高校生活ガイド/推薦入試や総合型選抜などに向けて 補足
総合型選抜は実績の証明が必要
[編集]総合型選抜をするには、事実上、なんらかの実績が必要です。少なくともマーチ以上や関東の国公立大はそうです。
にもかかわらず、一部の塾などでは、「実績不要」みたいな事を言って客を集めていますが、違っています。不要なのは、全国大会など競技の戦績です。「必ずしも大会の形式にこだわる必要はない」というだけです。
他の志望者よりも高い能力の実績でありさえすればよく、また、「志望の学科の志望者として自分こそが適切です。なぜなら・・・」という証明になりさえすれば、たとえば、英検1級や準2級などの資格保有でもいいのです。英検だけでは不十分かもしれませんが、英検をもっているほうが有利です。
あるいは「文武両道」をアピールするなら、実際に部活の能力が高いことを証明する必要があるし、それが大学の勉学に自分なら繋げられる可能性が高いことを、客観的に証明する必要があります。
たとえば、たとえ部活で全国大会16位以内に入るのは無理でも、もし「部活の実績で自分は全国100位以内である」&「3教科の偏差値(大学受験)が65以上」&「学科の分野での実技の経験と成果を証明できる」というのが証明できるなら、それは何らかの希少価値があります。1つの分野だけの大会にこだわる必要は無いし、そもそもスポーツ大学や芸術大学でない限りは運動部や芸術系の部活の実績そのものは補助的にしか評価されません。
その部活も、志望の学科が、部活の人も求めている文武両道を理想としている大学・学部である必要があります。たとえば、医学部みたいに運動部をもとめていない学部で、そういう部活の実績をアピールしても、まず無駄です。大学入試でスポーツ推薦枠&吹奏楽部枠のある大学のその学部でなら、何らかのスポーツや文化部の大会の戦績が、総合型選抜でも通用するかもしれない、というだけです。
ともかく、5教科以外で、英検のような検定の無い分野の場合は、能力の証明は、基本的には、なにかの大会に出場したりするほうが、証明しやすいです。
また、高校受験の段階で、偏差値が高い学校に進んだほうが証明しやすいです。日本のほとんどの難関大学は勉強する人を求めている建前ですので、なので、高校受験でも勉強できる偏差値の高い高校であるほうが有利です。
また、証明した貰いたい事は、「大学で研究・勉強できる証明」です。なにかの「できない理由」の証明は不要です。大学側は、志望者が大学で研究や勉強ができる証明が欲しいのです。
また、できるだけ「研究・勉強」の実績です。よって、単なる「ボランティアの実績」では不十分です。研究のためのボランティアの実績である必要があります。
「自分は、地域経済の研究を志望しているから、そのために地域ボランティアに参加して、地域のニーズを知ろうとした」みたいな動機が望ましい。また、それらボランティアなどの授業外活動で得られた知見の成果を、なるべく、さっさと探究などで外部に出す必要があります。
なので、基本的には、大会のある分野では、なるべく大会に参加するほうがアピールしやすい。
いっぽう、大会参加などをせずに研究・勉学と無関係にボランティアをしても、それは「家の手伝いをよくする子」と同じ扱いです。
あるいは、「うちの高校は探究の水準が高い」というなら、それを客観的に証明できる必要があります。たとえば、実際に過去に先輩たちが探究活動の高さで公的に外部団体から表彰された高校であるとか、そういう学校全体の実績が必要です。そういう高校は、基本的には、偏差値がそこそこ高いと思います。志望動機では「自分は地域経済をやりたいから、そのため、高校受験では、地域経済の探究で地元では有名な○○高校に進学もした」みたいなアピールが必要です。
分野によっては、高校生むけ大会の形式が、勝ち抜きの形式ではなく、いきなり1回戦で県全部から全国大会の参加者を選ぶ形式だったりして、2回戦にあがるのが途方もなく難しい分野もあるので(せいぜい3%くらいしか2回戦に上がれないとか)、必ずしも戦績の高さである必要はないのです。
委員会の委員長やら生徒会活動などを頑張ったなら、基本的には、偏差値の高い高校である必要があります。
- (なお、生徒会長などもアピール材料の一つとして使えます。なぜなら、アメリカの大学受験での推薦制度を、総合型選抜は基本的には参考にしているので、生徒会長や部長なども、それはそれでアピールになります。)
いっぽう、もし偏差値にこだわらずに生徒会長だけで大学側が評価してしまうと、高校偏差値45とかの志望者が殺到してしまうので、なので偏差値で大学側が足切りするのが実態でしょう。
ともかく、地方出身なら、高校偏差値70以上の高校なら、生徒会長だったら総合型選抜でも評価の一つになるかもしれません。もちろん、それだけでは不十分です。
つまり、生徒会長とかああいうのは、事実上の、指定校推薦の拡張のようなものです(ただし、必ずしも総合型選抜で合格するとは限りません)。なので、医学部みたいに生徒会長が評価されない分野では、無駄です。
ただし、総合型選抜のための対策の基本は、あくまで5教科の国数英理社の勉強も、十分にしておく事でしょう。これは欧米でも同様、この5教科が高校生の勉強の基本です。実際、ヨーロッパ諸国の大学入試の資格検定試験でも、科目はたいてい、母国語・数学・英語の3教科か、国数英理社の5教科です。体育や芸術は、国によって、大学入学検定に入っていたり、入っていなかったり、国ごとに違いがあります。
まあ、日本の医学部受験では、そういう部活は、基本的に評価されないですが。ともかく、志望先の学部に合わせて、うまく調節してください。
大学入試の総合型選抜でどうしても部活などの能力をアピールしたいなら
