高等学校地理B/地誌 ロシアと周辺

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略歴[編集]

近代ロシアの歩み
出来事
1917年 ロシア革命, ロマノフ王朝が滅亡
1922年 ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立
1928年 五か年計画開始, 農業の集団化と重工業の強化がはかられる
1940年 バルト三国併合
1945年 第二次世界大戦終結
1949年 COMECON(東欧経済相互援助会議)発足
1955年 ワルシャワ条約機構発足
1979年 アフガニスタン侵攻
1985年 ゴルバチョフが書記長に就任
ペレストロイカ(改革), グラスノスチ(情報公開)が開始
1986年 チェルノブイリ原発事故
1991年 冷戦終結
アフガニスタンからの撤退完了
COMECON, ワルシャワ条約機構の解体
ソ連共産党解体
ソ連の解体
独立国家共同体(CIS)の結成
1992年 価格の自由化によるインフレ
1994年 チェチェン紛争の激化
1997年 サミットに正式参加
1998年 ロシア金融危機
2008年 グルジアに軍事介入


概略[編集]

ロシアは多民族国家である。人口比で見ると、スラブ系のロシア人が80%を占める。タタール人などの少数民族もいる。ウラル山脈から東側をシベリアという。

ロシアの宗教は、スラブ人のあいだでは、キリスト教の東方正教に近いロシア正教が、おもに信仰されている。中央アジアに近い地域では、イスラム教徒も多い。

少数民族の住む地域については、ロシア内に、サハ共和国やチェチェン共和国などのような共和国や、自治州がある。

ソビエト連邦の設立から解体まで[編集]

ソビエト社会主義共和国連邦(ソビエト連邦またはソ連)は、1917年のロシア革命を起源とし、1922年に連邦の樹立が宣言されたことをもって建国された。ソビエト連邦は、世界で最初の社会主義国であり、15の共和国からなる連邦国家だった。

ソビエト連邦の政治体制は、共産党による一党独裁体制であり、共産党の最高職がソビエト連邦の支配者だった。

ソビエト連邦の経済では、国家主導の計画経済によって、経済活動の統制が行われた。

しかし、1960年代以降、ソビエト政府主導の経済がしだいに行き詰まっていった。1980年には改革のため、市場原理を部分的に取り入れる「ペレストロイカ」(改革)や、「グラスノスチ」(情報公開)が、ゴルバチョフによって行われた。

しかし、それでも政治・経済の行き詰まりは解消されなかった。1991年8月に起きたゴルバチョフに対する保守派のクーデターが失敗したことでソ連共産党は事実上消滅した。1991年9月にエストニア・ラトビア・リトアニアのバルト3国が独立し、それをきっかけとして他の構成諸国もソ連から離脱し、1991年12月にソビエト連邦は解体された。そして、バルト3国を除く、ロシア、ウクライナ、カザフスタンなどの旧ソ連を構成していた国々の間で、独立国家共同体(CIS)が結成された。

ソ連の解体にともない、経済については、計画経済から市場経済へと移行した。このさい、経済が混乱し、物価の大きな上昇をもたらしたり、失業者が増加したり、生活物資が不足したりした。また、このため貧富の差が増大した 。現在、極一部のロシア国民が国の富の大半を有しているとされている。

しかし、2000年代ごろから、国際市場で石油や原油の価格が上昇したことを背景として、石油産業を中心にして、ロシア経済が回復していった。

旧ソ連構成諸国[編集]

ソビエト連邦は現在のロシアを含む15の国で構成されていた。ソビエト連邦が崩壊するとそれらの国々は独立した国になった。中央アジアでは、カザフスタン、トルクメニスタン、キルギス、タジキスタンもソビエト連邦に属していたが、今は独立した国々である。宗教について、カザフスタンなどではイスラム教が信仰されている。

東ヨーロッパ側では、ウクライナ、ベラルーシ、モルドバなどがソビエト連邦に属していたが、現在では独立した国になっている。これらの国々はキリスト教の正教会(せいきょうかい)の信者が多い。

バルト海沿岸にある3つの国、エストニア・ラトビア・リトアニアをバルト三国という。バルト三国もソビエト連邦に属する国々であった。しかし、バルト三国は他の国々と違ってソビエト連邦崩壊の前に独立を果たした。バルト三国の宗教は、キリスト教である。

ロシアからみて西南方向に、黒海カスピ海がある。この黒海とカスピ海に挟まれた地域を「カフカス地方」という。 カフカス地方では、アルメニア、グルジア、アゼルバイジャンが独立国となっている。

ロシアの民族[編集]

