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高等学校美術I/進路に関係しそうな話題

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
※ 美大進学しなくても、どういうものかおおよそ、知っておきましょう。
弁護士などにならなくても法科大学院とか司法試験とか、おおよその事を中高のどこかで習うでしょ? それと同じです。


進路に関すること

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※ 一般的に、ある程度の偏差値の高い高校では、美術1か美術2の最後で、美大の入試に向けて教師から概要を話します。(なお、音楽1・音楽2も同様)
画塾・予備校に通い始める時期について

もし美大を目指す場合、高校の美術1~美術3の授業だけでは不足しているので、美大受験対策に対応した画塾や、美術予備校などに通う必要があります。

大体、高校2年の後半からか、遅くとも高校3年から画塾・美術予備校に通い始めるのが、美大受験としては典型例として美術教師から紹介されるかもしれません。

たとえば、雑誌『芸術新潮』の2022年くらいの号で[1]、日本画家の千住博が、美大志望の高校生に向けて、美大を目指すなら高校3年から美術予備校に通うのでも大丈夫と若者に説明しています(高校2年までは高校の期末テスト対策とかをしっかり勉強しろと千住は若者に教育している)。裏を返すと、高校3年になったら美術予備校に通い始めると有利でしょう。

小学生からの質問で、千住は下記のように答えています。

『早くから美術の受験予備校に行くことはお勧めしません。受験生たちは緊張感や疲労感から絵が嫌いになってしまう人が多いからです。高校3年生になった時に、もう一度考えて、どうしても絵を職業にしたいとまだ思っていたら、それが美術の受験予備校に活き始める一番いい時です。』

※ 以上、千住の回答の引用[2]


ほか、千住は下記のように、絵以外のことも勉強しないと、何を描けばいいのか分からなくなるので、絵以外の勉強もするように述べています。下記に回答を引用しますが、ただし、下記の回答は小学生(義務教育中)に当てた回答なので、読者の高校生(もはや義務教育ではない)は高校用に自分でアレンジして解釈してください。

『画家やデザイナーはいかに色々なことを学んでいるかが勝負です。まずは絵以外のさまざまな勉強をしてください。そうでないと、何を描いたらいいかすぐにわからなくなります。それに絵の好きな人は、勉強しないでも自然に絵のことは吸収しているものです。』

※ 以上、千住の回答の引用[3]

ただし、書籍『絵はすぐには上手くならない』によると、実際は多くの人が浪人して美大にようやく合格するのが2010年代でも実情のようです[4]


日本ではなくアメリカに目を移してみると、2006年の教育学の論文で、アメリカの大学入学共通試験(SAT)というペーパーテストの数学の成績の良い人ほど、芸術でも実勢をあげている人が多いという統計が知られています。David Lubinski and Camilla Persson Benbow『Study of Mathematically Precocious Youth After 35 Years』,2006 Association for Psychological Science,

SATの難易度は、ちょうど日本の高校2年生くらいの教科書レベルでしかも数学なのに4択問題とかですので(なので、日本の中堅の公立高校の2年生の中間期末試験よりも、米国SATは簡単です)、上記のアメリカ教育学の論文は、ちょうど日本の千住の言っている教育論と似たような結果になります。

なお、日本では高校の理系コースで3年生では三角関数とかの微分積分を習いますが、アメリカでは基本的に大学で三角関数などの微分積分を習います(ただしアメリカの私立高校などでは、先取り学習として微分積分を習う場合もある)。高校3年の「世界史探求」とか「物理」とか、ああいうのも、アメリカでは大学以降です(世界史B時代ですが、スタンフォード大学の歴史学教授が世界各国の高校課程の歴史教科書を調べて、「日本の高校世界史(山川出版社の『詳説世界史B』)の教科書は、アメリカでは大学レベル」と評しています)。SATは2教科のテストで、英語(米国人にとっての国語)と数学だけのテストです。

なので、上記の論文では、数学のテストの成績と、大卒の芸術家らの業績との相関を見ているわけです。


もっとも、お金持ちほどテストの点も良ければ芸術教育にもお金を掛けられるので、必ずしもペーパーテストが芸術に直接に良い影響を与えるという因果関係があるかどうかは知りませんが、しかし少なくとも相関関係はあるというのが統計的事実です。(「疑似相関」でも、相関関係はあります。疑似相関で存在しないのは、相関関係ではなく因果関係です。)

自由の国アメリカでも、大学入学試験SATのペーパーテストに合格できないと美大にも音大にも進学できません。アメリカでSATに合格せずに行ける学校は、決して大学ではありません。

なお、フランスには「バカロレア」という大学入学資格試験があります。ドイツにも「アビトゥア」という大学入学資格試験があります。なので、「おフランス」妄想で現実逃避しないようにしましょう。なお、フランスのチップ大学軍はパリ大学ではなく、グランゼコールという大学(ユニベルシテ)とは別種の学校群です。フランスの大学というのは、日本でいう都道府県の公立名門高校のような重みの大学ですので、勘違いしないように。


そもそもフランスの近代以降の学制は、ナポレオン時代の富国強兵のための教育改革が元になっています。フランス革命によって封建制を破壊したフランスが、周辺のまだ封建諸国だったドイツやイタリアなどと対立して戦争をすることになりました。その戦争で、フランス軍は強かったので、なので周辺のドイツやイタリアやイギリスなどがあわててフランスを真似て、教育改革をしたのです。

日本も江戸時代、アヘン戦争でとなりの清(シン)国がイギリスに敗退して殖民地にさせられたのを見て、あわてて大政奉還や明治維新のような近代化をしたわけです。

明治の教育改革もその一環であり、日本の教育は富国強兵のために西洋式の科学教育および英語教育など外国語教育なども取り入れる必要があり、その派生として芸術教育も私学など金のある民間の学校を中心に西洋式の芸術教育が取り入れられたのです。

第二次世界大戦後の兵器でも、かつてのミラージュ戦闘機(なお令和の現代はラファール戦闘機)とかエグゾゼ・ミサイルとかを生産しているフランス国に、なんか変な空想的平和主義みたいな幻想を抱かないようにしましょう(日本には、令和のいまだにそういう勘違いをしている大人も多い)。なお、ドイツ国はレオパルド戦車や、ユーロファイター戦闘機(イギリス、ドイツ、イタリア、スペインの共同開発)、潜水艦などの技術を有しています。

英単語集を読んでたら、ちょうど「空想」と「幻想」の違いを説明していました。

鉄緑会の英単語集で[5]

人は「現実」を直視するのを恐れ、しばしば「空想」(fantasy,fancy)の世界に逃避します。「想像」(imagination)の世界は無限に広がりますが、それが現実とかけ離れると「幻想・錯覚」(illusion)となってしまうでしょう。

「想像」は、用法・用量を守って正しく使いましょう。

外国の小中高の芸術教育の投入時間は貧しい

余談ですが、フランスの小中学校には、ほとんど音楽の授業がありません[6][7]。なので、ネット上で、「フランスの小中高の芸術教育がすごい」とか海外かぶれを言ってる人は、インチキ人間です。なお、フランスの学校では、体育の授業もほとんどありません[8]

よくインチキ評論家が、「日本の小中高の教育のダメなところは、受験勉強ばかりしていて、芸術教育とかスポーツ教育をろくにしていない」とか大ウソをこきますが、実態は逆です。フランスのように海外のほうが、芸術教育とかスポーツ教育とかロクにしていなかったりもします。

あるいは国によっては外国の小中高では、授業は体育や芸術があっても、部活動を学校側が用意していなくて、民間のサービス(地域のスポーツクラブ)を使わざるを得ないような外国もあります。

たとえばドイツやイタリアの学校には基本、部活がありません[9][10]


なお、イギリスには部活のような放課後活動があります[11][12]。なので、別に学校での部活が教育的に非効率とか見られているわけでもありません。

まあ、常識的に考えて、小中高の校舎にスポーツ設備とか音楽室とか美術室とかあるのですから、それを活用したほうが効率的でしょう。


なのにネット上には、インチキ人間が、イギリスに部活がある事を知らずに、知ったかぶりで「部活なんて非効率だから、これからの日本の部活は改革としてヨーロッパみたいに地域のクラブに移行すべきだ」とかタワゴトを言ったりもしますが、イギリスに喧嘩(けんか)を売ってることに気づかないそのインチキ人間こそが社会的にお荷物で非効率と言えるでしょう。今時パソコンのネット検索で簡単に調べられる外国の部活のありようすらも調べられない点も、社会のお荷物なので非効率な人間でしょう。

また、中国や韓国では、運動部はひとにぎりのスポーツエリートしか参加していません[13]

意外かもしれませんが、日本の小中高は、割と文武両道なのです。小中高での国数英理社と言った基本的な5教科と、スポーツや芸術教育などとの両立が、日本は比較的に高い程度で出来ているのです。

アメリカとか新しもの好きの国なので、国によっては小中高の芸術教育・スポーツ教育の内容が新しいかもしれませんが、しかし外国は欧米先進国でも必ずしも学校での芸術・スポーツの量が充実しているわけではないのです。

さて、読者の高校の話に戻ります。読者の地元にある近場で信頼できる美術予備校など、もし美大受験を目指すなら、美術教師から(できれば在学中に)教えてもらうと良いでしょう。


なお、美大卒の学歴が必要ないアニメ産業などに就職するつもりでも、アニメーターには最低限、中学卒業ていどの基礎学力が必要です。なぜなら、脚本や絵コンテなどの設計図が読めないと仕事にならないからです[14]。文系科目はもちろん、理系科目も、たとえば背景引きのスピードの理解や、動きの軌道の理解のためには、初歩的な算数・数学や物理の理解も必要です[15]

