中学校国語/現代文/報告書の書き方

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実社会での報告書や説明文などでは、なるべく読み手に掛かる読解(どっかい)作業の手間を、減らす工夫をしなければなりません。

そのため、次の節で述べるような、以下の工夫が必要です。

(※ なお、読書感想文の書き方については、別の記事で説明します。)

注意

本ページの内容は、理科で習う実験レポートの書き方とは、ちがいます。実験レポートについては、中学理科の教科書や参考書を参考にしてください。


そもそも報告書とは[編集]

報告書、レポートとは、何かを調査して、調べて分かった結果を、書類にまとめたものである。

書類にまとめる理由は、あとから見返せるようにするためです。

また、報告書を読む人は、アナタ以外の他人です。(あなた自身が読むために書き残す場合は、「メモ」「ノート」などと言います。)

学生レベルの報告書なら、もし、あなたと同じ学年の平均レベルの学力の他人が読んでも、理解できるように、書かなければなりません。

さらにまた注意事項として、書類を渡した相手(担任など)以外の第三者(学校なら先輩や後輩の生徒や担任以外の教師など、はたまた場合によっては学外の関係者など)が読む場合もありうるので、なるべく一般人が読んで分かるように書きましょう。特定の相手でないと通じないような書き方は、あまり好ましくないです。

そのため、報告書は書き方は、誰が書いても似たような書き方になってきます。作家性や独自性などは不要です。


日本語としての「レポート」の慣用的な意味

「レポート」の意味について、英語としては不正確な用法だが、「レポート」と「報告書」とでは、慣習的に意味が違っている。「レポート」とは、報告に加えて、さらに分析などの入った書類のことであるという用法が、日本では慣例である[1][2]


題名を忘れずに[編集]

まず、報告書の題名には、たとえば『○○について 報告』または『○○の調査結果』などのように、その書類の種類が報告書であることが分かるように題名をつける必要があります。

単に『○○について』という題名だと、後日、その書類が感想文なのか報告書なのか何だったかのか、第三者がひとめ見たときに、分からなくなってしまいます。報告書を管理する人のことを思いやりましょう。

また、企業などでは、報告書を要求する上司は、報告書以外にも他の多くの書類を管理していることが多く、それら他書類との混同をふせぐため、題名で報告書であることを明記する必要があります。

また、報告対象について(『○○について 報告』の「○○」の部分)の明記も、忘れないようにしましょう。

会社では通常、多くの事例についての報告書が管理されています。なので、報告対象について題名で説明がないと、分からなくなってしまいます。


なお、書き手に余裕があれば、報告書の題名は、下記のように、より具体的にしましょう。たとえば、もし報告書の目的が、もし提案ならタイトルは「○○について 提案書」のようにするのが合理的です。

あるいは提案ではなく、調査報告が目的の報告書なら「○○について 調査結果報告」などのように、具体的に目的が分かるようにするのが良いでしょう。[3]

ノウハウ集[編集]

著者名を忘れずに[編集]

報告書じたいの著者名として、自分の名前を、題名のあとの冒頭、または書類の末尾など、見つけやすい場所に入れる必要があります。

なぜなら、企業など実社会での報告書は、けっして1回書いて提出すれば終わりではなく、通常、書き直しを何度かする必要があるからです。

通常、報告書を渡された相手である上司が報告書の内容をチェックして、内容に不足や誤字や明確な間違いなどがないことを確かめ、もし不足などがあれば著者が追記や書き直しなどを求められることがあります。

上司は、あなた以外の人の書く書類も管理するので、なので書類には著者名が必要です。



なお、企業の報告書や大学でのレポート・論文では、表紙だけで1ページを使用します[4]。企業などでの本格的なレポート・論文・報告書などの表紙には、そのレポート的な書類の管理のために必要な題名・著者名のほかに印刷による記載のほかに、印字などで管理部署などのハンコが押されたりして保管されたりするので、なので、表紙だけで1枚、必要です。

なので、本格レポートでは、本文の書き出しは(表紙から、ではなく)2枚目以降になります。(実際には、さらに目次などが加わるので、本文書き出しは3枚目以降になる可能性もある)

しかし中学・高校では、ここまでしなくても(表紙だけで1枚にしなくても)良いでしょう。


べからず集[編集]

報告書には、正確さが必要です」[5]


このため、下記のように、報告書を書く際に、けっして、やってはいけない事があります。

レポートを書く際に、「やってはいけない」「やる必要はない」書き方の一覧は以下の通り。

  • あなたしか知らない情報を前提にしてはならない。
  • (うそ)をついてはいけない。
  • 起承転結(きしょうてんけつ)は不要。
  • 修辞法(しゅうじほう)は使わない。

上記の行為は、報告書ではしてはいけません。

その他、「してはいけない」というほどの禁止事項ではないが、不要なこととしては、

  • 今後の抱負(ほうふ)や予定はいらない。

があります。

なお、報告書・レポートの文体には、次の点に気をつけてください。

  • 常体(~だ・~であるの文)を使いましょう。敬体(~です・~ますの文)は使いません。
  • 書き言葉を使い、話し言葉は使わないようにします。

報告書やレポートは簡潔(かんけつ)であることがもとめられます。そのため、字数が無駄に増えやすい敬体は使わず、常体で文章を書いていくのが基本です。

また、報告書などに限りませんが、書き言葉を使うのが鉄則です。文章は普段使うような言葉で書きがちですが、書くものは書き言葉でなければなりません。以下に、まちがえがちな話し言葉と書き言葉の一例をあげていきます。

話し言葉 書き言葉 文例(話し言葉→書き言葉の順)
この頃 最近 この頃、雨が多い→最近、雨が多い
そんなこと・人 そうしたこと・人 そんなことがどうして起こるのか→そうしたことがどうして起こるのか
けど けれども/が 今日は雨だけどマラソンはある→今日は雨だがマラソンはある
接続詞としての「なので」 よって/だから/したがって/そのため 台風だ。なので、休校になった→台風だ。そのため、休校になった
※「台風なので、休校になった」が本来の「なので」の使い方。

もちろん、会話を引用した場合には話し言葉でもかまいません。ただし、「」をつけて会話であることを示してください。


また、敬体を使わないこととも関連しますが、尊敬語や謙譲語も、基本的には、組織内部(社内や学内)での報告書では不要です。

たとえば誰かが何かを言ったことを報告する場合、単に「〇〇が言うには、」のように書けば、一般の企業の報告書では充分でしょう。

もし、いちいち「おっしゃった」とか「申した」とか報告書で書くと、読み手にとっても面倒です。

たとえ敬体を社内のメール連絡などで使う場合でも、せいぜい「〇〇さんが言うには、〜〜 と言ってます。」のように丁寧語で書けば普通の企業では充分でしょう。

ただし、外部とのやりとりをする文書などでは、必要に応じて、敬語などを用いたアイサツ文などの書類を添える必要があるでしょう。


その理由[編集]

  • あなたしか知らない情報を前提にしてはならない。

報告書を読む人物は、あなた以外の他人です。世間一般の大人が知っている情報を前提にして、報告書を書いてください。世間の大人が知らないだろう専門知識や専門用語の使用が報告書で必要な場合は、報告書の内部で、その専門知識などの内容を1行〜2行程度で簡潔に紹介してください。


  • (うそ)をついてはいけない。

当然です。物語文を書くのならともかく、報告書では嘘をついてはいけません。


  •  起承転結(きしょうてんけつ)は不要。

起承転結とは、漢文(かんぶん)での漢詩(かんし)の絶句の書き方から生まれた文章の流れです[6]。起承転結は、報告書の書き方ではありません。

報告書を書く時は、とくに こだわり のないかぎり、結論から書くべきです。

参考までに、報告書の例ではないですが、商業高校の教科書『ビジネス基礎』には、章『話し方と聞き方』とで「結論から先に話す。」「わかりやすい言葉を使う。」「聞き取りやすい声の大きさと速さで、相手の反応を確かめながら話す。」とあります[7]。このように、ビジネスでは結論から話されるのを好みますので、とくに書式が指定されていないかぎりは、なるべく早めに結論や全体像などを相手に伝えるように心がけたほうが良い場合が多いと思われます。

商業高校の教科書『ビジネス・コミュニケーション』によると、ビジネス文書の場合では、「起承転結」の構成ではなく「結起承」(けっきしょう)の構成で書くことが望まれている場合も多い[8]と言われている。

さて、報告書の話題に戻ります。

一般に、ビジネス系の文書では、書式が特に規定されてないかぎりは、最初に結論・要約を書くのが、ビジネス系の報告書では普通[9]

つまり、書式の指示が無い限り

結論(または要点) → 導入 → 詳細 

のような順序で、書くのが良いでしょう。


起承転結で書いてしまうとよくない最大の理由は、「転」の部分です[10][11]。冒頭の「起」で読者が予想したことが、「転」でどんでん返しで外れてしまうと、読者が読み返す必要が生じてしまいますし、読解にも時間が掛かります。

原稿用紙が何枚もある報告書を読みなおしたり読解したりする作業は、読者にとって、かなり労力が必要です。

なお、歌舞伎の用語で「序・破・急」(じょはきゅう)という用語がありますが、この「序・破・急」も起承転結と同様、報告書・レポート・論文などの書き方としては不適切です[12]

そもそも書類の目的として、報告書の目的は、何かを調査するためだし、レポートや論文の目的は、なにかの課題・疑問の問いを見つけることです。

いっぽう、起承転結や序破急は、起承転結の目的は漢詩の比喩の効果を高めるためのものだし、序破急の目的は日本舞踊を美しくみせるためのものなので、レポートなどとは目的がズレています[13]

