学習方法/高校国語全般

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古典について[編集]

古典は、現代文よりも勉強量が点数に反映されやすいという特徴がある。したがって、古典を重点的に学ぶというのは有効な戦略の一つだろう。

古典の学習で、まず最初に優先することは文法・単語の勉強である。有名作品の読解は建前上は不要であるか、せいぜいどこの参考書にでも書いてある程度の通説的な解釈を覚えていれば、とりあえずは十分である。これは、国語教育の理念としては、未知の古典の文章をどの程度読解できるかということが主で、このため実際に入試問題で問われるのは数問の有名な文学史の問題が出題されるという程度であり、有名作品の内容が問われることはまず無いからである。

また、そもそも古典作品に興味があって古典作品を読みたいといった場合ですらも、まずは単語文法をしっかりやったほうが良いだろう。文法・単語が曖昧な状況で古典作品を現代語訳を頼って読み進めるより、文法・単語を学習をした上で有名作品を読むほうが理解度が上がるはずだ。

出題傾向と対策[編集]

共通テストや二次試験の古典は、受験者にとっては未知であろう文章からの出題である。当然だが、共通テスト予想問題集などで題材にされた文章が、共通テストの古典の題材になる確率は低い(参考書の宣伝文句にダマされないように)。

そのため、共通テスト古典の対策としては、特定の作品依存せずに文法・単語を覚えるなどの古典の言語能力そのものを高めるための学習を積み重ねていくのが一番の近道であり、それが堅実な選択肢となる。

古典の試験で主に出るのは、現代語訳・内容説明・心情説明・文法問題・文学史である。

品詞の活用など直接的な文法問題は共通テストでは出ないが、読解にはこれらの文法知識は必須である。現代語訳・内容説明・心情説明に文法・単語の知識が必須であるのは言わなくても良いだろう。文学史については共通テストで出る確率は低く、二次試験でも1,2問程度問われる程度であろう。ただし、私立大学の中にはほぼ毎回出すところもある。私大文系専願の高校生は文学史の内容を過去問研究で押さえておきたい。

国語の検定教科書にあるような有名作品の知識は、日本史や世界史の中国史など他教科の学習を助ける。また、国立大二次や私大入試では、たとえ直接は有名作品を扱わない場合でも、文学史などで有名作の知識を問う問題が国立私立ともよくあるので、口語訳集で有名作の知識を増やすことで、そういう問題に対応しやすくなる。

結局の古典の最適な勉強法は、文法・単語の学習をして、演習書などで問題演習をすることである。

後述するが、現在は国立大学文系学部や東京大学でもない限り、二次試験では漢文の出題がないことが多い。このような場合、当然であるが古文を重点的に学習したほうが良いだろう。

学習方法[編集]

古文の場合は古典文法の解説書・単語集・演習問題集を購入し、文法・単語の学習を終わらせてから、演習問題・過去問の学習を進める。

漢文の場合は、句法・単語の解説書、演習問題集を購入し、句法・単語の学習を終わらせてから、問題演習に移ったほうがいい。

学校の授業を利用するなら、授業の取り組みでもわからない単語を事前に調べるなどの予習、授業内容の復習といった日々の学習をおろそかにしないということも必要かもしれない。

また、学校の授業から独立して参考書や単語帳などで自分で古典の勉強を進めるというのもこの勉強法が合うならば、効率的である。学校の授業というのは何十人もの人に対して画一的な速度で授業をしなくてはならないので、授業と自分の本来の学習ペースが合わないということがあってもおかしくはない。そのような場合、学校の授業中に内職して自分で独自に古典の勉強を進めるという対応を取れる。また、この方法を使うと、一部のプライドの高い教師からの心象は悪くなるが、一般入試では(一部を除き)学校の教師からの心象が一部関係する調査書は合否には関係ないので、受験を一般入試に振り切る決意をしたならば問題はない。

現代語訳集の参考書は抜粋でしかない[編集]

