学習方法/高校5教科全般
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高校1年から参考書が必要
[編集]やりがちな学習スケジュールの失敗として、3年生の部活が終わった頃から、ようやく参考書などを買い始めて受験勉強を開始する、というミスが多々あります[1]。
そこで、学校の授業のレベルと、入試のレベルとの違いに気づき、ギャップを埋めようとしても時間不足で追いつかず、志望校に落ちる・・・というパターンが頻発で続出。
なので、1年の1学期から、その学年の科目の参考書を買って、読み込んだりしましょう。コツとして、英語や数学など、時間の掛かりそうな科目を中心に先取り勉強すると、効果的です。
特に英語など、そもそも学校の授業だけでは、東大入試・京大入試など国公立に出るような全部の単語を扱いきれません。新共通テストすら、難しい。
英語だけでなく、数学や国語なども同様です。東大・京大だけでなく、ほかの国公立や、早慶マーチ関関同立なども同様です。
大学進学を考える際、志望の進路にもよりますが、部活をやるなら、せめて、参考書をこなせるように活動日などを抑制しましょう(ただし、高卒で就職するなら別)。
たとえ、塾に通わずに代わりに参考書を家庭学習で回しまくって難関大(国公立・早慶マーチなど)に合格する子は少数ながら居ても、しかし、参考書すらも使わずに検定教科書だけの勉強で合格、と言う子は実質的に居ないのです。
とはいえ、学校の授業は、けっして無駄ではありません。学校は、復習の場として、活用しましょう。せっかく学校に通っているのだし、活用しないと損です。
また、そもそも、小論文や英作文など、検定教科書やその授業だけでは、ほとんど練習できない、場合によっては学校が事実上は扱ってない分野もあります[2]。なので、自分での参考書の勉強が必要なのです。
学校は、自分の勉強の方針が、学習指導要領からズレていない事を確認する場にしましょう(国公立の入試は建前上、学習指導要領にしたがった問題が出る。単なるタテマエだが)。参考書で、自分で勉強するしかありません。
数学以外の暗記教科では、最低2冊、参考書が必要です。というのも、参考書によって、微妙に用語などが違っている場合があるのです。本来なら1つの参考書で、複数の表記を併記するなど工夫してほしいですが、あいにく、そうはなっていません。
ほか、参考書によって論理構成が違っていたりするので、できれば2冊あると良いでしょう。
とはいえ、教科数が5教科もあるので、1科目あたり2冊までで充分です。これでも、5教科で10冊にもなります。
さらに日本史・世界史・地理・政治経済・倫理の5科目をすべて参考書を買うとかしたら、(5ー1)×2=8 冊も増えます。あるいは、入試科目以外は1冊としても 4冊は増えます。
理科も、生物・物理・化学・地学 と4科目あるので、4科目やるとしたら大変です。3冊は増える。
大学の先取りは不要と、その理由
[編集]大学の先取りをする必要は無いです。2020年代では。
理由は、「脱・ゆとり教育」によって、それまで大学の範囲だった内容のいくつかが、高校に降りてきました。にもかかわらず、いまだに大学の範囲の内容は、高校の公教育としては不適切だと考えられている、分野なのです。
また、入試問題を解く手助けになりそうな大学レベルの知識は、すでにもう、各教科の参考書に書いてあります。
こういう事もあるので、だから参考書が必要なのです。
そして、大学の教科書で初めて習うような内容は、「高校生にはマニアックすぎて不適」とか「他の学科では役立たない知識」などの理由で、高校生むけの参考書には紹介されなかった内容です。なので、高校生は大学教材を手に入れてまでの先取りの必要がありません。
実は、ハイレベルな高校参考書の後半には、すでに大学レベルの話題が取り込まれています。
歴史的な話をすると、大学進学率の低かった昭和後半や平成初期にさかのぼります。浪人生などのためか、やや大学レベルに入り込んだ話題が、すでに昭和後半の時代からもう、ハイレベルな参考書には書かれています。
社会科だと分かりやすく、本文の部分にもう、大学レベルの話題が普通に書いてある事もあります。平成中期ごろの文英堂のシグマベストの地歴公民の参考書などでもそうです(最近はどうか知りません)。
いっぽう、数学では一見すると分かりづらいですが、応用問題などが実は大学レベルの数学の一部だったりします。
このため、わざわざ大学の教科書を探し回って予習をする必要性は低く、それよりも参考書を読み込んだほうが効率的な場合が多いのです。(ただし私大付属校などで大学の授業を受けられる場合を除きます。)
文系の場合の理由
[編集]そもそも一般の書店に大学の教材が無いし、大学の範囲の内容は、そもそも真実とは限らない。政治経済が典型ですが、高校の政治経済は、経済史や用語を習います。しかし大学の経済学や政治学は理論を習うので、時代によって変わる可能性があります。
大学の英語の英単語は、そもそも英米の日常の読み書きでは、あまり使わない単語から、大学送りな単語なわけです。コーパスなどの統計があって、使用頻度をもとに高校で教育する英単語が選ばれています。よく使う単語なら、高校または大学入試に降りてきています。ほか、中世の英語などを大学で習いますが、現代では不要です。英語学者とかでないと、使い道が無い。
歴史科目の場合、大学で習う専門的なことは、マニアックであり、基礎学力になりづらい。なんていうか、三国志の武将の名前をよく覚えていても、それは基礎学力にはなりづらい。しかし、三国志を研究するには武将の名前にも詳しくなる必要はあるというか。趣味として歴史の専門書を勉強するぶんには良いですが、しかし高校生の基礎学力とはなりづらい。
高大連携というのは、たとえるなら食品スーパーの試食のようなものです。高校生の普段の勉強としては、高校の参考書を読みましょう。
地理学科のある大学は、そもそも、日本に少ない。ハッキリ言おう、高校の地理の教科書と参考書こそ、地理の教育の最先端です。10年前に書かれて改訂されてない大学の地理の専門書より、2年前とかに改訂された高校地理の教科書・参考書のほうが最先端です。
高校「倫理」は哲学史ですが、哲学科のある大学も少ない。哲学史の大学範囲については、日本史・世界史と同様の理由でマニアックであり、高校生にはマニアックすぎて教育が不適切。
理系の場合
[編集]理系の場合、大学の1年の数学と理科の範囲は基礎学力かもしれませんが、しかし、まあ法律上、国公立大の一般入試には出ない。まあ、一部の難関私立の医学部などが大学範囲の生物学・医学を出していますが。
なお、理系の大学に進学する場合でも、数学の定理を1時間も考え続けるよりも、同じ時間で英語を勉強したほうが効率も良く、高校範囲・大学受験範囲の英単語でも覚えたほうが、大学の英語の授業でラクを出来るので余った時間で理系科目を家庭で勉強できて効率的です。
例外として私大の付属校にでも通っていて、高大連携などで大学の理系教員の授業が受けられるなら習っても良いですが、しかし独学なら英単語でも勉強したほうが効率的です。
付属校でもない人なら、すでに英語が十分に身についている人なら、受験勉強がたとえ推薦の合格だとか私大専願などで終わったとしても、理科の参考書を全科目、読みましょう。理科4科目 × 2冊目 = 8冊 まで読むとなると、かなり時間が掛かります。おそらくそこで時間オーバーになって3年生の卒業式を迎えると思います。それでも万が一、理科の参考書を4科目とも読み終えたら、今度は地歴公民の参考書がありますので、それを 5科目 × 2冊目 = 10冊 が控えていますので、まあ、十分に暇つぶしになるでしょう。
生物学は、すでに大学範囲だったバイオテクノロジーの内容や、そのバイオテクによって書き換えられた新型の生物学が高校に降りてきた後の状態です。これ以上の予習は、特には必要は無い。
化学は、高校の化学と、まったく違う内容です。量子(りょうし)化学という理論です。高校生には不適切な理論だと考えられているようです。一部の参考書で、その考え方を紹介しています。仮に予習したとしても、結局、高校の教科書レベルの化学反応などは、ほぼ暗記レベルで覚えないと、大学のその化学のテスト問題などは結局、解けません。
あと、日本の高校で習う化学の伝統的な教育内容は、けっこう新しく、20世紀に再構成された内容です。高校化学の最初のほうで習う「電気陰性度」は、20世紀の大学の化学を、いっきに高校基礎の化学に内容です。
ほか、有機化学の特定の反応パターンなどの法則(「マルコフニコフ則」など)は、参考書に書いてあります。
地学は、そもそも多くの大学の理工学部に、地学の学科が無いです。ごく一部の国立大の理学部に、地学の学科が存在するだけです。
大学生むけの「地球科学・宇宙科学」の教科書はありますが、しかし、どこの大学の理工学部でも教えるような共通の地球科学・宇宙科学の1年生レベルの内容というのは、基本的には無い。
多くの理工学部の学科で、高校時代に「地学」を履修していない人が多いので、実質的には、高校の地学を大学でやり直して単位として認める、的なモノに過ぎません。
物理は、ハイレベルな受験参考書に、大学レベルの微積物理が書いてあり、それで入試問題を解くテクニックが書かれています。数学では問題が大学レベルの内容を高校レベルに落とした内容ですが、物理の場合は解法で7大学レベルを取り入れているのです(なお、使わなくても解けるのが普通)。
理論物理などは、物理学科の人しか使わない分野であり、基礎学問ではあるが、基礎「学力」とは違う。特定の学科しか使わない科目を、断じて基礎「学力」とは言わない。
同様、工学部や医学部などでしか使わない流体力学なども(医学部では血管の流れの計算で使う)、基礎「学力」ではない。
正直、高校物理の素粒子の単元(クォークとか)が基礎学力かは疑問はありますが、実際に、理工学部の入試には出ないのが普通。大学に入ってからの授業には、つながりづらいので。
古文漢文と英語の単語集
[編集]古文と英単語は、学習法が20世紀とは大きく変わっています。
思考回路をどう変えるべき
[編集]単語学習は、読みこんだページ数を競うように思考回路を変えるべきです。
「単語学習」と聞くと、ついつい掲載単語数の多い数字の本を読みたくなるでしょう。
しかし、掲載の単語数ではなく、語源などの解説や入試傾向なども含めた情報が必要なので、ページ数を見るべきです。なぜなら、掲載語数の多いだけの単語集を買っても、たとえば意味が4つある単語なのに例文が1つだけだったりして、その単語の理解には役立ちません。
たとえば古文の場合、
- 「300ページで600語」の(解説不足の)単語集を1冊だけ(合計300ページ)苦労して暗記して読むよりも、
- 「300ページで300語」の解説の多い単語集を、解説を参考に2~3冊を通読のように読んで合計600ページ~900ページを読んだほうが、
一つの単語の複数の意味の例文をそれぞれ読めるので、はるかに記憶が安定します。
