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高等学校英語 英単語/その他05

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

日本語の元ネタ[編集]

混雑


congestion (コンジェスチョン)「混雑」という受験英語があります(旺文社1900)。

たぶん、日本語の「混雑」という語の元ネタです。

congestion は、鉄緑単語集にすらなく、東京書籍・桐原にもない、マニアック単語です。

「交通渋滞」も、a traffic congestion とも言えます(旺文社1900、グランドセンチュリー)。

ほか、traffic jam 「交通渋滞」という表現もあります(ジーニアス traffic、グランドセンチュリー traffic)。


暴君な父親


tyrant は、実際の国家の君主のほかにも、比喩的に「父親が家族に対して暴君」のようにも使える(グランドセンチュリー)。

むかし、中高の国語の現代文の作品の一節で、「父親が暴君だった」みたいな文章があったのだが、なんと英語が元ネタだった。日本文学は英文学の影響を受けているのだなあ。


自然な感じで


natural には「自然の・人の手を加えていない」「ふだんのままの・気取らない」などの意味がある。

日本語でも「もっと自然な感じでヨロシク」とか言うが、まあ英語の nature が元ネタ。


衝動買い


ジーニアスによると

impulse purchase「衝動買い」(ジーニアス)

という表現もオッケーとのこと。

なんと「衝動買い」は実は英語由来の表現だったようだ。


そもそも「衝動」という語自体、明治期の哲学者の西周(にし あまね)がつくった造語[1]



「前提」


premise 「前提」という語がある(旺文社1900、鉄緑、辞書ジーニアス、辞書グランドセンチュリー)

東京書籍4500と桐原4500には載ってない。辞書を見ても例文は少ないので、説明は省略。

語幹の pre- は「前の」という意味。そもそも日本語の「前提」という熟語自体、明治時代につくられた造語であり、哲学者の西周(にし あまね)が作ったと見られている[2]。おそらく「前提」という日本語の成り立ちは、英語の premise の影響を受けてるのだろう。



民主


もともと古代の中国語に別の意味で「民主」があったが、近代において、中国などで英語 democracy などに合わせて、意味が更新された[3]。近代以前、「民主」はもともとは「君主」の意味だった。

なお、democracy は受験英語では「民主主義」と訳す。

形容詞 democratic はそのまま「民主」と訳してよい。



疑いをかける、魔法をかける


範囲外だが、cast a doubt 「疑いをかける」です。

「魔法をかける」cast a spell といい、「疑いをかける」 cast a doubt といい、どうもここらの日本語は、英語が元ネタっぽいです。




型破り


ジーニアスいわく、

「型を破る」 break the mold

とのこと(ジーニアス)。

なんと「型破り」は英語由来の表現だった。

歌舞伎の型だとか、武道の型だとか、そういうのに由来するとかの巷(ちまた)の言説は何だったのか。

「守破離」とは一体、うごごごご・・・。


都市伝説


『都市伝説』は英語では、an urban myth という(旺文社1900)。なお、1900ではなく旺文社1400の項目 legend によると、urban legend でも可とのこと。

というか、「都市伝説」は、なんと英語由来の表現だった。


のみの市


受験英語かどうか分からないけど、フリーマーケットという言葉があるが、実はこれの直訳は「蚤(のみ)の市」(のみのいち)であり、フリーマーケットとは flea market である(鉄緑)。flea はノミ(漢字で「蚤」)という意味。

のみの市は、なんと、実は英語由来の表現だった。

旺文社1900、を見ても、 flea は見当たらないので、受験英語ではないだろう。

なお、日本でいうノミの市は、庶民が古物を売る市場のことです。


なお、自由 freeの free market だと、経済学で使われている「自由市場」free market の事になってしまい、「資本主義社会における経済」みたいな別の意味になってしまう。

なお、旺文社1900の単語 policy の例文に、「自由市場」free market の例文がある。こういう中学レベルの経済用語の英語は、例文とかで結構出たりするので、余裕があったら勉強しておこう。


仏教用語


仏教用語は、サンスクリット語などが元ネタ。まあ、国語の常識というか教養であるが。

仏教の念仏の「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)が、語源がサンスクリット語で、「唱えよ、計り知れないもの(=神仏のこと)を」みたいなけったいな内容らしく、発音がナモー・アミターバなのだが、このアミターバのミターバがmesureの語源と同じ。なお、ナモーは、英語のname ネーム「名乗る」の語源と同じ。

