高等学校日本史探究/新たな世紀の日本へⅢ
小学校・中学校・高等学校の学習>高等学校の学習>高等学校地理歴史>高等学校日本史探究>新たな世紀の日本へⅢ
「新たな世紀の日本へ」の第3回目では、森喜朗内閣から高市早苗内閣までの国内政治と歴史全体の課題を見ていきます。なお、各資料出所は最新の政治史・国際関係・社会情勢史まで反映されていません[1]。そのため、当節は2026年4月までの政治史・国際関係・社会情勢史・経済史を入れて解説をしております。
「構造改革」と対テロ戦争
[編集]
2000年4月2日、小渕恵三内閣総理大臣が脳梗塞で倒れて入院しました。2000年4月5日、森喜朗が自由民主党総裁になりました。自由民主党と公明党と保守党で連立政権を組んで、そのまま内閣総理大臣になりました。しかし、森喜朗内閣総理大臣は長期不景気の回復を放置して、問題発言を何回もしました。2001年4月、森喜朗は国民の不支持も高まって内閣総理大臣を辞めました。次の小泉純一郎内閣総理大臣は自由民主党と公明党と保守党で連立政権を組んで、聖域なき構造改革の目標から新自由主義的な政策を大胆に進めました。郵政事業の民営化を進めたり、地方の税金と財政の仕組みを見直したり、市町村を合併させたり、金融制度と雇用制度を緩めたり、国立大学を法人に変えたり、不良債権を徹底的に処理したり、年金の負担・医療保険の加入者負担を増やしたり、補助金と地方交付税を減らしたり、市町村の税源移譲を進めたり、道路公団を民間に移したりしました。このように広い分野で構造改革を次々行いました。その結果、大企業は業績を回復しても、中小企業の赤字を長く消せませんでした。このため、派遣の働き方が広がって正社員以外の雇用[非正規雇用]も増えたり、社会保障費の削減から貧しい人も増えたりしました。以降、労働者の所得格差・地域格差が広がって福祉政策も遅れました。インターネット・バブルが崩壊しても、政府のお金を積極的に配るような対策を全く取りませんでした。だから大半の企業は大量の労働者を減らしました(リストラ)。特に正社員数を減らしたり、新しく正社員を雇わなかったりしました。2005年、郵政民営化関連法案が参議院で否決されました。構造改革の中心部分なので、小泉純一郎内閣総理大臣はすぐに衆議院を解散しました(郵政解散)。衆議院議員総選挙の結果、自由民主党は総議席の3分の2を超える大勝を収めました。郵政解散総選挙は小泉劇場として有名です。小泉純一郎内閣総理大臣が中心になって派手に劇場型政治を進めていました。
- 森喜朗・小泉純一郎・金正日総書記
-
森喜朗
-
小泉純一郎
-
金正日総書記
2002年9月、小泉純一郎は日本の首相として大胆な行動を取りました。初めて北朝鮮[朝鮮民主主義人民共和国]へ直接行って、金正日総書記に会いました。小泉純一郎と金正日は現地で日朝平壌宣言を出しました。日朝平壌宣言は昔の植民地支配を反省しつつ日本と北朝鮮の国交正常化に向けて意見をまとめました。また、北朝鮮の核問題と日本人拉致問題も解決して、お互いの安全を守っていくと記しました。この時、数名の拉致被害者と家族が日本へ帰国しました。しかし、北朝鮮側が日本人拉致問題を認めると日本と北朝鮮の話し合いも止まりました。その後の北朝鮮は日本人拉致問題の完全な解決に全く応じなくなり、核開発とミサイル開発を現在も続けています。

2001年9月11日、かなり大きなテロ攻撃がアメリカ合衆国の世界貿易センタービルと国防総省で起きました(アメリカ同時多発テロ事件)。その後、テロ集団はウサーマ・ビン・ラーディン容疑者含むアルカイダ[イスラーム過激派テロ組織]と分かり、証言からイスラーム原理主義の考えに基づいて実行されました。そのため、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領はもし国家ぐるみでテロ集団を隠したり、テロ集団を助けたりしたら仕返しとして武力を使うと伝えました。2001年10月7日、アメリカ政府などはアフガニスタンに対して空中爆撃を始めました(アフガニスタン紛争)。一方、日本はすぐにテロ対策特別措置法を成立させました。その後、アメリカ軍の後方支援として自衛隊をインド洋へ送って給油活動を行いました。自衛隊創設以来、初めて戦争中の海外派遣になりました。また、日本は武力攻撃事態法などの有事法制を定めました。1991年の湾岸戦争で豊富な財政支援をしても国際社会から「日本は何をやっているのか。」と言われたからです。だから、日本は急いで関連法律を整えて、その悔しさを平和に晴らしました。
