教授」と聞くと、てっきり「すごく物知りな人なんだろう」と勘違いしている庶民もいますが、しかし、現実は違います。

大学教授は、専門分野以外の知識は、高校生なみ、あるいは高卒の労働者なみの知識だったりする場合も多いのです。

むしろ、専門の勉強で忙しいため、専門以外の知識では、同年代の大人にすら劣る場合もよくあります。


特に、理系の学者さんだと、まったく経済や法が大人レベルには理解できてなかったり、あるいは幾つかの法の条文は知ってても大学1年レベルの思考法すら身についてなくて、もはや、彼の世間話を聞いてると頭のいたくなるような学者さんもチラホラいます。

もし、既存の法学や経済学の学問の体系が間違っているというのなら、もし自身を本当にマトモな学者だと思う文系の学者さんなら、具体的に体系の間違ってる箇所を証明すべきですし、できれば実際に修正してみたあとの具体的な体系もふくめて提示すべきです。

あるいは彼が理系の学者さんなどで、本業の研究で忙しいなら、せめて、自分の代わりにそういう具体的な証明・提案をしてくれそうな経済学者・法学者を応援すべきであり、その経済学者・法学者の学説は尊重すべきでしょう。

それすらできないレベルの学者さんは、単に有名大学卒などの学歴だけの、いい年こいて独りよがりな世界観な、低脳な学者さんですので、もはや彼の社会評論は相手にしないほうがマシです。

なぜ、こういう事を言うかというと、この手の学者さんは残念ながら日本にも多くいます。

参考文献[編集]

書籍[編集]

サイト[編集]

  1. ^ 小室直樹、『小室直樹の経済原論』(復刊本)、東洋経済新報社、2015年6月11日発行(原著は1997年の刊行)、P10
  2. ^ 「実証より理論」は時代遅れ マンキュー経済学、見直し迫られる (1/2ページ), 2019.4.7 08:55
  3. ^ 小室直樹、『小室直樹の経済原論』(復刊本)、東洋経済新報社、2015年6月11日発行(原著は1997年の刊行)、P527
  4. ^ 『置塩経済学と森嶋経済学』
  5. ^ 『西洋経済古書収集ージェンキン,「需給法則の図表的表現」』(2010/9/24記、2016/8/10 デピュイ論文刊行年を訂正) 2022年4月1日に閲覧.
  6. ^ 新田 滋『マルクス経済学と限界分析(一)』、2014