高等学校美術I

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筆の持ち方[編集]

文字を書くときに「良い」持ち方とされる鉛筆の持ち方と、絵を書くときに使う絵筆などの持ち方は、じつは違います。

中指の位置が違っています。

絵筆の持ち方などでは、指先の力(ちから)具合などの加減を正確にするために、中指を人差し指に添えます。


絵の書き方[編集]

絵画作品をつくる目的にもよるが、普通科高校にて「美術」科目の成績を良くしたい場合、次の点に留意するといい。

※ あくまで高校の美術の授業対策用として考えたノウハウであるので、それ以外の用途に当ノウハウを適用する場合は自己責任でお願いします。美大対策は、当ページは、いっさい想定していません。

いちおう、思いついたテクニックを紹介しとくが、あまり神経質になる必要は無く、それよりも、ヒマのある時に練習用紙で何枚も写真などの模写(もしゃ)で練習したほうが良いだろう。

学校に提出する作品では、基本的に写実画を描くのが良い[編集]

ヨハネス・フェルメール『絵画芸術の寓意』(1666〜67年頃)
ウィーン美術史美術館蔵(オーストリア)

美術の授業で作成する作品のうち、画風が特に指定されていなければ、日本の中学高校の美術教育では、慣習上、写実画の画風である。 また、なるべく写実的に描くのが良い。

とはいっても、あまり写真どおりに描こうと神経質になる必要はない。

なぜなら、もし写真そのままのいない絵だったら、わざわざ何十時間も使って絵など書くよりも、いっそ写真撮影をすれば良いからだ。(なお、中学や高校の美術の授業では写真撮影をしない。)


右のフェルメールの絵でもわかるように、昔の有名な画家も、基本的にモデルなどにポーズをとってもらって、それを見ながら描いていた。(※ なお、光村書店の美術1の教科書で、右のフェルメールの絵を紹介している。)

アタリの必要性[編集]

どんな絵を描く場合でも、細かい形を描く前に、おおよその形を、エンピツで、うすい線で、たった1〜2分くらいでいいので、下書きのように描くとよい。こういうのを一般にアタリ(語源は「当たり」か?)という。そして、あらかじめ画用紙などにアタリを描いておくことを、「アタリを取る」などと言う。

業界によっては、アタリのことを「レイアウト」ともいう。よく、建築イラストなどで家具などの配置などの確認で、おおよその配置のことを「レイアウト」という。本wikibooks高校美術1では、とりあえず「アタリ」という表現を用いるとする。(マンガ業界でいう「ネーム」は、絵柄の配置(絵のアタリに相当)に加えて、ストーリーの大まかな確認なども行う。映画業界やアニメ業界でいう「絵コンテ」などは、映像の配置(絵のアタリに相当)の確認にくわえ、動きのタイミングや方向アタリなどの確認も行う。)


なぜ、アタリが重要かというと、例えば人物画を描く場合に、もしアタリを取らないで上から順に顔→胴体→太もも→ひざ→足先、というふうに描いてると、足先を書いてる段階で「画用紙に足が入りきらない」なんて、なりかねない。このような事態になった場合に、もし、自分が社会人として仕事で書かされた絵だとして「人物の全体像を必ず入れる事」と取引先などから指定されてたとしたら、画用紙に足が入りきらないことは契約違反(けいやく いはん)などの大問題に発展しかねない。


こういうミスを生じないようにするため、絵を書く際には、あらかじめアタリを取るのが、絵画を描く場合のセオリーである。

もしビジネスで注文依頼をうけて描く場合、アタリをとった絵を、注文者に見せて、この配置で問題ないことを確認をとるのが、業界の常識である。


例えば、人物画で、イスにすわってる人物の全体像を描く場合なら、「画用紙上では、顔は、だいたい、ここらへんに配置される。」というように、画用紙上で顔の配置される場所を、まずマルや楕円で描く。(いきなり目や鼻などを書き込まないように。)

※ べつに顔より先に胴体からアタリを取ってもいい。顔で説明したのは、単に説明を簡単化するためである。

→ で、顔をマルや楕円でアタリを取ったら、次に胴体のアタリを長方形とかで取る。
→ で、足や腕などを長方形や円柱などで近似して、アタリを取っていく。
→ イスのおおよその形を書いていく。

みたいな手順で、アタリを描いていくと良いだろう。

芸術家に限らず、なにかの作品や製品を作る場合、まず、おおよその形を試作するのが一般的である。いわゆる「試作品」(しさくひん)というヤツである。英語で言えばプロトタイプ(prototype)というもの。

で、アタリというのは、たった1〜2分で書いたものなので、形がかなり不正確なので、あとから消しゴムでアタリの線を消す必要がある。 なので、アタリの線は、うすく、エンピツで、描く必要があるわけです。

また、どうせアタリの線は消すので、あまり正確にアタリを取っても無駄である。


※ 仕事では、業界によっては、細かい絵を描くとき、しばしば、1つの絵に対して、2段階以上のアタリの確認が必要になる。この際、相手が、アタリを1回だけと勘違いしている場合もあり、段取りミスのトラブルの原因にもなる。なので、仕事での絵のアタリは、あらかじめ何段階、アタリを行うのかを、相手先と確認しておく必要がある。


アタリ関連の用語について[編集]

中学の美術の資料集を読むと「正中線」(せいちゅうせん)など、アタリを取る際に参考になる用語がある。

「正中線」という用語は、もともと解剖学などの用語である。このように美術では、解剖学などの用語を流用している。

なお、中学理科で習うイカなどの解剖の単元で、「正中線」という言葉をじつは中学生は習っている場合がある。(※ 大日本図書の中学2年用の理科教科書『理科の世界 2』に「正中線」という用語が書いてある。)