上記の絵描き指導者たちの意見を合わせるなら、高校生は、事情がよく分からなければ、絵と両立できる範囲で、ふつうに高校の勉強もしていれば大丈夫だろうと思います。

要するに、勝手に「この科目は使わないから勉強しなくていいや」みたいなことは考えないようにして、ふつうに勉強しましょう。小中高のカリキュラムの前提になっている文科省の指導要領というのは、日本の偉い文科官僚や大学教授などの学者さんたち専門家が知恵を集めて作り上げた教育カリキュラムなので、少なくとも悪気はないわけですので、なるべく学校教育は(無批判で妄信してはいけないが)人生の参考にしたほうが得です。


美大に進学すべきかどうか

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大企業などのデザイン部門は、美大などを卒業していないと就職が困難かもしれません。いわゆる「足切り」(あしきり)があります。いわゆる「学歴フィルター」として、美大卒または、かなりの大卒を要求しているかもしれません。

よほど特別な業績が無い限り(たとえば、少なくとも都道府県以上の規模の美術コンテストで大賞や上位の賞を取るとか)、高卒・専門学校卒では書類だけで就職が難しいかもしれません。


デザイナー志望など、高卒だと新卒採用枠への応募じたいが不可能という企業もあり、専門学校でもいいので進学しないと応募じたいが不可能という企業も多々あります。実際にゲーム会社などのデザイナー採用でも、そういう会社があります。

なお、俳優・映画業界でも役者などで、高卒だとオーディションの応募じたいが不可能という足切りをしている業界は多々ありました(現代はどうか知りません)。もし高卒を認めると、応募者が殺到して審査しきれないので、なので専門学校でもいいので足切りをするのです。もちろん、その分野に近い専門学校の必要があるしょう。つまり、調理師の専門学校とか看護の専門学校とかでは、デザイナー志望や役者志望に応募するのは、なかなか難しいと思います(志望先にも寄ると思います)。


なので、家庭に進学できるまでの資金力のない人は、特に若さの必要とする役者などの仕事には、ハナからその仕事につけない確率が高まります。ジャンルにも寄りますが、芸術・芸能にはカネが掛かります。「貧乏でも出来る」みたいな事を言っている人は、業界にも寄りますが、多くの業界ではインチキ人間でしょう。

多くの若者は専門学校に進学したところで役者になれませんが、しかしそもそもオーディションなどの応募じたいが専門学校に行かないと足切りされて制度的に不可能なので、その分野の若者はしかたなく専門学校に行くのです。その専門学校では、講師が、加齢などで一線をしりぞいた役者が講師をすることで、役者が二毛作(にもうさく)と言いますかそういう方法で儲けている、というビジネス・モデルです。

「芸術は爆発だ」の格言で有名な岡本太郎も、実家が金持ちです。戦前の時点でフランス留学できています。子供のころはw:慶應幼稚舎[16]w:慶應義塾普通部にも通っています。

音楽の世界も、フォークソングの吉田拓郎はなんか凄い金持ちの家の子です。コミックバンドのドリフターズ(志村けんとか加藤茶とかのあのグループ)の仲本工事(芸人名)も大学の学歴が学習院大学です。(ドリフはお笑いグループでもありますが、音楽グループでもあります。彼らの自認でもそうです[17]。)

「つっぱりハイスクールロックンロール」のロックバンドの横浜銀蠅は、神奈川の県立高校で東大続出の名門、翠嵐高校で、ぜったいツッパリとかいない学校。

バイクを窃盗して、校舎の窓ガラスを壊して回る歌の尾崎豊さんは青山学院の付属校。

ゲーム関係、コンピュータ関係でも、山下章は開成から一橋、古代祐三は音楽家の家に生まれた都内のガチの坊っちゃんです。要はそういう文化エリートが飛びつくだけの価値が80年代ゲーム文化にはあったわけだが、それをオタクバッシングで全部潰したのがマスコミです。

そもそも芸術・芸能のアーティストは基本的に東京出身者(もしくは神奈川)が多いのです。

よく「大卒後の若いころ、親の仕送りを受けずに作品をつくった」とかアーティストは自己を喧伝(けんでん)して言ったりしますが、そもそも貧乏人とは親や弟・妹に仕送りをしないといけない側です。何を勘違いしているのか。


世間では、生まれが特に金持ちだ思われてないクリエイターも、調べてみると意外と高学歴だったり、東京出身だったりします。

ゲーム業界のポケモン(ポケットモンスター)の田尻智は東京出身でしかも国立(こくりつ)の高専出身です(高校とは別に高専という5年生の短大相当の学校があります)。マリオ(スーパーマリオブラザーズ)の宮本茂は公立大学の金沢美術工芸大学の出身です。

ドラゴンクエストの堀井雄二は早稲田大学卒です。ほか、ドラクエ(ドラゴンクエスト)のプログラマーの一人の内藤寛は高卒ですが、東京電機大学付属高校の出身です。

アニメ業界なら、『君の名は』の新海誠は長野県出身ですが、中央大学の文学部に進学できる家庭ですし、彼の親は土建業者の社長です。親は「稼業を継がせるつもりだった」と言うが[18]、一般人には継ぐ稼業なんてありません。

ほか、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の監督の庵野英明やキャラクターデザインの貞本義行は大卒で、私立の美大卒です。

ほか、ジブリの宮崎駿は学習院大卒で、親が兵器工場の社長で航空機を作っていた会社の社長の息子。ジブリの高畑勲は東大の仏文科です。


たとえ地方出身であっても、大学に進学できる程度の経済力は持っています。たとえ昭和は学費が今より安かったとしても、「貧乏人は浪人できない」、「金持ちはバイトしなくていい」、「弟の学費とか、稼がなくていい」とか、そういう背景があります。

何やら階級社会っぽいですが、これでも米英とくらべたらマシです。米英はもっと学費が高かったりするのです。米英はざっと、日本の2~3倍くらいの学費・教育費です。

今は減りましたが、マスコミでは、彼らが美大・音大を出てないだけで、ネット普及前の一昔前の広告業界などには、この手のクリエイターの経歴を隠して、あたかも彼らは何やら庶民階級に人々みたいに喧伝する人がいましたので、ダマされないようにしてください。せいぜい、彼らクリエイターは小中学が地元の公立だったくらいです。親が社長ではなくサラリーマンと言うだけで、たとえ仮に大企業や中堅企業のサラリーマンの出世筋とか、あるいは地元では給料の良い企業のサラリーマンであっても、庶民派みたいにメディアの周囲の人が持ち上げますが、まったく庶民でなかったりします。

作家に限らないですが、親が市役所の事務職とかの終身雇用であっても「親が低収入」とか言って庶民派ぶる自称・庶民家庭とか、偽善きわまれり。自衛隊とかならともかくさあ。


さて、絵の業界の話題に戻ります。もし絵の仕事に就職できたとしても終身雇用でない場合もあります。たとえば、数年ごとの契約期間中だけの契約かもしれません。

一方、漫画家やアニメーターなどは実力主義でしょう。しかし、ここでいう「実力」とはマンガそのもの、あるいはアニメの原画(げんが)そのものを作る能力なので、それと関係ない水彩画や絵の具がいくら上手くても評価されません。なお、漫画家はお話をつくる人でもあるので、絵だけが上手くでもプロになるのは難しいかもしれません。


ほか、アニメ業界やゲーム業界の絵描き志望者について、初心者はよく、キャラクターデザイナーを志望するという報告が書籍『絵はすぐには上手くならない』でされているのですが、しかしこの書籍『絵はすぐに(※以下略)』でも述べられているのですが、絵描き新人をいきなりキャラクターデザイナーに抜擢することはないのがゲーム業界およびアニメ業界です[19]

アニメ業界外のイラストレーターや3Dモデラーなど十分な絵描き仕事の経験者が場合によってはアニメのキャラクターデザインの仕事をすることはありますが、あるいはゲーム業界人でないアニメ業界のアニメーターがゲームのキャラクターデザインをするような場合もありえますが、しかし全くの絵描き新人のキャラクターデザインが採用されることは無いような業界がゲーム業界・アニメ業界です[20]

なお、ゲームイラストレーターもアニメーターも、芸術家ではありません。クレジットが出るので芸術家のようなものと勘違いする人がときどきいるのですが、しかし芸術家とは違い、チームで仕事をする能力が求められます[21]。自己表現をしたいなら、個人や同人サークルで作品を作るとか、あるいは作品展があれば出品するなどの別の道を探しましょう[22]

このため、アニメーターを目指す人がイラスト専門学校を目指すと、やや授業内容が目標とは遠回りになる可能性もあります[23]。イラストレーターとは違ってアニメーターは個性を押し出す仕事ではなく[24]、また、他人のデザインしたキャラクターをさまざまな角度[25]とポーズで描けるようにする必要があるからです。

もうひとつ、絵を動かすことが好きでないと[26]、アニメ業界への就職はつらいかもしれません。アニメ作品を見るのが好きとは違います。


個別の職業についてはこれ以上は立ち入りませんが、このように仕事では職業によって要求される能力が違います。


マンガとアニメとで、じつは絵の描き方はけっこう違っています。マンガの絵の描き方は、比較的に自由です。一方、アニメの絵の描き方は、比較的に不自由です。アニメは集団作業で制作する理由と、動画として破綻のない動きを書かないといけない理由などにより、絵の描き方に制限があるのです。