たとえ単語数は少なくても、ページ数の多い側が勝つのです。
なぜなら古文の場合、一つの単語に複数の意味があって、使い分けを理解しているかを入試で聞く問題も多いので、なので解説が必要なのです。
よって、こういう事を考えると、学習量を、単語数ではなく「ページ数」で考える必要があります。
解説を必要としない単語は、あとから幾らでも覚えられます。なぜなら、そもそも理解が不要なので、大した思考力を必要としません。
解説のある基本的な単語を先に覚えておかないと、解説不足の掲載語数の多めの単語集を読んだ際、基本的な単語のほうで時間をとられてしまうので、なかなか、その掲載語数多めの単語にしかない単語の学習に入れません。
むしろ、解説が必要な基本的な単語のほうが、英語でも国語でも学習に時間が掛かり、難しいのです。
経験則としては、「少ないページ数で、広い範囲を語ろうとすると、単なる暗記の教材になりやすい」です。でも。中学受験の社会科とか典型でしょう。「広い範囲を語るには、多いページ数が必要」です。なので、たかが300ページの本の1冊で済ますのは無理です(それが1990年代の失敗の悪習)。
高校配布の教材も、その毛があり、ページ数が少なく暗記の傾向が強いものがチラホラ。2020年代はマシになりましたが、90年代の単語集などは ひどかった。
結局、勉強にはページ数が必要なのです。
おそらく、出版業界に、先にページ数を決めて、掲載語数をもとに1単語あたりの記述量を算出している設計なのでしょう。それが間違った設計として否定されたのが、2010年代以降の参考書の出版市場。
具体的な方法
[編集]2020年代では、現代日本語をもちいて語源や使用状況や類義語との関係などを説明した単語集が、国語の古文でも英単語でも、そういう単語集があります。このような新型の単語集を活用しないといけません。
もし、そのまま例文の古文や英文だけを読んで頭のなかに語感を構築していく昭和の方法だと(20世紀のやり方です)、年月が掛かりすぎ、もはや受験には間に合いません。研究方法としては必要な方法ですが、しかし高校生の勉強法としては不適切です。
未知の単語の翻訳を研究するためには、例文をいくつも読むのは、もしかしたら必要かもしれません。ですが大学受験に出てくるのは、すでに解読のされている単語です。世界史の古代のヒエログリフの解読とは、違うのです。そういう未知の研究は研究者に任せます。なので文学部の大学教授は偉いので尊敬しましょう。
例文ではなく、単語の(現代語での)解説を1冊目に読まないといけません。数学で言う「因数分解」みたいなものです。一見すると難しい数式でも、因数分解すると仕組みが分かる。数学の証明問題など、因数分解すれば証明になる問題も多い。
因数分解とは、共通項でくくりだしたもの。
単語集にある、各単語の現代語の解説こそ、膨大な例文から、共通点を見つけ出したものであり、それは英語学や国文学や教師などによる研究成果です。
解説を削って例文を増やした単語集を読むのは、2冊目以降、できれば3冊目以降にしましょう。なのに、いきなり例文重視の単語集を読んでしまうのは、順序が違います。
なので、高校生が、けっして文学部の大学教授の仕事である膨大な例文を読む作業を、真似る必要はありません。基礎学力が無いのに、形式的に真似ても、なにも出来ず、役立ちません。そういうのは、文学部の大学院生とかになってから、やりましょう。歴史の学習でも、けっして、いきなり古文書の 崩し字(くずしじ) を読まないのと同じ。
そもそも、例文をそのまま読んで覚える昭和の勉強法では不都合があったから、単語集が21世紀に入ってから改造されていったのです。
さらに古文の単語はそもそも、平安時代の単語自体では時代に合わなくなって不便になったから、鎌倉時代→室町時代→江戸時代と時代が進むにつれて単語が淘汰されていった単語です。なので、そもそも本来、あまり脳内に古文の単語をそのまま膨大に取り込むべきではなく、現代日本語による解説とのセットを経由して取り込むべきです。
英単語は現代語ですが、しかし英語は単語に関しては、あまり論理的ではないのです。近代でのイギリスでの国語改革(イギリスなので英語の改革)の際、文法は改革されましたが、しかし単語に関しては改革が不十分であり、日本ほどは徹底的には単語の改革が行われていません。そのせいで、英米では単語の学習負担が大きく、そのため英米の理系の大学生などは、理系の勉強をしたいのに英語の勉強に時間を取られてしまったりもします。
なので、日本の古文と同じく、あまり直接的に脳内に英単語を取り込むべきではありません。少なくとも高校レベルでは。
脳内に直接的に取り込む方法とは、子供が母国語を覚えるような方法であり、欠点としては年月が5年や10年と掛かります。それでは受験に間に合いませんし、せっかく5年や10年をかけて行っても、その時代の5歳児や10歳児レベルの言語能力までしか到達しません。なので、なるべく現代日本語を経由して勉強しましょう。よって、英英辞典などは不要です。
現代日本語の単語のほうが、高度で上級な単語です。なぜなら明治時代での国語改革のさい、文法だけでなく単語も明治日本では改革しているからです。明治時代での英語やドイツ語やフランス語などを参考に、国語の単語も いいとこどり で改革したからです。英語やドイツ語・フランス語の単語のうち、わかりやすくて覚えやすい単語があれば、それを手本に日本語の単語を作り替え、あるいはもし英独仏の単語だと分かりづらければ、日本語の従来の単語をそのまま使うか少しの改造で済ます、・・・みたいな事を明示時代ごろに集中的に行った結果が、20世紀以降の現代日本語です。
現代日本語の単語は、こういう各言語のいいとこどりをした単語であり、単なる懐古(かいこ)趣味を排除して、国力の経済発展と科学技術の発展をさせる目的の意識して再構築した目的合理的な単語です。
単語集にある解説文は、国文学や英文学などの研究の成果物です。なので辞書よりも単語集のほうが、学習教材としては高度なのです。
辞書は、それを作るのには高い研究水準が必要ですが、しかし辞書を読んでも学力はあまり伸びません。なぜなら単語集とは目的が違うからです。辞書は、広く浅く、多くの言葉の意味を確認するためだけの道具に過ぎません。頭良くない人でも辞書を使えるように、最低限の訳と例文しか書いていません。高校生に必要な学問的知識などは、辞書には、まともに書いていません。
このため辞書は、学習教材ではありません。それを辞書編集者は、うたってもいません。
学習教材であるのは、単語集です。
語源や使用条件や類義語などの解説の乏しい言語教材は、ドリルみたいなものであり、思考を停止させるロボトミー的な教材です。思考速度を加速させる、解説の充実した教材を読みましょう。ドリルみたいな掲載語数の多いだけの単語集を読むのは、必要な人だけが、最後の最後の仕上げだけで行えば良いのです。
辞書と多読は不要なのが基本
[編集]国語や英語では、高校の範囲としては、基本的に辞書は不要です。大学生はどうか分かりませんが、高校では、ほぼ不要です。
数学・理科では、高校レベルでは、そもそも辞書がありません。地歴公民は、用語集がありますので、単語集のように活用しましょう。
例外として現代文だけ、高校生でも、ときどき辞書が必要かもしれませんが、しかし、現代文の学習でも、めったに使いません。
まして、古文や漢文では、辞書ではなく単語集に頼るべきです。英語も同様、単語集で勉強をすべきです。
なぜなら、高校の英語は、5000語や6000語を習うと言います。もし、そのたびごとに辞書をめくっていては到底、時間が足りません。
古文の単語は600~700語があるとされますが、古語辞典をそのたびにめくるのは、時間が掛かるでしょう。
また、古語辞典は、説明不足です。言葉の意味しか書いてないので、学説などが書いておらず、理解力を上げるのに役立ちません。
単語集にある解説は、いちいち学者名は上げていませんが、どの単語集にもある解説なら、それはきちんとした学説が背景にあります。
なので、古文では、辞書よりも単語集のほうが、思考力を上げるのに、大いに役立ちます。
漢文も同様。なお、高校の漢文の単語は150個ていどです。
ほか、平成の中ごろまであった、間違った勉強法として、「多読」をすすめる勉強法があり、教師や塾講師などが他の教科の勉強法を考えずに、とにかくやみくもに多くの英文や古典作品を辞書を引きながら読ませる文化がありました。もちろん、辞書を引く時間のせいで、他の教科が時間不足になるので、間違った「勉強法」です。
高校生は、数学や理科や社会科なども勉強しないといけないので、そんなに多くの英文や古文漢文を、辞書では読めません。よって、「多読」は、受験勉強としては間違っています。小学校とかの受験から離れた時代に、趣味で英文や古文を多く読むなら構いませんが。
なので、そもそも時間の節約のため、英文や古文漢文の「多読」をしなくても済むように、単語集などの教材が開発をされているのです。にもかかわらず、多読を始めてしまっては、本末転倒です。
結果的に単語集や参考書を多く読む事になりますが、しかし「多読」はそれとは意味が違い、模試のような解説のない文章を長々と読む事です。
国語や英語は暗記科目なので、分からない事を何分考えようが、分かるようになりません。辞書を参考に考えようが、です。正しい勉強法は、単語集や参考書などのように、その学問を分かっている人の書いた教材にある解説を読むしかないのです。
さらに困った事に、英語だけ、あるいは古文漢文だけ、がもし出来ても、学問ですら、なんの役にも立ちません。なぜなら印刷物や、コンピュータなどの機械で代用が聞くからです。
英語は、海外の経済情報なり政治の情報なり、あるいは海外の科学技術の取り入れなど、そのように社会科や理系の知識などと組み合わせて、意味を持ちます。英語だけでは、語学教師どまりです。
古文漢文も同様で、そもそも、単独では明治時代より以降の時代では役立たないから、現代語が開発されたのです。そして、現代語で、西洋の科学や政治経済などを短時間で学習できるように教育が構築されたのです。
歴史研究をするにしても、古文だけでは役に立たずに、それを歴史の知識などと組み合わせる必要があります。その歴史の教科書自体、科学の放射線年代測定などの技術の助けも借りて、歴史学も発展しています。
なのに、せっかく短時間で海外情報を吸収できるように教育改革や国語改革をしたのに、1教科に多読で時間をかけては、本末転倒です。
もし高校生なのに「多読をせざるを得ない」状況や「辞書を多く引かざるを得ない」状況になったら、(大学生はともかく)高校生の「勉強」としては、明確に勉強法が間違っています。たとえば、教材が不足しています。必要な教材をまだ購入していない可能性が高いです。
辞書の多用や、多読や、やたらと多い問題練習は、その科目の勉強法について、なにか勘違いをしています。なので、勉強法を見直しましょう。
大学生なら多読や辞書を多く引くのも時期によっては必要かもしれませんが、しかし高校生では、「多読」と「辞書」は、ほぼ不要です。