下記のことは高校では覚える必要は無いが、美術用に解剖学をアレンジした「美術解剖学」という分野の学問がある。なので、いちいち人体の用語を新たに考える必要は無い。

なお、高校生にとっては、用語の暗記よりも、実際に絵を描いてみて、各種の技法を使いこなせるようになることのほうが重要なので、あまり用語の暗記の必要は無い。

正確に書く必要は無いし、不可能[編集]

例えば、風景画を書く場合、仮に風景に葉のしげった木があったとしよう。もし正確に木を書くとなると、葉の1枚1枚をすべてそっくりに書かねばならないが、しかし手書きでは不可能である。(もしかしたら未来のCG(コンピューター・グラフィックス)などを使えば将来的には可能かもしれないが、そんなのは高校美術の範囲外。)

とにかく、「それっぽく」絵画は書ければいいんである。というか、どんな絵を書くにしても、このように「それっぽく」見えるような簡略化をしないと、作業時間が足りなくなる。

たとえば風景画での草木の場合、絵の具などで、葉っぱの茂ってる部分は、ぼかしてしまっても、それっぽく見えるだろう。そして、ところどころ、葉っぱの色あいを変えるなどして(緑の濃淡を増減したり、黄色っぽさを増減したり、影っぽく黒く小さな絵の具を加えたり)、単調にならないように(機械的な絵面にならないように)工夫しよう。

建物の場合も、正確無比に書くのは、高校レベルでは不可能である。そもそも、もし正確に書きたいなら、産業用途(コンテンツ産業をふくむ)では、写真を撮影後にトレースするか、あるいは建築図面をもとにCGなどで描写すれば、それで足りるだろう。

なお、建築物を書くときのヒントとして、かならずしも透視図法(2点透視図法)にこだわらないようにしよう。2点透視図法ってのは、その建物の隅部を見た視点での建物の2つの面(例えば南面と西面の両方が見える場合など)が見える場合での手法である。当然、観察者が大きな建物の南面の中央に立ってれば、北面や西面、東面は見えないし、この場合に2点透視を使うのは、間違いである。


またなお、2点透視法も3点透視法も、じつは近くで見たものを対象としていない。透視図法で正確に描ける範囲とは、視界の中央付近にある物のみである。つまり、透視図法とは、そもそも、遠くから見た巨大構造物のような物を近似的に書くための手法である。

なお、より正確に立体物を描くには、球面パースなどが必要になるが、しかし高校美術の範囲内では不可能である。(実は球面パースすらも、不正確な図法である。なぜなら人間の目は双眼だが、カメラは単眼なので、どうあがいても単眼に基づいた(もとづいた)「球面パース」図法では、不正確な絵がらになる。かといって、双眼に拡張した新規のパース図法をいちいち研究してたら、もはや図法の研究開発になってしまい、そういう作業は美術の範囲外。そういう仕事につきたいなら、画像工学とかの技術者を目指すのが良いだろう。)

そもそも、単に建築図面どおりに描くのならCGで代用できるし、おそらく、そういった建築用CGソフトウェアもとっくに実在してるだろう。

とはいえ、2点透視図法は手軽に作図できる便利なノウハウので、その限界を知りつつ上手に利用しよう。

なお、さきほどカッコ内の注記で単眼と双眼のちがいについて触れたが、写実画を書くときに片目をつぶると、両目で見た景色とは、景色が少し違って見えるので、うまく活用しよう。

たとえば絵描きが、おおよその距離を測る時に、よく、片目をつぶって、鉛筆や絵筆や定規(じょうぎ)などを握った腕を突き出して、三角法の要領で距離を概算するが、このときも片目である事に注意しよう。あの鉛筆をもちいた三角法的な美術用の測量(そくりょう)テクニックは、単眼を前提にしているので、片目をつぶって単眼で行う必要がある。(※ この美術測量のテクニックも、おそらく高校美術の範囲内だろう。)

  • 結論

難しそうだが、要するに、絵描きとしては、見えたとおりに描けばいいのである。高校美術の風景画の場合なら、手本になる実物が校内にあるんだから。で、その見たとおりに描けるようにする事ってのが、意外と難しいのである。なぜなら、間違った先入観のせいで、なかなか難しいのである。たとえば「透視図法さえ使えば、立体的に見えるはず!」とかの間違った先入観とかね。


固定観念にとらわれないように[編集]

たとえば、「春夏の葉っぱの色は緑」とかの固定観念があるが、よくよく見ると、植物の種類によって、色は少しばかし違うし、ところどころ黄色っぽい場合もあったりする。また、影になってて、黒く見える箇所もある。もし風景画で草木を描く場合、せっかく見本が目の前にあるのだから、どんな色合いになってるかを、きちんと実物で確認しよう。

なお、別に、「葉っぱを緑色1色だけで描いてはいけない」という意味ではなくて、あくまで固定観念にとらわれないようにしよう、というだけであるので、混同しないように。

ポスターイラストなどでは、少ない色数で、対象物を表現する場合も多い。


人物デッサン画を書く場合[編集]

おおよその方針[編集]

人物デッサンの場合、人物の胴体の隆起(りゅうき)などは、やや正確に書こう。そもそも人体デッサン教育の目的としては、おそらく、人体の構造を把握して美術的に表現できるようにするのが、教育目的だろう。ただし、「胴体」といっても、モデル役は制服を着ている状態であるので、顔や腕などの出ている服から出ている部分のデッサンと、あとは衣服をデッサンできればいい。衣服をデッサンする能力だって、必要である。

また、髪の毛の1本1本とかは正確に書く必要は無いし、そもそも髪の毛1本1本のデッサンなんて不可能である。そもそも手本になるデッサン模型でも、髪の毛は、頭巾やヘルメットのように、髪の束をまとめた塊を立体に近似している。

実は、決して正確無比に、顔や腕の隆起や衣服を描かなくとも、実は少しばかし演出をしてもバレなかったりするのだが、しかし素人はその境い目(さかいめ)の区別が難しいので、なるべく正確にデッサンしよう。

