高等学校日本史B/室町文化と戦国時代の文化

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戦国時代の織田信長の時代に、茶の湯(いわゆる茶道のようなもの)が武士のあいだに普及する。

だが、茶の湯そのものは、けっして信長の時代に始まったわけではない。


落ちついた感じの茶道が始まったのは、室町時代の後半(東山文化)であり、そのころの村田珠光(むらた じゅこう)が 侘び茶(わびちゃ) を始めた。

なお東山文化(ひがしやま ぶんか)とは、銀閣を8代将軍 足利義政(よしまさ)が建てたころの文化のことである。

そもそも、東山文化の特徴が、おちついた感じの文化である。(※ 銀閣も東山文化。読者は、頭の中で関連づけよう。)


なお、村田珠光は、茶道の説明のさいに、禅(ぜん)にたとえて茶道を説明した。

村田より以前は、茶道というよりも、茶の品種を当てるクイズのような 闘茶(とうちゃ) というジャンルだった。

(※ 世界史の範囲: )なお、中国大陸で茶の栽培が普及した時代は、唐のころの時代である(参考文献: 帝国書院の世界史資料集)。
文献によっては、隋の時代に庶民に普及したとも言われる。日本に茶が伝わった時代がいつかは不明であるが、遣唐使の最澄が茶の種子を日本に持ち帰ったことが知られている。
(※ 範囲外)三国志の小説で、よく、武将になる前の若い劉備が、病気の母のために茶を買い探しにいくシーンがある。このように、漢の終わり、三国時代のころには、茶のような植物が、薬用として考えられていたと思われる。(ただし、この頃の茶は、飲用ではなく(茶葉をかじる)食用だった可能性もある。)

絵画では、戦国時代に狩野永徳(かのう えいとく)が活躍するが、狩野派も、けっして狩野永徳が始めたわけではない。

狩野元信の作品

狩野派は、室町時代の後半に、狩野正信(まさのぶ)・元信(もとのぶ)の父子が、始めたのである。

ただし、正信のころの狩野派の画風は、水墨画に近い。水墨画を基調として、それに着色をした、独自の画風を、正信らは、あみだした。

この画風は、当時っぽい用語で言えば、水墨画に大和絵の手法を取り入れたわけである。


この水墨画じたい、(日本の小学校では)雪舟(せっしゅう)が有名だが、じつは日本で水墨画を始めたのは雪舟ではない。

雪舟の以前は、水墨画は、禅を説明するための補助的な美術であり、寺社の僧によって水墨画が作られていた。だが、雪舟は、水墨画を禅とは独立した美術として作品を作り出した。

雪舟は、明(ミン)に渡って水墨画の知識を日本に持ち帰った。だが、べつに日本初ではない。

雪舟は、西日本を中心に何度か引っ越し、日本の自然を水墨画で描いた。 (※ なんだか、江戸時代の松尾芭蕉(まつお ばしょう)と、やってることが似ていますね。)


上述のように、ところどころ「禅」(ぜん)が出てくる。

これは、室町時代の前半には、禅が流行したからである。

※ もうひとつの理由として、室町時代の当時、禅宗以外には、あまり芸能を修行できる場所が無かったらしい。(※ 参考文献 : ウィキペディア『雪舟』)

そして、室町時代の後半の文化は、茶道や美術などのそれぞれの文化で、禅の制約から脱却する文化という段階に移る。