高等学校美術I

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高等学校美術Iでは、高校における美術を学習します。

筆の持ち方[編集]

絵を描くとき、絵筆などの持ち方は、指先の力具合などの加減を正確にするために、中指を人差し指に添えます。

文字を書く時に良いとされる鉛筆の握り方とは、中指の位置が違っています。

絵を描く[編集]

学問に王道がないのだとしたら、美術にも王道はないかもしれません。

さて、まずこの二つの絵を見てもらいましょうか。

セザンヌ「サント・ヴィクトワール山」
ルノワール「サント・ヴィクトワール山」


これは二人の画家が同じ山を絵描いたものですが、彼らは基本的に風景画として、実際の場で描いたのでしょうね。その場所はどうでしょうか? 同じ場所なんですか? この絵を張り付けた前編集者さんは知っていますか? 山の大きさが違うのは、場所の違い? それとも絵にする画角の違い? それとも絵画技法、自分の印象を絵にする時の方法論の違いでしょうか?

この絵を張り付けて、我田引水の自分の議論を得々とした前編集者は、心理学の「大きさの恒常性」(size constancy)の議論として「[1]」という資料を提示しましたが、これは高校美術の資料として意味があるのでしょうか。自己満足に満ちた無意味に小難しい話をここで書くのは、いい加減にやめてもらえないでしょうか?

写実画[編集]

ヨハネス・フェルメール『絵画芸術の寓意』(1666〜67年頃)
ウィーン美術史美術館蔵(オーストリア)

美術の世界も人類の文化の発展とともに、大きく規模が広がり、その表現も多様になっていきました。

ですから、様々なアプローチがあるし、許されるはずですが、基本は目に見える光景をうつしとり、再現、表現することでしょう。

その意味で写実画は原点ですし、今後どんな絵を描いていくにしても、取り組み、時間を費やす価値がある画風だと思います。

右のフェルメールの絵ですが、昔の画家も、モデルにポーズをとってもらって、それを見ながら描いていた、という様子がよくわかりますよね。

アタリ[編集]

絵を描くときに、いきなり描きたいものを本線で描かず、鉛筆の薄い線で、短時間で下書きのように描くといいですね。こういうのを、アタリ、アタリを取る、などと言います。

事物を適切に配置した場面構成は、レイアウトと呼ばれることも多いですよ。

画面構成の下描きは、円や長方形、円柱や錐など、単純な形を組み合わせて、簡単にわかりやすく描くといいと思います。下描き、アタリは消す場合も多いですが、そのまま残して、絵画の効果の一部になる場合もあります。

正中線[編集]

主に人体で、体を左右に分ける垂直の仮想の線を正中線(せいちゅうせん)と言います。人間や生物を描くときは、この正中線を意識したり、実際に線で描いてみると、自分が描いている絵についての理解や意識が深まっていくと思います。

写生、写実画は、多くの場合大胆に省略、デフォルメされている[編集]

もちろん緻密、正確に書くことを目指してもいいし、試してみてもいいと思います。

しかし省略やデフォルメ、現実、事実を超えた表現は、芸術や美術の本領でもあります。

しかし一方写実画では、透視図法は理解しておさえておくのが正確に風景を描くためには重要になります。人間は二つの目で見た二つの光景を、一つの図としてとらえることで外界を見ています。しかも目のレンズのピントがありますから、ある距離の光景がはっきりしている一方、その前後はぼけて見えているはずです。

透視図法はこの世界の空間上のある一点を、人間の片目のレンズの中央として、そこから見た光景をその点の前面にある紙、平面に写し取っています。もちろん二つの目を持つ人間は、二つの光景を見たうえで、一つの図だと考えている訳ですが、これによって、遠近を知ることもできます。近似的には、両目のレンズを結ぶ線分の中点に、視点、世界を見る目のレンズの中心があると考えていいと思います。

エジソンは…[編集]

太陽の色が赤ではなくて黄色だと言って、親や教師と喧嘩した、という逸話が残っていますよ。(ただ、事実かどうかは不明です)。また、あるアニメーションスタジオでは、水って、結局何色なの?という議論で盛り上がったことがあるそうです。普通は青ですが、黒や白、無色透明、とかいろいろな意見が出てきますよね。

実際色に関しては、そしておそらくそれ以外も、固定観念にとらわれないと、面白いいい効果が出ることも多いですよ。ポスターイラストなどでは、少ない色数で、対象物を表現する場合も多いし、それが非常に見るものを引き付ける効果を持つことがありますよね。

結局、芸術、そしてそれ以外も自由なはずなんですが、一方で、自由があるからこそ、冷静で大局的な視点、ある種の節制やルール、何らかの苦難の受け入れ、が必要になると思います。

人物デッサン画[編集]

人物デッサンの描き方の一例を示します。

作業の流れ[編集]

下記のように

アタリ → (エンピツで)全身の影の塗り → 修正 → 細部の塗り → 細部の修正

を繰り返して、1 サイクルごとに絵の質を高めることを目指していきます。

アタリは短時間。作品づくりの作業のほとんどを、(エンピツで)塗り、修正、塗りなおし などに配分すると、いいようです。

先に全身のバランスを押さえてから、あとで細部を作っていきます。

人物画のアタリ[編集]

