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高等学校美術I/写真と美術

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』


絵を描く

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昔から絵画の勉強、練習には、過去の名画を模写することが良く行われてきました。現代では写真もありますが、写実的な絵は必ずしも写真どおりに描かれているとは限りません。

なぜなら、私たち人間の脳が認識する映像は、じつは目から見た映像情報そのままではない可能性が高い、ということが心理学などの実験などで知られています。心理学の用語ですが、「網膜像」と「知覚像」(perceptual image)という用語があります。我々の眼に映った状態の視界の映像が、「網膜像」です。興味のある場合、これらの用語を調べれば、調査できます。

とはいえ、高校生レベルの基礎的な学習としては、基本は現実の光景、事物を見て絵を描く練習をするのが入門的でしょう。現実を知った上でのアレンジです。

美術史的には、たとえば近代の画家ルノワールと画家セザンヌが、フランスの同じ景色の山を描いた絵の違いが、近代絵画でのそのような印象と写実のちがいの例としては有名です。

セザンヌ「サント・ヴィクトワール山」
奥の山を大きく描いている。
ルノワール「サント・ヴィクトワール山」
奥の山を小さく描いている。


セザンヌ的な手法、ルノワール的な手法、どちらを使うか目指すか、目的によって使い分けましょう。

古代の美術などでも、わかりやすさを目的に、あえて、写実画からは少し崩した表現をしていると考えられる作品も多々あります[1]。古代ギリシアの彫刻も、一見すると写実的ですが、彫刻男性ならば実際の古代ギリシア人の体格よりも たくましい体の彫刻である場合が多いのが普通です[2]


なお、美術史的には、ピカソがキュビズムを生み出す前からもう、目の前の現実にとらわれないで1枚の絵のなかに色々な角度からの視点を問い入れる表現をすることがセザンヌによって行われていた事の実例でもあります[3][4][5][6]


高校美術とはあまり直接の関係ないですが、心理学の用語で、「大きさの恒常性」(size constancy)という用語があります。たとえば実験するなら、顔の前で腕を伸ばした時を基準にして、腕を曲げて手のひらを(延ばし他ときの基準位置から)半分の位置にすれば、網膜に映る映像での手の幅はおおよそ2倍になるはずですが、しかし人間の心理的な感覚では多少は大きく写っていると感じるものの、2倍ほどは大きく感じられず、結果としてほぼ一定に見えるという心理学の法則が知られています[7]。(美大では研究などではこういう話もしますが。)


このような写実と印象の考えの違いとして、セザンヌあたりの時代にすでに、写真の技術が普及していた背景があります[8]。なお、写真の発明は19世紀[9]の前半です。セザンヌよりも前にモネの時代の美術史で、もうそういった写真と印象派の関係についての分析がなされています[10]

セザンヌなど印象派の人は、写真では取れない、ウソを含んだ分かりやすい絵を追求しています。

必ずしもそれだけが「写真」でない表現ではなく、セザンヌとは別の時代ですが、1枚の絵のなかで遠近が違ってるのにピンボケをしない表現を追求した別の画家もいます。



写実画

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ヨハネス・フェルメール『絵画芸術の寓意』(1666〜67年頃)
ウィーン美術史美術館蔵(オーストリア)

美術の世界でいう『写実』とは、「目の前の現実や出来事」といった意味であり[11]、そのため、(貴族や神々といった遠い世界の出来事だけでなく、)労働者や農民の姿を作品に描くことも含みます[12][13]

ですが、少なくとも日本では、写真のような絵を「写実的」ということもあります。美術史の専門書などでも、見たままのような絵のことを「写実的」と言っている場合もあります[14]

古代ギリシアの美術が割と見たまんまの感じに近いので、古代ギリシア美術のような見たままの感じに近い作風を「自然主義」ということもありますが、これも古代ギリシア美術などの文脈に依存します[15]。実際には古代ギリシア美術は、完全にはリアルではなく、たとえば男性の像の彫刻は現実よりも逞しく(たくましく)表現されていたりします。

とりあえず、高校レベルの基礎トレーニングの段階では、なるべく目に見えたままを描くのが、とりあえずは無難でしょうか。

右のフェルメールの絵ですが、昔の画家も、モデルにポーズをとってもらって、それを見ながら描いていた、という様子がよくわかります。


絵の具よりも色鉛筆のほうが写真っぽく描きやすい

なお、20世紀以降の現代で、写真のように精密な絵を描きたい場合、色鉛筆を使うことになるかもしれません。(絵筆と絵の具だと、細かい部分が描けない。)