-
ウサーマ・ビン・ラーディン
-
ジョージ・ウォーカー・ブッシュ
2003年3月20日、アメリカ軍・イギリス軍・多国籍軍はイラク南部の空に爆弾を落として攻撃しました(イラク戦争)。イラク側の大量破壊兵器所持を理由に国際連合の決議なしに攻撃を始めました。日本政府はイラク復興支援特別措置法を定めて、自衛隊をイラクに送りました。自衛隊は現地で食料と水の配布・怪我人の救助活動・建物の修復活動をしました。小泉純一郎はアメリカ側の軍事行動[テロとの戦い]を早くから支えました。イラク戦争後、反米武装勢力が爆弾を爆発させたり、銃で撃ち合ったりしました。その結果、多数の死傷者と多数の難民が出ました。2006年、朝鮮民主主義人民共和国[北朝鮮]が地下核実験を行いました。
憲法改正論と政権交代
[編集]※当項目は時事的な要素が強いため毎年見直し更新があります。
2004年、イラク派兵と有事関連7法が明るみになると国民も日本国憲法の平和主義を守られていないと思いました。そこで、日本国憲法の平和主義を守るために市民運動「九条の会」を立ち上げました。なお、市民運動「九条の会」は日本全国に広がりました。2005年、自由民主党が憲法改正案を出して大きな話題になりました。2006年9月、小泉純一郎が内閣総理大臣を辞めてから、安倍晋三・福田康夫・麻生太郎と内閣総理大臣も頻繁に変わりました。第1次安倍晋三内閣総理大臣は「日本と郷土を愛する」の表現を改正教育基本法に入れたり、防衛庁を防衛省に上げたりしました。しかし、安倍晋三は2007年の参議院議員通常選挙結果から第1次内閣総理大臣を辞めました。その後、福田康夫と麻生太郎はどちらも短期間で内閣総理大臣を辞めました。小泉純一郎の内閣総理大臣退陣後からどの政党も支持しない国民がかなり多くなったり、自民党支持者まで他の政党を支持したくなったりしました(政権交代前夜)。
- 安倍晋三・福田康夫・麻生太郎
-
安倍晋三
-
福田康夫
-
麻生太郎
2009年、民主党は第45回衆議院議員総選挙で大きく勝ちました。国民の投票は古い日本の政治を変えてほしいから民主党議員候補者に大半流れました。一方、自由民主党は国民の意見にほとんど耳を傾けなかったので議席まで大きく失いました。その結果、戦後初めて政権が自由民主党から民主党に替わりました。鳩山由紀夫は民主党・社会民主党・国民新党と連立政権を組んで、そのまま内閣総理大臣になりました。民主党政権は官僚中心体制から政治主導体制に変えようとしました。しかし、政策決定をどのように行うのか民主党内の各意見さえもかなり食い違っていました。そのため、民主党政権は早くも国家を上手くまとめにくくなりました。鳩山由紀夫は普天間基地移設問題から内閣総理大臣を辞めました。なお、普天間基地移設問題は日米関係にも影響を受けました。2010年6月、菅直人が民主党代表選挙で勝ちました。続く内閣総理大臣指名選挙でも菅直人が選ばれて内閣総理大臣になりました。しかし、民主党は2010年7月の参議院議員通常選挙で大幅に議席を減らしました。民主党はもう信頼出来ないと大半の国民から挙がりました。そのため、国内政治はさらに混乱しました。国内政治の混乱理由として2008年の世界金融危機(リーマンショック)が挙げられます。2008年の世界金融危機(リーマンショック)から日本経済も大きく傷つき、大量の企業倒産・派遣労働者の大量解雇を招いており、国民もこれを早く何とかしてほしいと思っていました。しかし、国民の声を政治家が誰一人全く聞かなかったから政府を信頼しなくなりました。