しかし、モデル役の人物は、ずっと静止しているのは困難であり、少しづつ動いてしまう。なので、あまり正確に人物画を書こうとしても、無理である。なので、完全に正確に人物画を書こうとしても無駄なので、あきらめよう。モデル役だけでなく、書いてる自分ですら、少しづつ動いてしまう。また、書き手もモデルも、トイレ休憩などが必要であり、休み時間には席を立つなどして、どうしても動いてしまい、休み時間後に再開されるモデルのポーズは、休み時間前とは少し違ったポーズになる。

なお、もし仕事などで、どうしても正確無比に人物画を書きたい場合には、たとえばモデルを写真撮影して写真を資料として活用すれば済むハナシであるが、だったら最初から写真家になったほうが、てっとり早い。なお、高校美術では、そういう写真撮影はしないのが一般的。

人物画のアタリ[編集]

※ まず、エンピツでの人物デッサン画を描く場合、シャープペンシルは使わないようにしよう。なぜなら、影などを均一に灰色に塗るのが、シャープペンシルでは不可能である。道具は、目的に合った物を選ぼう。適材適所。

まず、アタリを取る事。(「アタリ」については、いくつか前の節で説明したので、それを参照せよ。)

※ デッサン教育の最終目的は、観察眼をやしなう目的だろう。だが、短時間で仕上げるためには(高校生には5教科の勉強時間も必要)、まずアタリを取る必要がある。

たとえば、次のような手順で、アタリを取るといいだろう。

1: アタリ用の図形として、だ円や長方形、円柱などの図形をつかった簡単なアタリを取って、画用紙に人物像が入りきるかを確認する事。
2: 次に、ちょっとだけ細かく書き込んでいく。(あとで修正するので、あまり濃い線では書かないように) 顔の向きを、おおよそ、画用紙上で描くこと。どこを向いてるのかを矢印などでメモ的に描く。けっして、いきなり目や瞳やまつ毛などを細かく書き込まない事。 また、見ている先はどこかを、だ円などで囲む。たとえば、書籍を読んでる人物についての人物画なら、当然、視線の先は書籍にあるわけである。視線の矢印と、見ている先の物体を、曲線などで結んでおいてもいいだろう。
3: モデル人物の視線が重要なので、画用紙上に目を描いておくと、後のヒントになりやすい。なので、両目の、目の輪郭のおおよその形を描く。瞳のおおよその場所を描く。目や瞳を書いたついでに、まつ毛も軽く線で書いておくとイイかも。
4: ついでに、口とか鼻とか耳とかを、おおよその形で描く。
5: 顔ばかり先に書き込んでも、まだ胴体の細部がどうなるか分からないんで、あまり顔に深入りするのは危険である。なので、さっさと胴体の書き込みに移る。この際、首をおおよその形で、うすく書いておく。けっして、首を細かく描きこまないこと。なぜなら、たいていの初心者の場合、首を過大に長く描きやすい。なので、首はうすく書いておくのにとどめて、さっさと胴体を描きにいく。
6: とはいえ、胴体には制服を着てるだろうから、服のシワとかあって、いろいろとメンドウくさい。
(以下、省略)

・・・、みたいな手順になる。

黒い制服、白いYシャツの影を書く場合[編集]

黒い制服[編集]

鉛筆デッサンの人物画で黒い制服を着たモデル役の生徒の、ワキの下やらの影を書く場合、ちょっと難しくなる。なぜなら、服も黒いが、影も黒い。そして服をリアルに書こうとするあまり、服を実物どおりに真っ黒(まっくろ)な色で書くので、すると、画用紙上では、それ以上黒くする余地が減り、その後に影を付け加えるのが難しくなる・・・というのが、よくあるパターンである。

そこで対策としては、

案1:  服の黒く見える部分を、自分をダマして「灰色だ」と思って書く。つまり、実物よりも薄い色として書く。(マンガやアニメなんかでも、作中の「黒人」などの登場人物の肌(いろ)の色が、じっさいの黒人の肌よりも褐色(かっしょく)気味だったりしますよね。)
案2:  または、先に影になる部分を書いてから、そのあと、画用紙上での服の色を決める。つまり、あたかも、モデル役を「実物大の石膏デッサン人形」(デッサン用模型は白色であるのが通常)みたいな白色の人形だと思って書く。そして影を書き終わってから、服の色などを着色していく。

などが考えられる。

白いYシャツ[編集]

同様に、白いYシャツを来てる高校生とかを書く場合も、なかなかメンドウである。 画用紙の色は白いが、Yシャツの色も白いんで、描いてる途中に「どうしようかね・・・?」と悩むことになる。

画用紙の人物像の背景に灰色を塗るのもメンドウだし、そもそも、鉛筆デッサンの場合だと、白と黒とその中間色の灰色しか使えない。

手順

1: とりあえず、マンガやアニメの線画みたいに、Yシャツの輪郭線を、うすくエンピツで線を描いてしまおう。(とにかく手を動かして描かなければ、何も始まらない。)
2: で、次にとりあえず、Yシャツで影になってて暗くなってる部分などは、エンピツで(うすく)灰色っぽく塗ればいい。
3: そのあと、Yシャツの表現をどうするか、考えよう。

「うすく」を強調した理由は、黒色のズボンを、やや うすめ の灰色で描くことになるので、それとの つじつま合わせ のため、Yシャツの白色の輪郭や影の色を、調節する必要があるから。

光源[編集]

基本的に、重力方向で上側にあるものほど、明るい。なぜなら、通常は、光が上から差すからである。

ただし、これは、あくまでも、光源がそのように上方向にある場合である。

いっぽう、たとえば キモだめし で顔の下から上に向かって懐中電灯を照らしたりして、相手をおどす手法があるだろう。あのように、暗い夜道などで、懐中電灯を顔の下から上に向かって照らしたような場合、当然ながら、顔の下側のほうが明るい。