どうしても論文・レポート・報告書などを文学などのジャンルに例えたいなら、小説や漢詩ではなく、さしずめ推理小説のようなものだろう[14]と言われており、まるで探偵が証拠にもとづき犯人を絞り込んでいくように、レポートなどでも調査結果の事実にもとづいて分析などを確固たるものにしていく必要があります。

さて、結論が書類の冒頭と最後の両方に書かれるようなスタイル(結論→理由→結論)の文章構成を「双括式」(そうかつしき)と言います。

「序論→本論→結論 」または「経緯→結論」のように、最後にだけ結論が来るスタイルは「尾括式」(びかつしき)と言います。

「結論→理由」の順序のように、最初に結論が来るスタイルは「頭括式」(とうかつしき)と言います。


文章による報告書の場合、双括式で書けば、読み手にとって読みやすくなる場合が多いので、読者は、とくにこだわりのないかぎり双括式で書きましょう。

なぜ双括式だと読み手がラクになりやすいかというと、もし読み手が2回目の結論のある場所を読んだ時、その2回目の結論の直前の文が、理由の説明の終わりだと分かるので、読み手にとって理由の文の位置を特定するのがラクになり、そのため読み手が理由を分析するのもラクになります[15]

いっぽう頭括式だと、細かい分析が必要な報告書の場合には、理由を読み終えたあとに、いくつか前の文にもどって結論を確認する手間が生じるので、不便です。

あるいは尾括式だと、理由を読むときが暗中模索の状態になりやすく、報告書では、かなり面倒になりやすいのです。

なので、報告書では、双括式がいちばん便利なのです。


学生にとっては双括式という用語の暗記よりも、このスタイルを使いこなせるようになることのほうが重要です。

特に、1本の報告書のなかに、いくつかの小報告がある場合に、双括式が便利でしょう。なぜなら、1本の報告書の中のそれぞれの小報告をそれぞれ双括式で書くことにより、それぞれの小報告の範囲や境界が、読み手にとって明確になりますので、おすすめです。


ただし、調査対象が複雑だったり、相手の予備知識が不足している場合などは、結論より先に、必要に応じて予備知識などを手短かに冒頭の段落などで説明することもあります。[16]

ですが、たとえ背景を先に書く場合でも、けっして、わざわざ起承転結のストーリーを長々と書いて誤解を招く必要は無いでしょう。

また、明確な結論が無い場合でも、概要を先に書くのが望ましい[17]


  • 修辞法(しゅうじほう)は使わない。

報告書やレポートでは原則的に、レトリックなどの文学的表現は不要です[18]。 修辞法(レトリックともいいます)については文法で解説しているので、そちらを見てください。ここでは、どうして修辞法を使わないのかを説明します。

修辞法は文章の中で、表現に余韻(よいん)を持たせたり、読者に考えさせたりするために使われます。しかし、報告文はなるべく正確に物事を読者に伝えることが目的の文章です[19]。文章の余韻や自分の感動、豊かな情景描写は報告する上で必要ではありません。あくまで、客観的(きゃっかんてき)な事実を簡潔かつ正確に伝えることが報告文の目的なのですから、読者に「この表現のセンスはいいね」「言葉の使い方が上手い」から言われることを目的としてはいけません。また、文法のページにもあるように、修辞法を使う文はイヤミでキザなイメージを与える可能性もあります。

また、読者に考えさせることで、解釈(かいしゃく)が分かれるような文章にするのも報告文の趣旨(しゅし)から外れます。事実を正確に伝えるという役割を果たさなくなるからです。

ただし、様子を伝えるのに「~のようだ(ような)」は使ってもいいでしょう。たとえば、「ネコのような大きさの動物」といった表現は、その動物の様子を正確に伝えるという役割を果たしています。この場合でも、あまり知られていないようなたとえを使ったり、独特のたとえは要りません。あくまで、誰でもイメージできる・分かるものでなければなりません。つまり、比喩を使う場合は、直喩(ちょくゆ)でたとえる必要があります。

隠喩(いんゆ)は、読み手に読解の負担を与えるので、避けてください。隠喩とは、たとえば、ネコのような大きさのネコ以外の動物(たとえばウサギなど)に対して、「ウサギはネコだ。」とかいうように、「ような」「ようだ」を省略する表現です。


  • 今後の抱負(ほうふ)や予定はいらない。

「これから私は○○しようと思いました」などと今後の抱負やら予定が、文末などに書かれる場合がありますが、出題者から抱負の記述を要求されてないかぎり抱負は不要です。

中学校・高校によっては、教育的な理由から(「生徒に自分の意見を書く練習をさせたい」など)、報告書で今後の抱負を書かせる場合もありますが、本来は報告書では、抱負の記述は不要です。なぜなら抱負は、事実でもなければ、分析でもないからです。

それでも、どうしても抱負のような今後の目標を報告書に書く場合、段落を分けたほうが良いでしょう。つまり、抱負のための段落を、新たに用意します。報告書を受け取った人物が、第三者に報告書の内容を紹介する際、抱負が不要な場合には、抱負の段落を省いて紹介する事ができます。逆に第三者に抱負の内容を紹介したい場合でも、抱負の内容だけを抜粋する事もできます。

大学生の実験レポートなどでも、「今後の目標」は、行った実験データ部分の段落とは、段落が別々に分けられるのが通常でしょう。


抱負がいらない理由[編集]

まだ調べてないことについて、1日で調べられるような事なのに「もっと調べたいと思いました」程度の抱負・予定なら、書く必要はありません。むしろ、その程度の予定なら、書かないほうがマシかもしれません。

それとも、もし未調査のことがあって、それを調べるには数カ月や数年も掛かりそうなら、「○○を調べたいと思いました」と言うよりも、はっきりと「○○は未調査であり、今後の研究には、さらなる年月が調査に必要だろう」などと書くべきです。

たいていの場合、文献などでの調査中に、あなたの知らなかった新事実が判明するので、調査項目について全てを調べきるのは不可能ですし、調べきる必要もありません。

したがって、報告書では、例外として学校側から「○○について、文献△△で、すべてを調べろ」などと指定してないかぎり、項目すべてを調べきる必要がありません。提出期限までに調べられることを調べて、調べ終わらないことについては、未調査として扱えばいいだけです。

あまりにも未調査の項目が多すぎると、書き直しを命じられますが、中学生として、きちんと文献を調べているなら問題はありません。

だいたい、「○○を調べたい」と言われても、読者からすれば、「そんなに○○を調べたいなら、どうぞご自由に、実行すればいいんじゃないですかね?」って思うだけです。

中学生・高校生が1日か2日で調べられることに、世間一般の大人は、興味がありません。

大学の卒業研究みたいに数カ月も掛かったり、あるいは調査費用が高かったりするならばともかく、1日程度の調査で終わるだろう予定を紹介されても、大人の読者は「あ、そう。じゃあ、調べれば?」と思うだけです。

報告書で聞かれているのは、調査対象についての調査したデータとか、そのデータの分析です。あなたの今後の予定は聞いてないのです。 世間一般の大人は、あなたに興味は無いのです。

よほど面白いアイデアが思いついて、そのアイデアをアピールしたいならともかく、そうでないなら、今後の抱負は不要です。

報告書では感想は不要[編集]

報告書では、出題者から感想を指定されてない限り、感想を書く必要はありません。

それでも、もし、報告書で感想を書く必要のある場合は、手短かに要点を書きましょう。

感想も原則的に不要です。 なぜなら報告書の本質は、報告されたデータとか、そのデータに対する分析や調査結果です。あなたの感想には興味ないのです。

報告書の本質でない「感想」を、長々と説明されても、読者は困ります。


もし報告書で感想を書くにしても、なるべく、分析にも役立ちそうな感想を優先的に書くべきです。たとえば分析中に気になった事や、調査中に気になった事などがあれば、その気になった点とやらを書くのが良いでしょう。

気になった点を書くことは「感想」というよりも、今後の調査についての「意見」などに近いかもしれませんが、あまり細かいことは気にする必要はありません。 大人が書くレポートでも、最後に「感想」を書く場合は、実質的には、今後の調査についての「意見」を書いている場合が多いでしょう。



企業で必要な「感想」(自称)の具体例を挙げます

感想
実験中、エネルギー率35%時点にて、温度を40→60度と温度を変えつつ対象物体の体積の測定をしているとき、私の耳で聞いた主観判断だが、ときどき10~20秒程度の感覚でボコボコっと音が何回も周期的に鳴ったように聞こえた。

さらに、どうも温度が50度を超えると周期が短くなっていき、10秒ていどの周期で音が鳴るように思われる。

しかし、それにもかかわらず、温度そのものは他の実験と同様に安定して上昇しているように見える。

こういうのが、企業の報告書とかでの「感想」です。

つまり、予想外の現象に遭遇したり、設備不足・人員不足などの理由で、きちんと検証しきれていない現象があるので、あくまで推測にすぎず「思われる」とか「見える」とかで語尾を濁さざるを得ないが、しかし、報告の必要がありそうな重要そうな現象を発見したかもしれないときに、「感想」とかの項目を追加して、マトメて報告するテクニックを使う場合もあります。

はたして、企業のこういう想定外マトメの報告を「感想」と言うのが国語的に正当なのかという疑問はありますが、しかし、企業では、これが報告書の「感想」の実情です。文句を言うなら、経団連とかに文句を言ってください。


