学習方法/高校国語全般

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目次

高校では書道・硬筆は『芸術』教科[編集]

小学校・中学校では書道(いわゆる「習字」)は国語で扱いました。しかし、高校では、書道や硬筆は、『国語』科目ではないです。(ちなみに『芸術』教科に『書道』科目がある。)

教科書は、レベルの低い学生に合わせてあり、使いづらい[編集]

国語の教科書は、レベルの低い学生に合わせてあり、そのため、大多数の平均的な高校生にとって、国語の勉強としては、検定教科書は使いづらい。たとえば漢字については、巻末の漢字一覧を教科書と参考書で比べると、教科書では高校レベルの漢字を片端から覚えさせようとするが、しかし、参考書では、同音異義語などの漢字をグループにして覚えたり、あるいは、対義語をペアにして覚えたりなどの工夫をしている。

教科書は、レベルの低い学生、あるいは、かなりの天才学生に合わせてある

また、入試でも、このような、同音異義語や対義語などの漢字・熟語が、出題されやすいので、参考書のように勉強するほうが合理的である。(出題者だって、やみくもに漢字・熟語を出題したくない。)

教科書が想定している学生レベルとは、例えば漢字の勉強なら、レベルが低すぎる学生で同音異義語などをグループにして覚えられない学生と、レベルが高すぎて、いちいち同音異義語などを説明しなくても、自分で勝手に瞬時に辞書などで調べたりしてくれる高レベルすぎる学生である。


なので、国語の勉強をする場合、教科書よりも参考書を、勉強の中心にしたほうが良い。

数学などと違って、国語の参考書は、あまり難しくないはずである(そもそも国語の文章は、原理的には、日本国民なら読めば分かるように書かれている)。また、社会科の「歴史」科目などと比べれば、覚えることも少ない。なので、国語の勉強では、参考書で、さっさと要点を覚えたほうが良い。

また、教科書には、深入りしないほうが良い。教科書で深入りできるように紹介されている部分は、かなりの天才学生に合わせてある場合があり、実際には、他教科の勉強時間などとの兼ね合いから、深入りしてはいけない。深入りすると、他教科の勉強時間を減らしてしまう。

なので、検定教科書には、深入りしないほうが良い。


評論などで読解の際に必要になる事の多い現代語についても、参考書のほうが合理的に紹介している。教科書では、作品ごとに現代語の説明がされていたりするので検索(けんさく)の手間が掛かるに対し(しかも、意味内容の説明がないか、少ない)、いっぽう、参考書では重要語の一覧が巻末などに、まとまっており、しかも解説つきである。

要するに、検定教科書は、そもそも国語教育になっていない。 検定教科書は、問題集のような役割しかない。すでに、学校の授業を受けたり、あるいは塾などで国語の教育を受けた人が、自分の知識レベルを確認するための問題集のような役割しか、教科書にはない。

このため、教科書は、「レベルの低い学生に合わせてあるか、あるいは、かなりの天才学生に合わせてある」的なことを、先ほど、指摘したのである。

教科書は、無力である。いっぽう、参考書は、有力である。

教科書の内容も入試の出題では考慮されるので、教科書も読んだ方が良いのだが、しかし、教科書を中心とした勉強は、後回しにしたほうがいい。


古典では参考書と教科書ガイドの購入をすべし[編集]

『国語』教科の特徴として、古典ですら作品が多すぎるので、参考書では説明しきれない作品も多い。 このため、結果的に言うと、参考書に加えて、さらに高校生むけの古典の作品ごとの口語訳集で定番作品は全体的に口語訳を学ぶ必要があり(書店の参考書コーナーで売ってる。なければ取り寄せ)、または教科書ガイドで口語訳・読解の注意事項などを調べる必要が生じやすい。

どこの教科書出版社の『国語』教科の検定教科書によく掲載されている作品であっても、参考書では解説が省略されている作品もそこそこ多く、特に古文B(高校3年の古典の科目)でそういう作品がいくつもある。また、もし参考書で掲載されていても、掲載されている箇所が参考書ごとにマチマチであったりする。

現代文でも古文漢文でも、国語教育では、よく「教科書を読んでいて分からない単語は、辞書で調べてみよう」などと教えるが、実際には、参考書と教科書ガイドを読むと、生徒が習ってなさそうな単語などは、たいてい書いてある。

なので、まず参考書と教科書ガイドを読んでおこう。

また、特に古文漢文の場合、まだ習ってない作品では、ほとんどの単語が分からない単語であり、辞書でいちいち調べるのは、時間が膨大にかかってしまい、実際には無理である。

まず参考書と教科書ガイドを読んで、それでも分からなかったら、そこで初めて辞書を読むのである。

また、現代文でも、章末に書いてある問題の答えが、検定教科書には書いてなかったりする。

また、国語教師や英語教師には、低能が教師がときどき居て、宿題などで、数学などの他教科の学習時間を無視して、「辞書で、教科書のページ○○から△△までを予習してこい」などと、自分勝手な宿題を出す必要もいる。数学や物理の教師は復習しか宿題に出さないのに、いっぽうで国語や英語の教師のなかには、予習も復習も宿題で要求するような、自分勝手な国語教師や英語教師が、時々いる。

このような低能な国語教師からの防衛のためにも、参考書と教科書ガイドがあると便利である。


センター国語では高得点を取る必要は無いだろう[編集]

センター試験の問題を見ると、国語科目では、けっこうマニアックで難しい作品が、古文漢文でも出る。

いちおう、センターの古文漢文は、形式的にはセンター試験の出題範囲は(ついでに国立大入試の出題範囲も)高校で習った単語や文法、漢文の単語や句法などからセンター国語(ついでに国立大の入試国語)は出ることになっているが、しかし、もともと古典の読解内容は研究者が年月をかけて読解していったものであるから、教科書に無いマニアックな作品を試験時間内の短時間で高校生が読解するのは、やや無理がある。

いっぽう現代文のほうは、高校の国語教師や塾の国語講師でも読解に手こずるような悪問・奇問が、たびたび出題される、・・・というような状況である。


なので、センター国語で高得点を取るのは難しい。(もし、ある受験生が高得点を取れても、どうせ、読解できてるのでなくて、文部科学省の定める高校カリキュラムから推測したり、近年の入試傾向から推測したりして、文法問題などの試験問題の答えを推測しているだけであろう。)

極端な事を言うと、勉強するなら国語はそこそこにして、英語や数学など、確実に勉強したぶんだけ高得点を取りやすい科目で、得点をかせいだ方がいい。

また、大人になってからのビジネスに必要なのも、一般の仕事で必要なのは、国語の入試問題の解き方ではなくて英語・数学の能力のほうである。


古文・漢文を重点的に学ぶべき[編集]

古文・漢文で学習した内容は、現代文よりは高確率でテストに出やすい。学校では、現代文と古文・漢文をバランスよく教えるが、しかし学生は入試の実態にあわせて、古文・漢文を重視して学習しなければならない。なぜなら、古文・漢文での出題内容は大まかにいえば、文法・単語・内容理解の三つであり、特に文法と単語は学習量がテストの点に反映しやすいからだ。また、入試に向いているような文章は案外に限られているため、非常に運が良ければ既に読んだ作品から出ることさえある。

ただし古文・漢文の作品数が有限とはいっても、作品数はとても膨大であるので、全ての作品を読むことはできない。だから、けっして全ての古文漢文の作品を読もうとはせず、参考書や資料集などで比較的有名な古文作品や漢文作品から読んでいき、そこそこの数の作品を読んだら、あとの学習は、単語や文法や、現代文や、他教科などを学ぶのが良いだろう。


漢文の文法・句法に深入りしすぎないように

ただし、文法が大切とはいっても、漢文の句法・語法は、おそらく高校在学中には全部は覚えきれないだろう(もともと中国語である)。

「高校の教科書に書いてある」ということは、かならずしも「高校生でも覚えられる」ということは意味しない。

けっして、国語の漢文の勉強に時間を取られて、英語や数学などの勉強時間が不足しないようにしよう。(国語教師や塾の国語講師は、漢文の細かい単語や句法を覚えてるかもしれないが、しかし、どうせ彼らは英単語も数学も、ろくに習得できてない。そんな人を手本にしてはならない。だいたい、大学の国文科の教授じたい、ちょっと理系科目や社会科の知識・理解がアヤシイ人が多い。)

とりあえず参考書・単語集などに目を通しておいて、書取り練習などをして覚えられそうなものは覚えておいて、覚えにくいものは、後回しにして諦めて、さっさと英語や数学などの勉強に取りかかろう。

漢文の句法・語法は、「だいたい覚えられればいい」のである。決して「すべて覚えきる」必要は無い。だいたい、時間が立てば、一度は覚えても忘れてしまう。


大学受験をするにしても、目的は、けっして「高校国語の古文漢文の単語・文法・語法をすべて覚える」ではなく、要するに、受験科目でそこそこの点数をとれて、合格さえすればいいのである。