ほか、閼伽棚(あかだな)はアクア棚。

卒塔婆はストゥーバ。まあこういうのが色々とある。



釣りキチ


余談だが、娯楽などの熱中者も addict を使い、たとえば「ゴルフ狂」 a golf addict である(グランドセンチュリー)。

「釣りキチ」(釣りキチガイ)とかああいう語は、なんと英語由来だった。

「ゲーム中毒」とかああいう語も、単なる誤訳じゃないのかという気がしないでもない。

なお、「テレビ狂」は a TV addict である(ジーニアス)。


「ドラッグ中毒である」 be addicted to drugs (鉄緑)

「ドラッグ中毒」 drug addiction (パス単・淳1)


「急性アルコール中毒」は acute alcohol intoxication である。

もし intoxication ではなく addiction だと、単に急いで酒を飲んでいるヤツみたいなのになるだろうか。


「払う」系

犠牲を「払う」


代償と言う意味での「犠牲」は cost である(鉄緑、桐原3000)。

なお、辞書で動詞 pay を見ても、特に cost を使った表現は見当たらない。

at any cost や at all cost で、副詞句で「どんなにコストを払っても」のような意味で使う。

戦争や革命などでの人命の損失も cost である(グランドセンチュリー、鉄緑)。この場合、周辺に life 「人命」とか複数形の lives の語があるだろうから、それを手がかりにすればいい。


よく、映画とか小説とかマンガの戦争モノで、ハードボイルドな感じの作品とかのセリフで「多くのコストを払って、我々は〇〇を手に入れたのだ」みたいな言い回しがあったりするが、別に人命をカネ勘定している銭ゲバな人物ではなく、そういう人命の犠牲を cost という用法が英語にはあるのです。

だから、どんなにコストを払っても at any costs も、これは「どんなに犠牲を払っても」という強烈な主張だったりする場合がある(グランドセンチュリー)。

なお、ジーニアスは、これをどんなに金を払っても、という見解。


犠牲を「強いる」とか、犠牲を「出す」などの場合は、この限りではない。


「注意を払う」

英語の pay attention からの由来だろう。

なお、pay attention to ~ 「~に注意する」と辞書グランドセンチュリー attention では和訳。

ジーニアスだと、受身形だが、「払う」がある。


要請

グランドセンチュリー request いわく「首相からの『要請』」だとか、ジーニアスいわく「同盟国からの軍事援助の『要請』」とか、そういうのも request とのこと。

つまり「要請」という日本語が、まあそういう意味で、国語辞典的な意味はともかく、形式的にはその「要請」は頼みごとだが、しかしその「要請」を発している人物・組織が権力者だったり上司だったりして、実質的には命令のようなもの、というのが『要請』であろう。

東京書籍4500でのrequest の例文は「警察からの要請」という例文である。

「要望」と「要求」とは意味が異なる。


問題を「はらむ」


単語集にはないが、形容詞 pregnant 「妊娠している」には、派生的に「意味ありげな」とか「重大な意味をはらんでいる」などの用法もあるが、妊娠になぞらえた比喩だとして理解できるだろう。

そもそも日本語の『はらむ』(孕む・妊む)に「妊娠する」という意味があるし、「そのうち問題になりそうなものを含んでいる」という意味もある(三省堂の新明解国語で確認)。このように、日本語の理解が深いと、暗記の負担が経る。

なお、広辞苑(1992年版)を見ても,問題を「はらむ」の用法はなかった。

日本語の「はらむ」はその他、植物の穂(ほ)が出ようとして ふくらむ、という意味もあるし、古語の「はらむ」はこれである(広辞苑で、『蜻蛉日記』にこの「はらむ」があると書いてある)。

英語のページなので、古語には深入りしない。

ともかく、現代日本語の単語の意味は、明らかに英単語を真似ている。このことから、日本の古語だけを勉強しても英語はできるようにはならない。中学高校で英語を勉強する意義のひとつは、日本語を理解するためだ、というのは、少なくとも昭和戦後の昔からよく言われている言説である。



「最も××なもののひとつです」


英語の構文が由来[4]


「社会」

日本語の「社会」は、明治時代ごろに英語 society などをもとに作られた新語。けっこう有名。

サ行で始まり、「イ」で終わる共通点。


「個人」「近代」「恋愛」「存在」なども同様、明治期の造語らしい[5]