民族紛争[編集]

ロシア西南部のカフカス地方にある「チェチェン共和国」は、「共和国」とはいうものの、ロシアの一部である。

しかし、チェチェンに独立派がいるが、ロシア政府は独立を認めていない。 このため、独立派とロシア政府が対立し、武力衝突がたびたび発生している。

チェチェンでの宗教は、おもにイスラム教が信仰されている。

タタール[編集]

ロシアの南部・南西部は、歴史的な理由で、アジア系のタタール人も多い。(中世に「タタールの軛(くびき)」という歴史があった。)

現在「タタール人」と言われてる人たちの文化は、現在ではイスラム系に近い(※ センター試験の2017年度で出題された。)。

13世紀にモンゴル帝国が隆盛したころは、モンゴルの影響も強かったため仏教の影響がみられた時代もあったかもしれないが、しかし現在では、タタール人はイスラム圏の影響が強い。

ロシアと周辺国の農業[編集]

ロシア[編集]

ロシアの西部が重要な穀物の生産地帯であり、小麦・大麦・ライ麦・ジャガイモの生産が盛んである。また、モスクワやサンクトペテルブルクなどの大都市近辺では近郊農業も行われている。

ウクライナの南部からロシア西部は黒土(チェルノーゼム)が分布しており、黒土地帯と呼ばれている。黒土地帯は土壌が肥沃なため、小麦(春小麦)の生産が盛んである。他にはてんさいとひまわりの生産も盛んである。

いっぽう、北極海沿岸やシベリア東部は、ツンドラ気候であり、農業がほぼ不可能なので、漁労などで食料を得たりしている。

  • ソ連時代の農業

かつてソ連の時代には、コルホーズ(集団農場)やソフホーズ(国営農場)によって、農場の国有的な統制があった。だが現在では、ロシアおよび旧ソ連からの独立国の農業は、民営化して、企業的な農業になっている。

ロシア周辺国の農業[編集]

ウクライナ[編集]

ウクライナ南部は黒土地帯に入っており、世界最大の穀倉地帯となっている。ロシアと同様に小麦・大麦・てんさい・ひまわりが生産されている。なお、気候が比較的温暖なウクライナ西部は冬小麦地帯である。

中央アジア[編集]

中央アジアは乾燥気候である。灌漑(かんがい)による綿花の栽培が、ウズベキスタンやトルクメニスタンなどで盛んである。ウズベキスタンは、綿花の世界的な生産国になっている。

しかし、過剰な灌漑により、アラル海の水位が低下しており、湖面の面積が減少し、アラル海は消滅の危機にある。

中央アジアでは、羊の遊牧もしている。

カフカス地方[編集]

黒海とカスピ海のあいだの地域をカフカス地方という。カフカス地方の農業では、の栽培が盛ん。

また、ブドウやオレンジなどの果樹栽培も、カフカス地方では盛んとなっている。

ロシアと周辺国の工業[編集]

原油や天然ガスの輸出で、世界でも上位の有数の国である。

旧ソ連では、資源産地が離れていたので、それらを鉄道や水運などで結びつける「コンビナート」と呼ばれる方式の工業地域を各地につくった。

首都モスクワから港町サンクトペテルブルクにかけてが、主要な工業地帯になっている。このモスクワ・サンクトペテブルクの工業地帯は、資源はとぼしいが、人口の多い地帯なので、工業地帯になっている。

地図でサンクトペテルブルクの位置を確認すると分かるが、モスクワのほぼ真北にサンクトペテルブルクがある。

また、サンクトペテルブルクは海岸沿いの港湾付近に位置する。 サンクトペテルブルクは港湾都市なので、工業原料の輸出入をしやすいわけである。

西シベリアにチェメニ油田や、ヨーロッパ=ロシアにあるヴォルガ・ウラル油田が、とくに産出量が多い油田である。

ヴォルガやウラルでは石炭や鉄鉱石の山地が周辺にあり、ヴォルガやウラルにそれぞれ工業地帯がある(ヴォルガ工業地帯。ウラル工業地帯)。

旧ソ連諸国では、ウクライナではドニエプル工業地帯で、工業が発達している。ドニエプル工業地帯では、ドネツ炭田の石炭や、クリボイログ鉄山の鉄鉱石を利用して、重工業が盛んである。

アゼルバイジャンでは、カスピ海沿岸のバクー油田が、産出量が多い。

ロシアから産出する石炭の多くは、クズネツク炭田から産出している。

東アジアよりのロシア東岸にあるウラジオストクはシベリア鉄道の終点・起点であり、また造船業がさかんである。