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高等学校政治経済/政治/保守と革新、右翼と左翼

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

保守と革新

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20世紀後半以降の日本における保守と革新
革新 理念・政策 保守
日本社会党→社会民主党
民主党→立憲民主党
日本共産党
政党 自由民主党
社会主義・
社会民主主義
政治理念 自由主義
労働者・都市生活者・移民 主な支持層 農家・資産家・中間層
労働組合・市民団体 主な支持基盤 業界団体・財界・宗教界
所得の再分配を重視
大企業への規制を推進
大きな政府を志向
経済政策 自由経済を推進
大企業への規制に慎重
小さな政府を志向
反対 憲法改正・
緊急事態条項
賛成
脱原発
自然エネルギーを推進
エネルギー政策 原発維持
自然エネルギーに消極的
国際協調を重視 安全保障政策 軍備拡充を重視
積極的に推進 人権政策 現実的な範囲内で着手
日米安保解消
・対米自立
安全保障 日米安保維持
・対米追従
×一党支配・人道問題を懸念
対中感情の投影には批判的
対中国 ×安全保障上のリスクを懸念
対中感情の悪化を投影
軍事政権時代…×批判的
現在…〇リベラルな姿勢を評価
対韓国 軍事政権時代…〇反共で協調
現在…×対韓感情の悪化を投影
冷戦期…〇共産主義体制を称賛
現在…×人道問題を懸念
対北朝鮮 冷戦期…×共産主義体制を批判
現在…×対韓感情の悪化が飛び火

現行の体制や制度などを保持しようと試みるのが「保守」、対して現行の体制や制度を理性・公正・平等・合理性などの観点から改革しようと試みるのが「革新(または改革派)」と称される。これは国政に限定されず、少数のコミュニティや自治会などでも一般的に用いられる表現である。

日本では、第二次大戦後の昭和では、自民党のような政策が、保守主義、あるいは「保守」(ほしゅ)的な政策と言われた。いっぽう、社会党のような政策が「革新」(かくしん)的な政策と言われた。これは、日本においては資本主義や天皇制についての態度が原因の一つとなっている。つまり、資本主義の経済体制と天皇制を維持するという意味で「保守」であり、資本主義と天皇制に批判的で、転換を求めるという意味で「革新」と呼ばれてきた。

そのため、昭和・平成の日本では、一般に右翼思想は保守に含まれ、左翼思想は「革新」に含まれる。 また、第二次大戦後、冷戦が始まり、アメリカ寄りの立場が「右翼」、「保守」とされ、いっぽうソ連寄りの立場が「左翼」、「革新」とされた。

第二次大戦後の20世紀後半の日本では、マスコミなどの表現では、自民党が「保守政党」とされ、社会党や共産党が「革新政党」とされた。県議会や都議会などの地方議会では、知事が社会党や共産党の系列の議員である自治体(都道府県)なら「革新自治体」とよく呼ばれた。

ソビエト連邦が社会主義を政策に掲げたこともあり、左翼・革新的な政策としては、経済政策による低所得者への保護や、積極的な福祉施策などが左翼的な政策である、とされた。(じっさいには、アメリカ陣営の国でも、スウェーデンのように資本主義であるが福祉政策に積極的な国もある。しかし戦後の日本では、福祉政策が「左翼」、「革新」として扱われた。)

ネオコン・リベラルホーク

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アメリカにおける「ネオコン(ネオ・コンサバティズム、新保守主義)」または「リベラルホーク(リベラルタカ派)」とは、自由と民主主義のイデオロギーを諸外国に広めるため、権威主義・封建主義・独裁的な諸外国に対する武力介入も辞さないといった思想を指す。基本的には外交イデオロギーとしての側面が強い。

「"リベラル"ホーク」でありながら「新"保守"主義」であるという、「保守vsリベラル」といった2020年代主流の対立軸では一見すると不可解にも見えるが、アメリカにおいては建国時の理念であった「自由(="古典的"リベラル)と民主主義」こそが「伝統的な権威」であり、これを「保守」するといった思想から派生したため、このように呼称される。