人物デッサン画を描く場合、シャープペンシルは使わないようにしましょう。普通はグラファイト鉛筆(ごく普通の鉛筆ですね)、グラファイトスティックや水溶性鉛筆、木炭鉛筆や木炭など、美術用の画材は各種ありますし、結局鉛筆の方が濃淡をよく表現できます。実際には製図用シャープペンシルとか、高校卒業以降はシャーペンで絵を描くことも多いですね。

まず、アタリを取りますよ。

たとえば、次のような手順で、アタリを取ってみましょう。

1: アタリ用の図形として、だ円や長方形、円柱などの図形をつかった簡単なアタリを取って、画用紙に人物像が入りきるかを確認。
2: 次に、ちょっとだけ細かく書き込んでいく。(あとで修正するので、あまり濃い線では書かない)。顔の向きを、おおよそ、画用紙上で描くこと。どこを向いてるのかを矢印などでメモ的に描く。いきなり目や瞳やまつ毛などを細かく描き込まない方が良い。また、見ている先はどこかを、だ円などで囲む。たとえば、書籍を読んでる人物についての人物画なら、視線の先は書籍にありますね。視線の矢印と、見ている先の物体を、曲線などで結んでおきましょう。
3: 多くの作品ではモデル人物の視線が重要な場合が多いので、画用紙上に目を描いておくと、後のヒントになりやすい。なので、両目の、目の輪郭のおおよその形を描く。瞳のおおよその場所を描く。目や瞳を描いたついでに、まつ毛も軽く線で描いておくといいかもしれません。
4: そして、口とか鼻とか耳とかを、おおよその形で描く。
5: あまり顔にも深入りしない。胴体の描き込みに移る。この際、首をおおよその形で、うすく描いておく。首を過大に長く描くのは犯しやすいミス、難点です。なので、首はうすく描いておくのにとどめて、胴体を描きにいきます。
6: 胴体は服を着ていますから、服のシワとかが重要な表現ポイントになりますね。

色を塗り始める[編集]

ある程度、全身のアタリを取ったら、影になる部位をうすめに黒く塗りにいく。

ただし、あとから修正するので、うすく塗っていく。

また、なるべく全身の各部位にある影部をバランスよく、黒く塗っていく。

とにかく、実際に影部を黒く塗ってみて、もし違和感を感じた部分は、消しゴムで修正していきましょう。

影の大きさや位置を調整したり、場合によってはアタリで引いた線を引きなおします。

違和感を感じにくくなるまで、修正を繰り返します。

消しゴムは消費しますが、消しゴムに関しては使う使わないでいろいろな意見がありますが、許容されている場合は大いに使って問題ないと思います。

各論[編集]

黒い服、白いYシャツの影を書く場合[編集]

黒い服[編集]

黒い服、制服の鉛筆デッサン。→黒いものに影つけするのが難しい。

対策案1:  濃く黒く見える部分を、「灰色だ」と思って描く。つまり、実物よりも薄い色として描く。
対策案2:  または、先に影になる部分を描いてから、そのあと、画用紙上での服の色を決める。つまり、あたかも、モデル役を「実物大の石膏デッサン人形」(デッサン用模型は白色であるのが通常)みたいな白色の人形だと思って描く。そして影を描き終わってから、服の色などを着色していく。
白いYシャツ[編集]

白いシャツの鉛筆デッサン。→紙も白いから、どう描くか混乱する。

対策案手順

1: とりあえず、Yシャツの輪郭線を、うすくエンピツで線を描いてしまおう。
2: 次にとりあえず、Yシャツで影になってて暗くなってる部分などは、エンピツで(うすく)灰色っぽく塗る。
3: そのあと、Yシャツの表現をどうするか、考えよう。

「うすく」と書いた理由は、黒色のズボンを、やや うすめ の灰色で描く場合、それと合わせるため、Yシャツの白色の輪郭や影の色を、調節する必要があるからですね。

光源[編集]

通常、光は上にあるから、上側にあるものほど明るい。

いっぽう、暗いところで顔の下から上に向かって懐中電灯を照らしたりして、面白がる時がありますよね。あのように、暗い夜道などで、懐中電灯を顔の下から上に向かって照らしたような場合、顔の下側のほうが明るい。

光源が上にある場合の人物画を書く場合でも、「顔のアゴ下だから暗い」と考えるよりも、「アゴ下はヘコんでるので、そこに光がほとんど差し込まないので、アゴ下は暗くなりやすい」などととらえた方が、光源と対象の見え方の理解が深まると思います。


  • 光と影

たとえばリンゴの模型をもとにデッサンをする場合、光源の側に近い面は、明るくなってるし、逆に、その反対側の面は、影になってる。

人体では、次のような部位どうしが、光と影で逆関係に対応しやすい。

・ <頭の上部(髪の生える部分)> .対. <アゴの下>
・ <肩の上、うでの付け根> .対. <ワキの下>
・ <女性の乳房の上側(乳頭から上の面)> .対. <女性の乳房の下側(乳頭から下の面)>

こうなる理由は、重力方向的な上下関係の対応のほかに、球面に対してへっこんでいるという対応もしているからだろう。(乳房だけでは、乳房の上下とも球体的だが、しかし胴と組み合わせると、乳房が重力によって下方向に引っ張られるので、乳房の下側の面は、胴と乳房にハサまれてへっこんでいるし、逆に乳房の上側の面は、肩の前面から乳房にかけてのラインが平坦になりやすい。)