センター試験対策なら、要はセンター試験の足切りを突破すればいいのである。


古文と漢文[編集]

出題傾向と対策

センター試験の古文・漢文は昔から、マニアックな作品が出題されるのが普通である。教科書 や 市販の口語訳集 では扱わない場合の多い作品が、1995年以降のセンター国語の古文で出る。(1995年以前の問題については、過去問が入手できないので不明。)


よく、評論家の不確かな知識で「センター試験は学校で習ったことしか出ない!」とか主張する評論家がいるが、しかしセンター試験の古文・漢文にかんするかぎり、教科書にある作品が出題されることは、まず無い。

なお、センター試験はよく国立大の一次試験として使われるが(いわゆる「足切り」)、古文漢文をみるかぎり、けっこう難しいマイナー作品を出題しているので、そういう作品の読解で大学は足切りをしている事になる。

なので、センター対策としては、市販の参考書の(有名作品の)口語訳集を読んでストーリー暗記をしても、それだけでは、ほぼ無駄である。


近年の国立大の二次試験も、どの大学やどの学部やどの学科によるが、おおむねセンター試験と同様に、マニアックな作品を出題する場合が多いので、市販の有名作品の口語訳集では、あまり対応できないだろう。

とはいえ、一応、予備校などの出すセンター予想問題集では、センターに出そうなマニアック作品を紹介している。

つまり、(三省堂などの出してる)有名作品の口語訳集とは別に、センター予想問題などにマニアック作品の口語訳が書かれている。この教材(センター予想問題)を見落とさないようにしよう。

こういう予想問題のマニアック作品の口語訳は、高校2年あたりから、ヒマを見つけて読んでおくと良いだろう。


つまり、口語訳集を読んで勉強するときは、古典の有名作の口語訳集はもちろん、さらに加えて、予備校の予想問題集などでマニアックな作品の口語訳を読んでおくことである。このような感じの勉強を、おそらく高校2年くらいから始めると良いだろう(けっして、入試直前に始めないこと)。

けっして、「有名作の古典(の口語訳)を読み終えてから、マニアック作品の古典(の口語訳)を読もう」とするのではない(検定教科書では、そうさせようとするが)。

そうではなくて、並行するのである。つまり、有名作の古典の口語訳を読む勉強と、マニアック作品の口語訳を読む勉強とを、並行させる。


数学や理科などと違って、国語の古文漢文では、2年生でも、入試問題の古典の口語訳くらいは読めるし、古典単語も部分的に理解できる。


場合によっては、センター予想問題だけでなく東大とか早慶とかを意識した難関大対策とかの参考書・予想問題も買って、口語訳などは読み込んでおくと良いだろう。

しかし、さすがに高校1年から予想問題を読み込むのは非効率だろうから、高校2年くらいから、予想問題などを読み込むのが良い。


さて、予想問題についてだが、マニアックな作品といえども文章量が多いので、マニアック作品の抜粋を予想問題で出題しているわけでだが、万が一、センターなどに出題された場合でも、けっして予想問題集で紹介した部分が出題されるとは限らない。

しかし、たとえ紹介部分とは違う部分が出題されても、受験生が紹介した登場人物の大まかな関係を事前に知ってるだけでも、入試に出題された場合には、だいぶ読解の助けになる。

誰と誰が恋仲なのかとか、誰と誰とが敵対しているのか、そういう予備知識は作品文を読解する際に、大きなヒントになる。


また、センター試験では、それほどマニアックではない作品を出す場合もあり、『国語総合』の教科書には無い作品で、ときどき、市販の参考書などに見られる古典作品を出す場合もある。

たとえば、『平家物語』は有名すぎるのでセンターでは出さないが、それと時代の近い『保元物語』など、有名作と関連性のある出題する場合が、センターでは、ときどきある。そして、『保元物語』や『平治物語』などは、市販の参考書でも、ときどき紹介される作品である。

なので、参考書にも目を通す必要がある。


私大入試では、平均的な偏差値の私大入試のほうで、市販の口語訳集などにある作品が、そこそこ出る。(教員側の都合もあり、大学側の国語教員の限られた人員では、あまりマニアックな作品の問題作成に対応しづらい。)


ここで重要なことは、けっして有名作品の口語訳を読む事は「レベルの低い」ことなわけではない。

そうではなくて、古文・漢文では出題傾向が学校によって、かなり違うのである。


極端な事を言うと、もし不勉強で検定教科書にある常識的な作品すら読み込んでない学生であって極端に文学知識が知識不足であっても、単語や文法をかなり詳しく暗記していれば、センター試験の古文漢文は突破できてしまいかねないし、マニアックな古典作品ばかり出す難関大学の国語でも高得点をとれてしまう可能性もあるのだ。

教科書にある作品は、常識的に高校生に知ってもらい(教育的な効果の高い)作品が選ばれているのだが(教科書を執筆した学者さんや、文部科学省の官僚などが選んでいる)、残念ながらそういう選ばれた優れた作品がセンター試験に出ないという事である。


とにかく古文漢文では、教科書にある作品と、センター入試傾向とが、かなり違っている。


しかし、市販の口語訳集を読んでおくと、私大の古文対策の勉強時間をけっこう削減できるので、できれば読んでおこう。

また、直接は地歴公民では国語の古文・漢文は出題されないが、しかし国語の検定教科書にあるような有名作品の口語訳の知識は、『日本史』科目や『世界史』科目の中国史など他教科の学習を助ける。


また、国立大二次や私大入試では、たとえ直接は有名作品を扱わない場合でも、文学史などで有名作の知識を問う問題が国立私立ともよくあるので、口語訳集で有名作の知識を増やすことで、そういう問題に対応しやすくなる。


また、高校側の授業の都合になるが、市販の口語訳集がないと勉強しづらいような授業が多い。口語訳集を読んでおくことで、高校のテスト対策の時間を削減できるので、時間を見つけて口語訳集を読むのがよい。

古典のなかには、パロディ的な作品もあり、その古典の書かれる時代よりも前の過去の有名作をまねている作品もいくつかあるので、そういう意味では、有名作品を読んでおくと得である。実際、2017年ごろのセンター試験で、源氏物語を手本にした江戸時代の物語『木草物語』が出題されている。

結局のところ、古文の勉強法のコツは、

いろんな勉強法を並行すること
マニアック作品の口語訳の読み込みを(けっして入試直前ではなくて)2年生くらいから始める

である。

そのため、マニアック作品の口語訳を止むために、予想問題集が必要である。

つまり、必要な教材は

参考書、古文漢文のセンター予想問題集、古文漢文の難関大予想問題集、普通の単語集(古文漢文)、文法問題や句法などの練習ドリル、古文漢文の『古典B』(古典購読)の教科書ガイド、

などである。

たとえ難関大を受験しない場合でも、「センター予想問題を兼ねてる」と思って、出題された古典の口語訳などを読んでおこう。

結局、勉強法は、

普通に参考書などで問題練習をして、
普通に多くの古典の有名作品も読み、
また、古文単語や文法も普通に練習する、

などの、わりかし普通の勉強法を、すべて並行することである。 この「並行」というのが、難しい。ついつい、どれか1〜2つの勉強法に片寄りがちである。

しかし、すべて並行するのがポイントであろう。

センター古文には、典型的な文法問題は無い[編集]

品詞分解のテクニックは、センター入試にまず出ない。 そもそもセンター試験では、文法用語は、基本的に出ない。

たとえば「助動詞」とか「四段活用」とかの用語はまず入試に出ない。基本的に、センター古文に出る問題は、読解問題である。

なので、けっして、参考書にあるような、動詞や助動詞などの格変化の図表を埋めるような出題は、センターでは、まず出ない。


なので、センター対策の受験勉強では、文法の用語を頭の片隅に入れておく程度に知っておくのは良いが、しかし、けっして文法用語の字句や格変化の表などを暗記する必要は無い。

このため、たとえば(助動詞などの働きの)「推量」と「推測」の意味の違いとかを覚える必要は無い。このため、文法の学習で、雑多なことを覚えなくて済む。


ただし、これは日本語の古文の場合である。漢文などは、基本的な句法をある程度は習得する必要がある。


(日本語の)古文の文法の学習の初歩で品詞分解の練習を何日かするのはアリかもしれないが、しかし、けっして、習う古典の文章を片っ端から品詞分解しようとしてはならない。もし品詞分解ばかりの勉強をしても、まったく入試に役立たず、さらに普通の大人の仕事の実務にも役立たず、ただ単に無駄になる。


ただし、国語教師や教科書をつくる人にとっては、古典作品の品詞分解を掲載した書籍が必要であるので、市販の教材にも品詞分解は掲載され続けるだろう。

高校レベルの教材というのは、卒業後の勉強のための教材も兼ねているので、入試には出ないようなことも参考書には書かれているのであり、その一例が品詞分解である。

読者だって、もし今は高校生・受験生でも、将来的に塾講師や学校の国語教師などになる可能性だってありうるのである。他人事ではないのだ。

また、受験生が、読解で悩んだ時の確認がわりに、参考書などに掲載されている、古典作品の品詞分解を見る場合もある。

漢文の各論[編集]