いっぽう、マンガの絵の自由/不自由については、ゼロ年代(2000~2010年あたり)ごろか、中学美術あたりの地域版(東北の某地方)の資料集に、マンガ『ジョジョの奇妙な冒険』の作者インタビューが掲載されたことがあり、そのテーマに作者が答えたことがあります。ジョジョ作者の発言によると、マンガにおける絵の描き方は、比較的に自由のようです。ジョジョ作者が言うには

「絵画というのは、何をどのように描いても(えがいても)自由なものであるとは思います」

とのことです。


ほか、美術教科書には掲載されてない情報ですが、ネットなどで多くの漫画家の発言を見ると、日本の多くの漫画家たちは、マンガの絵の描き方を比較的に自由であると考えています。

しかし、商業アニメの絵の描き方については上述のように、マンガとは違って自由ではありません。ここでいう「商業アニメ」とは、美術科目以外も含めて検定教科書で紹介されるような作品でいえば、たとえば『君の名は』(新海アニメのほう)とかエヴァンゲリオンとかジブリ作品とかドラゴンボール(アニメ版)とか名探偵コナンとか(以下略。ほか多数)、・・・なども含みます。これらのアニメ作品の絵の描き方は、比較的に自由ではありません。

普段のテレビ番組や普通の映画館で見れない芸術アニメとは、商業アニメは絵の描き方が違います。

漫画家もアニメーターも、それぞれの職業の絵の描き方に、誇り(ほこり)を持っています。

※ 編集者への注意: 1990年代の過去、今よりも美大卒がアニメーター就職・漫画家就職などに有利だと思われていた時代がありました(アニメ評論家の岡田斗司夫(元・東大講師でもある)の書籍などに証拠あり)。岡田の当時の予想とは、現実は違うという意味です。
※ もっと言うと、どのジャンルでも通用する「基礎画力」なんて、もしかしたら存在しないかもしれません。なので、よく分からないうちは、あまり絵のジャンルを絞らずに、いろんなジャンルを練習しておくのが安全でしょう。

進路相談は高校3年にありますが、しかし他の子が小学生から練習を始めているジャンルで、いきなり自分だけが高校3年になってから始めても追いつくのは無理ですので、目指している絵の職業がある場合については、図書館(学校図書館はもちろん地元の図書館)やネットや書店などで軽くでいいので、就職までの傾向を調べてください。


というか、村上龍『13歳のハローワーク』(2010年ごろ)という子供むけの職業紹介の解説書があったのですが、きっと今時の中高では中2あたりの段階で将来の進路が実際にどうなっているか調べさせられると思います。もし、まだ高校になってもそういう課題を全くこなしてないなら、図書館などに「〇〇に(〇〇は職業名)なるには」的なタイトルで「ぺりかん社」(出版社名)から出ている本がありますが、他社からもそういう職業ガイド本が出ていると思いますが、ともかく地域の図書館のひとつに色々な仕事の実態を中高生むけに紹介した本が仕事別にあるはずなのが今時なので(もし市民図書館にも学校図書館にもどちらにも無ければ、少なくとも片方に購入リクエストして購入させてください。教育的に必要なので、後輩などのためにも図書館・図書室に入れるべき書籍です)、ともかく図書館なども活用して、イラストレーターだの漫画家だのを目指す人は、その仕事の実態がどうなっているかを新しめの本で確認してください。

ネットの情報は、プロ作家が発信している就職情報はその作家の専門分野ならそこそこ信用できますが(たとえば漫画家の情報発信なら、マンガ家への就職についての情報発信なら信頼性が高い)、決して素人や匿名(とくめい)掲示板だのの情報を真に受けてはいけません。

絵の自由とストーリーの自由とを混同しないように

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上記のマンガの「絵」が比較的に「自由」とは、あくまで絵だけの自由です。

商業マンガにおいて物語、ストーリー(物語 story)については、必ずしも自由ではありません(ただしアニメと比べたら、比較的に自由かもしれませんが)。具体的には「本屋やコンビニ(どのコンビニにもマンガ売り場がある)のようにマンガを流通させる市場に対する批判は原則、商業マンガでは出来ない」と、よく漫画家やマンガ評論家などに言われています。

なお、テレビの実写ドラマでもスポンサー企業のイメージを低下させるようなストーリーは制作が困難だと言われています。たとえばスポンサーが電話会社(NTTなど)や電話機をつくってる家電会社などの場合、推理サスペンス番組では、犯行の凶器に固定電話のケーブルを使うのは(つまり、電話ケーブルで被害者を絞殺(こうさつ)するような犯行を放映するのは)困難だと言われています。

ほか、商業マンガの多くは少なくとも年単位の連載作品なので、お話を自分で考えるにしろ他人の考えた話をマンガ絵にする仕事にしろ、その年単位の期間のあいだ作品を作りつづけられない人は不向きです。「気の向いた数日にだけマンガを描く(もしくはその数日だけ「アニメを作る」)」というのは、商業マンガでも商業アニメでも困難な仕事でしょう。

※ 漫画やアニメに限らず、イラストレーターや画家などで生計を立てようとする場合でも、半年以上の年単位で作品づくりに専念する必要があります。土日だけに作品作りをするようなペースだと、背景なしのキャラ絵1枚で5000円~2万円くらいの相場なので、土日だけの製作だとよくて絵による収入は年収で十数万円のていどなので、生計を立てられません。(もし地方から上京して借家アパートを借りた場合、家賃だけでも最低でも月4万円以上です。よって家賃だけで年間48万円以上になるので、土日の製作だけでは食っていけません。)
なかば趣味で土日だけに作品づくりしてコヅカイ稼ぎや作品発表をしているアマチュア作家もいますが、その人には月曜~金曜には絵とは無関係の別の仕事があり、別の仕事でメインの収入を得ています。


美術という科目の都合上、絵の話に片寄りますが、じつは商業マンガでは物語をつくる仕事も必要であり重要です。

教科書に載るようなマンガは基本的にほぼすべてが商業マンガです。鉄腕アトムもドラゴンボールもドラエモンも、すべて商業マンガです。

べつに資本主義を賛美するような物語でなくても、そのマンガ作品を掲載する雑誌や単行本に値段をつけて本屋などを通して販売しており、少なくとも作家たちと編集スタッフの食い扶持としての商売としてマンガを描いていることに変わりないので、商業マンガです。

読者には当然のことかもしれません。「お前(wiki編集者)なんかに言われなくても分かるわい」とか「物語が重要って、常識だろ」とか読者の絵描き高校生は思うかもしれませんが、ですが、たとえアナタ個人はマンガ業界などの事情を分かっていたとしても、意外と世間の子供は分かってない可能性がありますし、大人でも分かっていない人はチラホラいます。現にネット上では、マンガ家やアニメーターの絵を、イラストレーターの絵と比較して、(マンガ家やアニメーターの絵を)「ヘタだ」とか批判している、業界の違いによる絵柄の違いすらもよく分かってない大人も多くいます。口先では「マンガでは物語が重要」とか言いながら、実際には絵柄ばかり見るような人とかチラホラいます。世間の人はべつにプロ編集者でも何でもないので、そういう見方しかできない人がいるのも仕方ありません。


で、基本的に商業マンガの多くでは物語性も必要です。そもそもマンガの特徴が、絵だけでなく文字もつかって物語を表現できる点です。このため商業マンガ家になろうとする場合、もし原作マンガを掲載するマンガ出版社への原稿持ち込みでは、読者ウケの良い物語を考えられないマンガ家志望者は掲載・連載をもらうのが難しくなるでしょう。そもそも、マンガ原稿の持ち込みの時点で、物語を考えられない人はマンガ1話ぶん(16ページや20ページ)の物語を考えられない時点で持ち込み原稿が完成しないので、持ち込みすら不可能になるかと思います(したがって、マンガ原作者としてはデビューできなくなってしまう)。

雑誌と「連載」と取材チーム
※ 他にこの内容のコラムを書く場所が見つからないので、ここに書きます。

ニュース系の活字の雑誌の「連載」などだと、一般的に、一つの連載でも実は2チームや3チームがあったりして交代で連載を作っていたりします。(ただし、マンガ産業はどうか知りません。)

ニュース系の雑誌だと、まるで戦国大名の織田信長の「鉄砲三段撃ち」みたいに、代わりばんこで、連載を作っていたりする場合もあります。

仮にAチーム、Bチーム、Cチームとすれば、来月号ではAチームの記事が掲載の場合は、Aチームは記事の仕上げをしていて、ほかのチームは1か月後や2か月後に掲載される記事の取材をしている最中、・・・的な感じです。

その連載にある著者さんの名前は、じつは監修者の名前にすぎず、実際は下働きで調査をしている別の人がいる、的な場合もあったりします。(マンガはどうか知りません。ニュース系の雑誌の話をしています。)

ただし、イラストレーターなどは、こういう交代が難しいでしょう(絵柄が変わってしまうので)。だとすると、かなりのハイペースで連載をしている事になります。

なお、アニメ産業などだと、「作画監督」が交代で、代わりばんこになっています。


物語ではなく漫画の絵をえがく事に専念する「アシスタント」という仕事はありますが、基本的に原作者の下働きです。アシスタントの側が部下です。漫画家の側が雇い主です。このため「下働きはイヤだ」とか「自分の作品をつくることを優先したい」みたいな発想の人はアシスタント職になれないので、よほどマンガ絵が上手くて読者の需要にマッチしてない限りは、自分で読者ウケのいい物語を作れない限り、目標の漫画家と言う職業にはつけない可能性が高まるでしょう。

