出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
§1 ベクトル
物理学において諸種の量の間の関係を数量的に取り扱うためには,これらの量を 数学的量 を以って代表させる必要がある.
その中最も簡単なものは,適当な単位を定めることにより 一つの実数を以って代表し得る もので,例えば質量,電荷の如きものである.
然るに速度,力のようなものは,その大きさを表す数値のほかに,方向及び向きを併せて指定することを要する.
このような量を表すに適したものはユークリッド空間における 向きを持った線分 である.
向きを持った線分のことを ベクトル,ベクトルで表されるような量を ベクトル量 と呼ぶ.[1]
これに対して一つの実数で表される量をスカラー量という.
ここではベクトルを表す文字として太文字
等を用いる.[2]
これらの文字は上述の幾何学図形を表す記号であるから,数を表す文字
と混同してはならない.
二点
を結ぶ線分で
から
への向きを有するベクトルを,
から
へ向けた矢印をつけた線分で表し,これを
と記し,
を起点,
を終点と称する.
かように具体的にベクトルを与えるには二点を要するが,
我々は 平行で,長さ及び向きの等しいベクトルを同値なものとして区別しないこととする.
従って起点
の位置が空間の何処にあるかは問題にしない.
同値な二つのベクトル
は相等しいといい,
と記す.
ベクトル
の長さ
を
の 大きさ 或いは 絶対値 といい,
これを
,または単に
で表す.
直線
の方向を
の 方向,
の向きを
の向きと呼ぶ.
前述の同値の定義により起点の位置は問題にならないから,
ベクトルは大きさ,方向,
向きを与えれば一義的に決まる.
これを具体化する線分は無数にあるわけであるが,
その中の一つ――例えば固定点
を起点とするもの――を同値の総てのベクトルの代表として考えれば別に不便はない.
以上はベクトルの幾何学的表現方法であるが,解析的取り扱いにはこれを数を以って表すことが必要である.
そのため空間に固定した直交座標系
を取り,
を起点として
を表すベクトル
を作り,
の座標を
とする.
即ち
はそれぞれ
線分
の
軸,
軸,
軸上への投射で,
点
が座標軸の正負の側にあるに従って、それぞれ正負の符号を持った実数である.
ベクトル
が与えられればこの三つの数が一義的に定まり,
逆に三つの数の組
が与えられれば,これらを
軸,
軸,
軸への射影とするベクトルが定まることは明らかである.
故にベクトルは三つの実数の組により定められる量であるということができる.
をそれぞれベクトルの
成分,
成分,
成分と呼ぶ.
成分を用いれば,ベクトル
の大きさは
(1.1)

で与えられる.
の方向及び
向きを表すのに
が
軸,
軸,
軸の正の向きとなす角の余弦(即ち方向余弦)
を用いる:
(1.2)

(1.1) および (1.2) から方向余弦
に対するよく知られた恒等式
(1.3)

を得る.
大きさが
なるベクトル
を
単位ベクトルという.
その成分は
の方向余弦
である.
なるときには,それらの成分の間に
(1.4)

なる関係がある.即ち一つのベクトル方程式
は(数の間に成り立つ)この三つの方程式と同等である.
を一つの実数とし,
なるベクトルは,成分が
(1.5)

なるベクトルと定義される.その大きさは,(1.4)により,

方向及び向きは,(1.2)により,

.
ただし復号は
ならば
,
ならば
をとる.
よって
は大きさは
,方向は
に等しく,
ならば
と同じ,
ならば
と反対の向きを有するベクトルである.
と同じ方向,向きを有する単位ベクトル
(これを
の方向の単位ベクトルと呼ぶ.)
を
とすれば,
は次の形に書かれる:
(1.6)

は大きさを,
は方向及び向きを表す.