ワキの下の影をぬってる時、ついつい影を大きめに描いてしまいがちである。

1: 人体の輪郭を描いた上に、
2: その輪郭の描かれた絵の上に、つづけて影を描く、

このような手順で描くと、そうなりやすい。

そこで、

1: 人体の輪郭を描いた上に、(※ ここまでは前述の手順と同じ)
2: その輪郭の絵の上に、実物モデルを見て、光と影の対応場所を観察することで、 明るく照らされている人体部位 および 影になる部位 を、それぞれ探す。
3: そして影を描く際には、決して、明るくなっている部位には「影」が入り込まないように注意しながら、影を描く、

のように描くことをお勧めします。

その他、もし描画対象の人物が椅子にすわっているなら、いすの面に触れてる部分の付近は(たとえば尻および、尻から太ももの下側)、光が差し込みにくく、よって影になりやすい。

また、このように座っている場合、

・ ヒザの表側 .対. ヒザの裏側

は、明暗が対応しやすい。

服を着ている人物デッサンでは、胴体の隆起の他に、さらに衣服の隆起が加わる絵を描くことになるので、もっと複雑な絵になるので、とにかく実物を観察して、うまく工夫して描きましょう。

また、室内照明の場合、たいてい光源は決して一点ではなく、天井全体に蛍光灯などが分散的に配置されており、光源は天井全体に一面に広がっている。1つのある光源では光が差し込まずに影になる部分でも、他の別の光源による光が差し込み、影はつきづらい上複雑に、とらえにくくなります。

その他[編集]

空気遠近法などの技法について、『中学校美術/美術2・3下』に解説があります。

デザイン画、および集団作業[編集]

正面図と側面図

ウルトラマンに出てくる怪獣など、空想上の生き物の着ぐるみを、もし新しく怪獣を考えて作るときは、考えた形を絵でデザインしてスタッフに説明する必要があります。

目的は、着ぐるみなどの実物をつくることですので、正面図だけでなく、側面図など別方向から見た図も必要になります。正面図だけでは、正面からは見えない部分の形が分からないからです。

側面図のかわりに背面図を書く場合もあります。また、正面図と側面図と背面図の3つを描く場合もあります。

いっぽう、上面図は、描かない場合も多いです。映像作品の着ぐるみなどの場合、正面図と側面図があれば、そこから形が分かる場合が多いのです。

また、こういった集団作業用デザイン画では、デザインの第一段階では色は塗らない(ぬらない)のが普通です。当面の目的は、形のデザインですので、輪郭線などの線を目立ちやすくする必要があります。影も、つけないのが普通です。

このように、集団作業のデザインでは、特に空想の生き物をデザインする場合、普通のイラストとは描き方がちがいます。集団作業用のデザイン画では、少なくとも2方向(たとえば正面図と側面図)が必要になる場合が多くあります。

アニメ風に描かれたキャラクター設定画の例(色つき)
作者 Danny Choo
このデザイン画では、全身像として正面図と背面図を描いている。※「色トレス」とは,線画の線に色がついている物ですね。
※ 絵だけでは分かりづらい場合、デザインに重ならない位置に、文章で短く、たとえば「手の形は○○にする」などのコメントを追加したりして、明確に指定する場合もあります。目的は、絵だけで表現することではないのです。目的は、制作スタッフどうしで共通認識を作ることですので、もし目的のために必要ならコメントも追加します。
正面図と側面図
※ 集団作業とは別に、彫刻を木彫り(きぼり)や石彫り(いしぼり)でつくるときも、彫られる(直方体の)木や石に、実物大で正面図と側面図を描きます。その図を参考に、彫っていきます。
CGを制作する時も、多くの場合正面図と側面図を描いて、その画像を参考に各部分を入力していきます。

余談:ペンキ塗装[編集]

ペンキ塗装や板金塗装について(「美術」からは少し外れますが、過去の経緯上掲載します)

建築物で外壁の板金にペンキ塗装をしてある家庭が多い。ペンキ塗装する本来の目的は、サビなどの腐食を防ぐ事が、おもな目的である。

建築物で外壁の板金にペンキ塗装する時は、色のついた顔料の他にも、「上塗り」(うわぬり)および「下塗り」(したぬり)として樹脂製の塗料を塗っている。

ペンキで、外壁などに色をつける目的のひとつは、サビを防ぐための効果のある上塗り剤(うわぬりざい)・下塗り剤(したぬりざい)が年月の経過による劣化で落ちかけている場合に、目視で劣化を確認しやすくするための手段でもある。

一般的なペンキ塗装では、色のついた塗料を塗る工程の前後に、まず色塗りの前の工程として、ペンキの付着を向上するため及び(および)耐腐食性をあげるための下塗り(したぬり)をしており、また、色塗りの後の工程としてペンキが風雨で落ちないようにするため及び耐腐食性を上げるための上塗り(うわぬり)をしており、この下塗りと上塗りによって、耐腐食性を上げている。


作品の安全性・合法性[編集]

作家が事前に、作品の安全性などを判断するのは、必要な事です。

たとえば、立体造形物を作る場合は、事故が起きないよう、十分な注意をしたい。 形状のとがった部分があれば、とがった部分で目を刺したりなどの事故をしないように、対策する必要があるでしょう。 万が一、とがった部分をつくらないといけない場合でも、やわらかい材質でつくるとか、先端を丸めておくとかの、対策をほどこす事が望ましいですね。