「物語を考えるのが苦手」ならまだしも、そもそも「物語を考えるのがキライ」とか「資本主義に毒された読者ウケの良い物語なんか考えたくない」とか考える若者・学生・無職などは、商業マンガ家以外の進路も考えたほうが安全かもしれません。どんなにマイナーなマンガ雑誌への持ち込みでも、最低限、編集を食わせるだけの売上をねらえるような作品の物語を作れそうにない人、そもそも編集を食わせる作品を作る気のない人は、マンガ雑誌でのデビューは困難です。自費出版などしか道が残されていません。電子出版などで自費出版の価格を抑えられる可能性のあるIT社会の現代ですが、しかし自費出版であることに変わりはないです。


「なりたいか」ではなく、プロ目標で創作を「やりつづけてきたか」「今後もやりつづけられそうか」

次に述べることは、もう1990年代後半あたりから、たとえばアニメ評論家で元アニメ会社社長の岡田斗司夫(としお)などによって文芸情報雑誌『ダヴィンチ』掲載記事で言われてた事なのですが、岡田の知人のマンガ編集者からの情報とのことだったか、マンガ家志望者の少なくない人が、持ち込み原稿がそもそも完成していない(ページ数不足とか、ペン入れしてないとか、用紙が違うとか)とか、そういう段階らしいです。なので岡田は、「(漫画家などに)なりたい人はなれない。」(すでに原稿を書くなど作品づくりを実際に)やってる人でないとなれないと(決して一言も「やればプロになれる」とは言ってません)、文芸情報雑誌『ダヴィンチ』でもう1990年代後半に述べています。それでも、未完成でもとりあえず作画に取り掛かっていればマシなほうで、そもそも作り始めていない自称・志望者すらも少なからずいるらしいです。2010年代以降のYouTubeでも岡田は似たような事を言ってますが、決して2010年代に言い始めたわけではなく、90年代から言われている事です。そして、文芸界隈でも受け入れられている事です。マンガに限らず小説出版社の界隈でも同様でしょう。

2010年以降の現代ですら、SNSなどでマンガ家や編集者などからも、似たような未完成原稿の投稿作・持ち込み作の情報が上がっています。

で、1990年代のダヴィンチにこういう話がもう書かれているので、そういう雑誌を読んでる90年代後半当時の高校教師が、進路指導などでこういう情報を教えるわけです。

別に「漫画家になるためにマンガを書け」とは言ってません。「(アナログにしろデジタルにしろ)ペン入れするレベルのマンガすらも書き始めても居ないのに、『マンガ家になりたい』とか読迷い事をほざくな」と進路指導などの前に教室全体に私立の進学校などでは言われるわけです(公立ではどうか知りません)。


昭和の戦後のマンガ追放運動みたいな時代ならともかく(手塚治虫すら運動家に本を焼かれた時代です)、1990年代以降のテレビに漫画家やアニメ監督も出ている時代に「家ではマンガを書かせてもらえなかった」と言うのは基本、通用しません(よほどの虐待家庭とかでないかぎり)。まして2020年代、美術教科書などで平成のマンガやアニメが紹介される時代です。

当時の文芸雑誌ダヴィンチでも、今時、マンガを書こうと思えば家で書けるでしょ、的なことは岡田によって指摘されていたと思います。(もしダヴィンチでは言ってなかったとしても、岡田はよく、そういう事を言います。)

マンガ絵やアニメ絵の練習のための下書きなんて市販のノートとかエンピツ・消しゴムとか筆記用具があれば可能です。よほどの極貧家庭でないかぎり、練習できるでしょう。仮にノートが買えなくても、新聞と一緒に来る広告の裏とか、いろいろと手段はあります(今時は新聞を取ってない家も多いかもしれませんが)。


社会人になって25歳とか35歳とかすぎてこういう事をようやく知るのと(もしくは気づかないまま人生を終えるのと)、15歳とか17歳とかで中学高校でこういう事を知るのとで、人生は違ったものになるでしょう。

あ、上記のような事実に知らない・気づかないのは、決して学校が悪いのではなく、あなたの頭が悪いのでしょう。1990年代にもう言われている事だし、他の作家や雑誌編集者なども似たような事をSNSなどでよく言うので、気づかないのは無能です。

上述のようにマンガやアニメ絵の練習のための下書きなんてノートとかあれば可能だし、アナログ原稿のための漫画用ケント紙(マンガ用の原稿用紙)は文房具屋で普通に売っているので、決して(漫画家に)「なりたいか」や「やってみたいか」ではなく、実際に(マンガを描くというのをアナログにしろデジタルにしろ)「やってみたか」「今後もやれそうか」などが問われます。さらに自作を(決してアナタの好みの作風ではなく)プロの商品の品質に今後も近づけるために練習だのをしたいか、すでにプロ品質に近づける努力を始めているか、そして将来的に週刊・週間とか月刊とかのペースで定期的に成果物の納期を要求される仕事環境で「やりつづけたいか」とか「やりつづけられそうか」などが問われています。

マンガ出版社やアニメ会社などは、決してw:キッザニアとかの子供向け職業体験テーマパークのサービスではありませんので、単に体験してみたいだけなら、自分で勝手に4コマ漫画なり何なりを作って知人やネットにでも発表すればいいと思います。


企画は部分的に試作してから出す

マンガ産業以外にも上記の考えを応用するなら、集団制作のコンテンツの会社などで、なにか企画を出すときは、試作をしてから企画を出すべきでしょう。分野によっては試作費用が高くなる場合、せめて身の回りの文房具などで作れる範囲でいいので試作を始めるべきでしょう。

たとえば演劇も多くの映画も、まずは脚本を試作します。

学校の美術だと1人の作業が多いのでこういう考えに至りにくいですが、しかし、学校でも演劇部とか音楽なんかだとこういう考えも必要でしょう。たとえば演劇部なら、部内で「既存のシナリオばかり演劇にしてたらツマラン! そうだ、部で新作を作ろう! 脚本も部で書こう!」とか企画を部に出すなら、その新作の脚本がとりあえず出来てから公演の企画を通しましょう。もし新作脚本が完成してないのに公演の企画まで通されたら、公演のための稽古を他の部員ができずに、大道具も小道具も制作できずに、スケジュールが遅れてしまいます。

脚本が完成しないうちは、次回の公演の作品は、学生演劇なら例年通りに既存のシナリオを公演していればいいのです。


ともかく企画は、簡易な試作が出来るまでは、企画を採用しないで保留するなど、そういう態度が必要かもしれません。

打合せでは一見よさそうに見えるアイデアでも、実際に試作をしてみたら欠点のたくさん見つかるアイデアなんてのもあります。とても簡易な試作でいいので、「じっさいに試作しながら企画の打ち合わせを深めていく」的な態度が必要です。


さて、仮に企画用の試作が完成して提出しても、とりあえずの企画なので、あとから変更されます。

漫画家だって、難度も原稿の試作(ネーム)の没(ボツ)を編集から、くらって、ネームを修正しています。


「漫画家になりたい! でも書きたい作品は決まってない! 私の企画を採用してくれたら作品を考えます!」ではなく、やるべきは「このマンガ作品を書きたい! ・・・(数週間経過) 書けた! この作品でお金を稼げたらいいなあ! そうだ漫画家になろうか!」みたいな思考の順序です。

岡田の文芸評論雑誌『ダヴィンチ』の評論でも、自称・原稿持ち込みで「漫画家になりたい! でも書きたい作品は決まってない! もし、あなたの出版社で私を採用してくれたら、これから内容を考えます!」みたいな人は漫画家になれないと90年代の時点でもう言われてます(マンガ出版社がそもそも完成原稿のない企画は、原則、受け付けません。応募規定として原稿の完成が規定されています)。


ともかく、どの業界でも、企画はあとで変更されますが、とりあえず企画の段階で、とりあえずの絵のような試作が必要です。たとえば、アニメ産業はそうなっています。アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の1995年放映前の93年ごろの企画書では、スポンサー企業などに通す企画書の段階でもう、最終26話までの簡易なシナリオと(番組の次回予告などで使うメッセージの内容)、全部の放映回(全26話)に1枚ずつイメージイラストがあります。

スポンサー企業などに持ち込み作品は、けっして「テレビアニメを作りたい! でも作品のシナリオは決まってない!」ではダメなのです。「このような作品を作ろうとしています! (ここで、絵つき・簡易シナリオつきの企画書をばーん!) この絵のアイデアを実現するには、お金がもっと必要です! 出資してください」でないと、企画がその段階で通らなくなるでしょう。

つまり、企画と言っても2段階あって、そもそも試作前の「どのような作品をこれから試作するか?」という制作チーム内での前半の企画と、試作ができたらスポンサー企業などに売り込み「このような作品を商業化したい! 出資してください!」みたいな企画の後半部の2段階がありそうです。

ほとんどの美大作は後世に残らない

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大学評論家で、山内太地(やまうち たいち)と言う人がいて、この人は日本中の大学すべてを訪問したことのある人です。美大も訪問しています。彼は、(おそらく)東京に住んでいたとき、美大の卒展もよく見学していました[27]

そして、おそらく十数年後(具体的な時期は不明)、彼・山内が気づいたのは、彼が卒展で見て楽しんだ数々の作品は、残念ながら美術界に影響を与えていない事です。

もしかしたら、外部の人からは分からないような美術業界内部で活躍している作家もいるのかもしれませんが、しかし少なくとも、作家の芸術的作品が直接的に世間に好評を博すようにはなっていないというのが事実です。そのくらい、すごく「狭き門」というか、抽象芸術みたいなので商業的に成功するのは、倍率の高い世界です。