なお、漢文は入試において、センター試験・国公立大学文系の二次試験以外ではほぼ出ないのが現状である。そのため、単に入試だけを想定するのなら古文に時間をより多く割くのが妥当だろう。私立大学では昨今、文学部さえ漢文を出さないことも珍しくないが、一部の文学部では出るので過去問での確認をしておこう。


入試に小論文が出ない学校も多い[編集]

平均的な難度の大学では、文系・理系の学部とも、あまり小論文が出題されない、もしくは小論文を受験する必要が無い場合が多い。 特に理系の場合、平均的な難度の大学および、それ以下の大学では、そもそも小論文が受験できない場合も多い(「以下」には、その基準自身も含む。つまり平均レベルの大学も含む。つまり、平均レベルの理系大学では、小論文は受験科目にないだろう)。

難関大学や、医学部などの難関学部で、小論文が要求される場合がある。医歯薬学の学部での小論文の場合、学部に関係するテーマが小論文のテーマとして出される場合もある。たとえば医学部ならクローン研究などの医学倫理などの問題とかについての小論文などである。理系の小論文の場合、国語と言うよりも、専門分野に関係する知識を勉強してるかどうかが大事であろう。医歯薬学部では特に職業とも関係している倫理的な問題(職業倫理・生命倫理・医療倫理など)が出題されることも多い。

市販の参考書で、志望分野別の小論対策の参考書があるので、必要ならば入手しておこう。

文系の場合、小論対策が入試で必要な場合、小論対策の参考書のほかにも、時事対策などの参考書でも買って読んでおくのも良いかもしれない。書店で、参考書コーナ-の社会科のあたりに時事対策の参考書が売ってる。国語として勉強するばかりでなく、社会科などの知識も必要である。

ただし文系・理系とも、たとえ入試に小論が出る大学の場合であっても、一般科目の成績のほうが評点の比重が大きいだろう。特に理系学部の場合、小論文の評価よりも、数学などの一般教科の成績の評価のほうが比重が大きいだろう。なお、国立大学では、後期入試で小論文が課されることは珍しくない。だが、実際には小論文よりもセンター試験の点数の方が重視されるため、やはりセンター試験対策を重視する方がいいだろう。

このため小論文対策よりも、まずは一般の参考書で、一般の問題が解けるように勉強をするほうが重要である。


センター試験『国語』古文漢文分野では、『古文B』(古典購読)の内容が出る[編集]

センター古文では、基本的に教科書にある作品は出ないのが近年の傾向であるが、しかし教科書にある作品が出る場合も時々あり、その場合、たいてい、『古文B』などの作品である。

センター試験『国語』の古文漢文分野では、科目名とは裏腹に選択科目『古文B』(古典購読)や『現代文B』で習うような発展的内容が出題される事が、時々ある。

別に意識して『古文B』を出そうというワケではないだろうが、センター試験の古文漢文の出題者は、出題に有名作を避けようとするためか、結果的に『国語総合』にある有名作品の有名な文章が避けられやすく、『古文B』の内容のほうがセンターの出題に選ばれやすくなっている。


このため、理系の学生は、センター対策として『古文B』の参考書や教科書ガイドなどを少々、読んでおく必要がある(一般に古文Bは高校3年の文系コースで習う)。

このように、センター試験の数学II・Bが、まったく数学III・Cの内容を出題しないのとは、国語科目は事情が異なる。90年代の昔から、このような、文系コースに有利な、不公平な入試制度の状況が放置されている。

文理のコースわけをしている高校で(ほとんどの普通科高校)、理系大学を志望するコースの場合、高校では理系生徒には『古文B』の授業をしない場合が多いため、理系学生は独学で『古文B』を勉強をする必要がある。

このため、理系志望の人がセンター試験で国語科目も受験する場合は、国語の受験勉強として、『古文B』の教科書ガイドおよび、古文Bの参考書などを購入して、勉強する必要がある。

現代文Bについては、国語総合や現代文Aなどの学習でも、ある程度は対応できる。また、理系クラスでも高校で『現代文B』を習う場合も多い。(もちろん、余裕があれば、『現代文B』も教科書ガイドや参考書などを購入して勉強するのが望ましい。)

理系学生は、古文・漢文の学習に使える時間が少ないため、『古文B』の学習については、教科書ガイドでストーリーを覚えて置くだけとか、せいぜい参考書で頻出の話題を覚えて置くだけなどのように、要点だけを調べるような工夫が必要である。

あまり『古文B』教科書ガイドに深入りする必要は無く、基本的にセンター試験では教科書にある有名作品はめったに出ない(ごくたまに出る)。

なお、理系志望で国立志望だと、2次試験には漢文が出ない場合も多い。だが、現代文や古文の出題作品中に、漢文の話題をあつかった作品が出題される場合もありうるので、いちおう『古文B』の漢文も要点だけは勉強しておこう。高校の『現代文B』でも、『山月記』などのように漢文を題材にした近代文学作品もある。

さて、塾や予備校の国語講師のなかには、低能な講師だと、文系出身の自分を正当化しようとしてか、理系学生にも、文系志望の学生と同じようにセンター範囲外の広範な内容を暗記させたり、文法問題や品詞分解などの練習を大量にさせたりするような、低能な国語講師も、まぎれている場合がある。なので、理系学生は注意が必要である。

あまりに塾・予備校の国語講師が低能な場合、保護者に相談して、塾・予備校を変更しよう。(払ってしまった授業料・入学金の問題もあるが・・・)

現代文の読解には他教科の学力も必要[編集]

現代文の教科書では、紹介されている文章中に、入試で覚えるべき範囲を越えた哲学用語や芸術用語などが、評論の都合上、出る事もある。

それらの用語は、もし余裕があり覚えられそうなら覚えればよいが、しかし、そのような範囲外の用語が膨大な量であるので、紹介された用語すべてを覚えきったり、辞書などで用語の意味を調べたりするのは非現実的であるし、他教科の勉強時間を減らしてしまう。

どの用語が、入試で要求されないか、または、入試で要求されるのかは、教科書だけでは、高校生には分かりづらいので、対策が必要である。

では、どうすべきかというと、国語教科書ばかりを勉強するのではなく、参考書でも勉強したり、教科書ガイドを参考にしたり、漢字ドリルをきちんと練習したりする必要がある。また、理科や地歴公民や数学など、他教科の勉強もする必要がある。

教科書にある、文明評論をした作品だと、数学で習う用語や物理で習う用語などの理系の用語も、当然のごとく登場する場合もある。なので、けっして、「数学や物理は、国語には不要」などと勘違いしないように。

語彙を増やす学習には、他教科の資料集を読むのも効果的だろう。例えば「公民」科目(政治経済)や「地理」科目など地歴公民教科の資料集が、話題が豊富であり、語彙(ごい)をふやすのに効果的だろう。

また、明治大正の近代文学を読む場合に、日本史や世界史など歴史の知識が役立つ場合もある。


古文・漢文編[編集]

受験勉強では、得点力の決め手になる知識を重点的に増やさなければいけないのである。まちがって、バランスよく勉強するのは、受験勉強では愚策なのだ。

口語訳・書き下し文の内容を覚える必要がある[編集]

まずは、標準的な参考書(たとえば文英堂『シグマベスト理解しやすい古文』とか学研『よくわかる古文+漢文』など)で、紹介された主要作品の口語訳を覚えるのが先だ。その後は、単語集で、一通り古典単語を勉強する。古語辞典は、それでも分からないときや、もっと深く知りたいときに、使おう。

出版社ごとに口語訳は違う。古典単語一個ごとに口語の言い回しがいくつもあり、そのような単語が文中に無数にあるので、口語訳も参考書ごとに違う。参考書によっては、細かな解釈も違う。標準的な参考書で解説している解釈は、たとえ出版社ごとに解釈に違いがあっても、どちらの解釈とも、よくある解釈だから、学んでおこう。

したがって、口語訳を一字一句そのまま覚えても無駄だ。もし、参考書のどの記述を覚えれば良いか分からないうちは、参考書を2社ぶん、たとえば文英堂と学研の参考書の両社ぶんともそれぞれ買っておいて、それぞれ各社の口語訳を読む比べても良いかもしれない。さらに教科書ガイドを1社分買っておいて読み比べると、より良いだろう。

必ずしも同じ作品の同じ箇所を各社の参考書で同様に解説してるとは限らないが、有名作品はだいたい、標準的な参考書では扱っている。さらに、こうして読み比べると有名作品の解説を2回読むことになるので、復習にもなり、一石二鳥となる。