同様、「辞書をたくさん引かざるを得ない」状況になったら、高校生としては、勉強法を間違えています。
漢文の単語集は見つかりづらいですが、市販の漢文の教材内に単語集が組み込まれていたりします。なので、多読は基本、不要です。せいぜい、過去問の練習をすれば十分です。
同様、過去問の練習も、最終手段にすべきです。
平成の初期のころの間違った勉強法で、とにかく、過去問を高校2年生くらいから塾などで毎週、解かせる勉強がありました。
しかし、単語力が完成していない時期に過去問を解かせても、非効率です。古文漢文だけなら短期間で単語学習が終わるかもしれませんが、しかし英語など他の教科があるので、過去問は後回しにすべきです。
過去問は、低学年のうちは、解くのではなく、傾向を確認したり、解説を読んで知識を獲得することを中心にしましょう。そのため、低学年のうちは、赤本や青本など個別の大学の過去問ではなく、大学受験全体の問題集をメインにすべきであり、また、解説の充実した一般的な問題集を買うべきです。
そもそも、単語集がまだ終わってないのに、あるいはそもそも単語集を学校・塾が生徒に買わせていないのに、問題練習を「2年生だから」「3年生だから」とかで機械的に始めようとすると、英語や国語では生徒が辞書を多用する羽目になります。
このように、間違った勉強法どうしは関連しあっているのです。
例外として、小学校くらいなら、小学生用の辞書も必要かもしれません。
ゆとり教育の時代なら、中学校でも、辞書を使うことは、そこそこあったかもしれません。
しかし「脱・ゆとり教育」の2020年代、それも、多くの語をならう高校で、決して辞書を多用するべきではないのです。高校生は、単語集を使わないといけません。
できれば高校1年から問題集を読む
[編集]教科・科目にもよるので一概には言えませんが、なるべく高校1年生から、参考書に加えて問題集も読みましょう。この際、解説の多い問題集を買って読むのがコツです。
学校配布の問題集とは別に、自分で問題集を買う必要があります。学校配布の問題集だと、解説が少ないものが多く、家庭学習には向かないものが多い。
みなさん高校3年から問題集を買ったりする人が多そうでますが、しかし高校で習っている科目は、文系科目なら、問題集を1年生から読むのが可能です。
ただし、数学の場合、普通の参考書が問題集の形式を兼ねているので、参考書の問題集をきちんと解いているなら、特に追加では問題集を買う必要はありません。ただし、なにか良書の問題集があれば別ですが。
正直、「問題集」形式の参考書です。
普通の参考書による予習に加えて、各科目、まずは1冊で良いので、1年生や2年生の早めのうちに、問題集も読んでしまいましょう。国語(特に古文・漢文)・理科・社会では、そのような問題集の読書が、可能だと思います。
英語は、単語を先に覚えないとどうしようもないので、問題集は難しい。
英語の場合は、Z会の速読英単語が、入試過去問の長文が多いので、問題集の代わりになるでしょうか。この際、速読英単語の全部の単語を、けっして覚えられなくても良い。通読して、実際に入試に出た単語を、確認する事自体に、価値があるのです。そして、その和訳を、市販の有料の教材にて確認する事に価値がある。単語集としての機能は、二の次です。
どの教科も、参考書を買って、さらに、読み物として形式の解説の多めな問題集(または似た機能の教材)を買うのがコツです。
なので、一問一答の形式の問題集(たとえば山川出版社のヤツ)は、ここでの勉強法とは違う。一問一答が必要な科目もあるが、それとは別に、解説の多い問題集を、習った学年の1学期から買う。
たとえば高校1年で地理総合を習ったら、地理探究まで参考書を通読して、さらに解説の多めの地理探究の問題集を1冊でいいので読んでしまう。この際、一問一答は、まだ覚えきれていなくても良い。
「一問一答を覚えてから」とすると、いつまで経っても、先に進めません。
要するにみんな、参考書を買う順序が、間違っている。一問一答は、もっと後から買うものです。問題集の解説をたくさん読みまくっていれば、一問一答の用語は、あるていどは勝手に覚えられる。
あるいは地歴公民の場合、用語集を読むのも良いかもしれない。ただこの場合、実際の入試問題までは確認できない。やはり、解説の多い問題集で、実際の入試問題に近い出題を、確認したほうが良い。
また、問題集を回避しようとして、山川出版の詳説研究シリーズの参考書(大学レベルに詳しい参考書)を読んでしまうと、他の教科の学習時間をうばってしまいます。
平成の1教科入試のブームの1990年代の時代ならともかく、2020年代の現代では、詳説研究は高校生ではなく教師が読むような教材でしょう。
(問題集ではなく)参考書を読むのも大事ですが、しかし最終的に入試に出るのは入試「問題」ですので、実際の入試に近い形式の問題のパターンを確認する必要がありますが、しかし入試問題を確認しただけでは解けるようになりませんので、解説を読んでいく必要があるのです。
根性論はNG
[編集]上述と関係する事ですが、やみくもな根性論・精神論は、ダメです。
高校入試で東京で偏差値57以上なら、もう十分に根性はあります。それ以外の地域でも偏差値60以上や田舎でも偏差値63以上なら、もう根性は十分でしょう。
あとは、そのくらいのペースか、ちょっとの加速・勉強重視で、勉強を続ければ良いだけです。
なぜなら、そもそも中高の教育内容は、そこそこ高校生が興味をもてそうな内容、または実用性に納得しそうな内容が選ばれており、また、少なくとも教科書レベルなら、ほかの科目の勉強と両立しやすい内容が選ばれています。
たとえば英語なら、英米での使用頻度などの統計も参考にして、高校英語で教える単語が選ばれています。なので、英米の歌や映画などの文化に興味があれば、それなりに英語にも興味がわくはずです。
そういう、使用頻度の高い分野が、高校の範囲として選ばれています。
なのに、もし、根性が高校受験(偏差値60ていど)と比べて、やたらと何倍も必要なら、英語の場合、なにか勉強法を間違えている可能性があります。
間違いの例は、具体的には、
- 「難関私大の入試にしか出ない単語を学んでしまっている」とか、
- 「必要な参考書(文法参考書や単語集など)を購入していない」とか、
- 「リスニング教材をダウンロードし忘れている。聞き忘れている」、
などでしょうか。
そもそも、英米の小学生ですら英語を読み書きできます。なので、小学生と比べて、やたらと根性やガマンが必要な場合、なにか勉強法を間違えている可能性が高いのです。
日本史や世界史などでも、難関私大のやたらとマニアックな出題は(平成初期の受験戦争ブームの時はひどかった)、意義を感じられなくても、そもそもその大学への志望を回避を出来ます。
新共通テストに出る範囲だけ、押さえればいい。
その新共通テストの日本史または世界史すらも、それぞれ地歴公民の選択科目のたった1科目に過ぎないので、もし入試科目としての歴史に新共通テスト受験の意義を感じられないなら、「政治経済」や「地理」などの現代的な内容を選ぶことにより、国立志望ですら回避をできる。
ただし、大学の志望学科によっては、歴史系の科目での共テ受験が必要かもしれません。ですが、その場合は。その学問を志望しているのですから、その科目の受験勉強もしましょう。
受験問題に意義を感じないのに、その科目を必須にする学科の大学に進学するのは、進学先を間違えています。なぜなら、高校の教科書はそもそも、その科目の大学教授が執筆または監修をしているからです。
高校入学から先は、別に義務教育ではないので、すべての科目の入試問題を解けるようにする必要は無いのです。大学教授ですら、研究で忙しいので、受験の全科目の問題は解けません。
解けるつもりの人は、研究をしていない人でしょう。
人生で、大して苦労をしていない人ほど、根性論を主張しがちです。ろくに英語の勉強もしてない人ほど「英和辞典で調べろ」みたいな時間のかかる勉強を主張したりとか。
たとえるなら、戦争を経験していない戦後生まれの団塊世代のブラック企業経営者が、やたらと苦労人をよそおったりするようなモノです。
平和な時代なら、根性は、ときどき出せば十分です。根性を出さなくても済むようにするために、普段から高度な学問を勉強をするべきなのです。福沢諭吉が「学問のススメ」で言っているように、高度な学問を勉強しないとペテン師にだまされて、ブラック企業などで根性を出して働く羽目になるのです。
なのに毎日、根性を出すように要求する人は、生産性の低いです。
難関大学の合格のための勉強には時間が掛かりますが、しかし、裏を返せば、時間を掛けさえすれば、低い負荷でも、習得できてしまうのです。
たとえば英語や、国語の古文漢文なら、単語集に一通りに目を通してしまえば、あとはリスニングなどの受動的な勉強を繰り返すだけでも、そこそこの単語力を身に着ける事ができてしまう、というように負荷が意外と軽い。
文法はそもそも覚える事が少ない。
「部活をやって、根性を鍛えることで、受験勉強も上手くヤレル」というのもインチキです。超・進学校の開成高校では、部活は2年生で引退です。高偏差値の私立高校では、部活の日数が短く、週に2日、1日に2時間まで、などと決まりがあったりします。
根性というのは、残業みたいなものです。けっして、普段から根性を出すものではありません。繁忙期(はんぼうき)以外は、なるべく残業をすべきではない。工場などでは、安全管理の問題もあり、原則的に残業は規制されます。
根性を出すことを普段から要求する指導者は、無能な指導者です。ブラック企業や、時代遅れの規模が大きいだけの企業などで、残業がやたらと多いのと同じです。
しかしまあ、1日あたり2時間は勉強しないと、マーチ関関同立あたりは、現役での合格が難しいと思います。ですが、放課後は意外とヒマですので、そんなに勉強は難しくないと思います。受験勉強は、良い暇つぶしです。
例外として、ミュージシャン目指して楽器の練習とか、あるいはイラストレーラー目指して絵の練習とかしてないかぎり、受験勉強以外に他にやる事は、あまり無いでしょうし。
楽器がどんなに得意だろうが、マーチに音楽学科は無いので(ただし教育学部などは少し例外)、それはマーチ合格には役立ちません。けっして、高校入試の部活の内申点とかと勘違いして、楽器とか体育とかの練習に、時間をかけてはイケマセン。部活の内申点みたいなのは、日本の大学入試の一般入試では基本、要求されていません。私立大学にも寄りますが、部活などの功績で合格するよりも、勉強をして学力で入るほうがラクです。国立大は基本、部活などの功績での受験は、行っていません。
プロ志望でもないかぎり、就活で要求される部活などの課題活動なんて、ほとんどの企業では、中学生くらいの部活の技能で十分です。
私たちは、たとえば私立の中高一貫校の文化祭を見に行って、その学校の吹奏楽部とかの高校生と中学生の混ざった演奏を聞いても、区別なんてつきません。社会での需要なんて、そんな程度です。
2022年度から当分の間の事情