参考書の出版状況の分析としては、市販の参考書に有名古典の現代語訳集はあるが、しかしあれは仮に有名古典だけに限っても決してその古典の全文章を紹介しているわけではなく、ごく一部の文章の抜粋で現代語訳を紹介しているに過ぎない。つまり、有名作だけでも、あの現代語訳集の参考書には紹介されていない段落が参考書の文章の少なくとも5~10倍近くは多く存在しているだろう(作品にもよる)のが大半であり、むしろ紹介されてない段落や章のほうが大半である。また、そもそも現代語訳集の参考書には収録されてない古典も存在しており、難関大学などはそういった参考書に非収録の古典も出題したりする。

なので、「もしや古典の現代語訳の参考書を読んでストーリーを暗記すれば、ショートカット出来るのでは?」という考えは無謀であり、徒労に終わる。ほか、当然だが、図書館などにある古典の全作品を読むのは時間的に無謀である。

よって高校生としては、まずは普通に古典単語集を勉強するのが近道である。どうしても現代語訳集が必要なら、たとえば一通り市販の単語集にある古典単語を身につけたあとのステップアップとして古典の読書量を増やすために現代語訳集を使うとか(なお、これで文学史の知識もアップする)、あるいは単語集の内容を検証する程度に裏づけとして現代語訳集を利用する程度になるだろうか。

漢文学習[編集]

現在、漢文が出る入試は共通テストと国立大学文系学部くらいであり、難関私立文系学部でも漢文は選択問題もしくは文学部や外国語学部受験者のみということも珍しくない。これらを受験するのでなければ漢文に力を入れる理由がないのも事実である。

とはいえ、漢文学習は古文の力を高める働きがある。そして、執筆者の意見を述べれば、漢文は読めば読むほど色々な面白さに触れることができるため、入試で使うか否かだけで漢文学習の要不要を決めてほしくはないのだが。

漢文の文法・句法[編集]

入試に必要な漢文の句法・単語はせいぜい100~150程度である。句法集や単語集に目を通してさっさと覚えてしまおう。

古典の入試に出ないもの[編集]

古典芸能は出ない

歌舞伎・落語・浄瑠璃などの日本の古典芸能は入試には出ないし、そもそも高校の検定教科書には書かれてないし、授業でも扱われることはないだろう。高校生向けの国語便覧に古典芸能の話題もあるのだが、古典芸能は大学入試に出題されない。受験対策用の問題集や模擬試験を解いていけば当然わかるはずで、問題集などにも古典芸能の話題はないが、とはいえ高校1年生はまだそこまで知りようがない。

西洋文学の翻訳はまず出ない

ほか、有名な西洋古典の翻訳などやその文学史なども、国語便覧には紹介されているにもかかわらず入試への出題率が低く、西洋文学の翻訳の出題事例をまず聞いた事が無い。

白話小説は出ない

漢文以外の、白話小説は出ません。

入試に小論文が出ない学校も多い[編集]

平均的な難度の大学では、文系・理系の学部とも、あまり小論文が出題されない、もしくは小論文を受験する必要が無い場合が多い。 特に理系の場合、平均的な難度の大学および、それ以下の大学では、そもそも小論文が受験できない場合も多い(「以下」には、その基準自身も含む。つまり平均レベルの大学も含む。つまり、平均レベルの理系大学では、小論文は受験科目にないだろう)。

難関大学や、医学部などの難関学部で、小論文が要求される場合がある。医歯薬学の学部での小論文の場合、学部に関係するテーマが小論文のテーマとして出される場合もある。たとえば医学部ならクローン研究などの医学倫理などの問題とかについての小論文などである。理系の小論文の場合、国語と言うよりも、専門分野に関係する知識を勉強してるかどうかが大事であろう。医歯薬学部では特に職業とも関係している倫理的な問題(職業倫理・生命倫理・医療倫理など)が出題されることも多い。

市販の参考書で、志望分野別の小論対策の参考書があるので、必要ならば入手しておこう。

文系の場合、小論対策が入試で必要な場合、小論対策の参考書のほかにも、時事対策などの参考書でも買って読んでおくのも良いかもしれない。書店で、参考書コーナ-の社会科のあたりに時事対策の参考書が売ってる。国語として勉強するばかりでなく、社会科などの知識も必要である。