他の例としては、たとえばイスをつくるなら、そのイスは、けっして、座っただけで壊れてはいけないでしょう。人間が座ったり乗ったりするものは、普通の使い方では壊れないように、頑丈(がんじょう)に制作しておく必要があります。そのため、事前に、自分が使っても壊れない事を確認する必要がありますよね。

もし、こういう安全対策を行わなかった結果として、観客などが、その作品でケガをすると、治療費などとして、作家側は多額の損害賠償を請求されたり、または刑事罰を受ける場合があります。

作品の安全性には配慮が求められています。

美術作品、娯楽作品の鑑賞[編集]

有料、無料、作品の対価[編集]

古い作品[編集]

「プロパガンダ美術」とは[編集]

資料探し[編集]

たとえば、創作イラストとかで、日本の戦国時代の甲冑(かっちゅう)を装着した武者(むしゃ)を描きたいとします。

こういう場合、高校国語の資料集(国語便覧)や、あるいは高校の社会科の日本史の資料集などに、甲冑の写真や説明イラストが掲載されている。

空想上の生き物を描く場合や(朱雀(すざく)とか天使・悪魔など)、空想上の神々(シヴァとかヴィシュヌとかケツアルカトルとか)を描きたくて調べたい場合にも、資料集がある程度活用できます。

その他、現代に習慣の残ってない歴史上の文化や風習などをイラストで描きたい場合など、国語や日本史・世界史などの資料集を活用しよう。

ただ、たとえ教材のイラストとはいえ、著作権があるので、けっして、そのまま書き写して発表してはいけません。
詳しくは、著作権などを参考にしてください。

これとは別に、美術イラストの資料集が書店で販売されています。ただ、年少者には情報が多すぎる、あるいは不要な情報が多い、著作権の取り扱いが煩雑、値段が高い、などの理由で、高校生にはあまり薦めない考えの人が多いです。

描きたい題材によっては、なかなか資料が見つからない場合もあります。その場合、例外として特別に人命などにかかわる絵でないかぎり(たとえば生物学の解剖イラストなど)、描きたい絵を描いてしまいましょう。

資料なしで描けば、間違った構造の絵を描くことになるかもしれませんが、間違いはあとから修正できます。

後から少しずつ直したり、普段から物事について知ること、調べることを心がけていけば、少しずつ美術、絵画に対する世界観は広がってゆきます。

デフォルメ[編集]

漫画やアニメーションでは、わかりやすさを求めて、身体の特徴を強調することがあります。

たとえば、長身の人物は、より長身に描かれます。いっぽう、小さい人物は、より小さく描かれます。

たとえば、漫画やアニメーションで、登場する兄妹や姉妹が登場する場合に、たとえ成長期の終わった20歳すぎの兄妹や姉妹でも、年齢の大きいほう(兄や姉)を長身にデザインして、いっぽう弟や妹は、背を低くデザインするような手法があります。

観客は、自分が小学生のころの周囲の兄妹や姉妹のいる家庭などとの連想から、長身にデザインされたほうの人物が兄または姉だと分かり、いっぽう、背が低くデザインされたほうの人物が弟や妹だと分かる、というデザイン手法です。

このように、身体の特徴などを、作家が観客に、表現の意図をわかりやすく伝えるために、現実の人間や物体とは違うデザインを行うことをデフォルメといいます。

身長にかぎらず、体重でも同様です。漫画やアニメーションでは、太っている人物をデザインする際は、太っている事をわかりやすく視聴者などに伝えるために、顔や手を、現実の太っている人間よりも太らせてデザインします。しかし、現実の人間では、顔や手には、ほとんど脂肪がつきません。現実での、太っている人間の顔や手の脂肪の量は、太ってない人の顔や手足の脂肪の量と、ほぼ同じです。

また、美術用の、19世紀や20世紀始めごろのアメリカやヨーロッパの古い美術理論を解説した書籍のなかにも、デフォルメをしているものが多くあります。

たとえば、人間の頭身が、8頭身くらいに描かれる美術書がありますが、現実の人間の体型とは違います。現実の人間の頭身は、6.5頭身くらいだと言われています。

これら欧米の古い美術書にあるデフォルメは、目や鼻や手や足の書き方だけは写実的なので、一見すると現実の人体どおりに描いていると考えがちですが、しかし実際は、当時のアメリカやヨーロッパの美術の流行に合わせて頭身のデフォルメをしています。部分的な強調、と、言えるでしょうか。

美術史[編集]

詳細は専門教科美術「美術史」に記したので、そちらを見てください。 

日本の平安時代の古典文学『伊勢物語』(いせ ものがたり)をもとに、鎌倉時代につくられた『伊勢物語絵巻』(いせものがたりえまき)という絵巻物があります。

伊勢物語とは、在原業平(ありわらのなりひら)が東下り(あずまくだり)したりする文学です。(※ くわしくはwikibooks『高等学校国語総合/伊勢物語』)

※ 著作権の都合で、wikiでの画像の紹介が困難なので、代わりに外部リンク 伊勢物語絵巻 (リンク先は 東京国立博物館)

広角パースと望遠パース[編集]