古文中での単語の意味の判断は、最終的には文脈の中で判断するしかない。

基本的な単語「をかし」ですら、いくつもの意味がある。有名作の場合、古文中に いくつもある多くの単語を、それぞれ一単語を読むたびに、いちいち、ひとつずつ意味の判別をしていたら、もはやテスト時間が足りなくなる。なので有名作については、古文の口語訳を一部でも覚えておけば、古文の例文の暗記にもつながり、文法や単語も覚えやすくなる。参考書を読むと、主要作品の口語訳が書いてあるので、その口語訳を一通り読んでおこう。

漢文の場合も、あらかじめ参考書で書き下し文を詠んでおくと良い。

塾などだと、文法を中心に練習させたがるかもしれない。練習をさせやすいし、テストでも確認しやすいからだろう。もちろん、文法の練習も必要だし、入試にも文法問題は出る。しかし、受験生は国語の文法練習にばかり時間をかけるわけにはいかないのである。

だから、時間の掛かる「文法の分析しながらの読解」(いわゆる品詞分解)ばかりをしてはいけない。もちろん、その文法分析をしながらの読解の練習も受験勉強には、手段として必要である。学校では、品詞分解を習ってない学生も多いだろうから、塾などが文法中心の読解を教えたがる道理も分かるし、社会的需要もあるだろう。しかし、あくまで文法は手段である。けっして目的と手段を混同してはならない。

最終的な目的の「入試の古文漢文の問題を解く」に近づくには、古典文法や漢文句法の練習はそこそこにして、本文全体の内容をとらえる練習を積み重ねて、何となくでもいいから大まかな文章の意味が短時間でつかめるようになることを目指すといいだろう。そのために、口語訳や通釈を利用した文章読解をするのだ。

口語訳を読むことは、けっして邪道ではない。たとえば社会科で日本史の勉強をするときに、いちいち史料集などで古文書の原文ばかりに当たらずに、まず先に現代人の書いた解説書である教科書や参考書を読むことがあるだろう。史料集は、補助教材などとして、教科書を読んだあとから補助的に使うだろう。それと同様だ。

古語辞典ばかりを使ってはならない。[編集]

古語辞典ばかりを引いていると時間が膨大に掛かる。だから、まずは参考書を中心に、口語訳などを活用して勉強しておこう。

漢和辞典や国語辞典なども同様に、あまり使用する必要は無い。


歌舞伎や落語などは出題されないのが普通[編集]

タイトルのとおり、落語らくご歌舞伎かぶき浄瑠璃じょうるりなど、古典芸能の細かな内容は入試には出ない。

中国の古典演劇の「京劇きょうげき」も、入試には出ない。

これらの芸能は鑑賞にもお金が掛かり、映像・写真などの著作権の問題、さらに文法や単語の問題から、入試には出題しずらいのだろう。

仮に、それらの古典芸能の分野から入試に出題したとしても、せいぜい出るのは、日本史などの社会科など他教科の教科書にも書いてあるような知識だろう。入試に出題されうる事項は、高校生用「国語便覧」などの副教材の資料集にも書いてあるような内容くらいであろう。その国語便覧の内容すらも、ほとんど入試には出ない。受験参考書に書いていない話題は、そもそも、あまり入試に出ないのだから。

したがって、教科書レベル以上の受験勉強したい場合は、参考書を買う必要がある。資料集(「国語便覧」)を読んでも、あまり、受験の得点力は上がらない。

古典芸能が入試に出ないことを擁護すると、芸能の鑑賞などは、耳を重視する。しかし、「識字率しきじりつ」という言葉があるように、「聞く」よりも「読み書き」のほうが難しい。

高校の古典の教育目的には、鑑賞だけでなく、社会科で古文書や法律文書などで用いられる古風な表現も理解できるようにするという目的もある。実際、文学部の国文学専攻や日本史専攻では、生の古文書に当たるのが普通である。法学部では、明治から戦前の法律が、漢文を元にした文体(漢文訓読体)となっているため、そういった文体に慣れておく必要がある。そうしたことから、多くの大学の入試国語では、読み書きの能力を重視せざるを得ないのかもしれない。


高校古文および、その入試問題について[編集]

  • 入試では、教科書に載っていない古文からも出題されるのが普通。

入試の公平性を保つという点からも、初見の文章の大意をつかめるのかを判定するという点からも教科書にはない文章が出るのが普通である。確かに教科書にも載っているような文章が出る場合もあるが、その場合は一ひねりして、かえって難しい問題になり、口語訳を暗記しただけでは太刀打ちできないモノに化けていると思った方が良い。したがって、単にストーリを覚えるだけでは全く不十分である。とはいえ、教科書などで紹介される内容が前提の知識になっている(あるいはそれがあると有利な)入試問題の場合もある。だから、参考書などで、あらかじめ主要作品の主要な章の内容を確認しておくと何かと便利だろう。 当然、すべてを読みきるのは不可能なので、有名作品から優先して読む必要があるが、まずは標準的な参考書に書いてある作品から古文の口語訳を一通り読めばよい。

  • 古文は、本ごとに漢字や句読点が違う。

なぜなら原著の仮名遣い(漢字の字体、または、何を平仮名にして何を漢字にするか等)が、現代の仮名遣いと大きく違っていたりなどしているので、そのままでは現代の生徒には読みづらい。そのせいで、仮名遣いを変えているのである。また、古典どうしですら、版(はん)によって仮名遣いが微妙に違っている場合もある。したがって、教科書や参考書ごとにも仮名遣いが違っている場合も多い。句読点も、原著には無く、現代の出版社が、学生の便宜のために句読点を付けたものだ。したがって、句読点などの位置を一字一句覚えても無駄である。

漢文でも同様に、本ごとに書き下し文が違っている場合があるので、書き下し文の一字一句を覚えても無駄である。

古文漢文の参考書など[編集]

まずは標準的な参考書(たとえば文英堂『シグマベスト理解しやすい古文』とか学研『よくわかる古文+漢文』)など、標準的な参考書を入手するのが良いだろう。これらの標準的な古文漢文参考書にも、口語訳や文法事項などが書いてある。

また、単語集なども入手しておこう。

このほかに、たとえば三省堂「新明解 古典シリーズ」などの有名作別に巻ごとに古典作品の口語訳などを解説したシリーズ本があるので、必要ならば、買って口語訳から先に読む。もし書店になければ、注文するなどすればよい。

たとえば高校生用の古典解説集の参考書として、

三省堂の「新明解 古典シリーズ」
日栄社の「要説シリーズ」

などの、古典の口語訳つきの参考書がある。

ただし時間的に「新明解 古典シリーズ」「要説シリーズ」すべてを読みきるのは難しいだろうし、その必要も無いだろう。文学部の国文科志望などなら、読んでおいても良いかもしれない。とはいえ、まずは標準の参考書(文英堂シグマベストなど)を読むのが先である。

教科書に書いてあって、一般の参考書に口語訳の書いてない古典作品について調べる場合は、現実的には教科書ガイドなどを買って口語訳を調べることになるだろう。古語辞典を使ってしらべるのは、時間的にも難しいし、仮に辞書を引きながら翻訳したところで、その翻訳が正しいかどうかを書籍などで確認する必要がある。学校の宿題などで教科書作品の現代語訳をする場合もありえるので古文・漢文については教科書ガイドを買っておくと便利かもしれない。一般の書店では、なかなか古典作品の解説書は売っていない。ましてや、標準レベルの参考書では解説の書いてない古典作品となると、なかなか簡単には解説書を入手できない。学生にとっては、教科書ガイドの利用が現実的な解決策だろう。

国語の古文漢文の作品の特徴[編集]

国語の作品には、以下のような特徴があります。そのままでは入試には出ませんが、裏を返せば、「何が入試に出ないのか?」を知ることができます。また、小論文を書くときに、参考になるかもしれません。

ヨーロッパ・中東・南米などの古典は出ない。[編集]

高校の「古文・漢文」で出るのは、日本の古文と、中国・日本の漢文のみで、それ以外の国の古典は出ない。(日中と共通する文化を持つ)朝鮮半島やベトナムなどで書かれた漢文も、出ないのである。

シェークスピアなどのように、たとえ国際的な知名度が高いヨーロッパ古典作品であっても、日本・中国でない国の古典は日本の大学入試国語には出ない。ただし、森鴎外の訳した『ファウスト』のように漢文訓読体や文語体で訳された文章の場合、「現代文」の一環として扱う可能性はないわけではない。

入試の古文・漢文は、あまり分析的ではない。[編集]

このように、国語は口語訳や単語などを暗記する暗記科目であり、あまり分析的な科目ではない。現代文以外は、分析しながら読むするよりも、さっさと古典の訳や解釈を覚えたほうが早い。むしろ、そうしないと入試のテスト範囲を学び終わらない。

文法の分析をさせるような問題が、古典(古文・漢文)の分野の出題で出題されるのも事実である。実際、センター試験では一問は必ず、文法問題である。だからといって、そこにこだわりすぎるのも危険である。問題の半分以上は内容読解なのだから。文法ばかりを機械的にやるのではなく、本文を読んだり、通釈や口語訳を見たりしながらでないと、意外に文法も身につかないのである。