ただし文系・理系とも、たとえ入試に小論が出る大学の場合であっても、一般科目の成績のほうが評点の比重が大きいだろう。特に理系学部の場合、小論文の評価よりも、数学などの一般教科の成績の評価のほうが比重が大きいだろう。なお、国立大学では、後期入試で小論文が課されることは珍しくない。だが、実際には小論文よりもセンター試験の点数の方が重視されるため、やはりセンター試験対策を重視する方がいいだろう。

このため小論文対策よりも、まずは一般の参考書で、一般の問題が解けるように勉強をするほうが重要である。

現代文の読解には他教科の学力も必要[編集]

現代文の教科書では、紹介されている文章中に、入試で覚えるべき範囲を越えた哲学用語や芸術用語などが、評論の都合上、出ることもある。

それらの用語は、もし余裕があり覚えられそうなら覚えればよいが、しかし、そのような範囲外の用語が膨大な量であるので、紹介された用語すべてを覚えきったり、辞書などで用語の意味を調べたりするのは非現実的であるし、他教科の勉強時間を減らしてしまう。

どの用語が入試で要求されないか、または入試で要求されるのかは、教科書だけでは高校生には分かりづらいので別の対策が必要である。

ではどうすべきかというと、国語教科書ばかりを勉強するのではなく、参考書でも勉強したり、教科書ガイドを参考にしたり、漢字ドリルをきちんと練習したりする必要がある。また、理科や地歴公民や数学などの他教科の勉強もする必要がある。

教科書にある文明評論をした作品だと、数学で習う用語や物理で習う用語などの理系の用語も、当然のごとく登場する場合もある。なので、けっして「数学や物理は、国語には不要」などと勘違いしないように。

語彙を増やす学習には、他教科の資料集を読むのも効果的だろう。例えば「公民」科目(政治経済)や「地理」科目など地歴公民教科の資料集が、話題が豊富であり、語彙をふやすのに効果的だろう。

また、明治大正の近代文学を読む場合に、日本史や世界史など歴史の知識が役立つ場合もある。

国語の古文漢文の作品の特徴[編集]

自然科学などを扱った古典作品には、間違いも多いので、入試に出ない[編集]

理科系の東洋古典の科学書・技術書の場合、現代の科学技術から見れば、間違った内容も書いてあることも多く、なので入試で科学技術書の古典などが出題されることは、まず無いだろう。

なお、西洋でも同様に、古典の科学書・技術書が、現代の科学技術から見れば、間違った内容も書いてあることも多いので、入試対策としては、西洋古典の科学書は一切、読む必要がない(現代文対策としても、理科・数学の対策としても、東西の古典は不要である)。

なお、社会評論の古典も、ほぼ同様である。古代・中世の学者が、政治や経済などの社会科学を評論した古文・漢文なども、現代の視点から見ると読むにたえない時代遅れのものが多かったり、現代社会には合わない内容だったりする。

なので、一般的な参考書・教科書で紹介されるような漢文作品であつかわれている政治評論以外は、あまり入試には出ないだろう。

このため、学生は、参考書を中心に勉強するのが、合理的である。

なお、明治・大正の近代の政治評論・経済評論などでも同様に、現代では間違いのため入試に出づらい作品がある。

なので高校生は、近代の評論文については、一般的な参考書・教科書で紹介されるような評論のみを読めば充分である。入試に出る可能性のある近代評論は、例えば、夏目漱石などの政治評論がよく教科書・参考書で取り上げられるで、参考書や教科書ガイドなどで、それらの作品の解説を読んでおけば充分である。

現代文編[編集]

高校国語の現代文で扱うのは明治以降の文章である。

この「明治以降」というのが曲者で、一見古文にしか見えない文章もあるのだ。こういう文章を擬古文というが、これも現代文の範囲に含まれる点に気をつけたい。実際、樋口一葉の『たけくらべ』や森鴎外の『舞姫』などが検定教科書に掲載されている。そして、ごく少数とはいえ、擬古文が入試に出ることもある。