残念ながら、大学とかでレポートの書き方を教えている大学教授とかは、こういう実情を知らないので、あいかわらず読書感想文の感想みたいな感想をレポートなどで要求しますが、しかし企業の「感想」は意味が違います。


なお、たとえ想定外の特記事項の無い場合であっても、もし「感想」欄があるなら、下記のように、特記事項の無いことと、その根拠となる観察結果の印象などを書くと、読み手が検証しやすいので、便利です。

感想
特に無し。実験はいつもどおり、安定して温度が40→60度と定格時間の5分で上昇していった。

こう書くと、特記事項の無いと判断した根拠も読み手が分かるので、読み手はいちいち書き手の意図を確認する手間が減ります。


「感想」というより、「特記事項」や「追記事項」とでも言うべき項目のような気もしますが、しかし日本企業には、こういう言葉の使い方をしている企業もあるので、まあ必要に応じて、使い分けてください。


なお、「所感」または「所見」という場合もあります」[20]。「考察」と言う場合もあります[21]

また、企業によって、特記事項的なことを「感想」という場合もあり、いっぽうで、読書感想文みたいな感想のほうは「所感」という企業もあれば、その逆の企業もあります、

つまり、特記事項的なことを「所感」といい、読書感想文的な感想のほうを「感想」という企業もあります。

企業によって用語の使い方がバラバラなので、読者は将来、就職先の用語に合わせてください。

読書感想文みたいな感想を書くなら[編集]

それでも、どうしても報告書に、読書感想文みたいな感想を書くのだとしたら、 抱負と感想に要求される内容が似ているため、もし感想を書くなら、抱負とまとめても良いかもしれません。

しかし、単に「報告書を書いて、勉強になった」「ためになった」「もっと勉強しようと思いました」などの感想なら、わざわざ書くほどの必要がありません。

小学校・中学校での、人生で初めてかもしれない報告書の体験なら、感想を書くことにも教育的な意義があるかもしれません。しかし、大人の社会の報告書では、単純な「勉強になった」などの感想は不要です。


「意見」とは

なお、さきほど(今後の調査についての)「意見」と言いましたが、日常語でいう「意見」とは意味が違い、報告書や論説文でいう「意見」とは根拠のある提案などのことです。もしくは、根拠をもとに、なにかを証明することです。どちらにせよ、根拠をともないます。

※ 高校の選択科目『国語表現』でも、そう説明している。
※ 以下の文では説明の単純化のため、提案の意見について、本章では説明する。

けっして、なんの根拠もない「〇〇すべきである。」(あるいは「〇〇するのが合理的だろう。」など)というだけの単独の文は、報告書でいう「意見」ではないのです。

「意見」とは、それにさらに論拠を加えたものです。


つまり

〇〇すべきである。
なぜならば、□□であるからだ。よって、〇〇するのが合理的である。

のような文章構成のことが、報告書でいう「意見」のことです。

このように、意見を提案する場合には、先に意見を書き、直後に理由を書くのがマナーです。[22]。なぜならビジネス文書では、先に結論を書くのがマナーだからです。


あるいは他の文例構成としては、報告書によっては提案の直前の文で論拠を説明している場合もよくあるので、

提案になるが、上述のように□□であるので、よって提案として、我々は〇〇すべきであろう(あるいは「するのが合理的である」など)。

のように書かれる場合もあるかもしれません。

ともかく、「提案」と「根拠」がセットでないと、報告書では「意見」として役立ちません。

意見を書く際には、提案のすぐ近くに、根拠を書く必要があります。


ただし、意見や提案は、報告書のメインではないです。

報告書は、あくまで、実際に起きたことを報告するのが本来の役割です。


どうしても意見や提案の書類が必要な場合は、なるべく別の書類にまとめましょう。ただし企業の場合、意見や提案などは、書類ではなく口頭で済ます場合も多く、意見や提案の書類が造られない場合もあります。(提案や意見は却下される場合も多く、却下される事項の書類をいちいち作成するのは、企業では手間なので。)

それでも、もし意見や提案などの書類を作る場合なら、報告書のほうに「別紙にて意見/提案あります」のようなコメントで紹介するぶんには、構わないでしょう。

結論から書くには[編集]

冒頭などで紹介するための結論(または要点)をまとめる場合は、まず下書きが必要です。

あらかじめ別の用紙に下書きして、思うことがあれば、どんどん書き出していくのが良いです。その際、パソコンのワープロソフトなどを用いて、下書きしてもよいでしょう。パソコンを用いると、今後の構成の編集でも楽をできます。

いったん紙やパソコンで書いてみると、意外と、書きたいことがどんどん思いつくものです。

文章を十行くらい書き出したら、そこでいったん、書いた内容の順序を入れ替えて、結論から文章が始まるという構成にします。パソコンがあると、この文章の順序を入れ替える作業が、コピーペーストのボタンだけで終わるので、とても便利です。

この結論から書き直した文章を核にして、文章を書いていくと、良いでしょう。

要点がまだ不明な場合[編集]

報告書では理想的には、調査や分析などが充分であるのが理想的ですが、しかし、時間や費用などの問題で、不十分な調査で終わってしまう場合もあります。

その場合、要点を冒頭に書こうにも、何が要点なのかすら不明なので、「結末・要点から書く」という手法では書きようが無いという状況になります。

このように、調査が不十分で要点を書けない場合の対応策として、仮説を報告書内の適切な場所に書くのが良いでしょう。

調べている最中で集めたデータなどをもとに、自分はどんなことを予想したか、そういったことを書くと良いでしょう。

もちろん、あくまで仮説なので、「仮説であるが、〇〇かもしれない、と思っている。」などと、仮説であることが読み手に伝わるように記述しておく必要があります。このように、仮説と事実とは、報告書では区別を明確にできるようにすべきです。

また、もちろんその仮説の前提となるデータも、可能なかぎり、報告書に記述しましょう。


出来事の報告は時間順でなくてもいい[編集]

報告書で、過去に実際に起きた出来事(できごと)を報告するとき、報告の順序では、かならずしも過去から順に報告する必要は無いです。

なぜなら、もし過去の出来事が多い場合、読者がいちばん知る必要のある現在のできごとに到達するまでに、時間がかなり掛かってしまいます。


なので、報告する出来事が多くなりそうな場合、まず最初に、現在起きていることを報告してしまいましょう。

そのあと、過去から順に現在まで報告するのです。

つまり、たとえば例文は

現状は〇〇である。
 
こうなった経緯は、そもそも△△であった。
△△のあと、(中略。ここの説明が長かったとする)、そして、ついに□□が起きた。
その後、□□により、〇〇が起きた。

のような説明順になります。


つまり

現在

最も古い過去 (仮に過去1とする)
その次に古い過去 (過去2とする)
過去3 (過去1、2の次に古い過去)
・・・
現在の直前の過去
現在

のような文章構成になります。

また、このような説明の副次的なメリット(利点 のこと)として、重要度の高い現在の情報を2回説明することになるので、いちばん重要である現在の情報の読み落しする可能性が減るので、安全です。


章にタイトルをつける[編集]

学校の作文では、あまり、それぞれの段落にタイトルをつける事はないですが、しかし、企業などでのレポートは違います。

あなたが今このページで読んでいる文章にも各章にタイトルがあるように、レポートにも章ごとにタイトルがあると、管理しやすくなります。

※ 旺文社の小学生むけの社会科の参考書『わかる社会』でも、レポートの書き方の例として、それぞれの章にタイトルをつけている方式を、良いレポートの書き方として紹介している。


また、そのタイトルのつけかたは、その章の調査対象などを簡潔に示すタイトルにしてください。

たとえば、日本の歴史についてのレポートで、ある章では日本の江戸時代の食文化について調査した結果を主に紹介しているなら、その章のタイトルは単に「江戸時代の食文化について」のような簡潔なタイトルで充分です。

けっして、世間の各種の広告のキャッチコピーなどのように、一見すると矛盾するようなタイトルをつけないでください。

たとえば、江戸時代の食文化のレポートなのに、人目を引こうと思って「江戸の寿司は未来だ!」(× ダメな例)とかの矛盾したタイトルをつけると、レポートの管理者(上司など)に読解作業の負担が掛かります。


なお、感想などの段落も、タイトルをつけるべきです。感想の欄のタイトルは「感想」で充分でしょう。


※ ただし、上記のノウハウはあくまでレポートの場合の書き方です。映写機などを使ったプレゼンテーションなどの場合は、ノウハウが異なります。

中学生用のノウハウ[編集]

文献調査の必要なレポートの場合[編集]

たとえば社会科の地理などのレポートで、特定の国の文化についてレポートを書く場合には、文献調査が必要でしょう。

  • 参考書を準備しておく。

たとえ、理科実験など実技関係のレポートでも、参考書も用意しておいて、必要に応じて、関連箇所を目次で探して読むと、良いでしょう。 (ただし、その科目の参考書が市販されてれば、の場合ですが)

参考書を読む必要が無いなら、参考書を読む必要はありません。調査時間も限られているだろうし、参考書のすべてを読む必要はありません。参考書については、目次で関連の深そうなテーマを1つか2つか探して、数ページでも読めば充分です。