国語教育の教育目標などで言われそうな「文章の理解力を養う」という考えは、けっして、学習の手段ではない。理解力を養うためには、暗記をしなければならない。しかも、テストに出ることを優先的に暗記して、テストに出ないことの暗記は後回しにする必要がある。

たとえば漢文の分析なんて、せいぜい文法とか語法とか、代名詞の内容とか(例:文中の「之」(これ)とは誰のことか? など)、とても形式的で機械的なものだけだ。代名詞の内容は、ストーリーをつかめば、解けてしまう。

漢文は、日本語であり、中国語ではない[編集]

漢文は、日本語の古文に翻訳された文学なので、日本語なのだ。 たとえば小学校で習った『大きな株』はロシアの民話だが、日本の小学校では翻訳されて、日本語で習う。漢文も同様である。漢文の書き下し文は、日本語の古文なのだ。

漢文は中国語ではない。漢文作品の多くの原典が、中国語というだけなのだ。しかも、古代・中世の中国語は、現代の中国語とは文法も語彙も違うので、あまり現代中国語は漢文の参考にならない。

古代中国語の「主語+動詞+目的語」の語順が、英語の語順と似ているので、ついつい英文法を漢文の参考にしたくなりそうだが、しかし英語と古代中国語では、まったく性質が異なるので、あまりあてにしすぎないようにしたい。

漢文の教育目的は、それを通して、日本語の漢字や古文や、日本語にも定着した古代中国などの故事成語を教育するのが、主な目的である。 また、漢字の教育を通して、熟語の教育をしたりするのも、漢文の目的の一つである。

なお、現代中国語とは、漢文の時代の文法は、かなり文法が違うので、現代中国語を覚えても無駄である。


史実ではない[編集]

歴史物語ですら、作者の創作も含まれている。だが、国文学は、べつに歴史学ではないので、創作の文章であっても、興味を持って読解します。漢文も同様で、たとえば『史記』はタイトルとは異なり、作者の想像も含まれている。史記については、歴史というよりも、昔の出来事についての言い伝えというのが実態だろう。

かといって、歴史をあつかった作品の中には、あまりにも史実と掛け離れているものもあり、たとえば『太平記』(たいへいき)は、史実とはかなり違うと指摘されている。そのため、『太平記』は、めったに入試には出ないだろう。仮に出題されたとしても、普通に参考書などを読んでおけば対応できる出題のはずなので、自分でわざわざ他の文献で調べる必要はない。

自然科学などを扱った古典作品には、間違いも多いので、入試に出ない[編集]

理科系の東洋古典の科学書・技術書の場合、現代の科学技術から見れば、間違った内容も書いてあることも多く、なので入試で科学技術書の古典などが出題されることは、まず無いだろう。

なお、西洋でも同様に、古典の科学書・技術書が、現代の科学技術から見れば、間違った内容も書いてあることも多いので、入試対策としては、西洋古典の科学書は一切、読む必要がない(現代文対策としても、理科・数学の対策としても、東西の古典は不要である)。

なお、社会評論の古典も、ほぼ同様である。古代・中世の学者が、政治や経済などの社会科学を評論した古文・漢文なども、現代の視点から見ると読むにたえない時代遅れのものが多かったり、現代社会には合わない内容だったりする。

なので、一般的な参考書・教科書で紹介されるような漢文作品であつかわれている政治評論以外は、あまり入試には出ないだろう。

このため、学生は、参考書を中心に勉強するのが、合理的である。

なお、明治・大正の近代の政治評論・経済評論などでも同様に、現代では間違いのため入試に出づらい作品がある。

なので高校生は、近代の評論文については、一般的な参考書・教科書で紹介されるような評論のみを読めば充分である。入試に出る可能性のある近代評論は、例えば、夏目漱石などの政治評論がよく教科書・参考書で取り上げられるで、参考書や教科書ガイドなどで、それらの作品の解説を読んでおけば充分である。


道徳教育などを兼ねている[編集]

国語教育は、道徳教育や情操(じょうそう)教育などを兼ねているため、第二次大戦後の日本の価値観に合わない作品は、たとえ古典的だろうが、歴史への影響力があっても、国語教科書では扱われないし、入試にも出題されない。

具体的に言うと、漢文「孫子の兵法」などの軍事学の古典ですら、めったに入試には出題されないだろう。

また、漢文でも紹介される韓非子(かんびし)は、教科書や参考書でも作品が紹介されるので、それらは覚える必要があるが、しかし男女関係について韓非子は、「子供は、母親の言うことよりも、父親の言うことを聞く」と指摘しているのだが、しかし、現代日本の男女平等思想において、そのような指摘は不都合なので、学校のテストや、入試などかでは、この、韓非子による、子と父母の関係についての指摘は、出題されないだろう。

現代文編[編集]

現代文の範囲[編集]

高校国語の現代文で扱うのは明治以降の文章である。

この「明治以降」というのが曲者で、一見古文にしか見えない文章もあるのだ。こういう文章を擬古文というが、これも現代文の範囲に含まれる点に気をつけたい。実際、樋口一葉の『たけくらべ』や森鴎外の『舞姫』などが検定教科書に掲載されている。そして、ごく少数とはいえ、擬古文が入試に出ることもある。

一方、現代や近代の英文学・ドイツ文学などの外国文学はまず出ない。つまり、シェークスピアも、ゲーテも、トルストイもドフトエフスキーも、ヘミングウェーも、・・・(以下略)、基本的には高校国語にも大学入試にも出ない。また、著作権の国際的な関係もあって、現代の外国作品を教科書や入試で扱うのは難しいだろう。

ただし、文学史などでは問われる可能性もある。特に私立大学では一般常識を問うような感覚で出る場合もある。しかし、現状では、高校の教科書では翻訳ですら本文を扱わないことから、基本的に入試にはあまり出ない。


センター試験の現代文の出題には、教科書にある有名作品は、めったに出ないです。

もし、夏目漱石や森鴎外などの作品がセンターに出ることはあっても(実際に、ときどき出る)、たいてい、教科書には無い(漱石・鴎外などの)マイナー作品からです。

よく受験対策で、「漱石などの近代文学を読んでおけ」とか言われるが、しかしセンター試験に関するかぎり、あまりその必要は無い。古文漢文を勉強したり、普通に現代文の参考書を読んだりしたほうが良い。

標準的な参考書を読もう[編集]

国語の現代文の勉強というと、ついつい森鴎外とか夏目漱石の作品など、とにかく近代小説などをやみくもに読もうとしがちだ。あるいは多くの問題演習をしがちだ。しかし、高校生は、まずは参考書を読もう。読む参考書は、標準的な参考書でじゅうぶんであり、たとえば文英堂とか学研などから出版されている標準的な参考書で良い。

参考書以外の読書は、必要に応じて、近代小説とか、学校の課題図書や推薦図書などを読んでおこう。

近代以降(近代も ふくむ)の小説は量が膨大すぎるため、入試対策として近代小説の全部を読みきるのは不可能だ。そもそも必ずしも近代から入試の現代文が出題されるとは限らず、第二次大戦後の評論などからも現代文が出題される場合もある。

じつは、漱石や鴎外など明治・大正・戦前昭和などの近代文学の作品は、センター試験では、あまり出題されない(ときどき出る)。学校教科書では、漱石や鴎外などの近代の作家も、戦後の作家も、ともに紹介するが、しかしセンター試験では、近代は必須ではなく、漱石も鴎外もセンターに必須でなく、近代文学が出題されない年度もある。 そういう近代の作家の作品よりも、第二次大戦後の作家・評論家の作品のほうが多い。

つまり、イヤな可能性だが、もし受験生が夏目漱石をまったく知らなくてもセンター国語を突破できてしまう可能性がありうる。日本の大学入試とは、こういうものである。


悪問・難問も一定の出現頻度で入試に出るので、完全対策はあきらめる[編集]

入試の課題文には、国語の教師とかですら、解釈に分かれるような文章であっても、入試に出てしまうという、いわゆる「悪問」「難問」が入試に出る場合も、ときどきある。だから、もし現代文に完全対策をしようとすると、「悪問」「難問」に足を引っ張られることになる。現代文は、所詮、5教科のうちの1教科のうちの、さらに1単元に過ぎない。悪問対策に時間を割くよりも、古文・漢文などのように時間を割けば確実に得点力が上がる単元を中心に勉強しよう。

漢字[編集]

筆記試験の場合、誤字脱字などは減点の対象になるので、漢字の勉強も必要だ。

漢字の問題は、筆記式の試験では、ほぼ必ず国語の入試に出題されるが、しかし、漢字問題そのものの配点割合は、あまり多くの数は出題されてないのが普通だ。漢字問題よりも読解問題などのほうが出題の比重が大きい。また、センター試験などマーク式テストの場合、そもそも漢字の書き取り問題などが原理的に出題できない。