書籍『翻訳語成立事情』が詳しいらしい。


「個人」は individual などの翻訳のために作られた造語。

「近代」はおそらく modern age あたりだろう。


「美」の現代の意味も翻訳に由来するらしい。

もしかして、ビューティーが美ューティー的なアレ。


いっぽう、「自然」「権(利)」「自由」「彼、彼女」は、もともと幕末~明治より前から日本語にあった熟語だったが、翻訳に意味が変わった、新しい意味が追加された単語とのとこ。

nature → 自然

liberty → 自由

のように意味が追加されたと思われている。


「権利」は、英語right の訳語として、中国語訳『万国公法』を元にして日本に輸入された語[6]


ほか、衛生、定数(常数、恒数)など、欧米語が由来、または明治期に意味が変わった、どちらからしい。

定数(常数)は constant number である。


ほか、「博多どんたく」の語源はオランダ語のゾーンタークとか。

「アルコール」と「ランプ」と「ランドセル」はオランダ語。


「アルカリ性」などの「アル」はアラビア語の定冠詞で、カリの意味は「灰」(はい、かい)。カリと灰(かい)が近いのは、けっして偶然ではなく、中国語の「灰」の語源とアラビア語のカリとが、同語源だという説が有力である。


情報

information

「情報」は元々、昭和の戦前までは軍事用語で「敵情の報告」のような意味であり、日本だけでなく中国でもそうであった。

その語、コンピュータの学問の発達により、現代のような意味に変わった。

明治時代の後半には、すでに「情報」という語があった。「情報」の起源は不明。


「主観」と「客観」

「主観」は明治時代の新語で、英語 subject の訳語。

客観は古語であったが、明治時代に意味が英語 object に合わせて更新された[7]


範囲外[編集]

日本語の単語[編集]


「地球」

earth

惑星としての「地球」は、中国で明(ミン)王朝の末期、中国を訪れたイエズス会士マテオ-リッチによる造語。おそらく「天球」(英語では celestial sphere )からの類推[8]


闘病

パス単1級の unscathed の例文中に、fighting the chronic illness という語句がある。「持病と闘って」と訳されている。

もしかしたら「闘病」は英語由来かもしれない。


色彩の暴力


入試範囲外だが、色彩・音楽などの豊かさを riot で言う場合もある(ジーニアス、グランドセンチュリー)。a riot of color で「色とりどり」「様々な色の」みたいな意味(ジーニアス、グランドセンチュリー)。芸術的な色彩に限らず、単に庭や花壇などの花が色とりどりなだけでも a riot of color を使う(ジーニアス、グランドセンチュリー)。というか、そもそも英和辞典には。花の例文しか書いてない。

日本でよく「才能の暴力」とか「色彩の暴力」とか言うのは、たぶんこれの翻訳が元ネタだろう。英語を知らない芸術ファンが多いようであり、本来の英語の意味とは違う意味で日本では使われている。


猿真似


範囲外だが、動詞 ape 「まねる」の意味。

猿真似(さるまね)というのは、欧米由来の表現。

「猿真似」という表現自体が欧米の猿真似なんだよ。


まず、サルの知識として、サルには尾のないサルもいる。

ゴリラやチンパンジーやオランウータンには尾が無い。これらは比較的に大型の猿のため、

辞書によっては「尾のない猿」として ape を紹介している場合もある(グランドセンチュリー)。


だから「類人猿」という場合、尾のあるサルを含めない場合も多い

日本語で「サル」と言った場合、ゴリラやオランウータンなどを含めない場合もあるが、しかし英和辞典にはape の意味として「(尾なしの)サル」などと書いてある(ジーニアス、グランドセンチュリー)。


この ape は、けっして日本のことわざが伝わったのではなく、西洋には古くから、サルで、真似を意味する言い回しがあり、

たとえば宗教革命のルターが、そういう言い回しをしている[9]

ルターさんは言いました(ドイツ語で)

ists alles eyn nachomen, wie die affen thun.