パース=パースペクティブ【perspective】 遠近法。透視図法。


実際の人間の目の見え方は、広角レンズ的なパースでもなく、望遠レンズ的な望遠パースでもないのです。

なお、広角レンズは、視野角が広いだけでなく、焦点距離が短いという特徴もあります。

一般の携帯用の手持ちカメラなどで、家族旅行などで皆が気軽に使えるカメラは大抵、広角レンズです。

望遠レンズは、視野角や狭いだけでなく、焦点距離が長いという特徴もあります(視野角が狭いことで、、遠くのものを大きく撮影する)。

ゲームで スーパーマリオ1 や スト2(ストリートファイター2)などの、真横から見たゲームがありますが、ああいうのが望遠パース的な構図です。

さて、漫画やアニメーションではよく、やや遠くから眺めた構図で描きます。つまり、漫画やアニメーションでは、望遠パースの掛かった絵柄で書くことが多いです。

スーパーマリオ1は、望遠パースのすごく強い画面です。

漫画やアニメーションでも、視界内での被写体の左右の位置関係を分かりやすくしたい場合に(けっして、スーパーマリオ1ほどの強い望遠パースではないが)、さらにより望遠っぽいパースを使うこともよくあります。特にアニメーションでは、セル(レイヤー)の合成のしやすさから、望遠パースが好まれます。

なので、多くの漫画・アニメーションの愛好者は、望遠パースに見慣れています。

パースの教本などでは、三点透視法とか二点透視法とかでよく人物にパースをつけて説明していますが、あれはパースを強調するために、かなり近くから人物を眺めた構図だったりします(つまり、焦点距離が短い = かなり広角パースが強い)。

広角パースのほうが遠近による大小差が大きいためパースの仕組みが分かりやすいので、広角で説明図を描く教本のほうが多いのです。また、実際には人物にパースを強くつける機会は、あまりありませんが(人物よりも建築物にパースをつけるほうが多い)、しかし建築物は描くのが大変なので、かわりにマンガ調にデフォルメされた人物にパースを強くつけることが、イラスト教本でよくあります。

肩幅程度の横幅のポーズに人間ですら、人間にパースを30度くらい付けるイラスト教本は、よくあります。

実際の人間の胴体の厚み程度では、写真のように、パースは、ほとんどつかない。

現実の風景を観察すれば一目瞭然ですが、たとえば自宅のベランダを(一般的な民家の広さとする)、室内のベランダから50センチくらい前から斜め前方のベランダ床を見ても(真正面のベランダ床を見ても、傾斜は0になる)、いちおう斜め前方のベランダ床にパースはついているのですが、しかしパースの角度はベランダすら、せいぜい角度にして片側15度くらいです。ベランダでなくとも、お風呂の床のタイルでもいいです。床に、直線状または格子状に模様があると、パースが分かりやすいです。

なので、ベランダやお風呂の床タイルの斜め前方に見下ろした視界では、パース自体はあるものの、ほとんどパースは目立たず、他人から「実はベランダにもパースがついているよ。ほら床を見てごらん」とか指摘されてようやく気づけるほどしか、パースはついていません。またベランダ直前のその室内から、となりの家の一般の民家の窓ガラスも、パースがついているかどうかも、分かりづらい程度です。

いっぽう、立っている人間の 肩幅 や 胴の厚さは、どう考えてもベランダなどの通路よりも狭いし、窓ガラスよりも直立人間の横幅・肩幅・胴厚は狭いので、現実の人間の観察のさいに50センチ以上遠くにいる人体にパースが目立つことは、(現実の人間の視界では)ないでしょう。(ただし、相手か自分のどちらかが寝そべっていたり、あるいは相手が両手を前後に広げていたりしたら(歌舞伎のポーズみたいに)、近くにいる相手にパースがやや目立つ場合はあるかもしれません。)

私たちが書籍などで普段みる人間の顔写真は、実はやや望遠ぎみです(撮影者が一般にレンズの焦点距離を公表しないので不明だが、広角で被写体の顔を近づけて撮影すると顔がかなり歪んで(ゆがんで)撮影されて見苦しいので、普通はやや望遠だと思われる)。

美術などで資料として使う写真には、そういうゆがみは避けたいので、人物の顔写真などは望遠で撮影されていると思われます。

なので、正面顔の写真なら、手前にある鼻と、やや奥にある耳とでは、すでに望遠レンズによる奥行きの圧縮がついていて、ああいう構図の写真になっているわけです。

望遠レンズで遠くの人物を撮影した時、顔が小さく映っていても,写真のプリントアウト時に拡大してみて顔の大きさが標準レンズ撮影時に同じになるようにプリントアウトすると、写真上での顔の形はほとんど同じに見えます。

よく、テレビ業界などで、まるでバズーカ砲みたいに大きさが人間の顔みたいに大きい大型カメラがあるが、あれは何かと言うと、大型の望遠レンズです。大きいカメラほど焦点距離が長く、視野角も小さいでしょう。

望遠的なレンズで撮影するぶんには顔の形は歪まないようですね。

なので、その望遠の状態からやや前後に被写体が動いたくらいでは、望遠では奥行きによるパースによる左右位置の変化の影響は小さいので無視できます。同様に、あるいは顔を斜めにしたくらいでは、ほとんどパースの左右位置の変化の影響は表れないでしょう。