とはいえ、私大入試や国立二次試験では筆記試験での誤字の減点もあるので、高校で習う漢字について、一通り書き取り練習しておこう。特に注意すべきこととして、難関大では、国語教科以外でも(特に地歴公民などの文系教科では)、誤字脱字は減点になる[1]。なので、入試で筆記試験を受験する多くの受験生は、漢字の書き取り練習も必要だ。

漢字の練習方法については、基本的には書き取り練習が重要だ。普通、漢字を書ければ、その漢字を読める。

また、近年では、難関大の入試でも漢字の問題が難易度が やさしめ になっている場合が多い[2]と言われるので、その場合は、受験勉強をしておけば得点源にもなる。

上記の話をまとめると、古文漢文を捨ててまで漢字ばかりを練習する必要は無いが、だからといって得点源にもなる漢字をわざわざ捨てる必要も無いという、考えてみれば当たり前の結論になる。なので受験生は、漢字も勉強しておこう。


近代小説よりも、それを扱った教科書ガイドと参考書を読むべき[編集]

夏目漱石(なつめ そうせき)や太宰治(だざい おさむ)などの作品など、明治〜昭和の小説が、検定教科書で紹介されます。

ついつい、原作の小説を読んでみたくなるかもしれませんが、しかし、高校生には時間的に無理です。あと、センター試験に漱石や太宰など、有名な文学作家の作品は、あまり出ないです。(国の検定した教科書で紹介してる作家のくせに、日本国はセンター試験にその作家の作品を出さない。)

昭和の受験生はどうか知りませんが、21世紀の現在は、勉強しなければならない科目も増えているので、いちいち長い小説を読んでられません。

そこで、「現代文B」科目の教科書ガイドと参考書を読んでしまいましょう。


また、大学でも、このような勉強法は必要になります。

歴史学などで、ある文献(仮に文献「A」とする)について研究する場合、その文献そのものに当たるよりも、まず先に、その文献を簡略に解説した別の文献をさがし、そのような文献のうち、信用に値する文献(仮に文献「B」とする)で調べる必要があります。こういう、文献Aを研究するための(信用に値する)文献Bのことを「二次資料」(にじ しりょう)といいます。

いっぽう、歴史学などで、最終的な研究対象の文献Aのことを「一次資料」といいます。

われわれは、この「一次資料」「二次資料」の考えを、国語の学習にも応用しましょう。

教科書ガイドや参考書は、教科書で紹介された名作を分析した「二次資料」として活用できます。

学生が歴史を勉強するとき、いきなり古文書を研究するのではなく、まずは教科書を読みますが、古文書が一次資料に相当し、教科書は二次資料に当たります。

いきなり一次資料の古文書にあたって勉強しても、学生は、何も解読できず、なにも歴史を理解できません。そもそも古文書の現物やコピーの書体が、楷書(かいしょ)とは限らず、くずし字 だったりする場合もあるので、もしも原文をいきなり見ても文字じたいが読めない場合などもあります。

なので、まずは二次資料を読むわけです。


国語の勉強も似ていて、いきなり一次資料の文学作品に当たって読解しようとしても、辞書を何百回も引くハメになってしまうので、学習が非効率です。

「国語」科目の検定教科書にあるのは、文学における一次資料です。最終的な研究対象ではありますが、それを直接研究するのは非効率です。

なので、まずは教科書ガイドや参考書を使って、われわれのいう「二次資料」の活用をして、勉強しましょう。

なお、もし研究などのために一次資料を調べようとする場合には、まず事前に二次資料を調べておき、そのあとに一次資料を調べるわけですが、しかし高校生には一次資料を調べるだけの時間が足りないので、一次資料に深入りしなくても、かまいません。

さて、「国語」学習では、(われわれの言う)「一次資料」にあたる(検定教科書で紹介された)文芸作品そのものが比喩的・主観的な表現が多いせいで、読解などに時間が掛かってしまう一方で、二次資料に当たる参考書や教科書ガイドでは客観的・分析的な解説が多いので、高校生が勉強しやすいので、参考書や教科書ガイドを読むのがオススメです。

文芸作品は、もともと娯楽用や暇つぶし用に作られていることもあり、高校生の学習用には作られていません。

なので、検定教科書で紹介された、原作の文芸作品の言い回しも、高校生の学習用には作られていません。

そもそも「国語」の教育とは、この参考書や教科書ガイドのような文章を読み書きできるようになることが、本来の国語教育です。


読解について: 「現代文」分野は思想教育を兼ねている[編集]

古文漢文が、(教育制度にとって好都合な)道徳教育を兼ねているのと同様に、現代文も、そのような思想を生徒に植え込む教育を兼ねている。

具体的に言うと、たとえば、現代文の小説で、金持ち(社長など)と貧乏人が出てきたら、たいてい、その貧乏人は正義であり勤勉だという設定である。

いっぽう、金持ちは、たいてい、ずるがしこい等の設定である。

なぜなら、もし、この逆の設定(金持ちが勤勉なのに、貧乏人がズルがしこい等の設定)の作品を教科書で紹介したり、入試で出題すると、マスメディアなどから教科書会社や大学が、「差別的な出題だ!」として批判されるからである。

なので、受験生としては、もし小説中に金持ちと貧乏人が出題したら、文章を読解しなくても、ある程度は内容を予想できる。

同様の例は他にもあり、たとえば同年代の男女が作品中に登場していれば、少なくとも、男女の能力を比較した場合に、女側の能力がとても低いという設定は、国語では、まずない。

なぜなら、戦後民主主義の男女同権・男女平等の思想により、そのような設定の作品は不都合であるし、もし教科書や入試で紹介したりしたら、マスメディアなどから教科書会社や大学が批判されるからである。

ただし、同年代でない男女なら、たとえば男教師と女子生徒、あるいは父親と娘などのように、男側のほうが能力が高いのが当然という設定もある。


入試においては、裏を返すと、課題文を読み込まなくても、このような社会的事情により、ある程度、課題文の内容を予想できるので、読解が素早くなる。


また、芸術評論においては、当然のごとく、「芸術を評論することって、素晴らしい!!」という思想教育が前提になっている。なので、入試などで芸術評論の読解の選択問題において、選択肢に迷ったら、たいていは、芸術を褒めたたえるような選択肢を選んでおけば、正解の場合が多い。

さらに突っ込んだ説明をすると、検定教科書の芸術評論の場合、けっして「絵を描いたり、彫刻(ちょうこく)を作ったりなどの、芸術活動そのものが素晴らしい!」と言ってるのではなく、「芸術を評論するために文学や歴史などの評論を執筆(しっぴつ)する学者や芸術評論家って素晴らしい!!」という思想教育が前提になっている。

なぜなら、絵を描くことそのものを褒めると(ほめると)、そもそも絵は文章表現ではないので、国語の読解問題としては出題できないからである。

また、入試の出題者の大学教員が、「絵描き」の職業ではなく(論文などの)「文章書き」の職業だからである。


その他、戦争をあつかった作品については、「戦争は悲惨である」「できれば、戦争をしないのが望ましい」などの平和主義の情操教育のような選択肢が、たいてい正解である。具体的にどうすれば戦争を回避できるかの政策については、高度に政治的な案件なため、高校国語の作品では考慮されない。

大学入試ではないが、ある私立高校の入試の英語科目で、沖縄戦について語る「ひめゆりの塔」の かたり部(かたりべ) の話が、退屈であり実効性がないと批判した意見もある、という内容の英文が出題された事がある。その直後、マスメディアや平和主義団体などから、出題した高校が批判された。また、テレビや新聞などのメディアでは、評論家たちによって論争になった。

今後の平和への、具体的な政策や対策などの話になると、このような論争になりかねない。そして、大学も高校も、そのような論争に学生を巻き込ませるわけにも行かないので、なので、戦争と平和について扱われる文章は、たいてい、文学的な情操教育のようになる。


さて、科学評論や文明評論などなら、「科学は万能ではない」「公害などの失敗を、われわれは繰り返してはならない」などの思想が、前提になっている。なので、「多少の公害はやむを得ない」などの意見のある作品は、そもそも出題されないだろう。


なお、「倫理」科目も、上述の例のような、思想教育を前提にしているので、倫理科目を読んで、現代の高校教育で受け入れられている思想を把握しておくと、国語の「現代文」分野での読解の際に、手間が省ける。

裏を返すと、「政治経済」の教科書・参考書などでは、平和主義や平等主義の理想論どおりに行かない現実についても紹介する場合もあるが、しかし国語では、そのような理想論とはズレた考えは、国語の入試では、誤答になる場合が多い。


このように、日本の国語「現代文」科目の教育には欠陥があり、たとえば(教育制度に好都合な)思想に洗脳(せんのう)されただけの人が、読解力を習得しないままでも、選択問題では思想どおりの解答をするだけで、「現代文」科目の試験の選択問題の答えを、ある程度は予想できてしまうという欠陥が、日本の「現代文」教育には存在している。