美大に入学するのに浪人を何年しても、それですら、その卒業生の作品が全然、後世に伝わらないのです。

美大入試の学力試験に向けて

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なお、美大に進学するにしても、最低でも高校生1年生の期末テストを攻略できる程度の5教科の学力は必要でしょう。決して5教科が得意でなくてもいいので、少なくとも高校2年の終わりくらいまでは、学校の期末試験レベルで良いので5教科などもシッカリと真面目に勉強しておいて、そして絵の練習と両立できる範囲でいいので、せめて1年生の内容くらいは5教科を復習などで理解しておくと良いかもしれません。2年生になってからの復習でも良いので1年の内容を理解しておいてください(けっして丸暗記で切り抜けようとするのではなく)。

入試に小論文のある美大もあります。学力が低すぎると、小論文の質が下がりかねません。

美大の小論文では、べつに学力アピールするための小論文を書く必要はありませんが(そもそも小論文のない入試形態の美大もある)、まあ常識的に高校の期末試験レベルは楽しく理解して勉強しておいてください。


美大などに進学する場合でも、美大には美術教師になる教員免許のための課程もありますので、もし学力が低すぎると美術教師にはなれません。5教科の学力が低すぎると、たとえば教員採用試験に不合格になるかもしれません。

仮に入試で小論文の無い美大でも、大学4年での卒業論文の存在を忘れてはいけません。べつに高校の時点で大学レベルの卒業論文が書ける必要は無いですが、そういう能力も将来的に必要になるという事は念頭においてください。

なお、べつに勉強が得意でなくてもマジメに高校の勉強をしていれば、あとは美大の授業を普通にきちんと受けていれば、どの美大生も卒業論文を書けるレベルになるはずでしょうから、過度な心配はしなくて大丈夫です。(博士論文などとは違い、学部の卒業論文なんて、あまり大したものではありません。)


ともかく、こういう美大の事情もありますので、美大の入試の受験科目でも、美術の実技以外にも、英語(多くの私立美大の入試でほぼ英語が必須)および、国語の学力試験もあります。

大学によっては実技試験だけで入学できる入試形態をもつ美大もあるかもしれませんが、しかし大学である以上は、大学入学後に最低でも高校を卒業できる程度の学力が建前上は要求されます。


高校の1~2年生でいきなり美大の学科試験に特化するよりも、まずはふつうに5教科および副教科(保健体育や情報科目や家庭科など)を期末試験レベルで良いので勉強しましょう。

受験の細かなことは、それぞれの高校3年あたりの進路相談や塾・予備校で聞いてください。

ジャンルと用語

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上記の、職業・進路に関することでもありますが、業界によって用語の意味が違います。

たとえば、同じ「デザイン」という言葉でも、業界によって意味がまったく違います。

「デッサン」、「デザイン」、「スケッチ」、「パース」、「デザイナー」等、、・・・何でもいいですが、単語の発音・表記だけは流用していますが、しかし業界によって言葉の意味が微妙に違う場合もありますので、それぞれの進路志望先での用語の意味を確認しておいてください。

具体的には、理科の「スケッチ」と美術の「スケッチ」は違います。

「デザイナー」も、美術系のデザイナーと、ソフトウェア業界の「デザイナー」とでは、意味がまったく違います。

パースも、建築のパースと、アニメのパースとは違います。


「デッサン」は、たとえば美術のデッサンとは別に、日本ではマンガやアニメについての線画を描くための人体各部の比率の知見のことを「デッサン」と言います。たとえばアメリカンコミックス作家クリストファー・ハートの著書の日本語訳版『驚くほどかんたん 人体デッサン』では、アメコミ風の人体を描くためのコツとして、目と目のあいだは目1つぶんの説明とか、正面の顔の横幅は目5つぶんだとか、説明しています[28]

なお、このような人体各部比率の知識を「デッサン」と読んでいるのは日本語版だけであり、英語版『human anatomy made amazingly easy』ではドローイング drawing と呼んでいます。たとえば日本語版にある「頭部のデッサン」は、英語版では drawing the head です。

「美術」という言葉自体、アニメ業界では別の意味で使われます。アニメ業界では「美術」とは主に背景のことです[29]。決してアニメ業界で美術史やら抽象アートやらが要求されているわけではないので、誤解なきよう。


こういうふうに業界ごとの要求される能力が違うので、ひとくちで「画力」や「デッサン力」などと言っても、業界ごとに要求される「画力」などが違っていることも、商業などの実務ではありえます。

高校レベルでは各業界の各論には入りませんし入れないので、各自で将来の志望に向けて、意味を確認しておいてください。

実務を無視し続けると、就活でツラくなる

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なお、商業ポスターでも題字くらいはイラストレーターなどが手書きで書く場合などもありうるでしょうから、高校の文字手書きポスターの経験は、決してまったくの無駄にはなりません。そのような文字をイラストレーターがデザインするジャンルのことを「レタリング」や「デザイン文字」などと言います。

同様、タッチペンなどコンピュータ機器を使わずに絵の具などで書いた経験も、決して、まったくの無駄にはなりません。


ただし、だからといって決して「授業で美術教師の言う通りに描いていればいい」などと思考停止せず、絵の仕事の実務 と 中高の美術教育の違い については「無知の知」として把握しておいてください。もし、目先の授業や、あるいは目先の美大受験などだけに目を捕らわれて、実務との違いについて無視をし続けていると、たとえば大学卒業後・専門学校卒業後などに商業デザイナーやイラストレーターなどを本業でもバイトでも目指す場合などに、就職活動などの前後の段階で、無視しつづけた実務と自分の想像(妄想)とのギャップの大きさで、精神的・肉体的に負担がキツくなってしまいます。


あるいは、もしかしたら就職活動の段階ですでに、実務を無視しつづけた結果として不採用などの不利益を味わう羽目になるでしょうか。たとえば、商業デザイナーの就職活動のための自作品の持ち込みで、もし抽象アートのような油絵を作品持ち込みで提示しても、特別な理由が無い限りは高確率で不採用になるだけだと思います。

目指す業界の実務については、実務などの仕事における現実を無視して逃げようとしても、業界の現実があなたを追いかけてくるだけです。

高校の段階はまだ普通教育ですので、実務の勉強の深入りを避けるという意味で実務勉強を後回しにするのは構いませんが(高校の美術もそれを見越してか、実務には深入りしていない)、しかし多くの絵描きは、決して最終的に仕事では実務的なことからは逃げられません。(例外があるなら、トップクラスの芸術家として成功でもしない限りは。)

自分ひとりが実務的な手法に従うかどうかに関係なく、絵の業界の同業者や競合他社や注文者なども含めて、社会と多くの他人が実務で動いているのです。


アマチュアのフリしてる業界人にダマされないように

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世の中には、絵画や音楽などの幾つかの分野で、アマチュアを名乗っているが、実際には業界人でありどこかのコンテンツ制作会社などに所属しているプロな人がいます。

2024年7月、企業向けセキュリティソフトのバグによって世界中のwindowsが異常停止するシステムトラブルが発生しました。この事により、アマチュアのフリをしている業界人が多数存在している事がバレました。


プロの作家が趣味で自主制作をする場合、守秘義務やら制作会社のブランドイメージなどで、所属する会社や事務所などの名前を言えない人もいますので、察してあげましょう。彼らの自称「アマチュア」的な自己紹介を、決して真に受けてはいけません。


アニメ評論家の岡田斗司夫(としお)は2005年に、『プチクリ』という本を出し、プチ(小さい)・クリエイターの意味で、創作系業界のプロではないが(小売業とか飲食とか別業界で働いているとか)趣味で副業的に作品を作って発表しているクリエイターと言う意味の言葉をつくり、当時の流行を説明しました。

しかしその後、岡田は2012年あたりに、おおよそ(リーマンショックなどの)「不況によって、従来のペースでの創作活動をつづけるのが難しくなった元・プチクリの話をいくつも聞かされている。今はそういう時代になってしまった」という風な感じのことを何かの書籍で言いました。それが現実です。

次に述べることは、岡田は言ってない事ですが、裏を返せば、不況なのに自主制作がハイペースな人は、よほどの好待遇の職場で働いているのでないかぎり、まあそういう意味です。


長期的に副業で創作をするのは、不可能ではないですが、作りこみのされたセミプロ的な作品を週刊・月刊のようなペースで作るのは、かなり敷居(しきい)の高いことです。


また岡田とは別に、2008年ごろ当時のほかのアマチュア人気作家でも、本業の仕事との両立が難しくなり、2010年以降は創作の専業に転職したことを公言している作家も少なからずいます。

政治の選挙では、実質的には政党の支援を受けているのに、庶民派アピールとして軽視的にはどこの政党にも所属せずに、「無党派」「無所属」を名乗る立候補者も多くいます。

アニメ会社との提携高校

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普通科高校のほかにも、「美術科」という専門学科をもつ美術高校があります。公立の美術高校が、各県にいくつかあります。

アニメ会社の比較的に近くにある美術高校の公立校が、そのアニメ会社と提携している場合があり、講師などをその美術高校に派遣して講演などしている場合があります。

それ以外の地方からアニメ業界に就職しようとする場合、アニメ会社などと提携している首都圏や地方都市(京都・大阪や名古屋など)の美術高校との、そういう地域の提携高校との競争になります。