光源が上にある場合の人物画を書く場合でも、決して単に「顔のアゴ下だから暗い」と覚えるよりも、できれば「アゴ下はヘコんでるので、そこに光がほとんど差し込まないので、よってアゴ下は暗くなりやすい」などと覚えたほうが、光源の場所が変更した場合にも応用が効くだろう。


  • 光と影

たとえばリンゴの模型をもとにデッサンする場合、たいてい、光源の側に近い面は、明るくなってるし、逆に、その反対側の面は、影になってる。

人体では、次のような部位どうしが、光と影で逆関係に対応しやすい。

・ <頭の上部(髪の生える部分)> .対. <アゴの下>
・ <肩の上、うでの付け根> .対. <ワキの下>
・ <女の乳房の上側(乳頭から上の面)> .対. <女の乳房の下側(乳頭から下の面)>

こうなる理由は、重力方向的な上下関係の対応のほかに、球面に対してへッコんでるという対応もしているからだろう。(乳房だけでは、乳房の上下とも球体的だが、しかし胴と組み合わせると、乳房が重力によって下方向に引っ張られるので、乳房の下側の面は、胴と乳房にハサまれてへッコんでるし、逆に乳房の上側の面は、肩の前面から乳房にかけてのラインが平坦になりやすい。)

ワキの下の影をぬってる時、ついつい影を大きめに書いてしまいがち、である。なぜなら、たいていの人は、まず、

1: 人体の輪郭を書いた上に、
2: その輪郭の書かれた絵の上に、つづけて影を書く、

という手順で書いてるから。

しかし、そう書くのではなく、

1: 人体の輪郭を書いた上に、(※ ここまでは前述の手順と同じ)
2: その輪郭の絵の上に、実物モデルを見て、光と影の対応場所を観察することで、明るく照らされてる人体部位 および 影になる部位 を、それぞれ探す。
3: そして影を書く際には、決して、明るくなってる部位には「影」が入り込まないように注意しながら、影を書く、

のように書くと良いだろう。

その他、もし対象の人物が椅子にすわってるなら、当然、いすの面に触れてる部分の付近は(たとえば尻および、尻から太ももの下側)、光が差し込みにくく、よって影になりやすい。

また、このように座ってる場合、

・ ヒザの表側 .対. ヒザの裏側

は、当然、明暗が対応しやすい。

じっさいの高校美術の人物デッサンでは、制服を着てるだろうから(ヌードデッサンなんてしない)、胴体の隆起の他に、さらに衣服の隆起が加わる映像を書くことになるので、もっと複雑な絵になるので、とにかく実物を観察して、うまく工夫して書こう。

(なお、もし将来、進路志望が絵画の仕事などを目指す場合で、どうしても練習用に裸の胴体を見たい場合、大型書店などの美術書コーナーに、美術用のヌード写真の掲載されている専門書が数千円で売ってるので、それを使用すれば済む。)

なお、アニメやマンガの影の表現だと、明部と影部の対比がハッキリしてるが、マンガやアニメなどでは明暗のコントラストを強調しているのであり、じっさいの人間では、あまり影になる身体部位とその近辺の身体部位との明暗はハッキリとしない。

また、室内照明の場合、たいてい光源は決して一点ではなく、天井全体に蛍光灯などが分散的に配置されており、光源は天井全体に一面に広がってる。なので、1つのある光源では光が差し込まずに影になる部分でも、他の別の光源による光が差し込み、なかなか影も つきづらい。

その他[編集]

空気遠近法などの技法について、『中学校美術/美術2・3下』に解説がある。


集団作業のためのデザイン画[編集]

正面図と側面図

たとえば、ウルトラマンに出てくる怪獣など、空想上の生き物の着ぐるみを、もし新しく怪獣を考えて作るとき、

怪獣の形を考える人は、考えた形を絵でデザインして説明する必要があります。


(※ 光村図書の教科書に、彫刻家の成田亨(なりた とおる)による怪獣カネゴン(ウルトラマンに出てくる怪獣のひとつの名前)のデザイン画で、正面図と側面図が掲載されている。)

テレビ番組の着ぐるみなどは、ひとりで制作するのは困難ですので、あらかじめ、考えた形状をスケッチやデザインにして、仕事仲間や取引先などと打ち合わせをして、実物の制作前などに事前に確認をとる必要があります。

目的は、着ぐるみなどの実物をつくることですので、正面図だけでなく、側面図など別方向から見た図も必要になります。正面図だけでは、正面からは見えない部分の形が分からないからです。

側面図のかわりに背面図を書く場合もあります。また、正面図と側面図と背面図の3つを書く場合もあります。


いっぽう、上面図は、書かない場合も多いです。映像作品の着ぐるみなどの場合、正面図と側面図があれば、そこから形が分かる場合が多いのです。


また、こういった集団作業用デザイン画では、デザインの第一段階では色は塗らない(ぬらない)のが普通です。当面の目的は、形のデザインですので、輪郭線などの線を目立ちやすくする必要があります。影も、つけないのが普通です。

(※ 教科書に掲載されたカネゴンのデザイン画も、色は塗られてません。)
※ 色の打ち合わせについては、まず先に、色なしのデザイン画を使った打ち合わせでデザインの形状(色なしの線画のみ)が決定した後に、別途、色デザインの担当者が、線画に色を塗った 色つきのデザイン画 を数通りも用意して、次の打ち合わせをして色を決定します。


このように、集団作業のデザインでは、特に空想の生き物をデザインする場合、普通のイラストとは書き方がちがいます。集団作業用のデザイン画では、少なくとも2方向(たとえば正面図と側面図)が必要になる場合画が多くあります。