ですが、高校美術では、授業の時間数の制限的に、色鉛筆画は無理でしょう。

なお、色鉛筆画のプロですら、写真で撮影してから[16][17]、その写真をもとに描いています。トレーシングペーパーで写真をトレースすることもあります[18][19]

高校では、撮影の設備の確保が難しいなどの事情もあるので、授業では色鉛筆画や、そこまでの写実画は、しないでしょう。

なお、動物を撮影する場合は、決してフラッシュ撮影してはいけません。なので、直前に動物以外のもので試し撮りをしましょう。(撮影機器のよっては、周囲の明るさなどによって自動的にフラッシュをするものもあるので、前日だけの試し撮りしても明るさが変わってるので無駄です。必ず、当日の本番直前にも、被写体以外でも試し撮りをしましょう。)

あるいは、カメラ写真の静止画像ではなくビデオ撮影で動画として撮影してしまうのも手かもしれません。この場合も、試し撮りを直前に、動物以外のもので行いましょう。

知識として制作工程の全体像を知っておけば十分です。

  1. ^ スージー・ホッジ『美術ってなあに? ”なぜ?”から始まるアートの世界』、2017年9月30日 初版発行、河出書房、P21
  2. ^ スージー・ホッジ『美術ってなあに? ”なぜ?”から始まるアートの世界』、2017年9月30日 初版発行、河出書房、P13
  3. ^ スージー・ホッジ『美術ってなあに? ”なぜ?”から始まるアートの世界』、2017年9月30日 初版発行、河出書房、P37
  4. ^ 下濱晶子『10歳からの「美術の歴史」』、株式会社メイツユニバーサルコンテンツ、2020年11月30日 第1版 第1刷発行、P.81
  5. ^ 早坂優子 著『鑑賞のための西洋美術史入門』、視覚デザイン研究所、平成18年(2006年)9月1日 第1刷、P.140、
  6. ^ 山田五郎『知識ゼロからの西洋絵画入門』、幻冬舎、2008年5月25日 第1刷 発行、P.110
  7. ^ [https://psych.or.jp/wp-content/uploads/2018/01/size_perception.pdf 『臨床心理士』「大きさ知覚 人の見方はカメラとは違う」2015/06/17、2022年10月23日に確認.
  8. ^ スージー・ホッジ『美術ってなあに? ”なぜ?”から始まるアートの世界』、2017年9月30日 初版発行、河出書房、P37
  9. ^ 『ジャム・セッション 石橋財団コレクション×柴田敏雄×鈴木理策 写真と絵画−セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策』アーティゾン美術館 東京都、
  10. ^ 山田五郎『知識ゼロからの西洋絵画入門』、幻冬舎、2008年5月25日 第1刷 発行、P.95
  11. ^ 下濱晶子『10歳からの「美術の歴史」』、株式会社メイツユニバーサルコンテンツ、2020年11月30日 第1版 第1刷発行、、P.5
  12. ^ 下濱晶子『10歳からの「美術の歴史」』、株式会社メイツユニバーサルコンテンツ、2020年11月30日 第1版 第1刷発行、、P.5
  13. ^ 山田五郎『知識ゼロからの西洋絵画入門』、幻冬舎、2008年5月25日 第1刷 発行、P.67
  14. ^ たとえば、 早坂優子 著『鑑賞のための西洋美術史入門』、視覚デザイン研究所、平成18年(2006年)9月1日 第1刷、P15、
  15. ^ 早坂優子 著『鑑賞のための西洋美術史入門』、視覚デザイン研究所、平成18年(2006年)9月1日 第1刷、P15、
  16. ^ 三上詩絵 著『写真みたいな絵が描ける色鉛筆画』、日本文芸社、2019年9月20日 第1刷 発行、P26
  17. ^ 三上詩絵 著『写真みたいな絵が描ける色鉛筆画』、日本文芸社、2019年9月20日 第1刷 発行、P106
  18. ^ 三上詩絵 著『写真みたいな絵が描ける色鉛筆画』、日本文芸社、2019年9月20日 第1刷 発行、P29
  19. ^ 三上詩絵 著『写真みたいな絵が描ける色鉛筆画』、日本文芸社、2019年9月20日 第1刷 発行、P106