2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が起きました。日本の地震観測から数えても最も大きな巨大地震[マグニチュード9.0]になり、地震の震源は三陸沖でした。黒褐色の巨大津波が東北地方太平洋沖地震で最も被害を大きくしました。津波は東日本太平洋沿岸[東北から関東まで]の家屋・車・人を次々飲み込みました。その結果、約2万人がこの地震で命を落としました。福島県の東京電力第一原子力発電所は地震と巨大津波の影響から大量の放射性物質を漏らしてしまいました(福島第一原子力発電所事故)。福島第一原子力発電所の近隣住民は全員実家を捨てて避難しました。世界各国は福島第一原子力発電所事故の影響から原子力発電所の安全神話を見直すようになりました。東北地方太平洋沖地震後、菅直人内閣総理大臣でも次の野田佳彦内閣総理大臣でもねじれ国会の後始末ばかりに追われました。2026年現在も被災地の復興と福島第一原子力発電所事故の後始末が続いています。民主党・自由民主党・公明党は社会保障費を集めるために消費税増税を認めました(三党合意)。しかし、民主党内から野田佳彦に対して不信任決議案まで出されました。2012年12月、野田佳彦は「近いうちに国民の意見を問う」と伝えて衆議院を解散しました(第46回衆議院議員総選挙へ)。第46回衆議院議員総選挙の結果、国民の投票は自民党議員候補者に大半流れました。一方、民主党はこれまでの行いから国民の投票を得られないまま議席まで大きく失いました。この選挙後、自由民主党と公明党が安倍晋三から石破茂内閣まで手を組みました。また、続く内閣総理大臣指名選挙でも自由民主党総裁の安倍晋三が選ばれて再び内閣総理大臣になりました(第2次安倍晋三内閣)。
- 鳩山由紀夫・菅直人・野田佳彦
-
鳩山由紀夫
-
菅直人
-
野田佳彦
安倍晋三内閣総理大臣は「戦後レジームからの脱却」を目標にしていました。この目標の実現に向け、国会の閣議で集団的自衛権を使いたいと伝えました。2015年、日米の新ガイドラインと安全保障関連法を国会で通しました。これ以降は自衛隊法なども修正して、日本国憲法第9条の見方を大きく変えました。次に経済財政政策は3つの矢[金融緩和・財政出動・成長戦略]を軸に進めました(アベノミクス)。その結果、経済指標[円安進行・株価上昇など]に明らかな改善が見られました。また、安倍晋三は安全保障体制も見直しました。特定秘密保護法を作りつつ、首相官邸主導体制をさらに強化しました。新しく内閣人事局を作って中央省庁の幹部人事権を全て官邸にまとめました。こうして、首相の政策実行力を戦後最大水準まで上げました。少子高齢化対策のために選挙権の年齢を20歳から18歳に下げました(公職選挙法の改正)。さらに、女性活躍推進法から待機児童解消のために保育園数・保育所定員を増やすようにしました。安倍晋三内閣総理大臣の外交は日米同盟を一番大切にしました。一方、安倍晋三は周辺諸国の指導者とも積極的に交流しました。日露首脳会談で北方領土問題を解決して平和条約を結びたいと伝えても、ウラジーミル・プーチン大統領はこれを全く受け入れませんでした。

2016年、明仁天皇は「天皇の公務をこれ以上続けられない。」と日本国民に伝えました。皇室典範第4条は「天皇が亡くなったら、自動的に退位になります。」のみ記されていました。2017年、日本政府は皇室典範第4条の例外として皇室典範特例法を定めました。2019年4月30日、明仁天皇は皇室典範特例法を使って、徳仁へ天皇を譲りました。2019年5月1日、新しい元号は令和に変わりました。一方、明仁天皇は上皇として現在もいます。2020年から新型コロナウイルス感染症(COVID−19)が世界各地に広がりました。日本政府は新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言を何度も出して、全ての日本国民に対してマスクを着けたり、手をしっかり洗ったり、外出自粛を行うように呼びかけられました。東京オリンピックと東京パラリンピックは新型コロナウイルスの社会的な混乱から2021年に開かれました。2020年、安倍晋三は健康上の理由で内閣総理大臣を辞めました。2020年9月、菅義偉が自由民主党総裁選挙で勝ちました。続く内閣総理大臣指名選挙でも菅義偉が選ばれて内閣総理大臣になりました。菅義偉内閣総理大臣は携帯電話の料金を安くしたり、デジタル庁を作ったり、国民生活に身近な政策を進めました。しかし、新型コロナウイルスの後始末ばかりに追われました。緊急事態宣言を何度も出しつつ、東京オリンピックを開催か中止かで菅義偉内閣総理大臣の信頼は大きく下がりました。2021年10月、菅義偉は自由民主党総裁選挙に出ないと伝えて内閣総理大臣を辞めました。