アニメ風に描かれたキャラクター設定画の例(色つき)
作者 Danny Choo
このデザイン画では、全身像として正面図と背面図を描いている。※ コメントの「色トレス」などはアニメ業界の専門用語なので、高校生は無視していい。
※ 教科書にはない記述ですが、商業アニメーションのキャラクター(人物)のデザインなどでも、正面図と側面図や背面図を描いてデザインを伝えるのが、日本のアニメ産業では一般的です。
※ アニメ業界では、キャラクターの色を考える人は、キャラクターデザインの人とは別の人なのが普通。
※ 絵だけでは分かりづらい場合、デザインに重ならない位置に、文章で短く、たとえば「手の形は○○にする」などのコメントを追加したりして、明確に指示する場合もあります。目的は、けっして絵だけで表現することでないのです。目的は、制作スタッフどうしで共通認識を作ることですので、もし目的のために必要ならコメントも追加します。
※ 最近の検定教科書では、ある出版社の美術教科書で、アニメ映画『君の名は。』の設定線画(主人公の表情の一覧、色無し)が掲載されたようです。 (※ 「君の名は。」「LGBT」が教科書に 検定結果公表[2018/03/27 18:50 ] 2019年3月26日に閲覧) 閲覧先の教科書写真の、教科書の左ページの右上に、主人公キャラクターの表情集がアリ。
その検定教科書では、近年のドラえもんの3D映画をもとに3D-CGの説明もしている。

3D-CGといえば、アニメ映画だけでなくゲームソフトのCGも忘れてはならない。(光村の高校美術の教科書では、近年のゲームの『ゼルダの伝説』シリーズの『時のオカリナ』の3D-CGの画像が紹介されたことがあるらしい。) アニメだけでなくゲーム映像も見ないと、3D-CG業界の全貌は分からない。

もしかしたら読者は「3D-CG」と聞くと、ついついロボットとか機械とかの未来的な映像、SF的な映像を思い浮かべがちかもしれない。しかしゲーム産業では、西洋ファンタジーのような世界をえがくのにも3D-CGは使われている(さきほど紹介したゼルダ・シリーズもそういう西洋ファンタジーの世界観のゲームである)。しかも、そういったゲームが、世界的に売れている。

※ なお、ゼルダのオカリナは、欧米でゲーム業界を表彰する賞を多く受賞している。日本でも、文化庁から文化庁メディア芸術祭で大賞を受賞している。世間一般で「クールジャパン」とか「ソフトパワー」とか言ってる馬鹿は、ゲーム業界に目もくれずテレビで無料公開しているアニメしか知らないが、しかし日本からの輸出品で実際に売れてる日本産のフィクションの著作物はアニメでなくてゲームである。
そもそも1990年台に日本産「アニメ」が「ソフトパワーである」とか言われた経緯は、日本国内でしかウケてない日本産の実写ドラマや実写映画やアイドル産業などといった芸能界の産業よりも(ただし、例外として黒澤映画など例外がある)、日本では地位が低いが国際的にウケているアニメを重視すべき、という経緯であった。なのに現在では、経緯を知らないで表面的にマネている馬鹿な評論家が、あいかわらず海外ではゲーム産業がアニメよりもウケていて貿易額もアニメより大きいのに、バカな評論家どもは日本産ゲーム産業を無視するという、馬鹿さである。しかも、こういったゲーム産業への偏見の強いバカにかぎって、「自分は若者文化に偏見が無い」とか思ってるので、タチの悪い大バカである。しょせん、バカは勉強してもバカである。
世界史Bの教科書に、日本産のアニメや漫画が「ソフトパワー」として見られていると書いてあったりするが(帝国書院の世界史Bの教科書にそういう記述あり)、貿易額などの実態はゲーム産業のほうが貿易額がアニメ産業よりも大きいので、勘違いしないようにしよう。そもそもアニメ産業は、労働者の賃金が低すぎて労働問題になっているような、問題点の多い業界である。けっして読者の君たちは、アニメ労働者のような低賃金の作業員を集めようとしている広告系・テレビ系の下請けの制作集団の業界に、マインド・コントロールされないように。


高校美術の教科書で、アニメ監督の庵野秀明が、庵野の中学時代にアニメ『宇宙戦艦ヤマト』を見て感動したことが、自分のアニメづくりのルーツですというような事を教科書会社からのインタビューで述べている。

さて、下記は教科書には書かれていないハナシだが、このヤマト放映の頃の時代背景は、SF小説とかでアシモフとかが権威があるとされてた時代である。この時代、ヤマトは世間の自称SFファンのような連中から、「ヤマトとかああいうのはSFではない」みたいなことを言われてバカにされてた時代である。また、当時の文芸評論では当時の哲学の流行とからめてポストモダン主義がどうこうとか評論が流行してた時代でもあり、SF評論家にもそういう人がいたし、高学歴の評論家連中にそういうふうな学歴の自己正当化のような評論が流行していた。しかし、庵野はそういった哲学かぶれの評論には目もくれず、中高生のころから庵野はパラパラ漫画などで実際に作品をつくり、その庵野はのちにアニメ監督になり1990年代、庵野が監督したアニメ作品『新世紀エヴァンゲリオン』で(第18回)日本SF大賞を受賞する。

そして今や、高校の美術の教科書でもインタビューされるような人である。一方、ヤマト放映時やその後の十数年間、アシモフとかの小説の権威を盲信してただけのSF評論家は、とくに大きな業績は、なにも残してない。

キリスト教の創設者キリスト本人は立派な人でも、キリストの権威を借りて免罪符を販売していた教会づとめの僧侶・宗教家を名乗る単なる商人は立派な人ではない。

哲学者アリストテレス本人は立派でも、彼の著書にある、古代のまちがった科学知識を盲信しただけの中世キリスト教会は立派ではない。

SF小説家アイザック・アシモフ本人はすぐれた作家でも、彼の権威の後追いをしてて何も新しい視点を生み出せなかった三流の評論家は立派ではない。

正面図と側面図
※ 集団作業とは別に、彫刻を木彫り(きぼり)や石彫り(いしぼり)でつくるときも、彫られる(直方体の)木や石に、実物大で正面図と側面図を書きます。その図を参考に、彫っていきます(※ 検定教科書(日本文教出版)の高校美術1で、そう技法を紹介している)。
検定教科書にはないが、CGを書くときも、正面図と側面図を書いて、その画像を参考に各部分を入力していくのが普通。


