高等学校美術I/デザインとは

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

デザイン画、および集団作業[編集]

正面図と側面図

ウルトラマンに出てくる怪獣など、空想上の生き物の着ぐるみを、もし新しく怪獣を考えて作るときは、考えた形を絵でデザインしてスタッフに説明する必要があります。

目的は、着ぐるみなどの実物をつくることですので、正面図だけでなく、側面図など別方向から見た図も必要になります。正面図だけでは、正面からは見えない部分の形が分からないからです。

側面図のかわりに背面図を書く場合もあります。また、正面図と側面図と背面図の3つを描く場合もあります。

いっぽう、上面図は、描かない場合も多いです。映像作品の着ぐるみなどの場合、正面図と側面図があれば、そこから形が分かる場合が多いのです。

また、こういった集団作業用デザイン画では、デザインの第一段階では色は塗らない(ぬらない)のが普通です。当面の目的は、形のデザインですので、輪郭線などの線を目立ちやすくする必要があります。影も、つけないのが普通です。

このように、集団作業のデザインでは、特に空想の生き物をデザインする場合、普通のイラストとは描き方がちがいます。集団作業用のデザイン画では、少なくとも2方向(たとえば正面図と側面図)が必要になる場合が多くあります。

アニメ風に描かれたキャラクター設定画の例(色つき)
作者 Danny Choo
このデザイン画では、全身像として正面図と背面図を描いている。※「色トレス」とは,線画の線に色がついている物ですね。
※ 絵だけでは分かりづらい場合、デザインに重ならない位置に、文章で短く、たとえば「手の形は○○にする」などのコメントを追加したりして、明確に指定する場合もあります。目的は、絵だけで表現することではないのです。目的は、制作スタッフどうしで共通認識を作ることですので、もし目的のために必要ならコメントも追加します。
※ なお、アニメと製造業では「三面図」の意味が違います。アニメでいう「三面図」はキャラ絵の場合、正面 ・ 後ろ姿 ・ 側面 の合計3面です。しかし製造業でいう「三面図」は、正面・側面・上面です。
正面図と側面図
※ 集団作業とは別に、彫刻を木彫り(きぼり)や石彫り(いしぼり)でつくるときも、彫られる(直方体の)木や石に、実物大で正面図と側面図を描きます。その図を参考に、彫っていきます。
CGを制作する時も、多くの場合正面図と側面図を描いて、その画像を参考に各部分を入力していきます。

デザインとアートの違い[編集]

デザインとアートは違います。デザインは自己表現ではありません。教科書会社のサイトにある動画でも、そう言っています[1]

デザインは問題解決のために、観客に分かりやすく、観客が楽しめるように絵を交えて説明する絵画作品のことです[2]

なお、美術科目だけでなく、情報科目の情報1の単元『情報デザイン』でも、似たようなことを習います

なお、デザインする仕事の人のことを「デザイナー」と言います。


ともかく、デザイナーは作品で情報が分かりやすく伝わらないと意味ないので、なので普通の人の気持ちもある程度は分からないといけません[3]


デザインでは普通、一発勝負はありません。

デザインでは、取引先や制作チームなどと協力して、試作品(プロトタイプ)を作って、それをつかってユーザーにテストしていくなどして改善していくプロセスによって、作品を作り上げていきます[4]。デザインでいう「試行錯誤」とはそういう意味です。


美大のデザイン学科と再受験

絵描きの仕事の志望者にとって、『デザイン』という言葉の意味を知ることが重要な理由のひとつとして、仮に美大を志望する際の学科選びに関わってきます。美大の「デザイン学科」とか学科内コースなどの「グラフィックデザイン専攻」とかはそういう意味ですので。

世間には「デザイン」という言葉の意味を誤解して、「なんだか20世紀後半以降のポップアートのような画風・作風だろう」と勘違いする人がいます。たとえばラッセン(クリスチャン・ラッセン)の絵みたいなのと勘違いする人がいるのです。あるいは、「わたせ せいぞう」みたいな、なんかマンガ絵っぽいオシャレ感のある絵とか。