[編集]2022年または2020年に、中学や高校の指導要領が変更され、それにともない、検定教科書も大きく変わりました。このため、高校教師の中には、新しくなった単元を、まだ教師自身が深く習得できていない場合があります。
決して教師のそれを非難すべきではなく、高校生の側にも、参考書などで自発的に単元を予習する態度が、必要です。2030年くらいまでは、このように、高校生側も、意識的に勉強をして、変化に対応をしましょう。
20世紀の従来から、先取り学習などを進める教育論は多いですが、それとは別の上記の指導要領の変化の事情があって、カリキュラム改革による学習内容の増加などにより、別の理由でも、当分のあいだは先取り学習が必要です。
英語は小学校の英語教育改革により、大きく高校も変わっています、。
高校の情報科目も、大きく変化をしました。関連して、数学も変化をしており、統計などが大きく変わっています。
社会科(正確には「地歴公民」)は、「公共」という新科目が出来て、大きく内容が変化をしました。
教師も、一応は大卒のプロの教育者ですので、それなりの対応力はありますので、教師による授業はとても役立ちますので、授業は活用しましょう。
ただし、入試対応などは、授業と宿題や定期テストだけでは、十分には、手が回らない可能性もあります。
そのため、生徒側が自発的に、自分でも家庭学習などで、予習・復習をする必要があります。
高校1年の1~2学期の予習
[編集]まずは予習で手持ちの知識を増やす
[編集]「予習と復習、どっちが大事か?」という議論は2001年くらいの昔からあります。とりあえず、高校偏差値55以上の高校に入学したのなら、高校1年の1学期の段階では、予習をしてください。
この理由は、そもそも復習の対象となる範囲が、高校1年の1学期では高校範囲内には無いからです。中学の復習は、もう高校入試および春休みのあいだに終わっているはずです。
どのような進路でも(たとえ高卒後に就職や専門学校という志望でも)、高校1年の1学期のうちは、予習をするのが効率的でしょう。
大学進学を目指す場合は、高校1年の夏休み以降も、1年生のうちは予習と復習を並行する必要があります。
なぜなら、
- 高校に入ると、急に学習量が増えます。
- また、高学年に入ると、入試過去問をやる時間が必要だったり、復習をやる時間が必要なので、1年生のうちから、それを見込んだペース以上の学習時間を投入しないと、もし大学進学をしたくなった場合、現役で平均的な大学に合格するのが難しくなります。
高校の低学年にて予習する科目は、進学校では、英語と数学が定番です。好みで、国語を追加してください。塾では、英・数・国の3科目が、低学年の予習の定番ですので。
理科は、実験などの都合もあるので、予習が少し難しい。また、理科の前提となる数学力が必要です。物理・化学を予習する前に、まず二次関数や因数分解(3次式の以上)を習得したほうが効率的。だから多くの高校で、物理・化学は2年生からの科目になっている。
高校入試の復習はしない or 後回し
[編集]私立高校の入試問題(偏差値が高めの私立)などの難問に1学期で取り掛かるのは、あまり、おすすめしません。
高校偏差値50以上に合格したのだったら、1学期は、さっさと高校の範囲を予習したほうが良いです。
どうしても、高校入試の参考書や過去問などの復習をしたいなら(たとえば高校偏差値50高校の人が偏差値60高校の過去問をやりたいなら)、夏休み以降とかにしてください。
なぜなら、1年の1学期は、まずは高校レベルの知識を増やさないといけないのです。
たとえば英語の場合、とにかく、単語数を増やさないといけない。単語数を増やさないと、英文読解なども開始できない。
数学の場合、たとえ授業で習った二次関数あたりの範囲だけが得意でも、大学入試の一般入試では、それ単独では何の役にも立たないので(二次関数だけの大学入試の数学は無いからです)、1年生の段階では予習をしておいて、「順列・組合せ」なども予習しておく必要があります。
そもそも、難関私立高校の入試過去問の英語・数学の一部は、高校1年の範囲の先取りです。高校1年範囲の予習をしておけば、自然と高校入試の復習になります。
よって、けっして、私立の高校偏差値70くらいの、やたら難しい難問には取り組む必要は無いでしょう。さっさと高校レベルに入ったほうが得です。
高校入試の理科の場合、数学力が低くても解ける低レベルな問題しか高校入試には出ない。具体的に言うと、二次関数を必要とする問題が出ていない。(高校入試の数学で出るのは「二次関数」ではなく「二次方程式」です)
また、この事から、理科の予習ではなく、まず先に数学を予習する必要があります。手早く、数学の二次関数と因数分解は、予習して終わらせる必要がある。
ただし、理科の物理・化学の予習は、困難。実験などの問題もあるし。高校でならう生物しか、予習できないかもしれない。
高校生の勉強量
[編集]高校は予習・復習しないと教科書が終わらない量になる
[編集]中学と違い高校では、予習・復習をしないと実質的に、教科書の内容が高校在学中には終わりません。なので大学進学を志望する場合は、この点に注意して、高校2年までの家庭での勉強スケジュールを立てましょう。
べつに当wikiでは、「高校生はそう勉強すべきだ」とかは言っていません。単に、「現状の仕組みはこうなっているので、なのでこうなりたい人は、こうしなければならないだろう」という事実とそれに対する対応の例示をしているだけです。
では、予習復習が必要とはどういう事なのかを下記に説明します。
たとえばテレビのNHK教育の放映スケジュールなどを見ると、あたかも1年間に全部終わりそうに見えてしまい、たとえば数学Aなら、NHKは1年間にむりやり詰め込んでテレビ上では終わらせてます。
しかし(テレビ上ではなく)現実の高校では、定期試験とその返却の週には単元が進まないので(返却の週の前半で解説を終わらせて後半は単元を進められるだろうが、解説が面倒なので省略)最低でも4週間は遅れます(定期試験が多くの高校で年5回(1学期の中間・期末、2学期の中間・期末、3学期は期末のみ)あるので、うまく詰め込んでも定期テスト関連のせいで年あたり3~4週は遅れる)、ほか学校行事(文化祭などで最低1週間は遅れます)などもあるので、けっしてテレビ通りのハイペースでは進みません。加えて、理系科目では計算問題などの演習の時間も必要なので、教科書の単元のうち 4分の1 ~ 3分の1 くらいは授業時間をオーバーして、教科書を完了できないと思われます。
中学では学校行事などあっても教科書が終わりましたが、しかし高校では教科書で習う知識の量が多いので、決して授業だけでは終わりません(普通の高校ではそうです。例外として、私学などで、全寮制で寮内で授業があるとか、もしくは夜中にまで校舎で授業するような私立高校でもないかぎりは(実在するかどうかは知りません))。
このため、多くの高校では、多くの科目で、高校1年までには高校1年でもらった教科書の範囲が終わりませんし、高校2年でも同様に高校2年の教科書が終わりません(特に理系科目は計算練習の時間不足で、後半が終わらないでしょう)。
もしくは、もし高校でハイペースで終わらせた場合、授業での「練習問題を解く」などの演習がかなり少なくなりますので、家庭での自発的な勉強にて演習を補う必要が生じます。
予習と復習の量をどうするかは個人によって異なるし、また高校や科目によっても異なるので本ページでは明言しませんが、ともかく普通科高校はそういうものだと事前に知っておきましょう。
高1から趣味を減らさないと受験勉強と両立できなくなる
[編集]これはつまり、家庭での5教科の勉強以外の趣味につかう時間を、減らす必要があるという事です。それが良い事かどうかは知りませんが、その家庭での5教科の予習・復習を前提にして、文部科学省の指導要領および大学受験の出題範囲が組まれてしまっています。
定期テストの2週間前の勉強だけしか家庭で勉強しないペースでは、それで可能なのはあくまで「定期テスト対策」だけであり、もはや各学年の教科書の内容を終わらせるのは2週間だけ(×5回。 定期テストが年5回あるので)の家庭学習では無理です。
なお、高校の「探求学習」および大学受験の総合型選抜(かつての「AO入試」)で評価されるのは、あくまで学術的な未知への「探究」なので、どんなにスポーツや芸術が上手だろうが評価の対象にはなりません(少なくとも、ネット公表されている東大や慶応大などの総合型選抜の合格テーマを見る限りはそう)。
部活がスポーツ系や音楽系などの部活の人は、進学校では、家では練習をあまり行わないように指導されています。
大学入試で「部活をやりながら、難関大に一般入試で合格」とか言うのは、こういう運動部とかの、家では学業をしている人たちの話です。けっして家でもスポーツ練習をしているわけではないのです。一部の進学校の教育方針でいう「文武両道」とは、この程度のものに過ぎません。
そもそも、一般家庭の庭では、バスケやサッカーは土地が無くて不可能です。
部活によっては、家でも練習の時間を使えてしまう趣味もあります。パソコン部とか文芸部とか美術部とか。プログラミングや絵画や創作などの家でも個人でも出来る趣味をもっている人は、時間管理に注意をしましょう。
音楽も、騒音の問題があるので、受験どうこうとは無関係に、社会的なマナーとして「夜中は音楽の練習をしない」ように指導されるくらいです。むしろそれが音楽では基本的なマナーなのです。楽器の種類によっては、音量を下げられない、音量を下げようとすると音程が変わってしまう楽器などもあるので、放課後の学校の時間帯でないと練習が非効率な楽器もあるのです。
部活でなく個人でやってる場合、こういうのを教えてくれる大人も先輩もいない。パソコン部の無い高校も多いのです。
けっして、昭和のスポーツ漫画にあるような、家での練習の日々のような描写を、真に受けてはいけません。昭和の当時は、大学進学率がとても低かった時代です。大学進学は、浪人を覚悟して行っていた時代です。
高校2年レベルのいくつかの科目は省略されやすい
[編集]偏差値の高い進学校の高校では、たとえば、いくつかの中間的な科目が省略され、いつの間にか習得した事を前提にカリキュラムが組まれます。たとえば国語の古文漢文では、多くの進学校では「文学国語」という選択科目が省略されている事例が、私立進学校の公開カリキュラムで確認できます。私立高校だけでなく公立高校でも省略されます。
代わりに「古典探究」という高校国語の古典系の最上級の科目があるので、授業科目が「古典探究」に置き換わります。
進学校では、「文学国語」の内容は自然と身に付いた事にされるでしょう(こういう事は高校以降では、よくあります)。なので、参考書などで国語も予習しておきましょう。
大学入試では、省略された科目でも出題範囲になります。個別の高校のカリキュラムには合わせてくれません。
理系科目でも、数学Aや数学Bなどの全単元は授業では紹介しきれない高校が多いと思われますが、しかし高校3年になると、多くの進学校の理系クラスでは、家庭学習などで自然と身に付いた事にされます。
大まかな道筋