※ 望遠レンズによる奥行きの圧縮は、美術のほかにも、マスコミ報道の実写映像で応用されたり、または宣伝写真などでも応用される場合もあり、用途としては人数の密度を高めに錯覚させたい場合に使われる場合があります。たとえば商店街などが実際よりも混雑して盛況なように見せたい場合に、望遠レンズで写真撮影することにより奥行きを圧縮することで、写真を見た観客に、あたかもその商店街での客の密度が高いかのように錯覚させる撮影手法なども、昔からよくあります。
※ 一般の人間の顔写真に近いのは、望遠レンズです。望遠100mmレンズ、135mmレンズ、200mmレンズでも、ほとんど撮影された写真での顔の各部の位置は同じです。広角で撮影する場合は、70mmレンズなどで撮影すると考えられる。(広角30mmで近い人の顔を撮影しても、あまりに歪んでおり、顔写真としては使い物にならない。近似計算だが、まるで反比例のグラフのように、0(ゼロ)mm近くでは急速に写真が変化するが、しかし基準となる数値(この場合は70mm~100mmあたり)を超えると、あまり写真が変化しなくなる。)
※ もし幾何学的に正確に構図での被写体大小を計算するなら三角関数をつかった方程式で計算すればよいのだろうが、しかしそれだと計算が複雑すぎる。
なので、計算の手間をへらすために反比例として近似を考えると、割と、実物の構図と近い構図になる。
しかし、それだと絵を描くさいに作図が大変なので、さらに「近距離の場合だけ、被写体が離れると、マイナスの一次関数のように遠くほど被写体が小さくなる」、として近似している。

とにかく、あまり、通常の顔写真以上にパースの強調された写真というのは、発生しづらいのです。(遠くにあるものは、遠くにあるので縮小こそされているが、しかし拡大してみれば、形状はほとんど標準の距離の状態と(形が)変わらないのである。)

なので、被写体の顔がよほどカメラの近くにないかぎり(たとえば顔の どアップを至近距離(10~15センチくらい)で撮影してるのでもないかぎり)、けっして、よくみる顔写真以上のパースがつくことは通常、ありえないのです。

しかし一方絵の勉強として、あえて人物にパースを広角で強めにつけたイラストを練習することが必要な場合もあります。

また、漫画やアニメーションでも、あえてパースを実際にはありえないほどに強調する手法もあり、たとえば格闘マンガなどでカメラ方向(観察者のいる方向)に向かって出されたパンチをやたらと大きく描いて(この場合はパンチマンの)手のスピード感や迫力などを強調するような手法で、このような手法の呼び名はよく「嘘パース」(うそパース)と言われます。

また、アオリ、俯瞰という構図もありますね。 アオリとは、観察者が下側にいて、下側から上方向に向かって、物を見上げる構図です。

いっぽう、フカンとは、観察者が上側にいて、上側から下方向に向かって、下方を見る構図です。

例として、親子が立って、いたとしましょう。

親が、おさない我が子を見るとき、フカンの構図でしょう。

いっぽう、おさない子が、立っている親の顔を見るとき、アオリの構図でしょう。

演出的に「アオリ/フカンであり、なおかつ、広角パースを強調する」のような構図にする場合もありますね。

望遠パース推進と広角パース否定[編集]

奥行きの長い立方体を描くなという主張
※ 『キャビネット図』とは、中学校の技術科で習う製図技法のひとつ。(※リンク先はwikibooks中学技術科)

世の絵描きの中には、画角の小さい望遠パースだけを採用して、その方針の下、割と教条的に絵画技法をまとめ上げて、実用に供している人たちがいるようで、そういう人たちのルールの一つに、直線を引いて一点透視や二点透視を近似的に描く透視図法は、遠くにある物を描く場合でしか使えない[2]、というものがあるようです。

本来1点透視は画面の中央に消失点があるものですし、2点透視の二つの消失点を結ぶ線分は画面の中央点を通るようにするのが,見えている光景の真ん中を描くためには重要な条件ですが、描く絵を望遠パースに限るとこの法則はそれほど適用しなくてよくなり、割と自由に1点や2点の消失点を置けるようになります。

そしてその場合,1点2点透視を使うのは,遠くにあるものを描くときだけ使えという主張ですね。

では近くにあるものを描く場合はどうするか。

望遠パースのみを採用する場合、我々が見ている光景を小さな画角で切り取り、絵として描く場合,消失点が画面に含まれている場合と、画面の外に行ってしまって画面内に消失点がない場合がありますね。

そこで近くの立方体を描く場合は,消失点が画面内にある場合は奥行きは短く、圧縮しなければいけませんし、画面外に消失点がある場合は、立方体の奥行きは割と長く広く描かれるようになるでしょう。

そして画面外に消失点があって立方体の奥行きが長く描かれるときは、いっそキャビネット図にしてしまうという方法があります。

キャビネット図とは、中学の技術家庭科の技術分野で習った、図法の一種です。

立方体のキャビネット図


Cabinet drawing and perspective corresponding japanese B.svg

キャビネット図も、右図の例のように、遠くに消失点のある透視図を近似的に描いた物であるとも解釈する事も出来ます。

ただし、キャビネット図(上左の図)そのものの描きかただと、側面・上面の圧縮が強すぎるので、美術用にリアルな絵を書く場合には、側面・上面の長さを右図のように、やや延長(おおむね1.5倍くらいに長さを倍増)して使うほうが自然に見えます。