一方で「"リベラル"ホーク」という呼称については、この場合の「リベラル」というのは、「"古典的"リベラル」の立場だけではなく、「権威主義や独裁制を取る国においては、人権が保護されず人道問題が長期化する」との見解を取る「"積極的"リベラル」の立場からの呼称である。しかし実際には、こうした「自由と民主主義の輸出」「独裁的・非人道的な政府の打倒」といった大義名分が、現実的にはアメリカの国益に反する政権の武力転覆のために用いられているとの批判もある。

右翼と左翼

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自国や自民族が持っている元来の文化、伝統、風習、思想等を重視した政治思想とその支持者のことを右翼(うよく)とよぶ。一方、現在の政治・経済のあり方に批判的で、特に国王・貴族・特権層による専制政治や資本主義のあり方に対して変革を求める政治思想とその支持者を左翼(さよく)とよぶ。

語源は、一般的な説では、フランス革命のときの国民議会の用語らしく、議会の陣営についての用語である。フランス革命のときの議会で、王党派・貴族派といった伝統勢力の議席が、議長から見た方向で議事堂の右側に多く、いっぽう、革新派の議席が議事堂の左側に多かったのが、由来である。

思想と政策の結び付きについては、どのような政策や主張への支持を以て「右翼的・左翼的」と位置付けられるかは、時代情勢などによって変質する。必ずしも対立するとは限らず、右翼・左翼それぞれの立場から肯定される政策・主張もあれば、逆に双方の立場から否定されるような主張もある。

なお、英語でも、右翼思想のことを「right」(ライト)または right wing という。みぎ方向をあらわす英単語 right と同じスペルである。左翼思想のことは「left」(レフト)または left wing という。ひだり方向をあらわす英単語 left と同じスペルである。

右翼

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フランスやドイツなどは後に君主制・封建制が廃止され共和政・民主制に移行するが、「右翼」という言葉は王党派・貴族派を指す言葉に代わって、国家に対する忠誠心と団結心を促す「ナショナリズム」を指す言葉へと変質した。既存の権威であった王や貴族などの血統に代わって、国民国家的な意味での「国」という体制という新たな権威・伝統への服従を求めるものであった。

ナショナリズムは自国・自国民・自民族を第一に掲げるというその性質から、しばしば他国蔑視や軍国化、国内における少数民族の迫害などを引き起こすといった負の側面を抱えており、二度の大戦やヨーロッパにおけるユダヤ人迫害などを引き起こしたとして、しばしば批判の的となってきた。

またこうしたナショナリズムに加えて、白人至上主義を始めとした人種主義、キリスト教原理主義・イスラム原理主義などの宗教ナショナリズム、外国人・他民族の排斥を主張する排外主義などは、既存の右翼と区別してしばしば「極右」と評される。いずれも人種・宗教・国籍などの特定の属性を「(支配的な)権威」に位置付けるという点で「右翼的」と評価できるといえる。

「保守」と「右翼」

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「保守」と「右翼・右派」は、使い分けとしては「保守」は現状維持的、「右翼」は復古的・反動的といったニュアンスで区別される事もあるが、現代の日本においては概ね同一視されている。

各国の右翼の連帯

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近現代における右翼はナショナリズム・国益優先・自民族中心主義を標榜し、場合によっては他国・他民族に対する差別的な認識を有しているため、他国や他民族の右翼同士は根本的には相容れない立場を取っていると言える。しかしながら実際には反LGBT・反移民・家父長制的家族観・反リベラルなどの立場から、しばしば立場を超えた利害のために協力関係を取る事がある。

アメリカや南アフリカなどの白人・黒人が共存している国家においては、黒人至上主義・白人の排斥などを唱える過激な団体も存在するが、こちらは既存の極右との対比の意味合いや、長らく左派リベラル勢力との連帯関係にあった歴史的経緯から、例外的に「極左」と表現される場合もある[1]