しかし、「デザイン」とは、断じてそういう意味ではありません。

もしラッセンや「わたせ せいぞう」みたいなのと勘違いして美大の「デザイン学科」に進学してしまうと、目的のジャンルの絵の練習・勉強をするために転学科する羽目になって学費が余計に(私大なら少なくとも1年あたり100万円以上も)掛かったり、最悪、自主退学して再受験する羽目になってしまいます。

美大とかをロクに調べたことないイラストレーターさんとかが「デザインの定義なんて知らなくていい。それより絵を練習しろ。」とか言う人もいるかもしれませんが、しかし上述のような美大生の転学科などの手間の実例を知らない人のいう知ったかぶりなので、相手しないほうがイイです。そういう人が出世しているジャンルの業界は、もうその業界そのものの知的水準に欠陥があるので、そっと界隈から離れましょう。

だいたい、書道だと、単に字をうまく書く練習だけでなく、古典文学を勉強したりする事もあります。あるイラスト業界のイラスト会社が座学的なことを勉強しなくていいからと言って(そういう業界もあるのでしょう)、別の会社、別の業界までそうだとか、決めつける人はちょっと困りものです。


ともかく、美大ごとに、どういう意味で「デザイン」と言う言葉を使っていか異なる可能性もあるので、詳しくはそれぞれの美大についてパンフレットやらオープンキャンパスなどで調べてください。

あるいは、もしアナタが今が経済的に貧しくてオープンキャンパスに行けないなら、そもそも芸術家を将来の収入を得る職業として志望する進路そのものを考え直したほうが良いと思います。

美大・音大とか目指して3浪とか多浪する計画を立てたりして「浪人の困難にくじけず努力なワタシ! 自分かっこいい!!」とか自己陶酔できるカネと時間があるなら、私大あたりのオープンキャンパスに行く交通費のカネくらい捻出(ねんしゅつ)できるでしょう。もし捻出できないなら、足りないのはカネではなく、アナタの知能とかメタ認知とかの不足だと思いますので、まずは自身の情操を何とか生きていけるレベルにまで認知を発達させるのが優先でしょう。


日本では昭和の頃、服飾業界での『ファッション・デザイン』などの語とともに「デザイン」という単語が普及した経緯もあるので、どうも『デザイン』と言う言葉を、なんか昭和の戦後の頃に勃興した画風の総称だろうと誤解する人がいるのですが、まったく意味が違います。

そう勘違いしたまま美大受験浪人とかを3年やそれ以上も繰り返してしまうと、ちょっと人生で時間と金をかなり年単位で遠回りしてしまい、百万円単位でお金が飛びかねないので、昭和の時代なら勘違いするのはともかく、令和になってまで勘違いし続けるのは、さすがに直しましょう。


ただ、「デザイン」と言う言葉がまったくポップアートみたいな文化とも言えなくもない業界もあります。生け花とか華道とか知ってる人だと「フラワーデザイン」とか言う単語を知っているかもしれません。

このフラワーデザインとは、なんか西洋の花を、なんか明るく飾り立てたりするジャンルの芸通です。

なので、一般的な華道とかと違って、「わびさび」とか、フラワーデザインは基本、目指していません。

なお、海外ではフローラルデザイン(floral design)と言う。フラワーデザインは和製英語。


このように、カタカナの「デザイン」という単語が外来語である以上、英単語 design の本来の辞書的な和訳の「設計」「意匠」「構想」などの意味とは別に、海外文化の文脈も日本の外来語「デザイン」という単語には含まれることになります。

このように外来語としての「デザイン」という単語は、多義語です。

あまり和服とかの造形をファッションデザインとは言いません。同様、日本のボタン(牡丹)とかシャクナゲ(石楠花)とかの草花を和室っぽい場所にわびさびを感じさせるように飾ることをフラワーデザインとも言いません。

ともかく、芸術系の学校に進学する場合は、カリキュラム(教育課程)などをきちんと調べてください。「デザイン」のように同じ言葉でも学校や学科ごとに別々の意味で使っている可能性もあるので、進学志望校のカリキュラムの具体的な内容を調べておく必要があります。何らかの方法でカリキュラムを具体的に調べて下さい。