ただしこういう教条的な絵画技法は、あくまで画角の小さい望遠パ―スだけを採用する場合に当てはまる事です。

画角の広い広角の絵を認めたうえで、リアルな、効果的な絵を描くためには、もう少し一般的な遠近法、透視図法の理解が必要になりますし、逆に教条的、教文的絵画技法は、絵画活動や画法理解の障害になる場合もあります。

現実にない空間を作る[編集]

美術では、作風にもよりますが、望遠パースと広角パースは、都合に応じて逆らって使われます。実写のカメラでは本来、望遠レンズと広角パースがひとつなぎののカットで混在する事はありませんが、しかし手描きの絵画やアニメなら、カメラでは不可能な映像を作ることも出来ます。

たとえば、有名アニメ映画監督の使う手法で、群集シーンなどで人物は望遠パースだが、建物などの背景は広角パースで描く、という手法もあります。有名な例では、アニメ映画『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』などで有名なアニメ会社スタジオジブリが、よくそういった望遠パースと広角パースとの混在で、群衆シーンなどの絵を書きます。(たとえば1998年ごろの日本テレビ系列の科学番組『特命リサーチ200X』で、ジブリのそういう作画技法がテレビで紹介された事もあります。また、同様の内容はドキュメンタリーDVD書籍『「もののけ姫」はこうして生まれた』でも確認できます。)もし広角パースを人物にも使うと人物も縮小してしまいますが、しかし演出の都合で人物をなるべく大きく表現したい場合が多々ありますので、そういった場合に、人物だけ望遠パース的に、縮小率を小さくしたりする場合もよくあります。屋外シーンなどでよく、望遠パースと広角パースの意図的な混在が使われます。

また、マンガなどでも、「嘘パース」(うそパース)と言って、演出などの必要に応じて、カメラレンズならありえない程度に極端に手前のものが大きくなったパースを使う場合もあります。よく格闘マンガなどで、パンチで突き出した拳が、実際の構図よりも手がかなり大きかったりしますが、これも嘘パースの例です。

しかし、このようなパース混在の手法が比較的に容易に実装できるのは、手描きの絵の場合です。コンピュータグラフィックの場合、そのソフトウェアのシステムにもよりますが、嘘パースや広角・望遠の混在パースなどは、実装が難しくなります。CGで嘘パースなどを表現する場合、代替的に、そのシーンだけキャラクター3Dモデルを別途作成したりして、表現します。つまり、手前に来る人物だけ大きさを拡大した巨人のモデルにしたり、あるいは格闘のパンチシーンなら手だけ大きいキャラクターモデルを作ってそのモデルに入れ替えたりして表現します。たとえば2012年のアニメ映画『アシュラ』(ジョージ秋山 原作、東映アニメーション制作、プロダクションIG制作協力)でも、そのように3Dモデルを別途作成することで、CGでの嘘パースを実装しています。

なお、このような嘘パース撮影のためにモデルごと作り変える手法は別にCGアニメ業界が発明したわけではなく、日本でも昭和の特撮番組『ウルトラマン』の時代にすでに似たような手法があり、ウルトラマンの変身シーン(いわゆる「シュワッチ」(変身時の掛け声))のときの手前に突き出た右手を大きく強調するポーズを撮影するときに、実はミニチュアのウルトラマンの右手だけが左手よりも数倍も大きいミニチュアを使って撮影されています。

ともかく嘘パースなどは、上述のように作成に手間が掛かるので、(アニメ映画なら可能かもしれませんが、しかしプレステ作品などの)ゲームソフトの3D映像で表現するのは難しいかもしれません。

演出によるウソの映像は、パースのほかにも、光源によるウソも比較的に芸術業界では有名な演出です。

太陽はひとつですので、太陽光も一方向からやってくるのが、自然な光です。しかし、ポスターイラストなどでは、被写体の立体感を強調するために、しばしば、観客に分からない程度にさりげなく、光源を2~3個用意した構図のイラストが描かれている場合も多々あります。

イラストだけでなく、女優モデルなどの写真撮影でも同様の撮影技法があり、被写体の立体感を強調するために光源を複数用意して、暗室などでメインの光源1つとサブ光源1~2個で被写体の女優を照らして撮影するというテクニックも、ときどき使われている事もあります。

メルクマール[編集]

(※ 一般の教科書には無い用語です)

文芸の用語で「メルクマール」というのがあります。もともとはドイツ語で、単なる「目印」(めじるし)という意味です。

しかし文芸で「メルクマール」といった場合には、やや特別な意味があり、その特別な意味とは、おおむね「なにかの流行や時代の代表例となる作品や作家のこと」のような意味です。

たとえば、漫画文化で、第二次世界大戦後の終戦直後や復興期のマンガ家として手塚治虫がよくとりあげられたり、彼・手塚の代表作『鉄腕アトム』がよく紹介されますが、このような例がメルクマールです。

さて、美術史やコンテンツ産業の歴史において、メルクマールは一つの目印(めじるし)であり、起源ではありません

たとえば、明治時代以降に日本でマンガを始めたのは、手塚が最初ではありません。『のらくろ』の田河水泡(たがわ すいほう)とか、手塚以前の時代の漫画家は、多くいます。

ゲーム機でも、1980年代のファミコンの発売と普及がよく紹介されるので(この例ではメルクマールはファミコンである)、ファミコンが家庭用ゲーム機の元祖だと考える人が多くいますが、しかし世界初の家庭用ゲーム機は欧米産のオデッセイですし、日本初の家庭用ゲーム機はエポック社のテレビテニスです。