それでも分からないことがあれば、そこで初めて、図書館を利用したり、インターネットを利用したりすればよいのです。

参考書を読めば分かるようなことを調べるのに、わざわざ図書館に行くのは、時間が大変に掛かります。それに夜中などは図書館が閉まっています。

中学の参考書だけでなく、高校の参考書・資料集も、文献調査の際に買っておくと、図書館で文献を探す時間を節約できて便利です。


  • 教科書・参考書の内容の羅列(られつ)はいらない。

内容の羅列をするなら、その文献を紹介すれば良いのです。そもそも内容の羅列は、学校側の出す課題のテーマにならないでしょう。そして、その文献の内容のうち、報告書で必要な箇所を紹介すれば、済むだけです。

教科書・参考書以外の本の内容を紹介する場合でも同様です。

説明のため、どうしても教科書または参考書の一文や語句などを紹介する必要がある場合などでも、紹介した文や語句についての自分(=あなた自身)の考えを、自分の理解できる言葉で説明してください。読者が知りたいのは、あなたの分析であり、べつにどこの教科書や参考書に、何が書いてあるかを知りたいのではありません。あなたの考えを説明するべきなのです。

なお、引用などが必要な場合なら、カギ括弧(「」とか『』)で くくって、また、引用であることを明記してください。この引用のルールは、引用のもとになった作品の作者の著作権などの権利を尊重するためです。


  • 文献調査の課題では出典を紹介する。

実技分野以外の、国語や社会科などのレポートなどで、文献を読んでレポートを書く課題の場合です。

文献調査によって書く報告書の場合、あなたの主張の根拠にした出典を紹介してください。あなたが調査のために読んだ本のタイトルなどです。読んだ本が複数冊ある場合は、最低でも1冊はタイトルを書いてください。

報告書にかぎらず、引用の場合には最低でも、その出典について、著者名・タイトル・出版社名 の3点は必ず記載するのがマナーです[23]

一般的には、大人の文献調査では、基本的には、出版社名・タイトル・著者名・出版年および版・参考にしたページなどを書きます。

このように、主張の根拠にした文献などを「参考文献(さんこうぶんけん)」と言います。

引用および参考文献について[編集]

引用(いんよう)とは、他の本に書いてあることを、そのまま書き写すことです。

たとえば『平家物語』から冒頭部を引用すると「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」となります。読みがな(「ぎおんしょうじゃ」とか「しょぎょうむじょう」とか)は、引用する必要は、ありません。

上記の平家物語からの引用の例のように、引用が必要な場合は、その引用した部分を、カギ括弧(「」など)で、くくってください。 上記の例では「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」の部分が、引用された箇所になります。

また、どこの本からの引用なのか、はっきりと分かるように紹介するべきです。上記の例の場合、『平家物語』という本からの引用だと分かります。


引用の文量は、最低限にしてください。また、引用の際には、原則的に文字を変えたりせず、そのまま書き写します。ただし、漢字が常用漢字以外などの場合、常用漢字に変えてもかまいません(この場合、常用漢字に変更したことは、いちいち説明しなくていい)。

しかし、そのような特別な理由が無いかぎり、そのまま記載するのが、引用のルールです。

もし、なんらかの特別な理由があって、そのまま記載できない場合には、その理由を手短かに説明するようにしましょう。そうでなければ、剽窃(ひょうせつ)といって、他の人の文章をぬすんだのと同じ扱いになってしまいます。剽窃とみなされると、よくてレポートの書き直し、悪ければ0点扱いされてしまいます。


まちがった引用

よくある、間違った引用の例として、作者名とその人の発言だけを紹介する例があります。

たとえば


※ ダメ名引用の記載の例

「夏は少年にとって大きな脱皮の季節」(椎名誠)
※ 作者名しか紹介していないのが、引用としてはダメ。
※ 誤解の無いように言うが、けっして椎名誠がダメといってるのではなく、上記のように引用のつもりで紹介した wiki の書式がダメだと言っている。
※ 椎名誠じたいは、ウィキペディア日本語版にも記事 w:椎名誠 の作られるような立派な作家です。

みたいな引用の仕方です。なお、この文章(夏は~季節)は検定図書からの引用で、学校図書(教科書出版社のひとつ)の中1国語の中にある文章。

この文章だけ紹介されても、紹介文を読まされた読者にとっては、裏づけ調査が不可能または困難です。どの文献を調べれば乗っているかすら明記していないので、この作家のすべての著作を把握しないと、裏づけ調査できなくなってしまいます。そして、そもそも、この作家のすべての著悪を把握しているような人にとっては、そもそも、「椎名誠」と出典の作者名を紹介する必要は無いので、よって読者にとっては作者名だけを紹介するのは無駄です。


正しい引用の仕方は、書籍名、作者名、ページ、出版年月日や第何版や第何刷などを正確に記述する必要があります。でないと、他の人が裏づけ調査をできないからです。

なので、正しい引用の仕方だと、たとえば

「夏は少年にとって大きな脱皮の季節」(原著: 椎名誠『風呂場の散発 ‐ 続岳物語』。 学校図書(検定教科書からの引用)、平成23年2月28日検定済み、平成26年2月1日印刷、平成26年2月10日発行、教科書2ページ目からの引用)

みたいに、どこから引用したのかを、きちんと第三者が「本当にもとの文献には、そう書いてあるか?」裏づけ調査をできるように引用を紹介する必要があります。


どうやら

パスカル「人間は考える葦(あし)である。」

みたいな、偉人の名文などの文章の紹介とかと混同しているような、まちがった引用の方法が、インターネットでは、ときどき見受けられます。(なお、パスカルとは西洋の哲学者・科学者のひとり。)


なお、このパスカルのような外国の偉人の文献での発言ですら、本来の引用なら、たとえば

「人間は考える葦で(あし)ある。」(原著者ブレーズ=パスカル、原書 "Pensées"(『パンセ』)、和訳 ○○文庫版、和訳出版社 ××書店、△△(訳者名)和訳、和訳版 □□ページ、)

みたいに、なにを調べれば裏づけ調査できるかのように描かないと、第三者が裏づけ調査しづらいために引用としては役立たず、あまり引用として正しいとは認められないでしょう。


まだしも、小学校や中学校など義務教育や公教育で習うような常識的な有名作から、

「何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。」(夏目漱石『吾輩は猫である』、冒頭の章より)

のように有名作を紹介するならともかく、

読者に知らない人も多いかもしれない作品ですら、書籍名すら挙げないのは、明確に引用としては間違っています。


報告書の書き方のノウハウ[編集]

書き方の一覧[編集]

  • なるべく主語、あるいは目的語は省略せず、主語・目的語を書いたほうが分かりやすいです。
  • 一文は短めに書く。
  • なるべく肯定形で書く。あまり、否定形は用いない。報告書などでは、二重否定よりも、肯定形に置き換える。
  • 疑問点を述べる場合、その文では早めに疑問点を文中で説明する。
  • 接続詞を用いて、文の概要を示す。
  • 複数の項目を並べるさいは、箇条書きを利用する[24][25]
  • なるべく結論から書く。あるいは冒頭に要約や概要などを書く。

その書き方の理由[編集]

  • なるべく主語、あるいは目的語は省略せず。主語・目的語を書いたほうが分かりやすい。

物語文などでは文章の主語は省略される場合もあります。しかし、説明文や報告書などでは、なるべく主語を書いたほうが分かりやすいです。この箇条書き項目の「なるべく主語、あるいは目的語は省略せず、主語・目的語を書いたほうが分かりやすいです」という文章も、主語や目的語を省略せず、書いています。


また、できれば主語と述語とが、近くにあるほうが、読みやすくなります(日本語は述語で意味が確定するため)。

このため、もし一文の修飾語が長い場合には、文節を分ける工夫が必要です[26]


たとえば、

その会場には、若くて坊主頭の中学生くらいの男子学生が多く集まっていた。

ではなくて、

その会場に集まっていた学生の多くは、若くて坊主頭の中学生くらいの男子学生だった。

のほうが、読みやすいでしょう。

このように正確さを損なわない範囲で、なるべく主語と述語を近づけましょう。

また、一般に物事を分かりやすく説明したい場合には、全体像や概要を先に述べてから、各論を述べたほうが伝わりやすいです。

なお、このように、レポートや報告書などの冒頭で述べる、全体像を手短かにまとめた段落のことを「アウトライン」(英:outline [27])といいます[28]。(※ なお論文の場合は冒頭の要点の段落のことを「アブストラクト」というが、「アウトライン」と「アブストラクト」ではニュアンスが微妙に違う。論文の書き方については中学生・高校生には高度なため、説明を省略。)

また、この冒頭の概要(読者向けのアウトライン)を書く順序としては、よくあるパターンとして、じつは、その書類執筆時の最後のほうの時点で書くことになる場合がよくあります[29][30]。なぜなら、最後のほうの時点で冒頭を書いたほうが、書き手が書類で概要のあとに説明する内容をすでに分かっているので、より的確な概要を書くことができるからです。

パソコン時代の著作・編集は、じつはこういう順序になるのが普通です。手書きの時代とは、順序が違います。

ただし、もうひとつの別パターンとして、多くの要因からなる複雑なテーマを扱うレポートの場合には、下書きで冒頭に概要・序論などを先に書いて話題を限定して、自分のためのガイドラインとして概要・序論を活用しつつ、そのあとから、序論の方針にしたがって本論を書き加え、そして最後にまた冒頭の概要・序論を書きなおす[31]、などというパターンもあります。

どちらのパターンにせよ結局、冒頭部は、本論を書いた後に、冒頭部の概要・序論を書き直す必要があります。


もし書類に目次をつける場合にも、おそらく目次を書く時点がいつかというと、スケジュールでは最後のほうの時点に目次を書くことになるでしょう。


さて、文章を書く際、主語と述語を近づけた文章構成にすれば、自然と、最初の主語・出後の文節で概要が述べられ、次の主語・述語の文節で各論が述べられるので、つたわりやすくなるので、一石二鳥です。