またアラブ諸国におけるイスラム原理主義・アラブ至上主義なども、同じく冷戦期における共産主義諸国との共闘といった歴史的な経緯などから、欧米や東アジアの諸国と比較すると「極右」と形容されにくい傾向にある。

ロシアも現在のプーチン政権は民族主義的と評される事もあるが、ロシアはソ連時代には「左翼」とされる共産主義の本場として、西側諸国のナショナリスト勢力とは対峙してきた歴史を持ち、ソ連崩壊後の現在も西側諸国のナショナリスト勢力との関係は良好とは言えず、そうした歴史的経緯から「右翼・極右」とは必ずしも扱われない。

総じて、「右翼=ナショナリズム・愛国主義・宗教原理主義」という定義は必ずしも実際の使われ方を反映しておらず、実際には「(旧)西側諸国におけるナショナリズム・愛国主義・宗教原理主義」といったニュアンスで用いられていると言える。

左翼

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フランス革命時において最も急進的であったのは、大土地の小作農への再分配などを主張したジャコバン派(の中の山岳派)であった。こうした平等への追及や再分配への志向性などから、20世紀までは一般的には社会主義・共産主義を標榜する勢力を指す。

「左翼」と「リベラル」

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近年ではそれまで社会主義や共産主義を標榜し、一般的に「左翼」と見なされていた勢力が、代わって「リベラル」を標榜するようなケースが増えている。

「リベラル」というのは「自由」の英訳である「Liberal」のカタカナ転写である。しかしこの場合の「自由/リベラル」というのは、一般的に想起されるような「(国家による)制約からの自由」とは異なり、「個人の求める人生設計と幸福の追求が、国家・社会によって保障される自由」という、国家・社会への依存的なニュアンスが強い定義を持つ「自由」である。

このような一般的な用法とは掛け離れた「自由/リベラル」の定義の確立が行われたのは20世紀後半の頃であり、この定義はアメリカの哲学者であったジョン・ロールズは「積極的自由(積極的リベラル)」と形容した。こうした「リベラル」の定義のある種の書き換えによって、それまでに達成された本来の「自由主義/リベラリズム」による諸権利の獲得を「既に時代遅れのもの」と位置付ける立場を取る。

リベラルの主張の例

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ヘイトスピーチへの規制
現代の「リベラル」派は人権や差別解消などのテーマを重視しており、一例として「ヘイトスピーチは表現の自由に当てはまらない」として規制すべきと主張する。これは「被差別層に立つ人々が、憎悪や暴力に脅かされない真に自由な生活を送るべき」といった「積極的リベラル」の価値観が、「表現の自由」という古典的な自由よりも優先されるべきとする、現代のリベラルの価値観を象徴する主張内容の一つといえる。
ポルノ表現への規制
またこれに近い価値観として、「女性が性的に扱われず、一人の個人として尊重される事こそが真の女性の自由に繋がる」といったリベラル・フェミニズムの観点から、公共の場でのポルノ表現にも抑制的な立場を取る事も多い。一方で、反リベラルの立場からはこうした規制の行き過ぎに反発する主張もあり、こうした主張を行う人々はネット上では「表現の自由戦士」と呼称される事もある。
社会保障の拡充
経済政策においては、古典的自由主義に基づく自由市場を全面的には容認せず、国家による一定の制限や社会保障による再分配が、貧困層を含めた全ての人々の自由を支えると主張する。こうした主張は社会主義や共産主義が理想としてきた価値観とも近いと言えるものであり、社会主義・共産主義を掲げてきた勢力にとっての新たな活路になったとも言える。
「愚行権」の容認
酒・タバコを含めたドラッグ、ギャンブル、ポルノ、異性関係などの道徳的批判の対象とされる事項に関しては、左翼・リベラルは伝統的に規制の緩和を主張する傾向にある。ギャンブルやドラッグなどは「愚行権」とも呼ばれる一方で、依存症に該当するケースでは自主的に停止する事が困難な場合もあり、自由意思の限界を示すものとして国家や社会が介入すべきとの主張もあるが、左翼の立場においては主流ではない。
性風俗産業への規制
一方で性風俗・アダルト俳優などのセックスワークへの就業に関しては、近年では女性の権利・地位向上を重視する立場から、左翼の側からも規制を求める主張が主流になりつつある。これは女性の貧困問題とも関連するものであるが、リベラルは「性産業以外での女性の雇用を十分に創出すべき」と主張する事が多い。