[編集]教科書・参考書を読む
[編集]- ※ この段階は、高校1年生から3年生まで、全学年を対象にしています。
いきなり受験用の問題集を解こうにも、高校1年 - 2年では、まったく解けません。高校の授業レベルをきちんと理解することが基本ですが、それと並行して、教科書や参考書を自分で読むことが重要です。
まずは、教科書(ただし国語科目を除く)や参考書を読みすすめてください。文系科目は、参考書などで重要語句とか単語・熟語などを覚えてください。理系科目も、とりあえず参考書を読み進めて、参考書の問題練習を解いてください。参考書に問題が無い場合、学校でもらった問題集か、または同レベルの入門的な問題集などの問題を解いてください。
- 昭和や平成初期の参考書が残っているので注意
参考書の購入のさいの注意事項として、新しい版の参考書を買うことです。なぜなら、出題範囲などが当然ですが新しい版の本のほうが現代の高校生に合っているからです。
高校レベルの参考書の場合、90年代やそれ以前に出版されたままの古い版の参考書が、大型書店だと今でも印刷されて販売されていることもあります。たとえば大手の予備校の出版した本だと、平成初期の1990年代にユニークな企画の参考書が多く出版されたので、そのような本も現代では改訂が無いのでいまだに出版されています。ほか、古文漢文の現代語訳集では、もっと古い昭和の1980年代の版の時代の本すらもあります。
そのほか、古い名著の参考書でも、著者が死んでしまって改訂できないままになっている参考書もあります。
数学の参考書にある「モノグラフ」シリーズは、監修者の矢野健太郎(やのけんたろう)が1993年に死没しているので、現代では基本的に改訂が不可能です。にもかかわらず、他に比較的に平易に高校範囲外の内容を解説した参考書が普及していないので、この参考書はよく、ちょっと参考書の充実した書店には令和の今も残っています。
ほか、チャート式の日本史の著者の門脇禎二(かどわきていじ)も2007年に死没しています。
ほか、チャート式の世界史の前川貞次郎(まえかわていじろう)も2004年に死没しています。
(なお、チャート式の倫理の共著者の佐藤正英は2023年に亡くなられました。もう一人の共著者の片山洋之介も2014年に亡くなられています。)
そういった古い内容の参考書もそれはそれで必要とする人もいるし高学年で使うようになる可能性もあるので書店にはおいてあるのですが、とりあえず入学はじめのころ~高校2年の段階では新しい版の参考書を買うのが無難です。
ほか、駿台の英語の参考書の伊藤和夫(いとうかずお)も1997年に死没しており、改訂不可能です。駿台の化学の三國均(みくにひとし)も2005年に死没。なお、物理の山本義隆(やまもとよしたか)は2023年現在まだ生きています。
それでもどうしても古い参考書を使うなら、普段の学習では、歴史科目なら他社の時事的な資料集で補うか、あるいは他の教科なら別の新しい参考書を使用すると良いでしょう。
- 問題練習
(問題集ではなく)標準的な参考書にあるていどの問題は、すべてやりましょう。数学以外では、そんなに参考書の問題は時間が掛からないと思います。数学については、その科目の学習方法のページを参照してください。
大学受験をして日東駒専(日大・東洋・駒沢・専修)とかに一般入試で行きたいなら、最終的に高校2年後半~3年くらいから問題練習を中心とした勉強に移る必要があります。3年次にそれを実践できるペースを意識して日々の予習復習などの勉強をしてください。
入門的な参考書なら、そんなに問題をやりぬくのに時間が掛からないと思うので(ただし数学を除く)、2冊目の参考書を読むに行きましょう。この際、前の参考書で練習したことは、新しい参考書では、いちいち再練習する必要ありません。まだ練習してないタイプの問題を練習してください。
問題集はよく吟味し、少ない冊数に絞りこんでやりこむのが適切です。
参考書によって、伝統的な教育内容を中心的にあつかった参考書もあれば、近年の入試動向を反映した参考書、さらには近年の検定教科書のあつかう話題を組み込んだ参考書もあり、多種多様です。たとえば、文英堂シグマベストと数研出版チャート式と学研の高校参考書では、明らかに編集方針が違っています。
ですので、複数冊所持することは一向にかまいませんが、科目や参考書のタイプによっては、記述が膨大だったりしてやたら沢山買っても読むのに時間をとられてしまい問題練習をできなくなってしまいます(もし問題練習を無視すれば、読むだけなら時間はある)。問題練習できなくなるぐらいなら、そういう科目では、これと決めた参考書を1冊やりこむ方が適切でしょう。
定期テストのレベルの問題集に取り組む
[編集]- ※ この段階は、高校1年生と2年生を対象にしています。
ある程度教科書・参考書を読んだら、次は高校の定期テスト対策レベルの簡単な問題集に取り掛かり、読み終えたぶんの問題を練習します。 (このような定期テストレベルの問題集は、「ワークブック」などと呼ばれる。書店では、参考書コーナーに置いてあるのが普通。)
教科書・参考書を読むだけだと、書き取り練習や計算練習などができません。そこで、高校1年 - 2年2学期くらいの段階では、高校生用の市販のワークブック(高校から配布される場合もある)を活用してください。書店の高校参考書コーナーの付近にあります。もし高校から教科書会社などの出版しているワークブックを配布されていたら、その配布されたワークブックを利用しても構いません。
教科書や参考書を読みつつ、必要に応じて、ワークブックの問題を解いてください。
参考書にも練習問題がある場合もありますが、問題量が不足してたり、問題レベルが初心者に合ってなかったりして、いきなり参考書の問題集に取りかかるのは非効率です。まずは「ワークブック」から練習するのが効率的です。
ただし、ワークブックは出題が基礎的な内容に限られているため、高校2年生の2学期くらいからは将来的に入試問題慣れをするため、受験を意識した問題集に切り替えましょう。
参考書を読み進めることと並行して、問題集での問題練習に取り掛かってください。
このさい、問題集には書き込みしないように。教科書にも、書き込みしない。今後の復習のためです。そして、なるべく早めに教科書や参考書の未読部分を通読し、教科書や参考書を読み終え、なるべく早めに簡単な問題集を終えてください。
国立志望などのように受験教科数が多い場合や、部活や委員会などに時間を取られる場合、高校2年終わりまでにワークブックが終わらないかもしれません。その場合、偏差値50以上の高校で普段から真面目に勉強してるなら、わざわざ3年生でワークブックを勉強する必要がありません。高校3年になったら、より実践的な問題集に時間を割くべきです。
さて、基本的なレベルの問題集だけだと入試を突破するのは難しいが、基本的なレベルの問題集も確実に解けないようでは入試を突破できるはずがない。まずは基本的なレベルの問題集もきちんと問題練習するべきです。
定期テストの後に、復習を忘れずに
[編集]定期テストの前には言われなくても試験勉強をするでしょう。それはそれで、試験前の勉強も必要なのですが、しかし、定期テストをこなすだけで満足してはいけません。定期テスト後に、最低限、未修得の分野を復習する事が必要です。全国模試の場合も同様です。
入試平均レベルの問題集に取り組む
[編集]- ※ この段階は、高校2年生と3年生を対象にしています。
次に、入試対策用の問題集に取り組みます。まずは平均的な難度の大学向けの問題集でよいので、問題集を入手して、問題練習してください。この「標準的」とされる「入試」対策用の問題集ですら、現役の高校生には、解くのがかなり難しいです。なので、まだ「難関校むけ」の問題集には取り掛からないほうが良いでしょう。解けない問題集の解答冊子を読む作業ほど無駄な勉強はありません。たとえ難関校を志望する場合ですら、標準難度の入試問題を解く能力も要求されます。なので、志望校が難関校か中堅校かのどちらにせよ、平均的な難度の入試対策問題集を解きまくれる能力が、受験生のころまでに必要になります。難関校向けの問題集よりも、まず先に標準レベルの入試対策問題集を使用してください。
- 高校1年の読者の場合
高校1年生でも、授業で習うだろう数学IAや生物基礎などの入試問題は解けるかもしれませんが、入試問題集に深入りするのは2年以降で構いません。どうしても高1で入試問題集をしたい場合、センター試験対策の問題集にしておきましょう。
なお、たとえどんなに数学IAの入試難問が解けたところで、数学IIIの平均的な入試問題が解けなければ、理系のまともな大学には不合格です。どんなに生物基礎の難問が解けたところで、高2高3で習う生物(旧・生物II)科目の平均的な入試問題が解けなければ、理工学部の生物学科には不合格です。
学校生活
[編集]睡眠時間
[編集]睡眠時間が不足していると勉強のパフォーマンスが低下する。そのため一日に8時間以上の睡眠や規則的な生活を心がけよう。
カフェインの摂取
[編集]カフェインを摂取すると、中枢神経が刺激され一時的に集中力などが向上する。紅茶などカフェインが含まれる飲み物を勉強前に飲んでみるのもいいかもしれない。ただし、カフェインを過剰に摂取することがないように注意しよう。
大学受験に向けて
[編集]入試と教科書とのズレが大きくなっている
[編集]2024年の現在、探求学習が増えたりして座学的な知識の授業時間が減ったにもかかわらず、実際の大学入試問題では、座学的な知識の要求量はあまり減っていません。
科目によっては私大どころか国の新共通試験ですら、過去のセンター試験時代とあまり量が変わってないように見えるような実態があります。
対策としては、(検定教科書だけでなく)参考書・問題集による予習が必要になっています(もちろん復習もそのあとに必要ですが、まずは予習です)。いつから予習をするかやその程度については志望校や科目にも寄るので個々人に任せますが、ともかく検定教科書と一般入試の出題とのギャップが大きくなっている事は把握してください。
もちろん一般入試以外の経路(指定校推薦や総合型選抜(AO入試)など)で進学するのも人によっては手段ですが、ともかく検定教科書と一般入試がズレています。
日本史で、探究学習で日本史の教科書が薄くなったにもかかわらず、市販の教材を見てみると入試に要求される知識量が変わっていない、という報告があります[3]。
過去問に取り組む時期について
[編集]- ※ この段階は、高校2年生と3年生を対象にしています。
大学入試対策の最後の仕上げとして、志望校の過去問に取り組みます。注意すべきなのは、過去問とは出題傾向や難度のレベルを調べるためのものであり、使用者の学力向上を第一目的としてはいないということです。眺めるのは早いに越したことはないですが、やりこむのは入試直前期だけで十分です。ただし、入試直前期には必ずやりこむべきです。特にセンター試験の過去問などは、試験馴れの目的も含めて、少なくとも過去数年分のセンター過去問ぐらいは練習したほうが良いでしょう。