範囲外: ペンキ塗装の目的と仕組み[編集]

(※ 建築塗装は、高校では習わないが、いくつか前の節でペンキ塗装や板金塗装の話が出たので、ついでに教える。)

建築物で外壁の板金にペンキ塗装をしてある家庭が多い。ペンキ塗装する本来の目的は、サビなどの腐食を防ぐ事が、おもな目的である。

※ ときどき、「外壁の美観を向上する事だけがペンキ塗装の目的だ」というような勘違いしている、無知な大人がいる。

建築物で外壁の板金にペンキ塗装では、色のついた顔料の他にも、「上塗り」(うわぬり)および「下塗り」(したぬり)として樹脂製の塗料を塗っている。

ペンキで、外壁などに色をつける目的のひとつは、サビを防ぐための効果のある上塗り剤(うわぬりざい)・下塗り剤(したぬりざい)が年月の経過による劣化で落ちかけている場合に、目視で劣化を確認しやすくするための手段でもある。

※ 無知な人の中には、上塗り材を、単なるツヤ出し剤だと誤解している人もいる。

プロの塗装工によるペンキ塗装では、色のついた塗料を塗る工程の前後に、 まず色塗りの前の工程として、ペンキの付着を向上するため及び(および)耐腐食性をあげるための下塗り(したぬり)をしており、また、色塗りの後の工程としてペンキが風雨で落ちないようにするため及び耐腐食性を上げるための上塗り(うわぬり)をしており、この下塗りと上塗りによって、耐腐食性を上げている。

※ ときどき、自宅の外壁塗装の修繕(しゅうぜん)費用を安く済ませようとして、自分でペンキの顔料(色の部分)だけを購入して塗装をする人がときどき居るのだが、下塗りと上塗りの意味をしらずに、下塗りと上塗りの工程をはぶいてしまい、無駄な結果に終わってしまう人がいる。


安全性・合法性などへの配慮[編集]

作品には安全性が必要です[編集]

作品の安全性などを判断するのも、作家が事前に、ある程度、行う必要がある。

たとえば、立体造形物を作る場合は、たとえば、事故が起きないように、充分な注意をする必要がある。 たとえば、形状のとがった部分があれば、とがった部分で目を刺したりなどの事故をしないように、対策すべきである。

万が一、とがった部分をつくらないといけない場合でも、やわらかい材質でつくるとか、先端を丸めておくとかの、対策をほどこす必要がある。

また、高校レベルを超えるが、他の例としては、たとえばイスをつくるなら、当然、そのイスは、けっして、座っただけで壊れてはいけない。人間が座ったり乗ったりするものは、普通の使い方では壊れないように、頑丈(がんじょう)に制作しておく必要があります。そのため、事前に、自分が使っても壊れない事を確認する必要がある。

もし、こういう安全対策を行わなかった結果として、観客などが、その作品でケガをすると、最悪の場合、治療費などとして、作家側は多額の損害賠償を請求されたり、または刑事罰を受ける場合がある。


日本国憲法には「表現の自由」という言葉がありますが、自由には責任を伴います。治療費などの損害賠償の責任を追求されないように、きちんと作品の安全性には配慮をしてください。

芸術作品の鑑賞ばかりをするのではなく、高校の普通科目(国・数・英・理・社や保健体育・家庭科など)の勉強をする事も、安全性・合法性などの感覚をみがくために必要ですので、高校の時点では、普通科目をバランスよく勉強する事をこころがけましょう。


なぜなら、彼ら/彼女らの芸術評論の内容は、ある芸術作品が社会におよぼした沢山(たくさん)の影響のうちの、一つか二つかの影響を抜き取って、解説したものに過ぎません。美術と社会との関係を、完全に文章に置き換えることは、不可能なのです。


鑑賞のノウハウ[編集]

有料作品を鑑賞しましょう[編集]

作品には安全性が必要です。では、安全性への配慮の感覚をみがくための作品鑑賞をするには、どうすれば良いのか?

まず、有料の作品を、鑑賞してください。なぜなら、無料公開されている作品の中には、残念ながら、あまり安全配慮などが行き届いてない作品もあります。

絵画などでも、もしも、その絵のとおりに立体造形物をつくると、危険な立体物のできあがってしまうような、そういう絵の書かれている作品も、チラホラあります。(書いた本人は、幻想的な風景などを書いてるつもりなのかもしれませんが・・・) 特に、無料公開されている作品に、そういうダメな作品が多いのです。

いっぽう、有料公開されている絵画作品は、事前にスポンサー企業などが、その絵で出ている物品などをグッズ販売などをする事を想定していたりするために、立体化のさいに危険な造形物にならない事を、いちおうは確認しているでしょう。万が一、確認していなくても、社会的な批判が、その作品の製作者および制作企業などに及びますので、問題を発見しやすいのです。

なので、なるべく、有料作品を中心・前提として、鑑賞(かんしょう)する必要があるのです。あなたは、美術の鑑賞(かんしょう)のさいに、けっして、無料作品だけで新規の表現方法を見るのではなく、有料作品で、どの程度、本格的に、その手法の安全性・合法性などが検証・実証などをされているのかを、あなたは、きちんと検証しながら、鑑賞しましょう。

絵画の場合、「表現の自由」がありますので、かりにファンなどが造形物を制作した場合に危険な事が起きるイラストが描かれてても、描き手の自由なのです。よって、受け手の側に、判断能力が求められます。

ですが、有料作品を鑑賞ばかりするのも、お金が掛かります。

では、なるべく安価(あんか)な金額で、安全性や合法性などに充分な配慮のある、良質な作品を鑑賞するためには、どうすれば良いのでしょうか?