右翼・左翼と社会政策

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右翼・左翼といった言葉が誕生したフランス革命当時は、政治の場における対立軸は、大きなものに限定すれば王制・封建制の存続の有無といった統治制度と、土地の再分配の有無といった現在でいう経済制度の2点に絞られていた。

一方で、近代化が進んだ近現代の国政においては、こうした統治制度・経済制度の2点だけには収まらず、農業・エネルギー・環境問題・外交問題といった非常に多岐に渡る政策決定が求められており、こうしたフランス革命当時の定義だけではカバーできなくなっていると言える。

こうした原義的な「右翼・左翼」の定義に該当しない政策に関しては、右翼・左翼ともにどのようなアプローチを取るかは明確ではない。右翼・左翼ともに専門家の合理的な見解に基づいた主張を行うのが基本的な態度であるが、専門家の間でも見解が分かれるような事案に関しては、自陣営に有利になるような主張を採択するケースが多い。

さらに言えば本来ならば右翼・左翼どちらの立場からしても同意できるような見解があるにも関わらず、一方の陣営が過度に強い主張を行った場合、これに対する反発意識から自身の陣営はトーンを抑える、あるいは本来の立場を曲げてでもあえて逆の見解を主張する(いわゆる逆張り)といったケースさえある。これは一種の縄張り争いに近いポピュリズム的な側面を孕んでいると言える。

右翼・左翼と経済右派・経済左派

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経済政策に関して「税負担は少ないが、社会保障やインフラなどの公共事業も少ない」といった小さな政府を志向するか、あるいは「税負担は大きいが、社会保障や公共事業も充実している(統制と分配)」といった大きな政府を志向するか

ナチス政権下のドイツは政治体制・イデオロギーなどに関しては右翼ないし極右とする見解が多数を占めるが、一方で経済政策に関しては統制経済を導入して社会保障を重視するなど大きな政府への志向性が強く、「政治体制は右翼だが、経済政策に関しては左派的」と見なす意見もある。これは後のアルゼンチンのペロン政権などにも共通する要素と言える。なおナチスは共産主義に対しては否定的な立場を取った。

安全保障政策

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右翼

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右翼は「強い国を作る」「富国強兵」といったナショナリズムの観点から、しばしば軍事力の拡大を伴う軍国主義を主張するとされる(大日本帝国、ナチス・ドイツなど)。一方で「人命こそ国の宝」「美しい国土を荒廃させるべきではない」といった観点から反戦思想を主張する右翼も一定数存在するが、主流ではない。

左翼

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20世紀以前では、「左翼」の外交方針は必ずしも戦争回避ではなく、フランス革命などにおいては「新しい平等な社会を実現する我々フランス革命政府が、古い王政の復活を目指す周辺諸国と戦う」という姿勢を示していた。

しかし「右翼」が王党派からナショナリストへと変遷し軍国主義を掲げるようになると、こうした姿勢への反発、また国際主義の方針などから、左翼は反戦を唱えるようになった。一方で冷戦中は社会主義が左翼とされたが、しかし外国のいくつかの国で、社会主義を実現するためには武力的な革命すらも躊躇しない(キューバなどの社会主義国の革命)、という考えや運動もあった。

また、その社会主義国のソ連は、同じく社会主義国の中華人民共和国と国境紛争などの戦争をしていた時代もある(1969年の中ソ国境紛争)。

環境政策・エネルギー政策

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環境政策は直接的には右・左といったイデオロギーとは関連しないが、社会の進歩・改良といった視点から左翼思想と結び付く事が多く、結果として左派がエコロジー推進、対して中道・右派がブレーキを掛けるといった構造となっている。

