高等学校日本史B/日本文化のあけぼの

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人類の誕生[編集]

人類は、およそ500万年あたり前に、アフリカで誕生したと、化石人骨などから考えられている。そのころの人類は猿人である。

今から1万年あたり前をさかいに、さかいの前を更新世(こうしんせい)といい、さかいの後を完新世(かんしんせい)という。

日本列島は更新世(こうしんせい)の当時、寒冷な氷期(ひょうき)と比較的温かい間氷期(かんひょうき、かんぴょうき)が交互に続いており、更新世はいわゆる氷河時代のことであり、また更新世の当時は日本がユーラシア大陸と陸続きであったため大型動物が多く日本列島にやってきていた。 更新世のこのとき、日本列島の北からは、マンモスヘラジカが日本に来て、 南からは、オオツノジカ(大角鹿)やナウマンゾウ(1948年、野尻湖(のじりこ、長野)で発見される)が日本に来ていることが確認されている。

このような更新世が、約250万年前から約1万年前まで続いた。

なお、約5〜1万年前のあいだに、人類は新人(しんじん、ホモ=サピエンス)に進化している。約10万年前には旧人が発生していたと考えられている。

旧石器時代[編集]

人類が石器を使い始めた時期は、今からおよそ250万年前のころ(更新世である)と考えられている。 石器に、打ち欠いてつくっただけの打製石器(だせいせっき)のみを使用していた旧石器時代(きゅうせっきじだい)が、石器時代の中でも最も古い。

かつて日本には旧石器時代が存在しないと考えられていたが、しかし1946年、群馬県にある岩宿遺跡(いわじゅくいせき)で、更新世に堆積した関東ローム層から打製石器を相沢忠洋(あいざわ ただひろ)が発見する。そして1949年に、学術調査が行われた。これらの調査により、日本にも旧石器時代があったことが証明され、日本史上の定説を覆すこととなった。

これを契機に、日本の各地で更新世の地層から石器が発見された。

ここでは名前と用途を紹介するが資料集などで実物の写真を確認していただきたい。

  1. 打製石斧(せきふ) 切る、土を掘る。旧石器時代の古くからある。
  2. ナイフ形石器 切る、削る。旧石器時代の古くからある。
  3. 尖頭器(せんとうき)    槍の先端に付ける。旧石器時代の後半に現れた。
  4. 細石器(さいせっき)  木や骨の先端に嵌めこむ。旧石器時代の終わり頃に現れた。旧石器時代の石器では、もっとも新しい時代の石器。

狩猟に使える石器がこのように存在することから、当時の日本人は、狩猟を行って得た獣の肉を、食料にしていたと考えられている。

港川人(港川1号)の化石(レプリカ)。国立科学博物館の展示。

人骨は3種類覚えとけば問題ない。 沖縄県の港川人(みなとがわじん)・山下町洞人(やましたちょうどうじん) 静岡県の浜北人(はまきたじん)である。これらの人骨はいずれも新人段階であり、3万年前までの人骨である。

港川人は人骨がよく残っており、アジア南部の人種であると考えられている。

縄文時代[編集]

縄文時代の成立[編集]

今からおよそ1万数千年前ごろの更新世末期から、地球の気候が温暖化して海面が上昇し、これにより日本列島が形成された。(約1万年前)

植物は、東日本では落葉広葉樹林が広がり、西日本では照葉樹林が広がった。この森林の変化にともない、ドングリ、クルミ、クリなどの木の実や、ヤマイモなどの根茎類(こんけいるい)が豊富になった。

縄文時代の生活[編集]

人類は 磨製石器(ませいせっき)、土器弓矢 を手にし生活基板を創り上げていった。この時代の土器の模様には、縄を回転させて土器につけた模様が多く、そのため、この時代の土器のことを縄文土器(じょうもんどき)と言う。また、この時代を縄文時代という。

動物は、マンモスなどの大型動物はすでに絶滅しており、シカやイノシシやウサギなどの比較的小型で俊敏な動物が多かった。このような俊敏な動物を狩るのに、弓矢が適していた。牧畜は行われていない。また、本格的な農耕は行われていない。

また、土器は貯蔵(ちょぞう)の他にも、食物の煮炊き(にたき)にも使われていたようであり、木の実のアク抜きや、獣肉の煮沸などにも使われたようである。

日本の石鏃(黒曜石製)
石錘(せきすい)
※ 磨製石器の名前と用途を紹介するが写真での確認を忘れないこと。
  1. 石鏃(せきぞく)  矢の先端部として使用。
  2. 石匙(いしさじ)  皮を剥ぐ際に使用。
  3. すり石・石皿(いしざら)  木の実などの、かたい食物をつぶす。
  4. 石錘(せきすい)  網のおもりとして使用。

また、骨角器(こっかくき)といい動物の骨や角を銛や釣り針に使用していた。

縄文土器の特徴として  縄目模様  黒褐色(低温で焼いているため) 厚手でもろい  が挙げられる。

木の実などによる定住して得られる食料が普及したためか、人々は竪穴住居(たてあな じゅうきょ)に住み、円を成して共同生活する環状集落を作った。また貝塚(かいづか)が発見されており、ハマグリやアサリなどの貝が捨てられている。このことから、漁労が発達していたことが、うかがえる。

大森貝塚(おおもり かいづか、東京)   1877年にモースにより発見された。
加曾利貝塚(かそり かいづか、千葉)   日本最大の貝塚。
・ 夏島貝塚(なつしま かいづか、神奈川)  日本最古の貝塚の一つ。
・ 津雲貝塚(つくも かいづか、岡山)  人骨170体が発見された。

また交易も盛んであったことが分かっている。

黒曜石 :黒曜石は、原産地が限られる。その黒曜石が、原産地から離れた各地から出土していることから、交易が行われていたことが分かる。場所は 和田峠(わだとうげ,長野)、白滝・十勝町(北海道)、箱根(神奈川)、神津島(こうづしま,東京)、姫島(ひめしま,大分)、阿蘇山(熊本)。
サヌカイト(讃岐石) :産出場所は  二上山(ふたがみやま、にじょうざん、奈良)
ひすい(硬玉、「こうぎょく」) :産出場所は新潟県の姫川(ひめかわ)。
土偶 青森県 亀ヶ岡遺跡の出土(通称:遮光器土偶)
  • アニミズム

自然現象に霊威を認める呪術(じゅじゅつ)的な思想(いわゆるアニミズム)があったと考えられている。女性をかたどった土偶(どぐう)や、男性の生殖器(いわゆる男根)をかたどった石棒(せきぼう)がある。抜歯(ばっし)が、成人式や婚姻などのときに通過儀礼として歯を抜く風習だった。死者を埋葬するときに死体の手足をかがめる屈葬(くっそう)があった。また環状列石(かんじょうれっせき、秋田県の大湯、「おおゆ」)もアニミズムの一つだと考えられている。

  • 遺跡

縄文時代で有名な遺跡は、青森県にある三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)である。

  • その他

身分の差は、あまり無かったようである。寿命は短く、30歳くらいまで、だったようである。