ただし、このように、主語と述語を近づけると、やや堅苦しい言い方だと受け取られる場合や、内容によっては不正確になってしまう場合もあるので、読者の中学生は、うまく使い分けてください。


  • 一文は短めに書く。

日本語は、文章の最後まで読まないと意味が確定しません。そのため、一文が長いと、読む際の負担が増えます。この「一文は、短めに書く」という文章自体、なるべく短く書こうとしています。

一般に、ビジネス文書でも、一文はなるべく短く書くのがマナーとされています[32]


  • なるべく肯定形で書く。あまり否定形は用いない。報告書などでは、二重否定よりも肯定形に置き換える。

日本語は、文章の最後まで読まないと意味が確定しません。日本語では、否定形(〜ない、〜しない、〜ず)などの動詞などは文の最後に来ます。否定形の前後では、文全体の意味が正反対に変わります。 たとえば、「食べない」は、「食べ」の段階では読み手・聞き手にとっては「食べたい」「食べるとき」「食べよう」「食べない」など、色々な可能性があります。

そのため、否定形があると、読み直しの手間が生じます。否定形が多いと、読み直しの手間が増えて、読みにくい文章になります。この箇条書き項目「なるべく肯定形で書く。あまり、否定形は用いない」という文章自体、「○○で書く」という肯定形の表現を優先し、「△△は用いない」というような否定形の表現を後回しにしています。


どうしても否定形だけでかく場合、まず、否定される語句を短くします。

たとえば、

「右ではなくて左です。」

という文章の場合、否定される語句は「右」という、たった1文字です。このように、たった数文字だけに短くします。

悪い例として、否定される語句が長い例文をみてみましょう。

「ジュゲムジュゲムゴゴーノスリキレではなくて山田です。」

なんて否定される語句の長い文を読まされたら、きっと読んでる人はムカつくつでしょう。なぜなら、読んでる人は、せっかく「ジュゲムジュゲムゴゴーノスリキレ」という長い語句を読んだのに、その後に「ではなくて」と否定されるので、いままで読んだ努力が無駄になってしまうからです。


あるいは、否定を使う場合のもうひとつの手法として、直前に疑問文をつけて「では、○○なのか?」と問うた直後に答えで「違う。○○ではない。」とかのように、「違う。」とかを前につけると、誤読のおそれが少ないでしょう。

「では、山田さんなのか? ちがう。『山田さん』ではなく『田山さん』である。」のように。


口頭で「ちがう」だと強すぎる表現で失礼だと感じる場合、「ちがうと思います」とか「ちがうのではないでしょうか?」みたいに、婉曲的な語尾をつける方向性で丁寧にしていくのが安全でしょう。


※ 範囲外: 口頭での報告の注意点

ついでですが、口頭での報告の場合、「○○ではないです」のような否定表現は、避けたほうが安全です。なぜなら聞き間違えのおそれが高く、「○○で」と聞いた時点では「○○です。」と予想される可能性があるからです。特に仕事での口頭報告では、周囲の騒音などで、「○○で」「ガシャーン(騒音)」「です」のように、さえぎられる可能性があるので、気をつけてください。

結局、口頭での報告方法と、文章での報告方法とは、一致しません。

口頭での報告では、「○○ではないです」のような、否定形の補足説明は、むしろ逆効果です。

口頭での報告は、なるべく肯定形だけで「△△です」のように肯定形だけで報告するほうが安全です。

どのみち、説明される側の人も、口頭報告だけで細かい事を説明されても、覚えきれません。細かい説明は、後日、部下が書類(報告書)にまとめることになります。


この単元では、おもに文章での報告方法を中心に説明します。

さて、肯定形を先に無く場合、注意すべきは、肯定形の文と否定形の文を、必要に応じて2つの文に分けることです。たとえば仮に

「フドシラはペネモモでありロブキフではない。」

という文章があったとしましょう。

「フドシラ」「ペネモモ」「ロブキフ」とは、いまここで考えた固有名詞です。当然、辞書には載ってません。

さて、この文章(「フドシラはペネモモでありロブキフではない。」)では、肯定形(「〜であり」の部分)と否定形(「〜ではない」の部分)を、くっつけて、ひとつの文にしています。さて、結局、「フドシラ」とは「ペネモモ」なのでしょうか、それともペネモモではないのでしょうか? 

解釈が、次のように何通りにも分かれます。

解釈1: 「フドシラ」は「ペネモモでありロブキフ」ではない。つまり、フドシラはペネモモでないし、また、フドシラはロブキフでもない。
解釈2: 「フドシラはペネモモ」である。(フドシラは)「ロブキフ」ではない。

このように、肯定形と否定形をひとつの文にくっつけると、解釈の仕方が2通り以上、考えられる場合が生じるので、読む手にとっては面倒(めんどう)な事態が生じます。

なお、もし元の文(「フドシラはペネモモでありロブキフではない」)のかわりに「フドシラはロブキフではなく、ペネモモである」と書けば、解釈2の場合だと分かります。

そのため、どうしても肯定形と否定形を1つの文につなげる必要のある場合、否定形を先に持ってきましょう。


さて、もし「フドシラ」「ペネモモ」などの意味不明な単語ではなく、

「山田くんの出身地は神奈川県であり岡山県ではない」

という文章だったら、一般の読み手は「神奈川県」と「岡山県」は別の県だと知ってますから、山田くんの出身地を「神奈川県であり岡山県」という土地だと誤解する事はありません。

しかし、報告書で使うことになる単語は、必ずしも一般の読み手が知ってる単語だとは限りません。例えば、

「ゴンザレスくんの出身は新井(あらい)で、3丁目ではない。」

とかになったら、もう読み手は、お手上げです。結局、ゴンザレスの出身地は「新井」なのでしょうか。それとも出身地は「新井」の「3丁目」ではなく、まったく別の場所なのでしょうか。


肯定形を先にかく手法には、こういうリスクがありますので、書類では、肯定形を先に書くのをやめて否定形を先に書く方が良い状況もあります。

「ゴンザレスくんの出身は、3丁目ではなく、新井である(でもない)。」などのように書く方法もあります。

しかし、口頭での報告では、

「ゴンザレスくんの出身は、3丁目」と聞いた時点では、聞き手は脳内で「ゴンザレスは三丁目の出身なんだな。」と誤解してしまうので、口頭の報告では、肯定形を先に話すほうが安全です。


  • 疑問点を述べる場合、早めに疑問点を文中で説明する。

疑問点は、文中で早めに説明していただけると、読者にとっては読み返す手間が(はぶ)けるので、疑問点は文中で早めに説明したほうが良いです。また、疑問「点」と表記しているように、できれば疑問の箇所は文中で明確にしておき、説明のための文とは、別の文とすべきでしょう。さきほどの「あまり、否定形は用いない」にする理由と似ていて、読み返しの手間が少ない文章構成にするほうが、読者にとって便利です。

ノウハウ(参考): 疑問文が長くなりそうなら、文頭で「疑問だが」などと述べてしまうのも、一つの手法。
日本語では、「ある文が疑問文であるかどうか」は、文末を読まないと分からないため(文末に「〜なのだろうか?」「〜ではないか?」などのように文末の表現を読まなければ分からない)、もし疑問文が長い場合、読者に長い文を読み返す必要が生じてしまいます。読者は、文末を読む手前の瞬間までは、てっきりその文を平叙文だと思って読んでいるのが普通です。読者は文末を読んでから、やっと、その文が疑問文だということに気付くのです。 読者が、文末を読んで疑問文だと気付いてから、文頭の内容を思い返したり、あるいは読みかえしたりして、疑問文の内容を把握しようとするのです。

もし、疑問文の文章が短くて、しかも単純な内容なら、通常の疑問文で構わないでしょう。短い文章を読み返すのに、たいした手間は掛からないからです。

でも、もし疑問文が長くて、しかも内容が難解なら?

そして、たいていの場合、学生の書く疑問文は長くなりがちです。何故かというと、報告書の書き手が分からない内容を、書き手自身が手短かに説明するのは困難だからです。そもそも短く説明するためには、要点を理解してなければなりません。しかし、そもそも分からない内容の要点を理解するというひとは、通常ありえません。しかも報告書に書くような難しいテーマなので、なかなか短く説明するのが難しいのです。

そのため、たいていの場合、疑問文は長くなりがちです。

そこで、もし報告書で疑問点を述べる場合、疑問文の冒頭で「疑問点であるが、〜」「疑問だが、〜」のように、文頭で最初っから、その文が疑問文である事を述べてしまえば、読者は読み返しの必要が減るので、読者にとって助かります。

英文法を考えてみれば、英語では、疑問文は冒頭に「Do you 」とか「Are you 」と表現していて、疑問文である事が明確です。日本語の報告書でも同様に、疑問がある場合は、文頭の表現を工夫して、疑問文であることを明確にしましょう。

推測などを述べる場合
事実と推測と提案の区別

東京書籍の中1国語の教科書『新しい国語1』で、文章を書くときに、事実と推測と提案の区別をして書くように との指摘がある。

学校教科書にかぎらず、ビジネス文書の書き方入門書などでも同様に、事実と意見は区別せよ、と指導するのが普通である[33]

事実(ファクト[34] fact)と意見(オピニオン[35] opinion)は分離すべきです。(なお「オピニオン雑誌」というのは、政治などの議論にて、評論家の意見などの書かれた雑誌のこと。)