[編集]神戸大学付属の中等教育学校(いわゆる中高一貫校)の、探究論文のためのガイドライン中で「課題研究の成果として論文以外の制作を伴う研究のガイドライン」として、下記のように言われています[1]。べつに総合型選抜の自己アピール書は論文ではないので、下記のままに従って書く必要は無いですが(そもそも文字数制限があるので、自己アピール書に論文は書けない)、しかし論文というのは下記のような書き方ですし、下記を高校生に要求している国公立の高校も日本に存在します。
第 1 版(2023 年 4 月 4 日) 課題研究の成果として論文以外の制作を伴う研究のガイドライン
- 制作物のみをもって論文の完全な代替とすることは認めない。あくまで課題論文の提出は全員に求
める。
- 課題論文に別添する形で、制作物やその写真、実演の録画を提出することは認める。その場合、課
題論文の規定字数相当の内容があるか否かの判断は、制作物の量・質を考慮して行うものとする。
- 具体的には、課題論文の序論・結論に相当する部分が制作物により代替されうるとは通常考えられ
ない。一方、本論に相当する部分の大部分を制作物により代替することは十分に考えられる。
- 序論には本研究の社会的・学問的(芸術的)意義を述べるとともに、本研究で取り組む問い、もしく
は明文化された問いの形になりづらければ課題について明記することが求められる。5 年生以上は 先行する制作の事例について分析し、本研究の新規性について明記することも求められる。
- 本論部分では、序論で述べた課題を解決するための制作方針について述べるとともに、実際の制
作物やその写真、実演や制作物作動の様子の録画を添付する。
- 何らかの課題を解決するための制作方針が明記されていることは、制作が研究として認められるた
めの必須要素であり、これがない制作は本校の課題研究としては認められない。何らかの創作を伴 う制作であればその創作方針が明示されるべきである。既存作品(楽曲等)の実演を制作物として 課題研究とする場合は、それに対する自身の解釈や、身体操作の独自の工夫などを実演方針として 明示することが求められるのであって、解決すべき課題に特に対応しない実演や単なる模倣は本校 の課題研究としては認められるものでない。
- 結論部分では、別添した制作物によって序論で明示した課題が解決されたことを主張することが求
められる。加えて、本研究において解決しきれなかった課題を展望として述べることも推奨される。
文中に「5年生」とあるのは、中高一貫校なので、中学からの通算の年数を数えている(高校2年生に相当)。
本節では、文学部や経済学部や法学部などへの総合型選抜を念頭に、話します(美大とか音大とかは念頭に置いていません。また、私大の体育学部なども念頭に置いてません。)
「高校生が部活などで頑張ったのは分かった。」「問題は、それ、志望する大学での研究と、どう関係あるの?」、これを説明することが望まれます。
なのに、なんの説明もなく、「制作物のみをもって」(論文の完全な)「代替とすること」は、社会通念上、認められないのです。
特に国公立の大学の場合、税金を使って大学が運営されているので、研究に社会的・学問的(芸術的)な「意義」の説明がなければいけません。志望者に、説明責任があります。
単に、「スポーツが得意」とか「絵が上手い」とか、それは建前上は、国公立の総合型選抜では求めていないでしょう(私大はどうか知らない)。そういうのは、私大の「スポーツ推薦」とか「文化活動推薦」みたいな、別の方式の推薦を受けてください。
上記引用中に「 何らかの課題を解決するための制作方針が明記」とあるように、部活などの活動の努力や成果(客観的に第三者機関によって証明できる成果)を、社会の課題解決にどう結び付けるかが、言えることが望まれます。
実際に、社会の課題を解決することまでは、要求されていません。金銭的・時間的に、解決までは無理です。そもそも長年のあいだ解決できなかった社会課題だから、たかが高校生ごときのお子様でも発見できる「課題」として残っているのです。
自身で解決しようとするのではなく、これから、学問の力によって、課題の一部でいいので、解決までの道すじを社会でつくろうとする事に、あなたも協力するために自発的にあれこれすることが望まれているのです(具体的に何をするかは個々人による)。
基本的に、学問の多くは、再現性や言語化を重視します。分野によっては、再現性だけは低い分野もあるかもしれませんが(たとえば歴史学などは実験が不可能なので、再現性は低いかもしれない)、しかし言語化はそれでも可能なはずです。
美大や音大などは例外かもしれません。しかし、もし文学部や経済学部や法学部などを志望するなら、言語化をして、税金をあずかっている国公立の大学教員たちの納得のいく説明をできなければいけません。
もし、そういう言語化がイヤなら、そもそも文学部や経済学部などの学問に向いていません。文学作家に向いているかどうかは知りませんが、しかし文学部の国文科と言うのは決して小説家の養成所ではありません(そういうのは専門学校です)。例えるなら、文学部の歴史学科の研究者が、たとえ戦国大名を研究することはあっても、研究者自身がけっして大名になる必要は無いのと同様に、文学部の国文科では小説家になること自体は求められていません。
ましてや、国公立の大学の文学部などは、断じてスポーツ選手の養成機関でもありません。
上記の当wikiの説明では、説明の都合上、国公立を例に説明しましたが、私大の志望でも上記のような事はすこしは考えるべきでしょう。私大だって、私学助成金などの税金の財源とした補助金をもらっています。また、大学教授は科研費などの補助金を国からもらう際、国への説明責任があるわけです。