アニメ会社と提携していない場合、そもそもアニメ会社が近隣に無い地域という不利があります。アニメ会社の新人の賃金は、月あたり5万円以下が相場であり、アパートの家賃(5万円以上)が払えないという相場です。(親からの仕送りが無いと参入できない。)

アニメ産業は地場産業(じばさんぎょう)です。

仕送りが必要なので、断じて「裸一貫(はだかいっかん)で上京して・・・」という業界ではないです。裸だとアパートの入居資金が払えないので上京できません。

ダメな消費者たち

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理解者ヅラした偽善的な消費者たち

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世間の、創作ファンの人の多くは、たとえばソイツの家の近所の公民館とかで定期的に開催されている芸術公演すら、まったく見に行かない人たちです。

世間の偽善者のなかには、「創作の意義はカネではないから、芸術家を目指すなら、自由に表現すればいいと思うよ」とか、なんか理解者ヅラしたつもりで無責任に言う人もいます。たしかに、内発的なモチベーションも必要ですし、好きでないと続けられませんし、モチベーションが無い人は苦痛で向かない業界でしょう。

しかし、公民館とかで芸術イベントが定期的に開催されたりといった事の存在そのものを知らないまでに低レベルの偽善者が、気楽に自由をすすめます。

たしかに、芸の道は、決まったマニュアルの無い世界ですから、そういう意味では作家が自己の判断・決断で「自由」に表現しなければいけないのですが、しかしそれは「自己責任が問われている」というような意味です。

偽善者は、たとえばネット上の無料動画サイトなどでプロ歌手の歌ばかり聞いていて、まったく近所の主婦や中高年男性たちの公民館での合唱なんて聞いてくれない人です。そういう、自分たちが言動不一致の偽善者であることにすら気づけない低レベルの偽善者たちが、なんか同人マンガ即売会イベントかなんかあたりのマナーを、あたかも日本の芸術業界の全体だと勘違いしたのか、気軽に「自由にすればいいと思うよ」とか言います。

もう偽善者の頭がわるすぎて、この程度のちょっと込み入っただけの思考すらも出来ない人たちです。そして大衆娯楽は、その程度の思考力の人をターゲットにしていたりもします。そしてそういう大衆娯楽が、作家の食い扶持の多くなのが現実です。

別に公民館イベントのような表現を真似ろとか言いませんが、商業的な就職を目指すなら非推奨ですが、しかし少なくとも、世間の偽善者の多くは、そういう公民館イベントの存在を知らないレベルまで低レベルです。


商人の都合にダマされてはいけません。口先で「芸術が大切だ」とかいう商人たちは、公民館での近所の主婦や中高年男性たちの公演なんて見てくれないのです。

でも、その程度の商人によって、芸術産業は回ってもいます。

日本には独自の若者文化なんて本当は無くて、全部、投資家である老人達があてがった文化に踊らされているだけで、大抵はアメリカなど先進国・宗主国を参考にしている。そこからはみ出したものは排除される。

アニメの視聴率は低い

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よく、アニメファンが「アニメは日本が世界に冠するコンテンツで、・・・」以下略とか言います。

こう聞くと、あたかも視聴率が高いように思えます。

しかし実際には、もう2010年以降、アニメはテレビ上では視聴率が低いのがテレビ業界などでは知られています。

普通にニュース番組とか、創作物なら刑事ドラマなどのほうが、視聴率が高いのが現実だと、テレビ業界では有名に知られています(2010年代ではそうでした。2020年代はどうか知りません)。

もっとも、テレビ以外にもネット・ダウンロードなどのコンテンツ鑑賞の方法もあります。なので、一概に、アニメが不人気とも言えません。しかし、どちらにせよ、テレビ視聴率に関するかぎり、実はあまり視聴率が高くないのが実態です。


ほかにも、アニメファンはよく「グッズを買って、買い支える」とか言いますが、実際に、矢野経済研究所などによる統計の数字を見ると、アニメファンのグッズ消費額が小さめで年間で約2万円であり[30]、主張が疑わしいのが知られています。

矢野経済研究所などによる統計で、アイドルファンが年間に8万円くらいグッズを買っているのが、ああいうコンテンツ界隈で、いちばん消費の多い業界だと知られています。(ただし、マンガ雑誌も毎週買うと、それなりの金額になるので、それが抜けている統計かもしれません。)アイドルファンほどではないですが、ゲームファンも、消費額がそれなりに多い。

アニメファンの消費は、アイドルファンに大きく劣り、ゲームファンにも劣ります。なるほど、テレビがアイドル・コンテンツばかりになるのも当然です。

ネットではアニメファンの声が大きいですが、典型的な「カネを出さずに口を出す」です。もしくは、消費額が小さい割には、大きな声を出している。

『医龍』という医学マンガで、募金箱に1円の募金をしただけで、自分がとても立派な人間になったかのように多くの人は思っている、というセリフがありました。世間には、1円のアニメ消費やマンガ消費をしただけで、自分はアニメに沢山の口出しをする道理があると思っているような人が、きっと多いのでしょう。

そのアイドルファンの消費ですら、年間でたった8万円です。高校生には多そうな金額に思えますが、しかし塾の年間の費用の30万円とか40万円もしくはそれ以上・円などと比べると、はるかに見劣りする金額です。

1円募金マンのいう事を、けっして真に受けてはいけません。


中高生の好きな、「人狼(じんろう)ゲーム」と言うヤツですな。仲間のフリした敵を、オオカミ人間にたとえて、それを探しだすデス・ゲーム。見つけないと自分が死ぬ(という設定のゲーム)。

「アニメが好き」でも「マンガが好き」でも何でもいいですが、もしその業界全体が儲からないとしたら、実はウソをついて「好き」と言っている人が多いのです。

しかも、人狼は自分が敵だという自覚がありますが、募金マンは自覚すらも無い。その募金マンの気まぐれの消費に期待する産業。


アニメ・マンガの話ではないせすが、美術系の学校の卒業の学歴なんて、他業界からは「アタマ痛い」とか言われてる学歴です[31]。「アタマ悪い」を通り越して「アタマ痛い」です。

このように、本音では「アタマ痛い」業界とか思っていながら、口先では称賛をしている人狼が、はびこっているのがコンテンツ産業の界隈です。消費者のレベルに比例しているのでしょう。

ああいう業界に終身雇用・年功序列は無い

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基本的に、クリエイター業界やアーティスト業界は、終身雇用ではないです。このwikiを書いている人はクリエイター系ではないので詳しくは知らないですが、しかしそれでも、ほとんどのクリエイター系の職業は終身雇用でない事は確実です。

漫画家やアニメーター向けの絵の技法書などの入門書を見ると、さいさん口酸っぱく、プロの漫画家・アニメーターの著者が、漫画家やアニメーターは終身雇用ではなく年功序列でもないことをたびたび忠告しています。

なにもマンガやアニメに限らず、基本的には、クリエイターやアーティストと言われる仕事のほとんどは、終身雇用・年功序列ではありません。(例外があったとしても、かなりの狭い枠でしょう。とんでもなく狭い枠でしょう。)

作品ごとの期間契約、みたいな労働形態が基本です。これはこれで柔軟な働き方ができるので、良い面もあるでしょう。


ときどき、よく、若いクリエイター志望者で、サラリーマンを馬鹿にするクリエイター志望者がいます。しかし、よくよく彼ら若者の言い分を聞いてみると、なにかクリエイター系の仕事について、サラリーマン的な勘違いをしている人もいます。

どうも、勘違いしている若者の中には「いったんクリエイターとして認められれば、定年まで安泰(あんたい)」みたいな勘違いをしている若い人が、定期的にあらわれます。つまり、たとえば、いったんどこかのコンテンツ制作企業に入れば、たとえば出版社でいう編集員や、あるいはテレビ局でいうディレクターか何かみたいな社員の人が、手ごろなハードルの仕事を持ってきたりしてくれて、定年までクリエイターの面倒を見てくれるもんだと勘違いしているのです。

口先ではクリエイター風なことを言っていながら、行動パターンがまるで世間の商社サラリーマン志望者みたいな人もいます。単に志望先が一般商社などからコンテンツ制作企業などに変わったというだけにすぎず、行動がクリエイターやアーティストになっていない人もいます。

「需要と供給」からは逃げられない

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創作に関する産業でも、収入のためにお金を設けようとするかぎり、経済学でいう「需要と供給」の法則の影響を受けます。

需要の低さを気にせず就職してみるのも、若者には良いかもしれません。たとえば、別の仕事を目指して、十数年後のあとで「やっぱ絵描き(あるいはミュージシャンなど)を目指せばよかった・・・」とか後悔しながら別の仕事をするよりも、とりあえず絵描きの仕事を目指して頑張ってみるのも良いかもしれません。中学高校などで教育者が「自分のやりたい仕事を目指しなさい」とか進路指導するかもしれませんが、それも妥当でしょう。

しかし時々、若者は、この進路指導をなぜか、まるで「需要と供給」を無視することだと勘違いをしがちです。そんなことは中高の進路指導の先生は言ってないと思うのですが、幾人かの若者はそう勘違いをするのです。

「需要と供給」の法則からは、公務員ではない民間の業界であるかぎり、どんな業界からも逃れられません。

べつに、「そこらの商人に従え」なんて言ってません。ただ、「需要と供給」の法則からは逃げられないのは確実です。

業界外の人からは見えづらい需要もあるので、あまり需要の低さに絶望して業界就職をあきらめてしまうのも問題です。しかし、だからといって「需要と供給」をいつまでもガン無視してよいものでもありません。