ほか、美術系ではないですが、「デザイン思考」「デザインシンキング」などを学ぶ学科として「○○デザイン学科」みたいなのが、いくつかの一般の大学にあります[5]。デザイン design とは「設計」という意味ですので、その大学の「デザイン思考」教育の中身は経営学とかかもしれません(経営組織の設計論みたいな)。美術とかその大学で学ばない可能性が大ですし、卒業しても美術家としての肩書とは認められない可能性が大ですので、ちゃんと募集パンフレットとかで確認しましょう。

上記、「デザイン思考」の学科の参考文献は理科系の大学についての情報ですが、べつに理科系の大学だけでなく、文科系の大学にも「〇〇デザイン学科」というのがありますので、勘違いしないようにしましょう。


「解決すべき課題に特に対応しない実演」は「単なる模倣」[編集]

神戸大学付属の中等教育学校(いわゆる中高一貫校)の、探究論文のためのガイドライン中で「課題研究の成果として論文以外の制作を伴う研究のガイドライン」として、次のように言われています[6]

何らかの課題を解決するための制作方針が明記されていることは、制作が研究として認められるた めの必須要素であり、これがない制作は本校の課題研究としては認められない。何らかの創作を伴 う制作であればその創作方針が明示されるべきである。既存作品(楽曲等)の実演を制作物として 課題研究とする場合は、それに対する自身の解釈や、身体操作の独自の工夫などを実演方針として 明示することが求められるのであって、解決すべき課題に特に対応しない実演や単なる模倣は本校 の課題研究としては認められるものでない。

なお、神戸大学には文学部がある、と芸術かぶれの人には言っておきます。

引用の最後を、さらに抜粋。

解決すべき課題に特に対応しない実演や単なる模倣

いやあ、手厳しいですねえ。「解決すべき課題に特に対応しない実演」は「単なる模倣」と同列らしいです。助詞「や」は、並列の助詞ですので。同列・同等・同格のものを並べる際に「や」を使うワケですし。

課題解決系のデザイナ-にを目指す場合は、肝に銘じておきましょう。


伝統工芸とかそういうのは、模倣をある程度はするのも、仕方ないかもしれません。


上記はあくまで、論文の書き方で合って、べつに創作の仕方ではありません。

しかし、論文を書く以上は、たとえ文学史や美術史などの内容の論文であって、上記のように、言語化などによって根拠が明示されないかぎり、なんの証明にもなりません。そして、文学史や美術史などの論文と言うのも存在することを忘れてはいけません。


神戸大は言ってないですが、世の中には、なんか難しいことを実演しただけで、理論を証明したつもりになった気になる、頭のヘンなアマチュア作家がいます。しかし、難しい事の実演は、どんなに難しかろうが、単に難しいだけでは、証明にはなりません。

統計的な内容をふくむ理論の証明をしたいなら、検証には、統計的な数字を見るしかありません。あるいは、歴史の証明なら、たとえるなら織田信長の歴史を証明したいなら、織田信長の人生についての歴史書を読んで、論文や検証レポートなどを発表するしかないのに、どんなに剣道とか流鏑馬(やぶさめ)とか練習しても、どんなに剣道が上手でも、なんの証明にもなりません。美術史の証明も同様です。


たとえば、自分の好きなジャンルが今では世間で流行してない時(その年の商店とか見れば分かります)、単に「このジャンルは流行してない」という統計的な事実(業界での作品数とか見れば分かります)を認めれば済むのですが、なんかひたすらそのジャンルの作品を発表して、それをもって証明とする、頭のヘンな人です。

たとえば、昭和の漫画家の藤子不二雄の作品『パーマン』は現代に流行ってないですが(少なくとも2023年はそう)、それを認めたくなくて、なんかパーマンの漫画の模写をひたすら練習して発表したり、またはパロディ漫画を書いたりするような、頭のヘンな人です。たとえそのパロディ漫画がどんなに面白くてヒットしようが、それはそのパロディ作の流行であり、それは元ネタのパーマンそのものが2023年に世間で流行している事の証明にはなりません。べつに手塚治虫の鉄腕アトムでも、ほかの作家の他の作品でも、何でも構いません。