そのための学校教科書です。美術の検定教科書は、そのためにあります。美術の教科書で紹介されている作品は、危険性が少ないか、仮に少々の危険性があっても、すぐに危険性を見つけやすいような、安全性・合法性などへの配慮のある作品が、選ばれています。


やや古めの作品も鑑賞してみよう[編集]

なお、教科書以外のメディアを鑑賞する場合、印刷された作品の鑑賞なら、なるべく、雑誌ではなく単行本で、鑑賞しましょう。なぜなら、雑誌の中には、単にスポンサーから宣伝費をもらって新作を紹介しているだけの雑誌もあり、あまり、紹介作品の質の検証をしてない雑誌もあります。

単行本は、雑誌よりも情報が古いです。しかし、高校生の美術の勉強に、速報性は不要ですので、情報が数年ほど遅くても無問題です。

むしろ、作品公開の時から年月が数年ほど経過することにより、そのあいだに、質の劣った作品は、評論などにより「駄作」としてのレッテルを貼られ、淘汰(とうた)されていきますので、単行本を中心に鑑賞することで、質の高い作品を鑑賞しやすくなります。


これがもし、小学生向けのテレビアニメ作品とかの場合なら、子供は親と一緒に小学生向け作品を見たりする場合が多いので、あまりにも質の低すぎる作品は、保護者などからの苦情によって、淘汰されていきます。

ですが、高校生向けの作品の場合、テレビ作品でも雑誌作品でも、若者が自分ひとりで鑑賞したくなるようなテーマをあつかう作品が多いでしょうから、親が低品質な作品を淘汰するわけにも、いきません。

コンテンツ業界のなかには、残念ながら不届きな業界人も居て、そういう若者の心理を悪用して、質のひくい作品を、事情をしらない若者に、高めの値段で売りさばこうと宣伝する不届き者もいます。

なので、有料作品の鑑賞では、公開から、ある程度の年月がたってから、有料作品を購入する必要があるのです。

このように、コンテンツの鑑賞では、やや古めの作品を鑑賞するのが、コツです。

学校の美術教科書でも、新しめの作品でも、せいぜい10年ほど前までに公開された作品を中心に扱っており、ここ数年の作品は、めったに扱っていません。

また、単行本では、雑誌版にあった誤植(ごしょく)などが、単行本化のさいに修正される場合があります。なので、単行本で買ったほうが、お得なのです。

しかしメディア上には、新作の宣伝などのため「古い作品ばかり見るのはダサい」などと主張してくる者達がいますが、ダマサれないようにしましょう。


なお、優れた作品の値段は、たいていの場合、有料でこそ、ありますが、割安な事が多いのです。

中学の教科書に描かれていたイラストを思いおこしてください。中学生は無料で検定教科書を配布されるので、教科書の価格は意識しませんが、じつは、たったの数百円〜1000円ていどで、プロの人気作家によるイラストがついていたり、プロのカメラマンの撮影している写真が説明用に付いていたりして、なおかつ、プロの学者が文章を審査しており、プロの教員がじっさいに普段の教育から気づいた教育ノウハウを詰め込んだ「検定教科書」という書籍が、たったの数百円〜1000円ていどだったのです。

なので、もし、ある作品が古い作品だからといって、値段の高すぎる作品の場合、単なるボッタクリ価格か、あるいは中高生をターゲットにしていないので、高校生の時点では、その作品を買わないほうが良いでしょう。

「プロパガンダ」とは[編集]

芸術作品は、宣伝広告でもあります。なぜなら、芸術作品をつくるには、お金が掛かります。特に映画やアニメーションなどの映像のうごく作品は、制作に数億円の資金が必要になる場合も多くあります。

画家の芸術活動ですら、たとえ消費者や企業からお金を受け取っていない人だとしても、その作家が自身の思想信条を宣伝するために、作品を作っているのです。

また、中世キリスト教の宗教芸術の作品のように、そもそも、その宗教の宣伝を目的とした作品もあります。

企業でなく国家の宣伝をするために、作品を作る場合もあります。戦争中の絵画や音楽などの作品が分かりやすい例ですが、国家が宣伝するのは、なにも戦時中だけに限りません。

たとえば税務署が、ポスターの制作で「税金を納めよう!」などとフレーズを入れた、人気芸能人が写ってたりするポスターを、ポスター制作企業に制作依頼するような行政活動ですら、国家の宣伝活動という側面があるのです。

以上のように、そもそも芸術作品は、他人に何らかの主張を伝ようとするために公開されるのです。

宣伝のために作られる芸術作品や、宣伝のためにつくられるポスターなどをまとめて、しばしば、批判的な意味で、「プロパガンダ」(英: propaganda)と言うことがあります。

いっぽう、学校の教科書で習う作品は、その宣伝内容に学生への害が少ないと考えられている作品が、選ばれているのです。中学校美術で習うような古典的な作品は、現代までに大した害が見つかってない作品か、あるいは、たとえ少々の害があったとしても、それよりも利点のほうが大きいと考えられている作品群が、選ばれているのです。

高校の美術教科書で紹介されている作品は、10年ほど前までに活躍した作家のうち、今のところは(教科書制作の時点では)、学生への害よりも利点が大きいだろうと思われている作品が選ばれているのです。

ピカソのゲルニカのように、平和をよびかけた作品ですら、「平和をよびかけるための宣伝」なのです。


国語や社会科の資料集を活用する[編集]