さらに、報告書などでは、推測や提案があるときは「推測だが、」とか「提案だが、」とか書いてくれると、読み手が読みやすくなるので、ぜひ諸君はそう書いてほしい[36]

事実の場合は、いちいち、事実を紹介している全ての文で「事実だが」と述べると、大量の「事実だが」という文が続出してしまいかねないので、省略するか、あるいは一つの段落に事実の説明をまとめるなど、工夫してほしい。

もし大量に推測や提案がある場合にも、段落をまとめる必要があるかもしれない。




(※ 参考 ) 電子メールの件名で文意をあらわすタグ表記

電子メールなどで、メールの件名に「【質問】 ○○は△△ですか?」とか「【○○の連絡】 △△が□□に変更しました」とかのように、そのメールの文章の種類をあらかじめ明示する場合もあります[37] 。 ただし、報告書では、このようなタグ表記の記号は、使いづらいかもしれません。


なお、メール件名のタグ表記の記号(【】など)はとくに決まりはなく、[ ] や < > などでも良い。

ただし日本では視認性の良さなどの理由で、すみつきカッコ【】がよく、電子メール件名のタグに使われている[38]

なお、インターネット技術では、 < > の記号が別の意味ですでに使われてしまってるので(HTMLタグという技術ですでに使われている)、電子メールによる報告などでは<>記号は避けたほうが良いでしょう。

また、学校教材では 〔 〕の記号がよく、空欄補充の問題をあらわすのに使われるので、避けたほうが安全かもしれません。

なお、電子メールで長い報告書を書くのは、一般にマナー違反です。電子メールソフトは、あまり長い書類を読むようには、つくられていません。

もし電子メールで報告をする必要のある場合、なるべく短く、まとめましょう。



  • 接続詞を用いて、文の概要を示す。

たとえ読み手が文章を最後まで読まなくても、読み手が文意を予測できるようにして、冒頭に接続詞などを用いて、文意を示します。さっき読んだ冒頭文の「たとえ読み手が文章を最後まで読まなくても、」という文節自体が、「たとえ」「たとい」という接続詞によって、文意を予測させています。

  • 箇条書きを利用する。

理由のひとつは、箇条書(かじょうが)きによって、説明対象の全体像がハッキリするからです。

たとえば

* なるべく主語は省略せず、あるいは目的語は省略せず、主語・目的語を書いたほうが分かりやすいです。
* 一文は、短めに書く。
* なるべく肯定形で書く。あまり、否定形は用いない。報告書などでは、二重否定よりも、肯定形に置き換える。
* 接続詞を用いて、文の概要を示す。
* 箇条書きを利用する。
* なるべく結論から書く。あるいは冒頭に要約や概要などを書く。

と冒頭で箇条書きする事によって、これから説明する項目(「* なるべく主語〜」「* 一文は〜」「* なるべく肯定系〜」・・・「* なるべく結論から」)の全体の構造が、ハッキリします。ここでいう「構造」とは、「* なるべく主語〜」について説明と、「* 一文は〜」の説明が分離している事が分かるなどのように、何と何が分離しているかが分かります。

もし、「一文は短めに書き、さらになるべく肯定系で書き、そして接続詞を用いて文の概要を示し、」・・・などのように書いてしまうと、文章が長くなり、読者は読解をするのが大変になってしまいますし、構造がどうなってるかも分かりづらいです。

しかも構造が、次の例のように読者には何パターンも考えられてしまいます。たとえば、

  • 「一文は短めに書き、」+「さらになるべく肯定系で書き、」+「そして接続詞を用いて文の概要を示し、」なのか、
  • 「一文は」+「短めに書き、さらになるべく肯定系で書き、」+「そして接続詞を用いて文の概要を示し、」なのか、
  • (「一文は」+「短めに書き、さらになるべく肯定系で書き、」+「そして接続詞を用いて」) +「文の概要を示し、」 なのか、

のように、読者は色々なパターンを想定して、どの構造なのかを読解せねばならず、読者に余計な手間が増えます。

また、書く人の側も、接続詞の「さらに」「そして」など、文脈に応じて追加せねばならず、手間が増えて、大変になります。

箇条書きにしない場合、読者も、書き手も、ともに手間が増えてしまい、なにも良いことはありません。企業などでの報告書の実務では、積極的に箇条書きを用いたほうが良いでしょう。

この記事自体も、箇条書きを積極的に利用しています。学校の作文などでは、原稿用紙の都合などで箇条書きが難しい場合もありますが、念頭に入れてください。

なお、箇条書きをする際は、箇条書きされた各文の冒頭に「・」などの記号をつけて、箇条書きである事を分かりやすく表示しましょう。

  • なるべく結論から書く。あるいは冒頭に要約や概要などを書く。段落の始め近くや章の始め近くにも、なるべく結論や要約などを書く。

なぜなら、読者にとっては、読み直しの手間が減ります。この記事自体、なるべく結論から書こうとしています。



報告書での文の読まれる順序は、かならずしも文章のはじめから文が読まれるとはかぎらず、抜粋(ばっすい)などをされて、第三者の読者に途中だけ読まれる場合もあります。

もし書く際に代名詞(それ、あれ、あの人、彼、彼女、・・・などなど)を多用すると、読み手が代名詞の答えを探すために前の文を読み返す負担が増えるので、報告書や論文・レポートなどでは、なるべく代名詞を抑え、具体的な名称などで書いたほうが良いのです[39]

具体的な名称とは、たとえば「その本は」ではなくて、「その『我輩は猫である』という本は」のように具体名で言い換えるという事です。

他にも、段落の始めや、章の始めなどでは、読み手がわざわざ前の段落や前の章を読み返さなくてもすむように、代名詞や指示語の使用はひかえめにしたほうがいいでしょう。つまり、段落の始めなどでは、具体的に名称を書くほうが、きっと読みやすいのです。

中学生・高校生では、別に報告書の書き方をここまで練習する必要は無いでしょう。そもそも、学習時間も足りません。(学生は、他の教科・他の単元の学習もしなければならない。) 頭の片隅にでも、読者である中高生は、報告書の書き方を入れておいてください。


ただし、詩歌や俳句や物語文などの場合は、文を書く際のノウハウが、報告書とは変わります。俳句の場合は字数の制限がありますし、詩歌や物語文などの場合には音のリズムの関係もあるでしょうから、あまりに具体的に名称を書いてばかりいると、かえって読みづらくなってしまうかもしれません。このような詩歌などの場合には、指示語や代名詞も用いたほうが良いかもしれません。

書き手は用途に応じて、書き方を分けてください。


  • グラフなどを必要に応じて追加

実務の報告書では、かならずしも、すべてを文章で表記する必要はなく、数値的なデータなら、グラフ(棒グラフや円グラフなど)で表示するほうが、ひと目で読み手が把握しやすく、読みやすい場合もあります。

パソコンの表計算ソフト(エクセルなど)には、グラフを作る機能もあります。

そしてワープロソフト(ワードなど)に、表計算ソフトで作ったグラフ画像を貼りつける機能があります。

※ 当教科は「国語」の教科なので、ワードやエクセルなどの練習については、説明を省略します。

※ 演説などの口頭発表への応用[編集]

(※ 口頭発表は、中学3年の国語の範囲。)

口頭発表では、聞き手が、聞き返すことが、むずかしいのです。

もし、報告書の文章を読み返す場合なら、読み手が「読みかえそう」と思えば、時間さえあれば、いくらでも読み返せます。

しかし、口頭発表では、聞き手が、「聞きかえしたい」と思っても、話し手に頼める立場になければ、聞き返すことができません。

なので、もし、口頭発表をする場合は、このことの注意して、文章を、あらかじめ考えておく必要があります。


まず、報告書の書き方でも教えたように、要点を先に伝えるという方法を、口頭発表でも行います。 また、日本語の演説ならば、否定型ではなく肯定形で言い替えるという手法も、演説などの口頭発表では必要です。


さて、キング牧師の黒人差別反対の演説を、おそらく中学3年くらいに学校で習うと思います。

「私には、夢がある。」という、あの演説です。

キング牧師が、こういうふうに言ってるのは、かならずしも文芸的な表現とはかぎらず、演説のさいに、要点をさいしょに伝えるという手法を使った結果でもあるでしょう。

仮に、あなたが、キング牧師のあの時代のあの場所にいた観客の1人だとしましょう。演説者のキング牧師から「私には、夢がある。」という言葉を聞けば、聞き手は、「この発言のすぐあとに、これから、その夢の内容を語るんだな・・・」と予想できます。

で、その夢の内容が、黒人差別をやめさせたい、という、あの有名な演説なわけです。

いっぽう、もし、いきなり、キング牧師が夢の内容を語ったとしましょう。「私には、夢がある。」という前置きをいわずに、いきなり「黒人への差別を、やめさせたい。」とか言ったとしましょう。(なお、キング牧師のじっさいに言った演説は、もっと長く、何分間も話し続ける演説である。しかし、本wikibooksでは、説明を簡単にするため、仮に(かりに)、キング牧師の演説の内容が数秒だったと、置き換えることにする。)

観客の立場になってみましょう。すると、下記に述べますが、いくつかの欠点があるのです。

実際には英語で牧師は言ったのでしょうが、ここwikibooks日本語版では、日本の読者にわかりやすく問題点を伝えるため、かりに牧師が日本語で発音したとして、なにが欠点なのかを説明します。

