高等学校文学国語/永訣の朝
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本文
[編集]- けふのうちに
- とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
- みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
- (あめゆじゆとてちてけんじや)
- うすあかくいつそう
陰慘 な雲から - みぞれはびちよびちよふつてくる
- (あめゆじゆとてちてけんじや)
- 青い
蓴菜󠄁 のもやうのついた - これらふたつのかけた
陶椀 に - おまへがたべるあめゆきをとらうとして
- わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに
- このくらいみぞれのなかに飛びだした
- (あめゆじゆとてちてけんじや)
蒼鉛 いろの暗い雲から- みぞれはびちよびちよ沈んでくる
- ああとし子
- 死ぬといふいまごろになつて
- わたくしをいつしやうあかるくするために
- こんなさつぱりした雪󠄁のひとわんを
- おまへはわたくしにたのんだのだ
- ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
- わたくしもまつすぐにすすんでいくから
- (あめゆじゆとてちてけんじや)
- はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
- おまへはわたくしにたのんだのだ
- 銀河や太陽 氣圈などとよばれたせかいの
- そらからおちた雪󠄁のさいごのひとわんを……
- ……ふたきれのみかげせきざいに
- みぞれはさびしくたまつてゐる
- わたくしはそのうへにあぶなくたち
- 雪󠄁と水とのまつしろな
二相系 をたもち - すきとほるつめたい雫にみちた
- このつややかな松のえだから
- わたくしのやさしいいもうとの
- さいごのたべものをもらつていかう
- わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
- みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
- もうけふおまへはわかれてしまふ
- (Ora Orade Shitori egumo)
- ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
- あああのとざされた病室の
- くらいびやうぶやかやのなかに
- やさしくあをじろく燃えてゐる
- わたくしのけなげないもうとよ
- この雪󠄁はどこをえらばうにも
- あんまりどこもまつしろなのだ
- あんなおそろしいみだれたそらから
- このうつくしい雪󠄁がきたのだ
- (うまれでくるたて
- こんどはこたにわりやのごとばかりで
- くるしまなあよにうまれてくる)
- おまへがたべるこのふたわんのゆきに
- わたくしはいまこころからいのる
- どうかこれが
兜率󠄁 の天 の⻝ に變 つて - おまへとみんなとに
聖󠄁 い資糧 をもたらすやうに - わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
注釈
[編集]- いもうと:作者の二つ違いの妹、宮澤トシ。日本女子大学を卒業後、岩手県立花巻高等女学校(現・岩手県立花巻南高等学校)で教員を務めていたが、結核により1922年11月27日満24歳で死亡。
- みぞれ:雨と雪が混ざったもの。あめゆき。漢字では「霙」。
- あめゆじゆとてちてけんじや:あめゆきを取ってきてください
- 蓴菜:スイレン科の多年生水草。若芽・若葉を食す。
- まがつたてつぽうだまのやうに:瀕死の妹の願いを叶えるために一目散に外へ飛び出そうとするが、部屋から表に出るまで家の中をあちこち曲がる必要があったことを示す。
- 蒼鉛:金属元素の一つ、ビスマス(Bi)の和名。灰白色で赤みを帯びている。
- みかげせきざい:御影石(花崗岩)の石材。
- 氣圈:地球を包む大気のある範囲。大気圏。
- 二相系:ここでは、水が液体と固体の二つの状態で共存すること。
- Ora Orade Shitori egumo:わたしはわたしで1人で
逝 きます。 - うまれでくるたてこんどはこたにわりやのごとばかりでくるしまなあよにうまれてくる:また人として生まれてくる時には、こんな自分のことばかりで苦しまないように生まれてきます。
- 兜率の天:仏教用語で、弥勒菩薩が住む天上世界のこと。弥勒菩薩は、仏教の開祖であるゴータマ・シッダールタが入滅してから56億7千万年後の未来にこの世界に現われて悟りを開き、多くの人々を救済するとされる。
鑑賞
[編集]この文章は、宮澤賢治によって書かれた詩である。
宮澤賢治は『風の又三郎』『銀河鉄道の夜』『星めぐりの歌』『注文の多い料理店』『雨ニモマケズ』『セロ弾きのゴーシュ』『どんぐりと山猫』などで知られる作家であり、岩手県立花巻農学校の教師として働く傍らで創作に励んだ。1896年生、1933年没。作品の殆どは死後に発表され、高評価を受けた。
題名にある「永訣」は、「永遠の訣別」の縮約であり、この文章は『松の針』『無声慟哭』と共に妹の死に際を見て記された。ともに詩集『春と修羅』に納められている。
作中で妹が発する方言は花巻弁を元にした創作方言であり、この文章が書かれた当初は全てローマ字表記であった。「Ora Orade Shitori egumo」のみがローマ字表記のまま残された理由は、「この部分を強調したかったから」「ローマ字で(空白を入れて)記すことで、音の響きから意味が浮かんでくるから」「賢治にとっては単なる妹の言葉ではなく、天から齎されたありがたい言葉であったから」「日本語表記では表現できない信仰的意味合いを含んでいるから」「妹のこの言葉だけは肯定したくなかったから」などが考えられる。
妹の死の翌年、樺太を訪れた際に亡き妹を偲んで『青森挽歌』『樺太挽歌』を記している。
これらの詩も併せて読んでおきたい。