たとえば、創作イラストとかで、日本の戦国時代の甲冑(かっちゅう)を装着した武者(むしゃ)を描きたいとしよう。

こういう場合、高校国語の資料集(国語便覧)や、あるいは高校の社会科の日本史の資料集などに、甲冑の写真や説明イラストが掲載されている。

5教科の資料集とは、こうやって活用するのである。

空想上の生き物を描く場合や(朱雀(すざく)とか天使・悪魔など)、空想上の神々(シヴァとかヴィシュヌとかケツアルカトルとか)を描きたくて調べたい場合にも、資料集がそこそこ活用できる。

その他、現代に習慣の残ってない歴史上の文化や風習などをイラストで描きたい場合など、国語や日本史・世界史などの資料集を活用しよう。

なお、たとえ教材のイラストとはいえ、著作権があるので、けっして、そのまま書き写して発表してはならない。
詳しくは、著作権を見てもらいたい。

これとは別に、プロ向けに美術イラストの資料集が販売されているが、高校生には不要な情報が多いし、著作権の取り扱いも面倒くさいし、値段も高いので、高校生はまだ買わなくて良い。


さて、描きたい題材によっては、なかなか資料が見つからない場合もある。その場合、例外として特別に人命などにかかわる絵でないかぎり(たとえば生物学の解剖イラストなど)、さっさと描きたい絵を描いてしまおう。

もちろん、資料なしで書けば、間違った構造の絵を描くことになるだろうが、間違いなんて、あとから修正すればいい。

実際、プロのマンガやアニメなどの作品のなかの絵も、じつは、最初の公開後にも、単行本化やDVD販売などの際に、なんどか絵が修正されていたりする。マンガの例なら、雑誌連載のときと、単行本のときとで、微妙に絵が違っている場合もある。

単行本の値段の高さには、修正のための費用も組み込まれているわけである。


とはいえ、絵描きとしては修正の回数が少ないほうがラクなので、ヒマな時に、資料にできそうな情報源を読んでおき、知識の引出しのネタを増やしておこう。


  • 仕事で描く絵には、デザインレビューがある

なお、もし仕事などで、まちがったら人命などにかかわりそうな物事を扱った絵を描く場合でも(たとえば生物学の解剖イラストなど)、けっして、いきなり資料さがしをするべきではない。まず、5分ほどでいいのでラフ画を描いて、そのラフ画を依頼人に見せて、そして依頼人の方針を実際に絵で確かめてから(こういうのをビジネス用語で「デザイン レビュー」といいます。)、そのあとに資料さがしなどの時間とお金の掛かる作業を行ったり、実際に絵を仕上げるのである。


見本のない作品を描く場合[編集]

デフォルメ[編集]

マンガ調のデフォルメは、そのままでは写実的な画風には活用できない[編集]

マンガやアニメでは、わかりやすさを強調するために、身体の特徴を強調することがあります。

たとえば、長身の人物は、より長身に描かれます。いっぽう、小さい人物は、より小さく描かれます。

たとえば、マンガやアニメで、登場する兄妹や姉妹が登場する場合に、たとえ成長期の終わった20歳すぎの兄妹や姉妹でも、年齢の大きいほう(兄や姉)を長身にデザインして、いっぽう弟や妹は、背を背を低くデザインするような手法があります。

観客は、自分が小学生のころの周囲の兄妹や姉妹のいる家庭などとの連想から、長身にデザインされたほうの人物が兄または姉だと分かり、いっぽう、背が低くデザインされたほうの人物が弟や妹だと分かる、というデザイン手法です。

このように、身体の特徴などを、作家が観客に、表現の意図をわかりやすく伝えるために、現実の人間や物体とは違うデザインを行うことをデフォルメといいます。

なにも身長にかぎらず、体重でも同様です。マンガやアニメでは、太っている人物をデザインする際は、太っている事をわかりやすく視聴者などに伝えるために、顔や手を、現実の太っている人間よりも太らせてデザインします。しかし、現実の人間では、顔や手には、ほとんど脂肪がつきません。現実での、太っている人間の顔や手の脂肪の量は、太ってない人の顔や手足の脂肪の量と、ほぼ同じです。

このように、多くのマンガ・アニメ作品は、デフォルメを行っているので、マンガ・アニメそのままの身長や骨格などは、写実的なイラストを描く場合には、そのままでは使えません。

裏を返すと、もしマンガ・アニメ調に人物の絵をデザインしたい場合には、観客に伝えたい情報にあわせて、デザインされる登場人物の身体の特徴をデフォルメする必要があります。

美術書にもデフォルメがある[編集]

なお、美術用の、19世紀や20世紀始めごろのアメリカやヨーロッパの古い美術理論を解説した書籍のなかにも、デフォルメをしているものが多くあります。

たとえば、人間の頭身が、8頭身くらいに描かれる美術書がありますが、現実の人間の体型とは違います。現実の人間の頭身は、6.5頭身くらいだと言われています。

これら欧米の古い美術書にあるデフォルメは、目や鼻や手や足の書き方だけは写実的なので、一見すると現実の人体どおりに描いていると誤解しがちですが、しかし実際は、当時のアメリカやヨーロッパの美術の流行に合わせて頭身のデフォルメをしていますので、けっして、まちがえて「写実的だ」などと誤解しないようにしましょう。


美術史[編集]

中学校では、日本の平安時代の古典文学『伊勢物語』(いせ ものがたり)を習っていないこともあり、中学美術では鎌倉時代につくられた『伊勢物語絵巻』(いせものがたりえまき)という絵巻物も習ってないです。

しかし、伊勢物語も当然、絵巻物にされており、鎌倉時代に『伊勢物語絵巻』がつくられました。(※ 近年では高校美術1の検定教科書に『伊勢物語絵巻』について書いてある。)

伊勢物語とは、在原業平(ありわらのなりひら)が東下り(あずまくだり)したりする文学です。(※ くわしくはwikibooks『高等学校国語総合/伊勢物語』)

※ 著作権の都合で、wikiでの画像の紹介が困難なので、代わりに外部リンク 伊勢物語絵巻 (リンク先は 東京国立博物館)