誰も「パーマンのパロディ同人誌を書くな」とか言ってないのに、パロディ同人を書いても証明にならないよと指摘しただけで、「じゃあ、お前がマンガを描いてみろ!」みたいな論理の飛躍を言う同人作家みたいな人は多いのです。パロディ同人作家でもマンガ出版社のなかには採用したい人もいるかもしれませんが、その事と、そのパロディ元の作品が流行してるかどうかは何の関係もありません。

どこぞの出版社に作家として採用されようが、世間のサラリーマン(彼もどこかの企業に社員として採用されています)の言ってる事と同じように、何の学問的事実の証明とは関係もありません。関係あるという人は、じゃあ、どこかの企業に採用されている世間のサラリーマンが言ってる事を何でも信用するのか。あるいは、サラリーマンのほうは信用しないというのは、職業差別です。

世の中には、なんか手間のかかることとか、難しいことをしただけで、それをもって、社会のなにかを証明したつもりになるアマチュア作家がいるのです。

個人的な創作意欲の証明にはなるかもしれませんし、そのおかげで採用してくれる会社も少しはあるのかもしれませんが、しかし一切、社会の統計的な証明にはなりません。


「マンガが上手くなりたいなら、漫画を描くしかないだろ!」とかアマチュア作家は反論してくるかもしれませんが、同様、漫画の流行の歴史なり統計なり何なりを証明したいなら、世間の消費者のマンガ消費を観察するしかないのです。彼風に言うなら、「統計を証明したいなら、統計を見るしかないだろ!」でしょうか。なのに、本人が漫画を描くのを練習することをもって「証明」としようとするのは、それは決して対象に実直に取り組んでいるのではなく、単に自分の趣味以外(マンガ趣味以外)を馬鹿にしている、しょうもない自己顕示欲です。

マンガを作成する途中に発見した統計なり多くの消費者からの意見なりをもって「証明」とするならまだしも、単に上手なマンガが描けただけでは、何の証明にもなりませんが、そういう事が分からない人は多いのです。

もしかしたらマンガ業界とかアニメ業界とかの業界内部では、作家さんにも意見を聞くのかもしれませんが、そのような特定業界の内部の慣習は、業界外には関係ありません。業界外の人は、べつにマンガ業界とかの従業員ではありません。歴史や統計は、創作物ではなく現実ですので、作家の意見は関係ありません。司馬遼太郎の歴史小説がどんなに人気でも、それをもって小説の内容を史実とは出来ないのと同じことです。


「学ぶ」は「真似る」が語源とも言いますし、別に先人のまねをすることが悪いとも言っていません。ですが、どんなに学んでいようが、それは研究としての価値とは別です。研究は、その知見の成果をもって社会を改善するなりしないかぎり、どんなに正確なことが書いてあっても価値は無いですし、難しいだけでは価値が無いのです。

別に創作にかぎらず、たとえば掛け算「12675 × 3354 = 42511950」という計算は暗算では難しいですが、それが暗算で出来たとして、なんか社会の役に立つんですか? 理系の大学に、「暗算学部」とか「暗算学科」とかありません。論文を書くのに暗算アピールする馬鹿はいません。

脚注・参考文献[編集]

  1. ^ 『インタビュー映像 美術のはなし | 高等学校 美術 | 光村図書出版』 情報をデザインするということ 、語り手:グラフィックデザイナー 中川憲造 教科書関連ページ:平成30年度版『美術2』P.32-33「情報を視覚化するデザイン」
  2. ^ 『インタビュー映像 美術のはなし | 高等学校 美術 | 光村図書出版』 情報をデザインするということ 、語り手:グラフィックデザイナー 中川憲造 教科書関連ページ:平成30年度版『美術2』P.32-33「情報を視覚化するデザイン」
  3. ^ 『インタビュー映像 美術のはなし | 高等学校 美術 | 光村図書出版』 情報をデザインするということ 、語り手:グラフィックデザイナー 中川憲造 教科書関連ページ:平成30年度版『美術2』P.32-33「情報を視覚化するデザイン」
  4. ^ 山崎正明『中学校美術 指導スキル大全』、明治図書、2022年5月初版第1刷刊、P50
  5. ^ 『東京理科大に33年ぶりの新学部が誕生』2024/04/19
  6. ^ 『2023 年度 Kobe ポート・インテリジェンス・プロジェクト 課題研究・卒業研究ハンドブック』P.17