「需要と供給」を頭の隅において、もしかしたら自分の知らない需要と供給があるかもしれないことも想定しつつ、とりあえず、いろいろと作品づくりをやってみるのが、その業界を目指す人なら良いのでしょう。


1990年代の書籍『大学で何を学ぶか』の著者であるルポライター・評論家である浅羽通明(あさば みちあき)が書籍中で、読者で小説家を目指す若者(当時)のハガキに、自分の筆力よりも需要を気にするのが先なんだよと、説教をしています。若者は、内容はおおむね「僕は才能があるでしょうか」と相談してきて、文章書きとしては業界人である浅羽は、おおむね「才能じゃなくて、書きたい作風の需要があるかなんだよ」と説教を言っています。浅羽と仕事をしてきた雑誌社(大人向けの雑誌)や出版社などは、そうなのでしょう。浅羽の経歴は、けっして創作の分野ではないので、必ずしも浅羽の説教を100%信じる必要はないですが、しかし他の作家(創作系)の人も、程度の差はあれ、需要の事を言っています。

浅羽とは別の雑誌記者の仕事ですが、週刊ポストだか週刊大衆だかああいう雑誌記者の仕事で、熱心に取材をして記事を書いて裏取りをしても、取材の結果、大して話題性の高そうな情報が得られなかったので、記事がお蔵入りになった、・・・なんて話も聞きます。

仕事は、自分の能力だけでなく、自分と志望業界との相性、マッチングです。能力の高低だけではなくて、マッチング。


「消費者に何が需要があるか」というのは、実際に作品を出してみなければ分からない場合もあるので、あるていどは見切り発車のように需要を考えずに作品をつくる事も重要でしょう。しかし、決して何時までも需要を無視する事もまた、普通の人には不可能です。よほどの天才でない限りは。


たとえば、どんなにウンコのアニメーションをリアルに描ける画力と意欲があっても、たとえそのウンコ(リアル風)動画がどんなに上手なデッサン力に支えられていても、テレビ業界の放送倫理に重大な違反をするので、そういう需要がテレビアニメには無いので(ただし、変態むけの有料のエロアニメは除く)、

「私のこの画力で、子供むけのテレビアニメを作って、夕方のお茶の間に放映したいです! ゆくゆくは国民的アニメに!」という夢は絶対にかなわないのです。

「需要が低い」なんて生易しいものではなく、そもそも「需要がゼロ」または「授業がほぼゼロ」という事すらあるのです。

例のウンコ(リアル風)アニメは極端な例ですので、さすがにそのままの志望の若者はいないでしょう。

しかし、少し変わった志望を持つ人は、要注意です。ウンコ本物テレビアニメの夢のように、志望業界が、もしかしたら自分の本当の夢には合わない、マッチングしないという場合もあります。なので、あまり人生の早期の段階で、ひとつのジャンルだけに限定するのはキケンです。

まとめると、けっして志望の職業を先に決めるのではなく、書いてて楽しい画風なり物語なりを先に見つけて、その表現の趣味をどうやって続けるかを考えるほうが良く、運よく需要とマッチングすれば画力によっては作家の仕事もあるかもしれない、くらいに考えるのが安全でしょう。


夢の需要を予想するコツは、「その夢を構成するパーツ部品が、単品でも、需要がそこそこあるか」でしょう。

たとえば、ウンコのアニメの夢は、とりあえずアニメ化を抜きにしても、静止画のウンコのリアル風イラストの段階でも、基本的には需要が無い。少なくとも、家庭向け・子供向けとしては需要が無い。

ギャグマンガとかのデフォルメされたウンコ絵は除きます。ウンコ学習ドリルとかありますが、ああいうギャグ調の絵の話ではありません。ここでは、リアル風ウンコの絵の話をしています。

1枚の静止画のウンコ風リアルイラストでも需要が無いのに、これを動画にして1秒あたり8枚や12枚も書いて3分アニメ作っても需要がありません。つまり、夢のパーツ単品で、消費者から嫌悪されていて需要がゼロ近いものは、どんなに追加要素を加えてアレンジしても、需要はゼロ近くのままです。

あるいは、アニメではなく漫画や映画などの物語が夢だとしましょう。

物語に絵を加えて人気を高める手法も、あくまで元の物語が単品でも、そこそこ面白い場合です。

物語が単品で、読んでくれた消費者から好かれていない場合、それに絵を加えることで消費者から好かれるのは、至難のワザです。だから映画などの映像業界では、絵を作りこむ前に、物語をあるていど作りこみます。

夢も、これと同じです。

夢の個々のパーツが、単品またはそれに近い状態でも、ある程度、消費者からウケる要素でない限り、基本的にその夢はかなわない可能性が高いでしょう。


例外として、マンガだと、どうしても絵と物語の両方の組み合わせが必要ですが、そのような場合でも、たとえば新しい絵柄なら、「新しい絵柄のアイデアと、標準的なパターンの物語」でも受けるかどうかを検証しなければいけません。

つまり、新規の部分以外は、業界標準品質だったとしても(とはいってもプロ級での「標準」ですので、とても上手ですが)、ウケるかどうかを考えないといけません。

逆に、もし物語の新しいアイデアなら、絵柄が普通だったとしてもウケるかどうかを、先に検証する必要があります。


日本のコンテンツ産業での実際の事例をあげます。

テレビのお笑い番組のプロデューサーだった「テリー伊藤」と言う、その業界の偉い人がいます。

この人が、テレビ業界で管理職のとき、若手がテレビのバラエティ番組の立ち上げの企画会議のとき、若手が、「(当時の男性アイドルで人気トップだった)キムタクこと木村拓哉(きむら たくや)を出して、番組を盛り上げましょう」とか言ったとき、

テリーはそれをダメ出しして、

そういう風に考えるんじゃなくって、まず普通の男性タレントの登場でもウケるような演出などのアイデアを考えるのが先なんだよ、・・・みたいな感じのダメ出しを会議でしました。(wiki追記: そもそも若手のアイデアに、高額の予算が必要なトップアイドルなんて、与えられないですし。)

これです。まず、アイデア単品、またはアイデア以外は標準品質との組み合わせでも、そこそこウケるかどうかの検証または検討が先です。

単品・標準品での検証・検討もされてないアイデアに、けっして、高予算は与えられないのです。

「ローカライズ」という加工

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日本のアニメや漫画は世界で流行です。しかし実は、絵は、国ごとに微妙に修正を加えられている場合があります。これを「ローカライズ」と言います。

たとえば日本のアニメの外国輸出で、原作マンガではタバコを加えている男性が、外国アニメ版では棒キャンディーを加えている男性になっていたりとか。

日本版では裸の女性の絵が、外国版では下着姿の女性の絵になっていたりとか。

そういうローカライズが、よくあります。

だからどうって事は特に無いのですが、まあ、厳密には、完全には同じ絵を見ているわけではない。

別に小説などと比べて絵がバカにされているわけでもなく、小説などの翻訳でも、翻訳の際に微妙に改変がある事もあります。輸出先の人に売れやすいように、または法令などに合うように、または分かりやすいように、微妙に表現の改変はされているのが実情です。

たとえば「猫の手も借りたい」という表現の翻訳ですら、たとえば国によっては猫は悪魔の使いだったり、魔女の使いだったりして、意味合いが変わる。外国版の視聴者層・観客が、必ずしも日本文化への知識が豊富だとは限らない。私たち日本人が「ビーバーのように〇〇だ」とか「カンガルーのように〇〇だ」とか言われても分からないのと同じ。


子供向けの長寿アニメグッズなどの絵柄でも、日本だと、アニメの塗りの影響からか、グラデーションなどは控えめの絵柄が多い一方で、ヨーロッパ版などだとグラデーションを使いまくりの絵柄だったりするような作品もありました。

グラデーションどころか、ゲームなどで絵柄をあまり売りにしていない作品だと、絵柄の輪郭線のデザインそのものが、全く別の絵柄になっている場合もあります。


逆パターンもあって、外国産のアニメや実写映画などの日本版が、じつあ登場人物のセリフの意味合いが、外国の原作版とは結構な違いのある場合もあります。

ローカライズの具体的な方法についての説明は、省略します。業界によって異なるし、業界を目指さない人には必要が無いからです。

とりあえず、ローカライズという作業が存在しているという事だけ、紹介しておきます。

アメリカ合衆国は、一見すると外国のコンテンツも積極的に取り入れているように見えますが、1990年代には実はアメリカ文化について「映画・アニメは吹き替えをせずに海外コンテンツを字幕で見る」という習慣がほとんど無く、基本的にはアメリカ人の多くは英語に翻訳されたコンテンツばかりを視聴すると1990年代は言われていました(最近はどうか知りません)。

売上の水増しコンテンツ

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デジタルコンテンツは、値段を簡単に変えることができます。

たとえば一万部(10000部)ほど売れた電子マンガがあるとしましょう。

現在、価格が千円(1000円)で販売されていたら、あたかも 一万部×千円 = 一千万円 の儲けのように見えます。

しかし、そう思う人は、純真すぎる。

値段はもしかしたら1円の期間があったかもしれません。だとすると、1円×1万部で たった1万円の売り上げです。

作家本人・出版社が一千万円の売り上げといったら詐欺ですが、しかし他人に言わせれば法的には問題ありません。たとえば広告会社に言わせればいいのです。さらに責任逃れのために、広告としてではなくネットの匿名掲示板などで議論のフリをしてステマ的に宣伝させれば、さらに脱法できます。

