ヴィルタール 日本論
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フランスの著述家 エドモン・ヴィルタール(Edmond Villetard:1828-1889)によって著され、1879年(明治12年)に当時のアシェット書店(Librairie Hachette et Cie)から刊行された “Le Japon (日本)” のフランス語・日本語対訳。
著作者紹介:シャルル・エドモン・ヴィルタール・ド・プリュニエール(Charles Edmond Villetard de Prunières:1828-1889)、通称エドモン・ヴィルタールは、1828年にフランスの名門ヴィルタール家に生まれ、第二共和政時代の1849年にエコール・ノルマル・シュペリウール(高等師範学校)に入学して、第二帝政治下の1856年にはフランス西部のラ・ロシェルで教授となった。その後、彼はジャーナリズムの世界に身を投じて、帝政が倒れた後の第三共和制の下では内務省の報道局長および官報の編集主幹を務めた。
本書 “Le Japon (日本)”(1879年)のほか、1872年にはディベート新聞「ジュルナル・デ・デバ(Journal des débats)」の記者として “Histoire de l’Internationale(インターナショナルの歴史)” を著している。没後120年以上を過ぎているので、彼の全著作はパブリックドメインとなっている。
本書 “Le Japon (日本)”(1879年)のほか、1872年にはディベート新聞「ジュルナル・デ・デバ(Journal des débats)」の記者として “Histoire de l’Internationale(インターナショナルの歴史)” を著している。没後120年以上を過ぎているので、彼の全著作はパブリックドメインとなっている。
各章対訳
[編集]付録1
[編集]- /掲載画像の一覧: (2016-08-20) おおむね完成
原文出典
[編集]進捗状況の凡例
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:本文が半分ほどあります。
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ファイル名 | 種 類 | ページ数 |
---|---|---|
commons:File:Villetard - Le Japon, 1879.djvu | 計196ページ |
- フランス語版ウィキソース:s:fr:Le Japon (Villetard) (作成途上)
参考文献
[編集]関連図書
[編集]etc.
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- フランス語版ウィキソース
- ウィキメディア・コモンズ
日佛辭典
[編集]- Dictionnaire japonais-français (日佛辭典),
- traduit du dictionnaire japonais-portugais (日葡辭典) composé par les missionnaires de la Compagnie de Jésus et imprimé en 1603 à Nangasaki,
- publié par Léon Pagès (1814-1886) [édition 1868]
- イエズス会の宣教師団によって編纂され、1603年に長崎で印刷された『日葡辭典』の仏訳で、1868年にレオン・パジェスによって刊行された『日佛辭典』