高校3年になったばかりの時期では、過去問の得点が悪いのが通常[4]だと市販の学習ノウハウ本にも言われてますので、あまり過去問対策を急ぎすぎないようにしましょう。
教科ごとの学習のバランス
[編集]英数国が基本
[編集]特に受験直前ではない低学年の学習において、基本的な教科として重要なのは英語・数学・国語の3教科です。これは、これら3教科の学力をつけるには付け焼刃ではなく時間をかけたじっくりとした学習が必要なこと、これら3教科の学力をつけることが他教科の学習効率にもつながってくること、これら3教科は大学入試において大きな配点で課されることが多いこと、などによります。中でも大学入試においては、国語は文系、数学は理系において特に重視されがちですが、英語は文理ともに最重要な教科であり、1年生のときから英語の学習を重点的に行うことが推奨されます[5][6]。大学入学後の学習にも英語力は文理とも必要なことを考えれば、当然と言えるかもしれません。数学に関しては、英語についで文理ともに重要であり時間のかかる教科ですので、英語についで早くから重点的に学習することが必要になります[7]。
文理選択との兼ね合い
[編集]普通科の高校の多くでは、高校2年生から文系と理系に分かれたカリキュラムで学習するために[8]、その選択は実際には1年生の間に迫られることになります。大昔は3年生で初めて文理を選択することが主流の時代もありましたが、昨今の学習内容の増加により、それでは各教科の学習が十分できなくなっているためです。高校1年生で進路を真剣に考えなければならないというのはそれだけでとても高いハードルですが、厳しい言い方をすればもう高校生なのですから、自分のことは自分の頭で真剣に考え、適切な選択をしなければなりません。
2年生以降の学習では、文理選択によりカリキュラムが決まってくることで、学習する教科のバランスは自ずと希望する進路に最適化された形で調整されます。逆に言えば、そこから進路志望を変更すること(いわゆる文転など)は極めて厳しい道になりますので、文理選択の前に十分に進路について考えておく必要があります。
英検・漢検・数研などの私大受験での評価
[編集]英検および TOEIC などの、英語系の試験ばかりが、ほとんどの私大の文系学部の入試にて、総合型選抜にて重視されます。
いっぽう、漢字検定および数学検定は、大学受験では基本的に、あまり評価されないです。「評価点が低い」という次元ではなく、そもそも漢検などによる加点・評価の制度そのものが大学受験では存在していない私立大学も多いのです。また、そもそも国公立の大学では、資格試験を評価しないのが普通。資格試験による加点の評価は、私立大が大半です。
高校受験とは違い、けっして各県の教育委員会が大学を管理・運営しているのではないのです(「大学の自治」というのがあります)。なので、けっして漢検・英検・数研の3つを、大学では対等にあつかう義務は無いのです。
私立大学の入試科目の傾向
[編集]基本
[編集]- ※ 高校3年で知っても手遅れなので、このページで事前に説明します。
単に入試科目を覚えるだけでなく、加えて、大学側の背景的な事情も知ってください。
なお、たとえ入試科目以外でも、高校必履修の科目は、きちんと高校時代に勉強をしましょう。そのほうが新共通テストでも有利なので、必履修科目は勉強しておくに、こした事はありません。
しかし、だからといって、必履修科目でない科目までも、自分の進路とはズレているのに、いつまでも均等に学び続けるのも、考え物です。
特に地歴公民や理科で、新共通テストでは受験できる科目であっても、各大学の個別試験では受験できない科目も、多く存在します。
志望先が文系か理系かによって、受験できない科目の傾向が変わるので、それぞれの場合ごとに説明します。
文系志望の場合
[編集]多くの私立大学の、文科系の学部の入試科目は、典型的なパターンでは、
- 「英語」+「国語」が必須科目で、
ほか、選択科目で、
- 日本史/世界史/政治経済/数学II・B
のパターンです。規模の大きい総合大学だと、地理が加わる場合があります。
また、学科によっては、数学が無かったり、政治経済が無い場合もあります。
なお、総合型選抜や推薦入試などの筆記試験でも、英語と国語が、必ず要求されます。
国語のある事情を説明すると、多くの大学で、英米系でない外国人に対する教育が、無理だからです。
たとえば、日本の多くの私立大学では、経済学や法学の授業は、日本語で行われます。
ごく一部の国際的な大学なら、英語の授業もあるかもしれません。しかし、韓国語やスペイン語での、経済学などの授業は、全くありません。
「倫理」が無いことが多い場合に、注意してください。「公共」も無いのが普通です。
新共通テストとは違い、「公共+政治経済」みたいな合成科目は、私大の個別入試には存在しません。
背景として、そもそも倫理や哲学のような入試問題をつくれる大学教員を、多くの私立大学が、十分には抱えていない、という事情があります。2人~3人くらいはその科目の教員がいたとしても、それでは人数が不十分だったりして、入試問題をつくるには不足しています。
地理も同様、そもそも私大側が、地理学者を抱えていない場合があります。このため、そもそも試験問題を作れません。
たとえ教科名は「地歴公民」であっても、地理が個別試験では受験できない私大も多いのです。
教科名は「地歴公民」ですが、入試科目における実態は「歴史政経」(当wikiの造語)です
さて、理系科目について。
下記パターン
- 日本史/世界史/政治経済/数学II・B
のうち、見落としがちですが、理科(生物・化学・物理・地学)がひとつも無いことに注意してください。
経済人や法律家にも理科の素養も必要かもしれませんが、しかし経済学部や法学部の入試科目としては、理科が無いのが典型例です。
仮に、もし理科の得意な子が、その文系の学部に入学してきても、あいにく大学の文系学部側が、満足にその子の理科の才能を伸ばすような教育が出来ません。時間的にも設備的にも、ロクな環境が用意されていません。
そもそも、文系学部の校舎には、理科室すら存在しない場合もあります。
つまり、なんと、大学の設備は、専門分野の以外は、高校の設備にすら劣ります。たとえ文系の学部に、授業としては理科(大学では「自然科学」という)の科目があっても、しかし設備に理科室は無いのが普通だという事に注意してください。
ほか、見落としがちですが、「情報」教科もありません。
多くの私立大学の経済・経営・法・社会系の学部が、コンピュータ教育やデータサイエンス教育などの必要性をうたっているかもしれませんが、しかし2024年時点での公表されている入試科目を調べた限り、「情報」は入試科目には含まれて這いません。皮肉ではなく、単純に調査結果の報告として、「情報」は多くの私大の入試科目には無い。
2025年度からの新共通テスト「情報」の導入とは、混同しないでください。
将来的にはどうなるか分かりませんが、少なくとも2024年の時点では、ほとんどの私大には「情報」は入試科目には無い。
理系志望の場合
[編集]理系の場合、
- 英語 + 数学III・C + 理科(物理/化学/生物)
の3科目が、典型例です。
国立大でも、二次試験はこのパターンの場合があります。大学によっては、国立二次に「国語」が追加されます。
本節では、私立について述べます。
理科について、
- 「地学」が入試科目に無い場合が大半、
だと注意してください。
余談ですが、指定校推薦や総合型選抜などを使う場合、理系では、上記の科目の履修が義務づけられている場合があります。
つまり、「数学III」を履修していないと、どんなに評定平均が高くても、指定校推薦に合格しない、といったような規定を大学側が設けている場合もあります。
同様に、たとえば、「生物基礎」ではなく(高校3年で習う)「生物」の履修を、大学の「生物学科」が指定校推薦などの条件に義務付けている、といった事もあります。
高校3年の「物理」や「化学」も同様です。
こうしないと、低学年むけの簡単な科目ばかりで、好成績を取る生徒が続出しかねないから、です。こうする事で、抜け穴をふさいでいます。
なので、高校3年の理科は、志望先の学科に近い科目を履修するのが無難です。詳しいことは 高校生活ガイド で説明してあるので、情報が必要なら、そちらを参照してください。
- 理系の総合型選抜の傾向
医療系と工学系とで、大きく傾向に違いがあるでしょう。なので、この節では、多くの人が選ぶ、工学系・理工系の学部での総合型選抜について述べます。
私立の理工系の総合型選抜では、数学と英語の2教科が要求される場合があります。国語は無い場合が多いですが、もしかしたら小論文があるかもしれません(大学によります)。
注意点というか、基本的には理科が、総合型選抜では受験教科から外される場合が多いです。おそらく、理科がまだ3年の秋の10月ごろには終わってないのでしょう。
基本、総合型選抜の入試時期は、年内入試であり、年明け前の3年生(学校推薦型の場合)の9月や10月ごろが時期でしょう。
理科の場合、2年生では「化学基礎」・「生物基礎」のような2単位の基礎科目までしか習ってないので、受験科目の専門「化学」や専門「生物」などとの4単位の科目との落差も大きい。
ただし、評定平均などで、理科について高めの評定が要求される可能性もあるので、2年生までの理科も勉強しておいてください。
結局、理科も普通に勉強しておくのが安全です。どうせ大学進学後に、理科を使いますので。
ノートの使い方
[編集]記憶の定着を図るために、授業の内容などをノートにとるという学習は有用かもしれません。
ノートづくりを目的にしてはならない
[編集]ノートを作る際に注意すべきなのは、ノートはあくまで手段であって、ノートづくりが目的ではないということです。複数の色のボールペンやマーカーを駆使して鮮やかなノートを作り上げる人がときどきいますが、その作業自体はあまり学習には役立たず、無駄な時間になることがほとんどです。
ノートは、書き取り練習だと割り切って、使ったほうが良いでしょう。手を動かして練習したいなら、ノートづくりをするよりも、語句の書き取り練習とか、あるいは問題練習などに時間を割いたほうが良いでしょう。「必要に応じて、ノートを作れる」という能力は、学習の結果・成果であって、けっして学習の手法ではありません。
カラフルなノートを作る必要は無い
[編集]たとえノートで色ペン・色マーカーを使うにして、せいぜい赤ボールペンまたは青ボールペンか、あるいは色マーカーの一本でもあれば、高校生のノートでは十分でしょう。べつに予備として青ペンとか5色マーカーとかを持っていても構いませんが、あまり色の使い分けを気にする必要はありません。教師が色チョークを使うたびにその色のペンでノートをとる人が多くみられますが、実は教師自身も使い分けを意識せずなんとなく別の色を使っている場合もあります。ですので、わざわざマーカーの色を語句によって使い分けることを、いちいち気にするぐらいなら、いっそのこと、ぜんぶ同じ色のペンで使ってしまったほうが良いでしょう。複数の色ペンを使い分ける労力があるなら、授業中ならば教師の説明を聞いて理解することに集中してください。家庭学習なら、複数の色ペンを使いわける労力があるんだったら、その時間を使って参考書を読み込むとか、問題練習とかをしたほうが良いでしょう。