ネット上の宣伝にかぎらず、「宣伝費を使って商品を買い取って、売上を水増し」というのは、昭和の昔からよくある宣伝手法です。


コンテンツの統計を見る場合は、こういった自己買取りや値段操作なども考慮しないといけないので、あまり小規模のコンテンツの統計は、鵜呑みにしないほうが良いでしょう。

株取引など金融取引でこういう感じの自己買取りなどを行うと違法ですが、裏を返せば金融市場でなければ、脱法できてしまうのです。

学校美術の商業離れ

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学校の美術の科目は、商業のコンテンツ産業のイラストとは大きく違います。最近は減りましたが、昭和の昔はこれを混同してた人も多くいました。

ネットで作品発表できる今のこの時代、もし高校在学中にセミプロ級の業績を残せない水準なら、現時点では進路を 絵描きだけ/作家だけ に限るのは、すごく危険、とだけ言っておきます。

高校野球で活躍してプロ野球選手になる人は、甲子園という大会で活躍して、業績を残しているわけです。


たとえ学校の美術の成績が良くても、公開の大会などで業績を出せないなら、現時点では、素人です。特に、相対評価ではなく絶対評価に通知表の基準が変わった現在、高校の美術・音楽の成績なんて、なんの信用もありません。


芸術だと、スポーツのようなハッキリした勝負の基準が無いので、人によっては自己評価を肥大化させがちです。

とはいえ、「自分は天才」とでも思わなきゃヤッテけない分野でしょうから、まあ、若干の程度なら、そういう自惚れもあって良いでしょう。

ですが、限度があります。売れ線の画風の練習を無視すれば、当然ですが、作品は基本的には、売れません。例外として、抽象芸術などで大ヒットしない限りは。そして、それはかなりの狭き門ですし、仮にヒットしても果たしてそれだけで一生食っていけるのか不明です。

やはり、現時点でセミプロ級の業績を出せないなら、自己評価を見直しましょう。


「美術の授業が好き」と「絵を描くのが好き」は違う

世の中には、「絵を描くのが好き」じゃなくて、単に「美術の授業がラクだから」とか「他の仕事が嫌いなだけ」の人もいます。(絵に限らず、音楽でもピアノでもギターでも良いです。)

とはいえ、程度の差はあれ、絵を描くのが好きな人は、他の仕事や学問に対する興味は相対的に うすいので、悪い事ではありません。ですが、限度があります。

一概にどの程度が「限度」かは業界などによるので言えませんが、しかし「他の仕事が嫌いなだけ」で、「実は絵を描くのも、そんなに好きじゃなかった」と言う人が、

進路を絵描きだけに限ると、人生ハードモードになると思います。


進学校で、英語などの受験の定番の必須科目の成績がめちゃくちゃ良ければ(1学年300人以上の学校で、校内で1位とか2位とかなら)、もしかしたら仕事でもそこそこ通用する英語力なのかもしれません。

ですが、美術や音楽や体育は、それとは違います。ほとんどの生徒は、実質的には、そもそも美術・音楽の競争に、ロクに参加していません。まともに校内で競争している人数が、良くて10人とかの狭い世界にすぎず、その中の上位でしかありません。


例えるなら、フェンシング部とか馬術部とかみたいなもんで、田舎の県大会で1回勝っただけでも「全国大会に出場」みたいな。

それと似ていて、世間一般の普通科高校だと、高校からは美術・音楽は、校内の競争相手が少ない分野なので、少しの努力で、校内上位になれたりとか。


フェンシング部で一回、大会に勝って全国大会に出ただけの田舎の高校の人が、「フェンシング業界は、報酬が低い! 不満だ!」とか言って(実際の報酬がどうかは知りません)、

「野球に転向するぞ! これから野球選手を目指す。俺なら、少なくとも甲子園には出れるだろ」とか言って、フェンシングをやめて野球を目指すのを実行したら、

まあ、よほどの恵まれた身体の人でない限り、まあ、失敗です。これと同じ。


逆パターンで、野球部やらサッカー部やバスケ部の県大会で2回戦敗退した人が、自分が競争では下のほうの現実を受け入れずに、

「俺だって、田舎の私立高校のフェンシング部なら、全国大会だ」とか逃避するのも、困りものです。

現時点でフェンシングでなく野球部なりサッカー部なのですから、結局、県大会で2回戦で敗退したという現実は変わりません。

あくまで比喩ですので、このままの人は、スポーツ系では、普通、いません。

ですが、これが文芸とか芸術とかになると、こんな感じの大人はチラホラいます。

たとえば、「日本は資本主義のブタが支配してるから、私の作品が認められないんだー」「男社会が悪いんだぁぁぁ」「いやいや、女社会なのが悪いんだぁぁぁ」ってのも、現実逃避です。こんな感じの大人、チラホラいます。「俺もフェンシング部なら~」と同じ現実逃避です。

そんなに共産圏なり社会主義が素晴らしいと思うなら、じゃあ中国なり(冷戦崩壊の前後に改革開放をしたが置いておく)、キューバの消費者なりを対象に作品をつくればいいだけです。ネットのある現代、容易にできます。それで売れる作品が出来ないなら、それが実力でしょう。

まあ、その共産圏では、表現の自由に対する規制が、とても厳しいですが。

野球・サッカーなどで5回や6回も勝ち進んだならともかく、1回だけ過去に勝っただけで「資本主義のブタが~」というのは、勘弁してもらいたい。


絵とか音楽でも同じです。自分で決めたジャンルで、競争に負けたなら、その現実を認めて、「どうやって趣味をこれから続けるか? それとも気が済んだから趣味を一旦やめるか?」などを決断していく必要があるのです。

結局、商業コンテンツは、スポーツみたいな所があって、半分は競争です。

脚注・参考文献

[編集]
  1. ^ 『芸術新潮 2022年 7月号』、新潮社、P.142 、『千住博の往復書簡 第48回』
  2. ^ 『芸術新潮 2022年 7月号』、新潮社、P.142
  3. ^ 『芸術新潮 2022年 7月号』、新潮社、P.142
  4. ^ 成富ミヲリ『絵はすぐには上手くならない』、彩流社、2015年11月10日 初版 第二刷発行、P34
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  8. ^ 汐見稔幸 ほか編著『よくわかる教育原理』、ミネルヴァ書房、2012年2月20日 初版 第2刷 発行、前書き ii
  9. ^ 高松平藏 著『第3回 ドイツの学校には部活がない? 』2014/03/06 6:00 2023年12月07日に閲覧.
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  11. ^ 『イギリスの部活動事情』 2019.02.24,
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  13. ^ 中澤篤史 著『運動部活動は日本独特の文化である――諸外国との比較から』 2015.01.27 2023年12月07日に閲覧.
  14. ^ 室井康夫 著『アニメ私塾流 最高の絵と人生の描き方 添削解説80例付き』、エクスカレッジ、2019年12月17日 初版 第1刷発行、P60
  15. ^ 室井康夫 著『アニメ私塾流 最高の絵と人生の描き方 添削解説80例付き』、エクスカレッジ、2019年12月17日 初版 第1刷発行、P60
  16. ^ 『港区ゆかりの人物データベースサイト・人物詳細ページ (岡本太郎)』、2006 2023年12月23日に閲覧.]
  17. ^ 笹山敬輔による仲本工事へのインタビュー『仲本工事 77歳 今だから語る「いかりやさんとの“バカ兄弟”が一番難しかった」』、文春オンライン、2018/09/02
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  19. ^ 成富ミヲリ『絵はすぐには上手くならない』、彩流社、2015年11月10日 初版 第二刷発行、P129
  20. ^ 成富ミヲリ『絵はすぐには上手くならない』、彩流社、2015年11月10日 初版 第二刷発行、P129
  21. ^ 成富ミヲリ『絵はすぐには上手くならない』、彩流社、2015年11月10日 初版 第二刷発行、P130
  22. ^ 成富ミヲリ『絵はすぐには上手くならない』、彩流社、2015年11月10日 初版 第二刷発行、P130
  23. ^ 成富ミヲリ『絵はすぐには上手くならない』、彩流社、2015年11月10日 初版 第二刷発行、P130
  24. ^ 成富ミヲリ『絵はすぐには上手くならない』、彩流社、2015年11月10日 初版 第二刷発行、P130
  25. ^ 成富ミヲリ『絵はすぐには上手くならない』、彩流社、2015年11月10日 初版 第二刷発行、P130
  26. ^ 室井康夫 著『アニメ私塾流 最高の絵と人生の描き方 添削解説80例付き』、エクスカレッジ、2019年12月17日 初版 第1刷発行、P61
  27. ^ [https://twitter.com/yamauchitaiji/status/1752107055916503525 (アカウント名)山内太地『やりたいことがわからない高校生のための 最高の職業と進路が見つかるガイドブック』3刷 @yamauchitaiji(※ここまでアカウント名)、午前8:10 · 2024年1月30日]
  28. ^ クリストファー・ハート 著『驚くほどかんたん 人体デッサン』、グラフィック社、2008年5月25日 初版 第1刷 発行、P8、
  29. ^ 成富ミヲリ『絵はすぐには上手くならない』、彩流社、2015年11月10日 初版 第二刷発行、P45
  30. ^ 矢野経済研究所 著『「オタク」に関する消費者アンケート調査を実施(2023年) 』2023/11/30
  31. ^ (動画)『「身分社会『学歴身分と就職差別』」森永卓郎×深田萌絵 No.74』2024/08/02、 1:10 あたり