「サルの真似にすぎない」という意味になります。

ルターの宗教改革は、1517年。

これが、日本の明治維新以降の国際交流の影響なわけない。明治期のビゴーの風刺画(ドレスを着た婦人の前にある鏡(かがみ)に、猿(さる)が写っている風刺画)の影響からか、そう思っている人がいる。

タイムマシンでもあるわけじゃないし。宗教革命のころの日本、まだ室町時代で、足利将軍家が健在ですよ。

秀吉(ひでよし)すら、生まれてない。豊臣秀吉は1537年の生まれ。


猿真似が日本の諺だと思っているのが、猿真似では。

どうせ、ビゴーの風刺画の猿真似の絵と、それとは別に司馬遼太郎の歴史小説(たぶん日露戦争を描いた『坂の上の雲』あたり)にある日本人を猿呼ばわりする外国人のいる小説を読んだ人から受けた間接的に影響とかで、それらがゴッチャになっている。まさに猿。

英語では、模倣を猿というのである。

道路と road のたぐい[編集]

真偽は知らないので、自己責任で。真面目に研究すると、すごく証明が難しい分野なので、けっして高校生は手を出さないように。ジョークのネタの程度にしよう。どうしても研究する場合、「言語学」を先に学ぼう。また、サンスクリット語とラテン語と古代ギリシア語などを学ぼう。


「道路」と road が似ているのは、単なる偶然らしい。

quarrel 「口論」も、発音と訳語が似ている。クアレルと片仮名で書くとあまり似てないように思うが、実際にリスニング教材で聞いてみると(試した)、なかなか似ている。


name 「名前」

これはそもそも、仏教の「南無阿弥陀仏」が、サンスクリット語のナモー・アミターバに由来しているのに関連するので、必然である。

can と「缶」

boy 「坊や」

清水義範という作家の説では、「坊や」の語源は boy とのこと。


田口賢三の説では、「笑う」laugh もあやしいとのこと。古語で「わらふ」→laugh 的な。

「歩く」 walk も。


irritate 「イラつかせる」


設定 setting


「茶」 tea はそもそも中国語の「茶」が由来なので必然。


tycoon はそもそも日本語の「大君」が語源。


ムカデの漢字「百足」 centipede

centi- が「百」の意味で、長さのセンチメートルのセンチと同じ意味。

-pede は自転車の「ペダル」とかと同じで、「足」という意味。


owe (責任などを)「負う」


「辞書」dictionary ティクショナリーの前半「ディクショ」→「ジクショ」→「辞書」みたいな説もあったり。


「意味」 mean もアヤシイ。

cold で「凍るど」

ぐっすり good sleep


「万葉集」の「万葉」(マンヨウ man-you)の語源が、英語の many 「多くの」に当たる語という説もあったり[10]。安田徳太郎(医博)の説。


「カレーは辛え(かれえ)」という親父ギャグは、もしかしたら本当に語源が同じなのではという説もあったり。


逆パターン

cheap に「陳腐」の意味は無さそうである。辞書では cheap 「安物の」「安くて質の悪い」などの意味である。

なお、英語で「陳腐な」「ありふれた」のことを言いたい場合は形容詞 banal (バナール)である。


21世紀の動向

コンピュータを用いた統計的な研究もおこなわれてる[11]

かつては後進国だった南アジアや中央アジアなどの地域が、現代では文化が発達しており、そこらの地域からの研究舎による研究も進んでいる。

接続詞[編集]

「君と僕」のような日本語の等位接続詞「と」は、そもそも、接続詞ではなく助詞であり「君と僕との」のように使うものだった。

明治時代ごろから、英語 and など、外国語の等位接続詞の影響を受けて、日本語「と」にも接続詞の用法が形成されてきた。

脚注[編集]

  1. ^ 『西周と哲学・粗描』駒沢大学、P.47
  2. ^ 朱 京偉 著『明治期における近代哲学用語の成立』, 『日本言吾科学』12(20G2年10月)96-127 , P.115
  3. ^ 陳力衛 著『「民主」と「共和」―近代日中概念の形成とその相互影響―』成城大学
  4. ^ 平塚徹 著『最も××なもののひとつ』
  5. ^ [file:///C:/Users/yoshi/Downloads/BKSF240010.pdf 上谷香陽 著『「社会」という言葉を使って Society について考えるということ─柳父章の翻訳日本語論を手がかりに─』湘南フォーラム No.24 ]
  6. ^ 小関武史 著『明治の日本が作り出した新しい言語』
  7. ^ 李貞和 著『訳語としての「主観」と客観の成立について』,甲南女子大学,
  8. ^ 小関武史 著『明治の日本が作り出した新しい言語』
  9. ^ 木村 佐千子 著『ルターと音楽』 獨協大学ドイツ学研究、74号 (2018.3)、P.51
  10. ^ 『第260回活動記録』
  11. ^ (pdf)長田俊樹 著『日本語系統論はなぜはやらなくなったのか―日本語 系統論の現在・過去・未来―』2003-12-26