仮に日本語で、キング牧師が「黒人への差別を、やめさせたい。」と演説したとしましょう。

キング牧師いわく:「こくじん」。
観客には、まず「こくじん」という言葉が先に聞こえるのです。演説を、時間を追って最初から聞いてみると、聞き手には、このように聞こえることになります。
観客がキング牧師の口から「こくじん」まで聞いた時点では、観客は、まだ、キング牧師の言おうとしていることが、はたして差別解法運動のことかどうかは、わかりません。なにせ、まだ「こくじん」としか言ってないのですから。この時点では、観客はもしかしたら「キング牧師は『黒人の多くは、先祖がアフリカ大陸の出身だ。』という地理的な説明をしようとしてるのかな?」とか予想するかもしれません。

数秒たって、

キング牧師いわく:「こくじんへの、さべつを」。
ここまで聞いた時点で、観客は、差別解法運動のことだと、わかります。しかし、「黒人への差別」について何を言いたいのかが、なんなのかは、まだ分かりません。もしかしたら観客は、「牧師は『黒人への差別をすることは、いけないことなのです』という道徳を語ろうとしているのかな?」とか予想するかもしれません。
また、てっきり「キング牧師は『黒人の多くは、先祖がアフリカ大陸の出身だ。』という地理的な説明をしようとしてるのかな?」と予想してしまった観客は、ここで、牧師の話(はなし)を思い返す必要が生じるのに、しかし牧師の話は、そのあいだも続いてしまいます。
そのせいで、まちがった予想をしてしまった人は、牧師の話を、聞きそびれてしまいます。
なので、演説では、冒頭で、結論をさいしょに述べておくことにより、観客が、まちがった予想をしないように対策する必要があるのです。
なお、観客が、演説者の話を聞いている時に、なにも予想しなければ、観客はその話を理解できません。なぜなら、演説内容の予想をするという事は、つまり聞き手は、演説者のいう情報をもとにして、聞き手が自分で仮説を立てて、その後の演説内容と照らし合わせるという、論理的な思考だからです。もし、聞き手が、先入観のない赤ん坊なら、赤ん坊はまったく予想せずに、まちがった予想もしないでしょうが、しかし、そもそも赤ん坊は演説を理解できないでしょう。なので演説では、観客に、予想をさせないわけにもいきません。

さて、さらに数秒たって、

キング牧師いわく:「こくじんへの、さべつを、やめさせるのが」。
ここまで聞いた時点で、観客は、黒人への差別解法運動のことだと、わかります。さらに、黒人への差別をやめさせる事について、牧師が言及しようとしてることも、わかります。しかし、「黒人への差別をやめさせる事」について、牧師は何を思ってるのか、観客は、まだ分からないのです。

このように、もし、あらかじめ「私には、夢がある。」とキング牧師が言ってないとしたら、 観客が、いきなり「こくじんへのさべつをやめさせるのが」と聞いても、例えば、もしかしたら、次のように予想するかもしれないのです。

たとえば「黒人への差別をやめさせる事は、今まで失敗してきた」というふうに過去の出来事を振り返ろうとキング牧師が言いたいのかなと予想したり、
あるいは、「黒人への差別をやめさせる事は、理想であるが、難しい」というふうに、キング牧師が目標の難しさを伝えようとしているのかと予想したり、

このように、前置きの「私には、夢がある。」がないと、聞き手にとっては、まったく予想がつかないのです。

そして、もしも、話の内容について、まちがった予想をしてしまった聞き手は、そのあとの話を、聞きそびれてしまいます。かといって、観客が、話を聞いた時に、なにも予想しなければ、観客はその話(はなし)を理解できません。

だからこそ、演説では、結論を前置きとして、手短かにいうことが大切なのです。


その証拠に、ためしに、日本語に置き換えたバージョンのキング牧師のこの演説に、前置きがあったとしましょう。「私には、夢がある。」の前置きがあったとしましょう。

キング牧師いわく「私には、夢がある! こくじんへの、さべつを、」。

観客は、もう、ここまで聞いた時点で、予想できます、「キング牧師は、黒人差別をやめさせる事が、目標なんだ!!」って予想がつきます。

「私には、夢がある!」という前置きさえあれば、もはや、牧師の口から「やめさせのが、夢なんだ!」との発言を聞かなくても、観客はもう、予想できてしまうのです。黒人であるキング牧師の口から、「夢がある」と聞いた直後に、「黒人差別をやめさせることが」との発言を聞いた時点で、観客は、もう予想できるのです、「『私には夢がある。黒人差別をやめさせる事が、私の夢なんだ!』とか牧師が言おうとしてるんだな」という予想を。


(※ 関連事項) 提案とは[編集]

報告書では、意見や提案は、上司や相手から特に要求されてないかぎり、事実を優先して報告するようにしましょう。

それでも、もしメールなどで、短い報告文や提案文を同じメールでひとまとめにする場合(相手が一度のメールを読むだけで済むので、企業社会では、よくある)、せめて段落・章などを分けましょう。


短い報告文にともなう場合の提案[編集]

たとえば、もしアナタがIT業界に勤務するプログラマーだとして、ある会社での開発中のソフトウェアの不具合(ふぐあい)の連絡のための報告メールを書くなら、たとえば

【不具合の報告】
データ設定画面で上から2番目の項目にデータを設定したあと、「セット」ボタンを押さずに「戻る」ボタンを押すと、本来ならメイン画面に戻らなければいけないハズなのに、そのままセット画面の次の「処理中」画面に移動してしまいます。

【案】
このデータ設定画面を使っていて思った案ですが、現在の数値だけを表示するのではなく、過去の数値の記録も表示するようにしては、どうでしょうか?

こう思った理由は、このデータ設定を試したさい、私は過去1時間の数値が◯◯な理由で必要になりました。なので、きっとユーザーにとっても、過去の数値の表示もあると便利かもしれないと感じました。
いかがでしょうか?

みたいに、報告と案とは、別個の章にすべきでしょう。

こうすることで、たとえ提案が却下されたとしても、相手に不具合の報告がきちんと伝わります。


なお、提案をする場合も、最初に結論を書き、つまり、「最終的に、こうなったほうが良いと思う状態」な結論を先に書き、あとから、その提案を思いついた根拠を書きます。

こうすることで、相手が、読み返しする手間が減ります。

文章構成の順序として、提案では、結論が先、理由はその(結論の)直後に、といった構成です。


さて、提案は不採用になる場合もあるので、あまり長々と提案を書きすぎず、手短かに提案を書きましょう。

報告メールの提案の場合なら、提案として思いついた事と、その根拠を、せいぜい5行ていどで紹介するようにしましょう。


提案には根拠が必要[編集]

さて、もし何かの評論などで「意見」を書く場合では、「提案」に「根拠」がセットでないと、評論などは「意見」として役立ちません。


こう報告書で書くべき理由は、なぜなら報告書の読み手である上司や客などは、根拠の部分を読んで、提案を採用するかどうかを決めるからです。

提案の採用の権限をもっている人物は、大抵、あなたではなく、上司や、金を払う客です。

なので、もしも根拠の情報がなくて提案だけを書いても、まったく役立ちません。

もし根拠が無い場合、読み手は書き手の能力を疑い、「こいつ(書き手のこと)は自分の立場を理解できてないのではないか?」と疑うでしょう。

もし提案だけで根拠が書かれてない場合、読み手はおそらく書き手の能力を疑い、その時点で読み手は、書かれた提案を自動的に不採用にするでしょう。

なので、「提案」には「根拠」がセットでないと、役立ちません。

意見 = 提案 + 根拠

の公式だと思っておきましょう。

日常語でいう「意見」とは、何かの論文や評論などでいう「意見」とは、やや意味がちがうので、混同しないようにしましょう。


評論などでの提案[編集]

提案には具体例をつける

もし、評論や論説文などで提案をする場合、けっして、抽象的に「もっと改善を増やすべきだ」みたいな漠然(ばくぜん)とした事を言うべきではない、という事を意識すべきです。

つまり、意識すべきことして「具体的に何をどう変えれば改善になり、そのために我々はいま、こうすべきである」という事を念頭に、具体的に案を提案する必要があります。

たとえば、環境保護のための活動の提案ならば、

けっして漠然と「環境保護をすべきだ」ではなく、

たとえば、企業での提案にたとえれば、例文として

「環境保護をするために、私たちの会社の昼食の仕出し弁当では、割りバシをつかうのをヤメるように仕出し業者に要請すべきでしょう。」

みたいに具体的に行動案を提案するべきです。


つまり、社会で必要な意見とは、

意見 = (提案の方向性 + 具体案)+根拠

です。

提案は、

提案 = 提案の方向性 + 具体案

に分解されます。


社長の提案なら具体案が無くても部下が気をつかって代わりに具体案を考えてくれますが、しかし、もし新人や若手社員が具体例の無い提案をしても、企業の会社内部では、案の検討が後回しにされたり軽視されたりといった扱いになります。

なぜなら、たかが新人の気持ちの読解や心情の読解なんぞに、会社の上層部にとっては、時間を割きたくないからです。


なお、意見を書く場合だけでなく、(例外として数学の証明を除き、)一般の社会では、何かの理論を提唱(ていしょう)する場合も同様に、具体例と根拠をつける必要があります。

つまり

理論 = その理論の提唱内容 + 具体例 + 根拠

です。


意見の論拠は短く[編集]

「意見」について、長々と説明しましたが、しかし基本的に報告書では、意見は無くてもいいか、あっても手短かにすべきです。


また、メールなどで、なにかの提案メールを書く場合などでも、気をつけるべき事として、意見にともなう提案の論拠を、あまり長々と書きすぎないように、気をつけてください。