つまり、国語教育は、道徳教育と文章読解の区別すらつかない低レベルな学生を、対象にしており、特に教科書で、その傾向が強い。

あるいは、逆に、優秀すぎる学生で、理想論と現実の違いを、いちいち説明しなくても、瞬時に見抜けてしまい、「国語」や「倫理」科目では理想論を解答する一方で「政治経済」科目などでは現実論を答えられるような学生で、このように頭の切り替えの速い学生で、とても優秀で高レベルすぎる学生も、国語の教科書は対象にしている。

かわりに、大多数の一般の高校生は、国語は、教科書では勉強にならない。なので、大多数の一般の高校生は、参考書を中心に、勉強する必要がある。

ただし、古文漢文では、このような現代の学校教育の思想(平和主義など)にもとづいた解答は、通用しないので、注意が必要である。

古文漢文では、時代によって、「古代や中世では、ある程度の戦争は仕方なかった」などの思想が前提になっている作品もある。そもそも、『平家物語』などは、そのような思想が前提にないと、入試に出題できない。

また、貴族と庶民の階級格差も同様で、そもそも貴族と庶民の格差を当然とする時代背景の知識が前提にないと、『竹取物語』も『源氏物語』も、まったく読解できない。


なお、以上の現代文の思想教育のような実情が、いわゆる「悪問」(あくもん)の発生原因のひとつ でもある。

つまり、入試などで、課題文を文章を文字どおりに解釈した内容が、現代の学校で習う道徳・思想と違う場合に、

皮肉(ひにく)として、本音では、文字通りの主張とは逆のことを言ってるのか? (文字通りの文章とは逆の内容が、道徳・思想に一致するので。) つまり、皮肉や隠喩(いんゆ)などを読解できる能力を試しているのか?
それとも、文字通りに読解できるかどうかを試しているのか? (世間常識などの)先入観にとらわれずに、文章だけから客観的に判断する能力を試しているのか?

などのように、判断が分かれるのである。予備校講師ですら、判断に迷う場合がある。

高校の国語の現代文には、このような欠陥が存在する。

なので、あまり現代文の学習には、時間を掛けるべきではない。だから、入試では、なるべく古文・漢文で得点をかせごう。

熟語は古文漢文も[編集]

熟語の中には、日本古文や漢文などの古典に出典のある単語も多い。古典に出典のある単語を覚えるさい、どうせ覚えるなら、古文漢文のストーリーごと覚えてもいいだろう。

そのため、古文漢文の参考書も必要だ。

国語の完全対策をあきらめる[編集]

国語の出題範囲は無数にあるので、けっして、完全に対策してはいけない。もし仮に、完全対策しようとすると、他の教科の学習時間を奪ってしまうので、そもそも完全対策は不可能だ。よく「国語は学問の基礎」などと言われるが、国語ばかりを勉強してしまっては、他教科の勉強時間が不足してしまう。こうならないように注意したい。国文科の志望であったとしても、あまり国語ばかりに時間を掛けず、他教科もバランスよく勉強しなければならない。国語の勉強では、どこかで国語科目の勉強を切り上げて、他の教科の勉強に移ることも大事だ。

また、私立理系では、そもそも国語科目が入試に出ないのが普通だ。


「国語」教科書の実態は、国語教育ではなく文学教育[編集]

なぜ、教科書よりも参考書が役立つかというと、高校「国語」の実態は、授業も入試も、国語教育ではなく文学教育だからである。このため、「国語」教育の建て前にしたがった教育と、入試実態の文学的な教育とがズレてしまう。

古文漢文の読解や語法問題、近代文学史および近代文学作品などの、文学的な知識は、受験生を落とすための入試用の試験問題をつくりやすいし、大学側も採点しやすい。

いっぽう、就職してから必要になるような、レポートをまとめたり、書類の内容を整理したり、多くの人が読解しやすいような簡明な文章を書くような能力は、残念ながら、入試用の試験問題をつくりづらく、大学側も採点しづらい。

事実、日本の20世紀の大学入試において、古文漢文や近代文学が重視される一方、実用的な文章作成を意図したような入試に関する話題は、聞いた覚えがない。

残念ながら、教科書や文部省の指導要領は、入試や、過去の文学偏重の教育に翻弄(ほんろう)されてしまっており、就職後の実用性ですら教科書は参考書に劣る。参考書のほうが、実用的である。

高校教育では一応、実用的な漢字、頻出の四字熟語、コトワザ、故事成語なども教えたりするが、残念ながら入試では、その出題比率は小さい。

そして、そのような説明すらも、教科書よりも参考書のほうが、要点がまとまっている。

教科書の説明手法が、もはや古くさいのである。

教科書では、なぜ、いちいち文学作品を読んでからでないと、世間で頻出の四字熟語や慣用句すら勉強できないように、教科書は作ってあるのだろうか? 無駄な手間である。

だから、参考書のほうが良い。

さて、そのように実用的な国語知識の説明のまとまった参考書でも、その参考書の巻末で、同音異義語などの漢字の一覧や、熟語やコトワザの一覧などは、後回しに説明されてる事が多い。このように、実用的な国語知識は、教育の時期が後回しになっている場合が多い。

このように、高校「国語」教育の建て前と、実態とがズレているので、教科書だけでは、残念ながら無力である。教科書だけでは、ほぼ受験 勉強できない。

なお、入試対策としては、実用的な国語能力とは、やや逆方向の勉強をする必要がある。参考書を基本手段として、入試対策をする必要がある。

受験対策では受験国語ばかりを勉強すべし[編集]

高校や大学受験の国語教育では、「教育改革」などとして、小論文を重視するかのような主張がある。「受験では今後、断片的な知識を見るだけでなく、知識を組み立てられる能力があるかどうかを見るため、小論文を課すべきでは?」という改革意見だ。

だが、残念ながら、2017年現在、小論文は多くの大学の一般入試には出ない。

せっかくアナタが頑張って、小論文を書けるように、いろんな勉強をしたところで、大学はまったく評価をしてくれないし、大学入学後も評価を受ける機会がない。

そして大学だけでなく、大企業もまた同様に、小論文の評価をしない。

なぜなら、大企業には既に、国語については受験国語だけを勉強してきた人が選抜されて入社してるからだ(そもそも就活では国語試験を行わないのが通常だが、そういう企業もまた学歴で採用を判断しており、そして日本の大学入試の国語の出題では、小論試験とかをしてこなかったので、結局、小論の能力などは評価されない)。

そのため、受験参考書に書いてあることばかりを勉強したほうが安全だろう。むしろ、受験参考書以外の勉強をするのは、たいへん不利であり、とても危険でもある。

被害妄想ではなく、既に90年代に高校生だった当時の若者たちが、口先だけの「国語教育改革」にダマサれてきた。90年代当時、「教育改革」などと政治家たちは主張してきて、国語教育では「総合的な国語教育を目指す」とか「活用能力を高めることを目指す」とか言っておきながら、実際に入試で出題されてきたのは、従来どおりの、古文や漢文を中心としてきた、断片的なクイズ的で伝統的な国語問題ばかりだった。結局、今まで通りに受験国語を勉強してきた人たちに有利に働いている。

国語便覧とかに書いてある最近の漫画の紹介とかの勉強は不要[編集]

数研出版クリアカラー国語便覧に有名マンガの一覧が書いてある。 いっぽう、数研出版プレミアムカラー国語便覧には有名マンガの話題は無い。

出ない理由の分析[編集]

数年前の国語便覧には、最近の人気マンガの紹介が書かれていた。今のところ、これらは入試には出ないだろう。

すでに1990年代から、当時の国語便覧では、アニメ風のファンタジー小説(日本人の作家の手によるもの)などが流行っていることが紹介されていたが、それですら結局、入試には出題されなかった。この1990年代の若者向け人気作の紹介は、その後の2000〜2010年代の「ライトノベル」ブームを予想できたわけであったが、しかし、とにかく大学入試には出なかった。

また、西暦2005年頃から公民科目の検定教科書などでも「日本のマンガやアニメが、アジアの若者に人気」などと社会現象を教科書で説明していたりするが、いっこうに大学入試には、そのマンガやアニメの知識を問う出題は出てないのが、大学入試の事実である。

なお、私立中学入試では、ひょっとしたら『サザエさん』や『ドラえもん』などの知名度の高いマンガ作品について、常識問題としての出題があるかもしれない。

しかし大学受験では、まず出題されないだろう。国語科目は世間常識を問う科目ではないし、仮に世間常識を問うにしても、人気マンガや人気アニメだけが世間常識ではない。

また、著作権などの法的問題や、価格などの経済的問題などにより、マンガやアニメなどは参考書などの教材にしづらいという理由もあるだろう。

ただし、評論文などで、最近の若者文化について評論をした作品が出題される場合があり、その際に評論文中で、特定のマンガ作品やアニメ作品などについて言及される可能性はある。