美術史でも同様で、室町時代に水墨画を広めた雪舟(せっしゅう)は、べつに水墨画の日本での最初の人ではないですよね。

日本の小学校、中学校、高等学校における一般的な美術教育の傾向について。[編集]

漫画、アニメーション、芸術、学校美術科と進路[編集]

この国では漫画やアニメーションが盛んですし、将来そういう分野の絵描きになりたいと思う高校生も多いと思います。前編集者S は学校での美術教育は商業的な漫画やアニメーション制作のための訓練や学習としては、不十分だし方向性も違うと大上段に語っていますが、そもそも高校までの普通科の美術教育は、ほんの絵画世界の片りんに触れているだけにすぎませんので、あえて得意げに語ることではないでしょう。職業として絵描きを目指す高校生は、それぞれ自分自身で情報を集め、絵の練習も繰り返しているでしょうし、学校には美術部がたいていあるでしょうし、学校以外でも絵画の勉強をできる場所はたくさんありますよね。そして進路に関しては学校の美術教師が相談に乗ってくれるでしょう。

学校の美術の授業さえ受けていれば、漫画家やアニメーターになれると思っている高校生なんて一人もいませんよね。

そしてそういう進路を目指す高校生は、みな、すでにおそらく1年生あたりから情報を集め、様々な活動、勉強、練習を繰り返しているでしょう。

進路として美大進学という道もありますし、美大出でなくてもアニメーターや漫画家になる人はたくさんいる。一方で美大や芸術短大を卒業した後、そういう職業に就く人も多いですよね。

兎に角芸術と娯楽、アニメーションと漫画と美術、いちいち分別してクドクドと理屈を振りかざすことほど馬鹿げたことはないでしょう。

美術の言葉[編集]

言葉というのは一般にそうですが、あいまいなもので、同じ言葉でも意外と場所や社会で意味が異なってくることもありますよね。

美術の世界でもそういうことは起こりますし、「デッサン」、「デザイン」、「スケッチ」、「パース」、「デザイナー」等、美術に関して馴染みのある言葉でも、構成員や場所によって微妙に違う意味で使われていることもあります。

職業の場でも、業界や会社によってさまざまな意味になったり言い方が変わったりしますよね。

ただ、それは言葉というものの一般的な性質ですから、そんなことはどこかの大先生に偉そうにくどくど解説されなくても、高校生ぐらいになれば、みんな分かっていることだと思います。

日本の普通学校美術[編集]

日本の普通の学校における美術教育は、世界的にみるとかなり特殊らしい。ある編集者(仮にAとする)がまず示した出典、2010年におけるニコニコ動画の投稿[3]によると、二人の美術関係者がかなり長々と現状の学校美術教育を批判している。

編集者Aはさらに、アーツ・アンド・クラフツ運動と独国バウハウスについて言及しているが[4]、前者は工業製品、大量生産品のオブジェクトとしての安易さ、粗悪さを批判しそれを改善することを目的としていただろうし、後者はデザインに合理性、機能性を求めた美術教育の話だが、どちらにせよ、日本の美術教育の傾向に絡める必要もない話だろう(※ ←個人的見解)。

最初の動画では、学校の美術のペラペラの教科書が批判され、然しこの人物のくどい説明に眩暈がしてきたので(※ ←編集者個人の体験)、結局どういう美術教育が良いと考えているのかわからなかったので、興味のある方々はリンク先のこの動画の方を観ていただきたい。

ちなみに村上隆はこの国の現代美術の分野でトップランナーとみなしていい芸術家で、高校美術の教科書でもたびたび紹介されている[5][6]。然しこの頁の一編集者S は、彼の見解が別に世界の美術教育の多数説や有力説などと言う証拠もないので、興味なければ出典動画を見に行く必要は無いだろうと忠告している。

明治時代の日本における小中高の美術教育の方針は、工場労働者などの職人を育てるため、手先の器用さを育成したい、という意図があったようだ。特に当時の軍部が、美術教育によって、手工業職人的な手先の器用さ、物づくりの技術育成の教育が必要、重要だと考えていたようである。

1990年代までの普通の学校での美術教育は、わりに写実画を重視していたが、2000年以降は、あまり写実にこだわらず、いろいろな発想で絵を描くように指導しているようだ。

出典など[編集]

  1. ^ 『臨床心理士』2015/06/17、2022年10月23日に確認.
  2. ^ 西澤晋『リアルなキャラクターを描くためのデッサン講座』 (漫画の教科書シリーズ No.03) 、誠文堂新光社、2009年7月31日発行、146ページ
  3. ^ 村上隆の芸術闘争論#2 日本の美術教育はどう特殊なのか(vs森川嘉一郎) 投稿日時 2010/12/03 17:11、2021年9月8日に確認
  4. ^ 高等学校情報科「情報Ⅱ」教員研修用教材 第1章 - 20200609-mxt_jogai01-000007843_002.pdf 『情報社会の進展と情報技術』 P40、2021年9月8日に確認
  5. ^ 最近のものだと、たとえば 日本文教出版 (令和4年度新版教科書)「高校美術」 村上隆「五百羅漢」 (2022年1月7日に確認)
  6. ^ ページ『掲載作家一覧 | 現行版 美術1 | 高等学校 美術 | 光村図書出版』、 2022年1月7日に確認.