書き取り練習
[編集]英語や社会科や古文漢文などの文系科目において、ある程度の書き取り練習は必要ですが、すべてを丸暗記しようとして1度に10回や20回もの書き取りをするような学習はやめましょう。高校では中学のように易しい内容ばかりを問うてはくれませんので、丸暗記ではとても乗り切れないのです。
高校生の文系科目の勉強法は、まずは、ひととおり教科書・参考書の各章・各節を読みおえたら、重要語句を覚えたり、その周辺の知識を覚えるなどしましょう。このとき、細部の丸暗記は後回しで、全体の流れを理解するように努めましょう。
しかし、社会科の場合、何十回と書き取るヒマがあるなら、市販の用語集などを読み込んだほうがマシでしょう。
なお、共通テストはマークシート方式のため、社会科の用語の漢字を問う問題などの書き取りは出題されないので、注意のこと。
また、書き取りの他にも、教科書・参考書を声に出して読んだりと自分で勉強方法を工夫しましょう。
ノートと雑紙
[編集]高校の5教科の家庭学習では、ノートの復習・整理よりも、書き取り練習用の用紙や、あるいは計算練習用の用紙などの「雑紙」が、必要になります。なので紙の枚数のことを気にせずに好きなだけ書き取り練習などに使えるような「紙」はたくさん用意しておくべきです。不要になったプリントの裏紙など、なるべく遠慮なく使い捨てられる紙を、たくさんストックしておくとよいでしょう。そのような紙を用いて、書き取り練習をしたり、計算練習をしたり、問題練習をしたりと、どんどん手を動かして記憶や理解を定着させる練習作業のほうが、はるかに学習として役に立ちます。
もしノートに知識をまとめるなら、雑紙で練習したあとの自分の知識をまとめたものをノートにきれいに記すとよいでしょう。むろん「きれいに」というのは日本語の「てにをは」をしっかり補って答案を作成するということで、けっして色鮮やかにすることではありません。
ノートの提出・チェックなど
[編集]そうして、もし、そこそこ整理されたノートがあれば、機会があれば、学校教員または塾講師などに確認してもらえるように、彼ら教員・講師などに頼んでください。ここで、採点者に通用する答案を作成する練習をすることができます。単にノートで知識を整理するだけでは、あまり論述の練習にはなりません。だれかにノートの質を確認してもらう必要があります。質の確認の取れてないノートは、その時点では、まだ単なる鉛筆で書き込みされた紙の集まりに過ぎません。
ただし、教員にも仕事があるでしょうし、あなた以外の生徒も相手にしないといけませんので、無理にはノート確認をお願いしてはいけません。塾講師などを利用する必要があるかもしれません。もし、教員や塾講師が忙しくて、あなたのノート確認まで時間を取れないなら、自分でワークブックや問題集などで問題練習して、知識の質を確認します。簡単なワークブックとか、簡単な問題集などでも良いので、それらの教材を利用して問題練習することで、知識の質を検証してください。
さて、学校によっては、ノート提出を学生に要求する場合もあります。もし、そういう機会があれば、せっかくの機会を利用して、ノートを提出して教員に確認してもらいましょう。また、レポート課題などを出す学校もあります。ノートに整理した内容がレポートに利用できそうであれば、せっかくノートにまとめたのですから、その内容をレポートにも利用しましょう。
ただし何度も注意していますが、ノート作りはあくまで補助であって、けっしてノートづくりが目的ではありません。無理にノート作りに時間を割く必要はありません。また、無理にノートを教員・塾講師などに提出・確認依頼する必要もありません。「もし、そこそこ整理されたノートがあれば、」というふうに「もし」という条件つきです。ノートの整理のために、書き取り練習などの時間を減らしてしまうのは、本末転倒です。
ノート作りは、自然に授業中の内容とかをノートにメモしていく程度で良いのです。自然にそこそこのノートが出来上がれば、せっかくノートがあるのでしょうから、利用するのも一手というだけです。
ノートを書かない
[編集]思い切ってノートを全く書かないというのも一つの手です。せっかく苦労してノートを書いても、専門家の書いた教科書・参考書には遠く及びません。それならば、最初から既に完成された教科書・参考書を使って勉強したほうが良いでしょう。
教科書ガイドについて
[編集]教科書ガイドの使い方について、次の2通りの意見が提出され、議論になっています。読者は、自己責任で判断してください。
説1
[編集]書店には、「教科書ガイド」があふれています。特に古典や英語なら、これがあれば予習のためにわざわざ自分で訳を考える必要はない、という代物です。教科書ガイドは、次のような目的には大いに役に立ちます。
- 目前の授業でとりあえず教員に怒られないで済ませるため
- 目前の定期テストでとりあえず赤点をとらないため
一方、次のような目的には全く役に立ちません。
- 大学受験に対応できる学力をつけるため
そもそもなぜ授業の予習で訳をさせるのでしょう。それは、訳を覚えるためではありません。なにしろ、教科書に載っているのとまったく同じ文章は、(稀に不注意な大学がうっかり「やらかす」ことを除けば)受験には絶対に出ないのです。授業の予習で訳をするのは、訳をするという経験を積むことによって、次に見る文章は自分で訳せるようにそのノウハウを身につけるためです。出来上がった訳などはどうでもよく、訳を作るという経験が重要なのです。その経験をすっ飛ばしてしまう教科書ガイドは、百害あって一利なしです。赤点をとらなければそれでいい、というのであれば構いませんが、学力をつけたいと思うのであれば、次の古紙回収の日にまとめて捨ててしまいましょう。
説2
[編集]古典や英語なら、教科書ガイドがあれば、自分で訳を調べる手間が、かなり省けます。古典の場合、訳を考える必要が英語よりも少ないため、古典の教科書ガイドに現代語訳がすでに書かれており、古典の教科書ガイドは大いに役に立ちます。(とはいえ、古文単語集なども勉強しておきましょう。)
また、古典の市販の和訳集は、たとえ高校生向けのものでも、巻号(「第○○巻」などのこと)ごとに特定の作品にばかり深入りしているものが多く(たとえば第1巻は1冊まるごと「枕草子」とか)、入試動向とはズレているので、リスク分散のためにも、古典の教科書ガイドを何冊か購入して読んでおくのが安全でしょう。
また、国語では現代文の場合でも、著作権の理由などか、国語の市販の参考書では解説の書かれていない作品についても、教科書ガイドで解説が書かれており、参考になる場合があります。
ただし、古典を除けば、英語や現代文では、教科書とまったく同じ文章は、普通は入試には出ないので、入試対策としては、あまり教科書ガイドは役立ちません。
なので、その教科の入試動向が分からないうちは、なるべく普段の学習では、教科書ガイドでなく、まずは参考書で勉強しましょう。例外的に、教科書ガイドも深く読んだほうが入試対策もふくめて勉強しやすい科目や事柄(古典の訳、定期テスト対策など)だけ、教科書ガイドで勉強するのが効率的でしょう。
なお、英語の教科書ガイドには、そもそも、教科書の英文そのままの翻訳は教科書ガイドには書いておらず、かわりに教科書で使用されている熟語や構文などの解説が書いてあるだけです。結局、教科書ガイドを読んでも、自分で和文翻訳を考える必要が残ります。英語の教科書ガイドは、単に辞書や単語集を調べる手間を減らすためのものです。
教科書ガイドだけで勉強していると、本来は理解できていない構文でも、教科書の構文まるごと訳を覚えてしまったりして、それでも定期試験では高得点がとれてしまう場合もあり、ついつい「理解したつもり」になってしまいがちです。なので、英語の教科書ガイドにある(構文や熟語などの)翻訳は、あくまでも定期テスト前などの確認の用途にしておきましょう。
もし、自分のこれから勉強しようとする教科が、教科書ガイドを使用せずとも充分に勉強できる教科であれば(例えば数学や理科では、教科書ガイドを使う機会がない場合がほとんど)、むしろ、わざわざ教科書ガイドを購入しないほうが、「理解したつもり」に陥る(おちいる)ことを防げるので、安全かもしれません。
同様に、国語や英語などの定期試験対策をする場合でも、なるべく、教科書ガイドに頼る時間を減らすように努力しましょう。そのため、教科書ガイドだけを購入するのではなく、5教科の参考書も購入しましょう。
また、国語の古典でも、平均レベルを越えた大学の場合、検定教科書でも扱ってない作品を出題する事があるので、教科書ガイド以外に古文単語集などの勉強も必要です。
なお、どの教科でも、授業ではその教科書すべてを扱いきれず、いくつかの単元が未習になる場合もあります。そのような場合に、独学したい場合に、教科書ガイドは活用できます。センター試験の出題範囲は、その科目の検定教科書の範囲を参考にしていますので、時間に余裕があれば、検定教科書の未集でやり残した範囲も勉強しておくと、入試対策としても安全です。
教科書ガイドがなくても、参考書などを頼りにして、ある程度は独学する事はできますが、しかし教科によっては(国語など)、教科書の問題の答え合わせが、参考書だけではできない場合があります。そのような場合の、教科書の答え合わせに、教科書ガイドが役立ちます。 特に国語の場合、参考書でも扱っていない作品があり、すべての作品の解説を購入するのは無理なので(金銭的にも難しいし、そもそも現代文では高校生向けの解説書が販売されてない作品がほとんど)、独学の際にも役立ちます。
教員の中には、不適切な量の予習を要求する教師もいて、そのような教師への対策としても教科書ガイドが有効な場合があります。生徒にはまず全教科の学習があるということを無視して、いたずらに自分の担当科目ばかり、大量の予習を要求したりする指導などがありますが、しかし教科書ガイドがあれば予習がしやすくなり、そのような不適切指導による負担が軽減されます。
学校教員のなかには、教科書ガイドの内容をよく知らずに、憶測だけで「教科書ガイドを使うべきではない。教科書ガイドは役に立たない。」という主旨の指導をする人も、ときどき居ます。ですが、教科書ガイドの出版社も、それほど馬鹿ではないので、マジメな高校生が読んでも役立つように内容を工夫しています。
もし、教科書ガイドによって、教員の授業の価値が成り立たなくなるとしたら、役に立たないのは教科書ガイドではなく、教科書本体に何らかの欠陥があるのでしょう。裏をかえせば、数学や理科などのように、教科書ガイドがなくても、教科書と参考書だけで充分に勉強できる教科では、当然ながら、教科書ガイドは、あまり役立ちません。