文学史は、特に私立大学では出題される場合がある。

現代文とは論理の教科であるといってもよい。現代文の試験で問われていることは、問に対して、いかに過不足なく簡潔に解答を書けるか(またはそれを選べるか)ということである。そのため、少なくとも建前では、必要な情報はすべて本文中で与えられている。実際には、物語文などで本文の情報からは答えを判定できない出題者の主観の混じっている出題もたびたびあり、予備校教師などから出題の不備が指摘される場合もあるが(例えば1998年度のセンター試験の物語文が日経新聞で連載中だった予備校講師のコラムで批判された実例がある)、しかしそういう不備のある出題は批判されるので全体的には本文中に答えのある問題のほうが多い。

現代文の学習としては、著者の主張、論理関係を正しく把握しながら文章を読むということがいいだろう。また、ここで注意したいのは、現代文で問われていることは、建前上は本文の文章・著者の考えであり、決して「あなたの考え」ではないということである(質の悪い作問者だと作問者自身の考えが混ざることがあるが、しかし有名大学やセンター・新共通試験などの出題なら後日に予備校などから批判されるので受験生としては安心していい)。したがって、解答に勝手に勝手にあなたの意見を付け足したら大幅な減点となる。

漢字[編集]

筆記試験の場合、誤字脱字などは減点の対象になる可能性があるので、余裕があれば漢字の勉強したほうがいいかもしれない。

漢字の問題は、筆記式の試験では、ほぼ必ず国語の入試に出題されるが、しかし通常、漢字問題の配点割合は少ない。

上記の話をまとめると、古文漢文を捨ててまで漢字ばかりを練習する必要は無いが、だからといって得点源にもなる漢字をわざわざ捨てる必要も無いという、考えてみれば当たり前の結論になる。なので受験生は、漢字も勉強しておこう。

受験対策では受験国語ばかりを勉強すべし[編集]

高校や大学受験の国語教育では、「教育改革」などとして、小論文を重視するかのような主張がある。「受験では今後、断片的な知識を見るだけでなく、知識を組み立てられる能力があるかどうかを見るため、小論文を課すべきでは?」という改革意見だ。

だが、残念ながら、2017年現在、小論文は多くの大学の一般入試には出ない。なので、もしアナタが頑張ってて小論文を書けるように色々な勉強をしたところで、大学はまったく評価をしてくれないし、大学入学後も評価を受ける機会が少ない。

そして大学だけでなく、大企業もまた同様に、小論文の評価をしない。なぜなら、大企業には既に、国語については受験国語だけを勉強してきた人が選抜されて入社してるからだ(そもそも就活では国語試験を行わないのが通常だが、そういう企業もまた学歴で採用を判断しており、そして日本の大学入試の国語の出題では、小論試験とかをしてこなかったので、結局、小論の能力などは評価されない)。

そのため、受験参考書に書いてあることばかりを勉強したほうが安全だろう。むしろ、受験参考書以外の勉強をするのは、たいへん不利であり、とても危険でもある。

読書[編集]

高校生だけを対象にした一般の刊行物というものは、数が少ない。

そもそも、高校生にもなればある程度の素養がついてるはずで、一般の大人向けの書籍なら(時間は掛かるが)読めるはずだ(ただし、時間も掛かるので、とくに読み込む必要は無い)。図書館に行けばそういった高校生でも読める大人向けの本はいくらでも存在する。

書店で売られている社会評論のなかには質の低い刊行物も多いので、それらを読んでも無駄である。そのような低レベルな社会評論を読むよりも、高校生用の社会科の資料集を読むほうがマシである。

一方、書店の評論書や文芸のなかには、高度な評論書や文芸も中にはあるだろうが、しかし高校生には見分けがつかないので、高校の時点では、あまり深入りしないほうが良い。

なぜなら、出版側は大人であり企業集団であり、若者の学生をダマすなんて簡単なのである。出版側の大人は、仕事として集団で、大金をかけて、出版物を宣伝したりしているので、低レベルな書籍をあたかも高度な内容かのように見せかける工夫が、とても上手なのである。

なので、あまり、書店の評論書や文芸には、深入りしないほうが良い。

または、社会科の参考書で、高度な参考書を読むのが良い。社会科の参考書の中には、入試範囲外の話題をあつかった話題も書かれている参考書がある。

国語便覧などで紹介された文学作品を実際に読むのは、5教科をある程度は学んだあとからで良い。また、紹介された名作すべてを読む必要はないし、そもそも不可能である。