左翼

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左翼は20世紀後半に入ると、共産主義の行き詰まりなどから他の分野に裾野を広げる事が増え、脱原発・脱炭素、電気自動車の普及、地球温暖化への取り組み、動物愛護や捕鯨・動物食への反対(ヴィーガン)、SDGsの推進などを主張している。日本においては2011年の福島第一原発事故を機に、原発の運用を不安視する声が高まり、エネルギー政策に大きな影響を与えた。

上記に関連して、一時期は左翼勢力の間でオーガニック志向やワクチン接種否定などが主張されていた時期もあったが、科学的エビデンスに基づく否定意見が示されるにつれて減少した。

右翼

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右翼は上述したような理念先行的なエコロジー政策・動物愛護政策に冷笑的な態度を取る事が多く、また「ソーラーパネルは却って森林環境を破壊する」と主張する場合もある。一方で「美しい国土を守る」という観点から、右翼の間でもエコロジー政策に積極的な勢力も一部存在する。

またかつては左翼の間で主流であったオーガニック志向・反ワクチンなどの思想を引き継いだ右翼勢力も一部存在する(参政党など)。

対外関係

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対外関係は国によって事情が異なるが、ここでは日本を例に挙げて解説する。

世界共通の視点として、一般的に(ナショナリストとしての)右翼は自国を第一に掲げるため、自国以外の諸外国に対しては「利害が一致する範囲で協力する」といった観点しか持ち得ないといえる。

一方の左翼は国際協調による安全保障を掲げるため、基本的には諸外国に対してはハト派的な融和外交を掲げる。ただし諸外国の中でもタカ派的な軍拡路線を取っている国に対しては批判的な態度を取る事が多い。

右派

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対米…親和的
戦後日本の右派・保守派は、GHQの進駐後はアメリカへの抵抗を試みる事はなく、むしろソ連などの共産主義諸国との対立に差し掛かると、日米安保を筆頭に、反共を掲げるアメリカと歩調を合わせる路線を選択した(親米右派)。
日米安保・在日米軍は様々な矛盾や問題点を孕みながらも存続しており、現在でも「米軍の庇護からの独立なくしては真の独立はない」とする国粋主義的な主張を行う右派勢力(反米右派)も一部では存在したが、国政レベルとは言えなかった。
現在では「アメリカはディープステート(影の支配)に乗っ取られている」といった陰謀論・都市伝説的な視点から、反米を主張する右派勢力も一部存在する。
対中…批判的
中国に対しては、共産党の一党独裁が継続しているという点から、戦後はほぼ一環して批判的な態度を示している。戦前はアジア全体での連帯を訴えるアジア主義といった主張もあったが、現在では市井レベルでの対中感情の悪化もあってほぼ見られない。
対韓…親和的→批判的
韓国に対しては、冷戦前後の時期はともに東アジアにおけう反共の砦として、日韓の右派勢力の間でも親交があった。しかし韓国が民主化に向かうと、韓国国内での反日ポピュリズムの隆興への反発もあって日韓関係は冷え込み、また日本国内でも在日韓国人への差別的・排斥的な主張が展開される(在特会)といった状況となった。