ただし、そのような出題の予想される志望校でも、わざわざ国語便覧で紹介されている作品を読みに行く必要はない。

なぜなら、『サザエさん』ですら、世間の大人のうち、原作ストーリーを完璧に把握して暗記している大人なんて、マニア以外には居ない。

『サザエさん』や『ドラえもん』ですら、こうなのだから、ましてや最近の人気マンガ・人気アニメ・人気ゲームは、ストーリー内容を把握する必要はないし、ましてや、何も暗記する必要がない。

なお、世の中には身体障害者などがおり、耳が不自由なため音が聞こえない、目が不自由なため色が見えない、・・・などの症状の病人がいる。このため、音声や色に頼っているアニメ作品は、まず、国語入試には出ないだろう。

落語・歌舞伎・浄瑠璃などですら、たとえ国語便覧には書いてあっても、特定の作品は大学入試には出ない。

国語便覧に紹介されているマンガ作品も同様である。


その他、国語便覧について[編集]

国語便覧で、最新の作家についても紹介されてたりするが、あまり信用しないほうがイイ。

たとえば、1960~70年代には、宇宙ものの映画などに影響を受けたSFブームがあり、小説でも、国内外で、これらの分野が売れた。『2001年宇宙の旅』、『アンドロイドは電気ヒツジの夢を見るか』など。

しかし、国語便覧には、これらの話題は、何も書いてない。


1980年代ごろから、アニメのOVAの登場や、コンピューターゲームの登場などにより、これら新興メディアが表現手法として注目されるようになり、若手のシナリオライターは、これらの新しい業界に移ったし、シナリオ系の作家を目指す若者も、これら新興の業界を目指した。また、その結果、ファンタジー小説やSF小説が増えた。 ほかにも1980年代には『帝都物語』などのオカルトブームなども、存在した。

国語便覧には、これらの話題も、何も書いてない。

国語便覧の題材とする小説は、そういう新ジャンルが登場する前からあったような、非SF、非ファンタジーの題材の作品ばかりである。

実際のところ、そして1990年代後半には、もはや世間の人々は、「芥川賞」や「直木賞」などを信用しなくなっていったし、文学評論家も信用しなくなった。


さらに80年代後半のバブル崩壊後、大学の文学部国文科などの就職事情も、悪化していった。世間の人々は、これらの学科を、もはや知性エリート集団とは、見なさなくなったのが現実である。

なのに、高校の国語便覧で紹介している作家は、いまだに、SFやファンタジーが登場する前のジャンルばかりである。

戦後の推理小説なども、まったく扱ってないのも気になる。もし戦前のヨーロッパ・アメリカ小説史でホームズもコナンも扱わずにいたら、それで西洋文学史が分かるのだろうか?と疑問に感じるだろうが、戦後日本の小説史でも同様だろう。

もし教育的な配慮として、SFやファンタジーなどの新興ジャンルを除くなら、だったら、児童文学や童話などの教育的文芸のジャンルを取り上げるべきだが、それらの話題にも、国語便覧は、まったく触れてない。


某社の国語便覧では、近年の在日外国人(主に在日朝鮮人)の小説家に焦点を当ててるのもあるが、小説業界よりもかなり前からプロ野球などのスポーツ業界では在日朝鮮人でも実力があればデビューできたし、そもそもプロ野球の千葉ロッテ球団の「ロッテ」とは、もともと韓国ロッテ財閥のことだし、移民問題などの社会問題を語るための参考文献としても、国語便覧は、はなはだ不十分である。


文学史でよく紹介される白樺派(しらかばは)は、戦前はあまり売れておらず、実際に戦前の世間で読まれてたのは、倉田百三などの小説であった。だから白樺派は「馬鹿らし派」と戦前では揶揄されていた。

私立中学の学習院出身の作家志望者の白樺派は、戦前は、学力が高いとはみられておらず、知的エリート集団とはみられておらず、実力不足の若者が、辛気臭い文芸(私小説)を書いてると、世間では、みられてた。(戦前は、私立中学から、ほぼ無試験で、公立高校→東大などに進学できるルートがあった。)

一方、公立中高出身で地方出身の倉田のほうが、厳しい競争選抜試験をくぐりぬけたエリートだとみられ、世間では実力者だとみられていた。

しかし、こういう話は、国語便覧には、書いてない。だから国語便覧にある小説の歴史は、本質的には、ウソである。


日本の文学史は、第二次大戦後から、ずっと、文芸の歴史を捏造しているのである。実際に大衆に読まれた冒険小説、推理小説(江戸川乱歩など)を無視・過小評価し、『少年倶楽部』などに連載していた子供むけの娯楽小説も無視し、当時の出版業界での消費者の購入実態とは離れたマイナーで売れなかった哲学崩れ・政治思想家崩れのような分野の文芸ジャンルに肩入れしている卑怯者である。

売れなさすぎて文学でしか取り上げられなかったジャンルを、あかたも学者などが文学が文化を切り開いたかのように捏造していがために、マイナーなジャンルこそ権威としているのが、戦後の文学史の理論である。

しかし、そんなに哲学・思想をしたいなら、戦後なら、どうどうと哲学・思想そのものを語ればいいのであって、それをせずに流行しなかった文芸を権威にするのだから、まったくの捏造された文学史である。

高校日本史の山川出版の日本史教科書で、吉川英治などの時代小説や、江戸川乱歩などの探偵小説が流行したと説明しているが、そういうジャンルこそ、実際に戦前に流行ったジャンルである。そして掲載誌も、時代小説なら新聞だったり、探偵小説なら大衆雑誌だったり、冒険小説なら大衆雑誌や子供向け雑誌である。掲載雑誌は、文学雑誌ではないのである。高校日本史の山川出版の日本史教科書では、新聞小説の存在も説明されれいる。文学の歴史を学びたいなら、日本史教科書のほうが信用できる。


映像関係は入試に出しづらい[編集]

落語・歌舞伎・浄瑠璃なども同様で、便覧などで紹介されてない作品のなかには、教育としては紹介しづらい理由のある作品があるので、入試対策(の仕上げ)としては深入りしなくて良い。

また、入試以外でも、娯楽作品や芸能は、作品名と作家名さえ知ってれば、メディア以外の一般の仕事では実用的には充分な場合が多く、内容まで深入りする必要がない。

読書[編集]

一般の刊行物では、高校生を対象にした質の高い評論・文芸などが少ない。高校生だけを対象にしても、売り上げが少ないからである。

では、もし高校生が、読書で教養をつけたい場合、どうすれば良いのか?


現実的な対策として、高校「現代文」の検定教科書を読み、さらに社会科など他教科の資料集を読むのがよい。

なぜなら、書店で売ってる刊行物で、参考書以外で、勉強になりそうな書籍となると、小学生向けの書籍と、大人・社会人向けの書籍ばかりで、なかなか高校生に向けた書籍がないからである。

だから、高校「現代文」の検定教科書や、社会科の資料集などを読むのがよい。

そもそも、検定教科書などの存在理由の一部は、このような目的であり、つまり、学生に、読むに値する高度な内容の文章を読ませるためにも、存在しているのである。 そもそも、高校教育の必修科目は、このような目的も考慮されて、制度が設計されている。

いっぽう、国語便覧などで紹介された文学作品を読みまくろうとするのは、作品量が膨大すぎるので、実際には、読みまくるのは不可能である。

国語の検定教科書や教科書ガイドや参考書などを参考にして、それらの教材で紹介された箇所の周囲だけを調べるのが良いだろう。

面倒くさそうに聞こえる読書ノウハウだが、要するに、普段からマジメに5教科の教科書や参考書などを勉強していれば済むのである。

書店で売られている社会評論のなかには質のひくい刊行物も多いので、それらを読んでも無駄である。

そのような低レベルな社会評論を読むよりも、高校生用の社会科の資料集を読むほうがマシである。


いっぽう、書店の評論書や文芸のなかには、高度な評論書や文芸も中にはあるだろうが、しかし高校生には、見分けがつかないので、高校の時点では、あまり深入りしないほうが良い。

なぜなら、出版側は大人であり企業集団であり、若者の学生をダマすなんて簡単なのである。出版側の大人は、仕事として集団で、大金をかけて、出版物を宣伝したりしているので、低レベルな書籍をあたかも高度な内容かのように見せかける工夫が、とても上手(じょうず)なのである。

なので、あまり、書店の評論書や文芸には、深入りしないほうが良い。

または、社会科の参考書で、高度な参考書を読むのがよい。社会科の参考書の中には、入試範囲外の話題をあつかった話題も書かれている参考書がある。

国語便覧などで紹介された文学作品を実際に読むのは、5教科をある程度は学んだあとからで良い。また、紹介された名作すべてを読む必要はないし、そもそも不可能である。

脚注・参考文献など[編集]

  1. ^ NIKKEI STYLE『東大、京大、早稲田…難関大学の漢字入試問題に挑戦』、日本経済新聞社 および 日経BP社、 [1] 2018年6月24日に閲覧
  2. ^ NIKKEI STYLE『東大、京大、早稲田…難関大学の漢字入試問題に挑戦』、日本経済新聞社 および 日経BP社、 [2] 2018年6月24日に閲覧