なので、その教科・科目の特徴や入試傾向によって、教科書ガイドを購入するかどうか、使い分けましょう。
バランスよく学習する
[編集]教師の課題に振り回されない
[編集]教科ごとの学習量のバランスにも注意しましょう。特定の科目に偏るのではなく、全教科をしっかり学習することが、進路実現のためにも役に立つのです。このように言うのは簡単ですが、各教科の担当教員ごとに予習復習や課題や小テストなどの要求量が違いますので、ついつい課題の多い教科の学習に偏りがちです。ですので、バランスよく学習するためには、そのような意識を常に持っていることが不可欠なのです。
具体的な順序
[編集]※ 次の2通りの意見が提出され、議論になっています。
- 意見A: 2年生前半までは英数国の3教科の力をしっかりまんべんなく伸ばしましょう。
- 意見B: 2年生前半までは英数国の3教科の力を中心に、高校で習う全ての教科を伸ばしましょう。
これらの教科はどのような進路を選ぶにしろ学習を避けられませんし、力をつけるのに時間のかかる教科です。2年生後半からは理社にも力を入れ、5教科のバランスを整えていくことになります。このときまだ英数国の基礎力が不十分だと、理社まで手が回らず、どっちつかずでどうしようもなくなります。1年生から2年生前半までで英数国に穴をつくらないことが必要不可欠です。
勉強法は国立大卒の言う事をとりあえずの基準にする
[編集]私大卒の人の中には、まったく受験科目以外の勉強をしていない人がいます。特に文系卒で、数学や理科の勉強を、旧センター試験のレベルですら、全くしてない人もいます。
もし、そういう人の、国語や社会科の勉強法を、高校生がマネてしまうと、数学や理科が時間不足になってしまいます。
なので高校生は、とりあえず高校1年では、国立志望の人を手本にすると良いでしょう。
特に理系の人は、国立を手本にしないといけません。なぜなら私大の多くが文系学部なので、よって、歴史的には、世間にあふれる私大卒の勉強法の多くは数学・理科の学習を切り捨てる前提の勉強法である事も多かったのが実態です。2010年代に入り、少しはマシになりましたが、20世紀のころは理系科目を切り捨てた勉強法が横行していました。
なので、特別な理由が無い限り、国立大卒か、私立卒の人の勉強法を聞くなら せめて国立大にも合格した人や、あるいは理系卒の人の話を聞くようにしましょう。
これは別に、国立理系のノーベル賞ガーとか研究水準ガーとか研究予算の格差ガーとかの話ではなく、単に、受験勉強法としては、誰の話を基本にするか、というだけの話です。
私大文系卒の人の中にも、バランスの取れた勉強をしている人もいるでしょうが、しかしそれを他人が見分けるのは難しいので、とりあえずは国立卒を手本にしましょう。
結局のところ、ひとつの教科しか知らない人に、(たとえ英単語の意味のような教科書にある知識は語れても)勉強法そのものは語れないのです。なぜなら生徒は他の教科も勉強しないといけないので。
まず5教科をバランスよく勉強している人の意見を参考にしてアタマの全体最適化を行い、そのあと、必要なら、国立卒・私大卒の各科目の教師や塾講師などの意見を参考にして局所最適化を行いましょう。
塾・予備校の注意点
[編集]塾や予備校の中には、不適切な指導をするところもあるので、注意が必要です。生徒にはまず学校での学習があり、他科目の学習があるということを無視して、いたずらに自分の担当科目の、自分の塾オリジナルの、不必要な難問を含んでいたりする教材を勉強させたり、大量の宿題を要求したりする指導などが代表的でしょう。
志望校や受験校の選択についても、過度に現役合格にこだわるあまりの不適切な指導をされることもしばしばあります。こういった指導をする塾や予備校は、市場原理で淘汰されてはいるものの、根絶されてはいません。その塾・予備校に相談しても改善が見られない場合、保護者に相談して、他の塾・予備校に変えるなどの対策が必要です。
大学進学に要求される「理解」の水準
[編集]勉強には「理解」が大事と言いますが、では大学受験で要求される「理解」とは具体的にどのような知的水準でしょうか。目安として、答えは、書籍『高校の勉強のトリセツ』によると、何とか年下に教えられるレベルです[9]。
もっとも、若干は比喩であって、実際には高校生が年下に教える必要はありませんし、じっさいに高校時代に教えるのは時間の無駄でしょう。なぜなら素人の高校生が教育しても非効率なので。教員免許をもった専門家である学校の教師や、塾などの大卒の講師がいますので、彼らに任せたほうが効率的です。
とりあえず勉強のさいの脳内シミュレーションとして、架空の弟や妹などで、性格が少し生意気だけど根がマジメで勉強家で理屈屋のイマジナリー弟みたいなのを脳内で想定して、ときどき、彼に教育するシミュレーションというかメンタルトレーニング的な何かをする感じで脳内で授業を論理構成して自分に教育すると良いでしょう。過去の自分に教育するように、自分が悩んだところを、彼に分かりやすく教えることを目指すと良いでしょう。ときどき、で良いです。毎日やると面倒ですので。
じっさい、一昔前の2001年あたりの学習塾の大学生アルバイトも、たとえば大学進学して文系の学部に入学した学生なら、塾講師のバイト内容は、中学生の塾生への文系科目の講義がバイト内容です。同様、理系の学部に進学したら、塾講師バイトの内容は中学生に理系科目を教えられるレベルが水準です。
また、大学の教職課程(きょうしょくかてい)について、どんな大学でも教職課程を修了して大学卒業すれば、少なくともその学部学科の専門分野についての教員免許は取れます(実際には、公立教師の場合、加えて都道府県の採用試験などがある)。大学進学とはそういうレベルですので、そこから逆算すると、つまり本来の高校教育で大学進学コースの生徒に要求されている知的レベルが分かります。
もっとも、現実の高校は中学の延長上のようになっており、その水準まで到達していませんが。
もちろん、教科書・参考書などの助けもあって何とか教育できる、という話です。少なくとも、進学校の高校1~2年の基礎レベルでも、脳内弟(理屈屋)の教育は、そこそこ有効な勉強法でしょう。
なぜなら、そもそも進学校の高校1~2年に選ばれる科目の内容は、使用頻度が比較的に高く、加えて論理的思考力を養いやすい内容が選ばれているので、なので比較的に実用的で理路整然とした内容が選ばれているはずだから、です。
高校前半の教育内容が、そういった思考力のようなものを涵養できる教育内容になるように、文科省が定期的に指導要領を変えているし、大学入試センターなどにも行政命令をしているから、です。
また、教える職業なら、実用的にはスピードが要求されますので、そのためには自分が問題練習することも必要です。
第二次世界大戦の日本の海軍の提督(ていとく)である山本五十六(やまもと いそろく)という人物が、次のように格言を言っています、
- 「やってみせ 言って聞かせて させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ」
という川柳のような格言を山本は言っています。
大学進学者は、学問をやってみせる事ができるように、だから問題練習も必要なのです。
仮に自分が教師だとして授業中に予習不足で1分なやんだら、もし40人学級の担当なら、40倍の40分間の時間の無駄になってしまうのです。だから架空の授業で扱うレベルの練習問題は、スムーズに授業ができるように、きちんと練習をしないといけません。
だから大学進学コースの高校生には問題練習が必要であり、受験基礎レベル~標準レベルの簡単な問題集でもいいので、問題練習が必要なのです。
仮に中学卒業生に高校1年の内容を教えるなら、教育側としては評判の良い参考書などにも目を通して検定教科書以外にも周辺知識を増やさないといけません。一般に教育学などでは「人にものを教えるには、教える内容の3倍の知識が必要」と言われており、大学教育での授業時間の計算も本来はそういう理念に基づいています(大学教育の実態とは違いますが)。
ただし、高校3年で習うレベルの選択科目(世界史探究など探究科目や、専門『化学』など理系専門科目、数学III・C など)は、なんだかんだで問題練習などを多くして覚えるしかないでしょう。探究科目などの上級の分野は、なんだかんだで、思考力うんぬんを抜きにして網羅的に繰り返し反復練習などで覚えるしかないので、だから後回しの3年生の科目にされているわけです。
明治時代の西洋「哲学」者は、今でいう社会科学者だったり
[編集]よく、「旧制高校の学生は、ドイツ哲学やフランス哲学を勉強しており、・・・」みたいな風聞がありますが(なお、旧制高校とは現代の大学1~2年くらいの年齢の課程)、
しかし、よくよく言葉の調べると、当時の「哲学」の意味は、現代語よりも意味が広く、現代でいう「社会科学」や地理学みたいな意味だったりする場合もあり、明治当時の「哲学」が多義語な点に、注意が大きく必要です。つまり、たとえばドイツ哲学者だと言われていた人の研究対象が、(ニーチェやカントの研究だけでなく)ドイツ社会の研究も含まれていたりして、実際は法学・政治学・経済学も研究していたりします。
フランス哲学者も同様です。
上記の事情を知らないと、ついつい、ニーチェの哲学書やら、ゲーテの詩集とかを読みたくなるかもしれませんが、しかし方向性が現代では無駄になりやすいので、気をつけましょう。
あるいは、美術や音楽などの芸術も含めて、広い視野で、ドイツやフランスの社会を研究しようとする学問だったりします。あるいは、歴史や文学の研究も含んでいます。いちいち縦割り(たてわり)をしていないだけだったりします。(「哲」の字がない)「ドイツ学」や「フランス学」というのが戦前からあって、分野にとらわれずに、それらの学問で各国の有用な知識を紹介したり研究したりしていました。
ニーチェやカントみたいなのだけを集中的に研究するのとは意味が違ったりします。
現代では、普通に世界史や地理や政治経済などの社会科の科目を参考書レベルまで勉強すれば、十分です。明治から続く膨大な学術研究の成果物が、現代の5教科の教科書です。
脚注・参考文献
[編集]- ^ CASTDICE TV『高校のカリキュラムでは大学受験を突破できません!』2022/02/25
- ^ 『高校のカリキュラムでは大学受験を突破できません!』2022/02/25
- ^ コバショー 著『大学受験はさらに先取りの時代へ!』、2024年02月24日
- ^ 『高校の勉強のトリセツ』、GAKKEN、136ページ
- ^ 『高校の勉強のトリセツ』、GAKKEN、132ページ
- ^ 船登惟希 『改訂版 高校一冊目の参考書』、KADOKAWA、2019年3月18日、136ページ
- ^ 船登惟希『改訂版 高校の勉強のトリセツ』、GAKKEM、2020年3月31日 改訂版 第1刷、132ページ
- ^ 『高校の勉強のトリセツ』、GAKKEN、126ページ
- ^ 船登惟希・山下佳祐 共著 『高校の勉強のトリセツ 改訂版』 、学研プラス、2020年3月19日 、