左派

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対米…批判的
アメリカに対しては、冷戦期においては長らく共産主義・社会主義の敵として激しい批判の対象となっていた。冷戦後もアフガン侵攻やイラク戦争などのイスラム諸国への武力介入などを批判するケースが多い。
国政では日本社会党と日本共産党は反米的なスタンスを取った。一方で社会党から分裂して結成された民社党は、社会主義を掲げながらも親米・反共的なスタンスを取ったが、この民社党の結成には後に米CIAが資金提供を行っていた事が公開されている[1]
対中…賛否あり
中国の共産党体制については「共産主義を名乗ってはいるものの、その実は一党独裁であり真の共産主義とは異なる」といった見解を示しており、基本的には批判のスタンスを取る。
一方で右派による中国バッシングについては「中国への差別的な感情を、独裁への批判という大義名分で覆い隠している」として慎重に評価するスタンスを取る場合も多く、そうした右派の主張との兼ね合いもあってか、中国批判を前面に出すケースは少ない。
対韓…批判的→親和的
韓国に対しては、冷戦の前後においては「反共独裁政権」として批判的な態度を示していたが、民主化が達成された現在では関係修復が進んでいる。
対北朝鮮…親和的→批判的
北朝鮮は、冷戦当初は国内の人道問題が隠され「共産主義による地上の楽園」として喧伝されていた事で、日本における共産主義勢力も北朝鮮を称賛することもたびたびあったが、実態が明らかとなった現在ではそうした向きは全くない。
対イスラム諸国…賛否あり
リベラル左派は男女平等を前面に展開しており、一方でイスラム教の教義は一部に女性差別的なものを含むことから、特にイスラム教の教義を原理主義的に展開している中東諸国などに対しては、基本的には批判的な態度を取る。
一方で、右派の間でも反イスラム移民感情に由来するイスラム批判が展開されるケースもあり、こうした反イスラム感情に対しては、人種差別的であるとして擁護を行う場合が多い。
また、2001年のアメリカ同時多発テロ以降は、アメリカによるイスラム諸国への武力介入(イラク戦争、アラブの春など)が特に加速しており、こうした動きを侵略戦争的であるとして、長らくイスラム諸国を擁護する立場を取ってきたと言える。

現代日本における右翼・左翼・保守・革新

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太平洋戦争後の日本においては、議席の約3分の2を占める、保守政党の「自由民主党」が長らく政治の中枢を担い、対して議席の約3分の1を占める、革新政党の」「日本社会党」が野党第一党を占めるという状況が続き、1955年からこの状況が形成されたことに因んで「55年体制」と呼称される。

ただし日本社会党は、党内部で複数の派閥が相争い、時には分裂や離党が起こるというような状況が続いた事で長らく議会第一党を占めることはできず、米英などの二大政党制との比較で「1.5大政党制」などと呼ばれる事もあった。

自由民主党(じゆうみんしゅとう)
略称は「自民党」(じみんとう)。吉田茂の創設した自由党と、鳩山一郎の創設した日本民主党の両党が1955年に合併して創設された。自由民主党は、憲法改正によって自衛隊を軍隊として憲法で正式に認めさせることに、他党よりも比較的、積極的である。そもそも、第二次大戦後の自民党の結党の目的のひとつが、自衛隊を軍隊として追認させるために憲法改正することであり、現在も改憲を目指している。また、自民党は、日米安保およびアメリカを同盟国とすることに積極的である。
日本社会党(にほんしゃかいとう)
太平洋戦争直後の1945年に、戦中に当局により解散させられていた複数の社会主義団体の元メンバーの寄り合い所帯という形で結党。当初は与党として政権を担っていたが、政権直後から内紛が続き、1948年に贈収賄スキャンダルである昭和電工事件を機に下野、自民党に取って代わられる事となる。その後、派閥同士の対立関係から一時は分裂するが、1955年に分裂が解消された。
この日本社会党は、自衛隊を国防軍のようにする憲法改正には反対であった。自衛隊反対の根拠は、w:非武装中立論である。
また、アメリカの同盟国となることも、軍事的な連携にも消極的・批判的であった。よって、自民党とは、自衛隊のあり方については、日本社会党は反対の立場であった。

なお、現在の「社会民主党」は、その日本社会党の系統の政党である。また、2009年に政権与党にもなった民主党(2016年に「民進党」と改名)には、それ以前に社会党から民主党に移った議員も多かった。

日本共産党(にほんきょうさんとう)
(未執筆)

理念・政策

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右翼・左翼や保守・革新の定義は、常に「その時代において、どのような価値観が支配的権威であったか」によって規定される。