- 明仁・徳仁・菅義偉
-
明仁
-
徳仁[現在の天皇]
-
菅義偉
2021年10月、岸田文雄が内閣総理大臣に選ばれました。岸田文雄は自由民主党内で何度も集まって意見を合わせながら政治を進めました。経済を成長させながらお金を国民全員に行き渡るような新しい資本主義[成長と分配の両立]を目標にしました。経済安全保障推進法を作ったり、防衛費を増やしたりして安全保障政策を変えていきました。しかし、物価高問題の対応は大きく出遅れました。エネルギー価格・生活必需品の価格が上向くと、補助金を出しました。2023年12月、自民党派閥の政治資金問題が明らかになりましたその結果、岸田文雄内閣総理大臣の信頼は大きく下がりました。2024年9月、岸田文雄は自由民主党総裁選挙に出ないと伝えて内閣総理大臣を辞めました。2024年10月、石破茂が自由民主党総裁選挙で勝ちました。続く内閣総理大臣指名選挙でも石破茂が選ばれて内閣総理大臣になりました。石破茂内閣総理大臣は地方の人口減少対策と農林水産業の振興に取り組みました。しかし、自由民主党内で意見の食い違いは続きました。また、自由民主党は政治資金問題などから衆議院と参議院の両方で半数以上の議席を失いました。その結果、石破茂は少数与党の内閣総理大臣として政治を続けるようになりました。少数与党は1955年以降の自民党中心の政治まで変えました。以来、石破茂は政治資金規正法の改正と党内改革を進めました。さらに、地方創生・労働市場の改革にも取り組みました。結局、石破茂は短期政権で終わりました。
- 岸田文雄・石破茂・高市早苗
-
岸田文雄
-
石破茂
-
高市早苗
2025年10月、高市早苗が自由民主党総裁選挙で勝ちました。続く内閣総理大臣指名選挙の結果、明治時代以降の内閣総理大臣で初めて女性の高市早苗が内閣総理大臣に選ばれました。公明党は自由民主党と組まなくなり、高市早苗内閣で与党から抜けました。その結果、これまでの自公連立政権は完全に終わりました。2026年2月、自由民主党は衆議院議員総選挙で大きく勝ちました。2026年4月地点の高市早苗内閣は自民党単独政権で政治を行っています。高市早苗は自由民主党の政治資金問題で国民からの信頼を取り戻したいから政権の土台を新しく作り直しました。安全保障政策は従来の防衛費を増やしつつ、経済安全保障も同時に進めました。2026年3月以降、イランはアメリカ合衆国とイスラエルのイラン攻撃からホルムズ海峡を封鎖しました。一方、アメリカ合衆国も2026年4月からイラン領土内の港湾を海上封鎖しました。その結果、船がほとんど通れなくなりました。世界中で原油供給の不安が急速に広がりました。日本政府は原油の供給先を各国に広げて、国内のエネルギー体制を急いで強くしました。関係国と話し合いながら船を安全に通れるようにするための外交活動を続けました。
新しい世界を目指して
[編集]※当項目は時事的な要素が強いため毎年見直し更新があります。

資料出所
[編集]- 平雅行、横田冬彦ほか編著『日本史探究』実教出版株式会社 2023年
- 佐藤信、五味文彦ほか編著『詳説日本史探究』株式会社山川出版社 2023年
- 高埜利彦、高村直助ほか編著『日本史A 改訂版』株式会社山川出版社 2016年
- 渡邊晃宏ほか編著『日本史探究』東京書籍株式会社 2023年
- 伊藤純郎ほか編著『高等学校日本史探究』株式会社清水書院 2023年
- 大橋幸泰ほか編著『高等学校日本史探究』株式会社第一学習社 2023年
- 山中裕典著『改訂版 大学入学共通テスト 歴史総合、日本史探究の点数が面白いほどとれる本』株式会社KADOKAWA 2024年
- 佐藤信、五味文彦ほか編著『詳説日本史研究』株式会社山川出版社 2017年
- 河合敦著『世界一わかりやすい河合敦の日本史B[近・現代]の特別講座』株式会社KADOKAWA 2014年(絶版本)
- 全国歴史教育研究協議会編『[新課程版]日本史用語集』株式会社山川出版社 2023年
- 各種新聞等資料・首相官邸ホームページ
ここに注意!!
[編集]- ^ 実教出版日本史探究教科書では岸田文雄内閣の誕生までです。山川出版社の日本史探究は安倍内閣まで。東京書籍の日本史探究は菅義偉内閣までとなります。