なぜなら、もし提案などを書いても、その提案が不採用になる場合もあります。不採用になるかもしれないのに、提案の論拠を長々と書かれては、上司にとって困ります。

しかし、たとえそれでも論拠を意見には書くべきです。論拠を書く理由は、上述のような上司を説得する理由のほかにも、理由がいくつかあります。

まず、調査した本人にとっては当然のよくある思考法であっても、それ以外の役職の人にとっては、以外とわかりづらい思考法の場合があります。なので、短くてもいいので、自分以外の役職の人にも思考が分かるように、どういう思考回路でどう提案しているのかを示す必要があります。

また、もう一つの理由とは、たとえ提案が不採用になっても、その論拠を導くための思考方法などは、別の報告や仕事などで活用できる場合があるからです。

論拠を読んだ上司が、回答として「君のこの提案は却下するが、しかし、きみの説明する根拠にも一定の事実がありそうなので、よって、別件であるが、わが社は□□をしようと思う」などのように、別の分野に流用される場合があります。


ともかく、もし意見をなにかの書類や仕事メールなどに書く場合には、主張する提案などに、論拠を手短かに加えましょう。

その他[編集]

通常文の文末には句読点をつける[編集]

日本語では通常、通常の文章の文末には「。」をつけます[40]

市販の報告書の書き方入門本を見ても、文末は原則的に「。」をつけています。(たとえば 倉島保美『改訂新版 書く技術・伝える技術』あさ出版 )


例外的に文末に「。」をつけない場合とは、

  • 題字・題名など(本節の題名「通常文の文末には句読点をつける」の末尾にも「。」をつけていないです)
  • 箇条書きの場合(この文の末尾にも「。」は無い)
  • 会話文の最後[41]
  • ポスターなどのキャッチコピーでは「。」をつけない事がよくある
  • 「……」などで文が終わる場合に、「。」を省く場合がある


小中高では会話文の最後に「。」をつける文体で紹介されます。たとえば

山田は「ぼくは田中じゃないよ。」と言った。

のように。

しかし市販の書籍の多くでは、会話文の最後には「。」をつけていないです。たとえば

山田は「ぼくは田中じゃないよ」と言った。

のように、会話の最後の「。」は省略されることも、よくあります。

体言止めをレポートの文末で使うというミスが市販の入門書から報告されていますが[42]、やはり体言止めの効果である余韻を残すことは、レポート・報告書の目的である正確な報告とはズレていますので、体言止めの濫用はひかえるべきでしょう。

参考文献があれば巻末に付ける[編集]

もし、文献調査などをした報告書の場合、参考文献があるので、参考文献を末尾につけると、読者が検証しやすくなり、便利です。

引用箇所だけでなく、さらに巻末にも、こういった参考文献リストが必要です。

本wikiにも、(執筆時点の版では)参考文献リストが記載されていると思いますので、参考にしてください。

参考文献[編集]

  1. ^ 永山嘉昭『報告書・レポートが面白いほど書ける本』、2013年1月29日 第1刷発行、12ページ、、
  2. ^ 株式会社ザ・アール『これだけは知っておきたい「レポート・報告書」の基本と常識』、2018年9月2日初版発行、22ページ
  3. ^ 高橋慈子『ロジカル・ライティングがよ~くわかる本』、秀和システム、2009年7月25日第1版 第1刷、130ページ
  4. ^ 為田英一郎・吉田健正『文章作法入門』、ナカニシヤ出版、2004年3月10日 初版第2刷、76ページ
  5. ^ 永山嘉昭『報告書・レポートが面白いほど書ける本』、2013年1月29日 第1刷発行、中経出版、15ページ
  6. ^ 河野哲也『レポート・論文の書き方入門 第4版』慶応大学出版会、2018年 7月20日 第4版第1刷、41ページ
  7. ^ 『ビジネス基礎』、実教出版、令和2年12月25日検定、令和4年1月25日発行、P37
  8. ^ 『ビジネス・コミュニケーション』、実教出版、令和2年12月25日 検定済、令和4年1月25日発行、P107
  9. ^ 永山嘉昭『報告書・レポートが面白いほど書ける本』、2013年1月29日 第1刷発行、中経出版、48ページ
  10. ^ 倉島保美(ネット記事)、『 『論理が伝わる 世界標準の「書く技術」』文学的な文章と論理的な文章―倉島保美 (1/2)』、講談社ブルーバックス、2013年04月18日
  11. ^ 泉忠司『論文&レポートの書き方』、青春出版社、2009年7月5日 第1刷、108ページ
  12. ^ 河野哲也『レポート・論文の書き方入門 第4版』慶応大学出版会、2018年 7月20日 第4版第1刷、41ページ
  13. ^ 河野哲也『レポート・論文の書き方入門 第4版』慶応大学出版会、2018年 7月20日 第4版第1刷、41ページ
  14. ^ 河野哲也『レポート・論文の書き方入門 第4版』慶応大学出版会、2018年 7月20日 第4版第1刷、51ページ
  15. ^ 吉田たかよし『「分かりやすい話し方」の技術―言いたいことを相手に確実に伝える15の方法』(講談社ブルーバックス) が同様の見解。
  16. ^ 永山嘉昭『報告書・レポートが面白いほど書ける本』、2013年1月29日 第1刷発行、中経出版、50ページ
  17. ^ 永山嘉昭『報告書・レポートが面白いほど書ける本』、2013年1月29日 第1刷発行、中経出版、52ページ
  18. ^ 大竹秀一『だれも教えなかったレポート・論文の書き分け術』、株式会社SCC、2017年10月1日 初版第1刷発行、122ページ
  19. ^ 大竹秀一『だれも教えなかったレポート・論文の書き分け術』、株式会社SCC、2017年10月1日 初版第1刷発行、122ページ
  20. ^ 永山嘉昭『報告書・レポートが面白いほど書ける本』、2013年1月29日 第1刷発行、13ページ
  21. ^ 永山嘉昭『報告書・レポートが面白いほど書ける本』、2013年1月29日 第1刷発行、中経出版、68ページ
  22. ^ 高橋慈子『ロジカル・ライティングがよ~くわかる本』、秀和システム、2009年7月25日第1版 第1刷、184ページ
  23. ^ 新田誠吾『はじめてでも、ふたたびでも、これならできる!レポート・論文のまとめ方』、すばる舎、2019年10月25日 第1刷発行、65ページ
  24. ^ 高橋慈子『ロジカル・ライティングがよ~くわかる本』、秀和システム、2009年7月25日第1版 第1刷、119ページ
  25. ^ 永山嘉昭『報告書・レポートが面白いほど書ける本』、2013年1月29日 第1刷発行、中経出版、78ページ
  26. ^ 永山嘉昭『報告書・レポートが面白いほど書ける本』、2013年1月29日 第1刷発行、中経出版、90ページ
  27. ^ 鷲田小弥太『1億人の「知的生産」講座 どんな論文でも書けてしまう技術』、言視舎、2014年11月30日 初版第1刷、61ページ
  28. ^ 新田誠吾『はじめてでも、ふたたびでも、これならできる!レポート・論文のまとめ方』、すばる舎、2019年10月25日 第1刷発行 、81ページ
  29. ^ 鷲田小弥太『1億人の「知的生産」講座 どんな論文でも書けてしまう技術』、言視舎、2014年11月30日 初版第1刷、74ページ
  30. ^ 泉忠司『論文&レポートの書き方』、青春出版社、2009年7月5日 第1刷、110ページ
  31. ^ 泉忠司『論文&レポートの書き方』、青春出版社、2009年7月5日 第1刷、114ページ
  32. ^ 永山嘉昭『報告書・レポートが面白いほど書ける本』、2013年1月29日 第1刷発行、中経出版、78ページ
  33. ^ 株式会社ザ・アール『これだけは知っておきたい「レポート・報告書」の基本と常識』、2018年9月2日初版発行、100ページ
  34. ^ 新田誠吾『はじめてでも、ふたたびでも、これならできる!レポート・論文のまとめ方』、すばる舎、2019年10月25日 第1刷発行 、94ページ
  35. ^ 新田誠吾『はじめてでも、ふたたびでも、これならできる!レポート・論文のまとめ方』、すばる舎、2019年10月25日 第1刷発行、94ページ
  36. ^ 口頭での報告の例だが、
    山口真一『デキる人になる報・連・相 入門』、かんき出版、2010年4月20日 第3刷発行、86ページ
    で、事実と憶測とを区別するための手段として、類似の文章構成を奨励している
  37. ^ 三上ナナエ『仕事の種類って報・連・相で決まるんです』、大和出版、2020年2月29日 初版発行、145ページ
  38. ^ 三上ナナエ『仕事の種類って報・連・相で決まるんです』、大和出版、2020年2月29日 初版発行、145ページ
  39. ^ 佐渡島沙織・坂本麻裕子・大野真澄『レポート・論文をさらによくする「書き直しガイド」』、大修館書店、2015年12月21日 初版第1刷、36ページ
  40. ^ 大竹秀一『だれも教えなかったレポート・論文の書き分け術』、株式会社SCC、2017年10月1日 初版第1刷発行、162ページ
  41. ^ 大竹秀一『だれも教えなかったレポート・論文の書き分け術』、株式会社SCC、2017年10月1日 初版第1刷発行、162ページ
  42. ^ 大竹秀一『だれも教えなかったレポート・論文の書き分け術』、株式会社SCC、2017年10月1日 初版第1刷発行、165ページ