戦前

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明治維新直後の日本においては、それまでの江戸幕府が主導する社会制度こそが「支配的権威」であったため、欧米型の近代化や富国強兵といった価値観は当時としては「革新的」と言えるものであり、富国強兵を唱えた新政府の政治家たちも、それ以前の江戸時代の伝統を「非合理的で無益」と見なす傾向があった。こうした「脱亜入欧」の風潮に反対し、日本独自の文化を維持する事や、またアジア諸国と連帯して欧米と対立する「アジア主義」を唱える主張もあった。

戦後

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太平洋戦争の戦中下においては、敵国であったアメリカや同盟国のイギリスは「鬼畜米英」のスローガンに代表されるように敵視されていたが、日本がアメリカに敗れてGHQの統治下に入ると、右翼や保守派の政治家たちは水面下でアメリカと緊密な連携を保った。これは現実的な国益上の観点や、左翼勢力による共産主義化を恐れた日本・アメリカ両政府の呉越同舟といった事情に起因するものであり、右翼勢力の間でもこうした対米追従の流れを批判する勢力は少数であった。

冷戦当時の日本では、軍事力をあまり保持しない事こそが平和主義であり左翼思想であるとされ、そのような平和主義は、平等を唱える社会主義との組み合わせが良いとされた。

なお、実際の冷戦中のソビエト連邦では、軍事力の強化こそが、世界の社会主義革命に必要だとされていた。(ソビエト連邦本国の方針ではないので、混同しないように。)

その他、日本の戦時中の政治体制は治安維持法による言論の抑圧などから、ふつう軍国主義(「右翼」)とされる。しかし、経済政策はソ連の五か年計画の影響を強く受けていた(参考:w:革新官僚)。

(※ 海外の話)その他、近年のヨーロッパの環境政策では、例えば、ドイツのw:同盟90/緑の党は、結成時には右翼的な環境保護グループが中心となっていたが、のちに学生運動出身の左派グループが合流して成立した(ただし、後に右翼的なグループは党を離脱する)。


民族観

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右翼

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「右翼」の場合、自国の民族の伝統や歴史を重視し、それらを守っていこうというのが、現代の立場である。そして、個人は民族的な文化と伝統によって育まれ、価値観や人生観も民族の独自のものが作られていることを重視する考え方をもつ。そのため、一人一人の個性よりも、民族や国民が持つ大まかな特徴を重視する。

こうした民族観は民族自決・植民地からの独立運動をうながしていった一方、自民族が他民族に対して優越ゆうえつすると考える極端な思想も作り出した。

左翼

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「左翼」の場合、戦後の昭和・平成では、ナショナリズムが戦争につながっていったことに対する反省から、自国の民族を中心に考えるよりも互いに尊重しようという立場をとることが、多い。また、民族もまた変化するものであり、個人ごとの差があることを重視するため、「Aという民族はBである」というようなw:ステレオタイプな民族観には自民族のものも含めて否定的である。

極右と極左

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右翼思想の中でも、外国人移民の排斥、核武装、人種隔離政策などのように、特に極端な内容の右翼的な主張をしている勢力および、そのような主張の思想を「極右」(きょくう、far right)と言う。

同様に、左翼思想の中でも、たとえば政府の即時廃止を主張する無政府主義、あるいは天皇制の廃止といった、極端な左翼の主張をする勢力および思想のことを「極左」(きょくさ、far left)と言う。なお共産主義そのものは一般的には「左翼思想」の範囲とされ「極左」と見なされる事は少ないが、暴力革命路線を肯定するなどの主張は極左と表現されることもある。

2017年時点で、ヨーロッパの政治では、少数政党だが反・移民の思想を持つ政党がしだいに勢力を伸ばしており、移民流入などを規制する主張の党が支持者増・活発化してきている。欧米のマスメディアは、このような最近のヨーロッパの反移民の立場の政党は、「極右」(far right)と呼んでいる。

補註

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  1. ^ https://www.yomiuri.co.jp/world/20211024-OYT1T50009/